「楽園の島の魔女」(完結)   作:雄魔雌

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後編
16 子供の喧嘩


 リディアは家の外で腕を組み、冷えた空気を胸に吸い込みながら迎えが来るのを待っていた。風が静かに吹き抜ける中、彼女はじっと遠くを見つめている。心は落ち着いているはずなのに、体の奥底で何かがざわついていた。

 

「あの家!」

 

 ガビの声が聞こえた。リディアが顔を上げると、仲間たちの姿が視界に入る。安堵と焦燥が入り混じったような表情で、こちらへと走ってくる彼ら。リディアは静かに手を挙げ、自分の居場所を示した。

 

「……大丈夫か?」

 

 コニーが神妙な顔で問いかける。その瞳には、ライナーとの再会を経たリディアを気遣う色が滲んでいた。

 

「コニーの方こそ。……ライナーは中にいる」

 

 淡々とした声で告げるリディアに、ジャンがそっと肩を叩いた。

 

「……頑張ったな」

 

 それは短い言葉だったが、多くの意味が込められていた。理解、慰労、そして、かすかな労い。その言葉に、思わず指先が僅かに震えた。リディアがどれほどの時間を過去に囚われ、どれだけの感情を押し殺していたのか、そのすべてを、ジャンはたった一言で包み込んでくれた。

 リディアは返事の代わりに、肩に乗せられたジャンの手の上に自分の手を重ねた。そして、仲間たちの顔を改めて見渡す。

 

 ――アニがいる。

 その瞬間、時間が止まったような錯覚に陥った。

 

「……」

「……」

 

 お互いの視線が絡み合う。けれど、言葉にはならなかった。二人の間を、冷たい風が通り抜けた。

 

 

 

 

「ハンジさん、火の加減は大丈夫ですか」

「ありがとう。……君しか手伝ってくれないんだから、困ったもんだよね」

 

 リディアは、煮えたぎる鍋を見つめながら静かに問いかけた。 

 ハンジは苦笑しながら、鍋をかき混ぜる。鍋の中の具材がぐつぐつと煮える音だけが、異様な沈黙の中に響いていた。

 

 さっきまで殺しあっていた者同士で、鍋を囲む。

 この状況に、誰もが困惑と苛立ちと不安を抱いていた。

 しかし、リディアはもう迷わない。ここにいる全員の力が必要だから、食事を共にする。ただ、それだけ。

 ……だから、イェレナがどれだけ仲間たちを煽ろうと、動じる理由はない。

 

「リディア、そもそもあなたは何故ここにいるのでしょう。フロックは随分とあなたにご執心のようでしたが……残酷なことをしますね」

「……」

 

 リディアは表情を変えずに、鍋の中を見つめたまま、黙っていた。

 

「あれほどあなたのことを救いたいと願う男がいるのに、親の仇と共闘することを選んだ……あぁ、ひょっとして、ヒョロリとしたフロックより、たくましい鎧の巨人の腕に抱かれる方が、性に合っていましたか?」

 

 ミカサが鋭く息を飲み、ジャンがイェレナを睨みつける。ライナーは、うつむいたまま、拳を握りしめた。

 しかし、リディアは何も言わなかった。そんな煽り、もはやどうでもよかった。

 

 ライナーがジャンに殴られた時も、リディアは何も反応しなかった。気にも留めず、ただ眺めていた。

 ジャンが立ち去った後、リディアはふとライナーの姿を眺める。表情すら分からなくなるくらい、彼の顔面はボロボロになっていた。ジャンの全力を無防備に受け止めたのだから、当然だ。それでも、リディアは何も感じなかった。何かしようとも思わなかった。

 ジャンが殴った。殴ってくれた。それで十分だった。

 

 それよりも、ジャンの蹴りを直で受けたガビの方が心配だった。リディアが彼女の方に歩み寄る。「大丈夫?」そう声をかけようとした、そのとき……ライナーの傍にそっと歩み寄るアニの姿が目に入った。瞬間、リディアの心臓が大きく跳ねた。

 

 ……なんでアニは、こんな辛そうな顔をしているんだ?

