悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
都市から離れた荒野に、不釣り合いな熱気が満ちていた。
クロが率いる獣人たちが色とりどりの粗末な旗を必死に振って、空の一点を注視している。
彼らの張り詰めた表情と乾いた土を蹴る足音だけが、荒野の静寂を破っていた。
やがて、彼らの視線の先、地平線の向こうに浮かんでいた黒点が、恐るべき速度で巨大化する。
次の瞬間、空気を引き裂く轟音と共に、巨大な影が大地へと殺到した。
「衝撃、備える!」
クロの、まだ少しだけ甲高いが、リーダーとしての威厳を必死に滲ませた声が飛ぶ。
獣人たちが一斉に地面に伏せた直後、凄まじい衝撃波と地響きが彼らを襲った。
巻き上げられた砂塵が嵐のように吹き荒れ、遠く離れた都市の城壁に詰めていた兵士たちが、何事かと空を見上げるほどだった。
砂塵がゆっくりと晴れていく。
そこには、一体の高位ドラゴン――あのレディースドラゴンが、指定された着地点に寸分の狂いもなくその巨体を鎮座させていた。
以前よりも鱗には艶があり、全身の筋肉は引き締まって、ただそこにいるだけで放つ威圧感は格段に増している。
「少々、体が重くなっている気がする。……します」
自身の体の変化にまだ慣れないのか、彼女は少しだけ戸惑ったように呟いた。
最後の言葉遣いに、懸命な努力の跡が窺える。
その一部始終を、少し離れた場所から腕を組んで見ていたあたし――セレスティア・フォン・ヴァイスは、いつもと変わらぬ不遜な口元に、しかし隠しきれない感嘆を滲ませていた。
(まともに食事をして、まともに睡眠をとるだけでこれか。今、装備万全で奴の巣に乗り込んでも、勝率は五割がいいところか……)
あたしはゆっくりと彼女に歩み寄り、懐中時計で時間を確認する。
「港町を飛び立った時刻から計算すると、以前の記録を二割近く更新している。上出来じゃないか」
客観的な事実として自身の成長を突きつけられ、レディースドラゴンの金色の瞳が誇らしげに輝いた。
激しい喜びを以前のように表に出さず静かに頷く姿には、確かに気品のようなものが芽生えつつある。
だが、話題が次の施術に及んだ途端、その表情に焦りの色が浮かんだ。
「セレスティア。それで、次の……」
「以前にも説明したが、全身を仕上げるには金が全く足りない。あんたの実力や威厳の問題じゃない。高位ドラゴンの財産を、人間社会でそのまま使うのが難しいんだよ」
あたしの言う「財産」には、もちろん暴力も含まれる。
「急ぎなさい。あの方(若様)の周りに羽虫(恋敵)が集まる前に」
恋する乙女の切実な訴えに、あたしは肩をすくめた。
「分かっている。準備が整うまで後二、三日だ。それまでは、空路の安全確保でも進めておいてくれ」
あたしの言葉にレディースドラゴンは傲慢かつ優雅に頷くと、再び空高く舞い上がり港町へと飛び去っていった。
その姿が見えなくなるまで見送りながら、あたしは内心で深く息をつく。
(もともと強い奴らが、こっちの都合もお構いなしにすごい勢いで成長していきやがる)
あたしは自身の力の鍛錬の必要性を痛感するが、事業立ち上げの多忙さから、最低限の訓練しかできていない現状に内心で舌打ちした。
「あたしが交渉できるのも、あたしが無視できない実力を持っていたからだ。このまま相対的に弱くなると……考えたくもない展開になるね」
あたしが貧民街に設けた食事処の拠点に戻ると、そこは既に一つの巨大な工場の様相を呈していた。
シロが、獣人たちの一部も指揮して、高位ドラゴン向けの巨大な食材――丸ごとの牛――の下ごしらえを手際よく進めている。
彼女は目立つリスクを承知の上で、浮遊島で得た魔法金属製のナイフを振るう。
その小さな体躯とは裏腹に、小規模な組織の長としての貫禄が漂い始めていた。
一方、あたしより先にここへ戻ってきたクロは魔法金属製の棍棒を携え、怪しい人間やそれ以外の種族が紛れ込んでいないか、誰かが暴れたりしないか、鋭い視線で見張っている。
