何もない場所に、レテとコトイリとハンマーを持った作業着なお姉さんと豪華絢爛な着物を着たお姉さんがいた。コトイリは何かを言っている。お姉さん達も何かを言っている。
会話の内容は全く聞き取れない。音の羅列が水のようにただ流れていくだけ。
ああ、これは夢だ。
耳と肌から取り入れた情報を使った現実の夢だ。
きっと、寝ているレテの側でコトイリとこの知らないお姉さん達は話しているんだろう。ずいぶんと待たせてしまったかもしれない。さっさと夢から目覚めてしまおう。
そうして、夢から覚める瞬間、視界が遠のいてレテ自身が見えた。
何もない。
そうか、この何もない場所こそがレテだったんだ。
◇◇◇
目覚めると、そこは知らない天井だった。何か夢を見ていたような気もするけどよく思い出せない。まあ夢ってそういうものな気がする。
頭に置かれたコトイリの手を払って、身体を起こす。
「まだ眠っていても問題ありませんよ。」
「いやあるから。どっちの部屋に行くかはその子に決めてほしいんですけど?」
「一人部屋でいいではないですか。部屋は余っているでしょう。」
「そんな小さい娘を一人だけで寝かせられるわけないじゃん」
向いのソファに座っている知らないお姉さんがコトイリと言い争っていた。どうやらレテの行く部屋について話しているらしい。
ソファには二人のお姉さんが座っていて、コトイリと話しているお姉さんは動くたびに鮮やかな茶色のショートカットが揺れて、耳横の黒のインナーカラーが覗く。どことなく雀を思わせる髪型だ。
黙って座っている方のお姉さんはレテをじっと見ている。睨まれている……ような気もする。見つめ返すと、そのお姉さんがニヤリと笑った。なんだ、気のせいか。
そして、立ち上がってバチンっと大きく手を鳴らした。雀のようなお姉さんもコトイリも反射的に目をやる。
「おうおうお二人さんよ、話し合うのはいいがちぃと主役を置き去りにしてないかい。重要なのはあんたらの意見じゃなくてこっちのお嬢ちゃんの意見、そうだろ」
きっと、お姉さんはそう言って再度顔をこっちに向けたのだろうけどよく分からなかった。なんせ、このお姉さんはとても背が高く、私と目が合ってるのはお姉さんが着ているTシャツの牙を剥いた狼だ。
お姉さんにもそれが分かったのか、ソファに座り直す。
「なあ、お嬢ちゃん。あんたの名前はなんていうんだ?」
「レテ」
「そうか、いい名前だな。あたしは
「あゆむお姉さん、すずお姉さん。うちのコトイリが失礼しました。」
とりあえず身内の過ちを謝っておく。多分雀っぽいお姉さん──すずお姉さんとコトイリが言い争ってたのもコトイリが無理を通そうとしたからだろう。
「レテ?!私は何も……」
「うるさい、どうせコトイリがなんかわがまま言ったんでしょう。コトイリは私に一人で部屋にいて欲しいみたいだけど、よく知らない場所に一人で暮らすのは難易度が高いよ。それなら、すでに住んでいる人と一緒に暮らして助けてもらった方がいい。」
少し、辺りに静寂が訪れた。こういうのを天使が通ると言うんだと聞いたことがある。
それを打ち切ったのはすずお姉さんだった。
「あはっ、そこの娘はよく分かってんじゃん。こっちの独占欲強そうで頭カチカチなマスコットより何倍も話が分かる。」
笑いながらこっちに手を差し出してくる。何かが刺さったのか固まったコトイリを押しのけて、テーブルに手を付いて、斜め前にいるすずお姉さんと握手した。
手を離して、元の位置に戻る。
「さっきそこのゴリラがもう言っちゃったけど改めて。私は
すずお姉さんはまた笑う。よく笑う人だな。ひとしきり笑った後、すんっと表情が無になって、また笑顔が浮かんだ。
「で、本題に入るけどさ。レテちゃんは布団と二段ベッドどっちで寝たい?」
「布団の方です」
「えっ……まじか」
「よしっ、じゃあこっちだな」
肩を落としたすずお姉さんとは対照的に、あゆむお姉さんはガッツポーズをする。どうやらすずお姉さんの部屋では二段ベッド、あゆむお姉さんの部屋では布団を使ってるらしい。
「先に部屋来るか?それとも他の奴らと顔合わせるか?」
「先に部屋に行きたい、です」
「ああ、別にタメ口でいいよ。」
「分かった」
あゆむお姉さんは頷く。すずお姉さんはこっちに手を振って、みんなと合流するからと部屋を出ていった。
「なんか持物とかあるなら……いや、無さそうだね」
部屋を見渡しながらそんなことを言うあゆむお姉さん。確かにここに私の荷物はないけど連れて行く必要のあるものはある。まだ固まったままのコトイリの手を引っ張った。
「これが持物」
お姉さんが吹き出す。なんだかお姉さん達、よく笑うなぁ。
「っは、そうだね。ほらそこのマスコットさっさと動きな。そのままじゃあんたの大事なお姫さんに手間かけさせちまうよ」
その言葉でやっとのろのろとソファから立ち上がって動き出す。それを見てお姉さんはレテ達を部屋の外に出るよう促し、電気を消してから出てきて鍵を閉めた。
「あたしの部屋、というか教室は二階にある。着いて来な」
右手側へと進んで、お姉さんが階段を下っていく。続けてレテも降りようとすると手を繋いでいるコトイリが動かない。隣に顔を向ける。その大きな白目の無い黒色の瞳と目が合った。
「……レテ、私は独占欲が強そうですか」
やっとまともに動いたと思ったらこれまでとは別方向に意味が分からない事を言い出す。本当に大丈夫だろうか。確かに思い返してみると、レテがあの瓦礫まみれの場所で目覚めてからのコトイリの言動は割と独占欲が滲み出ていたような気がしないでもない。ただ、レテのぼんやりとした記憶は別の答えを弾き出していた。
コトイリは不安なのだ。
今も落ち着かなさそうに頭を俯けて、大きく長い耳はピンと立っている。本人は多分気付いていないだろうけど、鶏の足は不必要に床を引っ掻いている。
「しらない、けどレテはコトイリのこと好きだよ」
そう言って、うなじのあたりを撫でる。耳は立っていて撫でにくいから。
「そう、そうなんですね。」
コトイリは何か納得したようで。何度も頷きながら形にならない言葉をもらす。やがてレテの方にしっかりと頭を向けた。
「迷惑をかけてしまいすみません。ちょっと色々考え過ぎていたみたいです。」
「ううん、いいよ」
階段の先から早く来いと、あゆむお姉さんの大声が響いた。