(遅いなぁ……)
本当なら休校であるはずの今日。前任のヒューイ先生がいなくなったことで空いた授業数を埋めるために二年二組だけは登校しなければならなかったのだ。
しかし、ノアの手の中にある懐中時計の針はすでに授業開始時間から25分が経過している。初めのグレンならいざ知らず、最近のグレンは授業に遅刻することはなかった。
もともと余裕があったこの教室の座席はすべて埋まっていて、立ち見で参加する生徒がいるほどグレンの授業は高評価されているほどなのに。懐中時計をスカートの中にしまいながら、最前列の席に座るシスティーナを見るとシスティーは懐中時計を握りしめながら肩を震わせていた。おそらくグレンの遅刻に怒っているのだろう。
(うーん、ちょっとだけ……)
ざわざわしているクラスメイト達の声に隠れるようにぼそりと呪文を唱える。そして外側の窓枠にに小さな蝶が止まっているのをみてしっかりと呪文が発動していることを確認する。
(先生の確認、よろしく)
まさかまさかで登校中に事件があったとかだと、このまま来ないかもしれないし。グレンはトラブルメーカーだし。
蝶がひらひらと飛んでいくのを見届けて、ノアは机の上に突っ伏した。その時、
ガラッ
教室の扉が無造作に開かれる音がして、ノアは体を起こしながら目を丸くして先ほどの魔術は必要なかったと一瞬考えたが少し違和感を感じる。
グレンは扉を開けるとき何かしら律儀に声をかけるのに今日はそれがない。では仮にグレンでないとして、人気のある授業に25分も遅れてくる生徒なんてこの学院にいないし、講師はみな学会に行っているのだ。そんな時に誰がこの教室に来るのか。
じっと扉の方を注視していると、案の定入ってきたのはグレンではなく、見覚えのないチンピラ風の男とダークコートの男だった。突然現れた謎の二人組に教室がざわめく中、それを無視して或いは楽しそうにチンピラ風の男はぺらぺらと話を進める。
そんな男たちに正義感が強いシスティーナは許せるわけもなく、
「――警告はしましたからね?」
一向に出ていく気配のない二人に、システィーナは左手を向けた。だが――
「《雷精の――」
「《ズドン》」
そのふざけた一言で完成された呪文が、システィーナの耳先の空気を切り裂き、背後の壁を何かが穿ったような音が響いた。
「……え?」
「《ズドン》《ズドン》《ズドン》」
さらに三閃。システィーナの首を、腰を、肩を光の線がかすめて走る。
「!」
黒魔【ライトニング・ピアス】
指した相手を一閃の電光で刺し穿つ、軍用の攻性呪文(アサルト・スペル)だ。見かけは【ショック・ボルト】と、そう大差はないが、威力、弾速、貫通力、射程距離は桁外れであり、分厚い板金鎧すら余裕で打ち抜いてしまうほど。これぞまさしく『人殺し』の魔術だった。それを連続で3蓮。
遅れて生徒達もそれを理解したようで教室中が狂乱の渦に飲まれそうになった瞬間。
「うるせぇ、黙れ、ガキ共。殺すぞ?」
指を向けられながら日向の世界では向けられることのない殺気に生徒たちはまた黙り込む。そして、無力にテロリストたちのいうことに従うしかなかった。
「おーいい子、いい子。でさちょっと聞きたいんだけど――こんなかにルミアちゃんはいるかな?」
――――――――――――――――
テロリスト達が教室に押しかけてきて数十分後。
生徒たちは教卓の前に集められ、【マジック・ロープ】で拘束、【スペル・シール】で魔術の封殺、そして【スリープ・サウンド】で眠らされて監禁されていた。
また、ルミアはあの男(?)のところにダークコートの男――レイクに連行、システィーナはあのチンピラ風の男――ジンのところへ連行された。そしてグレンはテロリスト曰く彼らの仲間の襲撃で死亡。
(それが、現在の僕が持ってる情報)
ぱちり、とノアは一人目を覚ました。
安易には体を動かさず、視線だけ窓の外に移すと蝶が窓枠にとまっているのが見え小さく笑う。その蝶は窓ガラスを
(情報の補完。テロリストはルミアのところに一人、システィーナのところに一人、校内には巡回が一人、街中の一人、計4人。そして、街中の一人は脱落、残る敵は3人。では、グレン先生は――)
「システィーナのところでジンと交戦し、勝利したもののボーン・ゴーレムから逃亡中?」
確かに何やら教室の外が騒がしい。次から次へと起こる問題にため息をつきたくなるが、まあ生きているのならひとまず良しとしよう。
ぼそりとつぶやいた呪文に反応するように、ノアにかけられていた【マジック・ロープ】及び【スペル・シール】が解除される。そして自由になった左手を振って目の前の蝶が消すと、次に自分がするべきことを考える。
「まずはここの見張りかな……」
問題は教室は広くて生徒数が多いことだ。ノア1人で教室周囲を警戒しつつ生徒たち見るのは少々拙い。
そう判断したノアは音もなく教室の扉の方へ近づくとまたぼそぼそと呪文を唱え、今度は2匹の蝶と1匹の子猫を作成する。これらは教室の中の見張り用、外の見回り用、そして先生たちのサポート用だ。そして、先生たちのサポート用の子猫には
(ひとまず僕がこの教室から出るなら、先生たちに校内徘徊をしているレイクを対処してもらう必要がある)
準備を終えて蝶や子猫たちを放つ。蝶はひらひらと静かに羽ばたき、子猫は軽快に駆けていくのを満足そうに見送ると、ノアは集まっている生徒たちの方に近づきと周囲への警戒を強めるのだった。