今回からエデン条約編です
エデン条約。
近々ゲヘナ学園とトリニティ総合学園の間で結ばれる予定の不可侵条約である。
歴史的にも昔から犬猿の仲であるこの2校を案じた連邦生徒会長が元々打ち出した条約であり、お互いの学校から構成員を出し合ってエデン条約機構(通称ETO)を設立し、この機構が介入することにより2校の間の全面衝突を回避しましょうって構想らしい。
ちなみに、この条約が締結されればウチの羽沼議長はトリニティの生徒会長と同様の権限を持つようになる。
それに限らず、他の万魔殿のメンバーやティーパーティーのメンバーにもある程度の権限が分割されるので、ETОが誰か一人の意思で本来の目的を失い暴走するようなことは考えにくいと言えるだろう。
例えば羽沼議長がトリニティを潰すとか言い出しても、トリニティの生徒会長や俺様を含むETОのメンバーがそれを却下すればそれは叶わないといった具合に。
……また仕事が増えると思うと頭が痛くなるが。
まぁ早い話がエデン条約ってのは「ゲヘナもトリニティもそろそろ喧嘩やめて仲良くしろや」って条約な訳だ。
要は和平条約みてーなもんだな。
ETОが締結されれば万魔殿の仕事は増えるだろうが、ゲヘナの治安は間違いなく今よりも良くなるだろうしトリニティへも大手を振って行けるようになるしな。
元々は連邦生徒会長が先導して調整をしていたんだが、彼女が失踪した今は主にトリニティの首脳陣が中心になって条約の締結へ向けて動いているらしい。
ゲヘナで初めにエデン条約を推進していたのは風紀委員会の空崎ヒナ委員長なのだが、現状は羽沼議長が率先して条約関連に関しては引き受けているようだ。
最も、天雨行政官との意見の食い違いでギャーギャーと騒いでいるのをよく見かけるが。
天雨行政官もエデン条約に関しては何かと首を突っ込んで来ているからなぁ……あのアビドスでの柴関ラーメン爆破事件のときもそうだったけど。
なお、もちろん俺様達ゲヘナの首脳陣である万魔殿に対してもトリニティ側からは条約についての話し合いの場を設けてくれており、羽沼議長が何度か赴いているらしいがいつも不服そうな顔をして帰ってくるんだよなぁ。
なんでも「何故トリニティの首脳陣が顔を見せん!こっちは直接赴いていると言うのに!」とのこと。
どういうことなのか話を聞いてみると、トリニティ側の生徒会であるティーパーティーのホスト……つまり生徒会長に当たる人物が一度も顔を出さないとのことだった。
行く度に忙しいとか、都合が悪いとかで代理の相手を立てられているとかなんとか。
羽沼議長も初めは招かれれば嫌な顔をしつつもトリニティに赴いていたのだが、最近はエデン条約の話を聞くだけで露骨に顔をしかめている始末だ。
……まぁ、それはごもっともな話ではあるんだけどな。
羽沼議長はあんなんでもゲヘナの生徒会長だ。
ゲヘナ側は生徒会長自ら話し合いの場に臨んでいるのに、トリニティの生徒会長が話し合いの場にでてこないというのはどう考えてもおかしいだろう。
羽沼議長でなくても気分を害しても仕方ない案件だ。
かく言う俺様とて、その話を初めに聞いた時は不誠実な対応に少し首を傾げたからな。
まぁ恐らくなにか理由があるんだとは思うけど、流石にトップが出てこないのはちょっとな。
トリニティの首脳陣は一体何を考えているんだ……?
