――話は数日前に遡る。
あの魔導戦演習が終わった、その日の夜遅く。
グレンはルミアから、レオスとシスティーナの結婚について知らされた。
何故、システィーナが突然レオスと結婚する気になったのかは分からないが、彼女が望む結婚でないことはこれまでのことで明らかだった。
グレンはルミアの直感を信じ、システィーナを救うために行動を開始した。
とはいえ、グレンには致命的に情報が足りなかった。
レオスはシスティーナに何を吹き込んだのか。
本当にシスティーナが望んだ結婚ではないのか。
そもそも……
(俺は、レオスの野郎について『クライトス』の御曹司ってことしか知らねえ……)
演習後、屋上でシスティーナと話してた際にレオスが割り込んできたのを思い出し、グレンは唇を血がにじむほど強くかむ。
あの時、レオスはグレンの逆鱗に触れた。
それは自分の手が既に赤く染まっていて、自分に教師である資格がないという事実。
そして、それをシスティーナに聞かれたこと。
気付けばグレンは決闘を待たず激情のまま、
負けるはずはなかった。それなのに、まるで赤子の手を捻るかのように、簡単にグレンはレオスに負けたのだ。
という事があって。
グレンはレオスとの決闘をすっぽかして行方をくらまし、逃げた体を装った。すこしでもレオスが油断してくれれば、と。
そして、レオスがシスティーナと二人でいる時を狙って、召喚した鼠の使い魔をその周囲に放ち監視を始める。
一瞬、レオスと目があった気がしたが……杞憂だったみたいだ。
真実はあっさりと明らかになった。
二人の会話から――レオスがルミアとリィエルの素性とノアの健康を盾に、システィーナを脅して結婚を迫っているという事実が――。
グレンは焦った。
クライトス伯爵領の御曹司なんてとんでもない。レオスは間違いなく天の智慧研究会に所属する、或いは組織に通じている人間だ。
ルミアの素性は国家機密、リィエルは政府すら把握していない。
それらをすべて知っているとしたら……天の智慧研究会だ。
(だが……なんで白猫なんだ?)
そこだけはよく分からなかったが、それでもシスティーナを脅して手に入れようとしている以上……もう、グレンの『敵』だ。
倒さねばならない。場合によっては――。
だが、またここでグレンは愕然とする。
今の自分には、まるで味方がいないのだ。
セリカは地下迷宮の探索中でいない。別任務についたアルベルトとは連絡がつかない。システィーナの両親も仕事で不在、おまけに各地を転々としているせいで、システィーナすら所在が分からない。
天の智慧研究会が絡んでいる以上、学院の人たちは巻き込めない。
貴族相手ではフェジテの警備官では手も足も出ないし、そもそも信じてもらえない。
リィエルは――駄目だ。
天の智慧研究会の者が近くに迫っている可能性がある以上、護衛としてルミアの傍から離すわけにもいかない。
ノアも……。
レオスがどんな方法でノアの過度な睡眠を治したのかは分からないが、関わらせて逆に悪化させられるのは論外。
そもそも、あの日、彼女の手を振り切ったのはグレン自身ではないか。
(くそ……っ!軍や政府は時間がかかりすぎるし……。その間にレオスが白猫を領地に連れていけば泥沼だ……!)
爵位持ち貴族の領地は基本的に治外法権、例え女王陛下でも簡単に干渉できない。
なんていうこと。
どういう偶然か――システィーナを救うには、自分一人で、あのレオスを打倒しなければいけないのだ。そして、そのために残された時間はあまりにも少なく――週末にはもう結婚式だ。
(――くそ、なんなんだ、こりゃ!?偶然にしては、状況が出来すぎるぞ!?)
