MFゴースト / ZERO   作:マグウェル

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1. FLAT OUT

 

 

 

 

都内オフィス街。

 

 

 

 

 

季節の変わり目...桜咲き誇る、暖かさを感じ始める季節。

 

 

 

スーツ姿でタクシーから降りた一人の中年男性...

 

上有史浩(ジョウユウヒロフミ)はスマホを手にしてとある番号に電話を掛けていた。

 

 

 

 

 

 

 

「もしもし、例の地方自治体への許可の件だけど...住民の反対運動が多くてなかなか進めれれないんだ。よって、当初やる予定よりもコースが減る可能性がある。半分...いや、下手をすると三分の一ぐらいになるかもしれない。」

 

 

 

 

 

そう呟きながらも目の前に合った高層ビルのモニターを見あげるように見るととある宣伝が目に入ってきた...

 

 

 

 

 

 

 

"ストリートレーサーの頂点を決める最高峰のレース、MFGついに開催!"

 

 

 

 

 

 

 

その大きな文字の背景には国を問わない世界各国のスポーツカーがド派手に峠や市街地を爆走する映像が流れている...

 

 

 

 

 

 

 

ついに、ここまで来たか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開催日まではまだ日数があるが、しっかり間に合うのだろうか?

 

 

 

 

 

史浩は湧き上がってくる緊張感を感じながらもそのまま通話を続ける。

 

 

 

 

 

 

 

「ドライバーのエントリー開始は予定通り来月からだ。今回は試験的にプロ、アマ問わずに18歳から30歳のドライバーを世界各国から募集する。あとは...お前の希望に合わせて進めるよ、涼介」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               :

 

 

箱根湯本駅近辺。

 

温泉で有名なこの場所...

どんよりとした曇り空の下で男女一組がいた。

 

青みも感じさせるような綺麗な黒髪ロングの女性は駅の改札へと向かうと男に「待ってくれ!」と止められた。

 

 

 

「俺のこと、置いていかないでくれ...!お前が居ないなんて考えられない、頼むよ!」

 

 

 

男の言葉に女性は足を止めると数秒ほど立ち止まった後にゆっくりと振り向く...今にも零れ落ちそうな涙を瞳に溜めながらも「ごめんなさい」と切り出した。

 

 

 

「気持ちに整理がつかない...一旦帰らせてもらうわ」

 

 

 

そう言いながらも電車に乗り込もうと再び改札の方へと歩き始める女性。男が崩れ落ちるように膝をついた時、ある声が響き渡った。

 

 

 

「カーット!お疲れ様でした!」

 

 

 

その言葉と共に一気に緊張感の糸がプツッと切れるように肩から力が抜ける二人。どうやら、ドラマの撮影だったようだ。裏で控えていたアシスタントが出てきて現場の整理を始めてはちょびヒゲを生やしたふくよかな中年男性...恐らく、この撮影の監督だろう女性に「お疲れ様」と告げながらも歩み寄ってきた。

 

 

 

「流石だね、一発オッケーだよ。あの台本にはなかった間合いの入れ方も絶妙だった...流石は今をときめく女優、黒川あかねだ」

 

 

 

女性の名前は黒川あかね、21歳。

女子大生と兼業で女優活動をしている。

劇団ララライ所属の女優...そのルックスや演技力から今、最も注目されている女優の一人と言っても過言ではない売れっ子女優だ。

監督の絶賛の声に少し照れるように「いや...」と否定から入りつつも目を逸らした。

 

 

 

「私なんて、まだまだです...他の方から学ぶことも色々ありますし」

 

 

 

「そうか、まあ...そういう謙虚な姿勢もキミが人気な秘密の一つだろうね。今後ともよろしく頼むよ?」

 

 

 

「はい、ありがとうございます」

 

 

 

そんな中、緊張の糸が途切れた撮影地点から少し離れた場所に目が向かってしまうあかね。一組の男女カップル...年齢は自分とあまり変わらない。

手を繋ぎながらも幸せそうに会話していた。距離があるのでよくは聞き取れないが、恐らく他愛ない会話をしているのだろう。

 

過去の自分と重なる...いつの間にかずっと目を奪われるように見てしまった。

 

 

 

「黒川さん?大丈夫ですか?」

 

 

 

撮影クルーの一人に声を掛けられてようやく我に返ることができた。

 

 

 

「えっ...?あ、ごめんなさい!大丈夫です」

 

 

 

 

まだ過去を引き摺っている自分に嫌悪しながらも再び撮影を進めていく。

 

 

 

ああ、どこかで発散しないと...そんな思いが彼女の思考を埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               :

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。とある箱根の峠道。

 

 

 

低く辺りに木霊するような独特の重低音ベースのエンジンサウンドを響かせながらも走る1台の青いスポーツカー。

 

スバルBRZ、ZC6型といわれる型式のモデルの後期型だ。

 

 

外観からしてフルノーマル...強いて言うとホイールだけどこのメーカーか分からないような10本スポークタイプのホイールだ。買った時についていたのだろう。

 

 

乗っていたのは黒川あかね...決して速いとは言えない速度で峠道を上がっていく。そのまましばらくすると途中にあった駐車場に着いた...

 

 

適当に空いてる駐車スペースに車を停め、降りると街灯に照らされている自分の車を眺めるように見てしまった。

 

 

 

「この子と付き合うのももう一ヶ月、か...」

 

 

 

思えば一ヶ月前...撮影の関係で免許を取ったはいいものの、しばらくはペーパードライバーだった自分が中古車屋の片隅で野ざらしになっているこの車を見つけたのが始まりだった。

よくある一目惚れと言うのとはちょっと違う...可哀想とも思ったし、自分と重なる部分もあって同情の部分もあった。でも、気になって試乗してみると逆に自分の悩みを全て包み込んでくれるような...そんな感覚の操舵感が気に入って購入を決めた。

 

 

懐かしそうにその時の記憶を思い出しながらも駐車場の片隅にある自販機に足を運ぶと、爆音を響かせながらも2台の車が駐車場に入ってきた。

 

車種はマークXとNCロードスター...

 

あかねのBRZが停まっているスペースの近くに停めるとガラの悪そうな男がそれぞれの車から降りてきた。

 

 

 

 

「なんだよ、しけてんなぁ。今日」

 

 

 

 

「ホント...それっぽいの1台だけか」

 

 

 

見るからに絡むと面倒くさそうな二人組に思わず距離を置くように離れるあかね...しかし、よりにもよって二人組はあかねのBRZにロックオンして近づいてきた。

 

 

 

「ふーん、BRZか...」

 

 

 

「なんだよ、この時間に走ってる癖してノーマルかよ」

 

 

 

そのままマジマジと舐めるように見てくる二人組。

しかし、表情や言葉は完全に上から目線で見下すような評価を下す。

 

 

 

「足回りどころか、マフラーすら変えてねえのか。コイツ」

 

 

 

 

「なんだぁ、このホイール?唯一の社外品っぽいが、量販店で投げ売りされてそうな見た目だ...クソダセえ。スタッドレス用でも履きたくねえ」

 

 

 

 

オーナーがいないと思い込んで一方的に文句を言われる始末。

 

 

もう、この場に居たくない...

 

 

あかねは足早にBRZの方に戻るとガラの悪い二人組は彼女が来ると共に「おぉ!」と目を輝かせた。

 

 

 

「めちゃくちゃ黒川あかねに似てる...!」

 

 

 

「ねえ、お姉さん!この後空いてる?一緒に麓のホテルいかない?」

 

 

 

二人組の誘いに「ごめんなさい、急いでるので」とあしらいつつもBRZに乗り込んで走り出す。

 

なんて失礼な人たち...

 

と思っていると、バックミラーに二台のヘッドライトが見えてきた。さっきのガラの悪い二人組だ...先頭のマークXが自慢の排気量を活かし長い直線で一気に詰めてきた。

 

 

 

「くっ...!」

 

 

 

アクセルを踏み込んで少しでも離そうとするが、ピッタリと後ろに着かれた。それどころか、左右に車体を振って完全に弄ばれてる状態。そのまま最初のコーナーに入る前に追い抜かれた。続いてその後ろにいたNCロードスターにも追い抜かれてしまった。

 

凄い劣等感...走り屋でもない自分だが、あの馬鹿にしたような追い抜き方に悔しいと感じて仕方がない。勝ちたいという意思が彼女の背中を押すと必死に追いかけようと攻め込んでみた。

だが、素人の自分では話にはならない...コーナーでの挙動やブレーキングのタイミングがつかめない。ハンドリングから何まで...気づけば前を走っていた2台との差はかなり開いてしまった。

 

 

ダメ、か....

 

 

諦めようとしたその時。

 

バックミラーが再び何かによって照らされた...

チラリと目線を動かして確認。車のヘッドライトが見える。

 

 

 

「(あれ、こんな車...駐車場に居たかな?)」

 

 

 

記憶を辿って見るが、自分のBRZとあのガラの悪い二人組の2台しかいなかったハズ。となれば、考えられることは一つだけ...先程いた駐車場より上の駐車場...頂上の駐車場から来たのだろう。それも、凄い速さで。

 

 

 

 

「(ウソ...!?信じられない...!!)」

 

 

 

 

コーナーに進入して立ち上がると先程の品のない煽りとは違い、スムーズに追い越してくる。まるで高速道路で登坂車線を走るトラックを追い抜くような感じだ。

その際に相手の車がハッキリと見えた...

白色のスーパーカーのような背の低いクーペボディに特徴的な直線のようなシンプルながらも特徴的なテールランプ。真ん中にはホンダのHのエンブレムマーク...

 

 

 

 

「なに、あの車...!?」

 

 

 

 

そのまま何事もなかったかのように加速してあかねのBRZを突き放すと、先行していたマークXとNCロードスターも纏めて追い抜いて食らい尽くす。

 

 

本当に一瞬の出来事...何が起きたのか理解できないながらもあかねはアクセルを緩めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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翌日、バラエティ番組でのロケに出ることになったあかね...

箱根のオススメスポットを紹介しつつ、自分が出演しているドラマの番宣をするというのが今日の彼女の仕事だ。

 

色々と巡り歩いているうちに最後の一箇所だけになった。

 

 

 

 

「じゃあ、黒川さん。次の一軒、ちょっと離れてるので予定通りロケバスに乗って頂いてもよろしいですか?」

 

 

 

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 

 

小さく頷いてロケバスに乗り込むスタッフとあかね...

ガタンゴトンと揺れる度に昨日の白いホンダ車が脳裏に浮かんで離れない。

 

なんだろう、この感じ...

