数年が経過した。
幼女だったアルトリアは、少女と呼ぶには十分な年齢を重ねた。
短かった金色の髪は、耳に掛かる程度に長く伸び、薄い翠色の瞳の奥には存在する卑屈さも多少なりとも薄れている。
容姿は可愛らしいから美人へと変化を遂げ、彼女が少女から大人に変わる時どのような変化を遂げるのだろうか? と期待がもてる。
身長も順調に伸びており、彼女の成長をヒシヒシと感じられる。唯一の不満を上げるとすれば、よそよそしかった彼女の性格もやや小生意気になっている点。主観的に見れば、ユーリは立派に母親としての務めを果たしていると記憶しているのだが、何故こんなにも生意気な娘に育ってしまったのだろうか? と首を傾げてしまいそうになるが、子供の成長とは親の思い通りになる訳ではない。
気に留めないのが吉だろう。
尚、もしもユーリの考えている事をアルトリアが読み取れたとすれば、彼女は「一体誰のせいだと思っているんだー!」と、叱られる事も厭わずに思い切り叫んでいた事だろう。
現在のアルトリアを形成している主な原因としては、8割方ユーリが原因なのだ。しかし、幸か不幸か。ユーリ自身がその事実に気付く事はない。
「そう言えば、お母さんって『獣狩り』って呼ばれているらしいけど、一体何をしてるの? ……いや、まあ、何をしているのかは何となく理解出来るんだけど、詳しい事は何も知らないな、と思って」
椅子に腰かけ、テーブルの上に置かれている紅茶を飲むアルトリア。
淹れたてだったせいか、小さく「熱ッ!」と零した後、紅茶に息を吹きかけて冷ましながらゆっくり紅茶を飲む。
「詳しい説明、と言われても大体は貴方の想像している通りだと思うのだけれど。詳しい説明を行うよりも、実際に見た方が早いわね」
ユーリの言葉を聞き、嫌そうに顔を顰めるアルトリア。
自身の内心を隠す気は無いらしい。
「ええー? 絶対に嫌だ! 私の価値観とお母さんの価値観は根本的に違っているんだから、きっとよくない事が起こるに決まっているよ! と言うか、絶対に起こる!」
人生、何が起こるのか分からない。
にも関わらず、まるで実際に見てきたかの様に断言する娘。
思わず嘆息してしまう。
その時、丁度扉がノックされた。
「来客かしら?」
「我が家に客なんて来る訳ないと思うんだけど」
失礼な事を言ったアルトリアの頭部にチョップを見舞いする。
軽めに叩いたが、アルトリアは頭を抑えてその場で悶絶する。大袈裟だ。鍛え方が足りていない。
悶絶しているアルトリアを横目に見つつ、ユーリは扉を開ける。
来訪者はティタンジェルの村長。
ユーリに対して僅かながら恐れを抱いている様子だったが、村長としての面子を保つ為なのか。やけに威厳に溢れた声音で、ユーリに対して話掛ける。
床の上で悶絶していたアルトリアの姿は見なかった事にしたらしい。
「忙しい所すまないな。実は、お願いがあってやって来たんだ」
ユーリに対してのお願い。
ソレが意味する事は、1つしかない。
村長が口を開くよりも先に、百合が言い当てる。
「村の近辺に、獣が現れたのでしょう? 場所を言いなさい。さっさと片付けて来てあげるから」
「話が早くて助かるよ。普通の獣で有れば此方で如何にか出来るが、一体、強そうな獣が存在していてな」
件の獣が居る場所を、詳しく説明して貰う。
説明をし終えた時点で、ここに来た理由は無くなったのだろう。「それじゃあ、宜しく頼むよ」と言い残し、村長は去っていく。
外から内に視線を向ける。
床で悶絶していた筈のアルトリアの姿はない。ベッドの隙間に隠れていた。しかし、体が成長してしまったせいなのか、上半身を隠す事は出来ているが、下半身を隠す事は出来ていない。
頭隠して尻隠さず、と言う状況だ。
当然、それを見逃すほどユーリは愚かでは無い。
尻を掴み、思い切り引っ張る。
「あら? 急に隠れん坊をするなんて、一体どうしたのかしら?」
「い、いやぁ。久しぶりに童心に帰りたいなぁ、と思っちゃって。……別に、お母さんのお仕事に付いて行きたくないとか、そんな事は思ってないよ?」
