太陽が沈み、茜色の空が夜色に変わる頃。
フェジテの魔術学院に到着したノア達は、そのまま解散する流れになった。
「じゃあ私は先生の所に行ってくる」
「頑張ってね、システィ」
ルミアの激励に送られ、システィーナはグレンを探しに校舎へ入っていく。
その場に残されたのはルミア、リィエル、ノアの三人。
「私とリィエルはもう帰ろうと思うけど、ノアも途中までどう?」
ルミアはノアに振り返ってそう提案してくれるが、ノアには少し確認したいことがあった。
「ううん。僕はちょっと図書室によってから帰るから先に帰ってていいよ」
「わかった。あまり遅くならないようにね」
「うん。リィエルも今日はありがとう」
「ん」
ノアは手を振って二人が帰っていくのを見送る。
しばらくして、二人の姿が見えなくなった後ノアは図書室に向かって歩き出した。
ノアが確認したいこと。
それはあの軍用魔術について詳しく書かれていた魔導書の在処。
ノアの過度な睡眠とその間に見ている”夢”で、とある仮説が思い浮かんで……。
(まさか……)
図書室の前についた。
逸る心臓を抑えながら、扉を開き、目的の魔導書があったと記憶していた棚を見る。
そこには――。
「……ない」
そこにはやはり目当ての魔導書が置かれていなかった。
それどころか……この棚は軍事用魔導書が置かれている棚ではなく、古代魔術についての魔導書が並んでいる棚だった。
他の棚を探してみる。
しかし、どの棚も軍用魔術について書かれている魔導書が並んでいることはなく、精々、魔導兵団戦術についての魔導書が数少なく存在しているだけだった。
(僕の記憶違い……?)
それでも確かにノアは魔導書を読んだ記憶があって、さらにはサイネリア島で軍用魔術を使用している。
これはどういうことだろうか。
(……)
ノアは近くにあった棚に向き直ると、適当な魔導書に手を伸ばして――
ザザッ……ッ
「!?」
突然、視界にノイズが走り、慌てて伸ばしていた手を下ろす。
すると視界は何事もなかったかのようにクリアに戻り、目の前には軍用魔術とは関係のない魔導書が現れる。
ノアは小刻みに震える手のひらを見つめた。握って、開いて、また握る。
その度に、現実と夢の境界が曖昧になっていく気がした。
(今、一瞬……あの魔導書が目の前に……)
視界にノイズが走った瞬間、学院の図書館とは違って背が低くて幅が狭い棚に
それも両手で数えきれないくらいに。
呆然と立ち尽くすノアの頭の中のとある仮説が真実味を帯びてきて、冷や汗が背中を伝っていく。
軍用魔術の魔導書を読んだ、それは――ノアの過去の話だということ。
「――~ッ」
ノアは弾かれたように、本棚から離れた。
心に芽生えた恐怖を振り払うように図書室を飛び出す。
閑散とした廊下を音もたてずに、けれども急ぐ足取りで進むノアの心には疑問と不安が押し寄せてくる。
(軍用魔術を使うような生活って何?僕は昔、何をしてたの?)
いや、本当はずっと気付いていないふりをしていただけだ。
こうして学院生活を送っていてどうしても感じてしまう違和感に。
――ここの生活は平和すぎる
夢の中で繰り返し出てくる「使命」という言葉。
自身の命を投げうってでも「守らなければいけない」存在。
そして、「番号」で判別している兄妹達。
どれも普通とは程遠い生活を送っていたことがわかるのに。
(僕は……何を……)
気づけば学院の中庭の横にある廊下で立ち尽くしていた。
下校時刻が過ぎているからか、いつも賑わっているこの中庭にも付近の廊下にも生徒達は誰一人いない。
いや……。
「先生……?」
前方の階段から降りてきたグレンは俯いたまま、どこか逃げるように前門へと歩き去っていこうとしていた。
システィーナと話ができなかったのだろうか。それにしては、どこか様子がおかしい。
とにかく今は声を掛けるべきじゃない。
先生もノアも正気じゃない。そう思ったのに。
視界が揺れた。
グレンの背中が、記憶の中の懐かしい背中に重なった途端――ノアの足は音もなく床を蹴っていた。
(あ、だめだ……)
後、20メトラ。
(だめだ……だめだって!)
