三月のキャメロットは肌寒い。左腕が疼き、つい感傷に浸ってしまう。
私は首都ログレスの近く、妖精の名を冠した空港に降り立った。
陸路を経てアルビオン海峡を渡る覚悟を決めていたのだが、上層部は格別の手配をしてくれていたようだ。記録上はかつて国王であった事実は抹消されているため、軍医としての働きが多少は認められたのだろう。だからといって、気が晴れるわけでもなかったが。
――落ちなくてよかった。
搭乗橋を抜けてようやく一息つく。航空機が華々しく戦場に登場し、広く民間においても旅客機として本格的に導入されて久しいが、なかなか慣れないものだ。仕組みは理解していても、巨体のオークさえ軽々と載せて空を飛ぶことのできる機械は、やや自然に逆らっているようにさえ思える。
自然への反抗から転じると、あのコボルトと大鷲たちが空を飛んだことを受けて、すぐさま空を飛ぶ装置の開発に着手し、実用化に漕ぎ着けた人間族たちの執念には、やはり恐れを禁じ得ない。
科学技術は必ずしも人間族の専売特許というわけではない。どの種族であっても適切な環境を与えれば、優秀な科学者が排出されることは歴史が証明している。ことドワーフ族にいたっては、人間族に対してでさえ多くの分野で優位に立つ。
しかし人間族、彼らの、魔術と魔種族に対する遅れを解消し、飛び越えんとする欲求の激しさには刮目すべき部分がある。魔種族の持つ優位性が悉く打破された時に、人間族は何を為すのだろうか。
我ながら、感傷が過ぎる。慣れない異国の地という理由だけではないだろう。灰に染まった寒空は否が応でもセンチメンタルな気分を誘うようだ。キャメロットとロヴァルナが文学において特別な地位を占めているのは、偶然ではあるまい。
しかし、入管を抜けると、憂鬱な気持ちに光が射した。
――これは、これは。
聞きしに勝るとはまさにこのこと。空港は人間族の数に劣らないほど、多くの魔種族でにぎわっていた。コボルトやドワーフに限らず、あのエルフとダークエルフまでもが、人間と肩を並べて歩いている。戦場ではないにも関わらず、だ。数こそ少ないものの、オークの姿も確認できる。
星欧大陸であればまだしも、キャメロットは全土が海に面した海洋国家だ。つまり、これだけの数の魔種族が自らの意思で、人間族の国を目指したことになる。にわかに信じがたい光景であった。空港だけではなかった。ログレスの中心に移動しても同じだ。
タクシーの運転手は客がオークであることを嫌がる様子を見せなかった。
「狭くて悪いね。申し訳ないが真ん中に座ってもらえるかい。どうしても車体が傾いちまうんだ」
キャビンは確かに手狭であったが、ログレスのイーストエンド訛りで話す口下手な運転手は、それ以上は特に何も言わなかった。
中心部へと向かう間、車窓から景色や道行くものたちを観察する。
街並みはお世辞にも清潔とはいえず、窓を閉めきってもなお淀んだ空気が鼻につき、天気も手伝って全体的に灰一色の印象は否めない。が、長い間キャメロットの掃き溜めと呼ばれ続けてきたログレスは、多民族の華を咲かせていた。表面上は共生に成功しているとさえ思える。
ただ、人間族と魔種族の間の溝がすっかり取り払われたわけではないようであった。
数メートルおきに設置されている街頭には、青白く輝く、信号機大の装置が取り付けられている。
――魔術感知センサー。
周囲で魔術の行使を検知すると、赤く点滅することでアラートを発する警報装置であり、魔術力に乏しい人間族に対して、安全と安心を担保する役割を果たしているそうだ。
また、キャメロットに滞在する魔種族はその全てに魔術許可証の携帯が義務付けられており、この許可証の等級、初級、中級、上級、特級に応じて、申告なしに魔術を行使することが認められている。
私にも渡航に際して中級の許可証が貸与された。
許可証は魔術感知センサーと連動されており、アラートがみだりに鳴ることを防いでいるとのことであったが、道すがら赤く点滅している街灯をいくつも見かけた。人間族も含めて誰も気にしていない様子で、故障や誤動作がしょっちゅうあるらしい。
そもそも魔種族の立場からすれば、魔術に等級を振ること自体がナンセンスであり、目的と効果が合致しているのかどうかは疑わしいところである。出力の高さと危険性は必ずしも比例していないからだ。
許可証に施されているのであろう刻印魔術のせいか、気分が優れない気もする。
得てして安心安全といったものは実体性を伴わない場合があり、キャメロットにおける共生も道半ばにあるということだろうか。
◆◆
ログレスに到着してから数日が過ぎた。
仮住まいのホテルから飛び出して、あちこちを歩き回る。戦場を離れてルームサービスで暮らす豪奢な生活も思っていたよりも悪くはなかったが、一日で飽いてしまった。一か所に長く留まっていられない性分であり、部屋から薄曇りの空を眺めているだけでは気分も優れないので、自らの脚で経験を稼ごうという魂胆であった。
稼ぐといえば、そう、本当の意味でも稼がなくてはならない。
休職中の俸給が出るとはいえ、人間よりも遥かに長寿である魔種族への支給額はわずかなものだ。それに私はもう軍隊に戻る気はなかったので、職探しを始めざるをえなかった。異世界の地で王にまで上り詰めたのに、求職活動とは。自嘲的なおかしみが、多少の活力を与えてくれた。
オークはログレスにおいて少数派であるために、難航するかと思えた求職活動だったが、意外にも、各病院からの感触は悪くなかった。診察のついでに「取って食われる」といったかつての偏見は払しょくされているようだった。オルクセンの治世に励んだあの期間も無駄ではなかったのかもしれない。
