悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~   作:星灯ゆらり

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【第56話】悪女の算盤と、迷宮の理(ことわり)

闇に沈む荒野で、二人分の影だけが奇妙に際立っていた。

 

あたしの拠点に揺らめく焚き火の光が目の前の男の平凡な顔立ちをかえって不気味に浮かび上がらせる。

 

殺気はない。だが、深海の水圧のような、異質で絶対的な存在感が肌を粟立たせた。

 

「我が迷宮への侵入を止めよ。略奪した資源は全て返還せよ」

 

迷宮の主は、表情一つ変えず、淡々と、しかし絶対的な要求を突きつけてくる。

 

(最初に最大級の要求を突きつけ、そこからの交渉で譲歩を引き出すつもりか。あるいは本気でこの条件を呑ませるつもりか……。どちらにせよ、ここで弱みは見せられないね)

 

あたしは口元に不敵な笑みを浮かべ、あえて挑発するように言い返した。

 

「あんたがあたしの目の前から消えて二度と現れないというなら見逃してやるよ。資源? あたしが命を懸けて手に入れたもんだ。くれてやる義理はないね」

 

言葉のナイフが交錯するが戦況は動かない。

 

やがて、東の地平線の彼方がわずかに白み始めた。

 

夜明けが近い。

 

これ以上の問答は精神的な疲労を加速させるだけだ。

 

「交渉は一時中断だ。今日の夜、日没後にここで再開する。それまでは互いに手出ししない。どうだい?」

 

「条件が曖昧だ」

 

迷宮の主の指摘は的確だった。

 

「あたしもあんたも言葉は通じても価値観が違う。細かいルールなんざ決めたところで、解釈の違いで揉めるだけだろうさ。夜の間は不戦。手下や眷属を使っての攻撃もなし。どちらかがこれを破れば交渉は決裂だ。シンプルでいいだろう?」

 

あたしが畳みかけると、迷宮の主はしばしの沈黙の後「承知した」とだけ答えた。

 

そして、何の予兆もなくこちらに背を向けて歩き出す。

 

一歩また一歩と進むごとに、その気配と姿は夜の闇に溶けるように薄れ、二十歩も歩かぬうちにあたしの目をもってしても完全に見失ってしまった。

 

「ふぅ……」

 

張り詰めていた糸が切れ、あたしは大きく息を吐く。

 

「いっそ騙し討ちをしたりされたりの方が、やることに悩まずに済むんだがね」

 

その独り言に返事はない。

 

背後でようやくテントから這い出してきたクロが、眠たげな目をこすりながら「なにか、あった?」と不思議そうに首を傾げている。

 

シロは極度の緊張からまだ解放されず、その場に呆然と立ち尽くしていた。

 

「あたしは仮眠をとる。起きたらすぐにダンジョンだ。クロ、シロの分の準備もしておけ。……シロ、お前はもう寝ろ。話は後でしてやる」

 

あたしの声に、シロははっと我に返ると、こくりと頷いた。

 

「あい……」

 

その返事は、出会った頃のようだった。

 

数時間後、あたしたちは再びあの忌々しい霊廟ダンジョンの中層に立っていた。

 

拠点の守りは、傷が癒えた獣人たちに任せてある。

 

「てき、へん! おおい!」

 

クロの鋭い声が響く。

 

目の前のアンデッドの群れは前回とは比較にならないほど見事な連携で、あたしたちを包囲しようと動いていた。

 

「数は少ないけどっ、連携がっ!」

 

シロの悲鳴に似た声が続く。

 

(これがダンジョンボスの本気か。これ以上の略奪は諦めて攻略に専念すべきか? いや、それでは割に合わない。なんとか両立させたいところだが)

 

あたしが内心で悪女の算盤を弾いている、まさにその時だった。

 

重武装の死体数体と打ち合っていたあたしの死角、壁に仕掛けられていた罠が作動し、多数の矢がシロとクロめがけて放たれた。

 

