星を追う子に春の祝福を   作:ロドリゲウス666

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 疑問は抱いていた。

 果たして、自分は母親としてちゃんとやれていたのか? と。

 母親と言う言葉は知っている。

 

 自分を生んでくれた存在の名前だ。けれど、それ以上の事は知らない。もしかすると、自分に対して何かをしてくれていたのかもしれない。しかし、物心がつく時には母親の関心は自分から別の子供に映ってしまっていた。

 

 子供らしければ話は違ったのかもしれないが、百合は良くも悪くも普通の子供とは違う。

 それがより一層、親子の溝を深めてしまう。

 

 結局、百合が生まれてから現在に至るまで、母親から母親らしい事をされた覚えはない。

 

 だからこそ、百合は母親としての知識が不足しており、理想の母親像は存在していない。今日に至るまで、立派に母親を育てる事は出来た。

 だからと言って、素晴らしい母親という賞賛を受ける理由にはならない。

 

 子供は1人だけでも、最低限必要なものが存在すれば生きていける。

 最たる例こそが、他でもない自分自身なのだから。

 

 

 

 

 

 

「お母さん! 村が、村の皆が!」

 

「分かっているわ。けれど、走りなさい。アルトリア。貴方が優先すべきは自分自身であって、顔も名前も知らない誰かの為ではないの」

 

 目の前に広がる光景は、地獄絵図と言う表現が相応しかった。

 存在する物全てが燃える。

 立ち昇る黒い煙は、さながら燃やされてしまった物達の、声無き慟哭か。或いは、こんな事しでかした者達に向けた憎悪か。

 

 地下に降りる前に聞こえた、悲鳴や怒声。叫び声はもう聞こえない。

 不自然な程に静まり返っており、何かが焼ける音が微かに耳朶を打つ。

 

 ――何を話せば良いのだろう。

 

 百合はアルトリアの手を引き、思い切り走る。

 

「話は変わるけれど、貴方はコレから何をするつもりなの?」

 

「今、ここで!? わ、私……走ってるのに!?」

 

 間違いなく、今振る話題ではない。

 アルトリアは声を荒げ、思わずと言った様子でツッコム。外套によって顔は隠れているものの、苦しそうに顔を歪めている事だろう。

 

 対する百合の呼吸は安定しており、涼しそうな顔が崩れる事はない。

 全力疾走しても、まるで堪えた様子をみせない。

 

「私はどうしようかしら? 少なくとも、こんな村には居られなくなってしまった事だし、別の町に移り住む事は確定ね。『獣狩り』も飽きてしまったから、今度は別の仕事をして生計を立てていきたいわね」

 

 叶いもしない展望を、アルトリアに語って聞かせる。

 

「お、お母さんって、他に出来る……の? 何て言うか、暴力振るう以外、苦手そうな気が、するんだけど……!」

 

「殴られたいのかしら? 貴方のご飯を作っているのは、一体どこの誰なのか」

 

 ――言いたい事が纏まらない。これじゃない、と分かっているのに、どれが正解なのか分からない。

 

 走りながら会話を行うのは辛い。

 それでも止めない。

 

「いっその事、ティンタジェルから離れた後に旅に出る、と言うのもアリね。と言うより、寧ろそれ以外の選択肢は存在していないと言っても良いわ。しかし、旅。私はした事がないけれど、きっと楽しいのでしょうね」

 

 幼少の頃から、ずっと家にいた。

 誰に強制された訳でもないが、こうする事が正しいのだと思い込んでしまっていた。

 

 身に付けた武術を確かめてみたくて、屋敷の外に出た時。思えば、あれが自分の意思で何かをした始まりだったかもしれない。

 旅とは呼べない。

 

 けれど、冒険と言う二文字が当てはまる。

 既に色褪せた記憶ではあるが、自分を下した桃色髪の剣士がその後どうなってしまったのか? 若干気にはなる。

 

 まあ、数十年も経過してしまい、今頃は死んでしまっているだろうが。

 

 ――これが正しい? これで良いの? 私が言いたかった事は、これで全部?

 

「お、お母さん! ちょっと、ストップ! これ以上は、キツイ!」

 

 炎に巻き込まれないように、全力疾走で逃げていたが、アルトリアの方に限界が来てしまったようだ。

 握っていないもう片方の手で百合の手をタップして、止まるように促して来る。

 

 飛ばし過ぎてしまった。

 幸いにも、ここら一帯は火の手が余り回って居ない。

 少しを足を止めた所で、問題は起こらないだろう。

 

 足を止めて、暫くの間休憩時間を設ける。

 その間、息を整えるアルトリア。ゼハー、ゼヒューと重病人の様な呼吸の仕方から、落ち着きを取り戻す。

 

 そろそろ大丈夫だろう。

 百合は再び走り出す為、アルトリアに声をかけようとする。

 それよりも先に、アルトリアがこんな提案をした。

 

「さっきの話だけど、お母さんも私と一緒に旅しない?」

 

「……は?」

 

 まさかの提案に、思わず素の反応を返してしまう百合。

 アルトリアは話を続ける。

 

