3年後に世界が滅ぶと知ったメジロアルダンとトレーナー   作:ポンタ4

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人によって不快に思われる描写が入っております。
ご了承の上、読んで頂けますと幸いです。


12時を告げる鐘

 9月下旬

 

 夏の暑さは既に無くなりつつあるも、まだ昼間は太陽の熱による暑さが残る今日この頃。

 

 夏合宿を終えた俺とアルダンは菊花賞に向けたトレーニングをしていた。彼女にとっての初の長距離レース、夏合宿でその長距離に向けたトレーニングを行い、その成果を芝のコースにて発揮させようとしているのだが…

 

「なぁ、アルダン。今日はここまでにしよう」

「…っはぁ、…まだ、できます…」

 

 芝のコース端で俺は彼女と話していく。アルダンは学園指定の赤ジャージに赤い短パンを履いており、俺自身も紺色のポロシャツに黒いジャージパンツを履いては彼女のトレーニング指導。

 

 アルダンは肩で息をしており、明らかにこれはオーバーワークだと一目で分かってしまうほどだ。彼女の体は強くない、むしろガラスの脆さである。これ以上続けてしまうのはトレーナーとしては許容できなかった。

 

「駄目だ、これ以上はオーバーワークになる。それにまだ一か月近くある。こんなに今追い込まなくても…」

「今…追い込まないとっ、駄目なんです…」

 

 彼女は倒れてしまいそうな上半身を両膝の上に両手を置いて支えている。顔だけは此方を向いており、その視線は1年前に見たあの”覚悟”を纏った瞳だった。

 

 彼女が菊花賞に向けて意気込んでくれているのは嬉しいのだが、これは明らかに気負いしすぎなのだ。夏合宿で彼女に打ち明けた俺の過去や醜い思い、それを聞いてから彼女の様子は少しずつ変わっていってしまった。

 

 

 夏合宿を終えたその日から彼女からのトレーニング提案、それをしてくれることは俺にとって嬉しかったのだが、そのトレーニングは今までの質と量を超えているものだった。アルダンは「必ず成し遂げます」と言っていたのだが、流石にこれは俺自身は容認できず、そこから調整したメニューでトレーニングをしている。

 

 しかし、それでも彼女を痛めつけるようなこのトレーニングプラン、俺も何度も止めようとしているが、それでも彼女は続けたいと繰り返す問答を何度行ったのだろうか。もう片手どころか両手で数えられないほどだ。

 

「トレーナー…さんっ、お願いしますっ…これで最後で…」

「………っ、分かった。本当にこれで最後だからな」

「ありがとう、ございます……。……ふぅ…」

 

 彼女が1つ息を大きく吐いた後に、先ほどまで乱れていた呼吸をゆっくりと整えていった。そうして、彼女はまた芝のコースへ入っていき「行ってきます」と一言告げると、そのまま走り出していってしまった。

 

 アルダンが走り出したのと同時に俺はストップウォッチを起動し、彼女のタイムを計っていく。このトレーニングは菊花賞の距離である3000mを繰り返し走り、そしてそのタイムの推移を測るのが目的である。

 

 推移を見ることで実際の菊花賞の平均タイムにおけるレースプランを組み立てるためである。1、2回ではなく、繰り返し測ることで実際のレースにおけるタイムの割り出しやそれらに向けた次のトレーニングを考えている。

 

 タイムが遅いのであればスピードやスタミナを重視。勿論タイムだけではなく、走り方やコーナーの使い方も総合的に見て判断をする。

 

なのだが、今は既に5本目。つまり彼女は15000mを走っている。ウマ娘自体のスタミナは強靭であり、これでも疲れないウマ娘がいると聞いたことはあるが、普段の彼女は3本程度である。

 

 約1.5倍の量は彼女にとってかなりの重りであり、そして体を痛めつけてしまう。確かにトレーニング量を増やせばその分鍛えられ、そして筋肉繊維における超回復でより鍛えられるだろう。しかし、それはあくまで”普通”のウマ娘であり、繊細な彼女にとっては壊れる要因になりえてしまう。

 

