星を追う子に春の祝福を   作:ロドリゲウス666

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 エクターの工房。

 普段は炉が熱され、室内は熱気で満ち満ちている。

 

 しかし、今日は炉が熱されておらず、何処かどんよりとした空気で満ちている。

 工房の主であるエクターが落ち込んでいる訳ではない。

 落ち込んでいるのは、工房を訪問して来た客。

 

「……私は一体、どうやって返すのが正解だったのかしら?」

 

 エクターに聞いている、というよりは自分自身に問いかけている女性。降り積もる雪のように真白な髪に、風の氏族を彷彿とさせる先端が尖った耳。

 

 無機質な人形がそのまま命を吹き込まれたような、感情を一切覗かせる事のない無表情――などではない。

 僅かに眉根を寄せるその姿は、間違いなく何かに対して悩んでいる証拠だった。

 

 普段は背筋をピンと張り、姿勢正しく座っているが、今回はテーブルに顔を押し付けて、寝そべるような形。

 品がなく、だらしがなく、行儀が悪い。

 

 普段の彼女であれば、決して取る事のない姿勢。

 だからこそ、彼女が直面している事態は深刻であり、彼女の手では収集が付けられない事は明白だった。

 

「別にお前が悩むのは構わないが、儂を巻き込むのは止めてくれないか?」

 

 自身のお気に入りの席を奪われ、来客用の椅子に座るエクター。もじゃもじゃな髪を掻きながら、ユーリに対して文句を言う。

 が、本人の耳に届いていないのは明らかだった。

 

 さてはて。どうするべきなのか。

 

 高圧的な態度も。厭味ったらしい口調も、本人の耳に届いていなければ意味がない。尤も、ユーリとエクターの仲は知り合い以上だ。

 間違っても、背中を押すようにして追い出す事はしない。

 

「取り敢えず一から説明して見ろ。断片的な情報だけ教えられても、どんな助言をすれば良いのか分からん」

 

「さっきも説明したでしょうが!」

 

 酒を飲んでいるのか、自制心が緩くなっている。口調も何処となく呂律が回っておらず、色白な頬は朱色に染まっている。

 滅多に飲む事のない酒。

 

 コレを飲んでいるという事は、エクターが考えているよりも事態は深刻なのかもしれない。少なくとも、ユーリは自身の前でこの様な醜態をさらした事はない。

 

「説明はされていない。……いや、説明はした。だが、一度聞いただけでは良く分からん。もう一回話してくれないか?」

 

「しょうがないわね」

 

 やや億劫そうな素振りを見せながらも、ユーリは話してくれる。

 自身がどうして悩んでいるのか?

 とは言っても、そこまで長くはならない。寧ろ、短い。

 

 事の発端は、アルトリアが16歳になったら旅に出たいと言った事が切っ掛けだ。

 

 エクターも知っているが、アルトリアは『予言の子』だ。今は亡き、鏡の氏族長であるエインセルの予言によれば、16歳になった『予言の子』は巡礼の旅に出ると言われている。今まさに、その予言が実現したという訳だ。

 

(所詮は予言。儂としては、予言に振り回されるのは良くないとは思うが……いや、アルトリアは『予言の子』である事を嫌がっている様にも感じられた。だとするなら、旅に出る事を決めたのは本人の意志……か?)

 

 只の推測。

 本人はこの場にいない。

 しかし、自分の推測が何となく当たっている様に感じられた。

 

「旅に出る。それ自体は問題ないわ。寧ろ、喜ばしい事だと思っているわ。だって、あの子が自ら何かをしてきたい、と言ってきたんだもの。ソレが何であったとしても、応援するし祝福する……そのつもりだったのだけれど」

 

 ユーリは何も言う事が出来なかった。

 きっと、アルトリアにとっては一世一代の告白。

 返事は無くても良い。

 

 只、何か一言口にしていれば。

 もしかすれば、彼女の胸中に渦巻く形容しがたい感情も僅かに薄れたのかもしれない。

 

「最低よ。あの子が自分で考えて、自分の意思でこうしたいと言ったにも関わらず、私は母親として声をかける事が出来なかった。たった一言、何かを言えば良かったのに。それさえも出来ないなんて」

 

 自身の白い髪を、引き千切らんばかりに握り締めるユーリ。

 表情には、僅かながら自分自身に対する苛立ちが垣間見える。

 

「……別に何もおかしい事じゃないと思うがな」

 

