悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
拠点に立ち込める煙は、魚を燻す香ばしい匂いだけではなかった。
どこか胡散臭い、それでいて人懐っこい商人の立て板に水の如き口上が、その匂いに混じっている。
「はい、そこのワンちゃん! 歯ぁ磨かんと、美味しいお肉も食べられしまへんで!」
商人が売りつけた歯ブラシを口に突っ込まれたクロは、涙目であたしを見上げる。
あたしが「虫歯になったら肉が食えなくなるぞ」と静かに告げると、観念したように小さな手で柄を握り、しぶしぶと歯を磨き始めた。
その必死の形相を、周りで様子をうかがっていた獣人の子供たちが、自分たちも気を付けようと神妙な顔つきになっている。
いい傾向だ。
衛生観念は、集団生活の基本だからね。
「よし、出かけるよ。クロ、獣人どもを連れてきな。シロ、あんたと残りの連中は拠点防衛と一夜干し作りだ。怠けるんじゃないよ」
シロは元気よく返事したが、その犬耳は少しだけ寂しそうに垂れていた。
霊廟ダンジョンのひやりとした空気が肌を撫でる。
前回同様、あたしは新調した鉄バットで床を手当たり次第に叩き、罠の有無を確認しながら慎重に進んだ。
だが、あたしのやり方を、このダンジョンも学習していたらしい。
ゴッ、と床を叩いた瞬間。
それは、これまでのような一部分の崩落ではなかった。
あたしたちが立っていた通路の床全体が、凄まじい轟音と共に一気に抜け落ちたのだ。
「――ちっ!」
咄嗟に、OL時代よりずっと前の、学生だった頃の柔道の記憶が蘇る。
落下しながらも空中で体をひねり、受け身の姿勢を取った。
激しい衝撃と共に、落とし穴の底に突き立てられていた鋭い杭が、あたしの体を襲う。
ガギンッ! ドガッ!
分厚い鎧が数本の杭に貫かれ、無残にひしゃげる音が響いた。
だが、あたしの体は、カンストした耐久力のおかげで軽い打撲傷で済んでいる。
「ひっ……!」と獣人たちが息を呑む中、クロだけが「姐御はがんじょう!」と叫び、その信頼を微塵も揺るがせていなかった。
あたしは突き刺さった杭を力任せに引き抜き、破損した鎧を見下ろして悪態をつく。
「あたしはともかく、鎧は頑丈じゃないんだよ」
このダンジョンには、あたしの行動パターンを読んで対策を立てるだけの知性がある。
忌々しいことこの上ない。
「これだけ固いんだ。おそらく……」
自身を突き刺した杭が鉄でないかと期待して調べたが、ただの石製だった。
金銭的価値は、運搬の手間を考えれば無に等しい。
「姐御! それ、てつ!」
その時、クロが鋭い嗅覚で別の発見をする。
クロが指差したのは、あたしたちが叩き割った落とし穴の底、その石畳だった。
「なんだって?」
指で触れても確信は持てない。
だが、あたしは手下の優秀な鼻を信用することにした。
これが親方衆の欲しがる金属資源なら、大儲けだ。
「攻略は一旦中断する。運搬準備!」
クロを通じて獣人たちに命令を下し、あたしは鉄バットで床を運搬可能なサイズに砕いていく。
苦労の末、いくつかの鉄塊をダンジョンの入口まで運び出した後、あたしは短い休憩を挟んで中層の探索を再開した。
中層は、腐った死体(ゾンビ)と、時折交じる重武装の乾燥死体が主な敵だった。
あたしの鉄バットは奴らを粉砕できるが、数が多く、殲滅には時間がかかる。
クロはゾンビ一体ならなんとか倒せるが、重武装の相手には時間稼ぎが精一杯だ。
獣人の一人がゾンビに組み付かれ、窮地に陥る。
丁度あたしが乾燥死体を倒した直後だったので救出が間に合ったが、幸運は何度も続かないだろう。
「よし、今日は逃げるぞ。クロ! 爆発するボールを使え。費用は全額あたしが持つ!」
「あうっ!」
クロは喜び勇んで、腰の袋から取り出したボールを鉄バットで打ち込む。
轟音と共にゾンビの集団が吹き飛び、獣人たちは、クロへの畏怖をさらに強めた。
ダンジョンから撤退する、まさにその時だった。
クロが急に落ち着きをなくし、不安そうにクンクンと鼻を鳴らし始めた。
「姐御、なんか、いやなにおい……シロが……」
その切羽詰まった声に、あたしの胸に嫌な予感が突き刺さる。
「……勘は馬鹿にできない。鉄の運搬は後回しだ。拠点に戻るぞ!」
あたしたちは全速力で荒野を引き返した。
