午前2時。
乱開発によって次々と建てられたビル群から漏れ出す蛍光灯の光やその屋上に設置されているネオンの光線は途切れることなく町を照らし続ける。その遥か下、歩道の道端には家の環境が気に入らないのか、はたまた暇つぶしの為か定かではないが、若者たちがその恩恵の元衆人環視を気にせずに騒ぎまわり、その脇を終電に乗り遅れたサラリーマンの中年オヤジ達が、酒の臭気を口からぶちまけながら我が物顔で練り歩く。もう一軒、もう一軒と一升瓶を抱えながら道路に踏ん反りかえったホームレスを制服を着た警官が介抱し、その横で電柱にもたれながら口から嘔吐を繰り返す女性部下の背中をいやらしい手つきで摩る上司のにやけ顔など、もはや見慣れた光景だ。
何の代わり映えもしない、糞のような、面白くもなんともない日常の光景。
陽が昇ろうとも夜更けになろうともこの町から人の群れが消えることはない。
この町は眠るという行為を知らないのだ。
だが、それとは対照的に静かな眠りについているところもある。
そこは光り輝く町から、山一つを挟んだ反対側にあった、ちいさな集落だ。
特産物もなく観光になるような場所もない。あるのはちっぽけな街灯一本とその横にぽつんと設置された緑色の公衆電話ぐらいのもの。何のとりえもない山に囲まれた村。町の住民からすれば『田舎』の一言で片づけられてしまうような場所だ。そこでは老人たちとその子どもが田畑を耕し、そこで作られた作物を町の業者に売ることで利益を上げ、その資金で細々と日々の生活を営んでいる。
山一つ挟んで隣り合った町と村はまるで光と影のようだ。かたや常夜灯のようにいつまでも光み満ち溢れ、かたやその光をともに享受することなくひっそりと影の様に寄り添い続ける。
それぞれの住民はこの環境に不便さを感じたことは今までにない。それ故、互いに憧れを持ったこともない。
弱弱しく、頼りない街灯の明かりは公衆電話を照らすのがやっとで、村を照らす気力などない。村はそこの箇所を除けば夜の静寂に包まれている、普段ならそうだ。だが、この日の夜は珍しく村に明かりが絶えなかった。
村の静寂を切り裂くように、けたたましいサイレンを鳴り響かせながら、整備された道路を赤い消防車が突っ走る。何台もの消防車が列をなして道路を走り去っていく姿は圧巻するに十分だが、それが些細なことに思える光景が村民の目を奪った。
村の、それも山にほど近い一軒家から轟々と火の手が上がっていた。消防隊は火を消火しようと懸命に放水を試みるが、一向に火の手が収まる気配を見せない。
隊員達は焦りを隠せないでいた。通報を受けてからここに到着するまでにおよそ一時間。到着に時間が掛かったことで、その間に火の手は家だけでは飽き足らず、背後に広がる杉山までも喰らい尽くそうとその手を伸ばしていた。最悪の事態を回避するためにも何としてもここで止めなくてはいけない。嫌な不安を振り払い、隊員たちは消火に心血を注いだ。
燃えろ、燃えろ、燃えて無くなれ。今までの糞みたいな人生なんて燃えて灰になれ。
大っ嫌いな暴力親父も、それの言いなりになる母親も、いい子面してみて見ぬふりをする兄妹もみんなみんな燃えちまえ。
これがお前らが俺に与えてきた痛みだ。これがお前らが俺に与えてきた苦しみだ。じっくり味わえ、そしてかみしめろ。
お前らはいいよな、ただの一度きりで苦しみも痛みも全部もらえた。けどな、俺はそれを毎日毎日お前らからやられてきたんだ。本当ならもっと痛めつけてやりたかった。この世の地獄を味あわせてやりたかった。
だけど、まあ、これでもいいや。最後くらい家族一緒になんてのも素敵じゃないか。
薄れていく意識の中、俺はそんなどうでもいいようなことをつらつらと頭で考えていた。
