悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
【第9話】報酬とコネと、想定外の美容師
あの忌々しい駐屯地の担当官がマグマスパイダーの餌食になった(であろう)騒動から数時間後。
あたしは土埃と、うっすらと残る血の臭いを纏わせたまま、鍛冶親方の工房の扉を叩いていた。
背中に大きな箱はない。
代わりに、懐にはずっしりと重い布包み。
これこそが、今回の依頼の核心、『希少鉱石』だ。
「親方、セレスティアだ。頼まれたブツ、無事に運んできたよ」
工房の奥、親方の私室に通されると、あたしは開口一番そう告げ、懐から布包みを取り出して重々しくテーブルの上に置いた。
「……箱はどうした」
親方の鋭い目が、あたしの空になった背中と、テーブルの上の布包みを交互に見る。
「ああ、あれか。道中、しつこい追手がいてね。教会、盗賊、おまけに駐屯地の連中まで嗅ぎつけてきやがった」
「まともにやり合ってたら、この『中身』が無事じゃ済まなかっただろうからね。箱は派手に囮に使わせてもらったよ」
「おかげで、こっちは無傷さ。ま、そういうわけで封は開けたことになるけど、文句はないだろ?」
あたしは悪びれずに言い放つ。
結果が全てだ。
無事に鉱石を持ち帰ったのだから、過程の多少の『工夫』は許容範囲のはずだ。
親方は無言で頷くと、布包みを手に取り、中身を露わにした。
鈍い光沢を放つ、不規則な形状の鉱石。
親方は用意していた羊皮紙の記録と、目の前の鉱石を慎重に見比べる。
重さを量り、形状を指でなぞり、時にはルーペのようなもので表面を観察する。
その目は真剣そのものだ。
やがて、全ての確認を終えたらしい親方は、ふぅ、と深く息をついた。
「……確かに。記録と寸分違わん。よくぞ、これだけの代物を……あの追手どもを振り切って、運び届けてくれた」
安堵の表情。
だが、その奥には、あたしという存在に対する畏敬……いや、もっと計算高い、値踏みするような光が宿っているのを、あたしは見逃さなかった。
(息子を連れ戻してくれたことへの感謝はあるだろうさ)
(だが、それ以上に、このあたしの『異常な速度』と『悪運の強さ』は、この親父にとって利用価値の高い『道具』なんだろうね)
(結構じゃないか。利用できるものは、とことん利用させてもらうさ)
「約束の報酬だ。受け取ってくれ」
差し出されたのは、ずっしりと重い金貨袋。
中を覗けば、金貨が十数枚、それに銀貨がどっさり入っている。
この世界の金銭感覚にはまだ慣れないが、前世の安月給OLだったあたしからすれば、目が眩むような大金だ。
(よしよし、これで当面の資金は確保できた。新しい装備も買えるし、魔法対策の情報収集も始められる)
(……まあ、この石ころから親方が将来作り出すであろう『原作』の武器の価値に比べたら、こんなのははした金なんだろうけどね)
(その武器、あたしが手に入れられる日は来るのかねぇ……?)
金貨袋を懐にしまい込みながら、あたしは今後の身の振り方について口を開いた。
「ま、これだけ派手な仕事の後だ。おかげで変な輩にも目をつけられたみたいだしね。装備の更新が終わるまで、しばらくは街の中か、その周辺の地味な依頼で食い繋ぐつもりだよ」
その時、ふと部屋の隅に置かれた姿見に、自分の姿が映った。
連日の野宿と戦闘、ろくな手入れもできていない髪はパサつき、無理な移動と太陽に晒された肌はうっすらと赤みを帯び、ところどころに新しい傷跡も見える。
「もっとも……」
あたしはうんざりしたように溜息をついた。
「装備だけじゃなく、こっち(自分の身なり)にも金をかけないとね。舐められたままじゃ、余計な面倒が増えるだけだからさ。あのクソ役人みたいにね」
私室を出て工房に戻ると、手下Aが親方に指示された作業を黙々とこなしており、手下B……確かリリだったか?
