「楽園の島の魔女」(完結)   作:雄魔雌

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12 懺悔

 エレンの指示に従い、リディアはレベリオ収容区内を歩いていた。

 今日はリディアと同じように、腕章を付けていない人間が大勢いる。陽気な音楽、美味しそうな匂い、活気にあふれた街並み。そこはまるで港のようだった。エルディア人の収容区にいるとはとても思えない。

 

 人混みの中を、落ち着かない様子の中年女性がそわそわと歩いている。喧騒に慣れていないようで、その肩に、誰かが乱暴にぶつかった。

 

「あっ」

 

 ぶつかられた女性が転びそうになり、彼女の羽織っていた布が髪から落ちた。金色の髪があらわになる。

 リディアはとっさに腕を伸ばし、女性の身体を支えた。

 

「ちょっと、危ないでしょう!」

 

 リディアは、女性にぶつかった男を睨みつける。

 

「あ? なんだお前……収容区の人間を庇うのか? その女の腕をよく見ろよ」

 

 男の声を聞くなり、女性が怯えたようにリディアの手を振り払った。

 

「あ、あの……結構です!」

 

 すぐに背を向け、その場から足早に去っていく。

 

「……チッ」

 

 男たちも興味を失ったのか、そのまま立ち去っていった。リディアもそれ以上深入りすることはせず、再び街の喧騒に紛れて歩き始めた。

 

 

 しかし、すぐに背後から、そっと声がかけられた。

 

「あの……ありがとう」

 

 さっきの女性が、怯えながらもどこか申し訳なさそうな表情で立っていた。

 

「あなた、マーレの方? 私たちみたいな人間を庇う人がいるなんて……」

「……いいえ」

「あ、すみません。迷惑でしたよね、エルディア人に声を掛けられるなんて……」

 

 リディアは少し考えたあと、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「私はただ、正しいと思ったことをしただけです」

 

 女性は不安げにリディアを見つめたあと、片腕の腕章をリディアに見せつけた。

 

「これ、見てください」

 

 それは、赤色の腕章だった。

 

「……!」

「私、名誉マーレ人なんです。息子が戦士なんですよ。あなたと同じくらいの年齢なのかしらね……」

 

 一瞬、息が詰まる感覚があった。でも、リディアは表情を変えなかった。

 

「……そう、でしたか」

 

 それ以上、何も言わなかった。

 

「私たち親子は、誰よりもマーレに尽くしてきました。そしてこれからも……そうあり続けます」

 

 女性は誇らしげな顔で続ける。

 

「息子は戦士として、誇りを持って戦っています。憎き島の悪魔を殲滅する、その日まで」

 

 リディアは、ただ黙って聞いていた。

 

「……わかりました。お気をつけて」

 

 それだけ言って、踵を返す。

 

「あの、せめてお名前だけでも」

 

 女性の声が背後から響いた。しかしリディアは振り返らず、そのまま人混みに消えた。

 

 

 

***

 

 

 

 エレンに指定された場所に立っていると、意外にも、リディアを迎えに来たのは軍人ではなかった。

 

「あ……! もしかして、リディアさんですか?」

 

 息をきらして走ってきたのは、少年だった。リディアは思わず目を丸くする。

 

「クルーガーさんに聞きました、ご案内しますね!」

 

 少年は、ファルコといった。友人達と祭を楽しんでいたようだが、一瞬だけ抜け出してきたらしい。

 

「せっかくの日に、こんなことしなくても……」

「いえ、オレがやりたくてやってるんです!」

 

 ファルコはリディアの姿を再度確認する。綺麗な女性だと思った。

 

(ブラウン副長に、こんな女性の知り合いがいたとは……ガビが聞いたら黙ってないな。絶対に秘密にしよう)

 

 先日、クルーガーがやっと教えてくれた。会わせたい人物というのは、今ここにいるリディアと、ライナーのことなのだと。

 

(クルーガーさんは、この女性が副長を刺すかもしれないと言っていた。でも、本当に? そんなことをするようには見えない……刺されても仕方がないって、副長は一体どんなことをしたんだ?)