 

ぼーっとした様子でウィンドウ越しに流れる景色を眺めているとあるの前で目的の店の前に着いた。Bon voyage!(ボンボヤージュ)と仏語混じりに書かれた看板の店...どうやら地元で最近人気のパン屋らしい。

 

 

 

 

「黒川さん、到着したのでスタンバイお願いします!」

 

 

 

 

スタッフからの言葉に応じるように「はい!」と答えると車から降りて準備を始めると撮影班もカメラや音声など準備を始めた。

 

それにしても小麦が焼ける香ばしい香り...

 

思わずクンクンとしてしまうと先程まで何件か食事をしたのにも関わらず、お腹が空いてきた。

 

 

 

 

「黒川さん、撮影始めます!」

 

 

 

「あ、はい!どうぞ」

 

 

 

カメラを回されてから3、2、1...のカウント で撮影スタート。よくあるロケのスタートとして近くまで歩いてきた風に歩を進めながらも店から入る導入からスタート。

 

 

 

 

「さて、最近話題になっているパン屋さんが此方にあるということですが...あちらのお店でしょうか?」

 

 

 

 

事前に読んだロケの台本通りに進めてから中に「こんにちはー」と入ると店内は小洒落た感じの明るい雰囲気。先程、外に漂っていた小麦の焼けた香ばしい香りが強くなっていたのを感じていると店の奥から店主らしき男が出てきた。

 

 

見た目は20代半ばぐらい...コックの格好をしていてやや切れ長な目つきの男性。背は180cmはないが170cm後半ぐらいはありそうだ。

ロケということもあって切れ長な目を出来るだけ和ませた表情を見せながらも「いらっしゃい」と言いながら出迎えてきた。

そこからあかねのロケの進行が再び進み始める。

 

 

 

 

「こちらのお店、地元でもかなりの人気店ということだそうですが...」

 

 

 

「はい、お陰様で県外からも多くのお客様がわざわざ此方まで足を運ばれてます」

 

 

 

 

「そうですか、オススメは...何でしょうか?」

 

 

 

「個人的にはフランスパンですが、お客様に一番人気なのはクロワッサンですね。よろしければ焼き立てのものがあるので...お一つ如何ですか?」

 

 

 

こういうロケのパターンで有りがちな流れでロケを進めていくと店主から焼き立てのクロワッサンを渡されるあかね。「いただきます!」とパクッと一口食べてみる。サクッと丁寧に折り込まれた薄い何層にも重ねられた生地にバターの香り...全てがパーフェクトな一品だ。

 

 

 

 

「おいしい〜!すごいです、これ!」

 

 

 

 

「ありがとうございます。うちは小麦だけじゃなく、水にも拘ってるんです。良かったら裏から特別に見られますか?」

 

 

 

 

店主の台本通りの誘いに「ぜひ、お願いしますっ」と答えるあかね。そのまま外にある店の裏手に案内されるとある光景が目に飛び込んできた。

 

 

ボロボロの軽トラの隣に停められた白い車...スーパーカーのような背の低いルックスにホンダのエンブレム。ナンバーも同じ。

間違いない、昨日の車だ。

思わず車の前で仕事のことを忘れて固まって居るとスタッフから「カーット!」と声が上がり、撮影は一旦中断された。

 

 

 

 

「黒川さん、大丈夫ですか?」

 

 

 

 

「えっ...あ、はいっ。ちょっと疲れたのかもしれません」

 

 

 

誤魔化そうと笑みを浮かんでスタッフに対して答えると、店主の方があかねに歩み寄ってきた。

 

 

 

 

「この車のこと、気になります?古臭い車でしょ...ガソリン車の製造も廃止になるかもしれないっていうこの御時世に。しかも、ヘッドライトはリトラクタブルっていう今の車にはないパカパカ動くやつですから」

 

 

 

 

「いや、そんなことは...この車、なんて言いますか?」

 

 

 

 

あかねの問いかけに店主は服装を軽く整えると車を眺めるように見ながら答えた。

 

 

 

 

「ホンダのNSXです。一番初期型のモデルで...自分なんかよりずっと歳上の車になります。免許取った時からずっと乗ってるんですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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夜、箱根にあるとある賃貸。

 

 

撮影の関係で長期間この部屋を借りているあかね...

彼女らしく整理整頓がなされたこの部屋で彼女は付箋とペンを手に持ち、パソコンを見ながらあることを行っていた...彼女が得意なプロファイリングだ。

 

演技で演じる役柄の背景などについて考えたりする際にも使ったりするのだが、個人相手にするのは久々のことである。何故か無性に気になって仕方がない。

 

 

 

まずは店主の名前から調べる...が、ホームページにも載ってない。否、載ってないというよりかはパンヤルスゴオとかいう明らかに偽名だと分かるような名前だった。別の角度から切り込んでみる。

 

 

生活拠点はどこ?

 

ナビアプリの映像を使って付近に似たような車がないか探す。

 

 

すると、500m以内にそれらしき車が停まってる古い家屋を発見。多分、ここが生活拠点。

 

 

ここからどう調べるか...?

 

 

どんどんちょっとした情報から噛み砕き、それを元に新しい情報を確実に入手し、付箋に書き込んではまた情報を噛み砕いてと繰り返す。

 

 

そして、手に届く範疇の壁が付箋で埋め尽くされた時、名前だけでなく性格や生活環境、経歴なんかも分かった。

 

 

 

五十嵐 一(イガラシハジメ)。

年齢は25歳、血液型はAB型。

出身は神奈川だが幼少期に鹿児島に居た時期がある。

鹿児島在住時の幼少時代、6歳からカートを始めて12歳でジュニアで何度も表彰台に立つ上に5つのコースでコースレコードを樹立。その内の2つは未だに破られていない大記録。

18歳でレーシングチームカタギリのドライバーとして所属。

成績が良かったことから20歳という異例の若さでメーカー直系のチューニングブランドのテストドライバーとしてヘッドハンティングされる....

 

 

輝かし過ぎる順風満帆な経歴だが、23歳以降の詳しい経歴がどう探しても見つからない。

 

 

ここから2年の間に自分の存在を伏せて大きく転職するようなキッカケがあったのだろうか...?

 

 

 

 

「何かあったのかな...?こういう場合は自暴自棄になるような何かしらの原因が...例えば...」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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パン屋、ボンボヤージュ店内。

 

休日ということもあってひっきりなしにパンが売れに売れ、店主のハジメは大忙し。バイトの女の子と協力して次々とパンを焼いては補充していく。

 

 

 

 

 

「すいませーん、クロワッサンの補充まだですか?」

 

 

 

 

「はい、ただいまお持ちしますので...!」

 

 

 

 

客とこんなやり取りを何度したことやら...ため息をつきそうな状態になりながらも無くなったパンたちを次々と補充。土曜日ということもあってか、どんどん売れに売れる。

 

 

 

 

「店長、クロワッサン売り切れです!」

 

 

 

 

「マジかよ、アレだけ仕込んだのに...」

 

 

 

 

「最近、雑誌とかローカルテレビとかでよく取り上げられているからじゃないですか?それに、昨日だって私が学校行ってる間に全国放送のテレビから取材受けてたじゃないですか。しかも、黒川あかねが来てたんですよね!?生で見たかったなぁ...」

 

 

 

 

 

「ほら、ボサッとしてないで手動かせ。メロンパン補充してこい」

 

 

 

 

「はいはい、持ってきまーす」

 

 

 

 

そんなやり取りをしながらも客の入り具合を確認しようと厨房に回ってパンを焼き上げながらも窓越しに列を見ていると見覚えのある黒髪ロングの女性の姿が...髪を束ねていてサングラスと帽子としっかり変装しているようだが、前日に生で会った為にしっかりと覚えている。

 

 

 

 

「あれ、昨日の....?」

 

 

 

 

余程パンが気に入ってくれたのか、わざわざお忍びで来るとは...内心そう思いながらもバイトちゃんに騒がれたらまずいとお忍びの黒川あかねが商品を持ってくる手前でレジ打ちをスッと代わって対応することに。彼女は辺りをキョロキョロと見回してから「あの...!」と切り出すもそこから言いづらいのか、会話を展開しない。

 

 

 

「えっと、どうかしましたか?」

 

 

 

 

ハジメの問いかけに「ハッ!」となって戸惑うも、彼女は「えっと...!」となりながらも切り出した。

 

 

 

 

 

「クロワッサンって、まだ...ありますか?」

 

 

 

 

「あ、ごめんなさい。さっきのお客さんの奴で最後なんです」

 

 

 

 

ハジメの言葉に「そう、ですか...」と答えるあかね。何か言いたげな様子からして他に言いたいことがありそうな雰囲気だが、後ろに他のお客さんもいることもあってそんなに長いやり取りは出来ない。とりあえずレジ打ちをしてお会計まで進める...

 

 

 

 

「えっと、お会計が980円です」

 

 

 

 

1000円札を渡されてそこからお釣りの20円を返す。

これで終わったと思ったハジメは「ありがとうございましたー!」と告げるもついにあかねが「あの...!」と決心したように切り出してきた。

 

 

 

 

「お店終わった後って、時間ありますか...?少しだけお話があります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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営業時間終了後。

バイトちゃんを早めにあげさせたハジメはコック姿のまま、店の裏手で黒川あかねと会って話しをすること。

 

周囲に自分達以外に誰もいないことを確認するとあかねはサングラスと帽子を外して変装を解いていく。それを見ながらもハジメは単刀直入に切り出した。

 

 

 

 

「それで、話って...?昨日の取材で忘れ物したとか?悪いけど、ウチにはないよ。閉店した後の清掃でも出なかったし」

 

 

 

 

そう説明しながらも重いダンボールの荷物を店内へと次々に運び、明日の仕込みに向けた地味な作業を進めるとあかねは「いや、そうじゃないです...」と否定してから答え始めた。

 

 

 

「五十嵐さん...ですよね?店主さんの名前」

 

 

 

 

彼女の口から出てきた自分の名前に内心驚き、ダンボールを運ぶのをピタッと停めると姿勢を軽く整えながらも目線をあかねの方に向けた。

 

 

 

 

「...なんで名前知ってんだ?ここの常連さんですら知らないよ、俺の実名」

 

 

 

 

「ごめんなさい、勝手ながら調べさせて貰いました...昔、モータースポーツ関係でスゴい活躍していたとお聞きしました。」

 

 

 

 

ハジメの目が徐々にお客さんを丁重に扱うというものから、敵意のような物へと変わっていく...あかねは自分が何かしらの地雷を踏んだと察するも、ここまで来たら後には下がれない。というか、ここまで来るのも何となく予想していた。普段気弱で自分の意見を押し通さないあかねが見せた精一杯の我儘...ここから更に我儘を見せる。

 

 

 

 

「もしよろしければ...私にドライビングを教えて下さい!」

 

 

 

 

頭をペコリと下げて見せるもハジメはあかねを否定するように背中を向けた。

 

 

 

 

「悪いけど、ウチの店...そういうサービスはしてないんだ」

 

 

 

 

「タダでとは言いません、可能な限りお店のお手伝いもするので...」

 

 

 

 

「いや、そういう問題じゃないんだ。億単位の金を積まれてもやる気はない...じゃあ、この話はこれで」

 

 

 

 

そう言いながらも店内に戻ろうとするとあかねは大きめの声で静止させようとこう問いかける。

 

 

 

 

 

「あの...!身内の方に何かご不幸とかあったのですか...!?」

 

 

 

 

普段なら絶対に言うことは無いであろう言葉。先程の地雷踏み抜きの時とは違い、今回は勢い余って完全に後のことを考えずに衝動的に言ってしまい、急いで謝ろうとするあかね。それに反し、ハジメのあかねに向ける目は薄らと敵視するものから完全に敵として睨みつけるものになった。

 

 

 

 

「ご、ごめんなさい」

 

 

 

「出てけ...」

 

 

 

 

「本当にごめんなさ」

 

 

 

 

「出てけっつってんだろ!!」

 

 

 

被っていた帽子をあかねの足元に勢いよく投げ捨てるようにするとそのまま裏口から店内に入り、ガチャッと施錠してきた...

