3年後に世界が滅ぶと知ったメジロアルダンとトレーナー 作:ポンタ4
7月、あの春の誓いから3か月の時間が経った。
アルダンの脚については殆ど完治と言っても良いほど治っており、まさに奇跡的と言っても良かった。今では芝の上で走る事が可能なほどであり、通常のトレーニングレベルはまだ厳しくてもそれに近いものは可能となったほどだ。
芝のコースで少しずつ距離を伸ばして彼女の脚の使い方やスピードを鍛えていく。勿論、それ以外にも体幹を鍛えていくトレーニングに柔軟性を鍛えて体の動きをしなやかにするものもいれている。
主に下半身、特に脚のトレーニングについてはウマ娘の理論、上半身のトレーニングについては俺が選手時代だったものを応用している。
特に彼女にとって上半身のトレーニングで筋肉を付けたり、体を柔らかくするトレーニングはよく合っていたようで、その成果は既に芝のコースで現れている。
元々脚がガラスのように脆い脚で力を込めて地面を蹴っていたのだ。そのガラスには必ずキズが蓄積していき、気づけば割れてしまう。
そこで考えたのが力を出すのは最初と最後の直線であり、それまでは脚のバネを使った反発力で脚を前へ出すというもの。
脚における柔軟性を高め、地面を蹴った際にその反動を使っては前に体を飛ばす形である。これは体におけるバネがしっかりと作られてなければ反発したところで脚が上手く回らず、それどころか前のめりに倒れてしまう。
だけど、アルダンは走る事の出来ない期間にこの柔軟を徹底的にしていたのだ。
そしてそれが功を奏したのだ。
最初の直線で力を使い、前へと進んで先行として位置を着く。その後はその使った力を反発させては脚を地面に叩きつけてはそこから伸ばすのではなく、脚を跳ねさせて飛ぶような形で走る方法だ。
まだ本格的と言えるほどではないが、アルダン自身も手ごたえを感じているようで今はこれを形にするようにトレーニングをしていた。
とはいえ、元々の脚の力が無ければ最初の力を使った反発力が足りずに前へ出れなくなってしまう。
この夏合宿で俺は彼女の脚力を取り戻すトレーニングを中心に、そしてスタミナを戻すトレーニングを運用しようと考えたのだ。
そう、またあの暑い日がやってきたのだ。夏合宿という隔離されたトレーニング場へ。
「……暑いな、アルダン」
「暑いですね、トレーナーさん」
ギラギラと照り付ける太陽。砂浜は太陽によって熱を持っており、熱を持った鉄板のように体を焼いてくる暑さだ。
額から流れ出てくる汗を俺は腕で拭っていく。腕には太陽の熱で拭われた汗が反射して煌めいていた。
アルダンの方に視線を向けると彼女はセパレート型のスクール水着に着替えており、涼し気な顔で此方に微笑んできた。
もしかして、なんて考えては視界を動かしては他のウマ娘を見ては、項垂れながら歩いているウマ娘が見えた。
なんだろう、こんなことを1年前もやり取りした気がする。
俺は手に持ったタブレットをアルダンに見せていく。今回はこの砂浜で脚を使ったトレーニングと近くの森で坂を使ったトレーニングの説明を進めていく。
アルダンは横でうんうん、と頷くようにしてはその内容を見ていた。一通りの説明を終えればまずは砂浜に脚を慣らすところから始まる。
「というわけで…今日は軽く流していこうか。リハビリ中は脚力も弱まっているだろうし、今回の夏合宿はその脚力を鍛えるのとスタミナを取り戻す。これらを中心かな」
「分かりました。それでは…早速走ってきますね」
「あぁ、ゆっくりでいいからな」
彼女は俺から離れて砂浜に脚を踏み出していく。数歩、俺から離れては此方に体を振り向け、そして体を少しだけ傾けながら、腕を後ろに組んでは言葉を発した。
「トレーナーさんも…無茶しては駄目、ですよ?」
「はは…あぁ、気を付けるよ」
俺は彼女に微笑みながら応えていく。去年は走り出そうとして右足首に痛みが走り、そしてアルダンに抱え込ませてしまったこの日。
俺の表情を見た彼女はそのまま砂浜へと走りだしていった。そうして1人残される。