 

 

 ファルコが案内した先は、ステージの裏側にある住宅の、地下にある部屋だった。

 

「じゃあ、オレはこれで!」

 

 ファルコは走りながら元気に去っていった。

 残されたリディアは、エレンが現地の何も知らない少年を使ったことに、かすかな失望を抱いていた。

 

 

 

「……エレン」

 

 扉をゆっくり開くと、狭い地下室の奥に腰掛けるエレンの姿があった。

 彼の髪は無造作に伸ばされ、右目を隠すように包帯を巻き、片足を失っている。どこからどう見ても、負傷兵そのものだ。

 

 エレンは部屋に入ってきたリディアに一瞥をくれた後、何も喋らなかった。

 だが、その目だけは違った。

 見下すでもなく怒るでもなく、ただ静かに、エレンはリディアを見た。彼の目は、リディアが何を言っても、何を聞いても、一切動じることはないと確信させるような目をしていた。

 

(何を考えてるの……?)

 

 エレンは一言も発しない。

 リディアはエレンの目の前にある椅子に腰を下ろし、彼の目をじっと見据えた。

 

「ここで、何をするつもりなの」

 

 それでも、エレンは答えない。

 

 静寂が、耳を塞ぐほど重い。まるでこの部屋のすべてが、エレンによって支配されているかのようだった。

 

「私たち……誰を待っているの」

 

 その問いにも、エレンは答えない。

 ただ、懐から刃物を取り出し、無言のままリディアに見せつけた。

 

「何を……」

 

 エレンは言葉の代わりに、ゆっくりと刃を自分の掌に押し当てた。

 

 スッと……エレンの右の手から、血が流れた。

 その掌から流れる血だけが、エレンの言葉をリディアに突きつけていた。「逃げられないぞ」と。

 

 

 

 

 永遠に続きそうなくらい長い沈黙の後、扉を叩く音がした。

 リディアは椅子から立ち上がり、扉を見る。現れたのはファルコだった。リディアはその顔を見て一瞬だけ安心したが、後ろに続いて現れた人物を見て、そこから動けなくなった。

 

「来ましたよ」

 

 ファルコが言う。扉の陰から大柄な人影がゆっくりと現れ、部屋の中に足を踏み入れた。一歩、また一歩と進むにつれ、その表情が光に照らされる。

 

「……よう」

 

 エレンが、この場所で初めて声を発した。

 

「四年ぶりだな。ライナー」

 

 

 ライナーは目を見開いたまま、その場に立ち尽くした。座るエレンと、立ったままのリディアを交互に見る。

 

 一方リディアは、時間が止まったかのように感じていた。

 幾度も夢に見た再会。にもかかわらず、心の中で描いてきた言葉や、抱いていた怒りや悲しみの全てが……目の前のライナーの姿を見た瞬間、凍りついた。

 

 見慣れない服装、やつれた頬、疲れ切った瞳。それでも間違いなく、あのライナーだった。頭では準備していたはずなのに、体はうまく動かない。

 

 ファルコがこの場の異様な空気を察して、エレンとライナーの顔色を交互に伺う。

 リディアは立ち尽くしたまま、一歩も動けない。

 

 

「どうした、ライナー。そんな幽霊を見たような顔して」

 

 この場でエレンだけが落ち着いているように見えた。

 

「まぁ、そうだよな。死んだはずの奴が生きてるんだから、そりゃ驚くよな」

 

 エレンが、リディアの方を見た。

 

「リディア、お前も何か言えよ。会いたかったんだろ?」

 

 リディアはファルコの隣に立った。ファルコが不安そうな顔でリディアを見上げたため、リディアはその肩を支える。少しでも扉の近くにいたかった。

 

(……いざという時は、私がファルコを、外に逃がす)

 

 しかしリディアの態度は、エレンに促されるまま椅子に座らされたライナーには、違う意味に映ったらしい。

 

「……やめてくれ、ファルコは、関係ない……」

 

 ライナーは体を震わせながら、リディアを見ずにそう言った。

 

 

 

 

 長く重苦しい沈黙の後、ヴィリー・タイバーの演説が始まった。

 エレンが淡々とライナーに話しかけている。怯えきったライナーとは対照的に、エレンの表情は何故か穏やかそうに見えた。

 

 リディアは口を挟まなかった。挟む余地などなかった。ただファルコを逃がすことだけを考えて、その肩を支えた。エレンとライナーの姿をじっと見つめることだけで、精いっぱいだった。

 

 しかし、エレンがそんなことを許すわけがない。

 

「リディア。せっかくなんだから、お前も何か言えよ」

「……」

 

 そんなことを言われても、とても、言葉にならない。

 エレンは黙り続けるリディアに話しかけるのをやめた。

 

