「……やっと追いつけた、けど」
無数の中毒者達が沈んだ赤色の道を進み、気付けばノアは、フェジテ西地区郊外――旧住宅地区画へとたどり着いた。
二、三世代前の古い趣のある建物が、複雑に入り組んだ道に沿って並ぶゴーストタウン。
閑散とした街中は音一つなく、人の気配もなく、初めは本当にグレン達がこの場所にいるのか、疑わしく思えた。だが、試しに黒魔【ディテクト・マジック】で魔力感知を行った結果、確かにこの街に彼らの魔力の痕跡を感じられた。
ノアは急いでグレン達の下に駆けていこうとして……一度、足を止めた。
(僕はこのまま二人に会いに行っていいの?)
”レオスの背後にいる黒幕”は……ノアの行動をどう考える?
ノアは口元に手を当てて逡巡する。
この事件、レオス=クライトス一人の力で成し得るものではない。
レオスは、”人は何か為そうと思えば、必然的に何かしらの利益を追求してしまうものだ”という”人の心理”を完全に蔑ろにできるほど無私な人ではなかった。
しかし、その原則が崩れている今、ノアが考察した”レオスの背後にいる黒幕”が存在していることは疑いようもない。
そして厄介なことに、黒幕は随分と計算高い人だと言っていいだろう。
これまでの出来事の進捗、中毒者達の配置、グレンとシスティーナの誘導、そして黒幕の目的に関する秘匿性がさらにそれを物語っている。
そんな黒幕がノアもこの場所にたどり着くことを許したのだ。
(どうして僕はここにたどり着けた……?)
無駄が一切ない黒幕の
(……僕に何をさせようとしてるの?)
それがわかっていない今、グレン達に無策で会うのは果たして賢明な判断と言えるだろうか……?
答えは――否。
黒幕について何も情報を持っていないのにグレン達に会って、それこそ危機が訪れてしまっては、ノアが助太刀として追いかけていたことの意味が失われてしまう。
(黒幕のことを見定めないと……)
幸いというべきか、魔力探知に引っかかったのはグレン達だけではない。
もう一つ別の魔力反応があり、それはグレン達に近づいているようにも思えた。ならばノアは、グレン達の様子をそっと影から伺い、何かあれば加勢する。今は、それが最も適切な判断だ。
ノアはそう考えて、なるべく気づかれないように彼らがいる噴水広場に近づくと、家屋の影から彼らを見守ることにしたのだが……。
(先生とシスティーナ、大丈夫かな……?)
グレンとシスティーナの様子を見ていると、黙って見ていることがとても後ろめたく感じる。
彼らは、いつものように騒がしく軽口を叩き合う雰囲気ではなく、ただひたすらに重く苦しそうに沈黙している。システィーナは俯いて泣いているのか目元をこすっているし、グレンはシスティーナに背を向けて立っている。
ノアは何故二人がこうなっているのかを知らない。
グレン達がこの広場に到着するや否や、彼らを追跡させていた蝶が何者かによって消されてしまったから。
(……もっと僕に力があったら)
本当は、もっと二人の力になれたかもしれないのに。
そんなこと、今更嘆いても仕方のないことだけれど。
「あ……あの……せんせい……」
「……どうした?」
目元を一際強く拭ったシスティーナの震えた声が聞こえてくる。
グレンはそんな彼女に向き直ると、先程の戦闘で見せていた熾烈さを隠した、柔らかでいてどこか申し訳なさそうな声音で答える。
距離は縮めないまま。
「そ、その……ごめん、なさい……わ、私――」
「――ッ!!」
その瞬間、一気にグレンの雰囲気が変わる。
戦闘中でさえ見せなかったその恐ろしい形相で、システィーナの後方を鋭く睨みつける気迫は、離れた場所にいるノアでさえ気圧されるほど。
そして――。
ぱちぱちぱちぱち……
場違いな拍手が響き渡る。
ノアは冷や汗が止まらない身体を無理やり動かして音の鳴る方に注目すると、そこには一人の男が悠然と歩いてきていた。
「いやぁ、見事だグレン。よく最後までその小娘を守りきったね」
楽しそうに嘯くその男の容姿はレオスだが、口調や態度は全くの別人だ。
グレンは、その言葉にさらに顔を顰めると底冷えのする冷たい声で突き放したように言う。
「……ウゼェぞ、てめぇ。レオスの振りはもういい」
「おや?やっぱり、君は気付いていたか」
「レオスの野郎も白猫も、誰も得しない状況。誰も俺に味方できないという偶然にしちゃ出来すぎた状況。
にやり、とレオスを装う何者かが笑う。
「今思えば、あの
「……え?」
システィーナの困惑の声と同様、ノアも驚きで目を丸くする。
(先生が……目的……?)