 今まで、怒りや悔しさ、疑問、すべてを押し殺していたつもりだった。それなのに、アニがライナーのそばに立った瞬間、そのすべてが決壊した。

 

「……アニ」

 

 そして思わず、声をかけた。

 

 近くにいたガビは、リディアの様子に違和感を覚えた。彼女は自分が今まで見てきた姿とはまるで違う、張り詰めた空気をまとっている。何かが弾ける前の静けさ。その目は、冷たく光っていた。

 

「何……」

 

 アニが怪訝そうに振り向いた、次の瞬間――リディアがアニに掴みかかった。

 

 衝撃。

 アニの体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。砂埃が舞い上がり、周囲が息を呑む。

 

「!」

 

 ガビとファルコは呆然としたまま、言葉を失った。リディアがアニを投げ飛ばすなんて、誰も予想していなかった。

 ハンジは腕を組み、軽くため息をついた。マガトは無言で二人を見ていた。誰も二人を止めようとしない。

 

 アニはすぐに立ち上がり、「何、すんだっ……!」とリディアに掴みかかる。けれど、その攻撃は簡単にかわされ、腕を捕まれた。

 

「腕が落ちたんじゃない? そんなんでよく合流できたね」

 

 挑発的な言葉に、アニが歯を食いしばる。

 

「クッ……」

「私なんかにしてやられるなんて、あの頃のアニじゃ絶対にありえなかった。今、手を抜いたの?」

 

 リディアの声には、冷えた怒りが滲んでいた。アニの手首を強く握り、じわじわと力を込める。

 

「……離せっ!」

「自分でやりなよ」

 

 ガビが止めに入ろうとするも、ファルコに手を掴まれて動きを封じられた。

 

「……あんたに」

 

 アニの目が揺れる。そこには悔しさだけでなく、ほんのわずかに滲む涙の光があった。

 

「リディアに、私の何がわかる……!」

「わかるわけないでしょ。アニが言わないんだから」

 

 アニがリディアの手を振り払う。リディアはそれを見つめながら、強く言い放つ。

 

「でも、私たちには喧嘩する理由がある」

 

 息を荒くしたアニの前で、リディアはまっすぐ立っている。

 

「無口なアニとしっかり話す方法は、これしかないから」

 

「……だから私たち、二人で喧嘩しなきゃ、先に進めないんだよ」

 

 アニは呼吸を整えながら、リディアの言葉を黙って聞いていた。

 

「私は、アニのことを友達だと思ってた。でも……あなたにとっては、そうじゃなかった」

 

 その言葉を聞いたアニは、リディアを強く睨みつける。しかし、リディアは動じなかった。

 

「あなたは……いや、ライナーもベルトルトも……私のことなんか、その辺で勝手にのたれ死ねばいいのにって……そう、思っていたんでしょう?」

「……!」

 

 リディアがアニの胸ぐらを掴む。その声は怒りに震え、周囲の空気を張り詰めさせる。

 リディアの心にはずっと、長い間、ひとつの言葉がひっかかっていた。かつてエレンがベルトルトから聞いた、「どこか知らないところで死んでいてほしかった」という、残酷な言葉が。

 

「ち、違う……」

 

 服を掴まれたまま、アニは声を震わせた。

 

「何が違うの!?」

 

 リディアの声が怒りに震える。近くにいるガビとファルコが、怯えながら様子を見る。

 

「ずっと、どんな気持ちで私の話を聞いていたの!? 鎧の巨人に親を殺されたと話したときも、ブローチを壊されたときも、何も知らずにライナーの話をしていたときも、ずっと心の中で馬鹿にしていたの!?」

「ちがう……!」

「あんなブローチなんかの、せいで……っ」

 

「私だって……こんなどうしようもない人のこと、好きになるつもりなんてなかった……」

 

 リディアが、一瞬だけボロボロのライナーに目をやる。

 その言葉と態度に、ピークが一瞬だけ「ん?」という顔をする。ガビとファルコは再び息をのんだ。

 

「でも、アニは」

 

「理由も負い目もないのに、私と友達になってくれたでしょう」

 

 リディアは、アニを解放するように突き飛ばした。その勢いで、アニは地面に腰をつく。

 

「あなたは、ライナーとは、違う……」

 

 静寂が訪れる。

 

「あんたのことは……」

 

 アニが、座ったままでぽつりと呟いた。

 

「傷つけたく、なかった」

 

「……友達、だったから……」

 

 アニの目に、再び涙が浮かぶ。しかし、涙が流れきる前に、彼女はリディアを睨みつけた。

 

「あんただって……」

 

 アニの呼吸が荒くなる。胸の奥に押し込めていた感情が、ついに堰を切ってあふれ出しそうになっていた。

 

「どうして、一回しか、来なかった……?」

 

 その言葉に、リディアの心臓が跳ねた。

 

 一瞬、リディアの頭が真っ白になった。心臓が跳ね、息が詰まる。……アニは、待っていた? そんなはずはない。そんなことを言われるはずがない。

 