「なぁライナー。なぜオレがリディアを連れてきたか、分かるか?」

「……俺を、殺すため……だろう」

「リディアがお前と話したいと言ったからだ。だからこうして、わざわざここに連れてきた」

「俺は……」

 

 ライナーの声は震え、言葉を発するたびに体が小刻みに揺れていた。額に浮かぶ汗、引きつる顔の筋肉、すべてが彼の内なる苦悩を映し出していた。

 

「……俺が、リディアの母親を殺した……」

 

 言葉を紡ぐたびに、ライナーの目は潤み、その瞳に映るのは過去の光景だけだった。

 

「俺が壊した壁の破片に、潰されて、死んだ……」

 

 ライナーは自分の両手を見つめた。まるでその手に血が付いているかのように、震える指を握りしめる。

 

「あぁ」

 

 エレンの冷たい肯定が、部屋に響く。

 

「それだけじゃない」

 

 ライナーは顔を上げ、横目でリディアに視線をやった。その瞳には、生きる意志を失った人間特有の虚ろさがあった。

 言葉が詰まり、喉が乾いたように声が掠れる。一度唾を飲み込んでから、まるで懺悔室にいるかのように続けた。

 

「俺は、リディアのことも……躊躇なく殺そうとした」

「そうだな。リディアの腹には、今もその時の傷がある。だろ?」

 

 エレンの言葉に、ライナーの肩が強張る。ファルコの呼吸が一瞬止まるのが聞こえた。

 

「切りつけた相手がリディアだと分かったのは、壁から落下する姿を見た時だ……」

 

 記憶を引き出すたびに、ライナーの表情が歪んでいく。痛みを伴うような、耐え難いものを思い出すような表情だった。

 

「……生きているなんて、思ってもいなかった……」

 

 座ったままのライナーは両肘を膝について頭を抱え、その指が髪の中に食い込んでいく。

 その姿はまるで自分自身を壊そうとしているように見えた。

 

「俺は、俺は……」

 

 声が震え、呼吸が乱れる。

 

「リディアが何よりも鎧の巨人を殺したがっているのを知っていながら、その場しのぎで優しくして、励まして、その挙句……!」

 

 何度も言葉を飲み込み、吐き出すかのように、ライナーは続ける。

 

「耐えられなかったんだ」

 

 ライナーの声は突然静かになり、それがかえって恐ろしい響きを持った。

 

「リディアを見ていると、嫌でも自分の犯してきた罪に向き合わなきゃならない。それが辛くて、だから、俺は……」

 

 言葉を詰まらせる。額から流れる汗が、頬を伝い落ちる。痛みに耐えるように、ライナーは歯を食いしばった。

 

 

 

「……楽な方に、逃げた……」

 

 ついに、ライナーはリディアの目をまっすぐ見た。目には涙が溢れている。しかしそれは同情を求める涙ではなく、ただ自らを責め、罰を求めるような涙だった。

 

 

「……何、それ……」

 

 ふと、言葉が漏れた。リディアには、ライナーの目に浮かぶ涙が、赦しを求めるものではなく、死を求めているものにしか見えなかった。

 

「すまない、すまなかった……全部、俺が悪いんだ……」

 

 ライナーはまるで処刑台の前で頭を垂れるかのように、下を向いていた。

 

「お前の気持ちに甘えて……逃げたんだ」

 

 その声は、もはや人間の声とは思えないほど、哀しみと絶望に染まっていた。

 これほどまでに自分を責め続ける人間を、リディアは初めて見た。それはもはや懺悔を超えて、自分自身を破壊する行為だった。

 

 リディアには、ライナーの言っていることが分からない。彼の痛みは理解できるが、なぜそこまで自分だけを責めるのか。

 

「……なんで……」

 

 リディアが感じたのは怒りでも失望でもなく、ただ困惑だった。

 目の前で壊れていく男を見て、何を感じれば良いのか分からなかった。

 

 ライナーは決して誰かのせいにしない。すべてを自分の罪だと言う。むしろ、それしか言わない。

 

 鎧の巨人が直接リディアの母を手にかけたわけじゃない。リディアを切りつけたのも、その場にいたのがたまたまリディアだったというだけ。ライナーがリディアに優しくしたのも、リディアがライナーに好意を持っていたから。

 