さて、去年と同じ過ちはしたくないが、やはりこの砂を掻き分ける感触を靴越しではなく直に感じたいと思ってしまう。
そうして俺は性懲りもなく、靴を脱いでは靴下も脱いで砂浜に脚を踏み入れていく。
「あちちっ…」
脚を付けた砂は太陽によって熱を持っており、少しだけ跳ねるようにしてはゆっくりとその熱さに脚を慣らしていく。
数十秒ほど、脚を付けているとその熱さにも慣れて来て俺はアルダンに付いていくようにして歩き出した。
ざくっ、ざくっ
脚から伝ってきた砂を掻き分ける感触。先ほどの熱さにも慣れてきたのか、この熱が妙な心地よさを感じてくる。
アルダンは俺から離れていくように砂浜を走っており、そうして端まで辿り着けば今度は戻ってくるようにしてまた走ってきた。
俺はそんな彼女を追うように歩きながら、すれ違うと彼女は控えめに手を振ってくる。俺も彼女に胸元まで手を挙げては振り返して、そしてまた付いていく。
不思議と右足首のあの痛みは無かった。
いや、去年とは違って走っていないのも関係があるとは思うが、それらとは関係ないように思えた。少しだけまた去年みたいに出来心で走ってみようかと思うが、またアルダンを心配させてしまうのは心苦しい。
走りたいと思う気持ちをぐっ、と堪えながら俺は砂浜を歩き続けていた。
そうしてまた砂浜の端に辿り着くアルダン。此方へ戻るようにしては走ってきながら、俺の前を通り過ぎていく。
流石に夏の太陽の熱さとこの砂浜の上を走る事は、先程まで涼し気な表情をしている彼女でも額から汗を流しているのが見えた。
俺はまた振り返り、彼女へ付いていくようにして歩いていく。
やっぱり、こうやって走れる彼女が少しだけ羨ましいと思ってしまった。
**
8月
夏合宿も前半戦を終えて、既に一部のウマ娘は前哨戦に向けた調整も始める今日この頃。
今日のトレーニングは近くで使用されている芝のコースで彼女の走りの調整をするメニューだった。今までのトレーニングは砂浜や森にある坂を利用して彼女の脚力自体を鍛え、そしてトレーニングの前後には柔軟も取り入れている。
まだ一か月、されど一か月。
今回のトレーニングにおいて彼女の実力がどれくらい戻ってきたのかを今日は確かめようと思い、芝のコースを夕方から借りては既に人の気配は無し。
今この場にいるのは俺とアルダンの2人のみである。
沈みかけている太陽が芝のコースを橙色に染めており、既に空を見上げればうっすらながら星が瞬いているのが見えるほど。
太陽の熱は既に落ち着き、夜風による涼しさが芝のコースを占めていた。
アルダンはストレッチをしながら脚の筋肉を解して準備をしていく。俺はストップウォッチを手に持ち、彼女の柔軟を見ながら今日のトレーニング内容について伝えた。
「アルダン、今日は様子見で走っていこう。今回の距離は芝2000m。目的としては脚力の確認と柔軟による走り方の変化。後はスタミナだな」
「分かりました。力を入れるタイミングはどうしましょうか?」
「最初のスタートと残り400mで入れていこうか。本来のレースならその時で変わるけど今日はまだ模擬だからね」
「では…準備をしてきますね」
彼女は芝のコースに脚を踏み入れていき、そうしてスタートラインへと立っていく。
ゆっくりと膝を曲げてはいつでもスタートできる状態へ。彼女の表情は本当にレースを走るかのように真剣そのものだった。
コースにあるゴール板。コース内に入らないように彼女を見ながら手を挙げて合図の準備をしていく。そうして俺は勢いよく振り下ろしながら「スタート!」と大声を挙げると、彼女は走り出した。
どんっ、と鈍い土を蹴り上げる大きな音。その瞬間彼女は一気に加速をしていき、テンポよく脚にを地面に叩きつけては一気に蹴り上げるのを繰り返す。
まるで車のギアを上げていくように1度蹴り上げれば加速をし、また蹴り上げれば更に加速が進んでいく。そうしてびゅんっ、と目の前を通り過ぎてはそのまま彼女は等速のまま走り始めていた。
ストップウォッチの時計は既に動き始めており、俺は彼女がコーナーを曲がっていくのを見届ける。