「私は……ずっとあんたの声を待っていた! ヒッチとアルミンは何度も話しかけてくれた、でも、リディアは……」

 

 アニの声が震える。拳を握りしめ、噛みしめるように言葉を絞り出した。

 

「……一回しか、来てくれなかった」

 

 アニの声のトーンが急に落ちる。

 

「……」

 

 リディアは息を飲んだ。

 

 水晶の世界に、この声は届かないと思っていた。でも違う。話しかけた言葉は、アニの耳に届いていたのだ。

 アニは聞いていたのだ。水晶の外の声を、四年間、ずっと……。

 

「お願い、もう、やめて……」

 

 ガビが近くで涙を流しながら、二人の間に入りそうになった。しかし、彼女の小さな手では、この二人を止めることはできない気がして、足が動かない。

 

 リディアは座り込むアニにゆっくりと歩み寄り、片手を差し出した。

 

「私が女型の巨人を継承していたら、少しはアニのことを理解できたのかな」

 

 アニはその手をとり、立ち上がりながらも短く鼻を鳴らした。

 

「馬鹿じゃないの」

 

 呆れたように、しかし、どこか悲しげな声だった。

 

「巨人の力で私を理解しようだって? そんなことしても、私のことなんて分からない」

「……だったら、どうしろって言うの! 何も言わないくせに、それでいて自分を理解してほしいだなんて……この我儘!」

 

 リディアの言葉が弾ける。まるで今まで溜め込んでいたものが爆発したかのように、怒りと悲しみが入り混じった声だった。

 

 立ち上がったアニとリディアは、互いの胸ぐらを掴み合う。強く力を込めてにらみ合ったまま、一歩も引かない。どちらも離そうとしなかった。

 しかし、ふとした瞬間、力が抜けた。どちらからともなく、手を離す。

 

 長い沈黙が続いた。

 

「……私だって、過去の継承者の記憶くらい見たことがある」

 

 アニがぽつりと呟く。

 

「でも、記憶は記憶。そもそも興味がなかったけど、前任者のことなんて、何も分からなかった」

 

 記憶が覗けたところで、結局、その人の全ては分からない。アニの声は、少し安堵しているような響きだった。

 

「……私は、あんたが巨人にならなくて、よかったと思ってる」

 

 リディアの瞳が揺れる。

 

「……」

 

 それは、アニなりの本音だった。

 巨人の力を継承していたら、リディアはきっと、今とは違う人間になっていたかもしれない。記憶に飲み込まれ、自分という存在を失ってしまっていたかもしれない。

 そんな未来を、アニは望んでいなかった。

 

「喧嘩は、これで終わり?」

 

 アニが問いかける。

 

「……さぁね」

 

 リディアは、あえてそっけなく答えた。

 その返事を聞くと、アニは無言で背を向け、どこかに歩き去った。

 リディアは、ライナー達とともにその場に残された。

 

「……リディア」

 

 ライナーが、そっと声をかける。しかし、リディアは振り返らなかった。アニとは別の方向へと歩き出し、一人、離れた場所で静かに涙を流した。

 誰にも見られないように、そっと。

 

 

 

 離れた場所から、一部始終を見ていたマガトが、ふっと息を吐いた。

 

「……まるで子供の喧嘩だ」

 

 呆れたような声色だったが、その目は真剣に二人を見つめている。

 その隣で、ピークが呟く。

 

「アニがあそこまで必死に弁明しているところ、私も初めて見ました」

 

 彼女の目には、遠くで地面に座り込んだアニと、肩を震わせているリディアの姿が映っていた。

 

「どいつもこいつも、ガキのままだ……」

 

 マガトは、深いため息をついた。

 

 

 

 

 

 翌朝。出発前、荷馬車の準備をしながらリディアは呟いた。

 

「イェーガー派が先回りしている可能性がある」

 

 ジャンが顔を上げる。

 

「なんで分かるんだ」

「今のフロックなら、きっとこちらの動きを察知してる。地鳴らし開始後に私の姿が見つからなかった時点で、勘付かせたかもしれない」

 

 その名前が出た瞬間、ライナーが微かに眉を寄せた。

 

「フロック?」

 

 ファルコが首を傾げる。

 

「誰ですか?」

「今、実質的に島を仕切ってる奴だよ……ファルコも姿を見ているはず」

 

 ガビが簡単に説明した。

 そのやり取りを聞きながら、ライナーはどこか引っかかるものを感じていた。

 

「フロックと、何かあったのか」

「まぁ……ちょっとね」

 

 曖昧な返事だった。それ以上何も言わないリディアに、ライナーは小さなショックを受けた。

 

(今……はぐらかしたのか?)