 リディアはもう、知っている。

 パラディ島にいる捕虜や義勇兵、そしてマーレ本土で生活する人々を、この目で見てきた。

 戦士候補生がどんな教育を受けてきたのか。この国におけるエルディア人の扱いがどんなものなのか。

 いくらでも弁明できる立場なのに、なぜか、ライナーはそれをしない。

 

 リディアには、そんなライナーを責めることなどできなかった。

 ただひたすら、彼がどうしようもなく哀れに見えた。

 目の前にいるのは、死にたいと願いながらも死ぬことすら許されない、壊れた男の姿だった。

 

 

 

 ヴィリーの演説が佳境に入っている。

 エレンとライナーの話はまだ続いている。

 

「俺を……殺してくれ……もう……消えたい……」

 

 エレンが、そう言って床に突っ伏したライナーに、そっと手を伸ばした。

 差し出されたのが、この部屋でエレンが自傷したほうの手であると、リディアは咄嗟に気が付いた。

 

「……っ! ファルコ!」

 

 リディアは反射的に叫び、咄嗟にファルコの腕を掴んで引っ張った。

 爆発が起きる前に、少しでも離れなければ……!

 扉に駆け寄り、慌ててドアノブに手を伸ばす。しかし、今更そんなことをしても間に合わない。巨人化の爆発を受ければ、ここは一瞬で崩れる。ライナーを立ち上がらせたエレンの右手からは、爆発するような光が漏れ――

 

 眩しすぎる光の中でリディアが最後に見たのは、ファルコごと自分を庇おうとするライナーの姿だった。

 

 

 

 

 

 母のように、瓦礫の下敷きになるのかと思っていた。

 

「げほっ、げほ……」

 

 リディアは、生きている。

 鎧の巨人に、命を救われた。

 

 巨人の掌の中で、まだファルコが気を失っている。……息はある。怪我をしているが、軽傷だ。

 ファルコを地面に寝かせた後、リディアは意識のないライナーの姿を見た。

 

 近づいてみても、ライナーは目を覚まさない。その肩に触れてみても、身動き一つしない。それはまるで……死体のようにも見えた。

 

「……」

 

 リディアは、意識のないライナーの前にひざまずいた。

 

「……死なないで……」

 

 色々言いたいことはあったが、口から思わず飛び出たのは、その一言だけだった。

 

 

 リディアにはもう、エレンの考えていることが何ひとつ分からなくなっていた。

 あの地下室で巨人化する予定だったのは、間違いない。そんな場所に丸腰のリディアがいれば、瓦礫の下敷きになって、確実に死ぬ。万が一部屋から逃れたとしても、この手のひらの外は既に戦場だ。

 

 エレンは、ライナーがリディアとファルコを守ることを想定して動いていた。

 エレンはリディアを殺そうとしたのか? それともライナーを試したのか? いずれにしても、何のために?

 エレンのことを信じたい。でも、どんどん信じられなくなっていく。

 リディアは自分に言い聞かせる。エレンは仲間のことを信じているし、ヒストリアを犠牲にすることもしない、だからこれも、きっと意味があることなのだと……。

 

 

 

 

 ファルコは目を覚ました。

 

(ここは……どこだ?)

 

 目の前の障害物を押しのけ、大きな物音のする方に向かう。

 外は戦場だった。障害物だと思っていたものは、鎧の巨人の指だった。そこでファルコは、ようやく自分の状況を思い出した。ライナーに守られたのだ。

 慌てて手のひらの奥に向かうと、ライナーの前には、ひざまずくリディアがいた。

 

「……死なないで……」

 

 

 ……この二人は一体どういう関係なんだ?

 ファルコが無言で二人の様子を伺うと、リディアが、そっとライナーの頬に触れた。

 

(うわっ……!)

 

 見てはいけないものを見てしまったような気がして、ファルコは思わず目を逸らす。

 

 さっきの会話の通りなら、この女性がパラディ島の兵士であることは間違いない。ライナーに親を殺され、本人も殺されかけた。ライナーがそれを認めていた。

 でも、ライナーは身を挺して、ファルコとリディアを助けた。そしてリディアもまた、ファルコを助けようとした。

 それは一体、どういう感情なのか。

 

 

 リディアがファルコに気が付いた。

 

「目が覚めたのね。よかった……」

「あ、あの……」

「私はパラディ島の兵士、リディア・ノイマン。屋根のある、安全な場所まであなたを連れていく。ルートを確認してくるから、少しだけここで待っていて。ただ、私も武装していないから……どこまで守り切れるか分からない。だから私が戻ってきたときは、一緒に走って」