 

 

ああ、どうしよう...

 

 

 

申し訳ないという後悔でいっぱいになるあかね...

 

春にしては冷たい空気が彼女の身体を包みこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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翌日、早朝4時。

仕込みをしようとボンボヤージュの店舗に足を運ぶハジメ...

日が出ていないせいか、若干外の冷気を感じつつも裏口から入ろうとすると「おはようございます」と後ろから誰かが話しかけてきた。黒川あかねだ。

 

 

 

 

「あの、昨日はどうもすいませんでした...もう教えて下さいなんて頼まないので、せめてもの気持ちで謝りたくて」

 

 

 

 

「うっせーな、もう来んな。店の準備がある」

 

 

 

 

 

 

 

               ·

 

 

 

 

 

その翌日、早朝4時。

 

 

 

今日も早朝から仕込み作業...欠伸混じりに店舗裏から入ろうとするハジメだったが、今日は裏口から先を越されるような形で黒川あかねと鉢合わせることになった。

 

 

 

 

「おはようございます、五十嵐さん。今日も早いですね」

 

 

 

 

 

「っせーな、準備の邪魔だ。あっちいけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その翌日、夕方6時。

今日は来なかった...ようやく諦めたかと内心思いながらも翌日の仕込みの前準備に入ろうとすると、後ろから足音が聞こえてきた。

 

コレはもしや...?

 

ハジメがゆっくりと顔を振り向くと黒川あかねの姿が。

 

 

 

 

「こんばんは、今日は撮影の関係で夕方から来ましたっ」

 

 

 

 

「知るかよ、んなこと。帰れ帰れ」

 

 

 

いつも通りあしらうように言うも、今回はそう簡単に帰らない。仕込みに必要な材料が入ったダンボールを運び始めたのだ...

 

 

 

 

 

「手伝います」

 

 

 

 

「いや、店のもん勝手に触んなって...!」

 

 

 

 

「確か、あそこまで運べばいいんですよね?」

 

 

 

 

「だから、触んなって...!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1週間後、オートショップ/スパイラル·ゼロ。

 

 

ハジメはジーパンに白いTシャツというラフな格好で自分のNSXのメンテナンスを任せようとこの店に訪れていた。いつものコックの格好ではなく帽子も取っているため、ゆるくパーマを掛けたような茶髪もハッキリと見える。

駐車場に車を停め、中に入ると一人で黙々と作業をする男の姿が...年齢はパッと見アラフォーぐらいの年齢で短く刈り上げられた髪型。やや目つきにカミソリのような性格だった若かりし頃の雰囲気を匂わせている。

 

彼の名前は奥山広也、この店のオーナーだ。

 

 

 

 

「奥山さん、お疲れ様です」

 

 

 

 

「ああ、お疲れ様。新しいホイールはどうだ?」

 

 

 

 

「最高ですよ、デザインも良いですが大きさの割に軽い。タイヤも太いやつ履けるのもあってグリップも増しました。」

 

 

 

 

「そうか、気に入って貰えて何よりだ。今日はデフオイルだったよな?前のと同じでいいか?」

 

 

 

 

「はい、お願いします」

 

 

 

 

そう言うと奥山は「オッケー」と答えて今やっている作業を一旦切り上げ、ハジメからNSXの鍵を受け取る。

チャリンと金属音を響かせつつも車に乗り込み、空いてる作業スペースに移動させると奥山。車から降りると眺めるように見ながらもこんなことを呟いた。

 

 

 

 

「にしても、ここに初めて来て以来ずっと乗ってるよな...このNSX。買い替えとかは考えないのか?」

 

 

 

 

「ええ、なんか愛着湧いちゃって手放すの惜しいんすよね...それに今、良いなと思っても欲しいって思わせるような車なかなか出ないですし」

 

 

 

 

 

「へぇ、そうなのか。新しい方のNSX...NC1だったか?アレとかどうなんだ?」

 

 

 

 

「なんか、違うんですよね...デザイナーがアメリカ人だからってのもあるんですが、NSXというよりかはそれ風の別の車に見えちゃうんですよ。GT-Rとかは丸目四灯のテールデザインを新しくなったR35とかでも伝統的に受け継いでる感じですが、なんかそういうハッキリと分かるような受け継がれ方もしてある印象ないですし...でも、なんだかんだで一番の理由はやっぱり値段でしょうね。しがないのパン屋にはとても買えるような代物じゃありません」

 

 

 

 

 

「そうか、でも...お前のパン屋、最近儲かってるんだろ?」

 

 

 

 

「いえいえ、そこまでですよ。ようやく何不自由なく生活出来るかなってレベルです。奥山さんこそ、昔よりもお客さん増えてるみたいだから従業員の一人ぐらい雇ってもいいんじゃないですか?ウチのパン屋でもバイトの女の子雇ってますよ」

 

 

 

 

「そうだな...今まで仕事にバラつきが出るってので遠ざけてたが、そろそろ優秀な奴を一人ぐらい雇ってもいいかもな」

 

 

 

そうこう会話しながらもNSXをリフターで上げる奥山。彼の背中を見ていてハジメは話そうかどうか悩んでいたことを切り出すことにした。

 

 

 

 

「最近、ウチの店に面倒な奴が来るんですよ。勝手に個人情報調べ上げた上にドラテク教えてくれって言ってきて...」

 

 

 

 

「なんだ、そりゃ?どんな奴だ」

 

 

 

 

「先日、ウチの店にロケで来てたんです。確か、黒川あかね...って言ってたかな?」

 

 

 

 

ハジメの言葉に思わず作業の手を止めて「まじか!?」と驚く奥山。振り向いてハジメの方に歩み寄ってきた。

 

 

 

 

「黒川あかねって、今をときめくあの天才女優の黒川あかね!?なんでお前のところにそんな娘が....!?」

 

 

 

 

「知りませんよ、ていうか...あの娘、そんな有名人だったんですか?」

 

 

 

 

「ああ、今売れに売れてる一番波に乗ってる女優と言っても過言じゃない娘だ。お前こそ、何で知らないんだ?」

 

 

 

 

「俺、最近のテレビ観ないんですよ。ドラマもバラエティもなんか似たようなモンばっかでマンネリ化して...有料サブスクで自分の好きな昔のドラマや映画引っ張りだして観た方が楽しいんです」

 

 

 

 

ハジメの言葉に「そういうもんか」と時代の流れを悟るように呟く奥山。再び作業に入ろうとすると「それで...」と話を少し元に戻そうと切り出し始めた。

 

 

 

 

 

「教えようかどうか悩んでる...ってか?」

 

 

 

 

「まあ、そんな感じ....ですね」

 

 

 

 

「マナミちゃんの事故、もう2年経つだろ...そろそろいいんじゃないか?立ち直るキッカケとして教えてやっても」

 

 

 

 

「でも、それは...なんかアイツのこと忘れちゃいそうで」

 

 

 

 

「気持ちは分かる、でもそこから閉じ籠もって動かないんじゃ故人は偲ぶのは出来ないんじゃないか?」

 

 

 

 

奥山の言葉が自分の心にグサッと刺さった気がするハジメ。そして、それと共にある考えが浮かぶ...そうだ、あえてスパルタで教えて向こうから諦めさせればいいと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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翌日、早朝4時 ボンボヤージュ

 

ハジメが店の裏手から入ろうとすると後ろから「おはようございます」という言葉が聞こえる。黒川あかねだ...もはや日常になり掛けてる。

 

 

 

 

「今日はドラマの撮影がお休みなので、いつもよりも長く居られると思います」

 

 

 

 

ハジメはその言葉を聞きながらも鍵をガチャッと開けるとゆっくりとあかねの方に顔を向けた。

 

 

 

 

「...今日の夜、空いてるか?」

 

 

 

 

「え、は...はいっ。どうかしましたか?」

 

 

 

 

あかねの問いかけに応じるように振り向くとポケットから1枚の紙を取り出して渡す...紙にはどこかの住所が書かれていた。

 

 

 

 

「20時、その場所に現地集合。自分の車を持ってきてくれ...じっくり見てやる」

 

 

 

 

そう言い残して仕込み作業に入ろうと裏口から中に入るハジメ。彼の後ろ姿を見ながらもあかねは「ありがとうございます!」と深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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とある潰れた旅館の駐車場。

 

 

大通りとは離れていて、道沿いの街灯もわずかしか立っていない真っ暗な場所。

 

黒川あかねは愛車のBRZと共にこの場所に訪れた。

 

場所が場所なだけに不安になってきたが、幽霊でも出るんじゃないかという恐怖心も少しある。

 

 

 

 

「騙されちゃったの、かな...」

 

 

 

 

そう呟きながらも帰ろうとエンジンスタートボタンに指を伸ばした時、1台のボロい軽トラが駐車場に入ってくる。

 

ボンボヤージュの軽トラだ。

荷台に色々機材やら何やら積まれている。

 

 

 

 

「悪い、待たせたな」

 

 

 

 

軽トラから降りながらの話しかけてきたハジメに応じるようにあかねもBRZから降りると「いえ」と首を横に振りながらも辺りを見回して疑問に思ったことを問いかけた。

 

 

 

 

「あの、ここは....?」

 

 

 

 

「見ての通り潰れた旅館だよ。噂によるとバブル崩壊後に直ぐに潰れて、そのまま野ざらしになってるらしい。立地が立地だから新しい買い手もつかず、現在の所有者も曖昧になってるような場所だ」

 

 

 

そう言いながらも機材を次々に下ろしていくハジメ...

