悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~   作:星灯ゆらり

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銀札時代の日常
短編『天使の休日と、悪女の置き土産』


昼下がりの陽光が、大きな窓から静かに差し込んでいる。

 

ハネッコの事務所兼自宅は、主の性格を映したかのように塵一つなく整頓されていた。

 

彼女自身は机に向かい、この街の職人から依頼された帳簿の整理に没頭している。

 

その美しい顔に浮かぶのは、天界での務めと何ら変わらない真剣そのものの表情だ。

 

カツン、と庭先で乾いた音がした。

 

「番犬」を自称するクロが、短い鉄バットの先端で、しつこい雑草の根を器用に掘り起こしている。

 

以前、ハネッコが念動力を庭の手入れに使おうとした際、「めだつ、ちめいど、いいこと!」「わたくしにとっては悪いことです!」という問答の末、クロが自主的に手伝うようになったのだ。

 

一方、台所からはトントントン、と小気味良いリズムが聞こえてくる。

 

シロだ。

 

彼女は戦闘時に使うものとは別の真新しい解体用ナイフを手に、野菜を驚くほど均一なサイズに切り分けていた。

 

その手際は、戦闘時の正確無比な動きを彷彿とさせた。

 

(騒がしいですが、静かすぎても落ち着きませんね)

 

ハネッコは帳簿から目を離さずに思う。

 

(心を読んでも悪意も裏もない。もし地上に降りて、最初にあのような者たちに出会っていたら、私の運命も違っていたかもしれません)

 

集中からくる僅かな疲労に、ハネッコの眉間に微かな皺が寄った。

 

その瞬間、庭から戻ってきたクロが、彼女の顔を覗き込んで声を上げる。

 

「ハネッコ、まじめがお!」

 

すかさず台所からシロの声が飛んだ。

 

「クロちゃん、ハネッコちゃんは仕事中だよ。食器の用意を手伝って」

 

「あう」

 

やがて仕事に一区切りをつけたハネッコと、準備を終えたシロ、クロが食卓を囲む。

 

テーブルの中央には、湯気の立つ大きな鍋。

 

野菜がたっぷり入ったクリームシチューだ。

 

「リーダーに教えてもらったんだ」

 

シロが少し誇らしげに言う。

 

近くのパン屋で買ってきた、まだ温かいパンも添えられていた。

 

食事中の話題は、三者三様だ。

 

シロとクロは、最近の害獣駆除で遭遇した奇妙な魔物の話を得意げに語る。

 

対するハネッコは、守秘義務に触れない範囲で、代書屋の仕事で起きた出来事を話した。

 

帳簿の数字がどうしても合わず一晩中首を傾げていた職人が、翌朝あっさりと自分の計算間違いを見つけて大喜びしていた、などという他愛のない話だ。

 

シロとクロはその内容の半分も理解できていないだろうが「冒険者じゃない仕事、すごい」と素直に感心したように聞いていた。

 

食事が終わり、シロが手際よく食器を洗い始める。

 

ハネッコは、満たされた心地よさから、椅子に座ったまま少し休憩していた。

 

そこへ、外の見回りを終えたクロが、勢いよく部屋に飛び込んできた。

 

「まよねーず、ほしい!」

 

唐突な叫びに、ハネッコがきょとんとする。

 

それを聞いたシロも、台所からひょっこりと顔を出した。

 

「ハネッコちゃん、りばーしって何か知ってる?」

 

「いきなりどうしたのです?」

 

ハネッコが尋ねると、二人は口を揃えて「リーダーが前に何度も言っていた」と説明した。

 

面倒くさそうな顔をされて、詳しく聞けずじまいなのだという。

 

ハネッコは静かに目を閉じた。

 

セレスティアの思考を読んだときのことを思い出す。

 

彼女の記憶力は、人間のそれとは比較にならないほどに精確で膨大だ。

 

ハネッコは、セレスティアがマヨネーズについてもリバーシについても詳しい内容は覚えていなかったことを思い出す。

 

しかし、彼女の他の思考――前世の雑多な知識の断片を読んだときの情報と総合し、ハネッコはその正体を正確に推測した。

 

(マヨネーズは……油と酢と卵黄からなる調味料。リバーシは、白と黒の石または木を使う盤上の遊具。セレスティアの「前世」の産物……創作の小道具でもあるようですが、再現は可能そうですね)

 

ハネッコが目を開けると、その表情の変化を敏感に察したのか、シロとクロが目をキラキラさせて詰め寄っていた。

 

「できそう!」

 

クロの期待に満ちた声が響く。

 

「あなたたち、わたくしの思考を読んでいませんか?」

 

呆れた声で問うハネッコに、シロが答えた。

 

「ハネッコちゃんって結構分かり易い、よ」

 

隣でクロがこくこくと頷く。

 

「見えないはね、音、わかる」

 

どうやら光学的に隠しているだけの翼が、感情の機微に応じて立てる微かな音を聞き取っているらしい。

 

ハネッコは一つため息をつくと、その日の仕事が既に終わっていることを思い出し、二人の願いを聞き入れることにした。

 

再び舞台は台所へ移った。

 

ハネッコの指示で、シロとクロはそれぞれ自分たちのお金とハネッコから「わたくしの分もお願いします」と預かったお金を握りしめ、必要な材料を買いに走った。

 