「はぁ? 何を言っているの? 褒めるなり。応援するなり。祝福するなんて、当然の事でしょう? なのに、私はそれが出来なかった。……どうして出来なかったの!?」

 

 自身の不調の原因が分からず、戸惑いを見せるユーリ。

 しかし、エクターの目にはユーリが不調を覚えている原因など、一目瞭然だった。

 

 教えれば、恐らく彼女のモヤモヤは晴れる事だろう。

 だが、その選択が正しくない事をエクターは知っている。

 

 突っ伏していた顔を、ガバリ! と起き上がらせるユーリ。

 その目は限界まで見開かれており、血のように真っ赤な瞳が爛々と怪しく輝いていた。

 

「エクター。貴方、知ってるわね。私がこうなってしまった原因を」

 

 椅子から立ち上がり、距離を詰めるユーリ。

 鬼気迫る様子。

 並の妖精で有れば、気圧されてしまっただろう。

 

 が、エクターは数千年を生きている。

 たかだか、百年とちょっとしか生きていないユーリが、幾ら怖い顔をした所で、子供の戯れ程度にしか思わない。

 

「言っておくが、言う気はないぞ」

 

「ッ! 分からないの! こんなの、どう考えても異常でしょう!? 祝福すべき場所で、祝福する事が出来ない。褒めるべき場面で、褒める事が出来ない。応援する所で、応援する事が出来ないなんて……!」

 

 本気で悩んでいるのだろう。

 ユーリの表情はかつてない程に歪み、今にも泣きそうだった。

 

「教えれば、きっと全てが解決するだろう。だがな、ユーリ。この問題は、他でもないお前自身が解決しなければいけないんだ。部外者でしかない儂が、お前に答えを教えた所で、きっと問題は解決しない。与えてやれるのは、精々助言くらいだろうな」

 

「…………」

 

 ユーリはエクターの工房で、数十年暮らした。

 彼が意地悪で、答えを教えてくれない。などと、考えはしない。単純にユーリは混乱していた。

 

 普段の自分とは異なる、形容しがたい気持ちに。

 

「……分かった。答えは、聞かない。でも、助言を頂戴。私は、どうすれば良い? どうすれば、この感情の正体を知る事が出来るの?」

 

 母親ではなく、ここに住んでいた邦城 百合として、エクターに教えを乞う。

 

 暫しの間沈黙。

 やがて、頭を掻きながら助言を口にする。

 

「取り敢えず、お前に必要なのは自分自身を見つめ直す事だ。自分の身に起きた変化を、異常だのなんだので片付けるべきじゃない。どうして変わってしまったのか? その原因を探して来い」

 

「……成程。原因。……原因」

 

 少なくともユーリの要望を満たす事は出来たのだろう。

 顎に指を遣りながら、ブツブツと呟くユーリ。

 

 用事が済み、工房を後にしようとする。

 その時、ふと何かを思い出したのか後ろを振り返る。

 

「そう言えば、エクターって私がここを出て言った時って寂しかったの?」

 

 エクターが口にした助言とは何も関係がない。

 ある意味では、率直な疑問。

 

 予想外の質問にやや面食らってしまう。

 どう答えるべきなのか? 頬を掻きながら考えて、結局はぐらかす事にした。

 

「さて。どうだろうな」

 

「煮え切らない答えね。男なら、白黒はっきりして欲しい所だけど」

 

「生憎、昔の事は覚えていないんだ。ほら、用が済んだならさっさと出ていけ」

 

 虫を払うような仕草で、ユーリを追い出すエクター。

 

「はいはい。分かったわよ。それじゃあ、また」

 

 ユーリは僅かに口元を綻ばせ、最後にそう言い残して工房を去る。

 いなくなった事を確認した後。

 エクターは再び、中断していた仕事を再開するのだった。

 

 

 

 

 

 

 普段は持つ事のない鞄。

 中には、サバイバルを行うに当たって最低限必要な物が詰まっている。

 

 片方の腕には鞄を下げ、もう片方の手には自身の獲物である槍が握られている。

 僅かながら緊張した面持ちは、コレから死地に向かうつもりなのか? と見た相手に誤解を与えてしまう事だろう。

 

 しかし、実際は違う。

 

「暫くの間、私は家を空けるわ。その間、留守番を宜しく」

 

「へ?」

 

 余りにも一方的過ぎる宣言に、思わずアルトリアは間抜けな声が出てしまう。呼んでいた本を地面に落としてしまう。

 ここ数日間。

 