「お母さん、これから何をしよっか? って話してたでしょ? まあ、村がこんな状態になって、住む事が出来なくなっちゃったから、当然と言えば当然なんだけど。だったら、お母さんも一緒に私と旅する事が出来るでしょ?」

 

「それは……まあ、そう、だけど」

 

 元々、百合としては何事も起こらなければ留まるつもりだった。

 何時か帰って来るであろう、アルトリアの為に。

 

 しかし、ティタンジェルの住人達はやらかしてしまい、村は壊滅状態。百合が今までこなしていた『獣狩り』の仕事など、無くなってしまうだろう。

 

 だから一緒に旅をしないか? とアルトリアは提案して来た。

 予想外。

 しかし、アルトリアがどういう子なのか? を思い返せば、実に彼女らしい提案かもしれない。

 

 思わず笑ってしまう。

 愉快だ、と言わんばかりに。

 口元を隠し、クスクスと。

 

「なんで笑うの! 私は真剣なのに! 酷くない!?」

 

「いえ、別に馬鹿にした訳じゃないのよ? ……ああ。そう言えば、こうやって純粋に笑うのって、久しぶりな気がするわね。……いえ、もしかしたら初めてだったり?」

 

「私の話を聞いてよ!」

 

 何て馬鹿なのだろう。

 ずっと、前から抱いていた――今になってようやく理解する事が出来た――不安。そんなものは、下らない事にようやく気付く事が出来た。

 

 良い母親に慣れたか不安?

 馬鹿馬鹿しい。

 

 結果を気にするのではない。結果を、誇るべきなのだ。

 ああ。この子の母親になれた良かった、と。

 

 ――考えた事があった。もしも、これから一生子供と会う事が出来なくなったら、最後にどんな言葉をかけるのが正解か?

 

「話は変わるけれど、私は貴方を赤ん坊の頃に引き取ったでしょう?」

 

「いや、変わりすぎ! 文脈って言葉を知らないの!?」

 

 ギャー、ギャーと喚き、抗議の声を上げるアルトリアを意図的に無視する。直感が囁く。残されている時間は残り僅かだ、と。

 

「貴方を引き取った理由としては、ほんの気紛れだったの」

 

「意外酷い理由だった!?」

 

 そう、気紛れだ。

 或いは、ふと昔の事を思い出してしまったからだろうか。

 家族から、心無い言葉をかけられた時。

 

「お前は子供を産んだとしても、良い母親になんてなる事は出来ない」と。

 

 自分が人とは根本的に違っている事を自覚していた。胸の内に空いてしまった穴を、埋める事が出来なかった。

 けれど、果たしてそれはどうなのだろう? 家族からの酷い言葉に対して、怒るでもなく、純粋に疑問に思った事を覚えている。

 

 だから引き取って見た。

 それはさながら、道端に落ちていた玩具を拾い上げるように。

 初めは、アルトリアに対して何の思い入れも存在していなかった。

 

「けれど、不思議ね。貴方を育てていく内に、貴方を大切に思えるようになった。今では、私の娘と自信をもって言える事も出来るわ」

 

「……お母さん」

 

 何と言えば良いのか、分からなかったのだろう。

 只、気恥ずかしさを覚えたのか、外套から僅かに覗かせる頬は朱色に染まる。

 

「本来なら、貴方が抱く不安や悩みも、聞いてあげれば良かったのかもしれないわね。でも、それももう難しい」

 

 発言が不穏な物に変わる。

 アルトリアは、未来について話していた。

 しかし、百合は一度だってコレからの事を話してなど居ない。少なくとも、自分自身に対しては。

 

 何か、良くない気配を感じ取ったのだろう。アルトリアが外套を上げて、百合を見る。酷く不安そうな眼差しで。

 いいや。もしかすると、もう気付いているのかもしれない。

 

「もしも自分が良い母親であるなら、子供に最後。何て言い残す事が正解なのか? 昔、そんな事を考えていた気がするわ。でも、違ったわね。私は良い母親とは呼べないし、素晴らしい言葉で貴方を見送る事は出来ない。けれど、それで良いのよ。きっと。私は良い母親じゃ無かったかもしれないけれど、貴方の事は大切に思っていた」

 

 アルトリアが口を開く前に、百合は両手を使ってアルトリアの背中を強く押す。

 只少し、距離が離れれば良い。

 

 そうすれば、計画は全て完遂する。

 欲しかったのは数秒だけ。

 

「幸せになりなさい。アルトリア。『予言の子』としてではなく、私の娘として」

 

「……お母さ」

 

 後ろを振り向き、アルトリアが何かを喋ろうとした。

 しかし、最後まで言葉を紡ぐ事は出来ない。

 

 まるで最初からそこに存在などしていなかった、と言わんばかりにアルトリアの姿が一瞬で消える。

 

 何故? と疑問には思わない。

 逃げている最中から、オベロンの気配は感じていた。

 恐らく、オベロンが何かをしたのだろう。

 

 生憎魔術に関しては門外漢である為、具体的に何をしたのかは分からない。この場に居なくなったのは確かだろう。

 百合の背後から、地面を踏みしめる音が聞こえる。

 