照明器具や小型発電機、パイロンのようなものまである。

 

そして、全てセットし終えて一斉に明かりを灯した時、この駐車場の全貌が明らかになる。都合の良い具合に車輪止めもない上、野ざらしのわりにはそこそこ綺麗な路面。そして、何よりもいくつもタイヤ痕の跡がついている。

 

 

 

「あの、ひょっとして...」

 

 

 

 

「そう...ここが練習場だ。車はあのBRZか?走らせてくれ、腕を見てやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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パイロンが立てられたジムカーナのような簡易コースでBRZを走らせる黒川あかね。助手席に乗っていたハジメからミスする度に次々と檄が飛んでくる。

 

 

 

 

「違う、カウンターが遅い!」

 

 

 

 

「アクセル開けるのが早い!丁寧に扱え!!」

 

 

 

 

「どれだけパイロン倒せば気が済む!?そういうゲームじゃないぞ!!」

 

 

 

 

厳しい言葉が飛んでくる度に心の中でやや後悔し始めるあかね。何周か走らせてゆっくりと車を止めるもハジメからはため息混じりに厳しい評価が下された。

 

 

 

 

「正直、5段階評価で1.5ぐらいだ。その辺の走り屋モドキの方がまだ上手いよ」

 

 

 

 

「ご、ごめんなさい。この娘が来る前はペーパードライバーだったので...」

 

 

 

 

あかねから出た言葉に「はぁ...!?」と思わず言葉を漏らすハジメ。こんなレベルとは思わなかった...と軽く頭を抱えるようにするとあかねの方から「あの...!」と切り出してきた。

 

 

 

 

「初歩的な...簡単なのから練習出来ますか?」

 

 

 

 

あかねからの提案に「仕方ねえな...」とため息混じりに了承するとパイロンの配置を変えるハジメ。向かい側に一つ、此方側の後方に一つだけ置いてあとは回収すると運転席の方に歩み寄る。

 

 

 

「基本中の基本、サイドターンから練習してもらう。まずは見本見せるから、運転変わってくれ」

 

 

 

そう言って運転席と助手席で入れ替わり、シートべルトを締めてはハンドルを握るハジメ。あかねがシートベルトを締めたのを確認するとブォン!ブォォン!とエンジンを軽く吹かし始めた。

 

 

 

 

「コレ、オートマだから綺麗に決まるか分からないけど...ま、見てくれ」

 

 

 

 

そう言うと共にサイドブレーキを下ろしてMTモードの低速ギアで急発進するBRZ。

 

短いストレートだが、曲がりなりにもスポーツカー...パチッとパドルでシフトアップした頃には充分な速度が乗り、パイロンが迫ってくるのを確認してはキッカケづくりにハンドルを切る。車体の姿勢が一瞬崩れ、Gを感じ始めた段階でブレーキをちょい踏み。サイドブレーキを一気にガッ!と最大限まで上げると後輪が上手くロック。

 

車体はくるり180度回転、そこから軽くカウンターを当てつつもスムーズにアクセル操作で加速させていく。

 

 

 

 

「いいか、コレがサイドターン。アクションものの映画なんかでもよく見るだろ?」

 

 

 

 

そう問いかけながらも車を停めて助手席のあかねを見るとこれまでに無いほど目をキラキラと輝かせていた。

 

 

 

 

「す、すごい...!コレが基本...!?」

 

 

 

 

「あ、あぁ...まあ基本だ。これを身につければ車の荷重移動とか、ドリフトのキッカケづくりにも役立つ。やってみる?」

 

 

 

 

「はいっ!」

 

 

 

 

運転席と助手席で再び後退。

先程のスタート時に後ろにあった方のパイロンに向けて加速していくBRZ。見様見真似でハンドル操作とサイドブレーキを引くも途中で停まってしまった。

 

 

 

 

「ダメだ、速度不足だ。もっと乗せないと」

 

 

 

 

ハジメの言葉を聞いて車のドアポケットからメモとボールペンを取り出し、カキカキと事細かに書き込むあかね。そんな彼女をハジメは不思議そうに見ていた。

 

 

 

 

「お前、変わったやつだな...乗り終えた後にメモる奴はたまに見掛けたが、停車させてその場でメモる奴は初めてみたよ」

 

 

 

 

「えっ、えっと...ダメ、でしたか?」

 

 

 

 

「いや、ダメじゃないさ。ただ、一般的な勉学や仕事と違ってドライビングは身体の感覚で覚える部分も多い。0.1秒を刻むから頭で考える前に身体を動かすんだ。だから、ノートでメモを取る効果もちょっと薄いんだ。全く効果がないわけじゃないが...」

 

 

 

 

「なるほど...」

 

 

 

 

この発言ですらも事細かにメモを取るあかね。思わず苦笑いしそうになるハジメだが、これは彼女なりのルーティンのようなものかもしれないと思うと自然とその行為も受け入れることが出来た。

 

 

 

 

「よし、メモ取ったか?じゃあ、Uターンしてもう一回。」

 

 

 

 

「はいっ」

 

 

 

 

言われた通りにバックで180度ゆっくりとUターン...再び逆側のパイロンを目指して加速するBRZ。だが、今度は後輪が上手くロックしないでそのままパイロンの横を通り過ぎてしまった。

 

 

 

 

「サイドブレーキが甘い。躊躇わず、もっと勢いよく引け」

 

 

 

 

「はいっ!」

 

 

 

 

そこから何度も何度も繰り返す...途中で停まったり、キッカケの操作不足でオーバーランしたり、失敗を何度も何度も重ねる。

 

 

 

気づけば時刻は23時。

ここに集まってから3時間が...準備などの時間も考慮すると2時間近くぶっ続けの状態、ほとんど休憩もしてない。ガソリンのメーターも明らからに減ってる....

 

 

 

 

「なあ、今日はもう終いにしないか?あと1時間で日跨ぐぞ」

 

 

 

 

「いえ、もう少し...もう少しだけお願いします!」

 

 

 

 

単調な練習だが、曲がりなりにもスポーツ走行。普通の人間ならちょっと音をあげるレベル...随分タフな娘だ。店の仕込みの関係でそろそろ帰りたかったハジメだが、その熱意に押されて目線を外に向けながらも「...好きにしろ」と告げるとあかねは嬉しそうに頷いて再び向かい側にあるパイロンに目を向けた。

ブォン!ブォン!と軽く吹かしてから軽くホイールスピンして加速するBRZ。助手席からスピードメーターに目を向けるハジメ...速度は50Km/hほど。悪くない、充分に踏めてる。

 

迫ってくるパイロン、それを見据えるように見るあかねはステアリングを切って最初のキッカケづくりに移行。車体の態勢が崩れた...車内でもGを微かに感じ始めたところでそのままサイドブレーキを上げる。しっかりリアタイヤがロック、停まる気配はない...!

 

 

よし、いけ...!!

 

 

綺麗に180度ターンを決めるBRZ。これだけでも上手く行ったと言えるが、立ち上がるところまでしっかりと決まった。

 

 

 

 

「や、やりました!」

 

 

 

 

嬉しいそうにしながら車を停車させるあかね。手を見ると豆が出来る前兆で所々に赤みを覚えていた。見た目と違って努力の天才だ...ハジメはその姿勢に胸を打たれてしまうと「ふぅ...」と小さく息をついてから決心するように彼女を見た。

 

 

 

 

「....もっと上手くなりたい?」

 

 

 

 

「えっ、はい!もちろん...!」

 

 

 

 

「じゃあ...今後、毎週練習しようか。同じ時間にここで待ってる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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それから二人でドラテクの特訓が始まる。

最初は1週間に1回ほどのペースだったが、何時しか互いの時間が空いたらやるぐらいのペースまでになった。

そのこともあってか、あかねの腕もみるみると上達していく...基礎的なことは一通りこなせるレベルにはなってきてる。

 

彼女の上達にこちらも応じなければ...そう思ったハジメは休みの日の16時という時間に店の裏手であかねと待ち合わせた。

 

 

 

 

「あの、今日の練習は...?」

 

 

 

 

「そのことだが、今日は別プランを考えてる。車出すからついてきてくれ」

 

 

 

 

シェフの格好からグレーのパーカーにジーパンというラフな格好で出てきたハジメはそうあかねに告げてはNSXに乗り込み、走り始める。あかねも「はいっ!」と応じてはBRZに乗り込んで彼の車を追った...

 

日が少しずつ沈んで暗くなり始めた夜道をヘッドライトをつけながら走らせていき、しばらくするとガレージがいくつもある店にたどり着いた...奥山のチューニングショップ、スパイラル·ゼロだ。

車を空いている駐車スペースに停めて降りる二人...あかねはこう言った店に来るのは初めてなのか、興味津々と言った様子で辺りを見回した。

 

 

 

 

「ここは...?」

 

 

 

 

「車のチューニングショップ。ようは改造屋だ、ここに車のアップグレードを任せる」

 

 

 

 

そう説明していると店の中から奥山が出てきた...ハジメの姿はともかく、あかねの姿を見ると「マジ...!?」と驚きの表情を見せた。

 

 

 

 

「ご無沙汰してます、奥山さん」

 

 

 

 

「おまっ、電話では聞いたが本当に連れてくるとはな....!」

 

 

 

 

驚いた表情のまま二人に近づく奥山。そんな彼の方を見たあかねは「こんばんはっ」と挨拶してから軽い自己紹介を切り出した。

 

 

 

 

「黒川あかねです、よろしくお願いします!」

 

 

 

 

「お、奥山広也だ。よろしく。まあ、ここで話すのもなんだ...中に移ろうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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オートショップ、スパイラル·ゼロの商談室。

 

 

白で統一された綺麗な事務所のソファー席に座るハジメとあかね。奥山はその向かい側に座りながらも事前に問い合わせで聞いていた86/BRZのパーツを特集した冊子を用意してテーブルの上に置いた。

 

 

 

 

「今日はまずはお触り程度に色々見てもらうって感じだな」

 

 

 

 

奥山は冊子を手に取るとペラペラとページを捲ると車高調のページにたどり着き、テーブルの上に広げるようにして置いてみせた。隣にいたあかねは興味深そうに冊子を手に取り、ペラペラと捲り始めた。

 

 

 

 

「いっぱいありますね...」

 

 

 

 

「まあ、86とBRZって車自体が人気あるから、こういうアフターパーツがいっぱいあるんだ。今時の車でこんなに揃ってる車は他にないと思う」

 

