3年後に世界が滅ぶと知ったメジロアルダンとトレーナー 作:ポンタ4
夢を見ていた。
彼女の脚が壊れ、そして俺は彼女のために走ったあの時の夢だ。彼女に酷なことを強いてしまったことは今でも分かっている。だけど今ではあの選択は間違ってないと言いたい。
もしかしたら他の選択肢があったのかもしれない。だけどあの選択は俺にとって今でも最良だと思っている。こんな夢を見るなんて余程あのことが俺にとっては大きな人生の転換点だったのだろう。
森の中で心地よい風と、自分の瞳に当たる光に少しだけ顔を背けようとする。なんだか頭に当たる感触が柔らかい。確か俺は座りながら寝ていたはず。まるで今この体勢は横になっている感じだ。
ゆっくりと目を開けていくと俺の視界に広がる白いフリルブラウスの胸元。そしてその奥にはアルダンの顔と、彼女の視線の先にはスケッチブックが伸びていた。
あぁ、なるほど。これはつまり膝枕を俺はされているのだろう。彼女と2人で一緒に肩を寄せ合って寝ていたのだが、彼女の方が先に起きては俺が良く寝れるように気を遣ってくれたのだ。
今の時間は何時だろうか、もぞもぞ、と胸ポケットにしまった懐中時計を取り出そうとすると彼女は視線を此方に向けては笑顔を浮かべてくれた。
「おはようございます、トレーナーさん」
「ん…おはよう…俺結構寝てた…?」
「そうですね………今は3時ですよ。あれから1時間と…30分ですね」
彼女はスカートのポケットから取り出した懐中時計。俺と同じ大きさであり淡いゴールドの色をしている。それは俺のと違って蓋は付いておらず、そしてギリシャ数字が描かれたもの。彼女はそれを眺めた後に答えてくれる。
そうか、1時間と半分ほど寝てしまっている。つまり残りは6時間あるのだ。思っていたより寝ていなかったことに少しだけ安堵をする。
地球最後の日に彼女の顔を見れず、そのまま眠りこけて死んでしまうなんて情けない話は流石に俺としても嫌だった。
後頭部に伝わる彼女の太腿の柔らかい感触。そして日が当たっているのがとても暖かく感じ、このままでいるとまた眠ってしまいそうになる。
ゆっくりと体を起こして彼女の太腿から頭を離していくと、彼女は起き上がりやすいように体を逸らしてくれた。
「あら、起きてしまうんですか?もう少し堪能してくださってもいいんですよ?」
「いや…さすがに二度寝しそうだから止めとく…」
「ふふっ、それだけ心地よかったということですね」
俺は眠気を覚ますために目元を擦っていると彼女はその様子を見て表情を和らげていく。少しだけ揶揄い気味の彼女、そう言われてしまうとやり返したくなってしまう。
「心地よかったよ。今度は俺がしようか?」
「良いのですか?では素敵な夢の世界にご案内して頂きますね」
「えっ」
揶揄ってくるアルダンに揶揄い返そうかと思ったらまさかの反撃が帰ってきてしまった。彼女はスケッチブックと鉛筆を前のある机の上に置いては、俺の膝元に体を倒し、そのまま膝枕の体制へ。顔を下に向けるとにっこりと嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「確かにこれは良いものですね。トレーナーさんが夢の世界に入ってしまうのも頷けます」
「…楽しんでるね?」
「えぇ、楽しんでいますよ。だってトレーナーさんは普段してくれませんから」
口元に手を持ってきてはその笑みを隠すようにしてアルダンは楽しそうにしていた。確かに普段は膝枕なんてしないため、こうやってすると妙な距離感の近さに少しだけどぎまぎしそうだ。彼女は少し擦り寄る様にして、頭を動かされると少しだけくすぐったい。
上から見下ろす彼女の顔は無邪気な子供のようで微笑ましかった。このままこの時が無限に続いてしまえばいいのにと思ってしまうほどだ。
そういえばアルダンは何を書いていたのだろうか。俺は体を前のめりにして彼女が置いたスケッチブックに手を伸ばしていく。ぱらぱら、と開いていくと一番最後に描かれた絵を見つける。それは彼女がベンチに座り、俺とラモーヌの走りのものだった。
しかし、少しこの絵には違和感があった。そう、俺がラモーヌの隣に並んで走っている。明らかにあり得ない光景だった。