「今日はつまみぐいなし?」
あたしの姿を認めたシロが、血と脂に塗れた顔で尋ねてきた。
「港町、というより港町の遠洋で大型の魚やモンスターを狩って食ってるんだと思う。美容の施術に必要な金額が金額だからね」
シロもクロも、必要な額は聞かされている。
クロはあまり理解できていないようだが、シロはその額の大きさと、それを稼ぐことの大変さを正確に推測できているのだろう。
その瞳に心配の色が浮かぶ。
「大変だお……」
「金のことはあたしがなんとかする。シロはここの運営に集中しな」
まだ若く、見た目は幼くすらある彼女に任せるには、あまりに規模も重要性も大き過ぎる事業だ。
だがあたしはシロを信頼していたし、彼女以外にこの仕事を任せられる人材もいなかった。
「がんばるお」
力強く頷くシロの横顔に、確かな成長を見た。
まさにその時だった。
レディースドラゴンが飛び去ったのとは別の方向から、見慣れない色の鱗を持つ新たな高位ドラゴンが空から迫ってきた。
途中までは戦闘を仕掛けてくるかのような殺伐とした速度だったが、地上の食事処と、そこにいるあたしやシロの姿を認めた途端、ぴたりと動きを止めるような急減速をした。
そして、ほとんど衝撃や音を発生させずにシロのすぐ近くへと着地する。
「宴で肉を切っていたちっこいのに、宴で肉にたれをつけていた人間か! ここでは肉を食えるのか!?」
そのドラゴンは、強くなったレディースドラゴンと同程度の強さはありそうだったが、その威厳ある姿とは裏腹に空腹を全く隠せていない。
時折、あたしの魔法金属製の鎧や、シロのナイフにちらちらと視線を向ける。
その目には「コレクションに加えたいけど奪うと長のメンツを潰すことになるから奪えない……」という、分かりやすい葛藤が浮かんでいた。
判断に困ったシロが視線であたしに助けを求める。
「お久しぶりです、で良いでしょうか。申し訳ありません。高位ドラゴン様方を見分けるには私の能力が不足しておりまして」
あたしは恭しく頭を下げ、あくまで丁寧に応対する。
もちろん、揉めたら即座に応戦できるように覚悟は決めている。
「……シロ、食材に余裕は? よし」
シロに小声で尋ねて頷きが返ってくるのを確認すると、あたしは再び高位ドラゴンに向き直った。
「今調理中の肉は、現在港町におられる高位ドラゴン様から注文していただいたものです。今から調理して良いのであれば、肉をご用意可能ですが」
「少し待つ程度は構わない」
ドラゴンはあたしたちの許可も得ずに、どっかりと地面に体を横たえ、のんびりと寛ぎ始めた。
その様子に気づいたクロが、すかさず獣人たちに命令して日よけの大きな天幕を運ばせる。
「浮遊島に高位ドラゴンが多くてなぁ。狩りに出ても狩り尽くされた後なことが多くてな」
物陰から様子を窺っていた商人が、ここぞとばかりにお冷がわりに酒を樽で提供すると、高位ドラゴンは機嫌よく喋りだした。
「それに……うん。あの宴で食った肉は美味かった」
あの時、あたしたちは金に糸目をつけずに高級食材を提供したが、調理の腕前自体は本職の料理人に劣っていたはずだ。
だが、『鱗』が戻ったという最高の報せと共に食べたあの肉は、彼らにとって特別な思い出になっているらしかった。
「生と、少し焼くのと、しっかり焼くの、どれがいいですか?」
シロの問いに、ドラゴンは子供のように目を輝かせる。
「全部!!」
「はい!!」
あたしもモップじみた刷毛を手に、補助に入る。
シロはあの宴や、レディースドラゴン相手の調理で経験を積み、「高位ドラゴンのように大きなものを食べる」種族に向いた調理法を身に着けつつあった。
やがて、心ゆくまで肉を堪能し満腹になったドラゴンは、街にも獣人にも一切被害を出すことなく、満足げに飛び去っていった。
その足元には、代金として、自然に抜けたという状態の良い鱗が数枚、綺麗に並べられていた。