視線を逸らしながら、分かり易い嘘を吐くアルトリア。
そんな彼女に向けてユーリは笑う。
慈愛の笑みではない。
壊しても良い玩具を見つけた子供のように、無邪気で邪悪な笑みだ。
「遠慮する事はないわよ。一度、貴方には私がどんな風に働いているのか見せておきたい、と考えていたの。だからこそ、丁度良いとは思わないかしら?」
「思わない! 絶対に、思わない! 嫌だー! 私は行かないぞ! 絶対に、碌な目に遭わないって分かってるんだ! なんやかんやあって、お母さんが仕留め損なった獣達が私を追いかけて、死にそうな目に遭うんだ! きっと」
「人聞きが悪いわね。私が適当に仕事を片付けると思っているのかしら?」
引っ張り出したアルトリアだったが、ベッドの足を掴んで必死に抵抗する。
しかし、悲しいかな。
アルトリアが少女なのに対して、ユーリは立派な大人だ。
力を比べをすれば、ユーリに軍配が上がるのは自明の理。
「それに、私は必死に働くのに貴方は家で呑気に過ごすなんて、そんなの許せないわ」
「それが本音かー!」
心からの叫びとは裏腹に、とうとう掴んでいたベッドの足から指が離れてしまう。
「あ!?」と声をあげながら、ベッドの足に手を伸ばすが届かない。
ユーリに抱えられながら、アルトリアも半ば強制的に『獣狩り』としての仕事に同行する事になってしまった。
アルトリアの絶叫が響き渡るが、数秒後。ユーリの手によって、強制的に黙らされてしまった。哀れ。
※
鬱蒼と生い茂る木々。
日の光に照らされる事によって、深緑の葉達は生き生きとした姿を見せる。
その姿はさながら幻想的。
尤も、幻想は所詮、幻想だ。
どれだけ美しい光景が眼前に広がっていたとしても、森は危険そのもの。油断して居たら足元を掬われてしまい、森の養分になってしまうか森林に住まう獣たちの食料へと変えられてしまう。
油断しなければ良い話だ。と楽観的に捉えている妖精は少なくないが、基本的に妖精は危機意識が欠けている。
森を舐めて掛かった結果、獣やらなにやらに襲われてしまい命を落としてしまう、と言うケースだって珍しくはない。
その上、妖精達にとっての天敵であるモースが現れる可能性だってゼロじゃない。モースと出くわしてしまえば、妖精はほぼ詰み。
だからこそ、より一層警戒しておかなければいけない。
恐る恐ると言った様子で森を歩くアルトリアとは対照的に、ユーリはずんずんと前に進んでいく。まるで、恐怖など感じていないと言わんばかり。
否。実際、恐怖なんて抱いていないのだろう。
能面のような無表情に変化はなく、赤色の瞳は目的地の方向を見つめている。
何処からともなく、獣の唸り声が聞こえて来る。
アルトリアはビクリと体を震わせ、一瞬足を止めてしまう。
「落ち着きなさい。アルトリア。獣の声が聞こえてきたからと言って、即座に襲われてしまうという事にはならないわ。実際は、数秒程遅れて獣達はやって来るから、まだ猶予はあるわ」
「落ち着ける訳ないじゃん!」
獣とは言っても、その種類はピンからキリ。
弱めの部類に入る獣で有れば、妖精達の手によってサクっと対処出来てしまう。
しかし、アルトリアは違う。
彼女は生まれつき魔力が小さく、弱い。
弱い獣が襲い掛かって来たとしたら、その実力は五分五分。或いは、獣に軍配が上がってしまう可能性が高い。
それ程までに、アルトリアは弱い。
いつか、何も無い所で転んでしまい、そのまま天に召さないだろうか? と心配してしまいそうになる程に弱い。
自分が持っている何かしらを教える事が出来れば、多少はマシになるのかもしれないが、残念な事にユーリの教え方は壊滅的に下手だ。
試しに一度、教えてはみたものの、アルトリアが不思議そうに首を傾げる姿を見て「ああ、自分は教える事には向いていないのか」と気付かされた。
(魔術を使う事が出来れば、選択肢は増えるとは思うのだけれど。生憎、私は魔術を知らない。かと言って、村のあれらが素直に教えてくれるとも限らないし。さて、どうしたものかしら?)