10……5……1……
「待って……ッ!」
制止する理性を振り切って、手が勝手にグレンの腕を掴んで――
パンッ
「あ……」
ふらりと傾く身体。
振り向いたグレンの驚いた顔。
ノアは心底、自分に嫌気がさした。
(ああ、間違えた……)
間違えた。
突然腕を引いた小さな手を反射で振り払い、その手の持ち主の表情を見た瞬間、グレンは気付いた。
自分がどれだけ愚かで、取り返しのつかないことをしてしまったのか。
(俺は……何を……)
先程システィーナときちんと話をして、レオスに決闘を吹っかけた理由をグレンの中でもきちんと整理をつけることができた。
結局、ただのグレンの子供じみた感情論で翻弄されていたことを知ったにも関わらず、システィーナはそれを受け入れてくれて……。
だが。
突然割り込んできたレオスに、グレンは耐えがたい”事実”を突き付けられて……ここまで逃げ出してきてしまった。
と、そこまで呆然と立ち尽くしていたグレンは我に返る。
(回想に浸ってる場合じゃねえ……!)
手をはじいてしまった拍子に、その生徒――ノアの身体はバランスを崩してしまった。
彼女は冷たい廊下に、俯いたままぺたりと座り込んでいる。
怪我をさせてしまったかもしれない。リィエルから「最近のノアはおかしい」と報告を受けたばかりだというのに。
「わ、悪いノア!怪我は……」
グレンは謝りながらしゃがみ、彼女に手を伸ばそうとして……硬直した。
――その血塗られた手で……貴方は一体、生徒達に何を教えるつもりです?
レオスの言葉が頭に木霊する。
(今はそんな場合じゃねえだろ……ッ!)
頭を掻きむしりたいような、叫び出したいような強い衝動を抑えながら。
それでも中途半端に伸ばした手はこれ以上動くことなく、彼女に手を差し出すことすらもできない。
周囲はすっかり薄暗く、辛うじて近距離にいる相手の顔が見えるくらい。
物音ひとつない静寂があたりを支配していた。
「先生……」
小さな声に、グレンの肩がびくりと跳ねた。
反射的にノアの顔を覗き込んだが、前髪に隠れて、その表情は見えなかった。
ほっとしたような、恐ろしいような、情けないような。
そんな逃げ場のない感情がグレンを包み込む。
「あ、ああ……ノア。どうした……?」
「その……僕は……」
言い淀む彼女の手は、祈るように胸元で組まれ、微かに震えていた。
「お、おい……お前……」
本当に何があったのだろうか。
様子がおかしいノアに、逆にグレンは冷静になってきて段々いつもの調子を取り戻す。
「ノア、何かあったのか?」
「僕は……僕はそんなに、いい人じゃない……」
「!!」
どうしてそんなことを言うのか。
グレンには理由も真意も分からない。
しかし、その言葉はグレンの心に深く突き刺さった。まるで、グレンの心を見透かされたようで。
「先生……。僕は、先生のしたいようにすればいいと思う。その為なら会わなくても大丈夫。でも……」
ノアが顔を上げる。そこには苦悩に満ちた眼差しがあった。
「……ちゃんと、帰って、くる?」
「それは……」
グレンは口ごもってしまう。
実際に軍時代に何も言わず戦友達の元から去ってしまったという前科があるから、”約束”ができないのだ。
そんなグレンに、ノアはその
「僕は、いい人じゃないけど……でも、みんなは違う。だから、みんなの所には帰ってきて、ほしい……」
「あ、おい……」
それだけ言うと、ノアはふらりと立ち上がり、グレンに背を向けて――逃げるように駆けて行った。
静まり返った廊下に、ノアの言葉とその背中に虚しく手を伸ばしたグレンだけが余韻の様に残っていた。
――――――――――――――――
翌日。
システィーナとレオスの正式なる婚約が発表された。
システィーナが自らの意思でレオスの求婚を受けた――その噂と報せに学院中に激震が走った。
対して、レオスの決闘を受けたグレンは――失踪。
決闘の約束の時間になっても姿を現さず、さらには学院からも姿を消したのだ。
一瞬で、評判が地に落ちたグレンと。
一瞬で、お祝いムードにいるレオスと学院。
しかし、その中でごく一部、この結果に不信を抱いている生徒達がいた。
「……システィーナ、話がありますわ」
とある休み時間。
教室で、ウェンディ達、何人かのクラスメイト達がシスティーナに詰め寄っていた。
「貴女……本気ですの?」
ウェンディが、レオスから受け取った結婚式の招待状をシスティーナに突き付けながら、いぶかしむような表情で問い詰める。
