決闘から数日後。
その日もグレンはいつものようにやる気がないように大幅に授業に遅刻してやってきて、そのまま授業を始めた。周りの生徒達がため息をつき、教科書を開いて自習を始めるのを見て、ノアも教科書を開くだけ開いてあとはいつものように頬杖を突き窓の外を見る。
教室に響くグレンのゆったりとした声にうとうとしていると、かわいらしい声の少女――リンの声が聞こえてきたのでそっと聞き耳を立てる。
「え、えっと……その……今、先生が触れた呪文の訳がよくわからなくて……」
すると、グレンのため息とともに、空気が動く雰囲気がした。
「これ。ルーン語辞書な」
「……え?」
「三級までのルーン語が音階順に並んでるぞ。ちなみに音階順ってのは……」
グレンはリンの質問にはまともに解説するつもりもないようで、代わりに辞書の引き方を解説し始めた。さすがにリンが可哀そうでちらりと前を見ると、リンも困ったような雰囲気で立ってグレンの話を聞いている。
そんなグレンのリンへの態度に、今まで黙っていたシスティーナも流石に黙っていられなくなったのか立ち上がってリンの方へ歩み寄っていった。
「無駄よ、リン。その男に何を聞いたって無駄だわ」
「あ、システィ」
(また、か……)
最近は静かだったから安心していたが、またあんな風に言い合いをされるとこちらとしてはより鬱々とした気持ちがたまるというものだ。
システィーナが鋭い言葉でけなすように話すのを、右から左へと流す作業を開始する。
(平常心、平常心)
また、目線を外にそらし頬杖をついて手で耳をそっとふさぐ。いつもなら聞こえてくる、屁理屈のようなグレンの声が聞こえないので完全に無視しているのだろう。
そう思ってたのに、ぼそりと聞こえた言葉に思わず肩が揺れてしまった。
「魔術って……そんなに偉大で崇高なもんかね?」
グレンの何がそんなに気に障ったのか、声音からは今までのような軽さが感じられなかった。いつもと違う様子に恐怖のようなものを感じる。
ともあれ、その言葉は魔術に対して並々ならぬ情熱があるこの学院にいる人たちにとっては最大な侮辱ともとれる言葉だ。案の定システィーナはそれを許さずに、鼻で笑い、刺々しい物言いでバッサリと切り捨てる。
「ふん。何を言うかと思えば。偉大で崇高なものに決まっているでしょう?もっとも、貴方のような人には理解ができないでしょうけど」
「何が偉大でどこが崇高なんだ?」
どくん、と心臓の音が聞こえた。
システィーナの困惑した声が遠くに聞こえる。
「魔術ってのは何が偉大でどこが崇高なんだ?それを聞いている」
「そ、それは……」
心臓が、また一つ大きく鳴った。
システィーナもほかの生徒達も何も言わない。早くこの時間を終わらせてほしいのに誰も動かない、わからないと一言いうだけですべて終わらせれるはずなのに動かない。
「ほら。知ってるなら教えてくれ」
指先から温度がどんどん失われていくのを感じる。心臓の音が痛い。
催促されるグレンの詰問から逃げるように、窓の外から視線を外さず、徐々に固くなっていく体をそのままに、気配を消すように身を縮めた。そして、ふいに教室の空気が動くと、やはり答えたのはシスティーナだった。
「魔術はこの世界の真理を追求する学問よ」
「……ほう?」
だめだ。きっとその言葉はこの人にとっては悪手だ。案の定、グレンの返事はまるで納得している様子がない。
システィーナの論説をことごとく退け続けたと思うと、今度はグレンが論説する側に回った。グレンの言うには、魔術というものは誰もが使えるものでもなく、あってもなくても困らないものであるということは事実でもあるからだ。それどころか、魔術が使えない人たちにとっては、魔術は不気味な力と思っていてもおかしくないほど。
たまに反論するだけでほとんど聞き役に回ったシスティーナも、きっと心の中では自分の分が悪いということをわかっているだろう。初めのような勢いはもうなかった。
まさにグレンの独壇場。システィーナには悪いがこれでやっともう話は終わるのだろうと安堵するとともに、強張っていた体が徐々にほぐれていく。そして。
「悪かった、嘘だよ。魔術は立派に人の役に立ってるさ」
「……え?」
グレンの突然の掌返しにシスティーナはもちろんクラスの生徒一同も目を丸くした。
「あぁ、魔術はすげぇ役に立つさ……人殺しにな」
視界の横に移るグレンはとても冷たく、その目はどこか遠くを見ているようだった。
「実際、魔術ほど人殺しに優れた術は他にないんだぜ?」
そのあともグレンはいかに、魔術は外道であるかをまくしたてていく。
極論だと反論する隙さえ与えず、何かを憎むような形相のグレンから目線がそらせない。嫌な汗が背中を伝っていくのを感じると同時に思う、「この人は一体なんだ」と。
魔術に対して誰もが目をそらし、触れないようにしている現実を、この人はあたかも熟知しているといったように語る。