 いつもアルダンの瞳に宿った覚悟を見てはトレーニングを良し、としてしまう自分が嫌になってしまう。きっと彼女はより輝きを求め、そして俺の想いを乗せて気負っている状態だ。彼女が負い目を感じ、そしてトレーニングやレースに身が入らなくなるよりはマシかもしれないが、これでは本末転倒である。とはいえ、彼女のこの想いを無下にするのも申し訳なく、強く言えないままずるずるとここまで来てしまっていた。

 

 アルダンが走り終えると俺はかちっ、と音を立ててストップウォッチを止める。

 

 記録は3分15秒。平均タイムは大体3分3秒であるため、明らかに疲れが見えているタイムだった。

俺は走り終えて疲れているアルダンへタオルを持って近づいていく。

 

「お疲れ様…後はしっかりクールダウンしようか」

「はいっ…分かりました…」

 

 彼女はそのタオルを受け取り、そして額から流れ出る汗を拭いていく。他のウマ娘達も練習をしているため、俺と彼女は一緒に芝のコースから離れ、彼女と一緒にベンチに座る。アルダンは首にタオルをかけた後に両足の太腿を揉んだり、足首を回してマッサージを始めていく。俺はその彼女がマッサージを行っている所に問いかけた。

 

「アルダン、最近無理しすぎだ。止められない俺も悪いけど……その、もしかしてだけど俺の話で気負ってるのか?」

「……………それだけではありません」

「というと?」

「私がトレーナーさんの輝きになるためには…姉様を超えるためには…もっと努力をする必要があります」

 

 姉様、彼女が当初から抱えていた1つのコンプレックス。ラモーヌのことである。3冠がかかり、そしてその3冠を取ることでラモーヌの輝きを超えられると彼女は信じている。ラモーヌはトリプルティアラ、そしてアルダンはクラシック三冠を取ることで、初めてアルダン自身が見られると思っていた。

 

 しかし、世間の反応は残酷だった。

 

 連日次の3冠ウマ娘はメジロアルダンなのか、という話で盛り上がっているが、やはり付きまとう姉の影。ラモーヌとアルダンの比較はここ最近より目立つようになっている。それだけではなく、アルダンの凄さの解説の後には必ずラモーヌの凄さも言われるようになっていた。彼女の光が輝けば輝くほどに自然とラモーヌの光もより輝きを増しているのだ。

 

 彼女を嘲笑うかのように。

 

 俺は勿論、アルダンにはアルダン自身の輝きを見せて欲しい。そして姉であるラモーヌを目指すのは大事だが、アルダン自身の走りを目指して欲しかった。だが、今の状況は真反対になりつつある。

 

「アルダン…走る事は楽しいか?」

「…えぇ、とても楽しいですよ?」

 

彼女の答えるその一瞬、本当に刹那であったが、彼女の瞳が揺れ動くのに気づいてしまった。

 

 

 

□■□■□■□■

 

 

 

 がちゃり、と寮の扉を開けて私は自室へと帰ってきました。同室のチヨノオーさんはまだ入院中であり、私だけのこの部屋は広く感じています。

 

 ぴろんっ、とバッグの中にある携帯の通知音。その音の正体が何なのか知るために私はバッグの中へ手を入れ、携帯を取り出す。通知の正体はチヨノオーさんからのLANEでした。

 

【菊花賞まで残り1か月ですね!応援してますよ!私も今リハビリを頑張っています!】

 

 チヨノオーさんから送られてきたメッセージ、それを見ていると自然と笑みが零れてしまいます。私は彼女のメッセージに返答を入力していきました。

 

【ありがとうございます。私もチヨノオーさんが早く帰ってくるのを待っていますね】

 

 そう入力した後、私は送信ボタンを押していく。送信されたメッセージを見届けた後に自分のベッドの上に座ってはそのまま私はベッドに体を預けるようにして倒れていきます。見上げる天井、もう何度も見たこの天井は今となっては私を塞ぐ壁のようにも見えました。

 

 

 ”走る事は楽しいか?”