閑話休題。
で、当然だがエデン条約に関しては賛否両論だ。
そろそろ争いをやめて仲良くすべきってやつも居れば、何で仲良くしなきゃいけないんだってやつもいる。
ゲヘナ内では反対派の方が優勢みてぇだな。
俺様はトリニティに特に偏見はないから当然賛成派ではあるんだが、ゲヘナに根付いたトリニティへの深い敵対心を考慮すると反対派優勢なのも止むなしだろう。
トリニティ側からしてもゲヘナ生と手を取り合うなんてゴメンって奴も多いだろうし。
もちろんトリニティにも賛成派はいるんだろうが、トリニティはゲヘナよりも遥かに複雑な構造をしてっからな。
そもそも、トリニティは一枚岩の学校じゃねぇ。
いや……ウチも万魔殿と風紀委員会がいがみあってたりと一枚岩とは言い難いけど、トリニティ総合学園ってのは総合って名が表す通り文字通り一枚岩ではないのだ。
聞いた話によると、元々は別々の分派に分かれていたところを合併して今の形になっているとのこと。
だから表面上は一つの学園としての形を成しているが、その中身は酷い派閥争いと身内の権力争いに終始しているらしく、正直火種さえあればいつ関係が瓦解してもおかしくはない……と言った状態らしい。
と、この前羽沼議長がボヤいていたのを聞いた。
果たして、そんな危うい学園と何事もなく無事に調印式を迎えられるのか……正直不安しかねぇ。
それにしても、トリニティガチアンチのはずの羽沼議長がエデン条約に関しては結構真面目に進めているのには少し驚いてはいるが。
最近は誰かと会う頻度も増えているようで、万魔殿を留守にすることも多くなっている。
ただ、会っている人物がトリニティ所属なのかはたまた別の所属なのかは俺様には分からんがな……
それにしても、羽沼議長のことだからトリニティと手を組むなんて意地でも拒否しそうなもんなんだが……
また何かくだらんことを企んでいないことを祈る。
ただ、なんだろうな。妙な胸騒ぎがする。
原作のエデン条約編の事を思い出そうとしても、頭にモヤがかかったように全く思い出すことができない。
なんか、アリウス分校とかいう学校が敵として出てきたはずだということだけは覚えているのだが……
……まぁ、何も思い出せない以上は俺様は俺様のやるべきことをやるしかない。
この妙な胸騒ぎが俺様の気のせいだと良いんだが。
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場所は万魔殿会議室。
今日はエデン条約に関しての会議をトリニティの正義実現委員会副委員長、羽川ハスミ先輩と行うために俺様と棗先輩は付き添いのため会議室へ集まっていた。
目の前では腕を組み、椅子に深く腰掛けて鋭い眼光を飛ばす羽沼議長と仏頂面で羽沼議長を睨みつけている羽川先輩の姿がある。
羽沼議長の後ろには俺様と棗先輩が整列して控え、羽川先輩の後ろには正義実現委員会のトレードマークである黒いセーラー服を着た付き添いの生徒達がこちらを射殺さんばかりの視線で睨みつけている。
おいおい、とてもじゃないが和平に関しての条約の話し合いをするような雰囲気には見えねぇんだが……?
そんな重苦しい雰囲気の中誰もが口を閉ざしていると、ため息とともに羽沼議長が口火を切った。
「……なるほど、お前がトリニティの戦略兵器と呼ばれる剣先ツルギか。」
……は?
ちょっと待て、何名前間違えてんだこのアホは!?
会議の資料に書いてあっただろ!?
目ェ通してないのか!?
「……え?あ、いえ。私は……」
「そうか、想定以上に規格外だな。不愉快になるくらいに。キキッ!だがそんな戦略、このマコト様には通用しない!出会い頭のインパクトで勝とうなど甘いわ!」
アホ面を浮かべながらそんなことをのたまう羽沼議長。
「……はい?」
「イロハ、サツキを連れてこい!トリニティの奴らに負けてなどいないことを……!」
「甘いのはアンタの発言だろこんのバカ議長がァッ!」
ダン!と言う音を立て、俺様は壁を叩いて羽沼議長の前に飛び出しすとバカを睨みつける。
「タツミ!?貴様、今は私が話している最中だぞ!」
「知るかこのアホ議長!この人は羽川ハスミ先輩だバカタレ!資料に書いてあっただろうが!」
「な、何ィッ!?ツルギじゃないだと!?なるほど、また代役か……舐められたものだな、この期に及んでまだ小細工をするとは……!」
「代役じゃねぇよ!初めから羽川先輩が出席するって資料に書いてあんだろ!目を通してないのか!?」
「はっ!つまりそもそもこの会議はフェイクということか!?我々を呼び出しておいて身長と胸の迫力でこちらの出鼻をくじいておこうなんて……!」
「あぁぁぁっ!もうやだこの人!助けて棗先輩!」
人の話を聞かずに、トンチンカンな事を言いまくるこのアホ議長に対して対応するのが疲れた俺様は棗先輩へ助けを求める。
「……落ち着いてくださいタツミ。」
「くっ、不愉快なくらい大きい胸を見せつけおって!喧嘩を売ってるのか、この万魔殿のマコト様に対して!」
「喧嘩売ってんのはテメェだよアホ議長!」
ほら見ろよ!羽川先輩も付いてきた正義実現委員会の人達も大口を開けたまま硬直してんじゃねぇか!
