悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
夜の闇が薄れ、地平線の彼方が乳白色に染まり始める。
あたし、セレスティア・フォン・ヴァイスは、眼下に広がる奇妙な大所帯を見下ろしていた。
手懐けた獣人、屈服させたケンタウロス、そして胡散臭い狐耳の商人。
皆、背には分不相応な重さの「鉄」を背負い、その歩みは亀のように鈍い。
その、見るからに弱った集団の匂いを嗅ぎつけたのだろう。
遠巻きに、しかし確実に、飢えた野犬や小型の魔物の群れが、あたしたちの隙を伺っていた。
「セレスティアはん、みな動揺しています。あんさんは、できるだけ余裕な態度でいてください」
いつの間にか隣にいた商人が、小声であたしに進言してきた。
「あたしだって怖いさ。あの迷宮の主が約束を守ると分かっていてもね」
脳裏をよぎるのは、あのとき対峙した迷宮の主。
あの深海の水圧のような、異質で絶対的な存在感。
思い出すだけで肌が粟立つほどの恐怖と同時に、どうしようもなく湧き上がる闘志。
「そっち(闘志)の気配も抑えてくださいよ」
商人はあたしの内心を精確に読み取って、顔を引きつらせる。
「努力はするさ」
あたしは肩をすくめると、シロとクロを呼び寄せた。
「はい!」「あう!」
元気な返事に頷き、指示を出す。
「あんたたちは二人で行動しな。害獣や魔物がいたらあんたらの判断で迎撃するか、あたしに知らせるんだ。爆発するボールを使うかどうかは、シロが判断するんだよ」
クロが「おうぼう!」と元気よく鉄バットを構えるが、シロは冷静に「クロちゃん、最近使いすぎだよ」と窘めた。
「金を惜しんで手足や命を失うよりはずっとましだが、金欠ってのは死に直結する。餓えて死ぬ気がないならもっと巧く使うことだね」
あたしの言葉に、かつて飢えの縁を彷徨った記憶が蘇ったのだろう。
二人の顔から子供っぽい甘えが消え、戦士の緊張感が戻ってきた。
シロとクロは頷き合うと、隊列の両翼を固めるように駆け出していった。
陽が西に傾き、地平線の彼方にようやく目的の都市のシルエットが見えてきた頃だった。
「ケンタウロスの集団を引き連れて近付けば、侵略者扱いされても文句は言えないな」
あたしがあまりに楽しそうに言うものだから、商人が「冗談ですよね?」と引きつった顔で尋ねてくる。
「なんのことだい? 他種族とおおっぴらに手を組んで暴れるより、既存の社会の制度を利用した方がトラブルが少ないとは思っているがね」
いずれ金札に昇格し、コネと財力と戦力で貴族に成り上がる。
その野望のためには無用な騒乱は悪手だ。
「仕方がない。シロ! 街までひとっ走りして門番にあたしの名前を出しな。それで分かるはずだ」
「遠いお!?」
「門番に伝えた後は、そのまま飯を食いに行っていいから頑張りな」
その言葉に、離れた場所にいたクロが「あたし、かわる!」と目を輝かせる。
「クロ、まだここは安全じゃないんだ。複数方向から攻めてくるってのは、馬鹿な盗賊だって使う作戦だ。遠距離攻撃相手に戦える奴が複数必要なんだよ」
あたしに諭され、クロは「あう……」と犬耳をしゅんとさせた。
シロはそんなクロの頭をぽんと叩いて慰めると、子供離れした驚異的な速度で都市へと駆けていった。
やがて都市の門にたどり着くと、そこは普段とは比較にならないほど物々しい雰囲気に包まれていた。
武装した門番と衛兵が隊列を組み、その中心で腕を組んであたしたちを待ち構えていたのは、見知った顔――金札冒険者その人だった。
「これほど早く戻ってくるとは驚いたな。何があったか聞いても?」
「ダンジョンの中の魔物の動きが変わってね。あたしは勘に従っただけだ。拠点を放棄してこっちに向かっていたら、入れ違いで拠点に向かっていた奴らはいたがね」
金札冒険者は長い冒険者生活の経験からか、あたしが遭遇したであろう規格外の存在の可能性を察したようだった。
あたしたちが話しているうちに、馬車の車輪が立てる音と、食欲を刺激する豊かな香りが漂ってきた。
シロが馴染みの料理店に注文した、野菜たっぷりの温かい麦粥(大きな鍋が十以上)を積んだ馬車が到着したのだ。
その香りに、疲労困憊だった獣人やケンタウロスたちから、抑えきれない歓声が上がる。
金札冒険者はこの状況を見て、今は交渉の時ではないと判断したのだろう。
「長旅ご苦労だった」とだけ言い残して引き上げていった。
麦粥で一行が活気を取り戻した頃、今度は清潔なテントや毛布、そして綺麗な水が満たされた樽がいくつも運び込まれてきた。
シロが言うには「なんか良い人そうなシスターの人間」が手配してくれたらしい。
旅人への歓迎、と。