まるで、相手の掌でいいように転がされているような……そんな気持ち悪さがあった。
だが、そんなことを言っていても始まらない。
システィーナを救うために、レオスとの戦闘は避けられない。
レオスは強い。自分よりも圧倒的に。
『本気』でやらなければ確実にグレンが負ける。殺される。
よって、グレンはこの数日間、闇市を回り、なけなしの金で武器や素材を集め魔道具を作成した。
爆晶石などの各種晶石類を用意し、以前アルベルトから受け取った銃の弾薬を調合し、予備シリンダーを調達。
ナイフに呪的効果を
資金と時間が許す限り、装備を揃えていく。
(……まるで魔導士の頃に戻ったみてえだな……)
自室で、グレンは物騒な各種装備を虚ろな目で見つめる。
目の前にあるこれらは、昔グレンが現役の魔導士時代に仕事で使っていたもの。
グレンにとっての負の遺産と呼べるもの。
だが――。
(……考えても仕方ねえ……)
仕掛ける日は、結婚式当日。
そこで、レオスの目の前でシスティーナを攫う。
そうなれば、レオスは間違いなく追ってくるだろう。
(攫った白猫を餌に、レオスを俺が有利な場所におびき寄せて……打倒する)
なんともお粗末な計画だが、グレンにはそれしかなかった。
……。
…………。
……そして。
「本っ当に……どぉ~して、こうなっちまったんだろうな……?」
この濃密だった一週間の回想に、グレンは愚痴をこぼす。
既に聖カタリナ聖堂を後にしたグレンは、入り組んだフェジテの狭い路地を、一陣の風の様にかけていた。
その腕には、先程からずっと、花嫁姿のシスティーナがグレンの頭やら肩やら叩きながら喚いている……。
「先生、離してッ!私はレオスと結婚しないと……ッ!ルミアが……ッ!リィエルが……ッ!ノアが……ッ!」
「……はぁ~~~~~~……」
グレンの深い深いため息が木霊するのだった。
同時刻。
聖カタリナ聖堂にて。
「ルミア!リィエル!」
花嫁が突然さらわれて結婚式の参列者たちが騒然としている中、ノアはぱっと顔を輝かせて最前列にいたルミアとリィエルに駆け寄る。
迎えるルミアもノア同様に、この一週間で最も晴れやかな笑顔だった。
「ノア!先生が……先生が来てくれたよ!」
「うん!これで一安心、だね……リィエル?」
手を取り合って喜んでいるノアとルミアの横で、リィエルだけは何故か周りを見回している。
ノアとルミアは一度顔を見合わせると、首を傾げながら再度リィエルに問う。
「リィエル、どうかしたの?」
「えと、何か僕たち見落としたことがあった?」
「……レオスがいない……」
「「!!」」
リィエルの一言に、ノア達ははっとして表情を硬くする。
グレンの登場で安堵しきってしまい、最も大切なはずの“その存在”を忘れていた。
ノアは慌てて周囲を見渡してみるが……
「いない……」
呆然とした声の呟きは嫌に耳に残った。
あんなに存在感を放っていたレオスが、まるで元々存在していなかったかのようで。まさに、嵐の前の静けさともとらえられるようで。
だって。
(レオス先生の性格上、こういう時って先生を糾弾して参列者に捕まえるように呼び掛けるんじゃ……)
ノアの心に、ふつふつと疑問が浮かび始める。
いまだ壊れた歯車の中から完全に抜け出せていないような、そんな綻びを現したような疑問。
(そうだ。なんで気付かなかったんだ)
こんなにも違和感があったのに。
それは、一つの疑問から始まるもの。
「先生は、なんでこんな手の込んだことをしたんだろう……」
「ノア……?」
ルミアとリィエルの視線が集まる中、ノアは一つ目の違和感を話す。
魔導兵団戦演習が終わった後、グレンはレオスと再び決闘をすることを決めた。
それは、レオスに勝てる勝算が少なからずあったからだろう。グレンには魔術師にとっての天敵と言える
グレンの
自分を中心とした一定効果領域内における魔術起動の完全封殺。
相手が知らなければ知らないほど、魔術以外の手段を持たなければ持たないほど、
「それなのに、先生は勝てるはずだった決闘を放棄したんだ。わざと、逃げた体を装って」
「……確かに、おかしいね……」
考えられる理由は一つ。
グレンが固有魔術を発動させても、レオスには勝てないと判断したから。
勝てるはずの勝負だったのに、勝てなくなったのだ。
「それと、システィーナはレオス先生に弱みを握られるみたいだった。その弱みは、多分……いや、確実に僕たちのこと」
「それって……!」
「……うん。僕たちの、こと」
ルミア達には秘密がある。
それこそ、国を揺るがすような秘密。知られれば、身の安全が保障されないような。
だが、それを知るのはごく少数の人だけ。
ノア達の様に彼女らの関係者か、それとも天の智慧研究会の関係者か。
ルミアは小刻みに震える両手で口元を覆い、リィエルもいつもの無表情から一変、驚愕で目を丸くする。
二人の様子を見て目を若干伏せたノアだって過度な眠気が治まったのも、偶然ではないだろう。
「……だから、グレンはルミアから離れるなって言ったの……?」
「きっと、そう。レオス先生はあの組織に関係しているかもしれないから。だけど……」
「……どうして、システィだったのか……だよね?」
「うん。それにこの結婚もレオス先生にメリットがあるとは思えない。脅迫してシスティーナを手に入れたなんて知られたら、名声や富、地位のすべてが地に落ちる。組織に関わったなら尚更だ」
再び、三人は口を閉ざす。
だが、リィエルが思い出したかのように呟いた平坦な声が、ノア達の思考をまた加速させる。
「そういえば……最近のレオスは、なんか嫌な感じがした」
「最近の……?」
「ん。……最初にあった時はなかったけど、ちょうど演習が終わってからくらい」
別人みたい。
そんなリィエルの言葉を、ノアは頭の中で何度か反芻する。
やがて、ノアが導き出した仮説は。
(もし……この一連の出来事で、レオス先生の背後に別の誰かがいたとしたら……?)
