星暦が四桁の大台に差し掛かると、世間では聖星教の信仰如何に関わらず、終末やら星紀末やらが訪れ、この星に裁きが下るなどという流言がもてはやされた。寿命がもって百年に満たない人間族であればともかくとして、ほぼ不老不死である魔種族の間でさえ、世界が終わりを迎えるのだと唱える者があとを絶たなかった。
それは一種の集団ノイローゼであり、時代が生み出した熱病でもあった。星の裁き云々については地殻変動をはじめとした科学的かつ客観的な証拠は認められず、何ら信ずるに足る危機的な兆候はみられなかった。
しかし、世界がかつてないほどの混沌に満ちあふれていたのも、また事実であった。
科学と魔術の結合によって文明は飛躍的に底上げされたが、その栄華をもってしても世界から飢餓と貧困が根絶されることはなく。最も厄介で根絶不能な感染症である疑心暗鬼は、国家の間、種族の間、政府、組織、隣人、家族、そして個々人の意識の中にまで、余すところなく急速に広がりつつある。
あるいは、人々は心の奥底で、裁かれることを自ら望んでいたのかもしれない。
これまでの所業が全て清算されれば、まだ世界が複雑ではなかった「よき時代」に回帰できる、と。
世界の終わりは恐怖によって生み出されたのではない。忘我と懐古への憧れによって熱望されたのだった。
――だが、「よき時代」など存在しない。少なくとも、過去には。
私は、私の中にある二人分の記憶をたびたび弄んだ。
この星欧は、私の知るよく似た世界とは大きくかけ離れた歴史を歩み続けている。
もとより異なる世界であるのだから、歴史の行き着く先もまた異なる景色になるのは当然のことであり、何ら不思議ではなかった。そう、不思議ではない、はずだ。だから、かけ離れているという感覚が間違いなのだ。
どのような世界であっても最終的には同じ形に収斂するなどといった道理はなく、そのような発想自体が悲観論者、それこそ終末論者じみているではないか。歴史に「もしも」が介在する余地はない。
だが。しかし。
――何かが根本的に間違っている。何かが世界を、決定的に変えてしまった。
私は、この強烈な違和感を実に長い間、拭えないでいる。
きっかけは他でもない、エルフィンド事変。
星暦八七五年。キャメロットが電撃的に敢行したエルフィンドへの介入だ。
◆◆
事の始まりは唐突であった。かの人間族の国は、国境を接したオルクセンにさえ先んじる形で、エルフィンド内で始まりつつあった民族浄化の兆候を察知。保護と紛争の調停を名目に、少数民族であるダークエルフに一方的に肩入れすることを宣言し、勝利の暁にはエルフィンド全体への影響力の拡大、ひいては間接的な統治を約束させた。海上封鎖、首都ティリオン包囲を経て、紛争が終結すると、エルフィンドはキャメロット連合国に正式に迎え入れられたのだ。
いわゆる分割統治だ。歴史的に人間族の、特にキャメロットが好む手法ではあったが、それを同族ではなく、あの浮世離れしたエルフに対して実行するとは、彼ららしくない軽率さであり、私も含め、星欧諸国全体が唖然としたのは言うまでもない。
海からはキャメロットの世界に冠たる海軍が、南からは最新鋭の兵器を供与されたダークエルフが迫り、八方塞がりとなった白エルフは、意外にも目立った抵抗をせずに、ダークエルフへと統治権を移譲した。もとより外交関係をほぼキャメロットに絞り、近代化の面においても頼り切りであったエルフィンドにとっては、抵抗は無益だと判断したのかもしれない。
結果だけ見れば、無血開城を達成したことでキャメロットは侵略者の誹りを免れ、エルフィンドの盟友兼関節統治者としての地位を確固たるものとし、表向きは均衡を保とうとしていた星欧諸国の中でも心理的に大きなリードを果たした。当時のキャビネットの連中が、鼻高々に民族浄化の鎮圧を宣言し、「人道的な措置だった」とのたまった時に私の中に噴き出した苦々しく、どす黒い奔流を、よく覚えている。
しかし蓋を開けてみると、キャメロットは白エルフに対しても積極的な支援を約束し、実際に供与していたことが判明した。その上で予想される彼我の損失を正確に計上し、エルフとダークエルフの双方をとりなしたのだ。狡猾だった。信じられないほどに狡猾だった。発端となった民族浄化でさえ、キャメロットが裏で煽っていたのではないかとも噂されるほどであった。