 動じたりしない。

 どんな感情も覗かせる事のない無表情で、背後を振り返る。

 

「どうも。こんばんは。今日は良い日ね」

 

「貴様は正気か? この村は焼けてしまっているにも関わらず、良い日だと!? 一体、何が起こればこんな事になる!」

 

 なるべく平静を保とうとしているものの、驚きを隠す事が出来ないのだろう。

 語気は荒い。

 

 百合の目の前にいるのは、銀色の鬣に、黒色の体。狼のような見た目をしているものの、四足歩行ではなく、二足歩行で立っている妖精。

 

 礼服らしき物を身に付けている物の、素は乱暴者と言った感じなのだろうか? 余り似合っている、とは言えなかった。

 

 しかし、見た目よりも先に。何よりもまず注目してしまうのは、狼の妖精が身に纏う圧。

 身長は百合も一回りも、二回りも大きいだけ。

 

 にも関わらず、百合は巨大な巨人を幻視してしまう。

 

 ――うん。これは勝てない。

 

 妖精騎士ガウェインを初めて見た時に抱いた感想を抱く。

 名前など聞かずとも問題はない。

 荒れ狂う嵐をその身に宿しているかの様な、理不尽という安っぽい三文字でしか現す事が出来ない存在。

 

 ――ウッドワス。

 

 目の前にいる彼こそが、牙の氏族の長であり、3人の妖精騎士達に匹敵すると言われている不倶戴天の敵。

 ぶわっ、と冷や汗が吹き出る。

 

 心は平静を保とうとしているのに、歯をガチガチと微かに打ち鳴らしてしまう。恐怖心に打ち勝つ為に、槍の持ち手を強く握り締める。

 しかし、所詮は気休めだ。

 

 得られるのはほんの刹那の安寧。

 何故ここにいるのか? と疑問を抱く事はない。

 本来であれば、百合達の計画はウッドワス率いる処刑部隊が到着する前に、アルトリアを救出する筈だった。

 

 しかし、此方の予想に反してウッドワスの動きは早く、アルトリアの救出後にウッドワス達とかち合う確率はかなり高い。

 

 村が燃えてしまったとしても、ウッドワス達が予言の子を諦める確率は低い。

 だから百合達は、考え方を変えた。

 

 アルトリアを救出した後、安全な場所に避難させる事が出来れば、後は何が起こったとしても問題はない。

 自身が達成したい目的。

 

 一点のみに絞った、正に無謀な計画。

 されど、計画は成功した。

 今、この場にアルトリアは居ない。

 

 恐らく、オベロンがエクターの下に連れて行った事だろう。

 だが、まだ終わりではない。

 

「凄いでしょう? 全部、私がやったの」

 

 ウッドワスは、女王モルガンに忠臣だというのは有名な話。

 例え、村が焼き尽くされたとしても『予言の子』の報告があった場所だ。不運な事故によって死んでいたとしても関係ない。

 

 必ず村中を探す。

 或いは、周囲にまで捜索の範囲を広げて、『予言の子』が逃げたという仮定の下探し出すかもしれない。

 

 牙の氏族のみであれば、如何にかなる。

 しかし、ウッドワスが出て来てしまえばお終いだ。

 理不尽の権化。

 

 果たして『予言の子』の捜索の際、どの様にして実力を発揮するのか分からないが、明らかな化け物だ。

 何をするのか想像がつかず、最悪の未来が待ち受けていても驚きはない。

 

 だからこそ、足止めが必要だ。

 長ければ長い程、アルトリア達は見つかりにくくなる。逆に、短ければ短い程、アルトリア達が窮地に陥る可能性は高くなる。

 

 責任重大だ。

 

(私しか適任が居ないから、私が頑張らないといけないけれど)

 

 エクター達からは止められた。当然だ。相手にならない。

 それでも百合が立候補したのは、自身が特異な体質を持ち合わせているから。

 

「……お前がこんな事をした? 貴様! 自分のした事が分かっているのか! 貴様がこんな馬鹿げた事したせいで、陛下から与えられた役割を全うする事が出来なくなってしまうかもしれないではないか!」

 

 百合の至近距離で吠えるウッドワス。

 即座に殺しに来ない辺り、一応は理性的なのだろう。

 それでも拳を握る力は強く、今にも殴りかからん勢いだ。

 

 会話による時間稼ぎも行いたい。

 が、これ以上会話を引き延ばしにするのは難しい。

 

「私にとっては関係ないもの。貴方の目的も、村の目的も。何もかもが、どうでも良い。ソレこそ、心の底からね」

 

 百合は手に持った槍。その切っ先を、ウッドワスの顔面に突き付ける。

 

「……これは一体、どういうつもりだ?」

 

 手を出さないのは、百合の行動の真意を測りかねているからなのか? 或いは、自分自身の実力に絶対的な自信を持ち、この程度では傷1つ付ける事が出来ないと、高を括っているからなのか。

 

「見て分からないの? ウッドワス。私と戦いなさい」

 