想定外だ。
呆気にとられるノア達の目の前で、グレンは悔し気に顔を歪めてレオスを装う何者かに言葉を叩きつける。
「なぁ、そうだろう?一年余前、『
男は一つ指を鳴らして……その身にまとっていた変身の魔術が
ゆらりとレオスの姿が崩れ……その瞬間。
レオスとは全く別の一人の青年が姿を現す。
山高帽を目深にかぶり、リボンタイに手袋、体格はグレンと同じく長身痩躯。フロックコートを羽織ったその姿は――どこか見覚えがあった。
「レオスの馬車の御者の……」
システィーナの呆然とした呟きに、ノアは「あれ?」と首を傾げる。
何故、今、自分は見覚えがあると思った?
レオスの馬車の御者をしていたという事は、システィーナの言葉で、
ノアはレオスが馬車に乗っているところを見たことがない。
(……あれ、僕、いつあの人を見た?)
背筋を震わすノアをよそに、青年が帽子をとる。
切れ長の目と髪はともに灰色。色白の肌。顔立ちは整っているが柔和な紳士然としたレオスとは違い、どこか酷薄さや冷酷な色を纏っている。
「――ご名答だ」
正体を現した黒幕――ジャティスは薄ら寒く笑う。
「久しぶりだね、グレン。こうして再び君と対峙できる日をどれだけ待ちわびたことか」
狂気的な瞳を爛々と輝かせながらも、悟りを開いた聖人のような静謐さ。
正気であるままに狂気に染まったような。
歪という言葉を体現したようなジャティスの姿にノアは、瞬きを一つして――
ザザッ……ッ
「……あ」
視界は何事もなかったかのようにクリアに戻り、目の前には冷笑を浮かべるジャティスが戻ってくる。
ノアは小刻みに震える両の手のひらを見つめる。
瞬きの度に、ゆっくりと目の前が暗くなっていく気がした。
(……うそだ)
早くグレン達に加勢するべきだ。
そう頭ではわかっているはずなのに。
虚脱感が全身を駆け巡り、ノアの足はその場に縫い付けられたように動いてくれない。声を出そうにも、枯れてしまったかのように喉から空気の音がするだけ。
だって――
「ジャティスゥウウウウウウウ――ッ!」
凍り付いた空気を切り裂くようなグレンの叫び声に、ノアの肩がびくりと揺れる。
「てめぇッ!なんで生きているッ!?テメェはあの時、俺が確かにブチ殺してやったはずだッ!?なぜだッ!?どうやって墓場から這い出してきたッ!?」
「そんなことはどうでもいいだろう?重要なのは、この僕、ジャティス=ロウファンが未だ健全だという事さ。もっとも――」
ジャティスは嘲笑するように口元を歪めた。
「君にとっては、『なぜ』が重要なのは理解できるよ。何せこの瞬間、セラは犬死にだった……ということになってしまったのだからね」
「テメェ……ッ!」
今にもジャティスに殴りかかりそうなグレンを、システィーナの動揺した声が制止する。
「……え?なに?どういうこと?あの人は?レオスは……?」
「全部、あのクソ野郎の仕込みだったんだよ」
グレンは鋭い目でジャティスを睨みながら、忌々しそうに吐き捨てた。
「学院にレオスがやってきて、お前に婚約して、俺が決闘騒ぎをおこして、その挙句の果てに、俺が白猫を結婚式場で攫って、こうして誰も邪魔できない場所におびき寄せられる……全部、このクソ野郎の計画通りだ」
「な、何それ!?そ、そんなの無茶苦茶よ……ッ!」
「普通ならそうだ。だがこいつは事態に関する人間たちの行動パターンを完全分析・計算し、予知に近い行動予測が可能なんだ……。そして、そのくそったれな行動予測を基に、俺達が取り得るあらゆる行動に対して、自分の望み通りの展開になるシナリオを何百パターンって書く……俺達は、そのうちの一つに沿ったに過ぎない……」
「そ、そんな……」
グレンの説明とシスティーナの信じがたいという声を境に彼らの会話が遠く聞こえる。
まるで暗い水の中に沈んでいくようだった。
(……無理もない)
微かに残った理性が耳元で囁いた。
だってたった今グレンの説明で証明されたから。
つまり――。
ノアが見つけた”希望”はジャティスによって作られたものだった。
あと少しで、掴めると思った”幸せの行方”もジャティスが見せた白昼夢だったかもしれない。
あの日、図書室で視界に走ったノイズだって、ノアの記憶が関係しているのではなく、きっと――あの男の仕業。
(夢の中で出会えた、懐かしくて温かかった――兄さん達の姿も。あれさえも、ただの都合のいい夢だったのかもしれない……)
全て、全てジャティスから与えられたノアへの
それをノアは微塵も気づかずに、ジャティスが描いたシナリオの一役者として脚本通りに、ただただ踊っていただけに過ぎなかったのだ。
不信。疑念。疑惑。そして――空虚。
それらが心に重く渦を巻き、ノアの体温を奪い取る。
(僕、どうすればいい……)
どうせ、ノアがここに隠れていることなんてジャティスはとっくに
奇襲なんて効かないし、そもそも魔導士としての力量だって違う。
グレン達に加勢すると言ったって……。
(僕は、何を信じればいい……)
何を信じて動けば、大切な人たちを守れる――?