と言うか、さっきから何の話をしてんだコイツは!?
「イロハ!タツミ!こうなったら【アレ】を用意しろ!このままこのデカ女に負けてたまるか!」
「……【アレ】が何なのかはさっぱりわかりませんが、とりあえずこの会議がおじゃんなのは分かりました。」
奇遇だな棗先輩。
俺様も全く同じことを思っていたところだ。
「……デカ女?」
「……ん?」
痛くなっていた頭を手の平で押さえていると、羽沼議長の正面に座っている羽川先輩がそう呟いた。
その体はプルプルと震えており、俯いていて表情までは分からないがあの状態を察するに……
羽沼議長、地雷踏みやがったな?
「ああ……あああぁぁぁぁぁぁっ!!!」
突然頭を抱えて叫びだす羽川先輩。
おいてめぇなんてことくれてんだアホ議長!
この前自分が色々と大きいことを気にしてるってモモトークで言ってた羽川先輩になんてことを……!
と言うか、下手すりゃトリニティとの外交問題一直線じゃねぇかこれ!
エデン条約の会議で外交問題とかシャレになんねぇぞ!
何してくれてんだこのバカ議長!
「羽川先輩!」
俺様は頭を抱えて絶叫を挙げる羽川先輩の腕を掴む。
「ふぇ!?た、タツミさん!?」
「何ィッ!?タツミ!?」
「強引で申し訳ありませんが、ちょっとこっちまで来て下さい!棗先輩、そのバカは任せます!」
「はぁ……仕方ないですね。」
「ま、待て!逃げるのかデカ女ァ!」
このまま羽川先輩をこのバカと同じ空間に置いておくわけにはいかない。
そう思った俺様は、羽川先輩の手を引くのだった。
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「大変申し訳ありませんでした、羽川先輩。」
万魔殿の客室にて。
俺様は羽川先輩に対して土下座する勢いで頭を下げて謝罪を行っていた。
結局、あのあと叫び出した羽川先輩をさらに煽るような真似をしだした羽沼議長にゲンコツをした俺様は、あのバカを棗先輩に任せると羽川先輩の手を取って会議室から引っ張り出すと客室へと案内した。
その際に、付いてきていた正義実現委員会の人達の黄色い声が聞こえたんだが今は気にしている場合ではない。
そこで怒り狂っている羽川先輩を落ち着かせ、そして何度も何度も謝罪して今に至る。
「あのバカが本当に……なんて謝ればいいのか……」
「いえ、タツミさんが謝ることではありませんよ。それにゲヘナの品のないあの程度の冗談を流せなかった私にも問題はありますので……」
羽川先輩は何とも無いようにそう言って笑うが、笑顔が引きつっている上に額に青筋が浮かんでいる。
……相当堪えているのは間違いないだろう。
と言うか嫌味が含まれている辺りブチギレてないか?
