花街の影法師   作:ヨシフ書記長

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何とか書けましたね
次は猫猫視点かな…蘭明の使える技として波紋の呼吸とか民明書房刊に出てくるような技とか出そうかなと思ってます。


香に紛れる毒

【緑青館・明け方】

 

 花街一の繁盛を誇る妓楼・緑青館――その喧騒がようやく落ち着いた頃合い。夜を駆けた客たちは夢の中へ、妓女たちは長い逢瀬の余韻に沈む。

 

 そんな明け方の裏口から、ひときわ重い足音が響いた。

 

 「おうおう、今日はまたえらく腰が重いじゃねぇか、ばばあ」

 

 杖を突きながら入ってきたのは、蘭明。薄明のなかでその影はなお濃く、朝靄を割って現れる幽霊のようだった。

 

 「ほう? あんたがそんな風に口きけるってのは……誰のおかげだろうね」

 

 出迎えたやり手ばばあは、着崩した小袖に煙管をくゆらせながら現れる。相も変わらずの風体に、だがその目の奥には衰えぬ鋭さが潜んでいた。

 

 「へっ、嫌なこの腐れ縁。三途の川まで続きそうだぁな」

 「ふん、お前が流刑されて……もう二度と顔見ることはないだろうと、思っていたけどね。まさか戻ってきて按摩屋なんざ始めるとはねぇ」

 「……戻りてぇわけじゃなかったさ。ただ、生き残っちまっただけだ」

 

寂しそうな表情を浮かべながら、蘭明はそうつぶやく。

 その一言に、ばばあの表情が一瞬だけ陰る。

 

 「で? 今日は何の風の吹き回しだい。按摩のためだけじゃないんだろう?」

 

 蘭明は黙って懐から血のにじんだ紙束を取り出し、卓に置いた。

 

 「“赤い帯の女”、緑青館の中に潜んでやがるって話だ。後宮とも繋がってる」

 

 ばばあは静かに煙管の火を消した。

 

 「……花街の裏で何が動いてるかは、アタシにも全部は掴めちゃいない。でも、ひとつだけ言えるよ。ここにも“匂い”はもう入り込んでる」

 

 「知ってたか」

 

 「……女将の務めは、男の顔色より、女たちの嘘を見ることさ」

 

 やり手ばばあの笑みには、皮肉と哀しみが滲んでいた。

 

 「蘭……今さら“家族”づらするつもりはないよ。でもね。猫猫には―あんたと同じ目には遭わせたくないんだよ」

 

 蘭明の瞳が細くなる。

 

 「だったら、手を貸せ。血ぃ繋がってようが関係ねぇ。今の“緑青館”を守るのに、使える駒ならなんでも使う」

 

 やり手ばばあは奥へ手招いた。

 

 そのまま、蘭明は黙って従う。床のきしむ音が、過ぎた年月の重さを語るように響く。往年の夜を染めた声と香が、微かに残る帳場の裏手――緑青館の“腹の中”。

 

 「ここに帳面はある。売上じゃねぇ、女の履歴書さ。誰がどこで生まれて、何に泣いて、どこに消えたか……」

 

 ばばあが桐の引き出しから取り出した帳面は、年季が染みついた黒ずんだものだった。

 

 「この中に“赤い帯”の名もあるかもしれない。ただし、読む覚悟があるなら、だよ」

 「ああ、わかってらァ…」

 

 指を伸ばしかけた蘭明に、ばばあが告げる。

 

 「それを開くってのは、跡目の証しでもある。ここを継ぐ覚悟、あるんだね?」

 

 その手が一瞬止まり、そして頷く。蘭明は伏せ目がちになりながらこう言った。

 

 「継がねぇつもりだった。……でも、もう“外”のやり口じゃ追いつかねぇ。ここの内側からでなきゃ見えねぇもんがある」

 「花街はねぇ、綺麗事じゃ回らない。でも、それでも誰かが“綱”を握らなきゃ、あっという間に呑まれちまう」

 

 蘭明は帳面をめくり、そこに目を走らせた。名も、過去も、重ねられた紙の中――やがて、ひとつの名が目に留まる。

 