「正義さ」
皮肉にも、憔悴するノアの疑問に答えるように聞こえてきたのはジャティスの自信に満ちた声だった。
ノアは顔を上げる。
目の前ではグレンが畏怖の表情を浮かべて怯えるシスティーナを支えながら、侮蔑の色を纏ってジャティスに問いかけていた。
「一年余前のあの事件を起こしたのも」
「ああ、正義さ」
ここでジャティスは初めて悲壮な顔を見せる。
「この国はあってはならない国なんだ。ゆえに国を持ち上げ、与する偽善者たちを片っ端から始末することにした。……もっとも君の正義に敗れてしまったが。だからこそ、今、こうして君と戦いに来たんだ。僕の正義を証明するために」
ジャティスは悲劇に酔っていた。
「なら……レオスは……気にくわねー奴だが、死ななきゃならねー奴じゃなかった。そんなやつを
「ああ、正義さ」
ジャティスは揺るがない。
「いずれ、この世のすべてを救う真の『正義の魔法使い』になる僕の正義を証明する礎になったんだ。痛ましいことだが……必要な犠牲だったんだ。主は、きっと天なる御国で、彼の者を思い出してくださるはずさ」
「俺達を襲った中毒者……連中は何の罪も関係もない一般市民だったはずだ。そんなやつを
「ああ、正義さ」
ジャティスは、己の言葉を微塵も疑っていない。
「
迷いなく言いきるジャティスの微笑みは、どこまでも朗らかで力強い。
「……俺達の確執とは何の関係もない白猫を、狙わせたのも……ッ!」
「ああ、正義さ」
「てめぇ……よくもぬけぬけと……ッ!?」
「事実、そのおかげで君は大分、魔導士としての
「そんなことのために……ッ!?”魔導士としての俺と戦う”、それだけのために……この茶番劇をお前は一から仕組んだというのか……ッ!?周囲も、無関係な連中も、何もかも巻き込んで……ッ!」
「そうだ、これも全て……正義のためだッ!」
「そんな正義があるかぁああああ――ッ!?」
「いや、これこそが正義なんだ――ッ!」
グレンの咆哮とジャティスの雄叫びが空気を震わす。
「グレン、君には話そう!僕はこの国と世界の真実を知ると同時に――世界の全ての理を支配する力の存在も知ったんだ――そう『
「な――ッ!?」
「だが、あの力は人知を超越しているッ!人が触れていい者じゃない――ゆえに資格がいるッ!あれに触れていいのは、絶対的に正しい人間だッ!もし、邪神の手に渡れば、世界は滅びるだろう!」
「そんな力……」
「ああ、そうさ!考えるまでもない!恐らく今、君も思っただろうが、僕が押さえなければいけない力だッ!」
「……」
「だけど、僕は自問するんだ……果たして本当に、今の僕にその資格があるのか?と。」
「……」
「何しろ僕の正義は、一度君の正義に敗れている。そんな僕に『
「……」
「ゆえに!僕は君を倒し、揺るぎない白き正義を証明し資格を得るッ!そして、その力で『正義の魔法使い』となり、邪悪なこの国を滅ぼし、天の智慧研究会を駆逐し、さらに世界に真の平和を築くッ!」
「……」
「わかるかい、グレンッ!?この世の全ての悪は、真の『正義の魔法使い』なる僕によって裁かれ、滅殺されるんだッ!この僕がいる限り、この世界に『悪』は一片たりとも許さないッ!真っ白に漂泊してやるッ!
