『初めまして』
ゴトゴト
遠くで馬車が揺れる音がする。
そして瞼越しに差し込む日の光。朝、だろうか。
僕は閉じていた瞼をゆっくり開いた。
「……?」
小型のコーチ馬車の車内。
朝焼けで白く光る向かい合った二つの革製の座席の片側。僕はそこに座っていた。
開けられた馬車の窓から吹くそよ風は、僕の白色の髪をふわりと揺らしている。
そこで、僕はあることに気付く。
「僕は……」
何故こんなところにいるのだろう。
何処へ向かっているのだろう。
まだ重たい頭で、記憶を探ろうとするが――見つからない。
身の回りを探すが、どうやら荷物を持っていないみたいで見当たらない。
服は簡素な白いワンピースと茶色の薄い外套を羽織っているだけで、ポケットの中身も空だった。
(どうしよう……)
すると、左手の方できらりと何かが光るのが見えた。
掲げてみると、その人差し指には指輪がはまっていた。その指輪は、銀のリングで作られていて、小さなオリーブグリーンの丸い宝石があしらわれている。
宝石がキラキラと朝日に照らされるのを眺めていると、ふいに頭の中にある文字が浮かんだ。
「ノアルテ=ミネラーノ……?」
僕の名前……なのだろうか。
いや、多分そうだ。
どうしてそう思うのかはわからないけど、確かにそれは僕の名前だ。
しばらく、それを眺め、他に思い出せることはないか試してみる。
だがそれ以上何も思いだせなかった。
それに、小さくため息をつく。すると――
「着きましたよー」
御者席の方から声が聞こえ、馬車が止まった。
ゆっくり馬車から降りると、そこはどうやら馬車駅のようで、あちらこちらに馬車が見えた。
さらに辺りを見回してみると、馬車駅の看板が立っているのを見つけた。
「フェジテ……」
遠くに見える鋭角の屋根が並んでいる美しい町は、どうやらフェジテと言うらしい。
(あそこに行けば、何かわかるのかな?)
僕は外套の前を左手で握りしめ、フェジテに向かって歩き出した。
これが、僕――ノアルテ=ミネラーノの始まりだった。
――――――――――――――――
『夢と決意』
アルザーノ魔術学院、放課後の中庭。
二年二組の生徒達は各々、二日後に開催される「魔術競技祭」の特訓の最終段階に入っていた。
しかし――
「の~あ!!」
「ルミア、システィーナ。練習はよかったの?」
「それは、貴方もでしょ?」
練習を中断して近づいてきたルミアとシスティーナに首を傾げるノアの姿に、システィーナはため息をついた。
中庭の隅の隅にある樹の下。
ノアはただ座ってぼーっとクラスメイト達を眺めているだけだった。
ノアの競技は「宝物争奪戦」。今年初めて開催される競技で、ルールを知っているとはいえ未知数のものだ。
よって最終特訓のときは、グレンと一緒にやるのが一番いいのだが、グレンも他の生徒達の指導もあって今はいない。
基本的に真面目なノアは、昨日まで、こういう時は魔術書を見たりして待っていたのだが……。
「気分でも悪いの?」
ルミアが心配げに尋ねるが、ノアはすぐに首を横に振った。
「でも、あんまり眠れてないんじゃないの?少し、隈ができてるわよ」
システィーナの言葉に、ノアは目を泳がせた。どうやら図星のようだ。
「ちょっと、夜更かし?してた」
「本当に?」
「う」
明らかな嘘に食い下がったシスティーナにノアは罰が悪そうな顔をする。
それでも理由を教えてくれないノアに、システィーナは困った顔でルミアの顔を見る。それにルミアは一つ頷くと、ノアの前にしゃがむとほほ笑んだ。
「理由を話したくないならそれでもいいんだよ。でも、寝不足は体に悪いから。もし、私達にできることがあるなら教えて欲しいな」
「それは……」
「あっ!それなら、今日お泊り会しない?フィーベル邸で!!」
「えっ!?」
急な提案に目を丸くしたノアと、楽し気なルミアに見つめられたシスティーナは当然。
「ええ、いいと思うわ!両親はいないから気負う必要もないし」
と快諾する。
「じゃあ、ノアの服は……」
「私の服があるから貸してあげるわ。下着も新しいものがあるし」
「そうだね!!夕ご飯はどうしようかな~」
急展開に目を回しているノアをよそにあれよあれよと決まったお泊り会がフィーベル邸で決行された。
「なんかすごかった……」
三人で作った夕食を食べて、順番に入浴した後。
来客用の大きな部屋に三人が並んでも狭くないくらいに広げた布団の上の中央で、寝転がりながらノアが呟いた。
「ふふふ。夕食作りすぎちゃったしねぇ」
ノアの右側でルミアが、半分目を閉じながら楽しそうに、テーブルに並んだ食べきれないくらいの夕食を思い出して笑っている。