キャメロット人の舌が人間にしては数が多いことは周知の事実であったが、この駆け引きの実態は当時の国際情勢においても異常だったといえよう。国家間が冷酷な空間であることを差し引いても、義理と不義理の境界を飛び抜けている。寝技や搦め手ではない、外道の所業であった。やはり彼ららしくない。腑に落ちない。
加えて、いかに独占的な外交関係を有していたとしても、実際に国境の接するオルクセンよりも先に、少数民族の動向を察知できたのは奇妙であった。
傲りでもなく、我が国はファーレンス商会などの情報網を通じて、いずれの国よりも、いや、場合によってはエルフよりもエルフィンドを把握しているはずであった。私自身でさえ、将来の戦争を見越してシルヴァン川流域をたびたび訪れていたのだから。
思い返せば白エルフの態度も、また奇妙なものであった。海を封鎖され最大の軍港ファルマリアを抑えられたとて、キャメロット自身が本気で血を流す覚悟があったわけはなく、またダークエルフには数ではるかに勝っていた。
一切の妥協を排除し、抗戦を選べば、勝者は自ずと白エルフ側になっていたはずだろう。その間にキャメロット以外の、新たな国交を望む他国の干渉を引き出すことさえ、可能であったろう。そうできなかったなんらかの事情については、明らかになっていない。
こうしてキャメロットの迅速な行動、白エルフの妥協などのいくつもの不可解な点が重なり、多くの歴史の乖離が生まれた。理解に苦しんだ私はこの一連の事変は転生者が企図したものであると考えるようになった。
答えとは呼べない結論だ。ある種の思考停止であったことは認めよう。しかし、事変の余波を受けて、個人的な納得だけのために、意図さえ不明な転生者の実在を気にかける余裕は瞬く間に消失してしまった。
というのも、エルフィンド事変の引き起こした混乱は、その後が本当の問題であったからだ。
まず、ダークエルフによる統治は予想通りというべきか、うまくいかなった。そもそも彼女たちは政治への熱意に欠けていた。政治に向いていない自覚があったからこそ、彼女たちなりの生き方を選んでいたのだから無理もない。
ダークエルフたちは常に人間族による忠告を聞き入れようとしなかったし、政治への関与よりも伝統的な生活スタイルの維持を何よりも望んだ。彼女たちは自らが殲滅させられる可能性の排除は徹底したが、だからといって未遂に終わった白エルフを権力と暴力によって蹂躙することを求めてはいなかった。
白エルフとダークエルフの反目は、彼女たちの多くが常に現役であり続けるために容易には解けなかったが、事変を経て彼女たちは気付いた。人間という異種族に比べると、なんとまあ我らの似通ったことか、と。
エルフィンド事変に関わるキャメロットの外交文書が流出し、その悪質な二枚舌外交が看破されたことも手伝い、両者の関係は接近。かつてあり得た最悪の事態、互いが滅びるまで殺し合うといった剣呑な雰囲気はかなり後退することとなった。分割統治は失敗であった。
エルフィンドへの支配権拡大に失敗したキャメロットは国内においても泣きっ面に蜂、介入派と穏健派に国内は分断され、例の鼻高々であったキャビネットは弾劾まで受けて退陣へと追い込まれた。どうやら議会の承認を迂回する形で、介入が行われていたらしい。
しかし、切り替わりの早い人間族らしく、彼らは簡単に頭を垂れ、ほぼ公的にエルフィンド事変がデュートネ戦争講和条約以降に効力のあった勢力均衡を崩したと認めた。
とはいえ、いくら後悔しても後の祭り。既に政治的に困難を抱えていた彼らは、ここから切り離すための政治的マンパワーを使い切っており、連合に加えてしまったエルフィンドの処遇に苦慮することになる。
外交的には、人間族諸国の中でも特にロヴァルナとグロワールがキャメロットに先を越されたことで功を焦り、エルフィンド事変をモデルケースとして魔種族国家への介入を画策したため、その変心を止めるために、キャメロットは難しい外交の舵取りを求められた。
その二国の興味は当然ながら隣接する多民族かつ魔種族国家のオルクセンに向けられていたため、彼らは細心の注意を払って、我が国との紐帯を四六時中強調し続けた。オルクセンを中心に戦火が広がれば、星欧大陸全体が戦地になり、キャメロットもエルフィンドも免れることはできない。