「その、なんというか。この前モモトークでも話しましたけど別に羽川先輩はそのままでもいいと思いますよ。それも羽川先輩の個性だと思いますんで。」
俺様は頬をポリポリとかきつつ、そんな事を言った。
羽川先輩はモモトークで良く話す仲なのだが、よく自分の身長が大きすぎることに対して悩んでるって言っているのを聞いているからな……
正直、身長以外にも暴力的なまでに制服を押し上げているその胸とか、スリットから覗いてる太ももとかも規格外ではあるんだがそこに言及したら俺様が社会的に死んでしまうのでナシだ。
まぁともかく、恐らく色々とでかいのがコンプレックスなのだろう。
そりゃあのアホ議長の発言に怒るのも無理はない。
「……ふふ、ありがとうございます。タツミさん。」
俺様が胃を痛めつつ息を吐き出していると、羽川先輩は少しだけ笑みを浮かべてそう言ってくれた。
「いえ。それに、俺様は背の高い女性って素敵だと思いますしね。」
「えっ!?そ、そうですか……?」
「……?はい。なのであのアホの言うことは真に受けなくて大丈夫なんで……本当に申し訳ありませんでした。」
何故か顔を赤くして動揺する羽川先輩を不思議に思いつつ、俺様は再度頭を下げる。
「頭を上げて下さいタツミさん。何度も言いますが貴方が謝るようなことではありません。それに、貴方がこれは私の個性だと言ってくれた……あの品のないゲヘナの議長の言葉なんかよりも、よっぽど私に響きました。」
そう言って、俺様に近寄ってきつつそう言う羽川先輩。
良かった。ひとまず機嫌を直してくれたようだ。
エデン条約の会議で相手方を怒らせたなんてことになったらマジで条約の話が無かったことになりかねない。
トリニティとは今ただでさえ条約の件でピリピリしているのに、これ以上問題を増やすわけには……
「……ですが、タツミさんはともかく私はあのゲヘナの品のない議長を許すことはありません。」
……アカン、俺様の胃死ぬかもしれんわ。
目の笑っていない笑顔を浮かべながら俺様に密着するほど近づいて来た羽川先輩を前に、俺様は苦笑いを浮かべつつそんな事を思い浮かべる。
あとで胃薬飲まねぇとなぁ……うっ、頭が……
と言うかどうでもいいんだけど、羽川先輩距離近くないか?少し動いたら俺様羽川先輩に当たっちゃいそうなんだけど……?
そんな事を思っていると、羽川先輩は口を開いた。
「……ゲヘナ生が皆、貴方のような方ならば私もエデン条約には賛成なんですけどね。」
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「……あー、疲れた。」
あのハチャメチャな会議から数日後。
俺様は万魔殿の執務室にて羽沼議長が風紀委員会へ押し付けた書類を猛スピードで捌いていた。
結局、あの後も羽川先輩には謝り倒して「今回だけはタツミさんに免じて許しましょう」とのお言葉を頂いた。
その代わりと言ってはなんだが、今度また羽川先輩とは2人で遊びに行く約束を交わした。
こんなんで許してもらえるのが不思議でならないが、まぁ羽川先輩もニコニコしていたし良しとしよう。
その後羽川先輩がトリニティへ帰る際に見送りをして、俺様の作ったプリンをお付きで来ていた正義実現委員会と羽川先輩とで人数分渡しておいた。
それまでは仏頂面を浮かべていた正義実現委員会の方々もプリンを見るなりとても目が輝いていたので、やはり彼女たちも普通の女子高生なんだなぁ……と思う。
皆俺様にニコニコしながら「ありがとう!」って言ってくれたし、渡した甲斐があると言うものだ。
まぁ一番テンションが上がっていたのは羽川先輩だったけど……あの人、甘い物好きだからなぁ。
なおトリニティの方々への対応を済ませて万魔殿へ戻ると、クタクタになった棗先輩と未だにギャーギャーと騒いでいる羽沼議長が居たため、とりあえず羽沼議長にはゲンコツと俺様からのお説教を食らわせておいた。
まぁこれであのバカが大人しくなるとは思えないんだが……今回のはマジでシャレにならないからな。
これで少しは反省してくれることを祈ろう。
その後、クタクタになった棗先輩には「サボりに付き合って下さい」と言われたため虎丸の中で思う存分2人でサボり散らかした。
やたらくっついてくる棗先輩を不思議に思いつつ、膝枕を所望されたので労いの意味も込めてやってあげるとめちゃくちゃ顔をふにゃふにゃにしていたな。
あんな棗先輩は滅多に見れないので、少し心が温かくなったが……
まぁそんなこんながあり、今はいつものように万魔殿の執務室にこもって書類仕事をしているわけだ。
と言っても、まぁぼちぼち終わりそうではあるんだが。
「あとは……こいつに印鑑を押していけば大丈夫か。」
処理済みの書類を積み上げて行きつつ、俺様はなんとなしに壁にかかった時計に目をやる。
視線の先にある時計の針は既に日付が変わる直前くらいまで傾いていた。
「ゲッ、もうこんな時間かよ……」
今回風紀委員会から回収した書類がいつもの倍あったってのもあるだろうが、それ以外にもエデン条約関係の書類が最近はめちゃくちゃ増えてきているからな。
内容はトリニティとの意見のすり合わせやら、トリニティへ訪問して会議する時期の調整やらである。
まぁ、主にトリニティ関係のことだな。
調印式もそう遠くない時期まで迫ってきているからそれは仕方ないんだが、今日はそれに加えてこの前の羽沼議長がやらかした会議の報告書の作成もあったし。
……と言うか、なんで俺様が報告書書かなきゃいけねぇんだよ!普通羽沼議長が書くべきだろ!
