悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
【第66話】港町の活気と、招かれざる淑女
活気、という言葉だけでは生ぬるい。
怒声と鬨の声の中間のような男たちの声、カモメのけたたましい鳴き声、そして、鼻の奥にまとわりついて剥がれない濃厚な潮と魚の匂い。
あたし、セレスティア・フォン・ヴァイスは、眉間に深い皺を刻みながら目の前の光景に内心で悪態をついた。
「覚悟はしていたが生臭いね……」
個人が装備できるものとしては最大級であろう特注の巨大な背負い袋を背負い、よろめきもせずに立ち上がる。
中身は、たった今絞められたばかりの新鮮な魚だ。
日光を遮る分厚い革と、なけなしの知恵で施した保存処理だけが頼りで、もちろん高価な氷など入っていない。
(空も海も青いね。前世の海しか知らないあたしとしては、是非観光で来たいところだが……)
だが、現実は非情だ。
浮遊島の一件で手持ち資金はほぼ消し飛び、いまだに重くのしかかる家のローンが、あたしの足を感傷的な散策ではなく過酷な労働へと向かわせる。
シロとクロは、安全に高速移動できる荷車がないため拠点都市で留守番だ。
あの二人ならあたしがいなくとも獣人どもを率いて日銭くらいは稼いでくれるだろう。
あたしは腹を括ると、港町の石畳を蹴った。
目的地はあたしの家がある都市だ。
最短距離で、最高の鮮度を保ったまま、この魚を届ける。
成功すれば、これは新たな、そして莫大な利益を生む事業になるはずだ。
港町の門で、あたしの野望は早々に足止めを食らった。
「待て、貴様! その巨大な荷物と、常軌を逸した速度はなんだ!」
まあ、そうなるだろうね。
あたしは内心で舌打ちしつつ、ゆっくりと振り返る。
巨大な背負い袋を背負っているというのに、体は微動だにしない。
鍛え抜いた体幹は、あたしの数少ない自慢の一つだ。
「銀札冒険者のセレスティアだ。これがあたしの銀札」
懐から取り出した身分証を、面倒臭そうに提示する。
「疑うのは結構だがね、証拠もないのにこれ以上足止めするなら、営業妨害として賠償金も払ってもらうよ。この魚が駄目になったら、あんたたちの給金じゃ到底払えない額になるだろうがね」
あたしの威圧的な態度と、銀札という身分。
そして何より、賠償金という具体的な脅し。
一時間にも満たない問答の末、門番たちは苦虫を噛み潰したような顔で、あたしを通してくれた。
(ちっ。あと少し粘ってくれれば慰謝料だのなんだの毟り取ってやれたんだがね。役人相手はさじ加減が面倒だよ)
心の中で悪態をつきながら、あたしは街道を外れ、ひとけのない脇道へと足を踏み入れた。
ここは拠点都市までの最短ルート。
だが同時に、山賊や盗賊にとっては「獲物を襲いやすい」絶好の狩場でもあった。
(行きみたいに出てくるかねぇ)
この道を通って港町に来る途中、あたしは律儀に道を塞いだ賊を返り討ちにし、そのなまくらな剣や鎧を剥ぎ取って今回の魚の購入資金に充てていた。
そんなことを考えていた、まさにその時だった。
振り返れば、かろうじて水平線が見える峠道。
あたしは、風を切る音と、急速に接近する巨大な影を同時に感知した。
咄嗟に地を蹴って身を翻す。
空から急襲してきたのは、一体のドラゴンだった。
だが、そのフォルムはこれまで見てきたどんな魔物とも違う。
しなやかで、どこか曲線的。
女性的、とでも言うべきか。
そして何より、その気配から猛々しい力を感じる。
「くそっ」
あたしの回避は完璧ではなかった。
ドラゴンの腕が、背負い袋のベルトを掠め、引きちぎる。
なけなしの資金を叩いて仕入れた魚たちが、重力に従って崖下へと吸い込まれていった。
あたしの口から、本日何度目かの舌打ちが漏れる。
(しくじったか。賊を誘き寄せるたびに予備のナイフしか持って来ていなかったが、さすがにドラゴン相手にはきつい……うん? こいつまさか、高位ドラゴンか?)