そいつが手下Aの傍らで甲斐甲斐しく汗を拭いたり、道具を片付けたりしている。
手下Aは以前より少しだけ精悍な顔つきになった気もするが、リリの方はどうだ。
安物の汚れた作業着、無造作に束ねられた艶のない髪、栄養が行き届いているとは言い難い肌。
以前の銀札冒険者時代よりも、むしろやつれて見える。
(ふん、手下Aの方はそれなりに覚悟を決めたみたいだね。だが、リリの方は……。貧乏な農家の次女で、読み書きも怪しいとは聞いていたけど)
あたしは無意識に顔をしかめていた。
(こりゃあひどい。手下Aの嫁になるんだろう? 工房の将来の女将が、これじゃあ見栄えが悪すぎる)
あたしは、工房の隅で一息ついている親方に近づき、手下Aとリリには聞こえないように声を潜めた。
「なあ親方。あのリリのことだけどさ」
親方が訝しげな顔であたしを見る。
「あいつも一応、女なんだ。見てくれを気にする余裕もないような給金や扱いじゃ、可哀想ってもんじゃないか? いずれあんたの息子の嫁になるんだろう?」
敵なら指を指して笑ってやるが、以前も今も敵じゃあないからね。
「もう少し、職人見習いのパートナーとして、まっとうな給金と、身だしなみに金をかけられるくらいの余裕を与えてやったらどうだい。工房の体面にも関わるだろう?」
あたしの言葉に、親方ははっとしたように目を見開き、そしてみるみるうちに顔に焦りの色を浮かべた。
「……そうか。そう、だな……。妻が亡くなってから、もう十年以上経つ……。恥ずかしながら、女衆のことにはとんと疎くなってしまっていてな……。リリには……本当に、悪いことをした」
亡くなった奥さんが、女性従業員の世話も一手に引き受けていたのだろう。
男ばかりの職場になってから、そういう細やかな配慮が完全に抜け落ちていたことに、親方はようやく気づいたようだ。
後継者の伴侶となるリリへの待遇としては、あまりにもぞんざいだった。
「セレスティア殿……重ね重ねすまないが、力を貸してはくれんだろうか。ワシも、あのリックも、女の身なりやら何やらには全く疎くてな」
リックというのは手下Aのことだね。今思い出したよ。
「リリが……その、世間様に顔向けできるような……まっとうな女性としてやっていけるよう、何か助言なり、手配なりを頼めんだろうか……」
情けないことに、この頑固親父は本気で困り果てているようだった。
(やれやれ、また面倒ごとが増えたね。だが、ここで恩を売っておけば、後々武器の融通とかで有利になるかもしれない)
ため息を我慢する。
(この親父とのコネは絶対に維持しないと。仕方ない、これも破滅回避のための投資だ)
「……分かったよ。あたしで良ければ、少し見てやろうじゃないか。まずは、まともな髪結いか美容師のところにでも連れて行くか。親方、この街で腕のいい店を知らないかい?」
しかし、あたしの問いかけに、親方も、近くで話を聞いていたリックも、顔を見合わせて首を捻るばかり。
「さあ……? ワシが行くのは昔ながらの床屋だし……」
「俺も、冒険者時代は自分で適当に切ってたからなぁ……」
男所帯には縁のない話題だったらしい。全く、使えない。
「ああ、そういえば……」
親方がぽんと手を打った。
「ワシが作った散髪用の特注の鋏を、定期的に買いに来る店があったな」
親方は目をきつく閉じて思い出そうとする。
「たしか、街の少し外れにある……あまり流行ってない店だったはずだが。腕は確からしい、とは聞いたことがある。どうだ、そこに行ってみるか?」
店の名前も場所も、記憶は曖昧らしい。
(この親父、職人としては一流でも、こういう方面は本当に頼りないね……。まあ、あたしが今まで使ってた安宿の近くの、薄汚い裏路地の髪結いよりはマシ……だと信じたい。たぶん)
「分かった。その店とやらに行ってみよう」
あたしはリリを呼んだ。
「おいリリ、ちょっと付き合いな」
突然指名され、リリはびくりと肩を震わせ、戸惑いの表情を浮かべた。
しかし、あたしの有無を言わせぬ視線に、恐る恐る頷いてついてくる。
工房を出て、街の通りを歩く。
リリは終始、あたしの数歩後ろを緊張した面持ちでついてくる。