「余り調子に乗るなよ! 貴様! 私の仕事を邪魔するだけでは飽き足らず、不遜にもこの俺と戦いたいだと!? 俺の実力が分からないのか!」

 

 百合の、挑発する様な口調。

 

 とうとう我慢の限界が来たのか、相手を吹き飛ばさんばかりの怒声と共に、咆哮を上げるウッドワス。身に着けていた礼服が悲鳴を上げ、ビリッと僅かに破ける。

 

「気が進まない、と言うのであれば構わないわ。代わりに、貴方の部下である牙の氏族たちと遊んでこようかしら? 貴方が相手では厳しい戦いになるかもしれないけれど、貴方以外の雑兵はそこまで負担にはならない。けれど、女王陛下から与えられたお使いを満足にこなせなかった上に、私兵まで失ってしまったとなれば、さぞかし無様……」

 

 最後まで言い終わる事は出来なかった。

 目で追う事すらままならない、高速とも呼べる速度で、百合の顔面にウッドワスの拳がめり込む。

 

 気付いた時には殴られていて、吹っ飛ばされていた。

 頬に痛みは感じない。

 肝心の、顔が存在していなかった。

 

 ピンク色の脳症と、鉄臭い血液を撒き散らしながら、地面を幾度となく跳ねる百合。

 誰がどう見てもウッドワスの圧勝。

 

 そもそも、戦いにすらなっていない。

 

 ぶん殴った態勢のまま、荒い呼吸を繰り返すウッドワス。疲労感を覚えた訳ではない。激昂し、頭に上ってしまった血を下げる為に、呼吸を繰り返しているのだ。

 

「ふん。所詮、この程度か。口ほどにも無い。あれだけの啖呵を切っておいて、このざまとは情けなさを通り越して、いっそ哀れに思えて来るな」

 

 首を失い、力無く倒れる百合を一瞥した後、背向けるウッドワス。彼の目的は『予言の子』の回収。

 

 歯向かって来た妖精の殲滅ではない。

 

「ええ。私も予想外ね。まさか、こんなにもあっさり負けてしまうなんて。……まあ、予想出来ていた結果ではあるのだけれど」

 

 背後から声が聞こえて来た。

 先程、殺した筈の百合の声が。

 

 背後を振り向く。同時に、ウッドワスの眼前に迫りくるのは、月明かりに照らされて怪しく輝く槍の鋭い切っ先。

 

 ウッドワスは亜鈴と呼ばれる、他の妖精とは一線を画す存在だ。百合が持つ槍が、妖精國一番の鍛冶師の手によって作られた一品であっても、大したダメージを与える事が出来ない。

 

 頭の中で理解していた筈なのに、ウッドワスが咄嗟に回避を選択したのは、鬼気迫る気迫に気圧されたからだろう。

 

 或いは、殺した筈の存在が、突如として蘇ったという不可思議な事実に、気味の悪さを覚えてしまったのかもしれない。

 

 何方にせよ、寸での所でウッドワスは躱す。

 首を横に倒して、槍の切っ先を避ける。

 

「あら。避けられてしまった……ゴゲブッ!」

 

 追撃しようとするが、それは叶わない。

 

 ウッドワスの回し蹴りが、腹部側面を強打。凡そ、人体に対して使ってはいけない破壊力だ。骨は砕かれ、肉は爆ぜ、百合は口から血を吐き出す。

 

 そのまま吹き飛ぶ。

 圧倒的だ。

 

 戦いにすらなっていない。

 百合が一度攻撃を仕掛ける度に、向こうは即死級の攻撃を繰り出して来る。理不尽なんてレベルでは無い。

 

 そもそも、戦う事そのものが悍ましいと言っても過言ではないだろう。

 

「なのに、貴様はどうして俺に立ち向かう! と言うよりも何故、あれだけの傷を負いながら生きている!? いや、死んでいるにも関わらず、生き返っているのか!?」

 

「さあ? 答えは何方だと思う。言っておくけれど、諦めるつもりは毛頭ないわよ。だから、再開しましょうか」

 

 爆ぜた肉も、折れた骨も、死んだという事実を無かった事にして、再びウッドワスに立ち向かう百合。

 

 二度の死亡を経験しても尚、その表情には一切の恐れが見えない。ウッドワスを足止めする。只、その目的の為だけに、自分の命を使い潰す。

 

 

 

 

 

 

 百合に強く押され、気付けばアルトリアの周囲を取り巻く景色は変わっていた。

 

 余り良い思い出は無かったものの、全てが炎に包まれていた地獄のような景色から、暗闇に満ち満ちた森の中へと。

 

「あれ? ここは一体……。って言うか、お母さんは?」

 

 自分の背を押し、母親らしいアドバイスを残して消えた百合。

 その姿を探す為に、せわしくなく辺りを見回すものの、何処にも存在していない。

 

「百合の奴はここにはおらん」

 

 見つかる事はない。

 

 心の何処かでは分かっていた筈なのに、それでも探す事を止めないアルトリア。

 そんな彼女を諫めるように、慣れ親しんだ声が聞こえて来る。

 