 『紅桐(ホントン) ― 帯印:赤 ― 備考:渡り、身請け歴なし、接客制限あり』

 

 「……こいつだ。赤帯を締めながら、表に出ねぇ。妙だと思ってた。こいつが、後宮の“外”と“中”をつなぐ役目を負ってるかもしれねぇ」

 

 「紅桐……“紅”の字を背負ってた。ここらじゃあ珍しい名だね…あんまり見ない名だ」

 「何処かでよく聞いた名のような気がする南…。いや…西方だったか…」

 

 蘭明は思い出すように呟きながら、帳面を閉じると蘭明は決意を口にした。

 

 「俺がここの裏を継ぐ。その代わり――ここに巣くう“虫”は、徹底的に炙り出す。猫猫のためにもな」

 

 ばばあは、わずかに笑った。

 

 「やっぱり、アイツのことが心配なんだねぇ…」

 「そりゃあな…。誰かがやらなきゃならねぇ…貧乏くじをアイツにゃあ…引かせてたまるかよ」

 

 夜明けの名残を押し流していくなかで―陽はゆるやかに昇り始める

 

「さぁて、夕暮れまでに一汗かいとくかねぇ…」

 

そうぼやきながら向かったのは、妓女たちの“癒し部屋”と呼ばれる離れの一角。床几に備えられた布団、香の柔らかな薫り。疲れた女たちの背をほぐし、心を整えるための空間だ。蘭明はその部屋の戸を開けると、そこには三姫が座っていた。

 

「あらァ?蘭さん!来てたのねぇ!最近肩がコリ始めちゃって!お願いできるぅ?」

「おう、白鈴!相変わらず胸がデケェなぁ…原因はソレだろうがなぁ…」

 

蘭明は白鈴を見ながら、そう軽口を叩くと部屋に入った。

 

「んじゃあ、そこに寝そべりな…よし、始めんぞ?」

「んあぁ~、そこそこ、もっと強くッ……はぁっ、気持ちいい……!」

 

 白鈴が仰向けに寝そべり、肩口に食い込むような蘭明の親指に快感の吐息をもらす。

 

 「……おめぇ(白鈴)はいつも騒がしいな。ほぐした筋肉がまた緊張するだろ」

 「だってぇ、蘭さんの指って反則なのよねぇ…。猫猫にも同じことしてんのかしら」

 「ガキにゃあ…やらねぇ。つか、あいつだとこっちが骨折れるわ」

 

 笑いながら応じたその手は、次に女華の首筋に移る。彼女は畳に正座したまま、眉一つ動かさずに目を閉じていた。

 

 「血の巡りが悪ぃな、あんた(女華)。脳味噌ばっか回してるから、下が冷えてんなぁ…」

 「女性に向かって“下が冷えてる”とは……言葉の選び方が下品すぎるわ」

 「素直に“ありがとう”でいいんじゃねぇかねぇ…。ま、おめえさんの愛想がもっとありゃあ…もっと客も寄ってくるんだろうがねぇ…」

 

 蘭明がそう言うと、女華は一瞬だけ眉をぴくりと動かしたが、すぐに無表情に戻った。

 

 「はい、次はあたしの番ね!」

 

 梅梅が元気よく身を乗り出してきた。

 

 「腰と肩と背中、あとこの間の鍼もね。……それから、最近ちょっと夢見が悪いの」

 「へぇへぇ…。だがァ…夢の話は医者にしな。俺ァ…ただの按摩屋だ」

 

 そう言いながらも、梅梅の背に指を当てる。その指が触れた瞬間、彼女の表情がふっと和らいだ。

 

 「……やっぱり、蘭さんは他の按摩さんとは違うわねぇ…。今も姐さんの治療してあげてるの?」

 

 蘭明は黙って鍼箱を開き、一本の銀鍼をゆっくりと取り出した。

 

 「あたりめぇさ…。俺ぁ…姉貴には迷惑かけてばっかりだからなぁ…」

 

 その声には、微かに滲む後悔の色…。しんみりとした空気が流れ始めた中ーーー

 