俺は燃え続ける一軒家のリビングで椅子にもたれながら呆然と天井を見上げていた。もうすぐ、俺の意識は闇の彼方に消えて無くなろうとしている。長かった、この日が来るのをどれほど待ちわびたことか。13年、13年我慢してようやく成し遂げられた。それなのにこの虚脱感は何なのだろう。あの悪夢のような日々はもう終わりを告げたというのに、なぜ何かを失ったような喪失感がぬぐえないのだろうか。
自分でもよくわからない。本来ならもっと喜びに満ち溢れた充実感で一杯になるはずだった。だが、そんなものは沸き起こってきやしなかった。
まあ、そんなことはどうでもいい。もはや終わったことだ。
俺に残された時間はもうない。俺の意識がなくなるのが先か、はたまた家の天井が俺に向かって襲ってくるのが先か。いずれにしたって俺は死からは逃れられない。
外でサイレンの音が聞こえるが、間違いなくあの隊員たちが助けに来る前に俺はここで残骸になっていることだろう。
ああ、天井がミシミシ言ってる。どうやら落ちてきそうだ。最後くらいゆっくりしていたいと思ったけど、どうやら無理のようだ。
さよなら。短くて長いくそったれな人生。今度生まれ変わったらもっとマシな人生過ごしたいな。
俺は静かに目を閉じるのとほぼ同時に、上から凄まじい音を上げながら、火を纏った天井が俺の小さな体を一瞬で押し潰した。
「起きろ」
誰かの声がする。男の声だ。なんだよ。俺は今眠りについたとこなんだ。ほっといてくれよ。
「起きろって言ってんだ」
頼むから寝させてくれ。
「起きろクソガキ」
その瞬間、俺の顔に冷たい水が迸る。突然の出来事に頭が追いつかないが、このお陰で俺の意識は見事に覚醒した。
「な、なにすんだよ!」
「ようやく起きたか。 死んでまで世話かけんじゃねぇよ、餓鬼」
俺の目の前には見たこともない男がいた。ハリウッドの俳優のような、彫りの深い整った顔には似合わない大きな傷を右頬につけたその男は上下黒のスーツを身に纏い、その手にバケツを持って男は俺を見下ろしていた。
男はバケツを部屋の隅へ投げ捨てると、近くにあった椅子を手繰り寄せ、背もたれを前にその上に両手を組み座る。
「さて、俺は長話が嫌いなんだ」
男はスーツの内側に片手を突っ込み弄ると一冊のメモ帳を取り出した。
「飯村隆春、18歳。4月8日生まれ。5歳の頃から父親、飯村良春から虐待を受け続ける。この父親は、まあクズだな。ギャンブルに入り浸り、毎日毎日酒を飲んではお前を殴る蹴るか…。家族の方は、お前を助けるどころか手前の身を守ることしか考えずそれを黙認した。そして、十数年に渡って積もらせた怨念が殺人に…か。…4月9日、つまり今日。家族が眠りについた時間を見計らい、その寝室に侵入。父親と母親を包丁で滅多刺しにした後、兄妹の部屋に押し入り同じように殺害。その後、自宅に灯油を撒いて火をつけ自らもその命を絶った。…間違いないな?」
俺は男の言葉を耳半分に聞きながら、自分の置かれた状況を確認していた。
見たこともない部屋だ。四方をコンクリートの壁に囲まれ、その中心にあの男がいる。窓はなく出入りできるのは見たところ男の後ろにある錆びの浮いた鉄の扉だけだろう。扉には覗き窓が付いており、そこから手を出せないように格子がはめ込まれている。
「おい、聞いてるのか?」
男は眉間に皺を寄せ、その鋭い眼光はさらに研ぎ澄まされる。
「あ、ああ。…一つ聞いてもいいか」
俺は慌てて男に言葉を返す。
「…手短にな」
男は上着の中に手帳をしまうと、ポケットから白色の箱を取り出す。煙草のようだ。箱の口を開けそこから一本の紙巻を取り出すとライターで軽く炙る。火が移るのを確認するとそれを口に咥えた。
「ここは…どこなんだ?俺は確か燃える家の中で死んだと思うんだけど…」