 暗闇の中から姿を現すのは、大切な友人であるエクター。

 普段は気難しく、頑固と言った印象が強い。

 

 しかし、今は心なしか悲しんでいる様にも見えた。

 

「エクター? どうして、そんなに悲しそうな顔をしてるの? と言うか、ここは一体何処なの? お母さんは?」

 

 知らない事が多すぎる。

 早く知らなければいけない。

 

 直感的にそう理解して、アルトリアはエクターに質問を浴びせる。

『妖精眼』を使い、彼の心の中を覗いてしまえば、一体どう言う状況なのか嫌でも理解出来る筈なのに。

 

 それでもアルトリアは質問を止めない。

『妖精眼』で知ってしまった現実を、知りたくなかったのかもしれない。

 

「まずは落ち着いてアルトリア。状況は深刻だ。取り乱してしまえば、それが致命的なミスに繋がってしまう」

 

 またもや聞き覚えのある声。

 

 アルトリアは反射的に、自身が持っていた『選定の杖』を探す。何故なら、先程聞こえた声は『選定の杖』を介して話掛けていた、マーリンの声だったからだ。

 

「お探しの物はこれかい?」

 

 そう言って、1人の妖精がアルトリアに手渡して来たのは『選定の杖』。

 

 声は聞こえない。

 聞こえて来たのは『選定の杖』を持って来た、妖精から。

 

「……もしかして、貴方がマーリンなの?」

 

 声が同じ。

 目の前の妖精こそが、マーリンである事は明白だった。

 

 銀色の髪に、幼さを残した端正な顔つき。見に纏う衣服は、白を基調とした地味なデザインではある物のよく似合っている。

 しかし、全身と声から何とも言えない胡散臭いオーラを纏っており、おいそれと信用する事は躊躇ってしまう。

 

 結婚詐欺師などが似合って良そうだった。

 アルトリアの問いかけに対して、スタイリッシュな笑みを浮かべる。

 

「ああ。そうだ。僕がマーリンだ。けれど、アルトリア。君には謝らなければいけない。僕はマーリンと名乗っていたが、実は僕の正体はマーリンじゃ無いんだ。僕の本当の名前はオベロン。妖精王オベロンなんだ」

 

「へー。そうなんだ。オベロン、宜しくね」

 

 オベロンにとっては、一世一代の告白だったのだろう――実際、辛そうな面持ちを見せていたが明らかに胡散臭く、演じている感が拭いきれなかった。――が、アルトリアの反応は淡泊そのもの。

 

 余り、マーリンが偽物だったらしいという事実を気にしていないのは明白だった。

 

「いや、もう少しこう、無いのかい!? え!? 私に魔術を教えていたマーリンは偽物だったの!? とか! そんな、今更偽物なんて言われても良くわかんないよ! とか! 折角、感動の師匠との対面なのに!」

 

 淡泊すぎるアルトリアの反応に、思わずと言った様子で不満を零すオベロン。

 

「オベロン。今、そう言う時じゃないから」

 

 対する弟子は非情にドライだった。

 師匠のお茶目心を情け容赦なく切り捨て、叱責する。

 

「……あ、うん」

 

 強く言う事は出来ず、弟子のお願いを受け入れるのだった。

 話を切り替えるように咳払いを行う。

 

「取り敢えず、アルトリア。ここは危険だ。出来る事なら、なるべく遠くに逃げた方が良い。無論、知りたい事が沢山ある事も承知している。だが、ここは僕達の言う事を聞いて欲しい」

 

 アルトリアの両肩に手を置き、急かすように押す。

 この場に留まり続けてはいけない、と言わんばかりに。

 

 しかし、納得など出来る訳が無い。

 本来なら、後もう1人いる筈なのだ。

 

 もしも全員が揃っていれば、多少納得出来なくても言う事に従った。だが、そこに存在している筈の。アルトリアが存在して欲しい筈の人物は居ない。

 

「オベロン。お母さんは今、何をしているの?」

 

 自身の肩に置かれた両手を解きながら、アルトリアはオベロンに質問を行う。決して誤魔化しは許さない、と。心の中で念じながら。

 

 出来ればして欲しくない質問だった、と言わんばかりに僅かに眉を潜めるオベロン。

 何かを言おうとして、口を閉じる。

 

 幾ら口が達者な彼と言えど、ここまで判断材料が揃ってしまっている状況で、嘘八百を並べる事は不可能だと判断したのだろう。

 

「もう良い。正直に答えようじゃないか。……と言うよりも寧ろ、アルトリア。お前も何となく、気付いているのだろう? 百合がこの場にいない理由を」

 

 今まで口を閉じていたエクターが口を開く。

 アルトリアに視線を向けながら。

 

「端的に答えよう。百合は今、足止めをしている。恐らく、生きて戻って来る事は出来ない。途轍もない程に強い相手だ」

 

「…………ッ!」

 

 予想していた事だ。

『妖精眼』を見れば。百合の態度を見れば。自身を取り巻く状況を把握すれば、簡単に出て来る答え。

 

