3年後に世界が滅ぶと知ったメジロアルダンとトレーナー   作:ポンタ4

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私のガラスと彼のキズ

茹だるような暑さ。

夏合宿場に辿り着いて最初に感じたのはそれだった。

 

今日の天気は雲一つないほどの晴天。

太陽がさんさんと砂浜を照らしており、夜になれば星々が綺麗に見えることは間違いない。

 

「暑いな、アルダン…」

「暑いですね」

「…本当に暑いって思ってる…?」

 

俺は今アルダンと一緒に砂浜の上に立ち、そしてその体を焼かせる太陽の熱の中にいる。

汗をかき、少しはしたないがぱたぱた、と首元の所を指で摘んではその汗を仰いだ風で冷やそうとしていく。

隣にいる彼女は汗をかいてはいるものの、涼しい表情をしており、何てことなさそうにしている。

 

ワイシャツの腕部分を捲っては、その捲ったものを折り込んでいき、疑似的な半袖状態。

対する彼女は既に学園指定のセパレート型のスクール水着である。

 

もしかしたら服装のせいなのかもしれない、なんて思ったが、視界の端に入っては暑さで背中を曲げて、しんどそうにしているウマ娘の姿が入る。

同じ服装だが、立ち振る舞いは違う。

うん、これはアルダンが暑さにとても強いからなのだろう。

 

むしろ暑さに強い事は悪い事ではないため、これは彼女の長所と考えるべきである。

俺は手に持っているタブレットの画面を起動して、彼女に見せていく。

次回目指すのは勿論、クラシック三冠である菊花賞。

その距離は3000mととても長く、そして彼女にとっても初めての試みである。

 

となるとこの夏合宿で目指していくのはまずスタミナを鍛えることである。

3000mとなると脚の使い方も重要にはなるが、如何に最後の直線までスタミナを持たせるのか、そしてその最後に残ったスタミナをどう使うのかが大事である。

彼女の適正から少し離れた距離ではあるものの、不可能ではない。

 

俺はタブレットを使いながら今回の夏合宿で目指すトレーニングプランを伝えていく。

その隣で彼女は頷きながら、そして時折「なるほど…」と独り言を零して俺のプランに納得してくれている。

 

彼女が走ることを考え、そしてそのプランに対して彼女は理解を示してくれるのが嬉しかった。

一通り、今回の夏合宿の練習内容と今日のプランについて話し終える。

 

「というわけで…まずは今日は無理をしないように体を慣らそうか」

「分かりました、トレーナーさん」

「じゃあ、まずは砂浜を軽く走っていこうか」

 

そう告げると彼女は軽くストレッチを始めていく。

膝を何度も曲げては、今度は伸ばして、筋肉をほぐして走れる体を作り始めていく。

10分後、アルダンはストレッチを終えては砂浜の上を裸足で走り始める。

 

砂の上では脚が普段よりもすくわれる事が多いため、しっかりと踏み出すことが大事なのである。

昔、合宿で練習していた知識がここで役に立つとは思わかった。

俺は視界にアルダンが軽いランニングをする姿を収めていく。

彼女の周りでも思い思いのトレーニングを始めている。

 

遊泳するもの、砂浜の上で筋トレをするもの、彼女と同じようにランニングするもの。

そのランニングしている姿を少しだけ右足首がまた疼いてしまう。

 

合宿で砂浜の上で走り、そして1か月後にコースを走った時に自分の走りが更に早くなったことを思い出してしまう。

コースを蹴った後の脚がいつもより早く前に出ていき、膝も自然と高く上がる。

そして速くなった時に感じる風がより気持ちよく感じたものだ。

 

彼女達が走っている姿を見ては少しだけ、羨ましい、なんてまた不純なことを思ってしまった。

 

 

アルダンを担当することになってから、こうやって走りについて思う事が増えていっている気がした。

今まで自分が目を逸らしていた感情、嫉妬。

他のウマ娘を見ては思うことがあったが、それはアルダンを担当した時の比ではなかった。

 

彼女が足が弱く、そして脆い事を知った時にもしかしたら俺は勝手に彼女と俺自身を重ねていたのかもしれない。

浅慮である自分に少しだけ嫌気がさしてしまった。

アルダンは脚が弱くても前を向き、そして前進し続けようとしていた。

 

 

だが俺は?