アルダンの脚はしなやかに動いており、飛ぶような形で走っているのがしっかりと分かった。どうやら柔軟をしていた成果はしっかりと出ているようだ。
ストップウォッチに視線を落とせば1分1秒。1000mを通過した。ペースとしても普通であり、まだ調整段階でここまでの速さを出せていることに少しだけ驚いてしまう。
とはいえ、これはあくまで一人で走っているタイムである。本来であれば他のウマ娘による位置取りやペースの調整で時間やアルダン自身のペースがずれることもある。
一人であれば理想の動きはできるが、彼女にとってコースを走るのは久々のこと。その久々でここまで上手くできているのであれば申し分はなかった。
最終コーナーをアルダンが曲がって走ってくる。彼女の薄青の長髪と尻尾が風に乗って靡いていき、そして最後の直線。
遠くからどんっ、と脚を蹴り上げる音が聞こえ、その音がテンポ良く聞こえると更に彼女のスピードはより速くなっていく。その蹴り上げた場所は深く抉られ、そしてスピードを乗せて直線を走っていく。
最後の200m、既に乗せられた彼女のスピードは落ちることなくそのままゴール板の前を通過していった。ゆっくりと彼女は脚の力を緩めていき、そうしてジョギング程の速さになれば此方に向かってくる。
「どうでしたか、トレーナーさんっ…」
少しだけ息を切らしながら彼女は話しかけてくる。ストップウォッチに視線を落としていく。
タイムは2:00:1。ストップウォッチをアルダンに見せていくと頬を緩ませては嬉しそうにしていた。肩で息をしており、頬は少しだけ紅潮していた。
「やりましたね…っ!」
「あぁ!…正直びっくりしてるよ。この走り方は君に凄い合ってるみたいだ」
「ふふっ…トレーナーさんのおかげなんですよ?」
2人で誰も居ないコース場で喜び合いながら話していく。このタイムは2000mにおける平均タイムだ。平均、と言えばまるで普通のように思えてしまうかもしれないが、彼女は久々の本格的な走りかつ、新しい走法である。
新しい事に挑戦をし、そしてリハビリを終えた後の本気のタイム。それが平均タイムを出せているだけでも十分すぎるほどの成果である。
むしろこのまま彼女がこの走法の練度を高めた場合、どうなるのかが想像つかなかった。
元々アルダンは1人でトレーニングを考え、どのようにレースプランを組み立てるのか、それらを俺と出会う前にずっとしていたのだ。
彼女は選抜レースで適正に合っていない短距離のダートを勝っている。
つまるところ彼女は器用なのだ。新しい事に挑戦をすればそれを貪欲に吸収をし、そしてただ教えられた事を愚直に試すだけではなく、自分に合ったものを探り出す。
これは彼女の明確な武器である。そして今日のこの1人きりの模擬レースでそれを証明したのだ。後はどれだけ磨き上げられるか。そこはトレーナーとしての腕の見せ所になる。
「よし、今日は早いけどもう終わろうか」
「えっ…ま、まだ走れますよ?」
「駄目だよ。リハビリを終えた直後なんだ。それに…思っていた以上の収穫は得られたからね。しっかりクールダウンをして、明日からのトレーニングに備えて欲しい」
「…それもそうですね。分かりました」
彼女は少し不服そうにしているが、理解は示してくれた。アルダン自身もここまで脚の調子が戻ってきていることに嬉しさを隠せないのだろう。
彼女の尻尾は左右に揺れてはまた走りたそうにしているが、やっとリハビリを終えたのだ。変に無理をしてまた悪化だけはさせたくなかった。
アルダンはストレッチを始め、脚を手でしっかりと揉んだり伸ばしたりしては柔軟も交えていく。
ここまで頑張ってくれた彼女に何かご褒美をあげたい、そんなことを考えてしまう。
夏の風物詩、お祭りなんてどうだろうか。そう思うもお祭りとなると人が多く歩き回ることになるだろう。トレーニング後やそもそもの休息期間に脚の負担をかけたくはない。
だが何もしないというのも味気ない話である。折角の夏、そしてここまで頑張ってくれた彼女へのご褒美。
そうだ─────────近くのお店でアレが売ってたじゃないか。
□■□■
芝のコースで走ってから1週間後。