 

 

 ふと、トレーナーさんの問いが脳裏に過ぎってしまいます。彼からその問いをされることが少しだけ心苦しかった。私はあの時に彼からの問いに直ぐに答えられず、笑顔を繕い好きだと答えました。ですが、実際の所、私は分からなくなりつつあります。

 

 あの星空の下で聞いたトレーナーさんの過去。それを聞いた時、私はより覚悟を決め、そして彼だけの光になろうと思いました。そして彼だけの光になろうと思えば思うほど、より私以上に輝いている姉様の威光。

 

 世間からの比較の声には慣れたつもりでしたが、勝てば勝つほど私という個人を見るのではなく姉様と比較される声が増えていきました。そしてその声を振り払うように練習に打ち込もうとしていますが、それはトレーナーさんが許可をしてくださりません。

 

 彼の境遇を考えるのであれば当たり前のお話です。ですが、彼の嫉妬を憧れに変えるのであれば今のままではいけません。もっとトレーニングを重ね、そして姉様の威光を超えるようにならなければ…。

 

 姉様の強さ、美しさ、そしてその魔性。姉様がレースを走っているのを見た時、そして姉様がトリプルティアラを獲得した時のレースを思い出してしまいます。

 

 レース会場にて全ての視線は姉様一人に注がれ、そして姉様は勝ち抜き、レース会場は歓声に包まれました。初めてのトリプルティアラを達成したウマ娘、今まで誰も成しえていないことを成しえたあの時の熱気は今でも忘れることはできませんでした。

 

 そしてそのレース会場での姉様の走り、佇まい、それら全ては私にとってとても眩しく、羨ましかった。体は弱かった私にとって姉様のその光は私にとっての妬みの対象でもありました。

 

 その光を目指そうと、超えようと足掻けば足掻くほどに比較されてしまう。これがまるで私自身を否定されているかのような、そんな風に感じる日々。

 

 それを思えば思うほど私の中で締め付けられるものがございました。まるで、私が私で無くなるような…そんなのを感じてしまいます。ですが、このような所で立ち止まるわけにはいきません。

 

 次の菊花賞は私の走ったことのない長距離。その長距離は私にとって過去一番といっても良いほど過酷となりますでしょう。そしてこの長距離に関しては姉様も走ったことのない。私がこれを勝てばきっと世間からの評価も姉様との比較ではなく、私自身を見てくださるはず。

 

 この身は未だ脆く、そしていつ壊れてしまうかは分かりません。ですが、あの日本ダービーを走り終えてからは体の調子が良く、昔のように私自身の熱で体を蝕まれることも殆どありません。

 

 ここまで体の調子が良いのは人生一番といっても良いほど。だからこそ、今この時に私は賭けたかった。もし、この体の熱が再び蝕む様になるのであれば、きっと私は後悔をしてしまう。

 

 

 

”今”を輝かせるために

 

 

 

 菊花賞まで残り1か月近くある。逆に考えてしまえば1か月しかない。もう時間は残されていません。とはいえ、寮を抜け出して1人で自己練習をしてしまえば、それこそトレーナーさんの信頼を裏切る行為になってしまいます。

 

 焦りは禁物とはよく言ったものです。ですが、日付を見てしまえばそれだけ時間の無さを理解してしまいそうになります。

 

「……落ち着かないですね…」

 

 誰も居ないこの部屋で1人、ぽつりと呟き、その呟きはどこかへと消えてしまいました。チヨノオーさんがいらっしゃれば彼女と他愛ない話や、トレーナーさんがいればレースやトレーニングだけでなく、お出かけの話などもすることがあります。

 

 合宿場ではパーマーやドーベルなど家族とお話したり、ヤエノさんや他の方たちと言葉を交えていましたが、それはあくまでのあの環境生活だから許されること。寮では1人1人の過ごし方があるため、それを己の落ち着きの無さを無くすために付き合わせるのは、私としても心咎めてしまいます。

 

 食事の時間までまだ時間はあります。何か本を読んで暇を潰そうかと考え、バッグの中を漁り始めました。

 

 私は小さい頃から本を読むことが多く、そしてそれは今になってもそうです。図書館から借りては、トレーニングの無い日は本の世界に耽ることがあります。私はその借りた本を2つ取り出します。

 