俺は彼女に覚悟に当てられるまで、ただ生を貪っていた。

今思えば、トレーナー業を辞めるというのは俺にとって、走りが好きだった過去の、そして今まで生きていた自分を否定することになる。

あの時に手帳が無くなったからといって、俺はトレーナー業を辞めるとは今となっては思えなかった。

 

あの頃を、走ることが好きだった純真な頃を思い出しても良いかもしれない。

既に壊れてしまった脚でも、この脚に伝わる感触を楽しむだけなら罰は当たらないだろう。

 

俺はアルダンが走っている姿を見ながら、あの頃を思い出そうと思い、靴を脱ぎ、そして履いていた靴下も脱ぎ去っていく。

砂浜に足の裏が当たっていくとその暑さに少し驚いてしまうが、すぐに馴染んでいった。

 

懐かしいな、なんて思い馳せながら、俺は彼女に歩いてついていく。

ざくっ、さくっ、と砂浜の上を歩いては鳴る音が心地よく感じる。

砂の上に足が乗れば、沈んでいく感触。

そしてそれらを掻き分けては前へ前へ、と歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────少しだけなら走っても

 

 

俺はそう思い、タブレットをしっかりと手に持ち、脚を上げてアルダンと同じようにランニングをしようとする───────が

 

足首にずきんっ、と来てしまう鋭い痛み。

まるで走ることをするな、と神様が告げるように俺の行動に罰を与える。

 

軽く走る程度なら大丈夫だと聞いていたが、さすがに砂浜の上でいきなりするのは無謀だったか。

とはいえ、ずきずきっ、と痛んでくる右足首からの痛みにしゃがみこんで抑えてしまう。

早く収まれ、早く収まれ、と何度も何度も心の中で唱えていると

 

「トレーナーさん…大丈夫ですか?」

 

アルダンから声をかけられた。

 

「えっ!?あ…あぁ、大丈夫だよ。ちょっと捻っただけだから」

 

俺は彼女へ強がりを見せてしまう。

その強がりにアルダンはしゃがみこんで心配そうに見つめてきた。

 

「本当ですか?見せて頂けますでしょうか」

「ほ、本当に大丈夫だから…!」

「駄目です、もし変に捻っていたら………っ」

 

俺はその右足首をただ抑えて、彼女の視界に入らないようにするも、彼女は俺の両手を掴み、無理矢理その隠していたものが入ってしまう。

アルダンなりの心配が故にだったのだろう、彼女自身もケガをすることがあり、そのケガに関しては人一倍敏感だった。

だからこそ、俺は自分の昔に思い馳せてしまった己を恨みたくなった。

 

 

「トレーナー…さん…?これは…?」

「………昔のケガだから、大丈夫だよ」

 

必死に取り繕う笑顔。

どくん、どくん、と心臓の鼓動が早まっており、そして彼女に悟られないように必死に笑顔を繕い続けた。

 

「…昔って…一体何をされたのですか。これは…普通のケガじゃないことは分かります」

 

彼女は真剣そのものであった。

右足首からふくらはぎにまで伸びていく手術痕。

昔と比べて多少は皮膚でその生々しい痕は見れるものになりつつあったが、やはりまだ気味の悪さは残っていた。

 

「なに、ちょっとした事故をしてな。それで足を手術したんだけど…まぁ、色々あって」

 

嘘。

彼女にその嘘を吐いたことが胸の中に棘がちくり、と刺さっていく。

彼女に昔走っていたことを伝えてしまえば、きっと彼女はそれを負い目としてしまうだろう。

 

「…本当ですか?隠していませんか?」

「隠してないよ、心配かけてごめんな」

「……分かりました」

 

アルダンは立ち上がり、一旦は納得する様子を見せてくれた。

彼女は聡明である。

きっと俺が嘘を吐いたことは感じているが、彼女はそれを無理に聞こうとしない。

 

その気遣いが今の俺にとってはより胸に刺さった棘の痛みを更に感じさせる要因になりえた。

 

アルダンはその後、立ち上がっては俺に手を伸ばしてくれる。

俺はその手に自分の手を重ねていき、彼女はゆっくりと引き上げてくれた。

 

「練習の邪魔をして悪いな」

「いえ、気にしないでください」

 

彼女は首を振ってすぐに笑顔を浮かべてくれる。

俺はその場で立ち上がるも、彼女は俺を見つめ続けており、その場から離れようとしなかった。

 

「アルダン…?どうした?」

「いえ、その………無理をなさらないでくださいね?」

 