 

 

 

ハジメの言葉に「へぇ...」と呟きながらも素早くメモとペンを取り出しカキカキと書き進めるあかね。奥山が「何してるんだ?」と言わないばかりの表情で彼女を見る中、ハジメは苦笑いしながらも彼女のフォローに入る。

 

 

 

 

「コイツ、結構マメな性格で覚えたいことはメモ取らないと気が済まないんですよ。まあ、ルーティンのようなものだと思って頂ければ」

 

 

 

 

 

「そ、そういうもんか」

 

 

 

 

奥山が何となく察しがついていたところでふとあかねの方を見るハジメ...「うぅ〜....」と口元を歪ませて何が何だか分からないと言わないばかりの表情を浮かべていた。

 

 

 

 

「ネジ式と全長調整式って?このスプリングレートって...?あー、もうわかんない...」

 

 

 

 

 

あかねの言葉に「ハハッ...」と小さく笑いながらも奥山は説明を始めた。

 

 

 

 

「簡単に言うとネジ式は構造がシンプルな車高調だ。

メリットとしてはシンプルが故にリーズナブルな価格設定だから安価に買える。デメリットとしては車高を変えた時に乗り心地が悪くなりやすい。

 

それに対し、全長調整式は複雑な構造になっていて、車高を変えても乗り心地が悪くなりにくい。その反面、価格帯としてはネジ式よりも高価になる。

 

スプリングレートは車高調に組まれているバネの硬さの目安だ。硬ければ硬いほど硬派な走りが出来るが、段差などを拾ったときの突き上げによるショックが大きく、街乗りでは乗りづらくなるっていうデメリットがある」

 

 

 

 

奥山の説明に「なるほど...」と再びメモを取るあかね。

熱心にメモを取ったところで一旦車高調のページからペラペラとページを捲り、今度はエキゾースト関係のページにたどり着いた。彼女が疑問を抱く前に今度はハジメの方から説明が始まった。

 

 

 

 

「なんか色々書いてあるだろ?

まず、この入り組んだ感じのパーツがエキゾーストマニホールド。エンジンからの排ガスを最初に通るエキゾースト関係パーツだ。

 

それでこのキャタライザーって奴が排ガスを濾過する部分...たまに競技用とか謳ってただの筒みたいなやつ売ってるけど、サーキット走行でもしない限りは勧めないな。セッティング合わせないと下のトルクが全然無くなるし、お巡りさんに目をつけられたらたら一発で切符切られるから良いところない。何よりクソうるさい。

 

フロントパイプやセンターパイプなんかあるが、これは中間部分にあるパーツだから今のところは気にしなくていい。特にセンターパイプはそうだな。黒川が一番変えた方がいいこのマフラーっていう一番最後に排ガスを出すパーツとセットになってる場合もあるからな。

 

あと素材は主にステンレスとチタンがある。チタンの方が軽くて高性能だが、素材加工の関係で値段がかなり高い。ちなみに排気音もチタンとステンレスが変わってくる。ステンレスは少し低めのサウンド、チタンの方が甲高い感じだ」

 

 

 

 

二人からの教えを小まめにメモするあかね。その後も二人から教えて貰いながらもメモを取ると気づけば1時間ぐらい過ぎていた。

 

 

 

 

「っと、もうこんな時間か...」

 

 

 

 

商談室の片隅に置かれた時計を見てそう呟く奥山。そろそろお開きかな?と思いながらも出した冊子を回収しようとするとあかねの方から思いもしない言葉が出てきた。

 

 

 

 

「奥山さん、あの娘のチューニング...お願いしてもいいですか?」

 

 

 

 

来て初日からチューニングを依頼してきたのだ。正直、今日限りで音沙汰なしという流れも予想していた奥山は思いもしない言葉に「えぇっ!?」と驚きの表情を見せた。

 

 

 

 

「よ、予算は....?」

 

 

 

 

「そうですね、80万円ぐらいで」

 

 

 

即決だった。しかし、額が額だ...そうころっと即決出来るような金額じゃないとハジメは「おい、ちょっと...!」と少し止めに入った。

 

 

 

 

「黒川、そう即決で決めるような額じゃないぞ!?」

 

 

 

 

「大丈夫です、お仕事で貯金しているお金を少し崩せば普通に払えます。五十嵐さんこそ私が女優ってこと忘れていませんか?」

 

 

 

 

あかねのカウンター発言にぐうの音も出ない...そんなハジメをよそ目に奥山の方へ顔を向けると彼もあまりの即決っぷりに驚きを隠せない様子だ。

 

 

 

 

「80万って..色々変えてもまだ少し余りそうな額だ。とりあえず、どんなのにするか決めよう」

 

 

 

 

そう言って戻し掛けていた冊子を再びテーブルの上に広げる奥山。あかねは冊子を手に取り、車高調のページを見ると隣で座るハジメの方にチラッと目を向けた。

 

 

 

 

「五十嵐さん、オススメの車高調ありますか?」

 

 

 

 

「え?奥山さんに聞けよ」

 

 

 

 

そう言いながらも意見を求めるように奥山の方に目を向けるも、彼からはコレという意見は特に出ない。それに気づいたのか彼はフッと軽く鼻で笑いながら自信有りげにこう答えた。

 

 

 

 

「俺の方を気にして選ぶな、どんなの選んでもプロとしてキッチリとセッティング出来る自信がある。特にウチは足回りに関しては自信がある...お前も常連なら分かるだろ?」

 

 

 

 

その言葉から彼から助け舟が出ないと察すると、ハジメは少し間を空けるようにしてから「黒川。」と呼んで質問を投げ掛けた。

 

 

 

 

「好きな色、ある?」

 

 

 

 

「えっ?色かぁ....やっぱり青ですかね?」

 

 

 

 

「なら、クスコのストリートゼロAってやつだな。クスコって剛性系のパーツで有名なメーカーだから、造りもしっかりしてるんだ」

 

 

 

 

横から冊子を覗くように見てコレと言わないばかりに指を差すと「これかぁ...!」と興味深そうに見るあかね。そのまま税込み20万前後の買い物を「コレにしますっ」と即決。

ペラペラと冊子のページを捲り、次はマフラーの方を見始めた。

 

 

 

 

「マフラーはどれがいいですか?」

 

 

 

 

「マフラーに関しては車高調よりも個人の好みによるし、メーカー同じでも車種によっての違いも大きいからかな...あっ、そうだ」

 

 

 

 

何かを思いついたようにスマホを手に取るハジメ。動画サイトを開くと"BRZ ZC6 マフラー"で検索し、検索結果をあかねに見せた。

 

 

 

「コレで装着した時のルックスとどんな音がするかが分かる。参考にしてくれ」

 

 

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 

スマホを受け取り、気になった動画で確認するあかね...

「コレは音がちょっと...」「コレは見た目が...」と小声で色々と言いながらもある一本のマフラーに目を付けた。アペックスのマフラーだ。

 

 

 

 

「これ、いいかも...!」

 

 

 

 

「アペックスか...マフラーのみのモデルだと2種類あるっぽいけど、コレはN1エボリューションエクストリームって奴だな。ちょっと高いが悪くないチョイスだ、コレにするか?」

 

 

 

 

「はいっ」

 

 

 

 

こんな調子でどんどん決めていく。

そのまま全部決めて行くと奥山は「よし」と注文リストに書き込んだパーツ達に一通り目を通してからあかねに目を向けた。

 

 

 

 

「とりあえずこんなところだな。パーツが揃い次第、また連絡させてもらう」

 

 

 

「あの、大体どれぐらい掛かりますか?」

 

 

 

「今回オーダー入れるのは有名メーカーばかりだし、86やBRZみたいな人気車種だと大抵パーツ在庫抱えてるケースが多いから...1週間もあれば揃う。その時になったらまた持ってきてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1週間後、20時。潰れた旅館の駐車場。

 

 

 

いつも通り練習用のコースを作ろうと作業用の大型ライトで辺りを照らしながらもパイロンを置いていくと、いつもよりも野太くいいサウンドを響かせながらもあかねの青いBRZが入ってきた。

 

クスコ車高調によって程よく落とされた車高...ホイールはエンケイのRPF1のマットブラック、18インチのモデルで大きさだけでなく幅もあるため太くグリップ性が高いタイヤを履いている。そして、リアビューとしてアペックスのN1エボリューションエクストリームマフラー、砲弾型のスタイリッシュなものに変わっていた。

 

 

 

 

「大分垢抜けしたような見た目になったな」

 

 

 

 

停車して運転席側のパワーウィンドウが開いたBRZに歩み寄リながらも話し掛けるとあかねは「ありがとうございます」と嬉しそうに答えた。だが、その後に少し不安そうな表情も見せる...

 

 

 

 

「どうした?そんな顔して」

 

 

 

 

「あ、いや...なんか色々手を掛けたことによってこの娘がこの娘が違う感じになっちゃうんじゃないかなって」

 

 

 

 

思いもしない言葉だったが、思ったよりも深刻な問題でもなさそうだ...ハジメは「なんだ、そんなことか」と言いつつそれに関する答えを伝えた。

 

 

 

 

「本質的にはそいつに違いない。根本の部分は変わってない...役者として例えてみればそのステージに合わせて衣装を変えた段階だ。いくら演技力がある役者でも私服のままではドラマにも舞台にも出ないだろ?そのステージに合わせて衣装を着替えたと思って貰えばいい。楽しい車に仕上がってるハズだ」

 

 

 

 

そう言ってから助手席に乗り込むハジメ。シートベルトを締めると「慣らしがてら適当に流してくれ」と指示を出すとあかねは「わ、分かりました」と返事。髪が乱れないようにとヘアバンドで髪を束ねるとサイドブレーキを下ろして急発進させる。

 

加速によって二人の耳に心地よいレーシーなサウンドが飛び込んできた。純正では絶対聴けないような太く力強さを感じさせるような音だ...

そんな音を響かせながらもコーナーに見立てたパイロンに進入する手前でブレーキングし、ステアリングを切る。

安定したグリップ感、ホイール自体も大きさのわりに軽量のため軽快感も感じられる。そして、何よりもコーナリング時のロールによる野暮ったさが全くと言っていいほどない。車高調自体の性能もあるが、奥山がキメたセッティングがかなりイケてるのだろう。

 

 

スゴい、コレならもっと高い領域で走れる...!

