「楽園の島の魔女」(完結)   作:雄魔雌

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11 愚者の選択

 港の完成後、鉄道工事は順調に進んでいた。このまま工事が完成すれば、海の向こうから要人を迎え、パラディ島は新たな時代を歩み始めることになる。

 

「もうすぐだな。俺はこの鉄道の完成が楽しみで仕方ないよ」

「そんなに?」

 

 海を眺めるリディアに、オニャンコポンが嬉しそうに話しかけた。

 

「リディア、この鉄道の意義が分かるか?」

「物資輸送が便利になるってことくらいしか……」

「それだけじゃない。いずれこの鉄道を使って人々が、技術が、文化が行き交うようになる」

「この島にそんな未来が訪れるかな。悪魔の島だって言われてるんでしょう?」

「俺は信じてる。じゃなきゃ、やってられないからな」

 

 二人で話していると、ハンジが現れた。

 

「私達はもっと、世界を知るべきだね」

 

 

「私が知っているのは、このパラディ島だけ……」

「だろ? でも、それが世界のすべてじゃない」

「……知りたいけど、ちょっと怖い」

 

 そう呟くリディアに、オニャンコポンが笑いながら言った。

 

「知らないものを知るのは怖いもんだ。でも、それを乗り越えた先に、新しいものが見えてくる。マーレの港を見てみたら面白いぞ」

「何があるの?」

「いろんな国の船が出入りしてる。お前達が思ってるよりずっと、世界は広い」

 

 知らないものを知ろうとする姿勢が大事……オニャンコポンの言っていることは調査兵団の理念と同じ。だからハンジと気が合うのだろう。

 

 ふと、水晶に包まれて眠るアニのことを思い出した。

 訓練兵の頃、彼女はずっとそばにいたのに、リディアはアニのことを結局何も知らないままだった。知らないままで、踏み込もうとしなかった。嫌われるのが怖かったのかもしれない。

 

 彼女が最後に選んだ手段がただの逃避でしかなかったと、リディアはとっくに気が付いていた。水晶に身を包んだのは、同胞からの救いを待つための一か八かの賭けではない。何もかも投げ捨てて、アニはただ、現実から逃げた。

 訓練兵の頃、リディアがアニに向かって大きな虫を掴んで見せた時、嫌な顔をして逃げるように去っていった時と、同じ。

 

 だけど、もし「継承」すれば。

 女型の巨人を継承すれば、アニが見ていたものを知ることができる。そうすれば、彼女がなぜあんなことをしたのか……全てが分かる。

 

 知らないものを知るための手段――アニの心を知るための手段――が、こんな形でしか残っていないなんて。

それでもリディアは、女型の巨人を継承すれば、彼女を理解できると信じた。最悪な別れから数年を経て、ようやく無口なアニの本心を知りたいと思えるようになった。

 

 

 

***

 

 

 

(オレは、リディアを殺さなければならないのかもしれない)

 

 鉄道工事の完成を控え、エレンは一人考えた。

 あの日、調査兵団に戻るというリディアを拒絶するべきだった。そうすれば、まだその選択は避けられたのかもしれない。

 

 リディアはライナーに明確な未練を持っている。

 だが、殺意についてはどうだ?

 未練があれど、リディアはライナーを許したわけではない。きっとまだ整理がついていないだけだ。気持ちに折り合いさえつけば、リディアはきっとライナーを殺すことを厭わない。

 

 エレンが見た記憶の断片。

 そこにリディアはいなかった。

 彼女は未来に決定的な影響を与えるほどの役割を担っていないのだろう。それなら当然、決められた未来に進むためには、リディアの生死に関わらずライナーの方を優先せざるを得ない。

 

 必要なのはライナーであり、リディアではない。

 

 リディアがライナーを殺そうとするなら、どこかでそれを阻む必要がある。たとえそれが、彼女の命を奪うようなことであっても。

 

 

(……でも、そんなこと、絶対にしたくない)

 

 リディアは大切な仲間だ。

 彼女は自分を信じて、全てを吐露した。絶対に隠したかったであろう本音を、他の誰にも言わないでほしいと、大粒の涙をこぼしながら。

 そんな存在を、死ぬべき対象として見るだなんて……

 

 彼女に「オレがなんとかしてやる」と言ったものの、残された選択肢はほとんどない。

 リディアが調査兵団に戻る意志を固めた以上、再びヒストリアのもとに戻らせることはできない。

 

 一つは、フロックにリディアを任せてしまうことだ。

 フロックは、己の生存証明であり写し鏡のような存在でもあるリディアに強い執着を抱いている。簡単に見放すようなことはしないだろう。

 しかしそれは一時的な延命にはなるかもしれないが、最終的にリディアをアルミンやミカサ達と敵対させるということに他ならない。

 

 二つは、どうにかしてリディアの殺意を削ぎ落としてしまうこと。

 この選択は実現が難しい。二人で話した時にリディアの本音を引き出してもなお、殺意を消し去るには不十分だった。

 そしてこの方法を選ぶ場合……リディアの命を担保にして、一つの賭けに出なければならない。

 

 

 

***

 

 

 

「世界を滅ぼす」

 