彼女の瞳が少し揺れているのが見えた。

まるで俺に真実を聞くべきなのか、それとも胸に秘めておくべきなのか。

そのことに気づいてしまった自分にまた少しだけ嫌気がさしてしまう。

 

「大丈夫、本当に問題ないから!」

「分かりました、では…トレーニングを続けますね」

 

俺はその嫌気を見ないフリをするかのように、彼女の前で腕を少しだけ挙げてはファイトポーズ。

アルダンはそのまま俺に背後を見せては、先ほどと同じく砂浜でランニングを始めた。

 

 

 

彼女が走り始めた時、此方を向いた表情はどこか俺ではない何かを見ているように思えた。

 

 

 

****

 

 

 

8月上旬

 

夏合宿も残り一か月となった。

アルダンとトレーニングを繰り返し、合宿場の近くで2人で散歩をし、時折行われるイベントでリフレッシュをする毎日。

合宿場周りはかなり辺鄙な所であり、携帯の電波すら入らないほどだったが、そこで行われる色々な出来事に俺は心を躍らせた。

 

メジロ家のウマ娘、メジロパーマーやメジロマックイーン、メジロブライトなどと一緒に海の家を巡り、そこで食事を共にすることがあった。

まだ他のメジロ家の子たちはトレーナーが付いていないため、トレーナーがいることについてどんな感じなのか、どんな練習をしているのかをアルダンと俺は質問攻めにあってしまう。

だけど、それだけアルダンが他の子たちから信頼されており、その時の彼女が皆の質問に答えていく様子はいつもより嬉しそうな表情をしていた。

 

普段の彼女はこんな表情を見せるのか、なんて1つ気づきを得た日だった。

 

合宿場に備え付けられた散歩道。

木々に囲まれており、その木々が日傘のように太陽の熱を防いでくれている。

そこの散歩道は夏でも涼しく、2人の合宿におけるトレーニングのリフレッシュをする日課の場所となった。

2人だけで散歩をし、2人で語り合う日々は俺にとってとても心地よいものだった。

 

 

いや、少しだけ噓になる。

 

 

彼女と散歩道を歩いているときに俺と彼女は昔の思い出話をしたり、好きな事や趣味、そんな他愛ない話をしているときだった。

彼女に傷痕を見られたあの日から、彼女の見ているその視線は俺ではなく、俺の心の何かを見ている、そんな風に感じることがあった。

 

これは俺の思い過ごしなのかもしれない。

だけど、俺はそんな彼女の視線が────────

 

 

 

 

 

 

少しだけ嫌だった。

 

 

 

 

 

今まで目を逸らしてきた過去の出来事、そして彼女の走りに対して嫉妬を覚えてしまっていること。

これは彼女の視線はそんな俺の後ろめたいものを見透かしているようだった。

 

彼女に過去の傷痕を隠し、そして嘘を吐いたことが俺自身の足枷になりつつあった。

アルダンに負い目をさせたくないことが、今度は自分にとっての足枷になってしまう。

皮肉に満ちた人生だなんて思ってしまった。

 

彼女にこの事を話すべきだろうか、それともこのまま抱えるべきだろうか。

俺はそれが分からなかった。

 

8月上旬。

 

俺はアルダンのトレーニングを終え、そしてトレーナー専用の宿場へ戻り、今日のレポートを作成する。

トレーナーは1人ずつ小さな小部屋を与えられるため、プライベートの空間は確保されていた。

その小部屋にはテレビとベッドに机と最低限のものしか置かれていない。

暇を潰せるものもないため、大概のトレーナーはこうやって俺のように何かの仕事をしたり、寝るだけに使われる部屋となっている。

 

レポートを書き終え、少しだけ体を伸ばしていく。

ふと、窓の外を眺めていると既に月が夜空に輝いており、そして雲一つない満点の星空が見えた。

 

あぁ、こんな日に外を散歩したらきっと気持ちいいのだろう。

そんなことを思うと、気づけば俺は既に外へ歩き出していた。

トレーニングをしている砂浜の上、そこに俺は1人、誰も居ない中で歩いていく。

 

今日は夜風がとても気持ちがいい。

波で流される砂の音、そして自分が砂を掻き分けて歩いていく乾いた足音。

 

不思議と足の痛みを感じることはなかった。

この砂浜には誰の姿もなく、まるで今この瞬間だけは世界に俺しかいないように思えた。

 