「アルダンは…あのレースを描いたのか。…俺速すぎないか?」
「そうですか?私にとってはそれだけトレーナーさんの輝きが眩しかったんですよ」
「……半分人を止めてるよね、もしラモーヌに追いついていたら」
「それでしたら、トレーナーさんはウマ娘ならぬウマ…男?なのかもしれませんね。私と同じ耳と尻尾を生やして…」
「ストップストップ」
アルダンはあれやこれやと考え始めてしまう。彼女は普段から劇や本など芸術作品に携わっているため、こういう創作に関してはとても豊かなのだ。それにしてもウマ男、か。仮にそうなら俺はどんなレースに走っていたのだろうか、と一瞬脳裏を過ぎるもすぐに取っ払う。
「まぁ、それだけ俺のあの走りが君に影響したなら良かったよ」
「はい…それだけ私にとってとても思い出深いものでした。トレーナーさん、少し手を貸してくださりますか?」
彼女からのお願い。片手だけで良いのだろうかと思い、スケッチブックを持っていない手を彼女の元にもっていくと、ふるふると顔を左右に振ってきた。どうやら違うようなので俺はそのスケッチブックを自分の右側に置き、両手を彼女に差し出す。
差し出した両手はアルダンの両手で包まれていき、彼女の体温によって暖められる。病院で感じたあの冷たさとは違い、しっかりと血液が通い、暖かな体温。俺のごつごつとした指とは正反対の細く、すらりとした綺麗な指が絡まってくる。
俺はそれに指を絡ませ返し、お互いの掌が密着していった。この体温を感じるたびに胸の中が火で灯されたように暖かくなる。
「私はトレーナーさん、貴方のおかげでこうやって生きてこれました。貴方がいたから私はあの時にまた走りが好きだと気づけました」
「俺もだよ。君のおかげで俺は走りがまた好きになれたんだ」
彼女の薄い青紫色、その宝石のような瞳を見つめていく。この戯れが彼女にとっては嬉しいらしく、何度も絡めた指をにぎにぎ、と力を込めたり抜いたりを繰り返していた。
俺は彼女の覚悟によって人生を変えられ、そして彼女は俺の覚悟によって同じように変えられた。一心同体というのはこれを指すのかもしれない。
あの病院で感じたアルダンの体温はとても冷たく、今にでも消えて無くなりそうだった。しかし、今は彼女の暖かな体温が感じられる。この体温は木々の間から差し込まれる太陽の熱より俺の心を豊かにしてくれる。
アルダンが指の絡めを右手だけ解き、そして俺の左手を今度は彼女自身の左頬に持っていってしまう。すり、とまた彼女が俺の掌に擦り寄り、手の甲側には彼女の右手。挟まれてしまった。自分の掌は彼女の体温より熱くなってしまうのを感じる。
「ふふっ、手が熱いですよ、トレーナーさん」
「……そ、そろそろ絵を描こうかなっ…」
「では、このまま描いてくださりますか?」
「両手を離してくれないと流石に描けないね…?」
そうでした、と彼女はわざとらしく驚いた表情をするが、離す気配は全くない。彼女は俺を見つめたまま、少しだけ力を込めてまるで離れたくないように意思表示をしてきた。
「今日は…やけに悪戯っ子だね」
「それはもう…最後の日なんですから。メジロ家のメジロアルダンとして、貴方を揶揄いたいメジロアルダンとして、そして貴方の事が大好きなメジロアルダンとして見て欲しいのです」
そう言われてしまうと俺も何も言い返せなくなってしまう。事実、俺も彼女の体温を感じたいため、離してしまうのは名残惜しさもあった。とはいえ、このまま戯れてしまうと本当にずっとしてしまいそうになる。
だけど、もう少しくらいなら良いだろうか。まだ時間はある。この彼女の体温に身を預けて、まだ戯れに興じても良いかもしれない。
と、思っていたのだが、彼女はぱっと手を離し、俺は両手から感触が無くなる。ふふっ、とアルダンはまた楽しそうにしており
「これ以上してしまうと本当に長くなりそうですので…一旦は我慢いたしますね。トレーナーさんは何を描かれますか?」
「あ、あぁ…そうだな、俺は────」
彼女の我慢という言葉が少し気になってしまったが、一旦は気にしないでおこう。俺は自分のスケッチブックを手に取り、そして開いていく。下から人に見られながら描くのは初めてだが、その内慣れるだろう。