 アルトリアとユーリの親子関係は、良好とは言えなかった。

 きっかけは、アルトリアが16歳に旅に出ると言った宣言。

 ユーリの反応は「無」であり、アルトリアが旅に出る事に対して何も思っていない様な雰囲気だった。

 

 しかし、何処かよそよそしくなってしまい、気付けば2人の間には溝が出来てしまっていた。今はまだ、浅く、短い溝。

 放置し続ければどんどん深くなり、長くなってしまう事は容易に想像がついた。

 

 分かってはいたものの、アルトリアにはどうすれば良いのか分からなかった。原因は知っている。しかし、ソレを取り下げる事は出来ない。

 

 だからこそ、アルトリアは何とも言えない空気感を受け入れる事しか出来なかった。

 何時か、関係を修復する為のきっかけを探しながら。

 

 ここに来て、ユーリが数日間家を空ける。

 ――不味い。

 そう感じた。

 

 このまま目の前の問題を放置し続ければ、きっと取り返しのつかない事になってしまう。アルトリアはそんな予感を抱く。

 だから、気付けばこんな事を言っていた。

 勢いよく手を挙げて叫ぶ。

 

「私も一緒に行ったら駄目?」

 

「…………まあ、別に良いけれど」

 

 思い切り叫びたかった。

 

 今の間は、一体何なのか!? と。なんなら、言葉の始めに「まあ」ってついてたけどどう言う事なんだ? 本当は付いて来て欲しくなかった? ついて欲しくなかったけど、渋々ながら了承したの!?

 

 出来る事なら、ユーリに向かって問い詰めたかった。

 しかし、2人の仲は曖昧。

 

 アルトリアが1人で勝手に距離を詰めてしまった結果、微妙な空気になるのは避けたかった。ソレに、もしも自分の考えている事が正解していたら、と考えると聞くのも怖く感じられてしまった。

 

 結局、ユーリに同行する事になったアルトリア。

 同じように最低限、必要な準備を行う。

 早速出発。

 

 天気は快晴と言って良いだろう。

 虹色の光と、金色の雲によって構成される黄昏色の空。

 だが、2人の間に渦巻く空気を考慮するので有れば、出かけるべきでは無かったかもしれない。

 

 2人の間に会話はない。

 森の中へと足を踏み入れ、奥へ奥へと進んでいく。

 

 少なかった木々の数も多くなっていき、見慣れた景色がアルトリアの周囲を取り囲む。見た事のある植物や、見た事のない木の実や果物。はては、得体のしれないオブジェクトらしき岩まで。

 

 選り取り見取りだ。

 耳を澄ませば、微かに鳥の鳴き声と獣の声が聞こえて来る。

 聞き慣れた声。

 

 普段は森の奥に進む事はない。精々、中間あたりで引き返してしまうが、今回の主導はユーリ。

 彼女が何処まで歩くのか分からない以上、彼女の背を追いかけるしかない。

 

 時々予想外のハプニングに巻き込まれるものの、かたや獣を狩る事を生業としている『獣狩り』と、いずれ全ての妖精を救う使命を背負った『予言の子』。

 

 容易に……とまではいかないが対処して見せる。

 が、2人の間に会話はない。

 空気が死んでいる。

 

 少し前までは気軽に会話出来ていたというのに、一体どうしてしまったというのか? 口を開いて言葉を発そうとしても、何も出て来ない。

 出てくるのは精々、掠れた息程度。

 

 時間は無情にも過ぎていく。

 コレをきっかけに、関係の修復を図ろうとしていたアルトリア。そんな思いとは裏腹に、結局最初の一歩を踏み出す事が出来なかった。

 

 良くない、とは分かっていてもネガティブな考えが顔を出す。

 青かった空は、茜色に染まり、やがては美しい黒色に。

 もう夜だ。

 

 暗闇に包まれた森は、別の姿を見せる。

 朝方とは一変。

 一寸先も見通す事は出来なくなってしまう。

 

 何かが居るのかもしれないし、何もいないのかもしれない。暗闇が周囲を覆い隠してしまうせいで分からない。

 ゾクッ、と背筋が寒くなる。

 

「……今日はここまでにしておきましょう」

 

 そう言って、持っていた鞄を地面に降ろすユーリ。つられて、アルトリアも自身が背負っていたリュックサックを降ろす。

 野宿を行う為に準備する。

 