 エレンの言葉を聞いた時、フロックの心は躍った。

 無気力だった身体に突然電流が走ったかのように、生気が戻り、血が熱くなるのを感じた。

 

「なぜ俺に話した。ミカサやアルミンはどうするつもりだ」

「あいつらは何もわかっていない。ミカサは人の言いなりで、アルミンはアニのところに通ってばかり……敵兵に心を奪われているという意味では、サシャもリディアも同じだ。誰も信用できない」

「リディアだと?」

「リディアとライナーは恋人同士だった。知らないのか?」

「……は? ライナーと、リディアが?」

「あいつはまだライナーを忘れていない。そんな奴をオレが信用できると思うか」

 

 エレンの言葉は、フロックにとって甘美な誘惑だった。

 今までほとんど話してこなかったエレンが、ここに来て突然フロックを選ぶわけがない。自分は利用されているに違いない。

 そう思ったが、フロックはそれでも構わないと思った。

 

「フロック。お前だけが事態を理解している。パラディ島がどうあるべきか、何を守り、何を切り捨てるべきか。この役割を務められるのは、お前だけだ」

「……」

「オレは、海の向こうにいる人類を殲滅する。お前は島を導け」

「……俺、が……」

「この地獄から、島の人類を救うんだ。オレたちにしかできない」

 

 エレンの言葉は、フロックにとってあまりにも都合が良すぎるものだった。

 だとしても、その手を取らない理由がどこにある? エレンは今、フロックが心から渇望してきた「悪魔」になると言っているのだ。

 

「そしてもう一度、お前がリディアを救い出せ」

「……なんだって?」

「あいつを理解できるのは、お前だけなんだろ」

 

 その提案は、いささか唐突だった。

 さっき信用できないと言ったばかりの相手に対する言葉だとは思えない。その不可解な発言に、フロックは不審な顔を浮かべてエレンを見る。

 

「リディアは実力的にも、精神的にも弱い。ブローチ一つすら捨てられないのがその証拠だ」

「……」

「あいつ、このままだとすぐに死ぬぞ。お前はそれでいいのか?」

「……それは、そうだ。あいつは、昔から弱かった。それがいつの間にか、調査兵団の精鋭みたいな顔して、そのうえ女王陛下の護衛とか……」

「今のリディアは本当のリディアじゃない。身の丈に合わない環境に身を置いて、無理をしているだけだ。フロック、お前にだって分かるだろ」

「……」

「お前にしかできない。オレだって、みすみすリディアを死なせたくない」

「……そうだ」

 

「エレンの、言う通りだ……」

 

 

 

***

 

 

 

 フロックは、これまで腑に落ちなかったリディアの言動に対して、急に納得がいったような気がした。

 自分を騙した男を引きずってる? 馬鹿かよ。何年経ってると思ってるんだ。

 

 瀕死のリディアを戦場から連れて帰った後、どうか助けてくれと、医者に頭を下げて頼み込んだのは自分だ。目を覚まさない彼女のベッドの傍らで夜を明かしたのも自分だ。

 似たもの同士、支え合えるものだと思ってきた。現実に打ちのめされないよう、在るべき場所に導いてやろうと、何度も気遣ってきた。

 

 その仕打ちが、これだ。

 誰かに助けられなきゃ、戦場で死に絶えていたくせに。なぜそんな恩知らずなことができるのか。

 

 

 

「おい、何してる」

「……マーレに発つための準備だけど」

 

 部屋の中で荷物をまとめるリディアに、フロックは扉の外から声をかけた。

 

 リディアは淡々と返事をしたが、フロックにはその緊張が伝わっていた。

 彼女が警戒するような表情を見せたのを見逃さず、フロックは意図的に扉を開けたままにして室内に足を踏み入れた。

 

「密室は嫌だろ、安心しろよ」

 

 フロックの言葉に、リディアは一瞬だけ顔を上げて彼を見た。その視線には「何を企んでいる?」という疑念が浮かんでいた。

 

 フロックはそれを受け流し、部屋の中へと一歩、また一歩と進んだ。

 

「前にも言ったよな。俺たちに必要なものは、人類を導く悪魔だって」

「またエルヴィン団長の話をするの」

 

 リディアは背を向けたまま荷物の整理を続け、視線を合わせようとしなかった。

 

 その態度にフロックの不満が顔をのぞかせたが、すぐに穏やかな微笑に戻る。彼は通常よりもゆっくりと、まるで獲物を追い詰めるように部屋の中を歩いた。

 

「違う。詳しくは言えないが、マーレに潜入調査なんかしてる場合じゃない。捕虜からの技術提供で十分な情報を得ている。わざわざ市井の生活を覗いたところで、本当に意味があるのか?」

 

 フロックは窓際へと移動し、外の風景を眺めるふりをした。その動きにより、リディアと出口の間に自然と位置取りをする。

 

「意味はあるよ。目で見て知ることが大事だって、ハンジさんもオニャンコポンも……」

「また誰かの判断に寄りかかってる。お前は自分で決断ができないのか」

 

 フロックの声に僅かな苛立ちが混じった。

 

「放っといてよ」

 

 リディアは荷物の整理を止め、ゆっくりと振り返る。彼女の表情には警戒心と共に、わずかな怒りが浮かんでいた。

 