「まったく俺はお前らの気が知れねーよ。こんな人殺し以外、何の役にも立たん術をせこせこ勉強するなんてな。こんな下らんことに人生費やすならほかにももっとマシな――――」
ぱぁん、と乾いた音が響く。
システィーナがグレンの頬を掌でたたいた音だ。そしてグレンに何事か叫ぶと、荒々しく教室を出ていく。
気まずい雰囲気になった教室で、グレンはがりがりと頭をかきながら舌打ちをして、「自習」だと言いながら教室を出ていく。
その後、グレンもシスティーナも最後まで教室に戻ることはなかった。
――――――――――――――――――
といった翌日。
「昨日は、すまんかった」
授業の開始前だというのにやってきたグレンがまずやったことが、システィーナへの謝罪だった。あんなに聞く耳を持たなかったのにいったいどんな心境の変化があったのか。クラスの生徒達もグレンの心変わりに目を瞬かせているが、グレンは気にせず教壇へ歩いていくと、黒板に背を預けて腕くみしながら目を閉じた。まるで予鈴を待っているようだった。
そして。
「じゃ、授業を始める」
手に持っている教科書のページをパラパラとめくる。が、めくるごとに苦い顔をして最終的には露骨にため息をついて教科書を閉じ、生徒たちの目の前で、その教科書を
「そぉい!」
と、投げ捨てた。
ここまでは今までのグレンと変わらない、のだけど。今回は違った。
「お前らって本当に馬鹿だよな」
訂正。同じだ。そしてなぜか罵倒されるという理不尽。
「昨日までの十一日間、お前らの授業態度見てて分かったよ。お前らって魔術のこと、なぁ~にもわかっちゃねーんだな。わかってたら呪文の共通語訳を教えろなんて間抜けな質問出てくるわけないし、魔術の勉強と称して魔術式の書き取りやるなんていうアホな真似するわけないもんな」
「【ショック・ボルト】程度の一節詠唱もできない三流魔術師に言われたくないね」
すると、グレンの指摘に硬直していたクラスからはクスクスと笑い声が聞こえてきた。しかし、グレンはそれについてはふて腐れたような顔をして、でも【ショック・ボルト】程度という言葉に勝ち誇ったような顔をして自分たちが無知であることを証明しているといった。
そして、グレンは【ショック・ボルト】を実際に壁に放ち、そして今までとは比較にならないくらい綺麗な文字で呪文を黒板に書く。
《雷精よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ》
「さて、これが【ショック・ボルト】の基本的な詠唱呪文だ。魔力を操るセンスに長けた奴なら《雷精の紫電よ》の一節でも詠唱可能なのは……まぁ、ご存知の通り。じゃ、問題な」
グレンはチョークで黒板の呪文の節を切った。
《雷精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》
「これを唱えると何が起こる?」
誰も答える人はいなかった。
あのシスティーナも黙っているのを見て、ノアは姿勢を正し目の前の黒板に書かれた呪文について考える。
(考えたことなかった……)
そもそも詠唱を短くすること自体に重きを置いていたので、節で区切って詠唱することなんて眼中になかった。ノアが珍しく真剣に頭を捻っていると、グレンに煽られて声を上げる生徒たちの回答やその回答に対する嘲笑やら聞こえてくる。
とうとう誰も答えなくなって、腹を抱えて転げまわっていたグレンは当然だという風に答えを宣言する。
「答えは右に曲がる、だ」
グレンはくるりとこちらに背を向け、左手を黒板に向けると四節になった呪文を唱えた。その結果、グレンの掌から放たれた紫電はバチバチッと音を立ててまっすぐ直進して黒板へ着弾すると思われた
クラス中から小さく息を吞む音が聞こえる。
「さらに、
《雷・精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》は射程が3分の1になる。
《雷精よ・紫電 以て・撃ち倒せ》は出力が落ちる。
ま、究めたっつーなら、これくらいはできねーとな?」
指先でチョークをくるくる回転させてどや顔してくるグレンに、誰も何も言えなかった。
そもそも、とグレンは魔術に関する勉強について語った。
曰く、こんな教科書の呪文を口にしただけで不思議現象が起こるのは常識的におかしい。
曰く、今までやってきた勉強はただ使える魔術の量を増やすだけで、根本的な理屈に関しては二の次だ。それが勉強と言えるのか。
「つーわけで、今日、俺はお前らに、【ショック・ボルト】の呪文を教材にした術式構造と呪文のド基礎を教えてやるよ。ま、興味ない奴は寝てな」
というとグレンは授業を開始するが、当然誰一人として寝る気配はなかった。
この短い間で空気が変わった教室に、ノアは小さく笑みをこぼすと、姿勢を正し座席が高いせいか地面にわずかにしか届かない足を揺らしていたのを止めてまっさらなノートを開いた。
ダメ講師グレン、覚醒。
この報せはすぐに学院中に広まり、生徒達はもちろんのこと講師一同にも大きな震撼を与えた。