 とは言っても、そこまで難しい事はしない。

 燃えそうな気の枝を集めた後、アルトリアの魔術で火を付ける。焚火を用意した後は、持って来た食事を食べる。

 

 荷物は必要最低限が好ましく、食料も多く持っていけない。

 アルトリアとユーリが食べるのは干し肉。

 

 噛めば噛む程味が染み出る。沢山噛むので、余り空腹を感じる事もない。が、それでももっと美味しい物を食べたいな、と思ってしまう。

 

(……そう言えば。もしもお母さんが私を引き取ってくれなかったら、私はどんな風になってたんだろう)

 

 何となく想像がつく。

 端的に言って、アルトリアは村の住人からは良く思われていない。

『妖精眼』で皆を見れば、悪意や害意で満ちている。

 

 アルトリアを引き取るという話になったとしても、今の様な暮らしを送る事は出来ないだろう。良くてボロ小屋。悪くて馬小屋、と言った所だろう。

 

 食事も満足に与えて貰えず、皆の手足となって奴隷のように働く。最初は不満を持っていたが、何時しかその環境に慣れてしまって……。

 

(うわぁ。そうなっていた可能性も全然あった、って考えると全くもって笑えない。多分、寒すぎたら指が無くなったりしてたかも?)

 

 自分を引き取ってくれたユーリは違う。

 何を考えているのか良く分からない時は何度もあったが、『妖精眼』で心の中を見てもアルトリアに対しての悪感情は存在しない。

 

 おまけに、心の中と実際に口にする言葉は一致しているし、基本的に嘘もつかない。衣食住は保証してくれるし、小さい頃は絵本を読み聞かせてくれた記憶だって僅かながら存在している。

 

(そう言えば、どうしてお母さんは私を引き取ってくれたんだろう?)

 

『予言の子』が偽物にしろ、本物にしろ、売れば金になる。村の住人達を敵に回してまで、アルトリアを引き取るメリットは薄いように思えるが――ユーリは基本的に村の住人達を嫌っている節がある。寧ろ、上等だテメェと考えていたかもしれない。

 

 だとしても、村の住人達との関係性と、訳の分からない赤子1人なら、前者に天秤が傾いてしまいそうな気もするが。

 

(……まあ、そこら辺はお母さんに聞かないと分からないか。……あ、でも。そっか)

 

 ここでようやく、アルトリアは気付く。

 或いは、見て見ぬふりをしていたのかもしれない。

 アルトリアは言った。

 

 16歳になったら、旅に出たいと。『予言の子』としての務めを果たす為、巡礼の旅を行う為に。

 旅に出てしまえば村を離れなければいけない。村を離れるという事は、自身を育ててくれたユーリとも離れ離れになるという事だ。

 

 気が付いた瞬間、まるで胃の中に鉛でも詰め込まれたのではないか? という程に、体が重たくなっていくのを感じる。

 ずっと、近くにいてくれた当たり前。

 

 ソレを手放してしまう。

 他でもない、自分自身の手で。

 

 今はまだアルトリアの傍にいてくれるだろう。

 しかし、16歳を迎えれば手放さなければいけない。自身の決意を無駄にしない為に。

 

「寂しい、な。……いや、寂しいん、だ」

 

 今になって、ようやく理解する。

 16歳を迎えるまで、残り数十日。決して短い時間ではない。だが、自分がコレから過ごす人生と比較すれば吹けば飛ぶような時間。

 

 掛け替えのない時間だ。

 少なくとも、無駄にしてはいけない。

 

 理由が何なのかも分からない。2人の間に生じてしまった溝を、急いで埋めなければいけない。じゃないと、きっと後悔してしまう事になるから。

 

 アルトリアは、新たに決意を固める。

 何としてでも関係を修復して見せると。

 

 

 

「それじゃあ私は番をするから。貴方は先に眠っていなさい」

 

 何処かよそよそしさの感じられる、ユーリの話し方。

 

「……う、うん」

 

 色々と言いたい事はあったものの、その全てを呑み込んでアルトリアは眠る為に横になる。

 結論から言うと、アルトリアの試みは不発に終わった。そもそも、関係を修復する以前の問題だった。

 

 心の中で威勢よく啖呵を切ったはいいものの、想像と現実では大きな差異が存在しているのは周知の事実。

 ましてや、アルトリアは最近になってようやく一歩踏み出す勇気を手に入れたが、その本質はネガティブガール。

 

 普段のような和やかな雰囲気ならまだしも、ひしひしと気まずさが感じられる微妙な空気の中、ユーリに話掛けるというのは余りにもハードルが高かった。

 高すぎて、飛べば絶対に足が引っかかって転んでしまう程に。

 

 結果、アルトリアは関係修復は愚か。普段のように話掛ける事も出来ず、こうして就寝の時間に突入してしまうのだった。

 

(私の馬鹿!)