見えてきた拠点は、無惨な姿に変わり果てていた。
干していた魚や洗濯物は略奪され、地面には馬のものらしき蹄の跡が、土を無数に抉っている。
だが、堀で囲まれた食料や物資を保管する中心のテント群は、かろうじて守られていた。
その周囲には、工作精度の低い木製の投槍が、まるでハリネズミのように何本も突き刺さっている。
テントの前で、腕に真新しい包帯を巻いたシロが、悔しさを押し殺した表情で、じっとあたしたちの帰りを待っていた。
あたしは努めて冷静に、しかし労わるように声をかける。
「報告しろ。被害と敵だ」
シロは、あたしの顔を見ると、堪えていたものが決壊しそうになるのを必死にこらえた。
「死者、なし。怪我人、たくさん。ひぐっ……守ったけど、守れなかった……」
途切れ途切れの報告によれば、敵は下半身が馬のケンタウロス。
圧倒的な戦力差だったようだ。
報告を終えたシロを、あたしは強く抱きしめた。
「よくやった。優勢な敵相手に拠点の重要区画を守り切るとは素晴らしい働きだ」
それは計算のない、本心からの賞賛だった。
リーダーの言葉に、シロは安堵と悔しさから、あたしの胸でついに声を上げて泣いた。
あたしは、その小さな背中が落ち着くまで、優しく撫でてやった。
テントの陰から、狐耳の商人が恐る恐る顔を出す。
あたしはシロを離すと、殺意に満ちた顔を商人に向けた。
「襲撃してきたのはケンタウロスか。……あんたが呼び込んだわけじゃないだろうな?」
クロがあたしの殺気を察し、鋭い牙を剥いて商人を睨みつける。
「滅相もございません!」
商人は慌てて否定したが、襲撃の可能性を黙っていたことは白状した。
「ケンタウロスの本拠地を教えろ」
あたしの低い声に、商人はごくりと喉を鳴らす。
商人はあたしの将来性と、魔族を差別しない(人間も魔族も優遇しない)在り方に賭けることを決断したらしかった。
「……川の近くにある、独特な形の小高い丘に、奴らの集落が」
情報を聞き出すと、あたしはクロに告げた。
「あんたはここで獣人どもを守れ」
「な、なんで!?」とクロがショックを受けた顔をする。
「シロ」
あたしが名を呼ぶと、シロははっと顔を上げた。
「やられた本人と、その上司(ボス)がやり返すのが一番筋が通る。報復に行くぞ」
シロの瞳に、涙の代わりに、燃えるような闘志が蘇った。
あたしはシロをおんぶし、背中合わせになるようにロープで互いを固定する。
これであたしの死角は、シロがカバーできる。
「シロ、連中は何も言わずに攻めて来た、でいいんだね」
「うん!」
「よーし、ならこっちは文化的にやろうじゃないか」
あたしは殺気を撒き散らしながら獰猛に笑い、シロも、あたしに影響されて似たような表情になっている。
地を蹴ったあたしは、一直線にケンタウロスの本拠地へと疾走した。
『足』を手に入れたときより速度は上がっている。
乾いた地面を蹴る力も、砕けた土が煙となって舞い上がる量もかなりものだ。
土煙を上げて接近するあたしたちに気づいたケンタウロスたちが、丘の上から威嚇の声を上げる。
あたしは奴らの縄張りの中心で足を止め、荒野に響き渡る声で宣言した。
「あたしが川岸の拠点の所有者だ! 拠点襲撃の件について、謝罪と賠償を求める!」
ケンタウロスたちは、あたしとシロの姿を見て嘲笑し、腰抜けと罵りながら投げ槍を放ってきた。
あたしは敢えて直進することでそれを避け、シロが背後からナイフを振るって、当たりそうになった槍を弾き落とす。
「交渉の意思なしか」
あたしに向かって突撃してきた血気盛んなケンタウロスの一騎に対し、あたしは鉄バットを振るわず、ただカウンターになる位置に「置いた」。
凄まじい衝突音。
ケンタウロスは、あたしの耐久力に支えられた質量そのものに激突し、馬の脚をありえない方向に曲げて絶叫と共に転倒した。
あたしは丘の上にいるケンタウルスの本隊を見据え、殺意を隠さず獰猛に笑う。
「宣戦布告もせず、交渉もしようとしない馬鹿には、力で言うことを聞かせるしかないんだ」
背中のシロも、あたしの殺気に当てられたように、鋭い声で続けた。
「ないんだ!」
「大人しくなるまで、殴らせてもらうよ!」
あたしは再び地を蹴り、丘に向かって一直線に駆け上がった。
(皆殺しが早いか、降伏するのが早いか。さて、賭けといこうじゃないか)
一方的な蹂躙が、今、始まる。