 1つは伝記本。文庫本ほどの大きさであり、過去の英雄を題材としています。少々血生臭さを感じますが中々胸を躍らせるものです。

 もう1つは星座についてまとめた本。先ほどの伝記本より少々大きいものでした。中は専門的なものではなく、簡単に逸話やいつそれらが見えるのかをまとめられたものですが、初めて読むには十分なものでした。

 

 既に伝記本に関しては読み終えており、星座の本はまだ読み終えていません。この星座の本は彼から聞いた夏の大三角形の織姫と彦星、そして昔調べたという彼の言葉。私もその星の世界に思いを馳せたくなり、こうやって借りて知識を蓄えている最中です。

 

 トレーナーさんの言葉からこうやって自分の知見を広げたりするなんて、私は影響されてしまっていますね、なんて心の中で1人思いました。

 

 私は星座の本を膝の上で開いていき、そして中を読み始める。丁度そこは夏の大三角形にまとめられた部分でした。

 夏合宿で彼の言った通り、織姫はこと座のベガ、彦星はわし座のアルタイルと記載されています。あの星空の下でトレーナーさんに告げた言葉。

 

 

 

 私はあの言葉を嘘にしないために、この身を彼のために捧げましょう。

 

 

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

 

【今年のクラシックを振り返っていきましょう!まずはメジロアルダン!今一番注目されているといっても良いのではないでしょうか!姉であるメジロラモーヌはトリプル────】

 

 かちっ、と音を立てて携帯のラジオ機能を途中で止めてしまうトレーナーさん。控え室で2人、今日の熱気がどうなっているのかをラジオで聞いていましたが、姉様の言葉が出た瞬間にトレーナーさんは携帯の電源を落としていきました。

 

「…まぁ、こんなの見なくても既に聞こえてくる時点で今日の熱気は凄いな」

「えぇ…とても。どうやら過去一番なのではないか?というお話もあるそうですよ」

「それだけアルダンの三冠達成をみんなが見に来てるってことだな」

 

 菊花賞、地球が滅ぶ最後の三冠達成を見に来ている人が多く、その熱気は皐月賞や日本ダービーが可愛く見えてしまうほどでした。そしてその三冠達成を果たすべく、私もトレーニングを繰り返してきました。スタミナについては問題なく、後は本番でこの調子を出せるかどうか。

 

 そして、日本ダービーの限界を超えたあの瞬間。あの瞬間を引き出すことが出来れば私の悲願を果たすことができます。

 

 

 

姉様を超える

 

 

 

 自然と自分の手に力が入っていくのを感じました。トレーナーさんはタブレットを取り出し、そしてそれを机の上に置いては

 

「アルダン、最後のおさらいをしよう」

 

 と此方を見据えて告げました。私は彼の対面に立ち、そして2人でタブレットを覗き込むようにして今日のレースプランの振り返り。

 

「まずはヤエノムテキ。G2である京都新聞杯を1着で勝っている。この菊花賞に向けた準備は万端といっても良いな。それに…」

「皐月賞と日本ダービーの好走、ですね」

「あぁ、いずれも掲示板入りを果たしていて、実力を疑うものは居ないだろう。ヤエノムテキ自身もかなり気合が入っているに違いない」

 

 ヤエノさん、私やチヨノオーさんと同じくクラシック路線を目指しており、そしてライバル。彼女とはトレセン学園や寮でお話することも多く、チヨノオーさんと私を含めた3人で行動することも多く、お出かけもする仲。チヨノオーさんが入院されてからは少なくなってしまいましたが…、きっとそれもチヨノオーさんが戻ってこればいつも通りになるはず。

 

 ヤエノさん自身もトレーニングにかなり力を入れており、その雰囲気はとても近寄れそうにない雰囲気を漂わせていました。とはいえ、トレーニング以外ではいつも通りであるため、学園内で一緒に食事を取ったり、お話しすることはしていましたが。

 

「それで……ちょっと怖いのがスーパークリーク。この子は…遅咲きだけど正直一番侮れないかもしれない」

 

 トレーナーさんがタブレットの画面を横に動かすと出てくるクリークさんのレース内容。それはヤエノさんが勝利した京都新聞杯のものでした。

 

「前走は京都新聞杯に出走して6着。これだけを見るのであれば正直なところ、そこまでなのか?という印象を受けるんだが…これを見て欲しい」

 