 

 

以前よりも昂る高揚感を感じると走らせる前に感じていた不安は一気に払拭された。

アクセルワークで調整しながらもコーナーを立ち上がり、次のヘアピンコーナーに見立てたパイロンをサイドターンで鮮やかに抜けていく...見違えるような成長ぶり、その車を踊らせるようなステアリング操作とアクセルワークにハジメは感心せざるを得なかった。

 

 

 

 

「あのへなちょこがここまでやるようになるとはな...世の中、何が起きるか分からないもんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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しばらくして。

走り終えたあかねはヘアバンドを外してからBRZから降りるとトランクからキャンプチェアを取り出し、展開して座る。安堵するように「ふぅ...」と息をつく彼女の姿を見たハジメは持ってきたクーラーボックスからスポーツドリンクを手にして近づいた。

 

 

 

 

「お疲れさん、喉乾いたろ?」

 

 

 

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 

 

 

手に取ってゴク、ゴク...と三分の一ほど飲んだ彼女は充実したような表情を浮かべていた。ここまでいい顔をしたのは練習を開始してから初めてかもしれない。

 

 

 

 

「その表情を見る限り、新しくなったBRZは...かなりいい感じみたいだな」

 

 

 

 

「はいっ、お陰様で」

 

 

 

「そうか、次はデフとか組んでみるといい。もっといい動きするぞ」

 

 

 

 

そう言いながらもあかねの隣で自分のキャンプチェアを立ててゆっくりと座るハジメ。二人でチューニングされたBRZを眺めるように見るとハジメはちょっとした疑問をあかねに投げ掛けた。

 

 

 

 

「どうしてコイツに乗ろうと思ったんだ?一目惚れか?」

 

 

 

 

ハジメの問いかけに小さく首を横に振るあかね。彼女は貰ったスポーツドリンクを一口飲んでからゆっくりとした語り口調で答えた。

 

 

 

 

「私、元々車なんて全然興味無かったんです。免許取ったのも仕事の関係でちょっと使う時があるからっていう位で...そんな時にロケの道中で中古車ショップで雨ざらしになってるこの娘を見かけて、可哀想だなって思っちゃったんです。何となくだけどスゴい頑張れそうな気迫は感じるのに扱いが雑で...」

 

 

 

 

「それで救いがてら、買いに行ったと?」

 

 

 

 

「はい、そんな感じです。まあ...今では逆に私の心の支えの一つになってます。1日一回でもこの娘に乗らないと何だか不安になっちゃいます」

 

 

 

 

苦笑い混じりにそう答えるあかねだったがここである疑問が一つ浮かび上がる。貰ったスポーツドリンクを一旦膝上に乗せるようにしながらもハジメの方を見てそれを単刀直入に投げ掛けてみた。

 

 

 

 

「五十嵐さんはどうしてNSXに乗ってるんですか」

 

 

 

その問いかけにハジメは「うーん」と少し間を空けてから人差し指と中指を見せて「理由は二つある」と前置きを置いてから話し始めた。

 

 

 

 

「一つは俺の師匠の影響かな」

 

 

 

 

「五十嵐さんに師匠が?そんな人居たんですね」

 

 

 

 

「あぁ、雲の上の人だよ。プロのレーサーなんだ。同時に俺をこっちの世界にハマらせた人でもある」

 

 

 

 

「ハマらせた...?」と疑問形で復唱するあかねに対し、ハジメは詳細を続けて語り始める。

 

 

 

 

「俺、幼少期から親に言われてレーシングカートやってたんだけどさ...そのときは半分嫌々な部分もあってハマらなくてさ。そんな中、中二ぐらいの時に俺の師匠がいたチームがジュニア育成で講師として来たときがあって、その時に目をつけられて個別で色々教わったんだ。

一番衝撃だったのが助手席に乗せて貰って全開走行して貰ったの...痺れまくったよ。世の中にはスゴい人がいるって実感させられた。で、その時に乗せて貰ったのがミッドシップの車なんだ」

 

 

 

 

「ミッドシップって?」

 

 

 

 

「エンジンが運転席の直ぐ後ろにある車。だから、自分で車持つならミッドシップの車が良いなってなったんだ」

 

 

 

 

「なるほどー、それで...もう一つは?」

 

 

 

「ウチの家系かな。ウチの家系、みんなホンダ車に乗ってるんだ。特におじさんが昔乗ってた車が刺激的だった覚えがある...昔一回だけ横乗りしたんだ。」

 

 

 

 

「どんな車なんですか?」

 

 

 

 

「結構幼い頃だったから記憶が断片的だけど...車内が狭かった記憶はある。あと...具体的なデザインは覚えてないけどなんか速そうでコンパクトな感じでカッコよかったってのは覚えてる。あと、車の色は青色だった。断片的にそれぐらいしか覚えてないから、車種の特定までは無理かな」

 

 

 

 

「へぇー、五十嵐さんのおじさんってなんかスゴいイケイケそうですね」

 

 

 

 

「まあ、見た目の割に結構口達者な部分があるけど...イケイケってほどじゃないな。それに今は病院の理事長だ」

 

 

 

 

まさかの言葉に「えぇー!?」と驚くあかね。思った通りの反応にハジメは「ハハ...」と笑いながらも元の話しに戻そうと「とりあえず...」と話を仕切り直した。

 

 

 

「主な理由はそれかな、ミッドシップでホンダ車...S660なんかもあるけど、流石に排気量が小さかったからNSXにしたんだ。昔から憧れてたのもあるけど」

 

 

 

 

「高かったんじゃないですか?中古車でも」

 

 

 

 

「ああ。俺が買った当時は今よりも安かったけど、それでも結構したよ。年式が古くても新車で出てた時はスーパーカー呼ばわりされてたぐらいだし....」

 

 

 

軽く懐かしそうに記憶を辿るハジメに対し、あかねはふと何かを思い出した。

 

 

 

 

「そういえば私、五十嵐さんのNSXの助手席乗ったことありませんね...」

 

 

 

 

「興味ある?」

 

 

 

 

「はい、とても」

 

 

 

 

頷いて答えるあかねに対して「そうか...」と返しながらも悩むようにするハジメ。少し経ったところで「えっと、無理そうならいいですよ...?」とあかねが自ら取り下げようとした時にハジメは「いや...」と待ったをするように手の平を伸ばして見せた。

 

 

 

 

「いいぞ。ただ、時間が時間だ...横乗りで走った後はそのまま流れ解散な?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ·

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある一般道。

 

ゆっくりと走るNSXの助手席で車内を見回すあかね...

シートは赤いレカロSR-7、ステアリングはMOMOのプロトタイプ6C。あまりごちゃごちゃしたのはイヤなのか、追加メーターは

一つ前のモデルのDefiのマルチリンクメーター、アドバンスZDのみ。

 

 

 

 

「なんか、思ったよりもシンプルなんですね」

 

 

 

 

「ああ、車内のこの雰囲気をなるべく崩したくなくてな」

 

 

 

 

そのまま走らせ続けると近場のターンパイクや椿ラインには寄らずにある峠についた。ヤビツ峠だ。

わざわざこの場所までNSXで来たハジメ...あかねは助手席から不思議そうに彼を見た。

 

 

 

 

「えっと、近場の峠には行かないのですか?」

 

 

 

 

「あぁ。一人でもイヤだな...同乗走行となると尚更だ」

 

 

 

 

ハジメのその表情はどことなく迷いがあるような....若干恐れているような感じすらある。

 

 

 

 

「あの...無理なら、良いですよ」

 

 

 

 

「いや、大丈夫。行こうか」

 

 

 

 

ヴォン!ヴォォン!!と軽くエンジンを吹かしてから一気に発進。ライトチューンではあるものの、自然吸気で290馬力ほどと300馬力もないこの車...当時としては戦えただろうが、今時の車ならスーパーカーどころかクラスによってはスポーツカーにも負けるような非力さだ。

 

 

 

 

「(確かに速いけど、思ったよりは非力な感じかな。五十嵐さんには申し訳ないけど中身が特段スゴいっていうわけじゃなさそう...)」

 

 

 

 

内心そう思っていたあかねだったが、迫ってくるヘアピンコーナーの入り口に対して減速する気配がない。

 

 

 

 

「ちょっ、ちょっと...五十嵐さ」

 

 

 

ギリギリのところでようやくブレーキング。

急な減速Gと迫りくるコーナーに「いやぁぁあああぁぁぁぁっ!!」とあかねの断末魔が木霊するも、気にせずドライビングする五十嵐。

左コーナーに対して右に一回フェイトモーションを入れてからの素早く左へ切るとWRCのラリーカーのようにドリフトのような挙動でコーナリングするNSX。さらにそこからミッドシップのトラクションの良さを最大限まで活かすように素早く立ち上がる。

綺麗な顔立ちを思わず少し歪ませてしまうあかね...

そこから緩く左右に振られてからの90度近く角度がついた右、またそこから間もなくして90度近く角度がついた左コーナーとあっちにこっちにと横Gで身体を虐められる。まだコースとしては序盤もいいところだが、コースに対して想像を絶するような速度域で走るが故に少し後悔し始めていた。

 

 

 

 

「(だ、誰か助けて...!?こんな次元が違うって聞いてないよ....!!)」

 

 

 

 

内心そう思いながらもチラリとハジメを確認するも、彼は集中こそはしていたもののそんなガチガチに攻めてる様子でもない。例えるなら締め切り余裕の資料に何となく手を付け始めたサラリーマンのような感じだ。

 

 

 

 

「い、五十嵐さん...コレでどれぐらいの本気度ですか?」

 

 

 

 

「ん?ざっくり6割ってところ」

 

 

 

 

「ろ、6割...!?」

 

 

 

 

「あぁ、ウォームアップと練習の中間って感じ」

 

 

 

 

そう答えながらもヘアピンからの左右に振られる90度コーナー....ストレートも短いため、超低速セクションではあるもののそうとは思えないような光景があかねの目の前で流れてた。

 

 

 

 

「っぅ...!」

 

 

 

 

左右に振られる横Gに対して負けないようにと歯を食い縛るとチラリと見えた向かい側からチラリとカーブミラー越しに見える光...恐らく対向車。

 

 

 

 

「い、五十嵐さん!対こ...!!」

 

 

 

あかねの呼び掛けを聞く間もなく対向車が接近してきた。此方は峠を走るにはハイスピードすぎる領域...それも、右コーナーに入る手前という最悪タイミング。セオリー通りのアウトインアウトをすれば対面から衝突する。

恐怖で目を瞑る...が。

ハジメはブレーキングを早めの段階で行い、片側の車線だけで走行ラインを収め、そのまま接触することなく立ち上がっていった。

 

 

 

 

「(ドライビングしながらあの一瞬で判断した...!?)」

 

 

 

 

思わず驚きの表情を浮かべているとその間にも減速Gや横Gが自分の身体に襲い掛かる...しかし。

 

何だか慣れてきたような気がした。

 

まるで異次元の空間に居るような感覚...それどころか、左右に振られるようなこの感じが踊っているような気分にさせられる。非常に心地良い...