「う、うん……そうよ。元々、許嫁同士だし……私の夢でもあったから……すごく幸せ」
一見非の打ち所がない笑顔だが、その表情はやはりどこか固い。
「夢っつったら、お前……天空城の謎はどうするんだよ?いっつも俺達に熱心に語ってじゃねーか……」
カッシュもどこか苦い表情で苦言を呈す。
結婚したらそれもできなくなるのでは、という言葉にシスティーナの背中が一瞬、ピクリと震えるが……
「あ、あはは……確かに夢だけど……でも、現実的でもないから……」
やはり、どう考えてもおかしかった。
あの典型的なメルガリアンなシスティーナが、天空城への夢をそう論ずるなんて。
ウェンディとカッシュの表情は益々強張っていく。
「でも、今週末に挙式なんて……あまりにも急すぎない?」
カッシュの隣にいたセシルが、おろおろしながら言った。
”夢”で何も言わないなら、挙式についての不審な点を挙げることにしたらしい。
ウェンディはセシルの言葉にうなずきながら、問い詰めていくが……
「も、元々、そういう予定だったのよ!私の両親も、レオスの両親も分かってくれる……!」
と、頑なに結婚に対して肯定する。
少し離れた場所で見守っているルミアも何も言わず、暗い顔で俯いているだけ。
やっぱり、何かおかしい。
だが、そこに……
「システィーナ」
不意に現れたレオスに、思わずカッシュ達は身構える。
「今週末に行う結婚式の予定で、少し打ち合わせをしたいのですが……」
「あ……うん、わ、わかったわ、レオス……」
そうして寄り添うように並んで、教室を出ていった二人。
一見、仲睦まじそうに見えるが……クラスの面々はどこか怪しむ様な目で見送る。
そしてそれはノアも同じ。
「……」
あの夕方から全てがおかしくなった。
魔導兵団戦があったあの夕方から、歯車がかみ合っていない時計を見ているかのように全てに異常を感じる。
様子のおかしかったグレン。
急に心変わりしたシスティーナ。
ノアがその翌日にルミアに聞いてみたところ、分かったことがあった。
それはこの二人の異変には、共通してレオスが関わっているということ。
ルミアはあの夜、帰ってくるなり「レオスと結婚する」と突然宣言したシスティーナと口論になったらしい。
システィーナは言葉を濁すが、問い詰めていくうちに朧げに見えてきたのは……先刻、グレンと和解するために、学院の屋上でグレンと会っていた時に、レオスがやってきて……何かがあったらしいこと。
そして、何かレオスに弱みのようなものを握られてしまったことが疑いようもないこと。
不甲斐なさを感じながらも、ルミアが助けを求めたのは――グレンだ。
真夜中、照明魔術も忘れルミアはセリカの屋敷へ駆け込む。
屋敷の正面口の呼び鈴を祈るように鳴らし続けしばらく。ほんのわずかに開いた玄関から、グレンが亡霊のような目をのぞかせて……。
ルミアは微かに開かれた玄関扉に身体をねじ込んで、必死に自分の知りうる限りの話をグレンに伝えた。
虚無と無気力に取りつかれた表情のグレンは、ルミアの話を聞いていくうち、次第にその瞳に光と力を取り戻していき……
「……任せろ」
ただ、一言。
そうルミアの頭を撫でながら……そう力強く、言ったらしい。
それから……グレンは、未だ音沙汰がない。
(先生……帰ってくるよね……?)
本当は、ノアにはまだ気になることがあった。
一つ、ノアの過度な睡眠癖がぱたりと収まったこと。もちろん、あの日から。
二つ、システィーナがたまにルミアやリィエル、ノアを見て何故か安心したような顔をしていること。
(これは偶然……?)
偶然でないなら或いは……。
(システィーナの握られた弱みは、もしかして……僕たち?)
ノアは制服の胸元を握りしめる。
視界の端では、ルミアがリィエルを後ろから抱きかかえるのが見えた。
恐らく、リィエルはレオスを排除したいと言ったのだろうと容易に想像がつく。
リィエルの考えは尤もだ。
ノアだってそうしたいのはやまやまだから。
(でも……証拠がない……)
証拠がないまま、レオスを排除してもこちらが捕まるだけ。
そうすれば、システィーナを助けるという願いもついえてしまう。
だから……信じるしかないのだ。
信じて、グレンを待って、待ち続ける。
(それが……今の僕が、唯一出来ること……)
……だが。
結局――グレンが学院に姿を現すことはなかった。
そのまま、一日……二日……そしてとうとう週末になって……
本日は、システィーナとレオスの結婚式だ。