 彼が見せたのはレース終わりの表情。そこにはヤエノさんが汗だくになっており、観客に手を振る姿。その背後にはクリークさんがいらっしゃいました。最初は特に何も違和感を感じませんでしたが、すぐにとある違和感に気づきます。

 

「……汗を殆どかいていない…?」

「そう、それなんだ。あの緊張状態で汗1つかかないで涼しい顔をしている」

「つまり…彼女は生粋のステイヤーだと?」

「それもかなり、だね。ヤエノムテキと比べたら直ぐにわかると思うけど、明らかに疲弊している雰囲気じゃないんだ」

 

 私は片手を口元に持ってきては思考をしていく。疲れない、勿論長く走ってそういうウマ娘もいるかと思いますが、クリークさんのこれは明らかに”異常”でした。

 

「失礼ですが、手を抜いているわけではなく…?」

「それならむしろ嬉しいんだけどね。どちらかというと中距離の走りにまだ付いてこれていない…というより力の出し方が分からないっていうのを感じるんだ」

「なるほど…要注意ウマ娘、ですね」

 

 クリークさん、ヤエノさん、この2人が私にとって今日一番のライバルとなりますでしょう。そしてまたトレーナーさんはタブレットの画面を動かし、今日のレースプランを私に見せてくださりました。

 

「今日は逃げのウマ娘がいない。多分、ゆったりとしたレース展開になると思うんだ」

「とするといつも通りに前目に出れば宜しいですね」

「そう、場合によってはレース全体を動かすペースメーカーになりうる。差しや追い込みが多いけど、しっかり力を溜めて逃げ切れるようにしようか」

「分かりました。それであれば中団に飲まれることもございませんね」

 

 2人でタブレットに指をさしながら振り返っていく。今日この日のためにトレーニングをしてまいりました。二人で振り返っている最中に鳴り響く携帯の通知音。それが耳に入ると「失礼します」と一言だけ告げて確認をする。

 

【頑張ってください!応援してますよ!リハビリの方は順調です!】

 

 とチヨノオーさんからのメッセージにブイサインが入ったスタンプ。それを見てしまえば少しだけ笑みが零れてしまいました。

 

「誰からだった?」

「チヨノオーさんです。応援と…リハビリが順調、とのことでLANEが来てました」

「ははっ、なるほど。なら…尚のこと今日は勝ちたいね」

「はい、チヨノオーさんが戻ってくるまでに情けない所は見せられませんので」

 

 私はその携帯を手に握りしめ、そして胸元へ近づける。この応援のメッセージ、そしてリハビリが順調というのが聞けて良かった。

 

「メジロアルダンさん!準備をお願いいたします!」

 

 控え室の向こうから聞こえてくる声。トレーナーさんはタブレットを抱え、そして私と一緒にこの控え室から出ていきました。控え室から出れば既に歓声が聞こえており、私の名前を呼ぶ声が聞こえます。

 

「…こうやって聞くと凄いな」

「…はい」

 

 トレーナーさんの横に並び、私は彼の問いかけに返事をしていく。

 

 ついにここまで来れました。トレーナーさんのおかげで、トレーナーさんが私を支えてくれ、そして真摯に向き合ってくれ、私はついにこのクラシック最後となる場所へ足を踏み出すことができました。

 

「トレーナーさん」

「どうした?」

 

 私はトレーナーさんの前に立ち、そして彼を見つめていく。彼は不思議そうに首を傾げており、どうしたんだろう、という表情でした。

 

「ここまで連れてきてくださり、ありがとうございました」

 

 私はトレーナーさんへお辞儀をしていき、感謝を伝えていきました。

 

「…よしてくれ、俺はすることをしただけだよ」

「そんなことはありません。もしトレーナーさん、貴方でなければ今頃私はここまで辿り着くことは不可能でした」

 

 トレーナーさんは私という存在、メジロアルダンという一人のウマ娘を見て下さり、そして私の目指したいものに対して真摯に考えてくださりました。彼自身、きっと私では到底理解できない嫉妬や妬みがあったことでしょう。ですが、それを理由に私へ強く当たることは無く、むしろ私へ理解を示し寄り添ってくれました。