私はトレーナーさんに誘われ、合宿場の駐車場へと向かっていきました。
既に合宿場は殆どのウマ娘がいません。
その原因としては近くで大きな夏祭りがあるというもの。私自身も本当は行きたい気持ちはありましたが、脚がやっと治ったのです。その中で人混みの中を歩き回り、脚に負荷をかけることは避けたかった。
それはトレーナーさんも同様でした。
彼から午後6時になったら合宿場にある駐車場に来るように言われており、一体何をするのかを聞いても秘密、だと言われています。
そんな中、駐車場へ向かっていくと見たことの無い白い大きなワゴン車。その横にはトレーナーさんと2人の年配の女性の方が居ました。
トレーナーさんが私の姿に気が付くと此方に手を振ってきては、楽しそうに何か話しています。少しだけ小走りになって近づいては
「トレーナーさん…?えっと…これは?」
「出張浴衣ってやつだよ。着付けをしてくれるって調べてね。予約をしたんだ」
「えぇっと…それは…どうしてでしょうか?」
2人の年配の女性は車の中に入って、いくつかの浴衣を取り出してはそのまま合宿場の中に入っていくのが見えました。
彼は大きなレジ袋からがさがさ、と音を立てながら出すのは───────
「これ!手持ち花火!折角の夏なんだからさ。近くで夏祭りがあるけど…アルダンの脚を大事にしたい。でも、夏の風物詩を楽しめないのも勿体ない。だから…」
「……もしかして全て準備を…?」
「勿論!だって君がとても頑張っているんだから。それに最後の夏なんだ。こうやって…アルダンと思い出を残したくて」
トレーナーさんは少しだけ頬を赤く染めながらはにかんでいました。まるで無邪気な子供のようにその瞳を輝かせ、私を見ている。
きっと私に気づかれないように秘密で準備をしてくれていたのでしょう。それが私にとってはとても嬉しかった。
本当に、この人は私にとって喜ばせることを沢山してくれます。思い出であれば私は既に沢山頂いているのに、彼はもっと残したいと言っている。
欲張りな人です。でも、その欲張りな彼が私は好きでした。
私が反応しないでいると彼は少しだけ首を傾げては、眉を下げて心配そうな表情。
「…あんまり…だったかな?」
「ふふっ、ごめんなさい、トレーナーさんがここまで用意してくださって…嬉しくて驚いているだけです」
「よかった…もし嫌だったらどうしようかと思ったよ」
嫌なわけがありません。
トレーナーさんが私の事を考えてしてくれる、それだけで私はとても嬉しいのです。トレーニングもレースも日常のお出かけも特別なイベント、それら全てが私にとっては大事な思い出。
この思い出1つ1つは、夜空に輝く星々と比べても遜色ないほどの輝き。
トレーナーさんと出会えて、貴方が導いてくれて、一緒に横で歩いてくれて。それだけで私はとても幸せでした。
あぁ、私はもう彼の事が本当に──────
「お着物の準備ができました」
背後から聞こえる声。其方に振り向くと先ほどの年配の方が立っており、口元を緩めている。直ぐに首を動かしてトレーナーさんの方に向ければ
「着替えてきますね。楽しみにしてて下さい」
「あぁ、楽しみにしているよ」
少しだけ足取りが軽かった。
今ならこのまま飛んで走り出すこともできるぐらい、私は浮かれているのでしょう。
でも───────それがとても心地よかった
□■□■
アルダンが合宿場の中に連れられて20分が経った。この為に色々と申請をして、今回特別に合宿場の1室を借りることができ、今そこでは彼女が着替えている事だろう。
彼女にサプライズをしたく、そして彼女の喜ぶ顔が見たかった。最初はもしかして迷惑かも…なんて思ったが喜んでいる彼女の表情が見れただけ良かった。
合宿場にはウマ娘がおらず、仮に砂浜で花火をしたとしても気づく人はいないだろう。
近くで行われている夏祭り、最後の夏祭りということでそれはもう派手に行っているようだ。SNSでその夏祭りを調べると大量に出てくる画像や動画。
むしろこの状況で砂浜で手持ち花火をしようとする物好きはきっと今この世界で2人だけなはずだ。