俺はそのスケッチブックに彼女との思い出を描き始めた
□■□■□■
「もう一度言って欲しい、アルダン。レースに戻るだって?」
「はい、あの世界にもう一度戻るつもりです」
メジロ邸
トレーナーさんの意志を見せて頂き、そして私は走る事が好きだと気づけました。未だこの脚は治っておらず、そしてリハビリも終えていない。しかし、まずはリハビリやレースに戻る前に私の事を心配してくださっている両親の説得が必要でした。
あの姉様とトレーナーさんのレースから一週間後、忙しい両親に時間を空けてもらい、いま面談をしております。私とトレーナーさんは白いソファーに座り、そしてその対面に私の両親。私の背後にはばあやが立っており、周りにはお付きの執事やメイドで囲まれていました。
トレーナーさんは緊張しているのか上半身をぴんっ、と伸ばしていました。しかし、緊張しているとはいえしっかりと視線は私の両親へ向いており、何を言われても怖気づく気はないという佇まい。そんな彼の姿は私にとってはとても頼もしく見えてしまいます。
「アルダン、良いかね。まだ脚も治っていないどころか、そもそも治っても走れるかどうかも分からないんだぞ。それでも…レースに戻ると?」
「はい」
お父様からの言葉に私は力強く頷いていきます。私は今を輝かせたく、レースへ戻りたいと考えていました。ですが、その光はまた陰りゆく日々。その陰りゆく日々にトレーナーさんが光を灯してくださりました。だからこそ、この最後とも言える光を大事にしていき、そしてトレーナーさんと共に歩みたいと。この選択はとても辛く、そして地獄とも言えるでしょう。
その地獄を彼は一緒に歩んでくれる。地獄でも私は構わなかった。それだけ私は走る事が好きで、そして彼に感化されてしまったのだから。
「…良い?アルダン、よく聞いて。貴方は体が弱くて、大きな怪我をしたばかりなの。今度走れば本当に脚だけではすまないかもしれないのよ。それでも…戻るというの…?」
「はい」
お母様の心配する心情はとても分かります。仮に走らなければ残り1年を私と共に過ごせる。しかし、走りの世界に戻れば今度はまた死闘の日々。今度は脚だけではすまない怪我になる可能性も考えられますでしょう。
ですが、そうならないために私にはトレーナーさんがいます。彼が支えてくださると言ってくださりました。苦しい時、辛い時、悲しい時、それら全てを支えてくださると。それだけで私はまた前を向いて走ることができます。
「…トレーナー君、君に聞きたいことがある」
お父様はトレーナーさんへ視線を向けていきました。その視線は今にでも噛みつきそうな瞳であるも、どこか憂いを含んだ眼差しにも見えました。
「…娘をもう二度と壊さないと、走れるようになると、見捨てないと今ここで誓えるかね?」
「誓います。例えどんなことがあろうと私は彼女を支え続けます」
普段では聞かないトレーナーさんの敬語。トレーナーさんの言葉を聞いてしまえば自然と頬が緩んで嬉しくなってしまいそうになりますが、今は真面目なお話です。ちらり、と彼に視線を向けるとお父様の視線に対して彼は怯むことなく、誠実なものを返していました。
お母様はトレーナーさんの言葉を聞くとやはり、困っているように眉を下げては1つ溜め息。それもそうでしょう。あのケガの後から両親とトレーナーさんの仲はあまり良くなく、むしろ険悪に近いほどでした。この場を設けれただけでも奇跡に近いものです。
「その根拠はどこにあるというのか。壊さないと言える根拠、君のようなトレーナーが見捨てないと言える根拠を出してくれ」
「私は彼女の走りが好きです。私自身も…元は走りを生業としていた選手でした。ですが彼女に会い、また走る事が好きになれました。彼女の頑張る姿、勝った時の姿、トレーニングに励む姿全てが好きです。彼女がまた走れるように最善を尽くします。そして壊れても見捨てないと……今ここでもう一度誓います」
はい、言質頂きました。両親は目を見開いてはお互いに見合っており、周囲にいる執事やメイドも流石にざわつき始めております。