 

「だから、改めて今ここでお礼をしたかったのです」

「なら…俺は君にもお礼をしなきゃいけないことが沢山あるよ。俺を立ち直らせてくれたこと、そして君が俺の想いに応えてくれたこと、俺はそれらに感謝しかしてないよ」

「ふふっ…それならば今度はこの3冠を取った時に改めて聞かせてください。3冠を取り、私はトレーナーさんの憧れに、そして姉様を超えてみせます」

 

 トレーナーさんからお礼を伝えられると少しだけむず痒さを感じてしまいました。ですが、そのむず痒さは私にとってはとても嬉しいもの。私は彼に背を向け、そして

 

「行ってきますね、トレーナーさん」

 

 とパドックへ歩き出していきます。背後からは「いってらっしゃい、アルダン!」と彼の声援。

 

 

 この声援はパドックから聞こえるどんな応援よりも私の力になりました。

 

 

 

 

□■□■

 

 

 

 俺はアルダンに応援を送り、そして関係者通路を辿って観覧席へ来た。関係者のみの席であるため、そこは比較的空いてはいるが、一般観覧席は既に満員といっても良いほど人が詰めかけている。

 

「あっ!こっちですよーアルダンのトレーナーさん!」

 

 声をかけられた方に視線を向けるとメジロパーマーの姿。そして並ぶようにしてマックイーンやライアン、ドーベルといったメジロ家のウマ娘達が並んでいる。ラモーヌの姿だけは見えなかった。

 

「…皆応援に?」

「勿論です!アルダンさんの三冠がかかっているんですから!メジロ家一行で応援ですよ!」

 

 パーマーの後ろにいたライアンがガッツポーズをして元気な声。こうやって思うと本当にメジロ家は仲が良いな、なんて思ってしまう。

 

 この家族の仲の良さは自分は両親から脚における同情の視線が耐えられず、そして逃げるようにして一人暮らしをしたため、眩しく見えてしまった。

 

「ありがとうな、皆。皆の応援はきっとアルダンの力になるはずだよ」

「何言ってるんですか!トレーナーさんも応援するんですよ!」

「はは、勿論だよ」

 

 少しだけ叱責されるようにライアンに言われてしまう。本当に仲が良くて羨ましいことである。

 

「…トレーナーさん、アルダンさんの…ラモーヌさんへの思いは聞いた?」

 

 パーマーが視線を伏せながら尋ねてくる。

 

「……あぁ、聞いたよ。アルダンはラモーヌを超えたいって…」

「うん…それはそうなんだ。でも…アルダンさんにはアルダンさんの走りをして欲しいんだ。ラモーヌさんが凄いのは勿論そうなんだけど…アルダンさんが無茶をしないか心配なんだ」

 

 そう告げるパーマーの視線は揺れており、他のメジロのウマ娘も同様であった。それほどにアルダンはラモーヌへの憧れや畏怖、いやそれらで片付けられないほどの想いを抱いているのだろう。

 

「最近のアルダンは変だったのか?」

「…変、というより気合が入りすぎている、かな。まるで全てを捧げてもいいって感じで。前はメジロ家でお茶会とかもしてたんだけど、それもあんまり参加しなくて…」

 

 彼女がトレーニングを増やしたがっている理由については想像がついていたが、やはりそうだった。アルダンは一人で気負っており、そしてラモーヌを超えようと”意気込み”すぎている。俺があの星空の下で話したのが原因だと思うと、過去のキズが少し疼くのを感じてしまった。

 

 しかし、既に止めることのできない歯車。もう回り始めたそれを止めることはできず、ただ祈るしかない。俺は安心させるようにパーマーの頭に手を置いて

 

「大丈夫、きっとアルダンは勝って帰ってくるよ」

「…うん、そうだよね」

 

 パーマーの瞳に少しだけ光が戻ってくる。月並みの言葉かもしれないが、今自分に出来ることはこれぐらいだろう。

 

「そういえば、ラモーヌは?」

「ラモーヌさんは何処かで見てるって聞いてるけど…そういえばどこなんだろ?」

 