今この瞬間、走り出しても神様が見ていなくて昔のように走れるのではないか、そう錯覚して思えるほど全てが静かだった。

 

空を見上げれば満点の星空、今日は夏の大三角形が良く見える。

昔、母親に読み聞かせをして貰った時、あの”星の王子様”を探したときもこんな星空だったと思う。

 

あの小さな頃の純真さを思い出すように、そして一か月前の神様から罰が無いことを信じて、また俺は靴と靴下を脱いでいく。

一か月前に感じたその砂浜は少しだけひんやりと足の裏に伝わってきた。

 

ざくっ、ざくっ、と足の裏でその砂浜を歩く音と足の裏に伝わる砂の感触。

そして、また軽くだけ走ろう、と俺は前に足を踏み出そうとしたが─────

 

 

 

走れなかった

 

 

 

不思議と足が前に出なくなっていた。

神様から1度だけ罰で痛みを与えられてしまったこと。

今は神様なんて見ていないと思っていても既にその脚には見えない鎖がついているように重かった。

 

「もう…俺は…」

 

俺はしゃがみこみ、そしてその右足首に鎖として残った手術痕を掌で摩っていく。

でこぼことしたその感触、それは余計に俺が走れないという現実をより叩きつけるように思えた。

 

こんな星空が輝いている日に俺は一体何をしているのだろうか。

あの小さな頃の純真さを忘れられず、そして走ることが好きだった俺に思い馳せている。

俺は悲劇のヒロインぶっているのかもしれない。

 

メジロアルダンというガラスの脚を持った彼女と俺自身を鏡のように照らし合わせて、勝手に悲観をしている。

そして彼女の覚悟に当てられ、まるで自分が元々その彼女の覚悟を持っているかのように錯覚していること。

考えてみたらなんて自分勝手で、自分のエゴだけを満たそうとしているやつなんだろうか。

彼女に照らし合わせているのであれば、彼女に嫉妬を覚えていること自体がおかしな話である。

 

だから……きっとラモーヌの質問に俺は答えられなかったのだ。

俺は自分自身をアルダンに重ね、そしてそれを否定された時、自分とは何なのかが分からなくなってしまった。

アルダンを支えることが俺の覚悟、だがそれはあくまで”アルダン”に対してである。

 

俺自身、俺という存在に対して”命を賭けたい”ほどのものは一体なんなのだろうか。

それを考えてしまえばまた空の暗さと同じように自分が見えなくなってしまった。

 

俺は……彼女に嫉妬をしている。

走れる楽しさを知り、そして努力をすることに対して。

 

では、俺は走りが好きではないのか?

走ること自体を完全に好きではなくなったのか?

あの脚が壊れた日から毎日、走ることを考えなくなったのか?

 

 

 

 

 

 

では何故、俺は彼女の走りに嫉妬をしたんだ?

 

 

 

 

 

諦めてしまったのであれば、彼女の走りに嫉妬をしない。

走りが本当に好きでなくなったのであれば”トレーナー”という職業に固執をしていない。

 

俺は────────

 

そんな思いを繰り返し、夜空を眺める。

この夜空にはきっと答えは載ってないだろう。

でも答えが欲しくて、俺は空を見上げ続けた。

 

 

 

「トレーナーさん」

 

背後から聞いたことのある優しい声。

振り向くとそこにはガラスで象られた俺の星がいた。

 

 

 

 

 

■□■□

 

 

 

 

 

「あれは…トレーナーさん?」

「えっ?アルダンさんの?」

 

私はパーマーと合宿場の宿場で一緒にお話をしていました。

時刻は20時、既に食事を終えており、各々が宿場で好きなように過ごす時間。

私は部屋に戻ろうと思い、宿場の廊下を歩いていた所にパーマーと出会いました。

 

そしてそのまま2人で話しては会話に花を咲かせ、今に至ります。

 

宿場の窓、その窓からは丁度砂浜や海が良く見え、そして今日が満点の星空であることも分かりました。

ですが、そんな中で唯一異質な彼の存在。

1人で砂浜の中に佇んでおり、その姿はなぜか私のトレーナーさんだと分かりました。

 

「何してるんだろ…ってアルダンさん!?」

「ごめんなさい、また後でね、パーマー!」

 