次の戦争を凌ぐための余力は、キャメロット連合には残されていなかった。身から出た錆とはいえ、前任者の後始末に奔走する彼らを見て、本当に胸がすく思いで、いや、少々気の毒に思える瞬間さえあったものだ。
私も、あの時は荒れに荒れた。二国をはじめとした人間族諸国からの挟撃を思いとどまらせるためにあらゆる努力を尽くし、次の一手をエルフィンドとして国を挙げて入年に準備を進めていたのだから、怒り狂っても仕方がなかった。賠償さながらに、ほぼ恫喝に近い形でキャメロットからあらゆる資源を引き出し、来るべき戦争に備える日々が続いた。
この睨み合いだけでも制御することは困難を極めたが、しかし、それだけではなかった。
キャメロットとエルフィンドは内政においても大きな転機を迎えたのだ。その内情は一見すると複雑でありながら、仕組みとしては雪だるま式で単純なものであった。
元々人間族の中ではオルクセンやエルフィンドとの交流を通して、魔種族に対して比較的に抵抗感の少なかったキャメロットであったが、エルフィンドを掌握した結果、彼女たちの文化が流入し、人々の「エルフかぶれ」が始まったのだ。
急速に進んだ工業化によって生活や文化が破壊されたと感じていた人々にとって、エルフィンドの地の神秘性は強い憧憬を引き起こした。多くの人間族が自然に還ろうとしてベレリアント半島へ流出し、その勢いはキャメロット国内の産業空洞化を引き起こしていると叫ばれたほど。
エルフィンド側、特に白エルフは一時的であってもダークエルフへの権力移譲を招いた人間族の反応に辟易し、押し寄せる人波に、強烈な怒りをもって突き放そうとした。短命な種族特有の節度のなさ、信仰の低さ、低俗さ、種として「忘れやすい」性格は常に軽蔑の対象であった。
が、何事も例外はあるもので、近代科学に魅了されるもの。伝統的な生活に飽き飽きしていたもの。人間族の熱烈な愛情表現に興味を持つもの。長命ゆえに常に敬われることに快感を覚えるもの。少なくない数のエルフが、キャメロットへと渡った。
人的な交流フローの増加は、互いの長所と短所に気付く大いなるきっかけとなったのだ。
そして、交流が増えた自然な帰結として、最も重大な局面が訪れる。性の問題だ。
エルフ族ダークエルフ族がともに持つ、人間族の上澄みを跳び越えた容姿の美しさ、そして肢体の造形美はキャメロット男子の憧れの的となった。多くの人間の牡が彼女たちをものにしようと海を渡ってまで果敢に挑戦し、無惨に散って行った。
この惚れた腫れたの問題は当初、冗談の範疇に過ぎなかったが、女性のみで構成されるエルフ族に対する参政権の付与が議論された際、導火線に火が付き、人間族内の男女間闘争にまで発展、爆発炎上した。
キャメロットの婦人たちが猛烈な抗議活動を展開したのだ。それまでも女性の権利を巡る運動は存在していたが、突然隣人になった魔種族に美人だからという理由で曲芸的に権利を譲渡する、そのようにしか見えなかったのだから今までの私たちの苦労はなんだったのかと、反発は烈火のごとくに凄まじいものであった。
対岸の火事と笑っていられる期間は、大変に短かった。
なぜなら、男女または牡牝の問題は、エルフ族を除いて全ての種族に関わる問題であるのだから。
各国の政府がこの問題の本質に気付く頃には、時すでに遅く。キャメロットから始まった抗議活動は怒濤の広がりをみせ、星欧大陸全土はもちろんのこと、西は南北センチュリースターにて現地の運動と合流し、東は道洋を超え、果ては秋津洲に至るまで席巻したらしい。
これが、よくなかった。とてもよくなかった。
むろん、男女や牡牝の間にある不当な差は是正されるべきであり、いつか克服されるべき課題であった。
しかし、世界はまだ、その準備ができていなかった。闘争が闘争を呼び、連鎖し、呼応することで、この異なる属性間における闘争が当たり前の光景になってしまった。
星欧に限らず世界は無限に細分化し続ける終わりなき闘争の時代へ突入してしまったのだ。
人間族と魔種族、魔種族と魔種族、金持ちと貧乏人、あらゆる持つもの持たざるもの。
日常が、戦場となった。