 

 何もないわけがない。昨夜、イェレナがその名前を出してリディアを揺さぶろうとしたことを、はっきりと覚えている。

 フロックの動きに関して、彼女は推測ではなく確信めいた言い方をした。

 その言葉が、どうにも腑に落ちない。何かを隠している? あるいは……自分に言いたくないほど、深い関係があったのか?

 

(いや、何を考えてるんだ、俺は)

 

 自分の思考に気づき、ライナーは唇を噛んだ。ただの戦いの中での因縁だろう。それ以上の意味があるわけがない。

 ポケットの中で、ライナーの指が無意識に何かを転がす。

 

 それが何なのか気づいた瞬間、ライナーの動きが止まった。

 

(リディアの、ブローチだ)

 

 リディアがいつも身につけていた、小さな装飾品。それを手放せず、ずっとポケットの中で転がしている自分に、ライナーは思わず苦笑した。

 

(……みっともないな)

 

 そう思いながらも、指はブローチを手放せないままだった。

 

 

 

 

 移動が始まる。荷馬車の上で、ジャンがリディアに問いかけた。

 

「お前、アレどうした」

「アレ?」

 

 ジャンが、自身の首元をトントンと叩く。かつてのリディアが、いつもブローチを付けていた場所だ。

 

「あぁ……ブローチ。もう返したよ。ね?」

 

 リディアは何でもないことのように、ライナーの方を向いた。ライナーは驚き、慌ててポケットから手を出した。

 

「え、返した?」

 

 予想外の答えに、ジャンは目を丸くする。

 

「私にはもう、必要のないものだから」

 

 リディアはそう言って、微笑んだ。それはどこか晴れやかで、執着を手放したことを示すような笑顔だった。

 ジャンはその意味をすぐに理解した。彼女は過去を乗り越えたのだ、と。

 

 しかし、ライナーはその言葉を違う意味で捉えた。彼はリディアの言葉を受けて「もうお前に興味はない」と言われたかのような、突き放されたかのような気持ちになった。

 

「……」

 

 ライナーの心に、痛みが走る。

 荷馬車の揺れに合わせるように、ライナーは再び、ポケットの中に手を入れた。小さなブローチを指で転がすと、冷たい感触が、指先にまとわりつく。

 

(……返す、なんて……)

 

 思い出したくなかったはずの記憶が、ブローチの感触とともに蘇る。かつて、自分が渡したもの。リディアが嬉しそうに受け取って、ずっと大切にしていたはずのもの。

 それを彼女は、迷いなく手放した。

 

 

 ジャンは、そんなライナーの態度に違和感を覚えた。

 

(なんか……さっきからリディアのこと見すぎじゃねぇか?)

 

 不思議と熱っぽい目で、ライナーがリディアを見ている。長い間捜し求めていたものを今になってようやく見つけたような、そんな目をしていた。

 そんなライナーの様子を、アニもじっと見ている。なんだこいつ? という顔をして。ガビとファルコも微妙な空気を察し、ライナーをちらりと見た。

 

 ジャンの頭に、一つの可能性が浮かんだ。

 

(まさか……)

 

 もう一度、ジャンはちらりとライナーを見た。やたらポケットに手を突っ込んでるな……と思った瞬間、気が付いた。

 ライナーが、ポケットの中で何かを転がしたり、ギュッと握りしめたりしている。それは無意識の行為なのだろう。

 

 ……おい。

 おいおいおいおい!

 

 ライナーがポケットで転がしているものが何なのか、ジャンにも何となく察しがついた。

 

 思わず頭を抱えたくなる。心の中で叫びそうになった。

 

(……こいつ、アホか!? ふざけんな!!)

 

 ジャンは無性に腹が立った。

 いや、今? 戦いに向かうこのタイミングで? しかも何年も前にリディアの気持ちを踏みにじり、ずっと傷つけてきたのに、今さら? どの面下げてそんな顔をしてやがるんだ。間に立たされる身にもなってくれ。

 

 もちろんそんなこと、口には出せない。

 ジャンはその苛立ちを誤魔化すため、とりあえずリディアに絡むことにした。

 

「お前、ずいぶんさっぱりした顔してるな」

「昨日、久々にちゃんと眠れたからかな」

「そうか。……昔のお前は、寝起き最悪だったのにな」

「それはジャンの方じゃない?」

「はぁ? 俺のどこが悪いんだ」

「前、朝にハンジさんの報告聞かされてるとき、死んだ魚の目してフラフラしてた」

「あれは……あの人の話が異様に長かったせいだ」

 