「それよりも、枕投げよ。うぅ、鼻がまだひりひりする……」
左側ではシスティーナが、白熱しすぎて一度布団がぐちゃぐちゃになった枕投げで、当てられた鼻をさすりながら小さくうめいている。
「……ふふ」
「ノア?」
システィーナは訝しげな声を上げ、体をノアの方に転がす。
それに見向きもせず、天井を見つめたままノアはポツリと「最近」と呟いた。
「偶に、悪い夢を見るの」
「「!」」
突然の告白に、ゆっくりとやってきていた眠気が吹き飛んだ。それは今日、ノアが隈を作っていた原因だと、システィーナは察した。やっぱり、ただの夜更かしではなかったようだ。
ノアの向こう側でうとうとしていたルミアも、完全に目を覚ましたようで、身じろぎする音が聞こえる。
「夢の内容は……よく思い出せない。誰かが、昏い目で……僕を見てた。冷たくて、動けなくて……どうすればいいかわからなくて。でも、僕は……忘れちゃいけなかった。そんな夢」
「……そう、だったの」
「今日も眠ったら……僕はまた、同じ夢をみるのかな……?」
悔やむようで、どこか苦しそうなノアの声にシスティーナは何も言えなくなった。
けれど、ふいに空気が和らぐと、ルミアの優しい声が聞こえてきた。
「もし、同じ夢をみたとしても、大丈夫。私達が傍にいるから」
「……ええ、そうね。だから、安心して眠りなさいな」
システィーナはルミアと目配せを交わすと、自分より一回り小さいノアの身体に体温を分けるように寄り添う。
ノアは一瞬驚いたように体を固くするが、しばらくすると、力を抜いた。
「……うん」
目を閉じ、ゆっくりと寝息を立て始めるノアを見守ってから、システィーナも夢の世界に入っていった。
翌朝、システィーナは、隣でぐっすりと眠るノアとルミアの寝顔に、そっと微笑んだ。
「懐かしい夢……」
夜明け前、フィーベル邸でシスティーナは目を覚まし、呟いた。
あれは、魔術競技祭が始まる二日前。ノアの様子がおかしいとルミアがシスティーナに言ったことがきっかっけだった。
それを聞いて、システィーナもノアを注視してみると、ルミアの言う通り確かにいつもと違う感じがして、二人で声を掛けに行ったのだ。
直接聞いてもはぐらかそうとするノアをフィーベル邸に誘ってお泊まり会もして、ようやく寝る前に理由を話してくれたのだが……。
(今も、見ているのかしら……)
悪夢。
システィーナはベッドから抜け出しクローゼットの前に行くと、眉を顰めながら身支度を始める。
魔術競技祭があった日、ルミアはまた天の智慧研究会に狙われた。それも今回は、テロ事件とは違い、「生死問わず」だった。
もし、あの時グレンがルミアのそばにいなかったら、今頃どうなっていたことか。
そしてその夜、ノアも天の智慧研究会に襲撃されたらしい。それも、自分たちが呑気に打ち上げをしている間に。
結局グレンと軍の人たちが駆け付けたときには、ノアは瀕死状態だったらしい。
魔術競技祭の翌日に、グレンからの知らせで、急いでルミアと共にアルフォネア邸に向かった。だが、ベッドに横たわっているノアは体中に包帯を巻きつけていて、顔も青白かった。時折上下している胸だけが、ノアがまだ生きているということを実感させた。
そして、今は意識は戻ったものの、精神的な問題があって怪我はほぼ自然治癒に任せている。
何回もお見舞いに行ったが、睡眠も浅いみたいで隈を作っている姿も見えたし、常日頃からクロを抱えて片時も傍を離れないノアを見るたび、システィーナはずっと後悔していることがあった。
(あの日も、ノアの様子がおかしい事がわかってたのに私は……声を掛けることさえしなかった)
もし、「何かあったの?」と一言だけでも声を掛けていたら……。
外套のボタンを留める手を固く握りしめた。
でも、いつまでもこうしていられない。
システィーナは頬を軽く叩くと、左手にいつも愛用している手袋を嵌め、部屋を出る。
まだ薄暗い時分、密かにフィーベル邸を後にすると、いつものように約束の場所へと足早に向かう。
行先はフェジテの北地区学生街の一画に敷地を構える自然公園だ。
魔術競技祭の件があってからシスティーナはそこで、秘密の特訓をしていた。
その公園に立ち並ぶ木々の奥、一際大きなブナの木の麓を待ち合わせ場所として。
早朝ゆえに、閑散としている公園に落ち葉の音を響かせながらシスティーナは進んでいく。
そして見えてきた、ブナの木の麓に待ち人――グレンの姿が見えた瞬間、時間を惜しむように足早にかけていく。
(もっと、強くなるために)
自分の大切な人を守る力を育てるために。