ってか何なら反省文も書けよなマジで……あの後どんだけ大変だったと思ってんだ……
「はぁ……それでもやっちまう辺り、俺様も甘いなぁ。」
最後の書類にサインをして印鑑を押しつつ、俺様は苦笑してそんな事を呟いた。
机の上のコーヒーカップを手に取り、中のコーヒーを啜る。すっかり冷めきったコーヒーの苦みが口に広がる。
「にげぇ……」
とは言えせっかく入れたのに残すわけにもいかない。
俺様は冷えたコーヒーをそのまま胃に流し込むと、カップを持って立ち上がった。
「さて、書類仕事も終わったことだし……寮に帰って寝るとしますか。」
そう呟くと俺様はカップを流しで洗い、終わった書類をデスクの引き出しを開けて処理済みの所へ入れる。
そして執務室の電気を消して万魔殿の建物を後にするとそのまま寮へ向かって歩き始めた。
明日も朝からエデン条約に関する書類仕事があるし、何なら羽沼議長の付き添いでトリニティまで行かなければならないかもしれないからな……
さっさと帰って寝るに越したことはないだろう。
そんな事を思いつつ、歩を進めていると……
「……ん?」
ふと、何やら視界の端っ子にとある建物の明かりが付いているのを発見した。あれは……学生食堂か?
ってことは、愛清先輩と牛牧がこの時間まで残って作業してるってことになるが……
「……珍しいな、こんな時間まで残ってるなんて。」
俺様は歩きながらそんな事を呟く。
基本的に給食部の業務は昼食〜夕食時となっており、そこから先は翌日の仕込み作業とか買い出し作業になっているはずなんだが……
言うて愛清先輩も牛牧も仕込みに関してはプロレベルなので日付が変わる前にはいつも終わってるし、買い出しも給食部の車があるからそんなに時間はかからずに終えられるはずなんだけど。
となると、思ったよりも買い出しに時間がかかったのかそれとも仕込みの量がとんでもなく多いのか。
……いずれにせよ、流石にこんな遅くまで残っているのは見過ごせない。
時刻はそろそろ日付を超えようとしているところだ。
……まぁ、俺様も明日の朝は早いけど仕込みをちょっと手伝うくらいなら問題ないだろう。
残りがどれくらいなのかは分からないが、少しでも早く寝ないと2人とも明日に響くのは間違いないだろうし。
そう思った俺様は仕込みが残っているなら手伝おうと、食堂まで歩いていき扉に手をかける。
そして、食堂の中へと入室すると……
ーーーグオォォォォォォォォォッ!!!ーーー
「……は?」
目の前に、この世のものとは思えないグロテスクな怪物の姿があった。
毒々しい紫色の体が何枚も重なり、その間からは緑色の液体が漏れ、頭からはゲヘナ特有の角が生えている。
その得体のしれない生物は食堂の天井まで届くかという巨体を揺らし、周りに緑色の液体を撒き散らしていた。
「チィ、一体なんだってんだ!?」
俺様はその光景を視認すると、即座に折りたたみシールドを展開してブークリエにマガジンを差し込む。
そしてチャージングハンドルを引くと、目の前のバケモノに対して銃口を向けた。
「どっかは湧いてきたのかは知らねぇが……とりあえず倒させてもらうぞ、バケモノ!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーグォォォォ……ーーー
「くっ……やっと倒れたか。思ったよりしぶとかったな……!」
しこたまブークリエから放たれた散弾を撃ち込まれ、うめき声を上げながら小さくなっていく目の前の得体のしれないバケモノ。
俺様は盾に付着した緑色の液体を盾を振って飛ばしつつそんな言葉を吐き捨てていた。
「しかし、こいつは一体……?」
紫色のグロテスクな体を緑色の液体まみれにした目の前のバケモノに視線をやりつつ、俺様はそう独りごちる。
……まてよ?こいつ、よく見たらなんかパンケーキみたいな形状をしてやがるな?