 けれど、アルトリアは信じたくなかった。

 

「だったら、今すぐ助けに……」

 

「駄目だ。危険すぎる。戻ってしまえば、殺されてしまう。いいや。最悪の場合、僕達が殺されたとしても問題はない。だが、アルトリア。君だけは駄目だ。君が殺されてしまえば、頑張った意味が無くなってしまう」

 

 絞り出すような声と共に、提案するアルトリア。

 オベロンは首を横に振り無情にも否定する。

 

 分かっている。これも、分かっている。全てはアルトリアの為にやった事であり、百合が戦っている相手は今のアルトリアでは――否、例え自身が想像する理想の自分であっても、勝つ事はできない。

 

「でも、だって……そんな、だったら、私は……!」

 

 あんまりじゃ無いか。

 アルトリアは只、誰かに助けられるだけ。

 今だってそうだ。

 

 何も出来ない癖に、誰かを犠牲にする事だけは上手。何なんだ? それは? 余りにも邪悪過ぎるじゃ無いか。

 他者を犠牲にする事によって、自分はのうのうと生き延びる。

 

 コレの一体、何処が『予言の子』だ? いずれ、全ての妖精を救う救世主だ? 冗談もいい加減にして欲しい。

 そんなもの、何処にもいないではないか。

 

「分かるさ。アルトリア。お前の気持ちは。儂だって、同じだ。儂にももっと力が有れば、儂が犠牲になる事も出来た。だがな、アルトリア。それはもしもの話であり、もう終わってしまった話なんだ。……儂らは前に進む事しか出来ないんだ!」

 

 ――前に進む事しか出来ない。

 

 ああ、そうだ。

 一度きりの人生。やり直しなんて、出来っこない。

 

 瞼を閉じれば、何時だって見る事が出来る猛吹雪。ソレは『妖精眼』を通してみる事が出来る、妖精達の激情。

 

 前を向く事すらままならなくて、何処に進めば良いのかさえも分からなくなってしまう。けれど、青い星だけは見る事が出来た。

 

 どれだけ過酷な場所であっても構わないと、光輝いている。その姿に、アルトリアは憧れて、届きたいと思って手を伸ばす。

 走り始めたのは、それが始まり。

 

 けれど、成長していく内に走り続ける理由が増えた。初めての出会い。初めての気持ち。初めての理不尽。初めて自分で決めた。初めての友達。

 

 他に理由はないのだろうか? 何か、あの星に手が届きたいと思える以外に、全てを捨て去ってでも成し遂げたい目的は。

 

 ――そう言えば、ある。

 

 彼女は言ってくれた。

 

 ――幸せになりなさい。アルトリア。『予言の子』としてではなく、私の娘として。

 

 きっと、もう会う事は出来ない。

 言いたい事も、話したい事も沢山あった。

 

 もう無理だ。

 でも、親子だったという繋がりは無くならない。

 

 寧ろ証明しなければならない。幸せになる事によって、貴方の娘で良かったのだと。

 幸せになる事でしか、恩を返す事は出来ないのだから。

 

 伏せていた顔をアルトリアは上げる。

 自責の念を抱いていた表情は消え、覚悟を決めた顔つきに変わる。

 

「……アルトリア」

 

「ごめん。2人共。行こう。少しでも、ティンタジェルから離れる為に」

 

 切り替えの早さが、自分の良い所。

 けれど、今くらいは貴方との別れを悲しませて下さい。

 

 さようなら。お母さん。

 私も、貴方の娘で幸せでした。

 

 

 

 

 

 

 原則、ウッドワスに勝利する事は出来ない。

 

 百合自身は知らぬ事だが、かつての妖精騎士であるエクターであっても。或いは、モースの王だったオベロンであっても、ウッドワスに勝利する事は難しい。

 

 だから、百合がウッドワスに勝利出来ないのは至極当然。

 しかし彼女の目的はウッドワスに勝利する事ではなく、足止めだ。

 

 戦闘に手こずってくれるなら重畳。躊躇いが生まれてくれれば嬉しい。心が摩耗してくれれば、更に時間を稼げる。

 

 いう事無しだ。

 仮に問題があるとすれば。

 

(そもそも戦いになっておらず、私が死んでしまうという事ね)

 

 初めての死。初めての激痛。初めての喪失感。

 全てが初めて。

 されど、百合の中に衝撃はない。

 

 ――人魚の権能。

 

 人魚の肉を食した者は、不老不死になる事が出来るという噂。実際に、人魚の肉を食し不老不死になった者の血を継いだ百合は、不老不死にはなれずとも、限りなくソレに近い何かになる事は出来た。

 

 尤も、死者から生者に戻る際、削れてはいけない何かがゴリゴリと削れてしまっているのを感じる。

 恐らくは寿命。

 

 百合がコレから先、生きたかもしれない数十年。或いは、数百年か数千年。

 それらを対価として、百合は復活を遂げる。

 

 まるで、傷など負っていませんでした、と言わんばかりに。

 酷く反則染みている。

 

 されど、向こうも反則染みた力を持つ。

 これでようやく同等。

 