「御本人から譲られた、高位ドラゴンの状態の良い鱗ですか。ここ以外では国の宝物庫くらいにしか存在しない代物ですねぇ」
商人が、これまでの描写にはなかったようなねっとりとした口調で言い、鱗を高く売り払う算段を始めている。
「商取引として受け取ったのじゃなく、高位ドラゴンから下賜された品ってことにしろよ。高位ドラゴンを怒らせてもあたしの得にはならないんだからね」
あたしに釘を刺され、商人は少しだけ残念そうに肩をすくめた。
シロは、今日戻ってくる予定のレディースドラゴン用の、さらに凝った料理の作成を、既に再開している。
翌日。
鍛冶親方と、懇意にしている木工専門の親方が全力を尽くした輸送用の「箱」が、ついに完成し、あたしたちの拠点へと運び込まれた。
基本的に木製でありながら、要所を魔法の金属で適切に補強されたそれは、砦の門にも見紛うほどの威容と、工芸品のような精緻さを兼ね備えていた。
「今は中に水を入れてある。一度持って、どんな具合か確かめてくれ」
戻ってきたレディースドラゴンに促すと、彼女は慎重に、しかし圧倒的な力で箱を持ち上げる。
本人は丁寧に扱っているつもりだろうが、その凄まじい力による乱暴な扱いに運搬を手伝ってきたリックは言葉を失い、驚愕に目を見開いている。
だが、職人たちの誇りが詰まった「箱」は、軋りもせずにその重量を支えきっていた。
「持ち易い……ですね」
「これを持ってここと港町を往復すれば、そのたびにあんたに対する献上金が集まるって訳だ」
レディースドラゴンは焦ってはいないが、その瞳は婚活へのやる気に満ちている。
放っておけば一日三往復くらいしそうだ。
「目標額まで何回運べばいい、のですか」
「頻繁に運ぶと値が下がる。一日に一度か、二三日に一度でいいくらいだ。あんたが人間に施してやってるってこと、忘れるんじゃないよ」
「この事業の頭はセレスティアでしょう」
レディースドラゴンは不審なものを見るような目で言う。
「そう思いたがる奴は多いだろうがね」
あたしは、悪女の流儀に則った笑みを深く、深く浮かべた。
あたしは人間至上主義者でも、他種族と仲良くしたがる博愛主義者でもない。
自らの利益や生存のために、あらゆるものを積極的に利用するだけだ。
「あんたが止めた時点でこの事業は終わるんだ。あんたは、この事業を好きに利用して目的を達成すればいいのさ」
(あんたの利益のための行動があたしの利益につながる。実にフェアで効率的な事業だよ。教会や貴族が口を突っ込んでくる前に、さっさと終わらせる必要はあるがね)
レディースドラゴンは、あたしの真意をどこまで理解したのか、納得したように力強く頷くと、輸送箱を軽々と抱え、港町へと飛び立っていった。
入れ替わるように、商人が雇っているケンタウロスの一人が、ぜえぜえと息を切らしながら駆け込んでくる。
あたしに対する敵意と、それを遥かに上回る恐怖を隠しきれない様子で、一枚の封書を差し出した。
ハネッコからの手紙だ。
あたしはそれを受け取るとその場で封を切った。
一枚目の羊皮紙に書かれていたのは非常に簡潔な、高位ドラゴンの長からの伝言だった。
『高位ドラゴンのメンツを傷つけないなら好きにやって構わないが、メンツが傷ついたら貴様(セレスティア)が直接の原因でなくても殺すしかなくなる。正直、おすすめはしないぞ』
許可であり、最終警告でもある。
そして、二枚目以降には、高位ドラゴンの長との面会の約束を取り付け交渉するのがどれほど面倒くさかったかという、ハネッコからのあたしに対する恨み言が美しい筆跡で延々と綴られていた。
あたしは、危険などいつものことだとばかりに、その手紙を丁寧に折りたたむと、懐にしまった。
高速で戻ってくるレディースドラゴンの姿を遠目に見ながら、あたしは呟く。
「これで準備は整ったね」
恋するドラゴンを巻き込んだ、前代未聞の空飛ぶ金策が、今、本格的に幕を開けようとしていた。