「それよりも兵団を一致団結させる方が先だろ。今、壁内には迷っている兵士達がたくさんいる。誰かが導いてやらないと、島を守ることはできない」

 

 フロックは一歩リディアに近づいた。彼の瞳に宿る光は、以前の空虚な目とは全く違っていた。そこには確信と、何か別の感情が混ざり合っていた。

 リディアは本能的に後ずさりしたが、すでに背後には机があった。

 

「俺達は今度こそ、心臓を捧げた仲間達に意味を与えられるんだ」

 

 フロックはそう言いながら、決然とした足取りでリディアに近づき、彼女の右手首を掴んだ。

 その手は冷たく、まるで生気がないかのようだった。リディアが身を引こうとするが、フロックは手を離さなかった。

 

「今度こそって……何」

「なあリディア、お前は島に残ってくれ。別にそれだけでいい」

 

 フロックの声は低く、まるで祈りのように響いた。フロックがここまで直接的な言葉を口にするのは珍しかった。リディアの目が僅かに見開かれる。

 

 

 その瞬間、開いたままの扉から、一人の中年兵士の姿が見えた。

 

「おっと……邪魔したかな」

 

 兵士の声に、リディアの表情に一瞬の安堵が浮かぶ。しかしフロックは、まるで予想していたかのように落ち着いて返した。

 

「いや、誤解だ。俺は別に構わないけどな」

「はは、そうかい。頑張れよ」

 

 兵士が去るのを確認すると、フロックの表情が一変した。その目には何かが宿っていた。それは勝利の確信、あるいは支配の喜び。リディアはその変化を見逃さなかった。

 彼女は力強くフロックの手を振り払った。

 

「変な言い方しないで。そういうことするから、噂が加速する」

「そんなもの、利用すればいい」

「利用? 何に……」

 

 フロックはリディアの反応を見つめながら、意図的にもう一歩近づいた。今や二人の間にはわずかな距離しかない。

 

「俺には分かる。お前は変わっていない。いつまでも、訓練兵時代の子供っぽい理想を捨てられていない」

 

 フロックの目が恐ろしいほど真剣だった。

 リディアの直感が警告を発する。このフロックは、以前の虚ろな目をした男とは根本的に違う。彼の背後に、見えない力が控えているような感覚があった。

 

「何を考えているのか知らないけど、誘うなら私みたいなドベじゃなくて、他にいくらでも適任がいるでしょ」

 

 リディアは冷静を装いながらも、じわじわと机の端へと身を寄せた。わずかばかりの脱出路を確保するために。

 フロックはそれに気づいたが、敢えて触れなかった。そして代わりに、顔を歪めて笑った。

 

「ドベって……なんで今さらそんな言い方するんだよ。何か気に障ったか?」

 

 フロックの声音は、表面上は優しいままだった。それがかえって不気味さを増す。

 

「俺が信用できる相手は、本当にリディアだけなんだ。そしてお前にも、俺しかいない。もう誰かに裏切られるなんて、まっぴらだろ」

「……何の話?」

 

 リディアの声が僅かに震えた。フロックの唇が、残酷な笑みに歪む。

 

「俺はライナーみたいに、お前を弄んだ挙句に捨てたりしないよ」

「……! 誰に、その話を……」

 

 リディアの顔から血の気が引いた。フロックがその話を知っているはずがない。誰かが、意図的に伝えていない限りは……。

 

 フロックはリディアの動揺を見逃さず、獲物を追い詰める捕食者のように更に迫った。

 

「大人になれよ。自分の実力なんて分かってんだろ。報われない想いに固執するなんて、ただの自殺願望だ」

 

 廊下を通る誰かの足音が、徐々に近づいてくる。しかしフロックは意に介さない様子で、リディアに更に近づいた。

 

「今のうちだ。こっちについておいた方がいい」

 

 その言葉には命令の響きがあった。

 リディアは負けずに表情を引き締め、恐怖ではなく憤りに満ちた目で、フロックを強く睨み返した。

 

「逃げないのか。逃げるのはお前の得意技だろ」

 

 フロックが意地悪く笑う。

 彼はリディアに触れようとはしないが、その態度にはリディアを確実に追い込んでやろうという強い意志が感じられた。

 

「ねぇ。私、あなたと揉めたくない。ちゃんと考えてることを話して。何かあったの? 伝えてくれなきゃ、私にはどうにもできないよ」

 

 リディアの言葉は落ち着いていたが、それはフロックには拒絶として伝わったようだった。

 彼が苛立ちを露わにして、リディアを更に追い詰めようとした瞬間、扉の向こうから声が掛けられた。

 

「いい加減にしろ。それが女の口説き方かよ」

 

 フロックの顔に一瞬、憎悪が浮かぶ。しかしすぐに消え、代わりに諦めたような表情になり、扉の方を振り向いた。

 

「……ジャンか。どこから見てた?」

「ついさっき。扉が開きっぱなしだったから、お前らの言いあう声が聞こえた。……おいリディア、団長が探してんだよ。さっさと行け」

 

 ジャンの冷ややかな声に、リディアは安堵の表情を浮かべた。

 

「わかった。ありがとう」

 

