唐突だが、アルザーノ帝国には各地に無数の古代遺跡が存在する。
街道を歩けば古代の石碑や碑文が結構な頻度で見当たるし、新たに家を建てたり、開墾しようと地面を掘ろうものなら、新たな遺跡が出てくることもザラだ。
前人未到の辺境へ調査に向かった軍の調査隊が、新しい古代遺跡を発見してくることも日常茶飯事である。
魔術学院地下に広がる広大な迷宮遺跡や、フェジテの空に浮かぶ幻の『メルガリウスの天空城』だって、広い意味で捉えれば古代遺跡をも言える。
そして、魔術学院内にあるこの場所も帝国に存在する無数の古代遺跡の一つ。
メルガリウスの都跡。
とはいえ、かつての超魔術文明を彷彿させられるような魔術的価値は皆無であるが、学院側は、この人工的な遺跡の風合いを生かして、木や花壇などで飾り立てるなど散策用の庭園として生徒達に広く開放されている。
暖かく吹くそよ風が頬をなでる。
木々の隙間から差し込む陽光が心地よく、小鳥の囀りはまるで子守歌のようだった。
そんな庭園の隅の木の下。
レオスの講義を途中で抜け出したノアは、シロを抱え込み柔らかな芝生の上に猫の様に丸まって、夢の世界に入っていた。
――。
――――。
「だーかーらッ!この子には、この洋服が一番よく似合っているに決まっているでしょう!!」
ふんわりとした黄色の長髪を揺らしながら六番目の姉が声を荒げる。ビシッ!、と示された綺麗で整った爪があしらわれた指の先にいたのは僕だ。
僕はその姉の指示通りその場で一度くるりと回って見せると、白いブラウスについている同色のフリルと黒いフレアスカートがふんわりと広がる。
それを見て不満げに反論するのは、橙色の髪を頭の上の方で一つにくくって片手を腰に当てている八番目の姉。
彼女はキッ、と鋭い目で六番目の姉を睨むと、僕を抱き寄せてその手に持っていた洋服――白いカッターシャツに黒の短パンを合わせて叫んだ。
「似合うか似合わないかじゃないッ!そんな服、絶対に動きにくいじゃないか!ほら――、動きやすい方がいいよな?」
「動きやすさだけで洋服を選ぶなんてッ!そんなの美しくないわ!!ね、――。貴女もそう思うでしょう?」
「えっと……僕は……」
僕は二人の迫力に思わず目を泳がせる。
正直に言うと僕はどちらでもよかった。
ただ――を守れることができれば、洋服なんてどれも一緒に見える。動きにくくて邪魔なら洋服は破くし、下着もつけてるからスカートだろうがズボンだろうが変わらない。
それに、
(上は白で、下は黒なのは同じなんだ……)
この二人はいつも喧嘩してるけど、本当は仲が良いのではないかと何度疑ったことか。
まぁ、それを指摘すると全力で否定するのだけれども。
と、そこで、頭上でどんどん話が変えながら喧嘩を続ける二人の背後からある人影が見えた。
「おいおい、今度は何の喧嘩だ?――が困ってるだろ」
それは短い緑色の髪をした七番目の兄さん。
彼はいつもこの二人の姉の喧嘩を仲裁してくれる人だった。
(やっと解放される……)
僕は安堵の息をつく。
しかし…
「いいか?生き物っていうのはなぁ、やっぱ性格っつー中身が重要なんだ、中身!そうして争いというのはだなぁ……」
これがなければ、もっといいのに。
この兄はいつも余計なことを言うから……。
これではまるで、二人の姉の中身についてケチをつけているように聞こえてしまう。
案の定、七兄の言葉にピクリと姉たちが肩を震わせたのを見て、僕はそーっとその場を離れる。
部屋から出て、扉を静かに閉めた――その瞬間。
「「この
バカぁああああああああああああああ――ッ!」
「――なぎゃああああああああああああああ――ッ!?」
「!?」
空気を震わせるほどの怒声と悲鳴が直接耳に届き、ノアは夢の中から強制的に現実へと帰還させられる。
(な、なに!?)
慌てて飛び起きて、声が聞こえた茂みの向こう側を覗いてみる。すると、そこには何故か顔を真っ赤にしたシスティーナと倒れているグレン、そして驚愕に染まった表情をしているレオスがいた。
「まさか……ほ、本当……なのですか……ッ!?」
レオスが声を震わせて、グレン達に問う。
「い、痛てて……あ、ああ、本当だとも……」
何を言っているのだろうか、全くもってノアには見当もつかないのだが。
ノアが目をぱしぱしと瞬かせる前で、何故かグレンも若干不思議そうな目をしながら立ち上がって、レオスの問いに肯定した。
「てなわけで、諦めな。……別にいいだろう?お前なら女に不自由することなんか――」
「ふざけないでくださいッ!」
突如、レオスが激昂し、ノアはびくりと肩を震わせると、さっと茂みに全身を隠す。
「私はシスティーナの
ノアはまたそろーっ、と茂みから顔を出して、レオスを見てみる。
成程、レオスはシスティーナに婚約したが振られたと。そのうえ、グレンが彼氏だと言われたのか?