この運動はどちらかが明らかに正解と判断できる類のものではなく、どちらにも小さな真実が、そして小さな正義が含まれていた。各国政府は日ごとに多様化する抗議の対応に翻弄され、小さく、しかし危険な衝突が各地で頻繁に引き起こされるようになり、それは今に続いている。
あちらこちらに戦争あるいは戦闘が勃発し、王制によるイニシアティブは機能不全まで追い込まれた。誰かひとりの鶴の一声、あるいは切腹の覚悟で物事が決まる、そのような時代は民衆の熱狂によって終わってしまった。
私がこれだけキャメロットの内情を熟知しているのは、彼ら自身がそれを説明してくれたからだ。
無理な連合加入、また魔種族との共生は、想像を超えた社会不安を引き起こす。それはこんなにも大変で、私たちは大変な目に遭っています。だからおすすめできません。彼らはエルフィンド事変が再度試みられないように、喧伝する他なかった。
つまり、簡単にまとめると、キャメロットが求めた分断は成功しなかったのだ。
成功しなかったどころか、人間族としての根底は痛打を受け、独立国家の主権を切り崩すことになった。
超長期的に見れば、人間族と魔種族が共に暮らす環境を整備したことは、種族間の融和が果たせるのだとしたら、プラスに働くのかもしれない。しかし、人間族はその性質上、長期的なビジョンを抱くことに向いていない。
ゆえに、これが転生者が望んだ結末とは到底思えない。
あるいは。
彼の転生者は、愉快犯的な人物で、世界を混乱に巻き込むことが目的だったのかもしれない。
もし、そうであれば、とても恐ろしい。
こうして、エルフィンド事変を発端として世界は様変わりした。
◆◆
人間族と魔種族の関係は今後どうなるのか、どんな悲劇が起こるのか。知識と想像からの乖離は日ごとに大きくなっていった。私は何を為しえて、何を為しえなかったのか。何を、どこから間違ったのか。自問自答が続いた。
しかし、それでも変わらないものがある。戦争だ。
人間族と魔種族、人間族同士、魔種族同士、争いは終わらない。
木の端を振り上げ、石を投げ始めた時代から、知的生物の本質は変わらない。最後の一人が力尽きるまで、変わることはないのだろう。闘争が日常にまで細分化されたとしても、戦火は小さくならなかった。
エルフィンドを巡る駆け引きによって、星欧はかつてない規模の混乱に陥った。
オルクセン。あの豊かで強靭な国だったオルクセンは、その力ゆえに、混乱とは無縁でいられなかった。
民族主義と民族主義とアイデンティティポリティクスの荒波が世界を呑み込んだ。
限界を感じた私は、やむなく王位を退いた。もはや王制では国を動かせなくなっていたのだ。戦友、腹心、家族同然であった彼らの困惑と動揺、そして怒りに満ちた瞳を思い出すと、今でも胸が痛む。
王位を退いたものの、私はあまりに深く、戦争に沈み込んでしまっていた。抜け出せなかった。一市民に戻ることができれば、どれだけよかっただろうか。いや、よかったのかさえ、自信を持てない。
私は同胞が、あるいは未来の同胞が傷付き、斃れてゆくことが耐えきれず、ヴィルトシュヴァイン大学で医学博士号を取得し、軍医を目指した。
星欧での小競り合いが落ち着くと、戦火は南の大陸や道洋に広がった。治安維持活動の名目であらゆる地域に派遣され、あらゆる争いを見た。あらゆる死も。まだ交流もない魔種族と殺し合った。それが終わると、また星欧で小競り合いが始まり、元いた戦場へ引き戻される。それが何度も何度も繰り返された。
――疲れた。私は疲れた。
争いの本質は変わらない。しかし、戦争の質は大きく、残酷に変化をし続けた。
人間族が航空機を完成させると、空から死が降り注ぐようになった。かつての砲とは比べ物にならない、一撃で山をも吹き飛ばす兵器。地上の何もかもを燃やし尽くす兵器。生き物を無差別に死滅させる兵器。
悪魔も、全ての破滅をもたらす人工の太陽が出現するのも、時間の問題だった。
兵器の出力が飛躍的に向上する一方で、威力を抑えて、死に至らしめる直前まで兵士を効率的に破壊するための兵器と戦術が登場した。私は、戦争のもたらすあらゆる凄惨な産物を嫌というほど見せつけられた。
四肢が吹き飛んだもの、視力を失ったもの、食事さえままならなくなったもの。筆舌に尽くしがたい尊厳の破壊が、逃げ場なく展開された。あの地獄が、顕現していた。