どう接していいか分からない、といった様子だ。
「リリ、あんたさ」
あたしは前を見たまま、ぶっきらぼうに言った。
「いいかい、肌と髪は、街の中で舐められずに生きていくための『武装』だよ」
あたしだって、余裕があるときに余裕の一部を使って知り合いを助かる程度のことはする。
「ボロい恰好してると、それだけで下に見られて損をする」
「今は意味が分からなくてもいい。けど、自分の見た目に気を配る努力はしな」
「これは、あんた自身のためでもあるんだ。親方のためでも、リックのためでもない。あんた自身の価値を守るための投資だよ」
あたしなりの、精一杯の実践的なアドバイスのつもりだった。
リリは、その言葉の真意を測りかねたように、小さな声で「……はい」と答えるだけだった。
親方の曖昧な記憶を頼りに、街の少し寂れた地区へと足を運ぶ。
やがて、古びてはいるが、それなりに手入れされた看板を掲げた一軒の店を見つけた。
洒落てはいるがあたしの知らない文字で書かれている。
窓から中を覗くと、埃一つなく磨かれた床に、新品同様に見える豪奢な椅子や鏡、見たこともないような金属製の器具が整然と並んでいる。
この世界の一流は知らないが、前世の動画で見た高級美容サロンじみたものを感じる。
だが、客の姿は一人もなく、静まり返っている。
(設備はいいみたいだけど……なんでこんなに閑古鳥が鳴いてるんだい? 不気味だね……)
訝しみながらも、ドアベルを鳴らして店に入る。
チリン、と軽やかな音が響くと、奥からパタパタと慌ただしい足音が聞こえ、一人の女性が姿を現した。
年の頃は二十歳前後。
大きな丸眼鏡の奥の瞳は怯えたように揺れ、姿勢は猫背気味。
どこか頼りなげで、小動物を思わせる雰囲気だ。
「へ、へあっ……! い、いらっしゃいませ……? あ、あの、お、お客さん……ですよね?」
声は小さく、語尾は震えている。
異常なまでにおどおどしており、視線が絶えず左右に彷徨っている。
(なんだ、この挙動不審な店主は……。こりゃあ、流行らないわけだね)
(しかしこの濃いキャラ、原作のサブイベントに登場してもおかしくないんだが記憶に全く存在しないよ)
「ああ、客だよ」
あたしはリリの背中を軽く押し、前に出す。
「この子の髪と、あと肌の手入れを頼みたい。できるかい?」
「は、はいっ! も、もちろんです! ど、どうぞ、こちらの椅子へ……!」
店主は何度も頷き、慌ててリリを椅子へと案内する。
施術の準備を始めた店主だったが、その視線が、なぜか椅子に座らず壁際に立っているあたしに向けられた。
そして、おそらくは客の肌質や状態を確認するつもりだったのだろう。
その瞳に、一瞬、魔力を帯びた光が宿ったのを、あたしは見逃さなかった。
おそらく鑑定魔法か、それに類するものだ。
直後、店主の動きがピタリと止まった。
眼鏡の奥の瞳が、信じられないものを見たかのように大きく見開かれる。
そして、その口から、呆然とした呟きが漏れた。
「……え? ……たいきゅうりょく……さいだいち……!? うそ……。ま、また鑑定しても……おんなじ……?」
小声だったが、静かな店内では、あたしの耳にもはっきりと届いた。
店主は自分の失言に気づき、サッと顔面蒼白になる。
「ひゃっ! い、今の、な、なんでもないです! き、気のせいです! かかか、鑑定魔法なんて、つ、使ってませんから! ほんとですよぉ!」
両手をぶんぶんと振り、必死で取り繕うが、その狼狽ぶりは尋常ではない。
「……へえ?」
あたしは壁に寄りかかったまま、腕を組んだ。
そして、目の前で小刻みに震える小動物のような店主を、値踏みするように、じっとりと見据えた。
「耐久力……最大値、ねぇ……?」
こいつ、今、確かにそう言った。
あたしが墓の中まで持っていくつもりの秘密であり、現在唯一の切り札である『足』の前提となる武器だ。
それを、なぜこの場末の美容師が……?
疑念と警戒心が、あたしの思考を急速に回転させる。
この奇妙な美容師、ただ者じゃない。
あたしの鋭い視線を受けて、店主はますます縮こまり、今にも泣き出しそうな顔で俯いてしまった。
静まり返った店内に、気まずい沈黙だけが流れていた。