 否、百合は復活した傍から死んでしまっている為、アドバンテージは向こうの方が上と考えても良いだろう。

 

「なんだ? なんなんだ!? 貴様は!」

 

 殺しても復活して来る。

 内臓をぶちまけても。

 

 頭を握り潰しても。

 背骨を引き抜いても。

 

 何をしても、何を行ったとしても、死なない。そして、死ぬ事は出来ない。

 

 さしものウッドワスも、死なない相手と戦った事は無かったらしい。分かりやすい困惑と共に、徐々に恐怖が浮かび上がってくる。

 

「なにって、何処にでもいる普通の妖精よ。それで、良いの? 止めを刺さなくても?」

 

 寿命が削れている。

 いっそ、笑えてしまう程に。

 

 されど諦める事はない。

 命が尽きるまで、自分の与えられた使命を全うする。

 

 腹部を鋭い爪によって貫通させられ、口から血を吐きながらも、百合は何て事のないように振舞う。

 

 酷く痛い。

 が、無視をすれば良いだけの話だ。

 

 喉から血液がせり上がり、喋り辛いのが難点だが。

 

「ッ、この、化け物がァ!」

 

 腕を百合の腹部から引っこ抜く。

 

 支柱を失った事により、自重に耐え切れずに死んでしまう百合。されど、復活する。寿命を対価に。神の御業と見紛うばかりの奇跡を披露する。

 

「何なんだ! 貴様はァ!」

 

 異常すぎる速度で、ウッドワスは百合を殺そうとしてくる。

 

 目で負えなかった速度。しかし、今は目で追う事が出来、辛うじて回避する事が出来る。

 

 回避を行う。が、タイミングが僅かに遅れてしまう。

 頬に深い切り傷が突き、それなりの量の血液が流れ出る。

 

「ッ!?」

 

 まさか、避けられるとは思っていなかったのだろう。

 ウッドワスの表情が驚愕に染まる。

 

 別段大した事はしていない。誰もが予想出来てしまう負けイベントに際して、神様がご都合主義な力を与えてくれた訳ではない。

 

 慣れてきた。

 ただ、それだけだ。

 

 ウッドワスの行動に。攻撃に。速度に。

 

 両手の指では数えきれないほどの屍を晒す事によって、ウッドワスの動きに適応し始めている。

 

「なんなんだ! 本当に、貴様は一体なんなんだ!」

 

 されど、それはあくまでもウッドワスの力の一端でしかない。生き延びる時間は長くなったかもしれないが、殺されてしまうという結末に変わりはない。

 

 また、百合は骸を晒す。

 原型も留めぬ程に、グチャグチャになって。

 

 ――私は一体なんなのだろう?

 

 疑問に思う。

 

 佐渡藩のとある武家屋敷の娘。

 ティンタジェルの『獣狩り』。

 そして、アルトリアの母親。

 

 自分自身を指し示す言葉は存在している。

 けれど、何となく違うのでは無いか? と言う思いが強い。

 再生した百合は、再びウッドワスに突撃。

 

 上半身を吹き飛ばす事など造作でもない、強力過ぎる蹴りを、身を捻る事で回避。そのまま距離を詰め、攻撃を仕掛けようとするが今度は両手の鋭い爪によって全身を切り裂かれ、細切れにされる。

 

 愛想が無い。他者の感情の機微がいまいち分からない。心の内にポッカリと穴が空いてしまっている。

 人と呼ぶには、致命的な何かが欠けてしまっている欠陥品。

 

 尤も、根本的に人とは違っている。何故なら、人魚の権能とも言える不老不死を疑似的ではあるものの、継承してしまっているのだから。

 

 もしかするとソレを継承してしまったからこそ、百合は百合になってしまったのかもしれない。

 

 再び再生する百合。ウッドワスも、百合がどういう存在なのか把握している。復活すると同時に、即座に仕留めに掛かる。

 

 しかし幾度とない死を経験する事により、ウッドワスに対する理解は更に深まっている百合。

 切り裂かんと伸びた腕を容易に回避。

 

 ――私は一体なんなのだろう?

 

 分からない。分かる筈もない。

 何故なら、当の本人でさえも自分自身を理解出来ていないのだから。

 とんだ笑い話だ。

 

 地面に転がる槍を拾い、右側面から槍を振るう。

 受け止められてしまう。

 

 槍を手放し、今度はウッドワスの顔面。より正確に言うので有れば、眼球を狙う為に、腕を伸ばす。

 

 まさか目潰しを行うとは思っても見なかったのか、僅かに驚くような素振りを見せるウッドワス。決定的な隙を晒しても尚、百合の攻撃は届かない。

 

 でも、もしかするとソレで良いのかもしれない。

 昔の百合で有れば、答えの出て来ない問いかけに対して嫌悪感を抱いていたかもしれない。或いは、自己嫌悪。

 

 されど、成長した百合は昔の百合とは違う。

 様々な人と出会い、様々な事を学んだ。

 

 それら全てが良い物、と言うつもりは無い。今になって思えば、学ばなくても良かったかな? と思う物が存在するのも事実だ。

 