「「わっ!?」」

 

二人は矢が風を切る音を聞いた瞬間、思考するより早く本能的にあたしの背後へと飛び込んだ。

 

あたしという、絶対に壊れない盾の内側へ。

 

複数の矢の直撃を体で受け止めたあたしは、その衝撃で体勢を崩す。

 

そこへ、好機と見た重武装の死体が振るう巨大な戦斧が、がら空きになった胴体に叩き込まれた。

 

「――ッ!」

 

凄まじい衝撃。

 

だが致命傷には程遠い。

 

「危ないときはあたしを盾にしろとは言ったが……!」

 

悪態をつきながら、あたしは痛みからくる怒りをそのまま力に変え、目の前の敵に鉄バットを叩き込む。

 

暴力性が増していくのを感じながら、一体、また一体と確実に骨の塊を粉砕していく。

 

戦闘が一段落した時だった。

 

「どく!」

 

「矢にたぶん毒が塗られてるおっ!」

 

シロとクロがあたしの鎧の隙間に突き刺さった矢を指差し、真っ青な顔で叫んだ。

 

矢じりには、禍々しい紫色の液体がベットリと付着している。

 

「あのダンジョン野郎、本気だね」

 

あたしの表情から、完全に油断が消えた。

 

カンストした耐久力が毒の進行を抑え込んでいるが、じわじわと体力が削られていく感覚は確かにある。

 

「本命の罠は別にあるはずだ。撤退路を疑え」

 

「このダンジョン性格悪いおっ」

 

シロの悪態に、あたしは鼻を鳴らした。

 

「勝てば正しいのさ。……まあ、勝っても正当化できないことはあるから、雑な仕事は駄目だがね」

 

あたしは鉄バットを振るって敵を牽制しながら徐々に後退していく。

 

クロはあたしの後退ルートを確保するように、魔物の死体などの障害物を片付けていく。

 

その時だった。

 

「わっ」

 

後退路の床を調べていたシロの軽い体重に反応し、足元の石畳が音もなく開いた。

 

しかしシロは落下しない。

 

咄嗟に床の縁に解体用ナイフを突き立て己の体を支えていた。

 

その鼻先を、落とし穴の底から突き出す鋭い杭がかすめていく。

 

これまで見てきたものより明らかに質が良い、鈍い輝きを放つ「鉄」の杭だ。

 

「これを回収しようとすれば、追撃に遭って押し潰される算段か。甘いね!」

 

あたしは叫ぶと、このダンジョンに入ってから初めて本気で地を蹴った。

 

助走を乗せたあたしの体は、それ自体が砲弾と化す。

 

落とし穴ごと周囲の壁や床を鉄バットで叩き潰し、新たな罠が作動する前にその機構ごと破壊した。

 

轟音と粉塵の中、瓦礫で埋まった穴の底にシロが着地し、あたしたちは再び合流する。

 

「もう一発!」

 

追撃してくるアンデッドの群れに向け、あたしは再び加速。

 

奴らが通りかかる手前の通路を根本から叩き折り、巨大なクレバスを作り出して足止めする。

 

その隙にクロとシロが協力し、質の良い「鉄」の杭を瓦礫の中から回収した。

 

「よし、いいぞおまえたち。欲張らずにダンジョンから出るよ」

 

「あう!」「はい!」

 

あたしたちは深層への侵入には失敗したものの、新たな戦利品を手にダンジョンからの撤退に成功した。

 

日没後、約束通りに迷宮の主は現れた。

 

あたしは商人から高価な解毒ポーションを買わされ、苛立っていた。

 

奴もまた、罠を破られ貴重な「鉄」まで奪われたことで、その無表情の奥に焦りを隠している。

 

互いから漏れ出す殺気が夜の空気をビリビリと震わせた。

 

あたしの持つ鉄バットが、今か今かと戦いを求めてひとりでにカタカタと鳴り始める。

 

