何とか生きてます。
私には叔父がいる。
育ての養父ではなく、叔父がー。
私からすれば、変わったおっさんである。私に対しては、口数が少なく無愛想な男であるが、何かと世話の焼いてくれる人である。
そのくせ、本人は恩着せがましいことは決して言わず、「あんまよぉ…羅門の旦那が眉しかめるような厄介事に、首ぃ突っ込むんじゃねぇぜ」 などと忠告までしてくる始末である。
親父曰く、「アレは…ああいう性分だからねぇ」とよく言っている。そんな叔父も親父には頭が上がらないらしい。
何故なら、理由は簡単。私がまだ幼かった頃…叔父は流刑されていたのだ。その間、私は親父が面倒を見てくれていた。それに恩義を感じているらしい。
叔父が流刑にされたのは、あのおっさん――羅漢を殺そうとしたからだ。軍部と揉めて衝突し、捕まった。そのせいで、両腕から手の先まで罪人の刺青を入れられて、鉱山での重労働を命じられたのだ。
その流刑地で、叔父は按摩や骨接ぎ、それに妙な武術なんかも身につけたらしい。刑期が終わっても、しばらくはどこかを放浪してたとか。私が生まれて、この街にいるって知るまでは…。
この街に戻ってきた叔父は按摩屋を緑青館の裏手に開いて、ひっそりと暮らしている。――表向きは…だが。
花街の路地裏――表通りの喧騒から離れ、細い小道に、その店はひっそりと佇んでいる。看板ひとつ掲げず、目印といえば軒先に吊るされた風鈴が風に揺れ、時折り涼やかな音を奏でるだけ。
暖簾には、墨の字体も荒く「蘭明堂」と書かれている。
色褪せた布の向こうから、もぐさと薬湯の匂いがわずかに漂っていた。
店の暖簾をくぐると、独特の湿った空気が肌にまとわりついた。
もぐさの焦げる匂いと、干した薬草の甘い香りが混ざり合い、外の喧騒とはまるで別世界だった。
薄暗い店奥…粗末な衝立に隠れた奥から、低い声が聞こえた。
「……おう、猫猫か」
暖簾の奥で、叔父――蘭明がぼそりと呟いた。
私を見ても特別に表情を変えるわけでもなく、ただ仕事の手を止めるでもなく、淡々と誰かの背を揉んでいる。
ごつごつと、節くれだった大きな手が骨の位置を確かめながら…音もなく滑る。その様子は…まるで獣を手懐けるような静かさを持っており、どこか異様な迫力を帯びていた。
「今日も筋ずれてんだろうな。そこの椅子に座ってちぃっと待ってな」
そう言いながら、叔父はふと…私に目をやる。
その時、チラリと腕の刺青が見えた。其れは罪人の烙印…。人によっては嫌がるだろうが、それが何だと言うのだろう。この人は間違いなく、私の叔父であり…私を案じてくれる数少ない存在なのだから。
施術を終えた客が頭を下げて出ていくと、蘭明は杖を片手にようやく腰を上げた。
表では見せない気の緩んだ表情を浮かべながら、ぼそりと問いかけてくる。
「――で?今日はどんな厄介事だい」
叔父の声色には、叱る訳でもなく呆れるでもなく…。ただ淡々とした重みがあった。私は…暖簾の向こうの静けさに紛れるように喋り始めた。
「最近…緑青館の近くで妙な客が出入りしてるって話があって」
叔父は何も言わず…片手で椅子を引き寄せ、早く私に座るよう促した。
杖を柱に立てかけ…じっとこちらを見ている。
「妓女達が…客に薬を盛られたとか…行方知れずになったとか…。そんな噂」
私がそう言い終えると、叔父は鼻で短く笑った。それから低い地の底から響くような声で呟く。
「へっ、またロクでもねぇ話だねぇ…。猫猫…そりゃあ
そう言うと、叔父は静かに立ち上がり…片手で腰の帯をきつく締め直すと、もぐさと薬湯の匂いを纏いながら…音もなく歩き出す。
「猫猫…羅門の旦那にはその話は内緒だぜ。俺はちぃと出掛けてくる」
杖を手に取ると、叔父は軒先の風鈴を鳴らすでもなく…夜の路地裏へと出掛けて行った。
ただの按摩屋――。表向きには…そう見えるこの男が、とても強い事を私は知っている。
本気を出せば、1人で軍隊を相手に出来るだろう。実際…叔父は捕まった時、棒1本で30人の現役武官を薙ぎ倒して医局送りにしたのだ。
「全く…戦乱の時代ならば、有名な将軍になれただろうに…。この平和な世には無用の長物だな…」
然し、その武力を花街では活かせる。色恋沙汰の揉め事や争いごと…多種多様な事が起きて…。そして、時には武力が必要になってくる。
そんな時は叔父の出番なのだ…。
夜の花街は…昼間とは違った顔を見せる。
灯りに浮かぶ赤い格子の奥では艶やかな笑い声が飛び交い…路地裏では行き場を失った者たちがひっそりと蠢いている。