 メジロ家一行で集まっていても一番の相手が居ないのは少し残念である。どこかで見ているとのことだが…今は気にしても仕方ない。これだけメジロ家で仲が良いのだ。その妹の戦いをあの姉ならば見に来るはずだろう。

 

 

「よし!皆で声を出して応援しますか!」

 

 

 俺はメジロ家一行の方に視線を向けた後、パドックにいるアルダンに対して大きな声を掛ける。

 

 

 

「アルダーーン!がんばれー!!」

 

 

 

 

 

□■□■

 

 

 

 

 

 パドックへ辿り着くとそこには既に多くのウマ娘達が揃いつつありました。私も壇上へ上がると、呼ぶ声に手を振って応えていきます。

 

「アルダンさん」

 

 隣から聞こえてくる少し低めの女性の声、其方に振り向けばヤエノさんがいらっしゃいました。

 

「ヤエノさん、気合は十分そうですね」

「そういうアルダンさんこそ。…チヨノオーさんからのLANEは見られました?」

「勿論、リハビリが順調ともお聞きいたしました」

「……チヨノオーさんは近々戻られるでしょう。尚の事負けられません」

 

 彼女のその闘志を宿した瞳。それはまるでこの場にいる全てのウマ娘を飲み込まんとするほどでした。ですが、それは私も同じです。彼女が帰ってくるのであれば、それまでに私はより強くなり、彼女を待ちたいと思いました。

 

「ヤエノさん、それは私も同じですよ」

「─────それならばよかったです。チヨノオーさんが帰ってくるまでに情けない走りはできませんから」

 

 チヨノオーさん、彼女もきっとこのレースを見ていることでしょう。足のケガをし、入院した時のもどかしさは私もよく分かります。だからこそ、情けない走りを見せて彼女を失望させるわけにはいきませんでした。

 

「そうですね…チヨノオーさんもきっと見ていることでしょう」

「……私はもうこれ以上負けられません。それではお先に失礼いたします」

 

 一度ヤエノさんは顔を伏せ、ゆっくりと顔を上げた後に私から離れていく。そう、負けられないのは皆同じ。地球が崩壊しようとしなかろうとクラシックは一生に一度だけ。このクラシックに力を入れているのは私だけではありません。

 

 菊花賞の熱気は例年以上となっています。だからこそ、負けたくなかった。あの限界を再び超え、私だけの”今”を輝かせるために、絶対に負けられませんでした。

 

 この歓声による熱気。私の中で燻っている火が少しずつ大きな炎へと変わっていくのを感じます。その炎は私にとってとても熱く、そして心地よくも感じました。

 

 

 パドックから離れ、私たちはゲートへ連れられて行きます。1人1人、ゲートの中に入り、がちゃん、と音を立てて閉められる。ここまで来てしまえば、もう後は前を向いてただ走るのみ。

 

「ふぅ…」

 

 1つ息を吐いていく。自分の中で燃え上がる炎が、今か今かと揺らめき、そして早く燃え上がらせろと言っているようにも見えました。

 

 今日の番号は9番、真ん中からのスタート。私は走る体制を整え、そしてゲートが開かれるのを待ちます。他のウマ娘もゲートの中に入り──────

 

 

 がたんっ!

 

 

 大きな音を立てて開けば目の前は緑一色のターフ、そして一気に私は前へ出るようにして走り出しました。

 

【スタートしました。まずまずの走り出し。注目ウマ娘、2冠を取りましたメジロアルダンはやや前方を走っております。一番正面はメイカンボール、1バ身離れてツバキロード、その後ろにメジロアルダンがついています】

 

 少々早めのペース。ですが、あくまでこれは最初の有利を取りたいがために早くなっているだけ。まずはこの3番目にて様子を見ていきましょう。この場所で走れたのは中々の好スタートだと思います。

 

【さぁ、坂下を下っていき、中団はベータノックス、内にはヤエノムテキが潜む形で走っております。7、8番手でしょうか。その後ろ外側にはスーパークリークが走っております】

 

 視線を少しだけ背後に向ける。トレーナーさんと話した通り中団の方は固まっており、私の走る前目の固まり。そしてその後ろにはヤエノさんがいる固まりとクリークさんが先頭となっている3つの固まりで走っています。