よく観察すると、紫色の楕円形の体が積み重なっていてその上からまるでシロップのごとく緑色の液体がかけられているパンケーキのバケモノ……に見えなくもない。
食堂に突然現れたパンケーキ(仮)のバケモノ……
俺様の頭に一つの答えが思い浮かんだ。
「まさか……これは牛牧の……?」
「ふぇぇぇぇん!タツミくぅぅぅん!」
そんな事を考えていた瞬間だった。
急に厨房の中から聞き覚えのある声が響いた。
何事かとそちらを振り向くと、そこには涙で顔をくしゃくしゃにした牛牧が手を両目に当てて立っていた。
「牛牧!?」
頭の中に答えが浮かんだとは言えあまりにも突然の登場に俺様が面食らっていると、牛牧はそのまま厨房を飛び出して俺様にものすごい勢いで駆け寄ってくる。
そして、そのまま俺様にガバっと抱きついてきた。
……おい!?ちょっと待て!?
「お、おい牛牧!?」
「うぇぇぇん……タツミくん……!」
牛牧はそのまま俺様の背中に手を回すと、涙でくしゃくしゃになった顔を俺様の胸に押し付けてくる。
「ちょ、ちょっと待て牛牧……!これは色々マズい……!」
なんかいい匂いするし、色々柔らかいものが当たってるし、それに何よりも牛牧は俺様とほぼ同じ身長だからめちゃくちゃ距離が近い……!
……とは言え、このまま引き剥がすというのもそれはそれで良くない気がする。
恐らく状況から察するに、あのパンケーキ(仮)は牛牧の作った料理がバケモノに変わっちまったものだろう。
それに負い目を感じて、なんとかしなければと思いつつも1人ではどうにもならなくて厨房に隠れていた……ってところだろうな。
優しい牛牧のことだ、そのことで俺様の手を煩わせてしまったと言う罪悪感と何とかなったと言う安心感から泣き出してしまったのだろう。
……なら、この状況で俺様が取るべき行動は1つ。
「……良く頑張ったな、牛牧。」
俺様はなるべく優しい声でそう言うと、牛牧を安心させるために頭を撫でてやる。
もう片方の手で背中を擦りつつポンポンと頭を撫でていると、段々と牛牧から聞こえる嗚咽が小さくなっていく。
「落ち着いたか?」
「……はい。ありがとうございますタツミくん。」
「良いってことよ。このくらいお安い御用だ。」
泣き腫らして真っ赤な潤んだ目でこちらを見あげてくる牛牧に対して、俺様はなるべく安心させるような笑顔を作ってそう言った。
「その、すみません!私のせいでパンちゃんが暴走しちゃって……私、止めようと思ったんですけど何もできなくて……タツミくんの手を……」
「ストップだ牛牧。俺様は別に気にしてないし、お前だって悪気があってこんなことをしたんじゃないだろ?」
「それは……はい。そうです。」
「なら、謝る必要はこれっぽっちも無いぞ。俺様は目の前で暴れるあいつを倒しただけだからな。」
ポンポンと頭を撫でてやりつつ、俺様はそう言った。
牛牧は頭を撫でられると気持ちよさそうに目を細めていたが、やがてハッとしたような表情を浮かべると俺様から少し距離を取った。
そして、顔を真っ赤に染めると蚊の鳴くような声で口を開いた。
「そ、その……すみません。混乱していたとは言えタツミくんに抱きついてしまうなんて……」
「い、いや……別に俺様は気にしてねぇから……」
嘘だけどな!実は今も心臓バクバクだけどな!