(旅人ということは、ケンタウロスを街の中に入れるのは認めないという意思表示。そして、この手際の良さ。迎撃の用意もとうに済んでいると見るべきだね。敵には回したくない、どころか、絶対に敵対しちゃいけない相手だ)
商人だけが、その異常な事態の裏にある権力の匂いを嗅ぎ取り、恐ろしげに喉を鳴らしていた。
その夜。
あたしはリックに連れられ、シロとクロを伴って鍛冶親方の工房を訪れていた。
「今後はあたしの代理として動くこともある。話し合いで発言しろとは言わない。親方たちの顔を覚えて、ついでに親方たちから顔を覚えられるようにするんだよ」
工房には、あたしに出資した親方衆が集い、異様な熱気に満ちていた。
あたしが今回の冒険の顛末と入手した「鉄」の種類と数を大まかに報告すると、一人の親方が身を乗り出した。
「そんなことより、次はどのダンジョンを攻めるんだ!」
「略奪で儲けることができるダンジョンがすぐに見つかるわけないだろ。都合のよい獲物が見つからないなら、期日になり次第、出資された金は全額返してそれで終わりさ」
報告が終わると、持ち帰った「鉄」のオークションが始まった。
美術品のように高騰することはないが、それでも元手ゼロの略奪品だ。
あたしの懐には莫大な利益が転がり込んでくる。
あたしがうとうとし始めたシロとクロを見て「そろそろ帰るか」と腰を上げた、その時だった。
会場の隅で、帳簿を片手に親方衆の相談に乗っているハネッコの姿に気づいた。
「ハネッコ!? なんでここに」
「計算が面倒な人間が多いのです。あなたはご自分でするようですが」
「自分の金は自分で注意しないとね。あと、ただいま」
「おかえりなさい。あなたは本当に相変わらずですね」
目当ての「鉄」を競り落としてご満悦だった狐耳の商人が、ハネッコの姿を認めた途端、凍りついた。
「なんだいその態度は。魔王にでも会ったような顔をして」
あたしは冗談のつもりだった。
だが、商人はまるで本物の魔王に遭遇したかのように、がたがたと震えだした。
オークションの売上金を受け取り、さてどうやって運んだものかと思案していると、ハネッコが「相談したいことがあります」と真剣な顔であたしを見ていた。
(こいつを放置してでかい面倒ごとになると、あたしじゃ全く歯が立たない凄まじい面倒ごとになるかもしれない)
ハネッコはあたしの思考を読んでむっとする。
「悪かったよ。話があるならあたしの家で聞くよ」
結局、山のような金貨と銀貨は、ハネッコが念動力でふわりと浮かせて、あたしの家まで運んでいくことになった。
久しぶりに戻った我が家。
シロとクロは、ソファにたどり着くなり安心しきった寝息を立て始めた。
あたしが二人に毛布をかけてやっていると、ハネッコが静かに、しかし強い意志を込めて口を開いた。
「わたくし、回復魔法を身につけたいのです。それが無理でも、他者を癒やす手段を手に入れたい」
長旅の疲労がどっと押し寄せる。
あたしは強烈な眠気に耐えながら、ほとんど無意識に口を開いていた。
「天使のヒーラービルドなんて分からないよ……。というかね、回復魔法がなんなのかもあたしじゃ分からないし。神様のおかげで使えるなら、癌にもならずにあっという間に回復するってのは尊敬するしかないと思ってるよ」
「がん……?」
「そうだねぇ。回復魔法っぽく新しい技術を作るなら、実験するしかないと思うね。いや、別に非人道的な実験なんて必要ないよ。怪我人の面倒をみてやったり、討伐対象の魔物でいろいろ確かめればいいんじゃないか?」
その、あたしの無責任な発言と、眠気で緩んだ思考から漏れ出たOL時代の知識の断片――。
それを拾い上げたハネッコの瞳に、閃光が走った。
念動力の応用。
人体の構造を読み取り細胞単位で対象を修復し再構築する。
神の領域に踏み込むかのような、あまりに危険であまりに強力な秘術の概略が、彼女の中で形を結んだのだ。
そのやる気に満ちたハネッコの表情はどこか人間離れしており、あたしが知るどんな物語の主人公よりも、むしろ世界を支配する魔王のような絶対的な凄みを帯びていた。
「凜々しい面をするじゃないか。若いのはこうじゃなくちゃね」
あたしは婆臭いことを言いながら、彼女の変貌を見守る。
このときにハネッコの内心に気づけていれば、あたしの人生はずいぶんと穏やかなものになったはずだ。
やる気に満ちたハネッコが、その力強い瞳であたしを真っ直ぐに見つめる。
「あなたの冒険に、わたくしも連れて行ってください。この力を、試す場所が欲しいのです」
その気迫に満ちた懇願に、もはや思考能力の限界だったあたしは、深く考えずに頷いてしまっていた。
悪役令嬢の家で天使が魔王への第一歩を刻む。
そしてあたしは、新たな、そしてとてつもなく厄介な盟約を、安請け合いしてしまったのだった。