これを隣で聞かされているので頬が熱くなるのを感じてしまいます。また、ちらりと彼に視線を向けると真剣そのものでした。
「…アルダンは元々双子で、片方が死産しているのは知っているわね?」
「はい」
今度はお母様からトレーナーさんに声をかけていく。先ほどまで驚きの表情でしたが、今度は彼を見定めていくように言葉を続けていきます。
「私達両親は娘を大事に想っています。脚を骨折したと聞いた時に貴方を面会拒否にしたのは、貴方が死に追いやっていると思い、そのような対応をいたしました」
「……心中お察しします」
「だからこそ、今回またレースに戻るというのは、今度こそ本当に死んでしまうかもしれない。それが付きまとい続けるの」
「……」
トレーナーさんが下唇を噛みしめていくのが見えました。お母様の言いたいことは分かります。そもそもトレーナーさんと会う前に私がレースをすること自体を反対しており、そして今回の結果となりました。
お母様の心情を考えれば、そもそもまたレースに戻る事態が無謀なのです。いくら覚悟を示せても納得できない部分があるのも私には理解できました。お父様は私の問題、お母様は私の両親、つまり2人の問題についてどう回答が欲しいのかを聞いているのでしょう。
「アルダンのしたいようにして欲しいのは当然よ。アルダンがレースに走り、そして勝ってくれるのは私達…いえ、メジロとしても嬉しい事。でも、それ以上にまたケガをしないか、取り返しが付かない事が起きないかを恐れないといけない。それはどう考えているの?」
「恐ろしいという感情は私自身も同様です。だからこそ細心の注意を払い、彼女を支えたいと思っています」
そう告げるとトレーナーさんは「失礼します」と告げてはバッグの中身を漁っていきました。そこから取り出したのはいつもトレーニングに使っているタブレット。そのタブレットの電源を付けては正面のテーブルの上に置いていく。
「これはアルダンの走るまでのリハビリも加味して考えたトレーニング内容になります。脚の負荷をかけても良い段階やそのリハビリにおける日程なども全てまとめています」
私もそのタブレットに視線を移していきます。リハビリ開始は今から約4か月後の3月後半から開始となっていました。リハビリの内容は脚に負荷をかけるまでの調整段階、脚に負荷をかけないかつトレーニングが可能な方法。また、それ以外にも脚の柔軟性を上げてはどう早くなれるのかを細かくまとめていました。
「トレーニングはいつも上手くとは限りません。いつでも柔軟に変えられるようにトレーニング内容にポイントを付けています。」
「…」
「その…つまりトレーニングの負荷をポイントで可視化いたしました。普段のトレーニングでも注意を払っていますが、これを使用することで彼女の体調を考慮して考えることもできます」
お母様もウマ娘であるため、どうやらそのタブレットの内容を興味津々で眺めておりました。対する父親はあまり分からないのか困り顔。トレーナーさんは淡々とお母様にどのようなトレーニングをしていくのか、それをどう活用するのかを細かく一通り説明していきます。
「これは私自身走りを生業としていた人間であるため、出来たことになります。アルダンさんから何かあればその度に変更を加え、最適なトレーニングを組み、そして彼女を導いていきます」
「……貴方のエゴではなく?」
「はっきり言えばエゴです。ですが、私は彼女と誓い合いました。必ず支え合うと。辛い事も悲しい事も全て何事においても一緒に支え合い、一緒に前を向いて進むと。彼女は私の光であり、その光を支えたいと思うのはエゴでしょうか?」
「…ふふっ、なるほどね。アルダン」
お母様が口元を緩めていきました。私に視線を向け、トレーナーさんと話していたような厳しいものではなく、柔和なものとなっていました。その瞳はまるで私が離れていくことを寂しそうに見え、そしてトレーナーさん自身を認めているようにも見えてしまいます。
「良いトレーナーさんね」
「はい、私の唯一無二のトレーナーさんです」