「あたしもやる!」

 

戻ってくるなり、最近料理に自信をつけ始めたシロが腕まくりをする。

 

だが、ハネッコは「時間がかかりすぎますので今回は見ていてください」と、子供のやる気を削ぐのも構わずに、しかし悪意なく言った。

 

ハネッコは念動力を駆使しボウルの中の卵黄と酢を混ぜ合わせる。

 

そこへ油を少しずつ、糸のように垂らしながら、生身の人間には不可能な速度でかき混ぜる。

 

通常なら時間と体力がかかる乳化の工程が、あっという間に終わっていく。

 

「すごい……」

 

シロとクロは、魔法のような光景に息を呑んだ。

 

やがて、とろりとした白い液体が出来上がる。

 

「味見をお願いします」

 

その言葉を待っていたかのように、クロがスプーンを手に飛びついた。

 

「おいしい!」

 

そう言って、味見のふりをして、ぱく、ぱくと二口、三口。

 

ハネッコが止める間もなく、ボウルの中身はみるみる減っていく。

 

「こら、クロちゃん!」

 

結局、最終的な塩加減の調整はシロが担当し、完成したマヨネーズは、予想の半分ほどの量になっていた。

 

クロはぷいとそっぽを向いて気付かないふりをしている。

 

ハネッコは呆れながらも、その小さな頬を(もちろん解体用ナイフは使わずに)指で軽くつねるのだった。

 

「リーダーにも食べさせてあげたいから、少しお土産に欲しいお」

 

シロが申し訳なさそうに言う。

 

ハネッコは考えるふりをした。

 

自分はシロやクロほどたくさん食べないので、残りを半分に分けても全く問題ない。

 

だが、それをそのまま言えば、二人のプライドが傷つくかもしれない。

 

そう、珍しく人の心情を推測することに成功したハネッコは、リバーシを作ってこの件をうやむやにしようと考えた。

 

「では、クロがつまみ食いした分は、別のことで働いてもらいましょうか」

 

ハネッコが居間に移動すると、念動力で、クロが先ほど買ってきた木材を宙に浮かせる。

 

木材は瞬く間に平らな盤に加工され、表面には正確な格子模様が刻まれていく。

 

残りの木材は同じ大きさの円盤状の駒へと次々に姿を変えた。

 

駒は片面は木肌のまま滑らかに、もう片面は表面をざらつかせることで、白と黒の二種類を巧みに表現していた。

 

完成したリバーシの盤と駒をテーブルに置くと、シロもクロもマヨネーズのことはすっかり忘れ、その目新しい遊具に興味津々だった。

 

ルールを覚えた三人での対戦が始まる。

 

最初は頭脳明晰なハネッコが二人を相手に圧勝を続けた。

 

だが、数戦をこなすうちに、奇妙なことが起こり始める。

 

シロとクロが、ハネッコの表情の僅かな変化や、彼女が隠している翼のかすかな音から、次の一手を予測し始めたのだ。

 

野生の勘ともいえるその力で、二人は急激に腕を上げていく。

 

(信じられません。こんなことが本当に可能なのですか)

 

ハネッコが驚きに集中力を乱された、その時だった。

 

「まよねーず……」

 

クロがぽつりと呟いた、食欲からくる雑念。

 

それが決定的な隙となり、ハネッコの一手は甘くなった。

 

「勝ったお!!」

 

シロが、盤上の駒をひっくり返しながら、歓喜の声を上げた。

 

最終的にハネッコの勝率は八割ほどだったが、三人は勝敗に関係なく、時間の経つのも忘れて盤上の戦いに夢中になった。

 

ふと気づくと、窓の外はすっかり暗くなっていた。

 

三人は遊びに夢中で、夕食のことなど頭から消え去っていた。

 

その時、玄関の扉がノックされる。

 

「シロ、クロ、いるかい?」

 

セレスティアの声だった。

 

心配して迎えに来たのだ。

 

家に入ってきた彼女は、テーブルの上のマヨネーズとリバーシ、そして夢中になっている三人の姿を見て、事の次第を察し、やれやれと肩をすくめた。

 

「あんたたち、夕飯は食ったかい?」

 

その言葉に、三人は一斉に我に返り、そして同時に強烈な空腹を自覚した。

 

ぐぅぅぅ、とシロとクロのお腹から盛大な音が響く。

 

ハネッコも、恥ずかしそうに頬を赤らめ、小さくお腹を押さえた。

 

「分かった分かった。まったく、世話が焼けるね」

 

セレスティアは呆れながらも、その口元には笑みが浮かんでいた。

 

「戸締まりしてきな。まだやっている店に連れて行ってやるよ」

 

四人で夜の街を歩く。

 

セレスティアが先導し、シロとクロが、ごく自然にハネッコの左右を固めるようにして続いた。

 

警戒を怠らないのは冒険者の性だが、その口からは今日の出来事が楽しそうに語られている。

 

その光景を眺めながら、ハネッコは地上での生活の温かさと予期せぬ出会いがもたらした充実感を改めて実感していた。

 

彼女の口元に、天界にいた頃には浮かべたことのない、自然な笑みが浮かんでいた。

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