 親指で扉の外を指すジャンを見て、リディアはその場から素早く去ろうとした。

 しかし扉に向かう途中、フロックの声が背後から彼女を追いかける。

 

「おい」

「なに? まだ何か」

 

 リディアは振り返り、フロックと目を合わせた。

 彼の目は、全く諦めていないどころか、リディアを睨みつけるようにして血走っていた。

 

「忘れるなよ。俺たちの居場所なんて、海の向こうへ探しに行ったところで、この壁の中にしかないんだ」

 

 予言のような確信、あるいは脅しにも似た約束。その言葉には、単なる執着を超えた何かがあった。

 リディアは言葉を返さず、早足で部屋を出た。しかしその背中には変わらず、フロックの視線が突き刺さり続けていた。

 

 

 

 

 

「何言ってんだあいつ。急に自信をみなぎらせて」

「人が変わったみたいだった。前から私を下に見てたけど、今日の態度は明らかにおかしかった」

 

 ジャンと並んでハンジの元に向かう道中も、リディアは背筋に冷たいものを感じていた。

 フロックの目に宿っていた光は、狂信的なまでの確信に満ちていた。今までの虚ろな目とは全く違う、どこか危険な光だった。

 

「お前はこう……なんで厄介な男ばっかり引っ掛けてくるんだ」

「引っ掛けるって」

 

 苦笑しながら隣のジャンの顔を見ていると、リディアの緊張も緩む。少しだけ気持ちに余裕ができ、思わず軽口を叩く。

 

「もうこりごり。そんなことしてる暇はないのに」

「だから言ったろ。どうせ選ぶんなら、最初からマルコみたいな男にしとけって」

「そうだね。ジャンみたいな人を好きになれたら、楽だったのに」

「……あぁ?」

 

リディアの妙な言葉に、ジャンが一瞬固まった。

 

「なにお前、俺に気があんの」

「まさか! 嘘だよ」

 

「……コイツ、マジでこういうとこ……!」

 

「からかってんじゃねぇぞ!」

「あはは、ごめんごめん……もしかして期待した?」

「殴るぞ」

「反省します」

 

 

 

***

 

 

 

 駄目だとは思っていたが、こうもあっさり一つ目の選択肢が消えそうになるとは。

 エレンはため息をついた。フロックが、思った以上にリディアに信用されていない。

 

 フロックがリディアに詰め寄っていたという話をジャンから聞いた時、エレンは正直に思った。

 あいつ馬鹿か? と。

 まだリディアがフロックたちに付くという選択肢が潰えたわけではないが、こうなると、もはや望みは薄いだろう。そうなると、エレンに考え付く方法は残りの一つしかない。

 

 リディアを、ライナーに、会わせる。

 それでも殺意が残るなら、彼女はそれまでだ。

 

 それは危険な賭けだった。ライナーの選択次第では、リディアはレベリオの地下室で死ぬ。もし生存したとしても、殺意を失わずに復讐を選ぶなら、別の方法で死んでもらうしかない。

 

 エレンのこの選択がどのような結果をもたらすのかは分からない。いずれにしても、未来で見たのはライナーだ。リディアじゃない。

 

 エレンが最も望むのは、ライナーが何らかの形でリディアの復讐心を消し去ることだった。

 

(……対話次第だな。だが……)

 

 賭けといいつつ、エレンはライナーに望みを託していた。

 

(あいつが、リディアを見捨てるわけがない)

 

 その確信は、エレンに残された最後の希望だった。

 

 

 

***

 

 

 

 遠い海の向こうで。

 

「なんだこれ……」

 

 ポルコは目を覚ました。頭がぼんやりとしている。まるで長い夢から覚めたような感覚だった。

 さっきまで、知らない場所で、知らない奴らに囲まれていた。でも何故か、懐かしいような気持ちだった。

 

 ……またあの女の記憶か。

 ユミルの記憶の一部を見た。

 ポルコは軽く居眠りをしただけのはずだった。それなのに、ユミルの記憶の中で過ごした時間はわずか数分とは思えず、まるで何年もそこにいたような感覚だった。

 

 大層な名前をつけられ神様として慕われた過去、ヒストリアという少女に救われた日々、訓練兵として仲間たちと過ごした日々、そして最期の瞬間。

 

 これまでにポルコが覗いたユミルの記憶は、ざっくりと言えばそんな内容だった。そして今回もそうだ。記憶の中の場面は木の上で、ベルトルトがそこにいて、ユミルと何かを話していた。

 

「……アニキ」

 

 ユミルがマルセルを喰った――ユミル自身が、ベルトルトとその話をしていた。

 

 すでに聞いていた話ではあるが、こうして喰らった本人の記憶を通してその事実を知ると、やはり複雑な思いが残る。

 ポルコは改めて、もう二度と会うことのできない兄のことを考えた。

 ベッドの上で仰向けになり、天井に手を伸ばす。ユミルの記憶を覗いてもマルセルに会えないことは分かり切っていたが、それでも、さっき見た記憶をもう一度思い出そうとする。

 徐々に内容を思い出す。マルセルの話をする前後、ユミルが話していた言葉……。

 

 ――つまみ食いくらいしたんだろ。どうなんだ、ん?

 

 ……は?