 

 リディアがファルコに一気にまくしたてる。その勢いにファルコが圧倒されているうちに、リディアは外に飛び出していった。

 ファルコはライナーに近づく。生きているようだが、意識はなかった。

 

 

 

 リディアはファルコの片手を強く握り、崩れ落ちる建物や散乱する瓦礫の間を縫うように走った。頭上では爆発音が鳴り響き、地面は足元で揺れる。かつての祭りの賑わいは一変し、どの場所も既に戦場と化していた。安全な場所など、もはやどこにもない。

 ファルコは走りながらリディアに尋ねた。

 

「どうして助けるんですか? オレは……マーレの戦士候補生ですよ。あなたの敵です」

「そうだね。でも私もライナーに助けられた……悪魔の島の末裔なのにね」

 

(どうして、クルーガーさん……いや、エレン・イェーガーはこの女性を連れてきた?)

 

 リディアが一切武装していないという事実が、どうしても引っかかる。

 

(やっぱりブラウン副長に会わせるために? でも、なぜそんなことを?)

 

「ファルコ、危ない!」

 

 ファルコがよそ見していると、リディアに強く手を引っ張られた。さっきまで立っていた場所に、瓦礫が落ちている。

 

「あ……ありがとうございます」

「そこの屋根の下まで行って! これ以上は案内できないから……くれぐれも、気を付けて」

 

 そう言って、リディアはファルコの手を離して、その背中を押した。ファルコが危険から逃れたのを確認してから、リディアもその場から走り去った。

 

 

 

 安全な場所など、どこにもない。

 ここからもまた、賭けだった。作戦指示書にリディアの回収場所など書かれていない。リディアはこの過酷な戦場を、誰かに見つけてもらえるまで、自力で生き延びなければならない。

 

「……っ!」

 

 あちこちで銃弾や瓦礫が飛び交う。一瞬でも油断すれば、そこで終わりだ。地上に立っていると、戦況がまるで分からない。瓦礫と埃にまみれた収容区の中で、リディアは一人、置き去りにされていた。

 上空を見ると、パラディ島の兵士達が、巨人と戦っている。

 

(これは、まるで……)

 

 リディアは、845年のシガンシナ区に戻ってきたような気持ちになっていた。

 

 

 

「いました!」

 

 作戦で決めた「光の道」の設置場所を思い出しながら進んでいると、サシャがリディアを発見した。

 

「サシャ!」

 

 リディアがサシャに手を伸ばす。サシャがそのままリディアを抱えて飛ぼうとするが、既に銃を抱えているサシャには、うまくリディアを持ち上げることができない。

 

「……リディア! あなた祭で食べ過ぎたんじゃないですか!?」

「こんな時に変なこと言わないで……サシャが銃持ってるからだよ!」

「何やってんだお前ら! 急げ、時間がない!」

 

 

 

 飛行船には次々と兵士達が乗り上げてくる。ジャンもやっと戻ってきた。犠牲者を除けば、残る兵士はあと一人。

 コニーがサシャ、ジャン、リディアの肩を抱く。布の服しか来ていないリディアには、武装した三人の身体はゴツゴツしている上に冷たくて仕方がなかったが、それでも……温かかった。特別だと言ってくれる仲間がいる。涙が出そうなくらい、嬉しかった。

 

「……で、リディアは祭で何を食べたんです? 体重がズドンと増えるくらい美味しいものなんだから、さぁ白状してもらいますよ」

「何も食べてないし、ていうか太ってないし! それに言っても分からないでしょ、マーレの食べ物なんて……」

「いいえ! 島でニコロさんに言えばきっと……」

「お前ら食べ物の話ばっかりだな」

 

 コニーとジャンが呆れながら相槌を打つ。このまま、帰ることができる。そう思っていた。

 

 その直後だった。サシャが撃たれて死んだのは。

 

 

 

 

 サシャが、息を引き取った。

 その姿は、温かさも表情も生きている時と変わらないように見える。しかし、もうそこにサシャの命が存在していないという事実だけは、残酷なほどにはっきりと感じ取れた。

 リディアは、収容区で自分を守ったライナーのことを思い出した。彼も同じように意識を失っていたが、そこに命が残っているということだけ、はっきりとしていた。

 