その中においては…叔父――蘭明の気配は、ひときわ異質だった。人ごみの中…気配を消して、軒下を滑るように歩くその姿は…。
獣というよりは…まるで死神のようで
私は暖簾の下から…その後ろ姿をじっと見送るしかなかった。
「まるで影法師みたいだな…」
そう小さく呟いて、私は腰掛けたまま膝を抱えた。
――叔父は、緑青館の用心棒を長い事している。緑青館に取り入ろうとする外敵を排除するのが…仕事だ。例え…其れが人殺しを伴うものであったとしてもだ…。この汚れ仕事は元罪人の役目だというかの様に…。その事を知ってしまった私を怒ったり、言い訳したりはしなかった。ただただ…寂しそうな眼差し私に向けるのみだった…。
それでも…私に向けたあの目の奥には…どこか優しさが宿っている気がするのだ。
「馬鹿だな…。叔父さんも」
私は自虐的に笑った。
ー暗い裏通りー
月明かりすら届かぬ細い路地で蘭明は立ち止まった。
ぼんやりと佇む怪しげな2人の影を…じろりと見据える。
「――おう。迷いネズミかと思やぁ…人攫いかい」
人攫い達が気づいた時には遅かった。
蘭明の持っていた杖が…持ち手からするりと抜かれ――次の瞬間、ガチンと鈍い音が響く。
人攫い達は叫ぶ間もなく、膝を折り地面に沈んだ。
「生きて帰れると思うんじゃねぇぞ」
低くそう呟くと、蘭明は人攫いの襟を掴むと…まるで藁束でも持つようにずるずると引きずっていく。
裏通りでは誰も見ていない。
いや、見ていたとしても……誰も声なんて上げる事は無い。
ここはそういう場所なのだ___。
薄暗い裏通りを蘭明はずるずると音を立てながら進んだ。
引きずられる男達はうめき声ひとつ上げず、されるがままだ。
その様は…もはや人ではなくただの「荷物」だった。
蘭明は人気のない古井戸の前で足を止める。
月明かりの欠片すら届かないその場所に男達を放り投げると…しゃがみ込みながら低く笑った。
「さぁて…?どこのどいつに頼まれてこんな真似してやがる?」
応える声はない。
男達は恐怖に震え…唇を噛み締めるだけだ。
蘭明はゆっくりと手をゴキゴキと鳴らしながら、まるで面倒な草でも刈るかのように淡々と続ける。
「言いたくねぇってんなら…別に無理にゃあ聞かねぇよ?ただし…骨がマトモなまま帰れるとは思わねぇことだな」
その声音には…冗談の色は一切なかった。
静かな殺意――いや、もっと冷たい。理すらも否定するような”暴”の気配が滲み出ていた。
男達は顔を見合わせ、ついに一人が震える声で口を開いた。
「た、頼まれたんだ…!緑青館の娘を攫えって……!誰にってのは…オレらもよく知らねぇ!ただ、黒い服の男に……!」
蘭明の眉がぴくりと動く。
黒服の男と聞いて…予想してた連中だと蘭明は判断した。
「なるほどねェ…」
短く相槌を打つと蘭明はゆっくりと立ち上がった。杖を拾い上げ、軽く地面を叩く。
それだけで…夜の闇に微かな緊張が走った。
「その男の顔はぁ…覚えてんだろうな?」
男たちは必死に頷いた。
「よぅし…。ならぁ…こっから先は『口』より『手』に話してもらおうかい?」
にやりと、蘭明は笑った。其れは…どこか悲しい笑みだった。
翌朝。
私は蘭明堂の暖簾をくぐった。
薬草の匂いが昨日よりも濃い。
店の隅には…見慣れない麻袋がいくつも積まれていた。
「叔父さん…今朝はずいぶんと『仕入れ』が早いんだな」
皮肉交じりにそう言うと…奥から蘭明が杖を突きながら現れた。
いつものように、無愛想な顔――だが、どこか満足げでもあった。
「猫猫。俺ァ…ちぃとばっかし裏道の掃除してきただけよ」
「ふうん」
私は深く突っ込まなかった。
叔父の掃除は、たいてい血の匂いを伴う。
それでも――私は、何も言わない。
叔父は、叔父なりにこの花街を守っているのだから。
代わりに、私は手にしていた小さな包みを差し出した。
「これ…例の妙な客が置いてった薬の粉。調べられる?」
蘭明はそれを受け取ると、ふっと鼻を鳴らした。
「ったく…。羅門の旦那が聞いたら…また眉ひそめるぜ?」
「親父には内緒で」
私は小さく笑った。
蘭明も、ふっと口の端を上げた気がした。
それはほんの一瞬――まるで、路地裏に差し込んだ朝の光みたいに。
――蘭明堂。
緑青館の裏にひっそりと佇む、その小さな按摩屋は、今日も静かに人知れず花街を守っている__________
薬屋のひとりごとでやりたかったのでやりました。
他の夢小説も執筆してる途中ですので、気長にお待ちください。
蘭明の設定としては藤枝梅安と念仏の鉄をモチーフにしております。
ご感想をお待ちしております。