 記憶の断片が霧散していく。

 ユミルの皮肉げな笑い声と、無関心を貫くライナーの顔が最後に残った。

 

 

「いや……いやいやいやいやいや!」

 

 ポルコは、がばっと跳ね起きた。

 思い出したのは、自分が見たかったものとは程遠い記憶だった。

 

「それはおかしいだろ、なんでそうなる!?」

 

 ポルコが思い出したのは、ユミルがライナーに告げたろくでもない事実――リディアとライナーの関係についての暴露――の方だった。

 頭を抱えながら、ベッドの傍にあった椅子を蹴飛ばす。大きな音を立てて椅子が床に転がる。

 

「ライナー……お前マジで……!」

 

 強く拳を握りしめる。

 何をやっているんだ、アイツは!?

 

「どうしたの、怖い夢でも見た?」

「うるせぇ! いや、違う、いや待て! いや違わねぇけど!」

 

 物音に気付いたピークが扉を開け、部屋を覗き込んだ。混乱するポルコの様子を見て、彼女は部屋に入り、ゆっくりと近づいてきた。驚いたような、それでいて面白がっているような顔をして、隣のベッドに腰かける。

 

「ふーん。じゃあ、違わないんだ」

「違うって言ってんだろ!」

 

 ポルコは混乱しきっていた。

 頭の中を整理しようとするが、まとまらない。何がなんだか分からないが、とにかくライナーに腹が立つ。

 

「随分寝汗かいてるけど。もしかして、夢の中で何かまずいことでもあった?」

「……!」

 

 ピークがニヤニヤしながら顔を覗き込んでくる。

 

「知らねぇ、俺の話じゃねぇ! でも聞け、ライナーはクソだ!」

「へぇ……気になるなぁ。ライナーに何かされたの、それとも何か見ちゃったの? 聞いてあげよっか」

「うるせぇ! クソが!」

 

 ポルコはふてくされたように腕を組むが、ライナーに対する怒りは収まらない。

 何考えてんだ、アイツ……!?

 

「ポッコ、とりあえず落ち着きなよ」

 

 ピークが肩をぽんぽんと叩く。

 冷静な彼女を見ていると、ポルコは自分の激昂ぶりが子供じみているように思えてきて、ようやく少し冷静になった。

 

「……おう」

 

 いくら島の悪魔が相手とは言え、ライナーかあんな不義理なことをするとは思わなかった。

 ただでさえマルセルの真似事のような振る舞いばかりでポルコを苛つかせていた中、ユミルの断片的な記憶で覗いた事実と、ユミルによるリディアとライナーの関係に関する推察は、ポルコをさらに激怒させることになった。

 

(アニキが、そんな軟弱で中途半端なことするわけねぇだろ!)

 

 しかしそれでも怒りは完全には消えない。ポルコはどうしても納得がいかなかった。

 リディアとかいう女には大した興味も湧かなかったが、とにかく、ライナーのやらかしたことに腹が立って仕方がなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「ミカサ、その手に持ってるものは何だ」

「潜入調査用の……帽子」

 

 マーレに向かう船の中、ジャンはミカサが手に取っているおかしな帽子に思わず突っ込んだ。

 

「潜入する気があるとは思えないくらい浮かれたデザインだね……」

 

 リディアも思わず呟いた。

 ミカサの手にある帽子には派手すぎる装飾が施されており、大小様々でカラフルな花々や、派手すぎる謎の羽が、これでもかというくらいに立体的に散りばめられていた。明らかに服から浮いている。

 

「私もそう思っていた。でも、これが良いと薦められて」

「ミカサ。お前はこっちがいい」

 

 エレンが違う帽子をミカサに被せた。今度は落ち着いたデザインで、ミカサの着ている服と同じ色。ミカサは嬉しそうにエレンの方を見た。

 

「うん。こっちにする」

「あぁ、その方が似合ってる」

「……」

 

 なんとも幸せそうな二人を見て、リディアは思わずジャンの様子を伺った。しかしジャンはリディアが自分のことを見ると予想していたのか、すぐにリディアに向かって「あ?」と悪態をついて彼女を睨んだ。

 空気を変えたい。そう思ったリディアは、ミカサが外した帽子を被って見せる。

 

「……ぶっ!」

 

 ジャンが思わず噴き出した。

 

「……似合ってるよ」

 

 ミカサが苦笑いでリディアを見ている。

 

「ミカサもどう?」

「絶対に着ない」

 

 エレンの思惑など知る由もなく、リディアは船の中ではしゃいでいた。

 

 

 初めての船旅、初めての海上。出発前、ニコロに脅された。船酔いは辛いぞ、と。

 しかし、立体機動で縦横無尽に空を駆け回ることが日常になっている兵士達にとってそれは杞憂で、船酔いなどどこ吹く風であった。

 

「リディア、これ面白いよ!」

「こんなにたくさんの本、どうしたんですか?」

 

 船内には、放置されたマーレの書籍が積まれていた。ハンジとアルミンが書籍の山に埋もれている。

 

「この船で長く放置されてたみたいだね。で、この本なんだけど……この図、見て! カエルの脚に電気を流したら動いたんだって。面白いだろ!?」

「うわっ! な、なんですかその絵!」

 