 「ねぇ、蘭さん。最近、紅桐って子がちょっと妙だと思わない?」

 

 白鈴の問いに、三人が静かにうなずく。

 

 「妙、というより……得体が知れない。あの子、誰にも"本心"を見せないまま、帯まで行った」

 「化粧の下に何か隠してるっていうか……“演じてる”感があるのよね。しかも香が変わってたわ。あたし、嗅覚はいい方なの」

 「女華、お前が言うと…妙な説得力あるな。脳で香を嗅ぎ分けるみてぇだ」

 「バカにしてる?」

 「してねぇよ」

 

三姫達とそんな話をしつつ、施術をしていくのだった

 

夕暮れの緑青館。

 帳面を閉じた蘭明は、再び襖をくぐった。

 

 「“紅桐”、この帳の中だけで済む女じゃねぇな……」

 

 独りごちた声は、誰にも聞こえぬよう小さく…しかし鋭く響いた。

 

 緑青館の奥、女たちの化粧部屋。

 白粉の匂いが立ちこめるその一角で、古株の妓女・薄花(はっか)が鏡に向かいながら口を開いた。

 

 「あの子ね、来てまだ一月も経ってないのに、あっという間に“帯”になった。口数は少ないけど、立ち居振る舞いが妙に出来てる。まるでどこかの奥で仕込まれたみたい」

 「“どこかの奥”ってのは、まさか後宮かい」

 

 蘭明の声音に、うっすらと警戒の色がにじむ。

 

 薄花は返事をせず、煙管に火をつけた。煙をくゆらせながら、ぽつりとつぶやく。

 

 「だけど、一度だけ見たんだ。裏庭の塀のとこで、血のついた櫛を洗ってるのを。顔色も変えずにね。問いただしても“何でもない”の一言さ。……まるで誰かの罪を肩代わりしてるみたいだった」

 

 蘭明は唇の端をわずかに歪めた。

 その目には、どこか見覚えのある陰が差している。

 

 「その櫛、今もあるのか」

 「さぁね。流しに置かれたきりだったけど、次の日には消えてた。ばばあが黙って処分したかもね。あんたが嗅ぎ回ってるって知れたら、ろくなことにならないってのは、あの人が一番わかってる」

 

 そのとき、襖がわずかに開き、やり手ばばあが姿を見せた。

 

 「……紅桐のことは、もう少し様子を見るつもりだったけどねぇ…。今朝、離れに仕込んでた香が全部、換えられてたよ。誰かが“何か”を試してる」

 

 蘭明の瞳が細まる。

 

 「“香”か。そいつはぁ…誰が扱ってる?」

 「外から作られて持ち込まれたようだね…街中の香屋は関わっちゃいない。けどね――その香の立ち方が妙だった。まるで、何かの“毒”を隠すような香りだったよ」

 

 ばばあは、帳場の裏からひとつの小箱を取り出した。

 

 「これも持ってきな。香の残りと、紅桐の部屋で拾った薬包だ。羅門が見りゃあ…何かわかるかもしれない」

 

 蘭明はそれを黙って受け取ると、懐に仕舞う。

 

 「……“紅桐”の背後にいる奴が、花街に手を伸ばしてる。目的はまだ見えねぇが――このまま放りゃ、死人が出る」

 「死人なんざ、出尽くしてるだろうに」

 

 やり手ばばあの苦笑に、蘭明は答えず、ただ杖をついて歩き出す。

 

 「猫猫にゃ手ぇ出させねぇ。そのためなら、火の粉なんて振り払ってやらぁ…」

 

 そう言い残し、夜の帳が降りる緑青館を、重い足取りで後にした。

 

 ばばあは、まるで十数年ぶりに“息子”を見るような目をした。憎まれ口を叩き続けたあの日々が、今はもう戻らないと知っていても。

 

「花街はねぇ、綺麗事じゃ回らない。でも、それでも誰かが“綱”を握らなきゃ、女たちも、街も……ただ喰われちまうのさ」

 

やり手ばばあはそう呟くのだった

 

 

 




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