俺が言い終わるより先に男の口から濃密な紫煙が俺に吹きかけられた。俺は意図せずにそれを吸い込んでしまい盛大にむせ返る。
「…地獄の一歩手前。だが地獄でもない、かといって天国でもない」
「どっちなんだよ」
「一番近いのは地獄だ。お前は人を殺してるからな、しかも肉親をだ。お前が虐待なんざ受けていなかったらこんな所通らずに直に地獄へ行けたのにな。それに俺も仕事をせずに済んだ」
「…悪かったな」
「まあ、いいさ。仕事は仕事だ。さて、もういいな。さっさと本題に入ろう」
「本題?」
「お前のこれからの処遇についてだ。お前には今、選択肢が三つある」
男は指を三本立てながら俺に向かってその手を突き出す。
「一つはここから近い地獄。行くのは簡単だ、地獄行きの船頭に六文銭を渡すだけで行ける」
「そんなもの、俺持ってないんだけど」
「心配するな。最近じゃ銭じゃなくても持ってるもん突きつければ渡してくれる。が、まあ無賃乗車はやめとけ。最悪川の中に沈められて亡者どもの餌にさせられる」
「…まじか」
「大マジだ。次に天国だが、まあお前が行ける可能性は限りなく低い、行けないと思っといた方がいい」
「まあ…そうだろうな」
別に期待していたわけではないが、面と向かってお前は天国には行けないと言われれば、思うところはある。
「最後の一つだが、こいつは特例なんだがな、お前を何処か違う世界で生かさせる」
「生かさせる?」
「言い方が悪かったか。つまりは転生させるって話だ」
「転生…」
転生、たしか、仏教の思想の一つだったような気がする。生憎家は無宗教だっために詳しくはわからないが、死後に何か別の存在になって生まれ変わることだったと思う。
「ああ、そうだ。さあとっとと選べ。三つ、いや、実質2つか。お前の好きな方をな」
「…俺は」
あの時、死ぬ前に心の底から願った新しい人生が今目の前に転がっている。嘘かもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。わざわざ転がってきたそれをみすみす見逃すような馬鹿はしない。
「…もう一度、生きてみたい。今度はあんな糞みたいな人生じゃない真っ当な人生を歩んでみたい」
俺の心からの願いを聞いた男は、何故かその口元を歪ませた。それは相手に怖気を走らせる不気味なものに見えた。
「そうか、分かった。…転生させるにあたってお前には幾つかやってもらいたいことが出来た」
「何?」
「そう身構えることはない。お前はただあの扉の中で待っていればいい」
そう言って男は、俺の背後をすっと指を指す。それにつられてゆっくりと振り返ると、そこには男の後ろにあったような扉と同じ形の扉があった。
「この向こうに?」
「そうだ。お前が向こうにいる間はその扉に鍵をかける。そう時間は取らせないから安心しろ」
男は短くなった紙巻を床に落とし、乱暴に踏み消す。紙巻からは中の茶色く色づいた屑が苦しげに外へと飛び出ていた。
「なあ」
「なんだ?」
「あんたって、もしかして神様なのか?」
俺の言葉に男はポカンと口を開け呆然とした。かと思えば何が面白かったのか突如腹を抱えて笑い始めた。よっぽど男のツボに入ったようで、その笑い声は暫くこの部屋の中に響き渡った。
「俺がそんな上等なモンに見えるのか、お前は?」
「え?違うのか?俺はてっきり…」
「そう思いたいんならそう思っていればいい。そうか、俺が”神様”に見えるか…。いやはや久しぶりに笑わせてもらった。今日は幾分か機嫌がいい。お前への”処置”を少し軽めにしてやろう」
「”処置”?何のこと?」
「お前が気にすることじゃない。さあ早いとこ行け。それとも尻を引っ叩かれなきゃ動けないのか?」
「分かったよ。とっと行きますって」