そして、演習後にレオスとその別の誰かが入れ替わっていたとしたら……。
すべての疑問が……解決、する……?
パリン
不意に思考を遮るように聞こえてきたのは、ガラスの割れる音と、人々の悲鳴。
ノア達は考察を一旦やめて、事態の把握をしようと音がした方を向く。
そこには――
「なに……あれ……」
そこには、凄惨という一言に尽きる光景が広がっていた。
聖堂の窓ガラスを割り侵入してきた、それは衣類からして一般市民だ。
だがその際に、ガラスで切った自身の身体を見ることもせず、ただただ昏く虚ろな目で亡霊のように身体を揺らし、土気色の顔で手に持っている包丁や鉈、麺棒、シャベルなどを武装している。
「きゃああああああ――ッ!!」
「逃げろ――ッ!」
「皆さん、奥に!!」
病的で剣呑。
そんな異様な光景に、参列者たちはシスターに促され聖堂の奥へ我先にと駆けていく。
しかし、その間にも聖堂後方のドアからもどんどん侵入してくる。
「あれは……『
「リィエル、知ってるの?」
侵入者の全身に網目の如く浮いている血管を見るや否や、リィエルは大剣を錬成し一気に戦闘モードへ雰囲気を変え、次いでノアも戦闘態勢に入る。
「ん。あれは『
「末期中毒、ってことは……」
「……もう助からない」
「「!!」」
ノアはもう一度、中毒者達を見る。
今の今まで普通の暮らしをしていたような装いなのに……。だが、リィエルが”助からない”と断言しているという事は、本当に手はないのだろう。
つまり彼らには、”死”という道しか残されていない。
(これも……レオス先生がやったの……?)
だが、レオスはこんなことができるような人だっただろうか。
疑問は減るどころか、増える一方。
しかし、中毒者達はノア達が考える時間をやすやすと与えてはくれない。
「きゃッ」
「リン!」
参列者の波に押され、リンが転んでしまったのが見えた。
ウェンディが咄嗟にリンに駆けよるが……その無防備な彼女らの背後に、一気に接近して包丁を振り下ろそうとする中毒者。
――殺される。
ノアは反射的に左手を中毒者に向けていた。
「<<止まれ>>ッ!」
即興改変させた【マジック・バレット】は、一直線に駆ける光弾は中毒者が持っていた包丁にあたり、着弾の振動で動きが若干鈍る。
その隙に、ノアは彼女らの前に移動すると【ゲイル・ブロウ】で中毒者を吹き飛ばして、聖堂の柱にたたきつける。
「ノア!」
「早く、走ってっ!」
「うん……ありがとう!」
ノアはリンたちが無事、聖堂の奥へ駆けていくのを見届けて辺りを見回す。
その途中で、先程吹き飛ばした中毒者が目に入るが……。
(やっぱり、ダメか……)
リン達の前で、と威力は抑えたが……それでも通常なら失神していておかしくないほどの力があったはずなのに。
中毒者は、折れた腕や足をものともしないで、血走らせた目で再度起き上がる。
「ノア!」
「リィエル……?」
ルミアを守りながら参列者たちの殿を担っていたリィエルがノアを呼ぶ。
ノアは中毒者から目を逸らさず、リィエルの隣まで下がった。
「リィエル、どうしたの?」
「ノア、グレンとシスティーナの所に行って。ここはわたしが何とかする」
「私からも……お願い、ノア」
「リィエル、ルミアも……わかった」
ノアは一瞬、逡巡するが二人の言葉に素直に頷いた。
ここに『
グレンとシスティーナの所にも中毒者が押し寄せているはずだ。
この場所はリィエルの戦闘力と、ルミアの治癒呪文があればなんとかなる。幸い、中毒者達は後方のドアと近辺の窓から入ってきているので囲まれてしまうこともないだろう。
「道はわたしが開くから、その隙に」
「了解」
リィエルは大剣を構えた。
「いく!いいいいいやぁあああああ――ッ!!」
「<<疾風よ>>!」
リィエルが大きく振り回した大剣の風圧で、中毒者達の群れが二つに分かたれる。
その間を、ノアは【ラピッド・ストリーム】で一瞬で駆け抜けた。
聖堂後方の扉をくぐり外に出て、そのまま近くにあった家屋の屋根の上に飛翔してそのまま走り出す。
後方へ、後方へと移り変わる景色の中、ノアはグレン達の居場所を突き止めるために呪文を唱える。
「<<みんな・先生たちを・探して>>」
ノアの声に呼応するように、足元に現れた黒猫と白猫、そして複数の蝶たちが一気に散っていく。
クロ達が送ってくる情報を頭で整理しながら、ノア自身も自分の目と耳でグレン達の行方を探すのだった。