 確かにこれは後ろ方面で走っている場合は、一度大きく抜け出さなければ前に出ることは難しいでしょう。

 

【正面スタンドを前にウマ娘達が走ってまいります。外側にはディカートシーが走っており、最後方にはストロングローズ。緑のターフの上を走るウマ娘一同、多くの観衆の前を通り過ぎていきました。1000mを通過です。これは中々なスローペースとなっております】

 

 走っていて分かりました。確かにこれは逃げのウマ娘がいないことによるスローペース。そうであれば前の方に付けたのは作戦通りとなっています。このままのペースを維持し、そして最後に力を出せば勝てる…はず。いえ、慢心は負けの元。3000mという長い中でどのように仕掛けてくるかはまだ分かりません。

 

【第一コーナーを曲がっていきます。各ウマ娘達を振り返っていきましょう。一番前はメイカンボール、1バ身離れてツバキロード、そして並ぶようにしてメジロアルダンとベータノックス。メジロアルダンは外に位置しております。中団のウマ娘達が重なるようにして大きな固まりとなってきました。】

 

 大体これで2000mを通過。先ほどまで離れていた固まりは1つの大きな固まりとなっていました。私の背後にはヤエノさん、そして更に後ろにクリークさんが位置しています。まだこの距離は走ったことのある距離、少し疲れ始めていますが、まだ脚の余裕はしっかりと持っていました。

 

【ヤエノムテキが少々上がってきて、ディカートシーに迫っております。スーパークリークは内側に付き良い位置をとっております。外からはシグナルパリも上がってきている。人気のウマ娘達は5,6番で固まり始めております。第4コーナーを曲がって各ウマ娘達が上がり始めました!】

 

 少しずつ早くなるスピード。最後のコーナーを曲がり、そして最終直線。この瞬間、今溜めていた力を一気に吐き出し、そしてあの限界を超えてみせます!

 

【ヤエノムテキが後方から上がってくる!メジロアルダンも上がっているが…内からスーパークリーク!スーパークリークが内から迫るように上がってきた!】

 

 視線をコースの内側に向ければそこには既にクリークさんの姿。クリークさんの姿は汗を殆どかいておらず、そして貯めた力を一気に放出していました。

 

 

 その力は私を超えるほど力強く、そして1つの確信へと至ってしまいます。

 

 

 

 

 このままでは────────負ける

 

 

 

 

 

【スーパークリーク先頭!スーパークリーク先頭!メイカンボールとツバキロードを抜き去り、メジロアルダン、そしてヤエノムテキも追うが追いつかない!】

 

 

 

 

 

 

 

 

 違う!まだ、まだあの限界を超えていない!

 

 

 

 

 

 

 

 パキッ

 

 

 

 

 

 

 

 この音

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞こえた!

 

 

 

 

 

 

 

 パキッ

 

 

 

 

 

 

 

 来る!あの限界を超えた”今”が!

 これを超えれば私は姉様を超えることができ、そしてトレーナーさんの憧れになれる!

 

 

 

 

 

 

 ここで私は終われない!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パキッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────パキィィィン!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 来た!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 えっ…?

 

 

 

 

 

 足が前に

 

 

 

 

 出ません

 

 

 

 

 

 これは─────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガラスの割れた音?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【メジロアルダン転倒!メジロアルダン転倒!これは大丈夫か!?場内騒然としております!他のウマ娘達に幸い巻き込まれませんでしたが、転倒いたしました!】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はそのまま前のめりに倒れてしまい、そして顔を上げれば既に追いつかないほど全ての背中が離れていきました。

 

 

 

 どうして?

 

 

 

 なぜ走っていないの?

 

 

 

 

 右足を立てて起こそうとするとそこに走る強い痛み

 

 

 

 

 

 

 

 見たくなかった

 

 

 見てしまえば現実から目を逸らせなくなるから

 

 

 聞きたくなかった

 

 

 聞いてしまえばその音は何度でも繰り返されてしまうから

 

 

 触りたくなかった

 

 

 触ってしまえばよりそのガラスの脚が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砕けたことを感じてしまうから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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