 

 

 

 

「(何だろう、この感じ....!癖になるかも!)」

 

 

 

 

楽しみ始めたらあとはあっという間だった。

目的の頂上近辺の駐車場で綺麗にサイドターン、キィィ!とタイヤのスキール音を響かせながらも180度くるりと回って停車させるとあかねは満足そうな顔を浮かべて見せた。

 

 

 

 

「流石ですね、五十嵐さん...!異次元ですよ、これ」

 

 

 

 

「ん?あー...お褒めの言葉ありがとう」

 

 

 

 

「本当にスゴいですよ、コレで6割なら10割はどうなるんだろう...」

 

 

 

 

ワクワクしたような表情で呟くあかねに対し、ハジメは「うーん...」と言葉を漏らしながらもハンドルを握り直す素振りを見せる。そして、そのまま語り始めた。

 

 

 

 

「10割は出さない。特に峠みたいなエスケープゾーンがないステージは一つの小さなミスが大惨事になりかねない。出しても9割...最低限1割の安全マージンはキッチリ残しておく」

 

 

 

 

そう言いながらも何かを決心するようにあかねを見るとそこから話を続けようとあることを問いかけた。

 

 

 

 

「その表情からして、峠走りたくなった感じだな?」

 

 

 

 

「はいっ、私も五十嵐さんみたいに上手くなりたいので...!」

 

 

 

 

「分かった...いいぞ、今後は峠で一緒に練習しても。ただ、2つ条件がある...」

 

 

 

 

あかねが「条件?」と不思議そうに問いかけるとハジメはフロントガラスの上部に目を向けて間を空けるようにしてから話し始めた。

 

 

 

 

「一つ目は気持ち7 割以下で走ること。3割以上は安全マージンだ。もう一つは...箱根ターンパイクは絶対に走らないこと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ·

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、とある稽古場

 

 

 

近々開幕される舞台の練習に集まる劇団ララライのメンバーたち...休憩の合間に黒川あかねはスポーツドリンク片手に「ふわぁ...」と大きな欠伸をしてしまった。

 

 

 

 

「珍しいな、寝不足か?」

 

 

 

 

誰も見てないと思っていたため、後ろから声を掛けられると「ふへっ!?」と声を漏らしつつもビクッと反射的に反応。ゆっくりと振り向くとそこには眼鏡を掛けた今をときめく実力派俳優、姫川大輝の姿があった。

 

 

 

 

「ひ、姫川さん...!違うんです、えっと....」

 

 

 

 

「ちょっとプロ意識欠けてるな...らしくない。何か熱中するような事でもあったか?」

 

 

 

 

台本を丸めて自らの肩を軽く叩くようにする姫川。ここまで来たら答えないと行けないが、大先輩前に嘘をつくのも気が引けるとざっくばらんな答え方をした。

 

 

 

 

「ちょっとスポーツをやっていて...」

 

 

 

 

「スポーツ?テニスとかサッカー?」

 

 

 

 

「いや、そういうのとは違ってて...」

 

 

 

 

ゴニョゴニョとするあかねに意外と「ま、いいや」とすんなり引き下がった姫川。そのまま背中を見せるように数歩歩くとゆっくりと振り向いてあかねの方を見た。

 

 

 

 

「浮かれんのもほどほどにしろよ。俺らの本業忘れんなよ」

 

 

 

 

姫川の言葉に内心気持ちを落とすあかね。確かに最近、夜遅くに帰ることもよくある...手も時々豆ができるんじゃないかと言うぐらい赤くなることも暫し。

 

そう、自分の本業は女優であってドライバーではない。

 

でも...あの闇夜を切り裂くように駆け抜ける感覚。

"風になった"という表現が一番似合いそうなあの感覚は一度味わうと病みつきになる。

 

 

 

 

「(怒られちゃったけど、今日も空いた時間で走っちゃうんだろうな...今後は程々にしないとっ)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ·

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、いつもよりも早い時間から髪を束ねた状態で一人練習を行うあかね。

 

時間帯が早いため、いつもとは違う路面が悪い旧道のような峠道で軽くBRZを走らせる。

 

 

 

 

「(突き上げが酷い、ちょっと走らせづらいかも...!)」

 

 

 

 

ボコンッ!ボコンッ!と腰を突くような突き上げに苦戦...いつもとは違う慣れてない道ということもある。どう攻略するか...?頭で考えながらもコーナーを曲がっていくとハジメのある言葉が脳裏に過った。

 

 

"気持ち7割以下、安全マージン3割以上"

 

 

それと共にたかが一人での練習でなにをムキになってるのだろう?と思い、心の中でクールダウン...ペースを落としつつも探れることはないかと慣らし程度で走らせていく。

 

しばらく走らせ、とあるコーナー手前でブレーキングしてからヴォン!ヴォォン!!とシフトダウンした時にふとある事に気づいた。

 

 

 

 

「(あれ...?最初から強くブレーキングするよりも、ちょっと早めに軽くブレーキングしてから強くブレーキングした方が安定してるかも...!)」

 

 

 

 

最初の頭ごなしで走らせている状況では恐らく気づけなかっただろう。舗装がしっかりしている道では分からないが、こういう路面が悪い場所では有効そうだ...!

ある程度のところで広めの道に出ると路肩に車を停車させ、ルームライトをつけるとメモを手にして発見を書き込む...二人で練習する前にまっさらだったメモ帳は今ではギッシリと黒字で埋め尽くされ、残すところ4、5ページほどになっていた。

 

 

 

 

「(あー、もうコレぐらいしかないか。あと練習2回分ぐらいは大丈夫かな?それまでに新しいの買わないとっ)」

 

 

 

 

忘れる前に時間が余ってたらコンビニに寄って買おうと思い、最近ペース管理に多用しているスマートウォッチで時刻を確認...ハジメとの練習の予定時間までもう間近のところだった。

 

 

 

 

「(えっ、そんな...!?)」

 

 

 

 

ちゃんとアラームも設定したのにどうしてと思っていたが、直ぐに原因が分かった。それだけ集中していたのだろう。

 

 

 

 

「(とりあえず、連絡しないと...!)」

 

 

 

 

ギリギリ間に合うだろうが、念には念をとスマホを手にしてSNSアプリのDMでとりあえずメッセージを入れる....

 

 

"ごめんなさい、遅れるかもしれません"

 

 

素早く打ち込んではスマホをドアポケットに投げ捨てるように入れ、キィィ!とタイヤを鳴らしながらもBRZを走らせ、ハジメがいるパン屋、ボンボヤージュへ移動。

約束の時間にギリギリ間に合うように到着...

事前の連絡が行き届いていることもあってはハジメも特には気にしてない様子。仕事も終わり、グレーの半袖Tシャツにジーパンというラフな格好。肩に大きなショルダーバックを掛けながらも出迎えてくれた。

 

 

 

 

「おつかれさん」

 

 

 

 

「はいっ、おつかれさまです...!」

 

 

 

 

パワーウィンドウを開けて挨拶を交わしたところであかねの方からグゥ~...という音が鳴り響いてきた。一瞬何か分からないハジメだったが、彼女が顔を一気に赤らめて何かを隠すように俯きになったところで何となく察した。

 

 

 

 

「えっと....腹、減ってる?」

 

 

 

 

ハジメの問いかけに何も言葉にせず、ただそのまま首を縦に振るあかね。いつもなら飯食ってくるのにどうして?とハジメが思っていると間を空けるようにしてあかねが答え始めた。

 

 

 

 

「今日、職場で寝不足なんじゃないかって指摘されて...」

 

 

 

 

「えっと、それ...仕事終わった後の走り込みが原因?」

 

 

 

 

「はい、ただ...私としては女優しながら走ることもしたいので、ちょっとでもと思って食事も取らずに一人で練習してました。えっと、私の不注意なので特に気にしないでください...」

 

 

 

 

迷惑を掛けたくないと気を遣わせないように言うとハジメは「待て」と伝えて肩に掛けていたショルダーバックをガサゴソと漁り始める。そして、あるものを手にして「はい、これ」と3つほど立て続けに手渡した。店のパンだ。しかも、中には看板商品のクロワッサンもある。

 

 

 

 

「えっ、これ....!?」

 

 

 

「見ての通り店のパンだ。クロワッサン以外は売れ残りだから気にすんな」

 

 

 

 

「クロワッサン以外は...ってことは、クロワッサンは?」

 

 

 

 

「お前の為に一個多めに仕込んだんだ。好きだったろ?ウチのクロワッサン。あー、焼き立てが良いなら店のオーブンで軽く焼いてきても...」

 

 

 

 

そう言っている間にはむっと食べてしまうあかね。

「おいし〜!」と満面の笑みを浮かべる彼女の姿に釣られるようにハジメも笑みを浮かべてしまう。

 

 

 

 

「そりゃ良かった。んじゃ、それ食い終えたら行くぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              ·

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある箱根の峠。中腹の駐車場。

 

何本か軽く走り終えると一旦休憩しようとBRZに乗ったあかねとハジメはこの場所に立ち寄ることに。

自販機前の駐車スペースに車を停めるとあかねが降りてくる。クイッと軽くストレッチするように身体を伸ばしている間に助手席に乗っていたハジメも続くようにして降りると自販機で缶コーヒーを二本購入し、「ほらよ」とあかねに手渡した。

 

 

 

 

「ありがとうございます、五十嵐さん...」

 

 

 

 

「気にすんなって。明日仕事早いだろ?あと休憩後に2、3本走って終わりにしようか」

 

 

 

 

そう言いながらも二人で近くにあったベンチに腰掛ける...

空をふと仰いでみると満天の星。都会じゃ絶対に見えない景色だ...