パーマーが背後から声をかけてくれましたが、私は脇目も振らずに彼の元へと走り出していました。

このまま彼を、この暗い場所で一人にしていたら、何故だか分かりませんが消えてしまいそうな…そんな根拠のない考えは脳裏をよぎります。

 

宿場の前では会話をして夜空を見上げる他のウマ娘の姿。

 

「ごめんなさい、通ります!」

 

私は彼女達の横を走っては通り抜けていく。

宿場は堤防によって少し高い場所にあるため、砂浜に行くためには階段を下りる必要がありました。

 

私はその階段を足早に降りていきます。

周囲には彼しかいなくて、まるで空で輝く月の光が彼のために灯されていると言っても良いほど綺麗でした。

 

トレーナーさんが何故一人で、この砂浜に佇んでいるのかは…なんとなくですが分かりました。

きっと、彼は過去への憂いがあるのでしょう。

それは…あの脚の手術痕が原因だと思いました。

 

時折彼が見せる私ではないものを見る視線、そしてやけにケガや無茶をしてはいけないことに対しての態度。

あれはトレーナーさんの過去が関係しているのでしょう。

そうしてしまえば導き出される答えは1つだけでした。

 

 

”トレーナーさんは過去に走りを生業としていた”

 

 

こんなことに気づいてしまう私が少しだけ嫌でした。

私はトレーナーさんの痛みを知りたかった。

彼の痛みを知り、不躾ながら支えたいと思ってしまいました。

常に彼に支えられ、そのお返しで彼の痛みを和らげたいと…そう思いました。

 

ですが、トレーナーさんの心中を知りたいと思えば思うほどに、彼との距離は開くばかりでした。

まるで私に知られたくないように…いえ、事実知られたくないのでしょう。

そしてその彼との距離が開いていくのが私にとって拒絶されたかのようでとても辛い事でした。

 

私が愚者であれば、こんなことにはならなかったのに。

 

私は人よりケガについては敏感でした。

だからこそ、彼が何かしらのケガをしてしまってないかが心配でした。

 

ですが、見てしまったあの手術痕。

生々しく、彼に残されてしまったそれは、私に見せたくない過去。

彼が嘘を吐いたのは私に負い目をさせたくないから。

 

そんなトレーナーさんの優しさが私にとって今はとても悲しい事なのです。

私は覚悟を打ち明けた。

そして貴方にスカウトされてたのが嬉しくて、幸せになれた。

なら、貴方も幸せにならなければおかしな話です。

 

私にとって、そして貴方にとって地球が最後を迎えるまで、残り1年と半年。

貴方の痛みを、過去を知りたい。

 

傲慢な女と思われるでしょう。

ですが、構いません。

私の覚悟を支えてくれたのであれば、今度は私が受け入れる番です。

 

 

 

砂浜へ降りていき、私はゆっくりと歩いていく。

まるでこの砂浜という舞台に、私が登場人物として入ってしまうような、それほどまでに静かで、そして波の音が神秘的に感じました。

 

「トレーナーさん」

 

トレーナーさんの背後から声をかけると、彼はゆっくりと振り返って此方に視線を合わせてくださいます。

 

「こんな時間に外に出て…どうしたんだ、アルダン」

「それはトレーナーさんもでしょう?」

「はは…それも確かに」

 

私はトレーナーさんの隣に立ち、そして一緒に星空を見上げていきます。

 

「アルダン、知ってるか?今日は夏の大三角形が良く見えるんだ」

「えぇ、確かに良く見えますね」

 

2人で空を見上げ、トレーナーさんの瞳には綺麗に輝いた星々が映っていた。

私もその、星々を眺め、そして指をさしていきます。

 

「あれが…デネブで、あちらがアルタイル、そしてベガ、ですね」

「確か…ベガが織姫で、アルタイルが彦星だったかな」

「ふふっ、博識なんですね」

「星の王子様で興味を持って調べたんだよ、昔ね」

 

彼は此方に視線を向け、私も彼の視線に合わせていく。

彼の瞳は私を捉えていませんでした。

私ではない、何かを見ているようで─────

その瞳が怖く、彼自身が消えてしまいそうで、私は視線を逸らしたくなかった。

今ここでトレーナーさんから視線を離してしまえば、そのまま本当に消えてしまいそうだったから。

 

「……なんでこんな所で一人でいたのかを知りたがってる顔だね」

「……私は───」

「気づいてるんだろ?アルダンのことだから」

「はい」

 

私は力強く答えていく。

トレーナーさんの口から答えが欲しかった。

 