 

 因みにだが、基本的に野宿を行う際は1人が夜番を行う。何か異変を察知した際、1人でも起きていなければ気付くのが遅れ、死んでしまうという可能性がゼロではないからだ。

 

 

 

 

 

 

 気が緩んでいたつもりはなかった。

 焚火の明かりによって、周囲は淡く照らされている。

 より一層、暗闇の「黒」が強調され、何か得体のしれない化け物が潜んでいるのではないか? という錯覚に陥ってしまう。

 

 それでもユーリは恐怖心を抱く事はなく、ジッと周囲の警戒を行っていた。

 あくまでも外面は。

 

 アルトリアの心の中が荒れ狂っていたように、ユーリの心も好調とは言えない。何せ、自身の心の中で渦巻く感情の正体が分からず、ずっとヤキモキしていた。

 

 その上、アルトリアが同行。

 余りにも予想外な状況に、ユーリの心の中は珍しくテンパっていた。断らなかったのは、何かを恐れていたから。

 

 しかし、自分が何を恐れているのか分からない。

 

「……はぁ」

 

 焚火を眺めながら、思わず溜息が零れてしまう。

 溜息を吐けば幸せが逃げる、なんて迷信が存在している。もしもソレが事実なのだとすれば、一体どれだけの幸せが逃げてしまっているのだろうか?

 

(幸せじゃない……筈は、無いのだけれど……ね)

 

 エクターは言った。

 自身の胸に沸き上がった「ソレ」を不要だと認識して排除するのではなく。向き合う事によって、理解しなければいけないと。

 

 向き合わなければいけないからこそ、旅を進めてきた。

 道理にかなっているようには思える。

 

 問題があるとすれば、道中。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も自問自答を繰り返して来たにも関わらず、納得のいく答えが出て来なかった、という点。

 

(私はこの先一生、こんな物を抱えて生きていなければいけない?)

 

 考えただけでゾッとしてしまう。

 止めて欲しい。

 未だ、胸の内に空いてしまった穴を埋める方法すらわかって居ないのに。これ以上、面倒事を抱えてしまうのは御免だ。

 

 一見すれば、絶え間なく周囲を警戒し続けるユーリ。

 その実、自問自答に難航してしまい、周囲に気を割く余裕も無い。

 だからこそ、それは一種の隙だった。

 

 空を切り裂く音。

 暗闇の中から姿を現すのは、握りこぶし程の大きさをした石。

 反応が遅れる。

 

 間に合わない。

 受け止めようとするが、石は焚火に命中。焚火は壊されてしまい、火は消えてしまう。僅かな火種も、やがては呆気なく消える。

 

 周囲は暗闇に包まれる。

 明るさに目が慣れていた、という事もあって輪郭を捉える事すらままならない。

 

 おまけに肌を突き刺す程の殺気。

 全方位――とまではいかないが、かなりの数の「何か」が居る。

 

「アルトリア!」

 

 このままでは不味いと判断したユーリ。

 大声を出し、文字通りアルトリアを叩き起こす。

 

「はい! ごめんなさい!」

 

 何も悪い事はしてない癖に、普段の癖で謝ってしまうアルトリア。思わずクスリとしてしまうが、笑っている暇はない。

 

「囲まれているわ。この場で眠るのは危険だから、木の上に登るわよ」

 

「え!? 囲まれてるって、えぇ!? というか木に登ったら安全になるの!?」

 

「難しいわね。でも、何も対策しないよりはマシよ。さっさと登りなさい」

 

 何時、暗闇から襲撃者たちが姿を現すのか分からない。

 先にアルトリアを木に登らせ、その下からアルトリアを追い立てるようにしてユーリが登る。泣き言を言いながらも、木の天辺付近まで登ったアルトリア。

 

 苦しいのか、淡い呼吸を繰り返す。

 ふと、顔を上げる。

 目の前に飛び込んできた光景を見て、思わずと言った様子でアルトリアは叫ぶ。

 

「お母さん。お母さん! 見て! 空、とても奇麗じゃない? ここって、こんなに星空が奇麗な場所だったっけ?」

 