 リディアはハンジが見せてきた本に描かれていた実験図にぎょっとして、思わず後ずさった。

 

「あぁ、電気とか言われても馴染みがないよね、ごめんごめん! えーっと、簡単に言えば……雷みたいなエネルギーを、すごく小さくしたものを使って……物を動かしたりするんだよ、多分。で、なんかね、人間の神経も、電気みたいな信号を使って体を動かしてるらしいんだよ。だから、えーっと……もしかしたら、人間も電気で動いてるってこと……なのかな? もしこれが本当なら巨人の身体も……」

「……?」

「上半身をもがれたカエルの絵と、巨人の足のどこが似てるんだ。お前はもうちょっと現実の心配をしろ」

 

 頭に疑問符を浮かべたリディアの隣で、リヴァイが呆れたように呟いた。

 

「わかんないかなー。この素晴らしさが」

 

 ハンジは不服そうに唇を尖らせる。

 電気がどうとか、正直そういうことではなかったのだが……リディアは先ほど見せられた絵を思い出して、もう一度固まった。……びっくりした。

 

 

 アルミンは、ハンジの話を全く理解できていないリディアの様子を見て、苦笑しながら分厚い本を閉じた。

 

「僕は歴史書を読んでいたんだけど、内容は案の定っていうか」

 

 アルミンは閉じた本の表紙を軽くなでる。「マーレの歴史」と書かれている。

 

「こんな教育を受けてたんじゃ、島の人間を悪魔だと思い込んでも無理はないかもね」

「今さら何を言ってる」

 

 リヴァイが腕を組んで呟く。

 

「こっちの本は?」

「えっと……あ、それは、ちょっと」

 

 アルミンはリディアが触れた本を見て、思わず焦った。

 

 本の表題には「魔女について」と書かれている。

 魔女――かつてアルミンがベルトルトの記憶を通して、リディアに抱いた印象を指す言葉と同じ。

 

「あぁ、翻訳された他国の歴史本だね。巨人の脅威に晒されてこなかった国で我々がどう描かれているか見たかったんだけど、結局エルディアの一文字も出てこなかったよ」

 

 ハンジがリディアに説明をしてくれた。アルミンはほっとして息を吐く。

 

「そういう国もあるんですね」

「ただ、そんな国でも結局は同じようなことが起きている」

 

 ハンジは本を手に取り、パラパラとめくり始めた。

 

「この本では、悪魔と契約し人々に害をなす存在とされた『魔女』の話が書かれてる。それで昔は迫害されていたそうだけど、後世になると『魔女』は宗教や政治の被害者に過ぎないと断定されている」

「異端者を作り出して迫害する……エルディア人の扱いに近いですね」

 

 アルミンがそう言うと、ずっと黙っていたエレンが口を開いた。

 

「でも、オレたちは実際に異端者だ」

 

 場の空気が凍りついた。

 

「魔女はただのスケープゴートだったんだろ? でもオレ達は違う。本当に化け物らしいからな」

 

 リディアが息を飲む。

 アルミンも何か言いたげだったが、言葉が出なかった。

 

「オレたちには血が流れてるし、心臓も動いてる。でも、世界から見たらそれが何だって話だ。悪魔の末裔だなんて言われた時点で、もう終わりなんだよ」

 

 その沈黙を破るように、ハンジが言った。

 

「我々がどう思われているかは、国際討論会での意見を聞けば分かるよ。世界が本当に敵だらけなのかどうか、今はまだ分からない。だから悲観し過ぎないように」

 

 

 

「……私たちは、どう記録されるんでしょうか」

 

 リディアの呟きに、ハンジは少し寂しそうに、しかし確信を持った表情で微笑んだ。

 

「さぁね……でも、一つだけ確かなことがあるよ。誰かが真実を知ろうとしなきゃ、正しいことなんて何も残らないってこと」

 

 ハンジは本を閉じて、リディアの肩をポンと叩いた。

 

「だから私達は、これから現実を見に行くんだ。自分の目で確かめよう」

 

 

 

 

 

 いつかオニャンコポンがリディアに言っていたとおり、港には多くの船舶が出入りしていた。

 聞いたことのない言語が飛び交い、見慣れぬ文字が船体を彩る。港からは嗅いだことのない匂いがして、リディアは緊張していたことも忘れて高揚した。

 

「夜の港はもっと綺麗だぞ」

 

 出迎えてくれたオニャンコポンの言葉に、想像が膨らむ。この港に広がる小さな世界ですら、リディアの知らないことだらけだった。

 それからは、皆でアイスを食べて、サシャが子どもに財布を盗まれ、その子が住民たちにリンチされそうになったのを、必死にかばって……。

 

 

 

 それからオニャンコポンの案内でアズマビトの屋敷に向かう途中、リディアは露店の中年女性から声を掛けられた。

 

「おや、観光客かい。これ食べてみない? 試食だから、お代はいらないよ」

「いえ、私たちは……」

 

 女性が見たことのない食べ物を見せつけてくる。

 リディアは遠慮したが、オニャンコポンが笑いながら「遠慮するな。物は試しだ」と言う。

 しかしリディアが返事をするより早く、コニーが文字通りそれに食いついていた。

 