「昔はさ、俺は…選手として走っていたんだ。小さい頃から走るのが好きで、気が付いたら選手になってた感じだな。実は結構強かったんだよ?でも、とある時のレースで俺は足をケガをしてしまったんだ。それも…とても大きな癒えないキズを」

 

ぽつり、ぽつり、とトレーナーさんは懺悔をするように呟き始める。

 

「俺はもう走ることが出来なくなってしまった。見ただろ、あの手術痕。俺はあの脚を壊したときに、走ることが好きではなくなったんだ」

 

彼は私と同じ…いえ、彼は私以上に抱えている。

彼の脚は壊れ、私の脚はまだ砕けていませんでした。

 

「この脚が壊れる前に見たウマ娘のレース、俺はあれに感化されて…もしトレーナーになって、俺の走りの技術とウマ娘の走りを組み合わせたらどうなるんだろうって思ってた。でも…それは足が壊れて……」

 

無気力になっていた。

ただ、日々を生きるだけの、生を貪るだけの生者として。

 

「でも…君と病院で会ったとき、そして君の覚悟を聞いた時に俺は……君に感化されてしまった。もう一度、このトレーナーになった気持ちを思い出して俺は…また、トレーナーとして生きたいって思ったんだ」

 

トレーナーさんの瞳が揺れ動く。

唇を少しだけ噛みしめ、そして彼は答えたくない思いを私に打ち明けてくれている

 

「実際…嬉しかったんだ、アルダンをスカウト出来て、そして勝てて。でも……君が勝てば勝つほど思ったんだ」

 

 

 

 

 

────────羨ましいって

 

 

 

 

 

 

「もう走ることが出来ないのに、壊れてしまったのに、俺は君に嫉妬をしている。そしてその嫉妬からまた走りたいなんて思ってしまったんだ。それが一か月前の心配してくれたあの日だよ」

 

彼が右足首を抑え、痛みを耐えたあの日。

私が彼の秘密を知ったあの日。

彼が私に初めて嘘を吐いたあの日

 

「俺は…今どうしたいのか、分からないんだ。君に嫉妬している。でも俺はトレーナーとして君を支えたい。それで……昔の事を思い出してこうやって外に出たんだ。走るのが好きだった小さな頃、そして星を見たあの純真なころを」

 

彼はまた星空を見上げて告げる。

 

「………くだらない理由だよ。こんな話をしてごめ────「くだらなくありません」」

 

彼の言葉を遮る。

少しだけ驚いた表情。

 

私は彼の正面に立ち、そして一歩、前へと足を踏み出しました。

 

「もっと…早く教えて欲しかったです」

「…ごめん」

 

彼は視線を逸らしてしまう。

私はただ彼をひたすらに見つめ、言葉を続けていく。

 

「トレーナーさんは優しすぎます。その優しさは私にとって時には苦しいのです」

「…アルダン?」

 

また彼の驚いた表情。

そして一歩、私はまた前へ踏み出す。

 

「私に負い目を感じさせないように嘘を吐いたんでしょう?」

「…あぁ」

「…それが辛いのです。私は貴方を信頼しています。支えてもらい、そして幸せなウマ娘になっています。トレーナーさんも幸せにならないと駄目なんです」

 

心の中に抑えていたものが少しずつ溢れ出していく。

 

「俺は君の走りを見て嫉妬してるんだよ?」

「…なら、沢山嫉妬をしてください。私が、全てを受け止め、そして憧れに変えます」

「憧れ……?」

 

私が貴方の光となります。

私が貴方を支える番になります。

私が貴方に私の走りを好きにさせます。

 

「私、メジロアルダンという私の走りに憧れてください。私の走りを好きになってください。私の輝きに惚れてください。過去のトレーナーさんが忘れてしまうほど、私に夢中になってください」

「……いいのか?沢山嫉妬するし、走ることも好きになれるか分からない」

「構いません。それならば何度でも繰り返します」

 

私は彼を見つめ続ける。

トレーナーさんに繋がれている鎖、それを壊すためには私は彼の道標となりましょう。

 

「…意外と強情だね、アルダン」

「それはもう…私だって戦う乙女、なんですよ?」

 

彼の視線が少しずつ、私を捉えてくださります。

少しだけ笑みを浮かべる彼の表情。

いつもの柔らかい表情でした。

 