「ここで戦っても、セレスティアはん以外の人間が喜ぶだけですわ! 昼戦ったのに夜に会うたいうことは、どちらも戦いを止める気はあるはず! あと少しだけ、戦わずに話してくだされ!」

 

戦闘が始まるまさにその直前、普段より明らかに尻尾の数を増やした狐耳の商人が、悲鳴のような声を上げてあたしたちの間に割って入った。

 

一分以上の、重い沈黙。

 

やがてあたしが口火を切った。

 

「あたしはこれ以上、あのダンジョンを攻撃しない。その代わり、ここまで運び出した『鉄』を都市に運ぶための時間はよこせ。あたしが去った後、この土地に誰が住み着こうとそこまでは責任を持てん」

 

「……お前が迷宮に近付かぬなら追撃はせん」

 

迷宮の主の口調に、初めて明確な苛立ちが滲んだ。

 

「明日のこの時刻より、ここにあるものは素材として回収する」

 

互いに殺気を放ちながら、腹の底を探り合う。

 

(何考えてるか、さっぱり分からん!)

 

最終的な合意には至らないまま、迷宮の主は一方的に交渉を打ち切った。

 

そして前回とは違い、何の予備動作もなく、その姿と殺気が一瞬にして掻き消えた。

 

「瞬間移動……」

 

商人が呆然と呟く。

 

あたしの背筋を、冷たい汗が伝った。

 

それは原作ゲームの主人公ですら魔法を極めた終盤にようやく使えるかどうかの、規格外の力だった。

 

(瞬間移動ではなく幻影だったかもしれない。だが、幻影越しにこの殺気なら、実力は間違いなくあたしより上だ。瞬間移動の場合もそうだ。直接攻撃に何らかの制約があるだけか)

 

命拾いしたという実感が、疲労となって肩にのしかかった気がする。

 

「だが、あたしは生きている。手下も無事で、『鉄』もたっぷり手に入れた。これ以上欲張るのは破滅への道だね」

 

あたしから殺気が完全に消え、安堵のため息が漏れる。

 

緊張から解放された商人は、その場にへなへなと膝をついた。

 

あたしは、この場にいる全員に聞こえるよう、揺るぎない口調で宣言した。

 

「この拠点を放棄する。夜明けと同時に出発だ」

 

翌日、あたしたちの奇妙な一行は都市を目指して荒野を進んでいた。

 

手下の獣人たち、商人、そして彼の下で働くことになったケンタウロスたち。

 

皆、可能な限りの「鉄」を背負っているため、移動速度は亀のようだ。

 

道中、ギルド職員に率いられた冒険者や兵士の一団とすれ違った。

 

彼らは、あたしが築いた拠点を乗っ取り、自分たちの手柄と利益にするつもりだったのだろう。

 

「金札昇格試験から逃げた腰抜けめ」

 

投げかけられた侮蔑の言葉を、あたしは鼻で笑って受け流した。

 

(逃げたのは事実だからね。金札が数人いても勝てるか分からない相手に、勝てないと金札になれない試験なんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある)

 

今のあたしには、彼らのちっぽけなプライドより、生き延びることの方がよほど重要だった。

 

やがて日が落ち、野営の準備を始める。

 

飯を食っている最中に、完全に陽は沈んだ。

 

その時だった。

 

あたしたちが放棄してきた拠点の方角から、おびただしい数のアンデッドが溢れ出すかのような、禍々しく強力な気配が、地平線の彼方からでもはっきりと感じられた。

 

拠点に残った者たちの末路は、想像に難くない。

 

(ケイルが巻き込まれていれば、色々問題が片付いたんだがね。まあ、切り替えていくさ)

 

あたしは冷めたスープを一口すすると、手に入れた戦利品と守り抜いた手下たちを見やり、この大所帯をどうやって人間の都市に潜り込ませるか悩むのだった。

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