「うめぇ! なんだこれ、初めて食べる味だ」

「あんた、いい食べっぷりだね。まるでうちの息子みたいだよ」

 

 コニーの素早さに苦笑しながら、リディアは露店に並ぶ商品を眺めた。見たことのない食べ物の他に、雑貨などが並んでいる。

 

「息子さんは?」

「戦争に行ったよ。でも、もう帰ってこない」

 

 女性の思わぬ言葉に、リディアもコニーも言葉を失った。

 

「あの子はね、喧嘩だって嫌いだったの。だけど突然、国のために戦うんだって言って家を飛び出して、それっきり」

「……」

「あんたたちも、家族は大事にしなさいよ」

 

 彼女の言葉がリディアの胸に重くのしかかる。何気ない会話のはずなのに、その言葉が胸に刺さった。

 

「……はい」

「……ところで、ものは相談なんだけど」

 

 静かになったリディアとコニーを見て、店の女性がニヤリと微笑んだ。

 

 

 

 

 

「で、これは何だ」

「何かしらの肉です」

「何かしらの茶葉です」

 

 リヴァイの冷たい目線の先。コニーとリディアの手には、先ほどの露店で買わされた謎の商品があった。

 

「二人ともバカですねー。すっかり騙されて、要らないものまで買わされてるじゃないですか」

 

 サシャがコニーの持っている肉に手をつけようとして、その手をはたき落とされた。

 リヴァイは歩きながら、リディアの買った茶葉の木箱を開ける。

 

「湿気ってる。……なんだ、この匂いは」

 

 開かれた木箱からは、甘ったるい香りがふわっと広がる。

 

「……フレーバーティー? とかいうものだそうです。リンゴの香りを付けてるとか付けてないとか……その……」

「そんなにリンゴが食いたいなら直接かじってろ。お前らがアズマビトの金をドブに捨ててきたということだけは分かった」

 

 リヴァイは不機嫌そうに木箱の蓋を閉めた。

 

「あの人、ちょっと俺の母ちゃんに似てて……」

「……普通の人だったよね、私達があの島から来たなんて、想像もしてないって感じで……」

 

 サシャがリヴァイの木箱を受け取り、こっそり蓋を開けて茶葉を口に含んだ。

 

「ウッ……」

 

 甘い匂いに対して茶葉は不味かったらしく、サシャはすぐに木箱に蓋をした。

 

(……キヨミさんへのお土産ということにしよう)

 

 リディア達は、潜入調査とは思えないほど賑やかに、アズマビトの屋敷に向かった。

 

 

 

***

 

 

 

 しかし、翌日。

 国際討論会で見た現実は、前夜の宴がまるで夢か幻であったかのように、厳しいものだった。

 そしてエレンは、仲間たちの前から姿を消した。

 

 

 

***

 

 

 

「クルーガーさん、こんにちは!」

「ファルコ、いつも悪いな。今日はこれを頼めるか」

 

 エレンが単独行動を初めてから、それなりの時間が経過していた。ここで知り合ったファルコに手紙の郵送を頼んだのも、今回が初めてではない。

 

「あれ? 今日は宛名が違いますね」

「ああ。そいつは彼女以外に見られたくない手紙なんだ」

「そうですか……」

 

 女性の名前だった。

 クルーガーの恋人ではないかと思い、ファルコは少し顔を赤くする。

 

「リディアさん……ですか」

「言っておくが、オレの恋人じゃないぞ」

「えっ、お、オレはそんなこと……」

 

 自分の邪推が見透かされてしまった恥ずかしさに、ファルコは慌てて手を振って否定する。しかしエレンは気にしていない。

 

「リディアには心に決めてる相手がいる。……オレの友人だよ」

「あ……そうなんですか。そのご友人は、今どちらに?」

「……お前の知ってる奴かもな」

「えっ?」

 

 エレンはファルコに微笑む。ファルコは「誰だろう?」と考えを巡らせるが、あまりにもヒントが少なくて、全く想像がつかない。

 自分とクルーガーに共通の知り合い? 一体、誰だろう?

 

「そいつとリディアは、長い戦争でもう何年も会ってない。……もしオレが二人を会わせたら、どんな顔するんだろうな」

「クルーガーさんが間に立つんですか! そんなの、絶対に喜んでくれるに決まってますよ」

「どうかな。リディアがそいつを刺し殺したりしないか、オレは心配してる」

「え……なかなか血の気の多い女性なんですね」

「離れる前、刺されても仕方がないことをしたからな」

「はぁ、そうなんですか……」

「でも、二人とも本当に良い奴なんだよ」

「……素敵なご友人達なんですね」

「あぁ」

 

 エレンはそう言って微笑んだが、しばらくすると、椅子に座ったまま、残された片足を細かく揺らし始めた。

 その不自然な動きに、対面に立っていたファルコは不安を覚える。

 

「……オレは、オレの都合で、世界中の人間を殺す」

「え?」

 

 ファルコはぎょっとして顔を上げる。聞き間違いかと思って、思わず聞き返す。

 

「あの……クルーガーさん?」

 

 その足は止まらなかった。何度も何度も、靴先で地面を突いている。

 

「リディアのことなんか心配している場合じゃない。そんなことより多くの命が奪われる。だから……だが……」

 