 リディアがくすくす笑う。

 

 目の前のやり取りを眺めながら、ライナーは喉の奥が締めつけられるような感覚を覚えていた。

 自分も、何か言わないと。そう思うのに言葉が出ない。

 口を開きかけた瞬間、リディアがジャンと軽口を叩き合い、また笑った。その笑顔を見た途端、喉の奥で言葉が詰まる。

 

(……何を言いたかったんだ)

 

 ぐっと拳を握った後、何も言えないまま、指先だけがブローチを転がし続けていた。

 目の前のやり取りが、あまりにも自然で軽快で……リディアにとっての居場所はもうそこにあるのだと突きつけられているようだった。

 思わず視線を落とす。指先には、冷たいブローチの感触が残っていた。なぜか、心の奥底に鉛が沈んでいくようだった。

 

 一方ジャンは、ライナーがリディアに向ける湿っぽい視線を感じながら、心の中で舌打ちした。

 

(こいつ本当に何なんだよ……)

 

 ジャンの脳内に嫌な確信が広がる。ライナーは、荷馬車の揺れにも気付かず、ただ静かにリディアを見つめている。というより、その姿に見とれている。

 

(まさか、今さらリディアに惚れたのか?)

 

 ジャンは、膝に乗せた拳をギリギリと握りしめた。

 こっちはずっとリディアと一緒にいたんだぞ。お前、今さら何か言える立場かよ。

 

(……いや、まぁ、別に俺はリディアに気があるわけじゃねぇけど……)

 

 妙にムカつく。妙に腹が立つ。ライナーが黙ってリディアを見つめるその顔が、どうしようもなく気に食わない。

 

 だったら、もっと焦らせてやる。

 ジャンは、わざとらしく話を再開させた。

 

「リディアこそ、朝飯食いながら寝落ちしてたことあるだろ。スプーン持ったまま顔面テーブルに突っ伏してたぞ」

「嘘でしょ、そんなことあったっけ?」

 

「……あった」

 

 アニが、静かに会話に加わった。

 

「朝、寝ぼけて……私のブローチ知らないかって叫んで、サシャにパンを投げてた」

「ほれ見ろ、聞いたか」

「うっ……」

 

 リディアの顔が少し赤くなった。ガビとファルコが少し驚いた顔を浮かべる。

 

「リディアさん、昔そんなだったんですか?」

「そう。いつも、めちゃくちゃだった」

 

 アニがぽつりと呟いた。

 

「……ただ、なんか懐かしい」

 

 アニの小さな声を聞いて、リディアは一瞬だけ目を丸くする。それから少しだけ微笑んだ。張り詰めた空気が穏やかになった。

 

 目の前の会話に加わることができないライナーは、どんどん表情を曇らせていく。そしてあまりにも分かりやすく「羨ましい」という顔をしていた。

 そんなライナーを見て、ジャンは……少しだけ優越感を覚えた。

 

 どういうわけだか、ライナーは今さらになってリディアに惹かれている。羨むような目でこちらを見られるのは、正直ちょっとだけ気分が良い。

 今までずっとリディアを無視してきたライナーが、今になって彼女を求めている。しかしリディアはもう、ライナーに執着していない。

 すさまじいほどの関係性の逆転だ。

 

(にしたって、遅すぎだろ。タイミングも悪いし、なんなんだこいつらは……)

 

 ジャンは心の中で、そう呟いた。

 

 

 

 

 荷馬車が港に近づく。ピークの報告によると、やはり港はすでにイェーガー派に占拠されているようだった。

 

 荷馬車を後にし、見つからぬよう、戦闘体制を整える。

 リディアの顔つきがかわる。

 飛行艇――あれが、最後の希望。




ライナーが訓練兵時代にやってきたことは、アニからしたら滑稽な兵士ごっこだったかもしれないけど。そこで人間関係を構築したからこそ、後に全力で殴ってくれるような仲間を得ることができた。
一方で誰とも信頼を築かなかったアニは、わざわざ構ってくれるような人なんてヒッチくらいだった。ミカサとも距離があるし。アニのことは、誰も裁いてくれない。みんなライナーには容赦ないのに、アニは遠巻きにされて、みんななんか遠慮してる……。
その対比が切なくて、アニと拳でぶつかりあえるような存在が欲しくて、こんな感じの主人公ができました。
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