 つられて、ユーリも空を見上げる。

 アルトリアの言った通り、奇麗な光景だった。

 

 満天の星空。

 夜空と言う名の黒いキャンパスに、光輝く星空が万遍なく配置されている。絵とは違う。誰の手も加わって居ない、自然な光景。

 

 だからこそ、美しく感じられる。

 ふと、ユーリは隣を見る。

 星明りに照らされて、アルトリアの顔がハッキリと良く見える。

 

 先程までの、気まずい空気は何処へ行ってしまったのか。

「わー」と子供のように目を輝かせながら、夜空に浮かぶ星々を眺めるアルトリア。きっと、今の彼女の目には満天の星空しか映って居ない。

 

 金色の髪は淡く輝いており、天辺のアホ毛はアルトリアの感情に呼応するように粗ぶっている。

 見慣れた光景。

 

 けれど、あともう少しで見納めになってしまう光景。

 何時かは、こんな光景も見る事が出来なくなってしまう。

 

 ――寂しくなるな。

 

 不意に、そう思った。

 無意識に。

 

 当たり前の感情だ。しかし、ユーリにとっては。否、邦城 百合にとっては、初めての感情だった。或いは、もしかすると昔から抱いていた感傷だったのかもしれない。けれど心の奥深くに存在していて、自分自身で知覚する事が出来なかった。

 

 だからこそ、抱いてしまった寂しいという感情は百合にとって初めての体験である。同時に、自分自身の不調の原因も判明した。

 心の中に浮かんだ言葉、そのものだ。

 

 百合は寂しさを覚えた。

 アルトリアが居なくなってしまう、という事実に対して。

 

 初めての感情だ。

 人は誰しも、初めてには手を焼いてしまう。スマートに片づける事は出来ないし、もしかすれば傷口を広げてしまう大惨事を引き起こしてしまう。

 

 今回の一件は、正しくそれ。

 寂しいという感情と向き合う事が出来なかった結果、シンプルな問題が捻じれてしまった。

 

(そっか。私は、寂しかったんだ。あの子が旅立ってしまえば、私は1人になってしまうから。……だから、あの子の門出を祝福する事が出来なかった)

 

 百合は自身の隣に座り、星を眺め続けるアルトリアに声をかける。

 

「アルトリア。貴方、前に旅に出たいという話があったでしょう? 貴方の決意は変わらないとは思うけれど、一言だけ」

 

 一瞬だけ、躊躇してしまう。

 恐れる事はない。

 人は誰しも、寂しさを覚えるものだ。

 

 けれど同時に喜ばしくもある。娘の旅立ちの時。きっと、アルトリアは旅を通して成長する事だろう。

 寂しくても見送らなければならない。

 

 それが親に出来る唯一の事だ。

 

「思い出した時で良いから、戻って来なさい。貴方の居なくなった部屋は、きっと広くなってしまう事だから」

 

「…………うん。ありがとう。お母さん」

 

 目を見開くアルトリア。

 泣きそうになりながらも、ユーリに向かって感謝を告げる。

 ユーリはアルトリアを抱きしめて、優しく頭を撫でる。

 

 そんな2人の微笑ましい光景を、満天の星空たちは優しく見守っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……良い話で締めくくられると思ったのに、どうしてこうなるの!」

 

 翌朝。

 アルトリアは周囲に響き渡らんとする声量で叫ぶ。

 理由は木の根元。

 

 群がるようにして集まっているのは、大量の獣。狼のような見た目をした獣から、異形の化け物まで。選り取り見取りだ。

 下りればまず間違いなく、獣達の朝ごはんになってしまう事だろう。

 

 木にしがみつき、これでもかという程に怖がっているアルトリアとは対照的に、ユーリに特に変化はない。

 普段通りの自然体。

 

「何をしているの? まさか、ずっとここにいるつもりかしら? ほらっ、さっさと大量の獣を片付けて家に帰るわよ」

 

「スパルタすぎない!? 私はここで見守ってるから、お母さんが頑張ってよ!」

 

「拒否権はないわ」

 

「嫌だー! って言うか、結局何処に向かうつもりだったの!?」

 

 アルトリアの首根っこを掴み、飛び下りるユーリ。

 

 ――何処に向かうつもりだったのか?

 

「もう到着したから。意味は無くなったの」

 

 問いかけに対して、誰にも聞こえない小さな声量で呟いた。

 

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