腕時計を確認すると彼女が合宿場の中に入り、25分が経っていた。
「お待たせしました」
合宿場方面から聞こえてくるアルダンの声。俺は顔を上げて彼女に視線を移した。
「…どうでしょうか…?似合っていますか?」
アルダンは頬を赤らめながら、首を傾げて尋ねてくる。
彼女の髪型は長く伸ばしたストレートではなく、1本に束ねたポニーテールとなっていた。
そして浴衣姿。
白を基調としており、藤の花が散りばめられていた。藤の色には彼女の髪と同色のものであったり、紫のものがあったりと普段大人びているアルダンの姿がより美しく際立たせている。
彼女が前髪を指で掻き分ける仕草。たったそれだけなのにそれがとても神秘的にも見えてしまった。
既に夜空には月が浮かんでおり、まるで彼女の為に照らされていると言っても良いほどの美しさだ。
俺は彼女の着物姿を見てしまえばそのまま呆けてしまった。どこかで聞いたことがある。真に美しいもの、心打たれるものを見てしまえば人は心を奪われ、時間が止まってしまうのだと。
まさにこれはそうなのだろう。
「…トレーナーさん?」
「─────えっ?あー…」
良く似合っている。そんな言葉では足りないほど俺は彼女に心を奪われてしまったのだ。頭の中で必死に言葉を探していく。
「世界で一番綺麗だよ」
「────っ」
咄嗟に出てきた言葉。その言葉を聞いた彼女は頬を赤くして、下を向いてしまった。
彼女の尻尾は左右に大きく揺れており、嬉しがっているのは分かるが同時に恥ずかしがっている。
いや、さすがにこれは無いだろう。いくらなんでもキザ過ぎる言葉選び。自分も恥ずかしく、口元を右手で覆ってしまった。
「ごめん、その…違う。いや、違わなくは無いんだけど…!」
「嬉しいです、トレーナーさんにそう言われて」
必死に弁解の言葉を並べようとすると彼女はゆっくりと視線を上げては此方を見つめてくる。彼女の瞳は少しだけ揺れているも、真っすぐで、月明かりに照らされていた。
彼女は更に何かを告げようとしては息を吸い込んでは唇を開こうとするもすぐに閉じてしまった。だが、その閉じた唇は再び開いていき
「私は嬉しいのです。それでも、トレーナーさんは違うと言われますか…?」
目尻を下げ、少しだけ口角を上げた彼女の表情。
その表情はずるいだろう、そんな表情をされてしまえば先ほどの言葉を反故にすることはできなくなってしまう。いや、むしろそれをするのは余りにも残酷だ。
アルダンはただ見つめ、俺の言葉を待っている。
「…ごめん、違わないよ。本心で綺麗だと思ったんだ」
「綺麗、なだけですか?」
一歩、彼女が近づいてくる。両腕を後ろに組みながら、少しだけ前屈みになりながら此方の表情を覗きこんできた。
揶揄うように今度は瞳を細めながら彼女は尋ねてきた。
「綺麗。そうだね、ただ綺麗なんかじゃない。世界で一番綺麗だよ」
「ふふっ、よく言えました」
アルダンは満足したように表情を緩ませていき、背筋を伸ばしていく。どうやらお気に召してくれたようで俺は少しだけ胸を撫で下ろす。
「では、今度はエスコートをして下さりますか?」
彼女は左手を胸元の高さまで上げていき、掌を向けながら此方に差し出してきた。
世界で一番綺麗だというのであれば、そのお姫様をエスコートするのが紳士の役目たるものだろう。
「─────喜んで」
俺は彼女の左手に自分の手を重ね、そうして握りしめては砂浜へと向かっていく。
彼女に去年、自分の醜い想いを吐露したこの砂浜。あの時と同じように夏場だというのに涼しい海風が吹いており、空は星々で輝いていた。
レジ袋の中からパッケージされた手持ち花火を取り出し、袋を破いていく。
中には色とりどりの手持ち花火が入っており、そしてチャッカマンも同じく同封されたもの。
1つ彼女に手渡しては、アルダンは不思議そうにしていた。
「これが手持ち花火、ですか」
「するのは初めて?」
「はい、お話には聞いていたのですが実物は初めてですね」
彼女はその手に持った花火をまじまじと眺めていく。彼女に手渡したのは先端の紙部分に火を付けることでそこから勢いよく花火が出てくるもの。よくある手持ち花火の1つだ。