 

 

 

 

「綺麗だな、こうしてみると...」

 

 

 

 

「そうですね...」

 

 

 

そう呟いているとふと2ヶ月ほど前の記憶が頭の中で蘇ってきたあかね...夜空から彼の方に目線を移しながらもその事について話してみることに。

 

 

 

 

「五十嵐さん、私...実はパン屋の取材する前にも貴方とお会いしたことがあるんです」

 

 

 

 

「え、どこで?」

 

 

 

 

「ここです。正確に言うと貴方のNSXとですが...帰ろうとここから下って少しいったところの直線で」

 

 

 

 

「そうか、全然気付かなかった....」

 

 

 

 

「無理もないです、私のBRZもあの時まだノーマルだったので...」

 

 

 

 

苦笑いしながら受け答えしているとエンジン音が木霊するように鳴り響いてきた...音からして2台居るようだ。恐らく上り側からだ。誰だろうと目を向けているとそのままこっちの駐車場に入ってきた...マークXとNCロードスター。見覚えのある車を見てそれと共に今まで楽しそうにしてたあかねの表情が一気に引き攣った。

 

 

 

 

「....黒川?あれ、知り合い?」

 

 

 

 

それを真っ先に感じ取ったハジメが彼女に問いかけると目を急いで逸らすようにした。余程嫌な相手なんだろう...その間にも2台がBRZの近くのスペースに停まるとガラの悪い二人組が降りてきた。

 

 

 

 

「今日もしけてんな...」

 

 

 

 

「お、黒川あかね似のお姉さんじゃん。おっひさー」

 

 

 

 

あかねを見つけて馴れ馴れしく話し掛けてくる二人組。それから逃れるようにする彼女を見てハジメはその間に入るようにした。

 

 

 

 

「アンタら、何者なんだ?彼女嫌がってるだろ」

 

 

 

 

「オッサンこそ誰?」

 

 

 

 

「俺、この娘に用があるんだけど」

 

 

 

 

二人組の男のしつこい絡み方逃げるようにBRZに乗り込もうとするあかね。ハジメもそれに続くように助手席に乗り込むとエンジンを掛かり、逃げるようにその場を後にした。

 

 

 

 

「なんだよ、おい!」

 

 

 

 

「逃がすかよ、追うぞ!」

 

 

 

 

ガラの悪い二人組もそれぞれの車に乗り込んで走らせ始める。

案の定、直線が長い区間でBRZに追いついてきた。ハンドルを握るあかねは戸惑いを隠せない...前と同じシチュエーションだ。

 

 

 

 

「い、五十嵐さん....」

 

 

 

 

戸惑いながらも恐る恐るハジメに判断を委ねようとするあかね。BRZもチューニングしたとは言えど、ベースになるエンジンには手を付けていない...マークXが3.5リッターの排気量を見せつけるように距離感を詰めてパッシングしてくる。

ハジメはバックミラーでそれを黙って見てからあかねの方に目を向けた。

 

 

 

 

「勝ちたいか?アイツらに」

 

 

 

 

「はい。で、でも....」

 

 

 

「アレぐらいなら勝てるよ、今の黒川なら」

 

 

 

 

勇気づけるようにそう告げると軽く目を瞑ってスゥ...と深呼吸するハジメ。そして、少し間を空けてから決心するように目を開けるとある言葉を口にした。

 

 

 

 

「気持ち"8割"でいけ。俺がナビしてやる」

 

 

 

 

「っ...はい、絶対負けません!」

 

 

 

 

車内で決意を固めたBRZに対し、マークXのガラの悪い男はニヤニヤしながらも余裕の表情で走らせていた。

 

 

 

 

「(相手は2リッターのNA、同じNAでもこっちは3.5リッターある。いくら峠の下りとは言え、この排気量によるパワーの差は埋めようがない。さっさと前に出て麓であのムカつく男から引き剥がしてやる...今夜は帰さねえぞ?お嬢ちゃん)」

 

 

 

 

しかし、左へ曲がるキツめの90度コーナーに進入して立ち上がると何かに気づく...立ち上がったところで車間が少し離れたのだ。

 

 

 

 

「(なんだ?差が開いてる....チッ、小癪な)」

 

 

 

 

しっかりと安定したところでアクセルを踏み込んで再び離れた距離分差を縮めるも、あっという間に次の右コーナー...更にそこから間もなくしての左コーナー。立ち上がったところで先程縮めた距離の倍以上距離が離れていた。

 

 

 

 

「(ば、バカな....!?そんなわけがねえ!!)」

 

 

 

 

若干感じていた焦りが募りに募る...しかし、こんなところで負けを認めるほど自分も甘くはない。次はもっと強気でコーナーに突っ込もう...そう思いながらも右コーナーが接近してくるのを視認。BRZのライン取りが左側一車線のみで行われる。

 

 

 

 

「(チャンスだ!行くしかねえだろ!)」

 

 

 

 

そう思いながらもアウトから反対車線も使ってインを攻めようとした時...向かい側から対向車のヘッドライトの光が見えてきた。

 

 

 

 

「(うわ...!?くそっ、あぶねえっ!!)」

 

 

 

更に減速させて急ハンドルで間一髪回避。減速しきってしまったマークXを追い抜くように後ろからもう1人の仲間のNCロードスターがBRZに接近。

 

 

 

 

「(たく、あんな素人の女相手に何やってんだか...代わりに俺が尻拭いしてやるよ)」

 

 

 

 

だが、次の左コーナー...少しでもいいラインを走ろうとするNCロードスターに対してBRZは少し間隔を空けるような攻め方...それから間もなくして折れた太い枝が視界に入ってきた。

 

 

 

 

「うおわっ!?」

 

 

 

思わず声を上げながらも減速して回避するNCロードスター...しかし、BRZとの距離は更に開いてしまった。

 

 

 

 

「(アイツ、腕もいいがまるで先の状況がわかってるような動きしやがる...!なんてやつだ!?)」

 

 

 

 

その一方でBRZ車内。

ハンドルを握るあかねは助手席から指示を出すハジメの声に耳を傾けながらもドライビングに集中していた。

 

 

 

 

「次、右コーナー!二車線使って2速シフトダウン、流し気味に!」

 

 

 

 

「はいっ!」

 

 

 

ハジメの言葉を聞いてブレーキングしつつもパドルでパチンッ!とシフトダウンしてシフトを2速に合わせる。そのまま後輪を弱スライド状態で抜けて立ち上がると右のS字コーナーが迫ってくる。

 

 

 

「次、右のS字!緩めだからアクセルワークだけで抜けろ!」

 

 

 

 

「はいっ!」

 

 

 

言われた通りにアクセルワークだけで抜けていくと少し長めの直線に差し掛かる...しかし、次はキツい右コーナーだ。

 

 

 

 

「次、右コーナー!2速で行けるがかなりキツい!イン側に障害物、カット禁止!!」

 

 

 

 

「はいっ!」

 

 

 

 

ブレーキランプを光らせながらもヴォン!ヴォンッ!!とシフトダウン、片側の車線だけで綺麗に抜けていくBRZ。しかし、後ろのNCロードスターは少しでも距離を縮めようとイン側までラインを使う。

 

 

 

 

「(舐めんじゃねえぇぞ!クソアマァァァッ!!)」

 

 

 

 

しかし、コーナーリング中に大きめの石が転がっているのに気づく。

 

 

 

 

 

「(やべっ、避けれな....!!?)」

 

 

 

 

気づくのが遅く、対応が遅れてしまった。ガタンッ!とバンパーを傷つけながらも片輪を浮かすと着地時に制御を失い、キィィィィ!!と悲鳴のようなタイヤのスキール音を響かせながらもクルクルとスピンし、ガードレールにぶつかって停車するNCロードスター。バックミラー越しにその姿を見たあかねは思わず動揺してしまうものの、ハジメは見向きもしなかった。

 

 

 

 

「...自分の技量も知らずに走るからああなるんだ。気にするな、このまま下り切るぞ」

 

 

 

 

 

そのままヴォン!ヴォンッ!!という低いエンジンサウンドを鳴り響かせながらも峠を下っていくBRZ。時折発せられるキィィ!というスキール音は自分たちの勝利を伝えるように箱根中の峠に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               ·

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―麓にある駐車場 

 

 

 

ほとんど車が停まっていないこの場所に入るBRZ。

中央辺りの適当な空いてるスペースに車を停めたあかね...シフトをパーキングに入れてサイドブレーキをガッと上げたところで「ふぅ...」と安堵するように息をついた。

 

 

 

 

「緊張しました....」

 

 

 

 

思わず言葉を漏らしたあかねに対してハジメは「おつかれさん」と助手席から労いの言葉を掛けつつも腕時計で時間を確認....

彼女の翌日の仕事のことを考えればちょうど良いぐらいの時間だった。

 

 

 

 

「今日はもうお開きだな。時間も時間だし、あんな事故起こされたら走れないだろうし....」

 

 

 

 

 

「そうですね、お店までお送りします」

 

 

 

 

いつも通りハジメのパン屋のボンボヤージュまで送ろうと再び車を走らせ始めるあかね。法定速度を守ってゆっくり、ゆっくりと...ハジメが助手席から運転している彼女の表情を見ると充実したような小さな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

「...楽しかったか?」

 

 

 

 

「えぇ、でも...それ以上にちょっとやってやったなって感じになりました。五十嵐さんからの指導を受ける前に一度負けてる相手だったので...」

 

 

 

 

「一度負かされた相手を倒したからってあまり調子にのるなよ?でも、まあ...今日はよく乗れてた。上達したな、黒川」

 

 

 

 

あまり直接褒めてくれることがなかったため、キョトンとした様子のあかね。しかし、素直に受け入れて「はいっ」と嬉しそうに返事すると信号待ちで車を停めつつもゴニョゴニョとした様子を見せてきた。

 

 

 

 

「五十嵐さん、私教えて貰ってばかりなので...今度お返しがしたいのですが」

 

 

 

 

「俺も好きでやってるようなものだから気にす」

 

 

 

 

「どうしてもしたいんです...!ダメ、ですか?」

 

 

 

恐る恐ると言った様子で助手席に乗るハジメをチラチラと見ながらも問いかけるあかね...まるで気弱ながらも精一杯にお願いする子供のようだ。逆に困ったような表情になるハジメだったが、諦めたように「ハァ...」と短く息をつくとあかねの方を見ながらも確認してみた。

 

 

 

 

「お返しって...具体的になんだ?」

 

 

 

 

「具体的に...えっと、その...お茶、とか?最近、江ノ島辺りによさそうなカフェが出来たみたいなのでどうかなって...」

 

 

 

 

「江ノ島か...」

 

 

 

 

箱根からでも充分に行けるような距離だ。まあ、断る義理もないしなと「わかった。」と返事するハジメに対してあかねは分かりやすいぐらいに二パァァァ...!と子供地味た笑みを見せた。

 

 

 

 

「じゃ、じゃあ.....来週の水曜でどうですか!お店の定休日ですよね!?」

 

 

 

 

「わかった。でも、いつもみたいに真夜中に動くよりも大変じゃないか?週刊誌の奴らに写真撮られでもしたらどうするんだ?」

 

 

 

 

「その辺りは大丈夫です、私にいい考えがあるので...!」

 

 

 

 

そうしている間に後ろからピッ!とクラクションを鳴らされた。話しに夢中になり過ぎたと内心思いながらも慌ててアクセルを踏み込む姿を見たハジメは小声で「変なやつ」と呟きながらも彼女の姿を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

              

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