 唐突に雰囲気を変えたクルーガーに、ファルコは動揺した。

 

「あの、本当に大丈夫ですか?」

「次に会うとき、あいつがどんな顔をするのか……それ次第だ。あいつがリディアを見放せばそれまでだ。そこで彼女は終わる。でもそうでなければ……」

「なんの話を……しているんですか?」

「だから……オレはリディアの命をあいつに託す」

 

 これはクルーガーの独り言だ。ファルコはそう判断した。

 戦争のトラウマによる後遺症かもしれない。病院や家族に嘘をついてここに入院していると言っていたが、そんなことはない。彼も本当に、心身を摩耗させているのだ。

 

「落ちいてください。大丈夫ですよ、クルーガーさん。今日はもう休んでください」

 

 ファルコが肩を優しく叩いた。

 

「あ、あぁ……ありがとう。……君は本当にいい奴だな」

 

 微笑んではいるが、クルーガーの足は止まらなかった。何度も、何度も、靴先で地面を突く。その動きが止まる気配はなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 後日。アズマビトの屋敷を通して、エレンから作戦指示書が届いた。

 奇襲作戦決行の合図と時期。戦鎚の巨人の継承者を特定し、戦闘を開始するタイミング。戦闘後に撤退できるよう、飛行船を準備し、特定の場所に集合するための指示。アルミンが超大型巨人の爆発で港を破壊し、マーレ側の追撃を阻止すること。

 指示書にはジーク・イェーガーの脱出計画や、マーレの戦士達の戦力を分断する計画についても触れられていた。

 

 ……そして、リディア宛の指示書が、一枚。

 

「これは、どういうことだ」

 

 テーブルの向かい側からリヴァイが厳しい眼差しで問う。

 リディアは目の前に広げられた手紙を見つめたまま、何も答えられない。

 

 エレンから届いた手紙には、そっけない筆跡で「指定の日時に、一切の武器を持たずに、指定された場所に来ること。使いを寄越す」と書かれていた。

 

「丸腰で指定の場所に来るようにと書かれています」

「……どの作戦も具体的だけど、指示があまりにも一方的すぎる。エレンはどこでジークと接触しているんだ? それに、リディアに宛てられた手紙だけ、具体的な目的が書かれていない。丸腰で指定の場所というからには、恐らくマーレの戦士の分断に関わることではないかと思うけれど……」

 

 リヴァイやハンジはエレンに明らかな不信感を覚えていたが、かといって他に具体的なビジョンは浮かばない。

 この手紙は自分達だけに宛てられたわけではない。グズグズしていれば、島に残る兵団が、奇襲作戦を進めてしまう。

 

 超大型巨人の協力なしで奇襲を進めれば、作戦は失敗する。選択肢はどこにもない。この指示書は、エレンからの脅しでもあった。

 

 マーレの戦士の分断工作。

 ハンジの推察を聞いた仲間たちには、共通する嫌な予感がよぎっていた。

 戦士の分断くらい、ジークに任せておけばいいのだ。わざわざリディアを指定する理由はない。

 ……ライナーに関することで、なければ。

 

「……俺達は、エレンの駒じゃない」

 

 コニーが静かに呟いた。

 ミカサがそれを否定する。

 

「コニー、エレンはそんなこと思っていない。何か考えがあるはず」

「指示通り丸腰で出ていって、収容区が戦火の海になれば、リディアは死ぬだろうな」

 

 ジャンがミカサに反論した。

 

「……私が責任を持ってリディアを回収する」

「お前の仕事はエレンの回収。それ以外は他の奴に任せろ」

「そう、だけれど……」

 

 仲間たちのエレンへの信頼が、揺らいでいる。

 戦いの希望だったはずのエレンが、いつの間にか遠い存在になっていく。その距離感に、誰もが言葉にならない不安を抱えている。

 

 リディアは作戦に従うつもりでいたが、一つだけ懸念があった。

 かつてエレンと交わした約束――ヒストリアを犠牲にしないということ――それが、どうなったのか。

 

 何故、単独でジークと接触したのか。

 エレンはヒストリアを犠牲にしないために、ジークの作戦に従うことを拒否したはず。それなのに、何故今になって接近しているのだろうか。

 

(もしもエレンが、ヒストリアの犠牲をやむなしと判断したのであれば……私はもうエレンには従えない)

 

 リディアの手首から、あの日の香水の記憶が蘇る。

 しかし困惑している仲間たちに、そんなことを伝えようとは思わない。

 

 いずれにしても、指定の場所に行けばエレンに会えるのだ。彼の考えを聞くのは、それからでも遅くはない。

 

「私は行くよ。エレンの指示通り、護身用の道具も持たない」

 

 リディアは静かに言った。その声には迷いはなく、むしろ覚悟のようなものが感じられた。

 

 エレンが何を企んでいるにせよ、自分の目で確かめるしかない。そして、そこで誰に会うことになるのかも――おそらくは、ライナーに――という予感が、恐怖と同時に、微かな期待を彼女にもたらしていた。




アニ仕込みの格闘技術を持っている主人公が、キヨミ様に押さえつけられるようなフロックに負けるわけがないので、身体的にはそれほど危ない状況ではありません。
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