悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
昼下がりの陽光が、防犯と格式だけを重視した宿屋の重厚な窓ガラスを鈍く照らしている。
金札冒険者は、その窓辺に佇み、この街から一つの大きな脅威――ハネッコと名乗った天使が去ったことに、静かな安堵を覚えていた。
長年の経験が彼に教えている。
神や天使といった人の理を超えた存在は、関わること自体が破滅への引き金になり得るのだ。
どれほどの強者も人の理屈が通じぬままに命を落とす。
(セレスティア殿は、無事なのだろうな)
あの悪女然とした銀札冒険者の顔を思い浮かべる。
彼女の持つ、人を束ね、利益を生む仕組みそのものを構築する才覚を、彼は高く評価していた。
その時、背後に気配もなく情報屋が立っていた。
金札冒険者は慣れた様子で銀貨を数枚卓上に置く。
情報屋はそれを音もなく懐へしまうと、淡々と告げた。
「銀札のセレスティアの部下は戻っております。白い方――シロが、以前手懐けた獣人たちを率いて狩りを行い、街の職人と取引をしていた、と」
ほう、と金札冒険者は小さく息を漏らした。
主が不在でも組織は淀みなく機能し、利益を上げている。
あの銀札嬢の真価が組織構築能力と経営の才覚にあることを改めて確信する。
金札という地位にたどり着いても冒険者であることは変わらない。
彼は慣れた道を通り、慣れた場所へ向かう。
冒険者ギルドの高ランク専用カウンターでは、専属の職員が恭しく依頼書の束を広げ、周囲の冒険者たちは羨望と畏敬の混じった視線を遠巻きに投げるだけだ。
だが、ギルド上層部が彼に向ける視線には、ここ最近、無視できない棘が混じるようになっていた。
彼がセレスティア・フォン・ヴァイスという女に過剰な肩入れをしているのではないか、という疑念の棘だ。
その、わずかに張り詰めた空気を破るように快活な声が響いた。
「師匠! お久しぶりです!」
振り返れば、見違えるほど精悍になったケイルと、その隣で静かに微笑む見習い神官アリサの姿があった。
二人は既に銀札冒険者として目覚ましい活躍を見せ、数年のうちには金札へ至るだろうと噂されている。
「二人とも、息災なようで何よりだ」
金札冒険者は、師としての顔で頷きながらも、内心では冷静に二人を分析していた。
(ケイルは武人として順調に伸びているな。アリサも……教会の支援があるのか、身なりが良い。だが、ケイルの持つのは純粋な『武』。セレスティア殿が持つのは『戦わずとも富を得る才覚』。我が身の老いを考えれば、どちらが魅力的か……言うまでもない)
「君たちもそろそろ移動手段を考えるべきだ」
金札冒険者は依頼の決定を一旦保留すると、有無を言わさぬ態度で二人をギルドの外へと促した。
向かった先は、都市の郊外に広がる、砦と見紛うほど堅牢な厩舎を持つ牧場だった。
金があっても然るべきコネがなければ決して拝むことすら叶わない軍馬が、彼の紹介で二頭引き出されてきた。
アリサはその威容に息を呑み、ケイルは子供のように目を輝かせた。
その時だった。
「おねーさんだ!」
ケイルが、地平線の彼方を指差して叫んだ。
その優れた視力の先には、信じがたい光景が広がっていた。
荷車を牽いたセレスティアが、まるで一陣の風のように荒野を猛スピードで疾走している。
「速い……僕もあれだけ走れたらな」
ケイルが純粋な憧れの声を上げる。
「あの人、本当に人間なのでしょうか」
アリサの言葉には、畏怖と、隠しきれない嫌悪が滲んでいた。
「金札に至る者は、皆どこか人間離れしているものだよ」
金札冒険者が静かに語った、まさにその瞬間だった。
セレスティアが牽いていた荷車が、不運にも地面の岩に乗り上げ、轟音と共に横転した。
木片を撒き散らしながら地面を滑走する、常人ならば即死は免れない大事故。
だが、もうもうと立ち上る土煙の中から現れたセレスティアはほぼ無傷。
横転前に荷台から飛び降りて受け身をとったシロとクロの方が、よほど手酷い打撲を負っているように見えた。
やがて牧場にたどり着いたセレスティアの魔法金属製の鎧は、傷一つない代わりに土埃で見る影もない。
「遠出の前に性能を試したのさ。予想以上に脆くてこの有様だよ」
悪態をつく彼女が放つただならぬ威圧感――高位ドラゴンの影響で増した力に、牧場の軍馬たちが一斉に怯え、後ずさる。
金札冒険者の歴戦の愛馬だけが、恐怖をこらえてその場に踏みとどまっていた。
「どうにも、あたしは馬に嫌われているようだね。シロ、クロ、あんたたちと相性の良さそうな馬はいるかい?」
セレスティアの言葉に、シロとクロは軍馬たちを見定めるが、馬たちは彼女たちを乗せることを頑なに拒絶した。
結局、セレスティア一行は新たな移動手段を得ることなく、徒歩で帰路につこうとしていた。
その背中をちらりと見た金札冒険者は、アリサへと視線を移して口を開く。
「ところでアリサ君。最近はどなたに指導されているのかね」
セレスティアの足が止まる。
問われたアリサは、炊き出しなどで奉仕する老シスターの名を挙げた。
その声には、指導役としては不満だという色が隠しきれていない。
金札冒険者は「君は実に運が良い」とだけ、意味ありげに呟いた。
彼だけが、その老シスターの庇護下にあることが、教会内でどれほど絶大な意味を持つか分かっていたからだ。
そして、彼はセレスティアに向き直る。
「早く金札に……いや、いっそ貴族になって、私を雇って欲しいものだね」
それは冗談めかした口調でありながら、自身の体力や集中力の衰えを自覚し、引退後のことを考え始めていた彼の切実な願いでもあった。
「無茶を言う。あんたほどの逸材、一代の成り上がり貴族じゃ雇いきれないよ」
振り返ったセレスティアは肩をすくめ、そして悪女らしく口の端を吊り上げた。
「あんた自身が私塾でも開いて、回復魔法を使える戦士団でも作ればいいじゃないか。運が良ければ教会と張り合える組織になるかもね」
その、あまりに大胆な提案にアリサの顔が引きつる。
金札冒険者は「回復魔法には素質が必要でな」と穏やかに返したが、その内心では、セレスティアが示した新たな可能性に強い興味を抱いていた。
「……期待しているぞ、未来の貴族様」
「悪い気はしないがね」
セレスティアはそう応じながらも、心の中では最大の懸念を反芻していた。
(こいつがよりにもよって、あのケイルを弟子にしているのが、一番のネックなんだよな……)
やがて、土埃にまみれた三人の小さな背中が、夕暮れの街へと消えていく。
それを見送りながら、金札冒険者は覚悟を決めた。
セレスティアという規格外の駒と組むことを。
それがギルドや教会との対立を意味するとしても、この胸の高鳴りには代えられない。
彼は、これから始まるであろう新たな戦いの予感に、静かに口角を上げた。