問題であったのは私の経歴が「豊富すぎる」ことで、十分な給与を支払うことのできるポストに空きがない、そのようにして断られることが続いた。あらゆる外傷と病相を診てきたことがあだになるとは。
私としては多くを望むつもりはなかったのだが、給与の交渉をして食い下がるほど熱意があるわけでもなく、ただそういうものですかと曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
そうして目ぼしい病院を回っていると、声をかけるものがあった。
「グスタフ?もしやグスタフ・ファルケンハインでは?」
年老いた、縦にも横にも大きな人間族の男だった。センチュリースターには飽食と怠惰によってオークほどの巨体を誇る人間が増えているそうだが、それくらい大きい。が、キャメロットにかの地の知人がいるはずもない、それも人間の。
男は私の戸惑いを気に病むこともなく、丸々とした笑顔をみせて続けた。
「もう三、四十年は経ったのだから無理もないか。ヴィルトシュヴァイン大学のスタンフォードだよ」
「スタンフォード、スタンフォード、ああ!オーキッシュ・スタンフォード!」
朧気に彼のかつての姿が浮かんできた。
全ての種族に対して門戸が開かれていたとはいえ、まだまだ人間族の留学生など皆無だったあの頃。キャメロットから単身乗り込んできた若い男がいた。オークほどではないものの、人間にしては大柄で恰幅のよい体躯。若さから侮られないように無造作に伸ばされたひげ。
特に優秀というわけでもなかったが、オルクセンの内情に疎い彼だけは、私によく話しかけてきた。郷に入っては郷に従えを愚直に実践しようとし、よく食べ、よく飲み、オークになりきろうと努力を重ねていた。そのうち体格だけはオークに近い立派なものとなり、他の魔種族たちも健気な姿に心打たれたのか、親愛の情を込めて、キャメロット流にオーキッシュと彼を呼んだ。
失意の底にあった在学中の、わずかばかり清涼なる思い出。
記憶の彼とはまるで別人であったが、容姿の特徴はスタンフォードそのものだった。
「すまない、今思い出した」
正直に頭を下げようとすると、彼は手をあげて制止した。
「やめてくれ、無理もないさ。あの頃の私は成人したばかりだったのに、今となっては定年間際の老いぼれなのだから。最近じゃ妻の顔もよく見間違えるくらいだ。もう年貢の納め時だよ。それにしても、グスタフはあの頃とまるで変わらないな。少しやつれたようには見えるが」
「今はもう、あの頃の私ではない」
思わず、何か突き放すような低い声が出てしまった。いかんな。スタンフォードは特に気付いていないようだが、明らかに、私は戦場を引きずっている――。
「スタンフォード、君はオルクセンから戻ったのかい?」明るい声音に努める。
「ああ、オルクセンは素晴らしかったし、人間の身でも過ごしやすかったのだが、しばらくするうちに、魔種族の医師たちには勝てるわけもないと気付いてね。経験より技術が重視される業界とはいえ、百年単位で差をつけられちゃあ、いつまで経っても患者の信用を得ることもできない。幸い、キャメロットは両方の種族を診る医者が足りていなかったから、満を持して出戻りしたのさ」
「なるほど。ではここが今の職場というわけか」
「その通り。どういうわけか、院長を仰せつかっているんだ。年功序列制度のおかげで、私のような人間にも役職が回ってきたわけだ。といっても、最後の名誉職みたいなものだな。うん、どれ。どうやら腕を悪くしているようだが、ここには治療に?」
私は思わず左腕をさすった。かつての習慣から、完治しているとはいえ負傷を気取られないように振る舞っていたのだが。吊っているわけでもギプスをはめているわけでもないのに、まるで体格の違うオークの不調を見抜くとは、経験の智は大したものだ。
「これはちょっとした後遺症のようなものでね。生活に支障はない。色々あって、仕事を探しているんだ」
彼は、「色々」について詮索するつもりはないようであった。思い出す、昔からそうだった。
「そうか、そうか!それなら差し支えなければ空いているポストがないか、確認してみよう。大丈夫、心配することはない。腕の良い魔種族はただでさえ引く手あまたなんだ。ポストがなくても、無理矢理どこかにねじ込んでみせるよ。名ばかり院長とはいえ、それくらいの融通はきく」
「それは、それは。ありがたい」
見知らぬ土地での親切ほど、身に沁みるものはない。
「なに、かつての縁だ。それくらいの恩は売らせてくれ。そうだ、住まいはどうしている?オルクセンの立派な家々に比べたら、キャメロットは窮屈だろう」
「今はホテル暮らしなんだ。この贅沢も、長くは続けられないだろう」
「ふむ。ログレスは今でも人が集まっているからな。商売のうまいコボルトたちがめいっぱい稼ぐもんで、人間がどんどん押し出されているくらいだ。手始めにルームシェアがいいんじゃないか?」
「はは、ご冗談を。さすがにオークとひとつ屋根の下で暮らす物好きなど見つかるはずもない」
スタンフォードはひげだらけの顔をさすって、意味ありげな笑みを浮かべた。
「面白い。それを聞くのは今日で二度目だ。よかったら、あの彼女に会いに行ってみたらどうだ?きっと面白い体験ができるぞ」
「彼女?」
ルームシェアの話をしていたのに、彼女とは奇妙だった。まさか私が牡であることを忘れたはずもあるまい。
とはいえ、記憶の彼方にいた旧友との再会と、彼の含みのある笑顔が気になって、誘われるがままに「彼女」の元まで出向くことにした。