ジャティスは、神々しさすら感じさせる力強い瞳で、グレンを真っ直ぐ見据え――堂々宣言する。
「これを正義と言わずして――何と言うッ!?」
目が眩むようなスポットライトがあてられた舞台の上で、謡うように自身の正義を掲げるジャティスはまさに狂人と言えるだろう。
「……正義が正義に制裁を」
ぼうっとそれを眺めていたノアはポツリと呟いた。
蜃気楼の夢の中、番号の無い兄が教えてくれた言葉だ。
ノアは、システィーナの結婚式でこの言葉の意味を理解したと思っていた。だが、それはただの片鱗、氷山の一角に過ぎなかった。――今、目の前で繰り広げられるこの皮肉な茶番劇こそが、この言葉の本当の意味を教えてくれる。
「……白猫。すまねぇ」
「……先、生……?」
不意にグレンの謝罪と恐怖で震えていたシスティーナの困惑した声が聞こえてくる。
「……すっかり巻き込んじまったな。まさか……こんな形で昔のツケが回ってくるとは……くそ……」
「……ッ!?」
力なくつぶやかれた言葉。
遠くから眺めているだけのノアからはグレンの表情は見えない。
だけど、なんとなく、わかる。
グレンは。
「白猫、ここから去れ」
「……え?」
「あいつの狙いは俺だ。こうなった今、奴は俺以外、眼中にないはずだ……そうだろう」
「ああ、勿論。むしろ一刻も早く僕らの前から消えてくれないかな?システィーナ。もう、きみの役割は終わったんだ……僕とグレンの戦いの邪魔をするなら……殺す」
「ひっ――」
グレンは、もう――。
「まぁ、お礼はするよ。君のおかげでこの計画が成り立ったんだ……ちゃんと、迎えを用意したからね」
「迎え……?」
「あ……」
グレンの疑問付にノアは自身の役割をやっと自覚すると共に、ふいに大きな影が空から落ちてきて、跳ねるように顔を上げた。
目に映ったのは……一体の
「――ッ!!」
ノアは直感的に身を捩って飛び退いた。瞬間、背後に巨大な何かが叩きつけられる重音。
砂塵が舞い、空気が震える。
そして、その回避行動でグレン達のいる噴水広場まで
「ノア……ッ!?」
「な、なんで……」
「……ごめん」
轟音交じりの土埃の中からいきなり姿を現したノアに驚愕する二人に、ノアは何に対してなのかわからない謝罪を口にする。
だが、流石グレンというべきか。
混乱の中で素早く状況を理解すると支えていたシスティーナの身体を素早くノアに押し付け、一喝する。
「ノア、白猫を連れて行け!早くッ!」
「で、でも……」
「――了解」
ノアは狼狽えるシスティーナの腕を掴んで踵を返すと、グレンの言う通りその場から脱兎のごとく逃げ出す。
駆けだした瞬間に聞こえてきた「達者でな」という柔らかな挨拶さえもそこに置いていくように。
「ノア……ッ、のあ……ッ!」
「――――」
少し後ろでシスティーナの縋るような、引き留めるような泣き声が聞こえる。
それでもノアは振り返らずに薄暗い道を走り去っていく。
……だって。
(それが、僕の役割だから)
異常に冷めた頭で思う。
システィーナを連れ出して皆の所に戻ることがノアの役割で、グレンから託された最優先事項。
ジャティスは恐ろしく強い。グレンが勝てる保証はない。
だからと言ってノアにはグレンの隣に立って、ジャティスと相対する力なんてない。
ならばせめて、グレンの願いは叶えたい。
そして、グレンの無事を祈ろう。
それで、グレンが帰ってきたら……
……。
……いや。
(本当はわかってる……無事だったとしても先生は……)
ノアは血がにじむほど唇を強くかんだ。
脳裏によぎるのはいつものロクでなしの教師姿のグレン。
文句を言う割になんだかんだ生徒を見ていて。
人の手をはじいたくらいで狼狽えるほど優しくて。
周りが呆れるほど諦めが悪く、茶化したセリフで堂々と立っていて。
……それなのにどこか繊細なとこがあるグレンは、今度こそ、本当に。
帰ってこないんだって。