幸か不幸か、科学と魔術が相互に手を取り合ったことで、兵器に限らず、治療技術もまた、大きく進展した。
そのおかげで、いや、そのせいで、彼ら彼女らを死の縁から救うことはできたが、その後の生を考えると、救うべきとは思えない治療が続いた。何度も何度も。
なぜ死なせてくれなかったのか。ベッドに縛り付けられ、どうして生きているのかわからないほどに身体の大部分を欠損した兵士が、残された力をかき集めて、比類なき怨嗟を込めて私をなじった。何度も何度も。
無事に五体満足で回復させられた時も私の心は晴れなかった。運よく生還したはずの彼らは、また死と破壊の待つあのおぞましい戦場へと送り出されるのだ。治すことが、それ自体が悪魔的所業なのではないか。治すことは、つまり殺すことだ。そのような考えが頭を離れなかった。
魔種族は強い。人間族も、強くなった。あの珍重されたエリクシエル剤も、作用している魔術力が同定され、自然の理に反すると思えるまでに効能が高められた。
しかし心は。心の傷を治すことは、科学も魔術も為しえなかった。為しえなくてよかったのかもしれない。
心を壊した兵士を治す。それが正しいこととは信じられようもない。
そうやって志を忘れ、目的を失っていた私は、とうとうアフェルカの地の果てで負傷した。
コボルト族リカオン種のまだ小さな子供だった。黒のぶちの混じった毛はまだふさふさとやわらかく、丸い大粒の黒真珠のようなつぶらな無垢の瞳。近くでどんなに激しい戦闘が起きていても、逃げるあてのない彼ら。ただ生まれ故郷で懸命に生きているだけだった彼ら。
彼らのひとりが突発的に起こった銃撃戦に巻き込まれ、負傷したところを発見された。私を含めた軍医たちは民軍協力の一環として管理地域の周辺に対して日常的に医療を提供していたが、その少年の場合、集中治療室への搬送が必要なのは明らかだった。一刻を争う事態だった。
私たちは基地内の医療コンテナへと少年を移し、銃弾の摘出に及ぼうとしたが。彼の腹に入っていたのは、銃弾ではなく、爆弾だった。
――もうたくさんだ。
間一髪のところで爆風から身を隠すことはできたが、同僚は重体、少年は消失、私は左腕を大きく痛めた。
私は疲れ切っていた。一か月ほどで外傷は完治したものの、腕は肩より上がることを拒んだ。限界だったのだ。
退役を希望した私を、上官は強く引き留めようとせず、代わりに休暇という形で戦地を離れることを許可した。が、その時になってはじめて、私は帰りたい場所がもはや存在しないことに気付いた。
オルクセンの地に戻ることは、どうしても受け入れがたい。あの故郷の山も川も土も、何もかもが懐かしい。きっと帰ることができれば、私は喜びに満たされ、二度とその地から出ることはないだろう。
だが、オルクセンを捨てたのは私だった。まだ何かできることがあったかもしれないのに、王位から逃げたのは私だった。それでも彼らは歓迎してくれるだろう。そんな淡い期待さえあった。しかし、私は、あの地を踏む資格があると、思えなかった。
かといって他のどの国にも、親しみを感じることはできなかった。星欧のどこにあっても、血と涙が流れ続けている。清浄の地など、あるはずもない。
登録地を決めかねる私に上官はよりによって、あのキャメロットを勧めた。
曰く、不本意にも人間族の中では先んじて異種族の受け入れを始めた彼の国は、今では星欧でも有数の多民族国家へと変貌したそうだ。
法整備も進み、エルフ、ダークエルフ、コボルト、ドワーフ族は人間族と差のない市民権を得て、既に社会へ溶け込んでいるのだという。大鷲や巨狼といった大型の種族は都市部では馴染めていないが、オークも数は少ないものの、生活している。オルクセンを除けば、魔種族にとって最も住みやすい、のだとか。
上官の言をそのまま信じたわけではなかったが、他に良い案も浮かばず、考えることも面倒になっていた私は、心機一転も悪くないと、二つ返事でキャメロット行きを承諾した。
付言すると。思い返せば、星欧でも群を抜いて食に乏しい国を受け入れた時点で、やはりまともな精神状態ではなかったのだろう。しかし、この選択が、私の運命を大きく変化させる出会いを生んだのだった。
(「オーク・イン・キャメロット」に続く)