 しかし、無駄ではなかった。

 百合がユーリと言う名の妖精として生きて来た数十年は。

 下らない物などでは無く、掛け替えのない大切な思い出。

 

 ――ああ。成程。そう言う事だったんだ。

 

 脳裏に過る思い出。幼少期の頃から順に、今に至るまでの記憶がパノラマ形式で、頭の中に流れて来る。

 

 今までずっと埋めたいと思っていた。けれど、埋める方法が分からなかった心の穴。そんなものは何処にも無かった。

 既に埋まっていた。

 

 無自覚に、埋められていた。

 何だか気分がとても良い。

 遥か昔、戦った事のある桜髪の少女。

 

 あの頃は、武術という物を極めていたものの、ソレを振るう大きな理由が存在していなかった。

 逆に言えば、彼女は必死になり得る大きな理由があったからこそ、あそこまでの強さを身に付ける事が出来たのだろう。

 

 今更もう、遅いのかもしれない。

 されど、心残りは潰しておいた方が良い。

 

 文字通りの死闘を繰り返し、奇しくも最初に戦い始めた状況に戻った二人。状況はウッドワスが優勢であり、百合が劣勢。

 にも関わらず、百合は楽しそうで、ウッドワスは苦しそうだった。

 

 互いに示し合わせた訳ではない。

 しかし、同時に地面を蹴る。

 

 速度は圧倒的にウッドワスが上。普通の妖精であれば、視認する間もなく、鋭い爪によって切り裂かれ骸へと変わる。

 

 だが、百合は幾度となく死ぬ事によって、ウッドワスと言う理不尽な存在に適応し始めている。

 

 完全に対応する事は不可能。

 されど、目はもう慣れた。

 後は、タイミングを計るだけ。

 

 百合は槍を振るう。

 それは今までの、子供のチャンバラ染みたものではない。単に外敵を排除する為に用いられる暴力ではない。

 

 かつて自分が学び、忘れ去っていたものを、今しがた思い出す。

 あの時、確かに抱いていた幻想と共に、百合は槍を強く握り締めて突き出す。

 

 ウッドワスの速度と比べれば、雲泥の差。

 されど、その一撃には圧倒されるような気迫が存在した。

 

「……まあ、無理でしょうね」

 

 しかし百合の敗北は変わらない。

 彼女の繰り出した全力の一撃は、精々ウッドワスの体に僅かな傷を付けるか、付けないか。その程度の物だ。

 

 とうとう槍は根元からへし折れてしまい、百合の体は鋭い爪によって貫かれてしまい、またもや腕が腹部にめり込んでいた。

 声を発す度に、血液がせり上がり、上手く喋り辛い。

 

「何なんだ? お前は一体、何なんだ!? どうして、何度殺しても生き返る事が出来る!? そして、何故何度死んだとしても、俺に立ち向かう事が出来る!?」

 

 当然の疑問だろう。

 ウッドワスにとって、百合は雑魚だ。

 

 何度生き返り、立ち向かった所で勝利する確率はゼロ。寧ろ、戦うのではなく逃げる事が懸命だ。

 

 勝負を挑んだ所で、最初から勝ち目など無いのだから。

 けど、ソレで良い。

 

「……良いのよ。それで。だって、私は足止めなのだから」

 

「ッ!」

 

 自身の狙いを暴露する。

 それを聞き、ようやく百合の意図に気が付くウッドワス。

 勢いよく腕を引き抜くと共に、百合はたたらを踏む。

 

 体から力が抜けてしまい、地面に倒れる。

 しかし、百合は再生する。

 

 ごっそりと抉り取られた腹部の傷は塞がり、失った血は元に戻る。さあ、戦いを再び再開しようでは無いか。

 地面に手をつき、立ち上がろうとする百合。

 

 力を込めた瞬間、百合の腕が崩れた。

 まるで砂像のように。

 

「……成程。もう限界、と言う事ね」

 

 発生した異常に対して、百合は冷静に分析を行う。

 崩れた腕は修復しない。

 

 寿命が尽きてしまったのだ。

 百合がコレから先、生きる筈だった時間が。

 

 ――終わりが訪れた。

 

 ソレを自覚すると同時に、自壊が始まる。

 体に亀裂が入る。

 人の形を保てなくなる。

 

 削れていく。

 無くなっていく。

 失われていく。

 

 人を構成していた、最低限必要だった何か。

 次第に曖昧になっていく、薄れていく意識。

 されど、まだ猶予はあった。

 

 ほんの僅か。

 雀の涙にさえも満たない、たった数秒。

 

「…………」

 

 百合はゆっくりと、首を動かして後ろを振り向く。

 

 そこには誰も居ない。

 しかし、もっと遠くを見通す事の出来る眼をもっていれば、見る事が出来たのかもしれない。いいや。見た。見る事が出来た。

 

 だから、百合は安心したように笑う。

 安心したように笑いながら、崩れ落ちて、そして死んだ。

 そこで意識は途切れる。

 




 これにて本作は終わりです。
 最後まで読んで頂きありがとうございました。
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