「気を付けてね、凄い勢いで出るから」
彼女はその言葉を聞くと緊張しているのか、両手で花火を持って、少しだけ腰を引けさせている。きっとこれがアルダンにとって初めての手持ち花火なのだろう。そんな風に警戒してしまっている彼女がなんだか可愛くて仕方なかった。
俺も彼女と同じ形状の緑色の花火を取り出していき、チャッカマンで彼女の花火に火を近づけていく。
紙に火が付き、その数秒後には眩い閃光が放たれ、ぱちぱち、と火薬の弾ける音が聞こえてきた。
「わっ、わっ、トレーナーさん。凄い事に」
「大丈夫だよ、ほら」
アルダンの横に俺は立ち、彼女の花火を持っている手に自分の手を添えていく。
その煌びやかな花火に自分の持っているものを近づけては、火を移していき、自分の花火から眩い閃光が放たれ始めた。
既にアルダンの花火は半分程燃えてはいるも、赤色、緑色と様々な色に変化をしている。
彼女はその花火に目を輝かせながら、声を弾ませていた。
「トレーナーさんっ!色が変わってますよ!」
「はは、手持ち花火っていうのはこんな感じなんだよ」
彼女が無邪気に喜んでいる様子。それを見れただけでも準備した甲斐があったというものだ。
そうして1分にも満たない時間が過ぎれば後に残るのは火薬の匂い。
その手に残った手持ち花火の残骸を彼女は見つめていた。
「…凄いですね、こんなにも…」
彼女は興味深そうにその残骸を眺め続けている。俺は袋の中からまた1本取り出しては、彼女に差し出していく。
「まだまだ数はあるよ。今日は俺と君だけの花火大会。目一杯楽しまないとね」
「─────はいっ」
2人だけで楽しむ花火大会。
その花火大会は近くの夏祭りの花火と比べては小さく、とてもちっぽけなもの。
だけどそれでも良かった。ちっぽけだとしても今、この花火は2人の中で大切な思い出になっている。大きな花火ではないだろう。心に残るようなものでもないだろう。
でも、この小さな花火は俺とアルダンにとって、とても大切な輝きだった。
手持ち花火の殆どを使い、残ったのは風物詩と言っても良い線香花火のみ。持ち手が黄色になっており、先端は黒色となっていた。
「これは知っています。線香花火、ですね」
「これで良くどっちが長く続くのか…勝負してみる?」
「ふふっ、良いですね。トレーナーさんには負けませんよ」
チャッカマンから火をつけていき、その揺らめく炎に2人で線香花火を近づけていく。近づけた線香花火はパチパチッ、と音を立てながら淡い火花が飛び散っていく。
2人でしゃがみこんではその火花をただ眺めていく。どちらがより長く持つのか、そんな小さな子供染みた勝負事でさえ、彼女とすれば楽しく思えてしまった。
1分。
まだパチパチッ、と音を立てて線香花火は瞬いている。少しだけ彼女の線香花火の火花は弱くなってきただろうか。
1分30秒。
お互いの線香花火が弱まっていく。パチッ、パチッ、と火薬の弾ける音も小さくなってきた。
一度だけ海風が吹いてきた。まるで線香花火の光を消すようにして。
その風によって俺の光は消えてしまった。だけど、彼女の線香花火は消えずに小さく儚げに線香花火は瞬き続けていた。
「アルダンの勝ちだね」
「はい、私の勝ちです」
線香花火も終えては2人で砂浜の上に腰を下ろしては、空を見上げていく。花火も終えて、その興奮を少し覚ますようにして2人で夜風に当たることにした。
その熱を冷ますようにしては海風が吹いてくれ、熱を持った体が冷えていく。
「あの時と…同じ空だ」
「夏の大三角形ですね」
「…星はどんな時でも変わらないね」
左手をその星空を掴むようにして手を伸ばしていく。試しにゆっくりとその伸ばした手を握りしめていくも星を掴むのは当然できない。
アルダンはその俺が伸ばした手に右手を伸ばして重ねるようにして一緒に握りしめていく。そうして一緒に手を下ろしてその握りしめたものを開いても、やはりそこには星はなかった。
「掴めませんでしたね」
彼女は少し残念そうに呟いていく。
「掴めなくていいんだよ」
俺の呟きに彼女は不思議そうに首を傾げた。