そう男に言って、俺は扉のノブに手を掛けた。ひどく冷たい感触のノブを回し、外側に引いて開く。中は真っ暗で何も見えない。不安が湧いてくるが死んで今更不安もクソもない、そう思い込むことで不安を押さえ込んでその中へと足を踏み入れた。
男は隆春の姿が扉の中へ吸い込まれるのを確認すると、立ち上がり、ドアを施錠する。そして、内側の胸ポケットから今度は携帯電話を取り出した。現代ではもう見ることも少なくなった、アンテナを伸ばすタイプの一昔前の携帯電話だ。男はケータイを操作し登録してあった番号をプッシュする。
数回のコール音の後、相手につながる。
「ああ、俺だ。今そっちに行った。…そうだ、その男だ…ああ。…そいつは軽めだ。…わかったわかった、後で何か奢ってやる。だから…ああ、それは分かってる。お前も間違ってバラすなよ?…ああ。終わったら掛けてくれ。それじゃ」
男は通話を切り、携帯を仕舞う。そして紙巻をまた一本取り出し、ふかしはじめた。
一本、また一本と本数を重ね、遂に一箱開けようかとした時、目の前の扉が乱暴に開かれた。その暗い闇の中から這い出るように長身の人影が男の前に現れた。男はまるでオペ前の外科医のような出で立ちをしている。ただ、普通の外科医と違うのはその服はべっとりとこびりついた血糊で真っ黒に染まっていることだ。
「ようタシロ。もう終わったのか?」
男はこの不気味な男、タシロにまるで昔からの旧友にするのと同じように軽く声をかける。
「ああ、全く面白くない。アサダ、私にこんなつまらん仕事をさせるなと何回言わせればいいんだ?」
タシロはしわがれた声で不満をたっぷり込めてアサダに問いかける。
「悪かったな。だが、お前も人のこと言えた義理じゃないだろ?俺はお前に何回終わったら電話をかけろと言っていると思う?」
「そんなことするより、こっちの方が手っ取り早い」
「それも何回も聞いた」
「分かった。今度こそはちゃんと電話をしよう。だから、お前は私に、わ私にとって有意義な案件を紹介しろ」
「善処する」
「善処じゃない。必ずだ」
「分かった。それより…見事に仕上げたな」
「ああ、これか?」
タシロは右手に持っていた何かをアサダの顔の前に突きつけた。それは先程アサダと面会していた隆春だ。だが、その姿は先程までとは似ても似つかない、酷い有様だった。両手足は刃物か何かで切断され、その断面からは骨や血管が生々しく見える。まるで、昔に見世物小屋で晒された『だるま女』のような姿をしていた。これだけでも酷いのだが、彼の顔の半分が火傷で損傷し、さらに酷く醜い物になっていた。
「転生するにあたって此奴からは両手両足、それに顔半分の皮、声帯を貰った」
「なんで声帯まで取った?」
「こいつの悲鳴がやかましくてうんざりしたからだ。片腕一本切っただけでビービー泣くわ、足を二本切れば今度は発狂して笑うわ。殆うんざりだ」
「そんなこと、日常茶飯事だろうに」
「その時はそいつの体をバラバラに切断するからいいんだ。だが、今回のような案件だとそうもいかない。戻せなんて言うなよ?これでも抑えた方だぞ?」
「ああ、別に言わんさ。寧ろこれくらいがこいつには丁度いい」
苛立つタシロを宥めつつ、隆春の顔をまじまじと見つめる。隆春の白く濁った両の目がアサダを捉えた。
「これが本来ならお前の殺した人数分、つまりあと3回繰り返される所だが、今回はこれ一回きりでお前からの手付けを受け取ったことにしよう。…連れてけ」
アサダはそうタシロに言う。タシロはお前が持っていけばいいだろうと口答えをするが、聞き分けは良いようで、浅田の横を通って扉を開ける。
「今度はお前がやれ。私はこんな面倒をやるために出てきたわけではないからな」
そう言い残し、タシロは部屋を後にした。
「…それもなんども聞いた」
アサダはその顔に笑みを浮かべて、最後の紙巻に火をつけた。