トレーナーさんはそれを聞くと此方を向いては嬉しそうに笑顔を浮かべていました。そして頬が少し赤くなっているのも見えます。唯一無二のトレーナー、それは私の本心であり、それだけ私はトレーナーさんの事を信頼していました。
だからこそ、また付いていきたいと支えたいと思いました。今ここで両親から駄目とされても、無理矢理レースに参加しようと思うくらい私は意気込んでいます。それほどに私はトレーナーさんを心から慕っています。
「トレーナーさん、私は元々レースにも走っていた身です。その過酷さ、勝てないことの辛さはよく分かります。そして勝てばその重圧がのしかかることも。多くを走り、私は勝てないことばかりでした」
お母様は昔レースを走っていたことは知っていました。それもかなり多く走っていましたが、結果としては殆ど振るわず、重賞も勝てていないことを私は知っています。ですが、私はお母様がレースを走っていたからこそ、その過酷さを娘に味わわせたくないのも理解できました。
「その辛さについては私はよく分かっています。だからこそ…体の弱いアルダンをレースに行かせたくなかった…」
「……」
トレーナーさんはお母様の瞳を見つめ、その話を聞いていました。戦績の振るわないウマ娘が最後にはレースから引退しても輝かしい栄光ではないことも、そして中にはトレセン学園から転校してしまう子もいることを知っています。
元々レースは勝負の場所。あるのは勝ったか負けたか、その二つしかありません。掲示板入りも悪い事ではありません。ですがそれは勝ったとはいえず、元より1着以外は注目のされない世界でした。
だからこそ、走るウマ娘は皆1着を目指しています。誰よりも輝き、そして誰よりも注目されるために。お母様はその誰よりも注目されるウマ娘ではございませんでした。
「…私はアルダンのレースを…ラモーヌのレースを全て見ているわ。大事な娘だもの。それに…ウマ娘として走りが気になってしまうから。だからこそ……だからこそ、菊花賞のレースはとても辛かった」
私の脚が故障したあのレース。全てのウマ娘からすれば目を背けてしまいたいほどのもの。
「………また壊れて…そして今度は取り返しが付かない…。それでも、それでも娘を…アルダンをあの世界に貴方は戻すというのですね?」
「はい」
トレーナーさんの力強い言葉。お母様は見定めている。トレーナーさんの覚悟を。
「1つ、必ずこれだけは誓ってください。娘を笑顔にできますか?勝てなくても、勝てても必ず笑顔にすると誓えますか?」
「誓います。必ず笑顔にすると。アルダンさんが辛い事があろうと、苦しいことがあろうと、どんなことでも必ず私が支え、笑顔にします」
トレーナーさんはただお母様を見据え、視線を逸らすことなく誓いを告げる。それを告げては数秒後、先程まで眉間に皺を寄せていたお母様の表情が和らいでいきました。その表情は彼の覚悟を認めたようにも見えました。
「…貴方のお気持ちはよく分かりました。アルダンをお願いいたします」
「いいのか?」
「えぇ、ここまで言われてしまえばもう引けませんもの。それに……アルダンの表情を見て?既に嬉しそうにしていますもの」
「…ははっ、そうだな……」
私はお母様に言われ、驚いてしまう。自分の表情がそんなに緩んでいるとは思ってもいませんでした。背後にいるばあやから小さな声で「緩んでいますよ、アルダンお嬢様」と言われてしまうと初めて自覚してしまう。確かに私の口角はいつもより大きく、そして頬が緩んでいるのも感じました。
トレーナーさんが此方を向くと少し困った様子で笑っている。そんなに顔に出ていたのでしょうか。少し恥ずかしいです。
お父様は少し顔を伏せては寂しそうにしては、トレーナーさんに頭を下げていきました。お母様もそれに合わせて頭を下げていく。
「トレーナー君、娘を、アルダンが後悔しない人生に導いてくれ」
「はい、必ず」
顔を上げたお父様は頬を緩ませ、先程の険悪なものは無くなっていました。トレーナーさんはタブレットをしまい、そして私の方に視線を向けては肩を下げて少し疲れたような表情。両親の説得についてはなんとかなりました。今度は行動で見せなければいけません。私が後悔しない人生に行くためにも、そしてトレーナーさん自身のためにも。