「アルダン」

「はい」

「一つだけ教えて欲しい。俺は…まだ走ることが好きなのか分からない。でもこのトレーナーという職業は好きだ。君が強くなるのが嬉しいんだ。でも、走ること自体が好きなのかは分からない。俺は…走りという事に対してどう思ってるんだろうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────決まっています

 

 

 

「担当の子に嫉妬してしまうほど好きなんですよ、きっと」

 

 

 

 

 

 

 

**********

 

 

 

2人でまた絵を見せ合う。

俺は日本ダービーで観覧席からアルダンを応援している絵、そして彼女はあの星空の下で語り合った絵だった。

 

「ふふっ、トレーナーさんはまたレースですか?」

「…確かに?」

 

くすくす、と楽しそうに笑う彼女を見ては自分が今まで描いた絵を思い返す。

確かに今まで描いている絵は全て彼女が走っている絵だ。

アルダンにそう言われてしまうと少しだけ恥ずかしくなってしまう。

 

「仕方ないだろ…アルダンが走ってる所が好きになったんだから」

「むしろ嬉しいです、光栄ですね」

 

彼女は面白そうにしているが、俺はそれが余計に恥ずかしさを助長してしまう。

 

既に時刻は13時30分。

2人で話しながら昼食を食べ、そしてまた絵を描き始めていたのである。

流石にこんなにずっと絵を描いているのは初めてであるため、少しだけ手首が疲れてしまった。

 

俺は右手首を左手で抑えて、何度かぐるぐると回したり摩ってはマッサージを続けていく。

 

「さすがにちょっと疲れてしまいましたね」

「休憩しようか、アルダン」

 

午後9時まで残り7時間30分、地球が滅ぶまでにはとても長く、そしてとても短い時間。

俺は持っていたスケッチブックと鉛筆を置き、ソファーに背中を預けて深く座っていく。

すると、肩に伝わる柔らかな髪の感触と少し硬い彼女の頭部。

 

アルダンは俺の肩に頭を乗せており、俺も其方に体を寄せていく。

彼女から伝わる体温と、そして木々から差し込む太陽の熱が俺の心と体を暖める。

ざざざっ、と風で葉っぱが揺れる音が聞こえてきた。

 

「風が心地よいですね…」

「…寒くないか?」

「問題ございません。トレーナーさんが近くにいらっしゃるので、むしろ少々暑いぐらいかと」

「なら…俺は離れた方がよさそうかな?」

 

そう告げると彼女は服の裾を掴み、顔を動かして此方を見つめてくる。

 

「駄目、です。離れないでください」

 

アルダンは少し駄々をこねるように告げてきた。

彼女を揶揄ったことを心の中で反省。

腰を少しだけ上げては座りなおし、より彼女に近づいていけば「はい、よくできました」と笑顔を浮かべ、少しだけ擦り寄ってくる。

 

 

彼女に醜い思いを伝えた、あの日。

彼女は俺を肯定してくれた。

 

あの肯定がなければきっと俺はアルダンの為に覚悟を、人生を捧げようと思えなかっただろう。

 

菊花賞

 

ラモーヌを超えるために、ラモーヌの光から抜け出すために目指したクラシック3冠目。

 

これはとても、絵では書き表せないほど

 

濃密で

 

過酷で

 

地獄で

 

そして彼女と俺が走ることを好きになったあの日

 

アルダンに惹かれ、彼女に本当の意味で覚悟を捧げようとしたあの日

 

今でもあのことを思い出すと自分の胸の中で燻る火が燃え上がる、そんな気がしてしまう。

 

隣から聞こえてくる、静かな寝息。

其方に視線を動かすと、アルダンは目を瞑り、そして心地よさそうな表情だった。

 

それを見てしまうと、胸の中に秘めていた火はゆっくりと収まっていく。

 

俺は彼女の美しく、そして太陽の光によって煌めいている薄青の髪を撫でていく。

 

 

「アルダン」

 

彼女を起こさないように囁くようにして彼女の名前を読んでいく。

何度、この名前を呼んだのだろう。

何度、彼女を想ったのだろう。

 

この”アルダン”という単語を呟くだけで過去の事も、そして今に思いを馳せてしまう。

 

少しだけ、俺も眠ろう。

彼女とこうやって太陽の下で寝れる事なんてそうないのだから。

 

 

 

今ならきっと、神様も許してくれるはず

 

 

そして俺はアルダンに少しだけ体重を預け、瞳を閉じた。

 

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