と言うか何なら俺様も顔が真っ赤になってそうだしな!
……まぁそりゃそうだろ、牛牧みたいな美少女に混乱しているとは突然抱きつかれてみろよ。
健全な男子高校生なら誰だって気が動転するわい!
「その、ありがとうございました。タツミくん。」
「良いってこった!あんま気にすんなよ!」
そう言うと、俺様は牛牧に向かって親指を立てる。
牛牧はそんな俺様を見て笑顔を浮かべた。
よし、とりあえず落ち着いてくれたみたいでよかった。
「ところで牛牧。愛清先輩は一緒じゃねぇのか?」
食堂をぐるりと見渡しつつ、俺様は牛牧にそう言った。
そう。先程から気にはなっていたのだが、いつもなら牛牧が食堂にいる時は必ず一緒にいるはずの愛清先輩の姿が全く見当たらないのだ。
というのも、牛牧が料理を作るとさっきみたいなバケモノが生まれてしまうので愛清先輩は普段は牛牧が料理をしないように見張っているんだよな。
言い方は悪くなってしまうのだが、牛牧が料理をしちまうとマジでさっきみたく大惨事になりかねんから……
本人に悪気は全くないのに、気の毒な話ではあるがな。
いつかはきちんとした料理を作れるようになってもらいたいと、愛清先輩はもちろん俺様も思っている。
っと、話がそれちまったな。
まぁそういうわけで、普段なら必ず愛清先輩が牛牧に一緒に付いているはずなんだけど今は姿が見当たらない。
そしてあのパンケーキのバケモノ……
なんだろう、猛烈に嫌な予感がするんだが……?
「そ、それがその……フウカ先輩は美食研究会の皆さんに1時間前くらい前に攫われてしまいまして……」
俺様が額に手を当てていると、牛牧は非常に言いにくそうにしつつもそう言葉を絞り出した。
……やっぱりな、薄々そうじゃないかとは思っていたが。
「そ、それでその!フウカ先輩が攫われてしまって追いかける事も出来ずに仕方なく仕込みをしていたんですけど、いつもならこんな時間に入らないはずのお弁当の注文が入ってしまって……」
「……なるほどな。それで牛牧が作るしか無くて、あのパンケーキが生まれちまったと。」
「は、はい……申し訳ありませんタツミくん。」
「いや、牛牧は何も悪くねぇよ。悪いのは黒舘ハルナを初めとした美食研究会の連中だ。」
ったく、毎度毎度愛清先輩を攫って行きやがって……!
給食部に迷惑をかけんのもいい加減にしろよ……!
とにかく、そうと決まればやることは決まった。
とりあえず注文の入った弁当を急ピッチで作って、愛清先輩を攫った美食研究会のバカ共を追いかける!
「牛牧、美食研究会のバカ共の行き先は分かるか?」
俺様は厨房に入ってエプロンと三角巾を身に着けつつ、牛牧にそう問いかけた。
「え、えーっと……詳しくは分からないんですけど、何でもトリニティの水族館のゴールドマグロ?を調理するのにフウカ先輩が必要だとかで……」
「……は?」
おいちょっと待て、今なんつった!?
「な……なぁ牛牧、俺様の聞き間違いじゃなければ今トリニティって言ったか……?」
頼む、俺様の聞き間違いであってくれ。
そう願いつつ牛牧を注視していると……
「え?はい、言いましたけど……」
無常にも、牛牧の口からはそう言葉が発せられた。
は、ははは……そうか。
美食研究会がトリニティへねぇ……
……こりゃ今夜は眠れそうにねぇな。ハハッ。
「何やってんだ黒舘ハルナァァ!!!」