「はっ。いい鎧に見合った実力の持ち主ってことか。やっぱ狩りはこうじゃなくちゃな!」
空中で滞空しながら、ドラゴンが若く無鉄砲な少女のような声で言い放った。
「誤解じゃなくてあたしが狙いか」
「鎧を置いてくなら見逃してやるよ。あたいは慈悲深いんだ」
「賊に襲われてはいそうですかと差し出すようじゃ銀札冒険者はやれないんだよ。かかってきな!」
あたしの啖呵を合図に、レディースドラゴンは再び急降下してくる。
今度は躱せない。
防げない。
あたしの体は、分厚い魔法金属の鎧ごと、その巨大な顎に咥えられた。
「ぐっ……!」
腹部に食い込む歯の感触に、さすがのあたしも呻き声を上げる。
なすすべなく上空へと運ばれていく屈辱。
あたしは抵抗として、持っていた予備のナイフをドラゴンの口内に突き立てようと暴れ続けた。
その時だった。
レディースドラゴンが、あたしの首筋から放たれる微かな、しかし間違いなく同族のものである気配に気づいた。
子ドラゴンが刻んだ、あの歯型の気配だ。
激しい動揺がレディースドラゴンの顎の力を緩ませる。
「あっ……」
意図せず、あたしの体は上空で無慈悲に解放される。
落下しながら、脳裏を走馬灯が駆け巡った。
死ぬ。
そう思った。
だが、元OLのさもしい生存本能と悪役令嬢のしぶとさが、咄嗟に一つの活路を見出させる。
眼下の森。
あの木々をクッションにするしかない。
あたしは効果のほども分からぬまま、学生時代にかじった柔道の受け身の要領で体を丸め、地面への激突に備えた。
凄まじい衝撃。
いくつもの太い枝をへし折り、最後に地面へと叩きつけられる。
五体接地などという格好の良いものではない。
ただの無様な墜落だ。
だが、あたしのカンストした耐久力と魔法金属の鎧は、その衝撃を奇跡的に殺しきっていた。
「殺す。殺してやるぞトカゲェ!!」
全身の痛みも、商品を失った経済的損失も、今はどうでもいい。
ただ、この女を殺す。
それだけの激情が、あたしを突き動かした。
あたしは空にいるレディースドラゴンに向かって、魔物のそれに匹敵するほどの咆哮を上げた。
レディースドラゴンは、あたしの尋常ならざる気配と執念に怯んだのだろう。
明らかに問題を先送りにするつもりで、その場から飛び去った。
だが、あたしは見逃さない。
森を抜け、険しい山を越え、あたしは驚異的な速度と持久力で、ただひたすらに前方の敵を追い続けた。
自分の巣穴である山の斜面の大きな洞窟に着陸したレディースドラゴンは、既に背後まで迫っているあたしの姿に、信じられないものを見る目で驚愕に目を見開いた。
「てめぇを挽肉にして巣穴の財宝は賠償金として回収してやるっ!!」
あたしは完全に頭に血が上ってはいるが、思考の片隅では冷静に計算していた。
(戦うなら巣穴の奥まで追撃して、奴が飛行できない状況で戦うしかない)
あたしの殺気に、レディースドラゴンはついに観念した。
「停戦っ!」
「今さらそんな話が通るかっ!」
「他の高位ドラゴンの友人か家来とは思わなかったんだ!」
ほんの数秒、しかし強烈な葛藤の末、レディースドラゴンは叫んだ。
「ごめん!」
あたしの殺意は衰えない。
だが、疾走していた足は速度を落とした。
暴力には暴力を、真っ当な交渉には真っ当な交渉で答える。
それが、あたしの流儀だった。
「謝罪はそれでいい。賠償を……あたしの仕事を邪魔したことに対する賠償をしてくれるなら、あたしは矛を収める」
「強欲な人間めっ」
睨み合うあたしたちの姿は、まさしく『ごめんね(激怒)』『いいよ(激怒)』という、奇妙な光景だった。
約一時間後。
ある程度落ち着いたあたしとレディースドラゴンは、彼女の巣穴の奥で対面していた。
「なんというか、こいつは……」
巣穴の中は整理整頓こそされているが、お世辞にも裕福とは言えない。
浮遊島で見た宝物庫とは雲泥の差だ。
(こいつ、以前の若様(子ドラゴン)と別方向でポンコツだね。鉄バットのない現状で戦っても良くて勝率は五割くらいだ。……手打ちにするしかないか)
「ちっ。これを持っていけ」
レディースドラゴンが、渋々差し出したのは、彼女が所有する最大の財宝だという「大瓶入りの高級ポーション」。
「高級……いや、普通のポーションか。量はあるが……」
「高級ポーションだ! 嘘を言って値切ろうとするな!」
「だがこいつの色合いは、高級ポーションというには、ちょっとあれだよ」
「し、仕方ないじゃないか! あたい、狩りがうまくいってないんだ!」
あたしは深く、深くため息をついた。
このポンコツドラゴンとこれ以上関わるのはごめんだ。
ヒーラーがいないあたしのパーティにとって、このポーションは有用な品でもある。
あたしは大瓶を受け取り、レディースドラゴンの謝罪を認め、手打ちにすることにした。
しかし、厄介事は向こうからやってくる。
「なあ、お前、浮遊島って知ってるか? 最近いきなり同族が話題にし始めたんだ」
レディースドラゴンが、しつこく聞いてくる。
(あの『鱗』に繋がるかもしれない情報は絶対に口にできない。口にしたら、最悪の場合、高位ドラゴンという種族全体があたしを殺しにくる)
「悪いが詳しいことは言えない。この鎧を譲ってくれたお方(長ドラゴンのこと)に迷惑がかかるかもしれないからな」
「もういい! 直接見に行く!」
あたしの答えに満足しなかったらしいレディースドラゴンは、巣穴を飛び出していった。
一人残されたあたしは、しばらく呆然とした後、崖下でボロボロになっているであろう背負い袋に思いを馳せた。
(魚は駄目になったが、思わぬ収穫もあった)
教会との関係が今より悪化して教会での治療を受けられなくなる恐れがある。
あたしに好意的な金札冒険者も、いつもあの都市にいる訳じゃない。
(まさに命綱だね。消費期限は気になるが。……さて、港街に戻って、また魚を買ってこないとね)
新たな、そしてとてつもなく厄備な出会いを果たし、あたしの金策の旅は振り出しに戻ったのだった。