 命の有無は、一目で分かる。サシャはもう、どこにもいない……。

 

 

 

 ジークと再会した後のガビとファルコは、別室に連れていかれた。ジークが裏切り者であることを突きつけられたせいか、しばらくの間は静かにしていたのだが、一人でも兵士が目に付くと、ガビはそのたびに噛みつくように反抗した。

 

「島の悪魔どもめ、私に触れるな! 殺すなら好きにしろ! 私が死んでも、真のエルディア人の同胞がお前達を殲滅する!」

「誰か、もう一回このガキを黙らせろ」

 

 フロックが指示した。

 一人の兵士が拳を強く握りしめ、振りかざす。ガビは負けずに兵士を睨みつける。ファルコが「待ってください!」と叫ぶ。

 

 しかし、ガビは殴られなかった。

 

 ガビと兵士の間に立ったリディアが、ガビの代わりにその拳を食らった。

 

「……痛っ……」

 

 リディアが頬を押さえる。

 

「はっ?」

 

 意図せずリディアを殴ってしまった兵士が、思わず後ずさる。指示したフロックも面食らったように驚いた。

 

「……何のつもりだ? 理由によっては、お前ごと船から突き落とす」

「やればいい。……もう、十分でしょう。捕虜に手を出すことは許されない。これ以上、この子たちに危害を加えるな」

 

 ファルコは口を開けたまま、殴られたリディアを見た。

 

 しかしガビは、自分をかばった女に興味を持つこともなく、ひたすら叫び続ける。

 

「何のつもりだ! ふざけるな、殺せ!」

「ガビ……やめろって」

 

 

 フロックは暴れるガビとそれを諫めようとするファルコを無視し、何かを思案するような顔でリディアに問いかけた。

 

「お前だけが丸腰で、エレンに指定された場所に行ってきたのは何故だ? 何をして、誰に会ってきた?」

「私はエレンの作戦に従ったまで。それ以上説明する必要はない。エレンの作戦指示書にも、私の行動について詮索するなと書いてあったでしょう」

 

 

「……鎧の巨人は、随分と弱体化しているようだった」

 

 フロックは、まるで独り言のように呟いた。その視線は、まっすぐリディアを捉えている。

 

「……それが何か?」

「いや、何でもない。お前が誰よりもアイツを憎んでいることなんて、俺が一番知っている」

 

 その言葉に、リディアは言いようのない寒気を覚えた。その目はリディアを見ているようで見ていない。何か別のものを見透かしているような、そんな目だった。

 

「おい、これ以上危害を加えられたくないなら、リディア、お前がガキ共を適切に拘束しろ」

「……」

 

(まるで、私に「選択肢」があるかのように言う)

 

 フロックの声には、「拒否は許さない」という意志が滲んでいた。

 

「なぁおい。フロックの奴、リディアに甘くないか?」

「そりゃそうだろ。確かリディアってフロックの……コレだろ?」

 

 様子を見ていた兵士の一部が、下卑た笑いを浮かべる。

 

「うるさい、そんなんじゃない。リディアのことは、俺が誰よりも理解している。それだけだ」

「はいはい、そうですね」

「見せつけるよなぁ」

 

(誰と会っていたかなんて、どうせすぐに分かるさ。俺はエレンの……代弁者なのだから)

 

 

 

 リディアは別室で、一人、ガビとファルコを拘束する縄を結び直した。

 

「これ以上、あなた達に危害は加えさせない。島では捕虜として拘束することになるけれど、殺されたりすることはないと思う。……ごめんなさい、これ以上の待遇はどうやっても準備できそうにない」

「島の悪魔に情けをかけられるような覚えはない! そうやって油断させたつもりか、私はあんた達なんかに騙されない!」

「おい、ガビ!」

「……そう、ガビね。そしてあなたは、ファルコ」

「黙れ! 喋るな、この悪魔!」

 

 ガビは激昂していて、リディアがファルコの名前を知っていることに気が付いていない。

 

「私はリディア。リディア・ノイマン」

「うるさい! 悪魔に名乗る名前なんてない!」

「そうね。私の名前なんか、別に覚えなくていい……」

 

 そして、リディアは静かに部屋を出ていった。ファルコは、去り際のリディアが小さな声で「ごめんなさい」と呟いていたような気がした。




地下室で主人公がヒステリーを起こすような展開にしたくなかったので、割と静かな再会になりました。感情が爆発するのは、まだこれからですね。
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