「どうしてですか?」
「掴めても…それは偽りの輝きだ。だから、掴めなくてよかった」
あの空に浮かんでいる星々はきっと過去の英雄や神話達が人々の心を躍らせ、そして輝きを得たものだ。だけど、その輝きを掴んで自分の所に引き寄せてもそれは自分の輝きになるわけではない。
仮に輝いたとしてもそれは偽りの輝き。宝石のような輝きではなく、ただの小石を必死に綺麗に磨いた見せかけのもの。
俺はアルダンにそうなって欲しくなかった。だから掴めなくてよかった。
「俺はアルダンにあの星々のように輝いて欲しい。でも、1等星のように眩い輝きじゃなくてもいいと思うんだ」
彼女に視線を移していく。
「誰もが憧れる1等星。だけど、俺は…自分だけの輝きを大切にして欲しいんだ」
「自分だけの…」
メジロラモーヌ。彼女の偉大なる姉であり、そして1等星の輝き。
かの姉を超えようと思えば1等星より輝く必要があり、そしてそれを目指すことでメジロアルダンという星にヒビが入ってしまった。
「俺は1等星じゃなくても、誰かを魅了できる輝きになることはできると思うんだ。それこそ、俺が今君の走りに嫉妬しているようにね」
「…ふふっ、では私はトレーナーさんの憧れになれた、ということですね」
「そうだね…。正確に言えば君をスカウトした時からずっと憧れて、ずっと嫉妬してるよ」
「光栄です」
アルダンは頬を緩ませていく。その表情は海に写る月の反射によってより魅力的に輝いていた。その光で彼女の頬も同時に赤くなっていることが分かる。
「トレーナーさん」
彼女が少しだけ腰を動かして寄り添ってきた。触れ合う肩同士。
その肩に彼女は頭を乗せて、より距離を近づけてくる。
俺は彼女に何も語らない。ただ、片腕を伸ばし、よりその寄り添いを密着させていく。
お互いの肩の距離は0センチ。アルダンは伸ばした俺の手に自身の手を重ねていく。
海風が心地よい。先ほどまで冷たく感じたこの風がここまで心地よいものになるとは思わなかった。
俺は彼女のこの温もりを忘れないように、少しだけ力を強くした。
□■□■
トレーナーさんとした手持ち花火。この手持ち花火がここまで胸を躍らせるものだとは思いませんでした。いえ、これはきっと家族や友人としてもそうなのでしょう。
ですが、ここまで胸を高鳴らせることはありません。これはトレーナーさんとしているからこそ。
打ち上げ花火。夜空にキラキラと煌めく眩しい輝き。その輝きは私が目指した輝き。
だけど私は手持ち花火のような小さな輝きの方が好きなのかもしれません。打ち上げ花火の輝きは余りにも一瞬であり、見るものを魅了してもきっと直ぐには泡沫の様に消えていく定めでしょう。ですが、手持ち花火は長く、そして色々な輝きを見せてくれる。
私は打ち上げ花火のような刹那のような輝きを夢見ていました。でもそれはトレーナーさんによって変えられてしまいました。
少しでも貴方の隣で走れるように、貴方に憧れてもらえるように、手持ち花火のように小さくとも長く輝ける光になりましょう。
手持ち花火の輝きを目指したくなったのもきっと、貴方のせいなんですよ、トレーナーさん。
私はもう貴方という存在に酔っているのでしょう。貴方があれだけ支えてくれ、そしてその支えは既に私にとってかけがえのないものになってしまいました。
トレーナーさん、知っていますか?
浴衣を選ぶときに色々な花が描かれており、その中でも藤を選んだ理由を。きっと貴方は気づかないと思います。気づいて欲しいと思ってしまいますが、それを無理に願うのは酷な話。
藤の花言葉には優しさ、歓迎という花言葉。だけどそれ以外にも花言葉はあります。
花言葉と言うものは便利なものですね。相手に言葉にせずとも伝えることが出来る魔法の言葉。その魔法の言葉が相手に伝わらないのは少々悲しいですが…それでも構いません。
トレーナーさん、貴方を好いているのですから。
貴方の事を考えて浴衣を選ぶのがとても楽しかった。貴方と花火が見れて嬉しかった。貴方に染められていく自分が喜ばしかった。
藤のもう1つの花言葉。それは───────
恋に酔う