私とトレーナーさんは一緒に客間から出ていきました。私はまだ脚のギプスが外れていないため、松葉杖を使い、トレーナーさんは邪魔にならないように少し離れて歩いていました。
ばあやが扉を開けて下さり、中庭へと2人で歩いていく。トレーナーさんはメジロ家御用達の黒い車で一緒に来たため、一旦学園へ送ることになります。私は勿論、脚のケガがまだ芳しくないため、病院へ。
中庭に止めている車にばあやは運転席。そして後部座席に私とトレーナーさんは乗っていきました。外は既に日が暮れ始めており、夜の暗闇で世界が包まれようとしています。
トレーナーさんの方を見ると今回の事は中々堪えたのか、背もたれに体を預けて、顔は車の天井を見上げていました。
「き…きつかった…。断られたらどうしようかと…」
「ふふっ、まずは第一歩ですね。格好良かったですよ。トレーナーさん」
「はは…ありがとう。まだ小さな一歩目だけどね。ここからが踏ん張りどころだよ」
精神的にも疲弊しているトレーナーさん。彼が今回両親を説得するためにも準備したトレーニング内容、そしてこのメジロ邸で話すとなるとその緊張具合は生半可なものではないでしょう。彼の表情からも疲れが見えていました。
「頑張ったトレーナーさんにはご褒美を上げないとですね」
「大丈夫だよ。これくらいは俺自身がやり通さないと駄目だしさ」
私とトレーナーさんのやりとり、バックミラー越しにばあやが少し微笑んでいるのが見えました。
「本当ですよ、トレーナー様。ご両親の説得が出来なければ貴方のご選択も無意味となるところでした」
「ははっ…それはもう…本当に…」
「ですが、アルダンお嬢様の顔もあの頃より笑顔を浮かべることも増えております。貴方様のおかげですよ」
珍しいですね。ばあやは普段あまり人を褒めることはございません。いえ、私やメジロのウマ娘にはありますが、それ以外となると殆ど見たことありませんでした。きっとそれだけばあや自身も彼のことを認めたというわけでしょう。彼は驚くように目を見開いていますが、褒められたことを知って照れくさそうに声が小さくなっていました。
「…ありがとうございます。恐縮です」
「もっと堂々となさってください。アルダンお嬢様のトレーナーとあればそれくらいの威厳や気品は必要ですよ?」
「まぁ、ばあやったら意地悪ですね?」
ばあやの小言、これを言うのは本当に相手を認めた時だけです。やはりそうでした。トレーナーさんの覚悟は周囲の人に伝わっています。そしてチヨノオーさんやヤエノさん、姉様にばあや、私の両親は少なからずとも影響されていました。彼の行動が周囲の人を動かし、そして魅了されていく。
それは私自身もそうでした。
トレセン学園前に車が止まるとトレーナーさんは降りていきました。ばたん、と閉じられ、私は窓を開けて彼に声をかけていきます
「本日は本当にありがとうございました」
「俺の方こそだよ。アルダンが隣にいたから頑張れたしな」
「ふふっ、嬉しい限りです」
ばあやは気を遣ってまだ車を動かそうとしませんでした。
「明日もまたお見舞いに行くよ」
「あら、いいのですか?そんなに沢山来なくても…」
「うーん、それが12月は忙しくなりそうなんだよ。師走は大変って聞くけど、君のレポートに担当が居ないから他のトレーナーのお手伝いとか…あとは備品とか…なんか雑務が振られそうでね」
「それは大変ですね…あまり無茶をなさらないで下さいね?」
「勿論だよ、倒れたらどうしようもないからな。じゃあ…また明日な」
彼はそう言って私に手を振ってさよならの合図。それが少し寂しく感じてしまいますが、私も手を振り返し「また明日」と返していきます。
そして、車が走り出され、小さくなっていく彼の姿。私は見えなくなるまでその姿を見届けていきました。窓を閉じていき、そして夕日を眺めていく。
彼が居なくなり、この夕日の暖かさはどこか物足りなさを感じている私が居ました。明日も来てくれる、それが胸の中で広がれば、体に暖かさも戻りますが……やはりまだ足りませんでした。
この秋空の寒さ故なのか、それとも違う何かなのか。
もし違うものであれば───────とても幸せなことでしょう。