(あの人……そんなにシスティーナに本気なんだ……)
頭がよくて、資産もあって、権力もあって、将来は明るいはず……そんな、
それでもこの人を振ったなら、相当にシスティーナにとって嫌なことがあったに違いない。
そう考えると、胸の中がもやもやしてきた。
システィーナを悲しませたかもしれないからだ。ノアの中ではもう既に、レオスは敵認定されている。
じとー、とノアはレオスを睨みながらグレンとの会話を聞く。
「ふーん……つまり、白猫から手を引く気はないと?」
「当然です!彼女が貴女と交際しているのは、一時の気の迷いに違いない!彼女は私と一緒になるべきだ!」
「はぁ……。見たところ……白猫は満更でもなさそうだし、確かにお前の言うことも一理ある……俺は身を引くべきなのかもしれん……」
グレンが呆れたように、苛立ったように、ため息をつく。
「だがな。確かに無謀な夢かもしれんが、せめて白猫が納得するまで好きにやらせてやっちゃくれねーか?後押ししろとは言わねーが……そのくらい待ってやれねーのか?」
「!」
(システィーナの夢……)
彼女の夢は有名だ。
何故なら、”『メルガリウスの天空城』の謎を解くこと”だから。
これまで多くの魔術師が生涯をかけて、全てを捧げた。それでも解き明かされることはなかった謎。
確かに無謀かもしれない。無理かもしれない。
(でも、それを判断するのは貴方じゃない)
システィーナはその謎に挑もうと志し、魔導考古学について真剣に向き合っている。
それだけで賞賛すべきことだろうに。
だが、
「駄目ですね。相手のことを思うからこそ、早く現実を教えてあげるべきでしょう?」
レオスは取り付く島もない。
ノアはもういっそのこと、コイツを斬ってやろうかと思った。
丁度、今日リィエルと稽古するつもりだったし、そのウォーミングアップだと思えばなんてことは……。
「女性の幸せは家庭の中にこそあります。魔導考古学になど関わっている限りシスティーナは幸せになれません。ゆえに、私と一緒になるからには魔導考古学からはすっぱりと手を切ってもらいます。当然でしょう?それがシスティーナのためなのですから」
ノアは詠唱するための左手を中途半端に掲げながらその言葉を聞いていた。
「そして今、確信しました。システィーナを甘やかすだけの貴方は、やはりシスティーナに相応しくありません」
先ほどの穏やかな紳士然としたレオスとは一変して、攻撃的で冷酷な目になったレオスの声はどこか、どこか。
「覚悟してください、グレン=レーダス。あらゆる手段を尽くして、貴方からシスティーナを取り返して見せます。クライトスを敵に回したことを、必ず後悔させてあげましょう……」
どこか、どこか。
どこか、どこか。
どこか、どこか。
どこか、どこか、どこか。
ばしっ
突然聞こえてきた鋭い音に、ノアはピクリと肩を震わせ……次の瞬間、レオスの足元に落ちている黒い手袋に目を見張る。
「決闘だ。白猫を賭けて勝負しようぜ?レオスさんよ。俺が勝ったら、お前は完全に白猫から手を引け。白猫の前にもう二度と姿を見せるな」
「ちょ、先生!?」
妙に冷静なグレンがレオスにそう宣告する。
傍で慌ててシスティーナがグレンを止めようとしているが、遅かった。
「ふっ……これは願ってもいない好機ですね」
レオスは悠然とした所作で、グレンの手袋を拾い上げた。
「私が勝てば、システィーナは私のもの……貴方にこそシスティーナから完全に手を引いて貰いますが?」
「いいぜ?どーせ、俺の勝ちだし」
「ふん……貴方の吠え面、是非見てみたくなりました……」
互いに不敵に、噛みつき合うように笑う。
「では、今日はこの辺で。決闘の方式と日時は後日、ゆっくりと話し合いましょう」
レオスはくるりと踵を返すと、ノアのいる茂みの方向へ歩き出す。
「!」
ノアはどこか違うところへ隠れようと思い、周囲を見渡すが少し遅すぎたみたいだ。
気付けばノアの横に、レオスが到着していた。
レオスはグレンに向けていたような冷酷な笑みで冷や汗を流すノアを見下ろすと、次の瞬間またあの紳士然とした笑みを顔に張り付けてノアに声を掛ける。
「貴女は……確かシスティーナの友人でしたよね?先程の講義も初めは出席していたのを見かけましたが……具合が悪かったのですか?それとも、やはりつまらなかったでしょうか?」
「え、えと……そんなことは……すみません……」
「いえ、大丈夫ですよ。次の講義はより励まなければいけませんね」
身を縮こまらせるノアに、レオスは笑みを崩さずそのまま去っていった。
完全にレオスの姿を視認できなくなるまで、ノアはそのまま突っ立っていたが、やがて見えなくなると、へなへなとその場に蹲る。
「はぁ~~……」
遠くで聞こえてくる喧噪も、また水中にいるようにおぼろげだ。
シロがノアの足に心配するようにすり寄ってくるが、ノアは何もせずただ膝に顔をうずめるだけだった。
(
講義中でも思っていたことだった。
何か大切な授業内容のはずなのに、全く頭に内容が入ってこなくて……。
温和でいて冷酷な話し方。
落ち着かなくて、とても胸がざわつくような。どこか
それに――。
「幸せ、か……」
それは、ノアの四兄も口にしていたことだった。
――俺達は、ただ君が幸せでいてほしいだけだ
「幸せに……」
瞬間、一際強く吹いた風がノアの言葉を消し去っていった。