「どうかしたの? お母さん。私を見つめているけど」
考え事に夢中になっていたせいで、自分がアルトリアを凝視している事に気付かなかった。
「別にどうもしないわよ。只、貴方は何も無い所で転んだだけで死んでしまいそうだから心配していただけよ」
「あれ? もしかして、私の事を馬鹿にしてる?」
「……純粋に心配しているだけよ」
「猶更悪いよ!」
難しい。
ユーリは純粋にアルトリアを心配しているだけだったのだが。
道中、獣に襲われる事はなく、目的地に到着した。
「……うわぁ。沢山いるけど、お母さん。やっぱり、止めにした方が良いんじゃない?」
横からアルトリアが声を掛けて来る。
ユーリ達は今現在、草むらに隠れていた。
視線の先では、無数の獣達が群れを形成していた。
見た目は狼のような姿をしているものの体毛は紫色。目は血走っており、獰猛な雰囲気が伺える。
獲物を目の前にすれば、嬉々として襲い掛かって来る事だろう。
おまけに、脅威となるのは数だけではない。
恐らくは群れのボスなのだろう。他の獣達とは一線を画す、巨大な獣が群れの中央にて鎮座していた。
一回りも二回りを大きい上に、雷気らしき物を纏っている。
確かに、ティタンジェルの住人達の手に余る相手だ。
「さて。私は行くわ。アルトリア。貴方は……そうね。邪魔になるから、適当な木の上に登っていなさい」
「お母さんが無理矢理連れてきたくせに!?」
「文句は受け付けないわ」
ユーリは持って来た槍を構える。
奇襲などしない。
草むらから体を出し、ゆっくりと歩を進める。
アルトリアは木登りに少し苦戦していたが、何とか登れていた。その姿を確認した後、ユーリは駆ける。
草むらから姿を出した事によって、獣達もユーリの存在に気付いた。
群れのボスである獣が、命令を出すように雄叫びを上げる。
命令を受け取り、動き出そうとした獣――の近くまでユーリは迫っていた。槍を振るい、その鋭い切っ先を突き立てる。
槍の利点は、リーチが長い事。
多少距離が離れていても、槍で有れば容易に届く。
獣は絶命。
続いて、直ぐ傍にいた獣も迅速に処理。
獣側が動き出す前に、二体を殲滅した。
自身の配下が殺された事に、大層お冠なのだろう。「さっさと仕留めろ」と言わんばかりに、怒声混じりの雄叫びを上げる獣のボス。
遅い。
余りにも、遅すぎる。
迫って来た獣の首を斬り落とす。
ユーリの喉元に噛みつこうとした獣の喉元を逆に貫いて倒す。
倒す。倒す。倒す。
まるで、獣達がどの様に動いているのか理解しているかのように。獣達が動くよりも先に、ユーリが動いて処理をする。
何をすれば良いのか理解しているからこそ、その動作に淀みや綻びは存在していない。
機械のように無機質に。されど、戦士らしく能動的に。
『獣狩り』とは読んで字のごとく、獣を狩る事に特化した役割だ。しかし、ティタンジェルにおいてその地位は低いと言わざるを得ない。
彼らが『獣狩り』であるユーリを頼る理由は、自身の手を汚したくないから。傷付きたくないから。怪我をしたくないから、と言う幼稚過ぎる理由に他ならない。
実に妖精らしいと言えるだろう。
だからこそ、妖精達は『獣狩り』を内心では見下している。当然だ。したくない事を押し付ける形なのだから、押し付けている妖精達が自身の事を上だと勘違いしてもおかしくはない。
しかし、実力で言えばユーリの方が上だ。彼女が本気を出せば、ティタンジェルの妖精など皆殺しにする事など造作でもない。
その事実を心の何処かで分かっているからこそ、妖精達は無意識にユーリに対して恐れを抱いているのだ。
まあ、どうでも良い。
他者がユーリをどう思おうと、ユーリには関係が無いのだから。
仮に何か起こったとしても、最悪の場合は全員殺してしまえば良い。ユーリにはソレが出来る力があるし、躊躇うほどの理由も存在していない。
とうとう、配下である獣達が全員倒された。
残っているのはボス、ただ一匹。
「さあ。早く終わらせましょう。長引かせるのは、私の本意ではないのだから」
獣が雄叫びを上げる。
ソレは、部下に命令を出す為ではない。
自分自身を奮い立たせる為。そして、自身が有する特異な能力を発動する為の、合図のようなものだった。
全身に纏わり付いている、瘴気らしき物が勢いを増す。眩い閃光が、獣の体を呑み込んでいく。明らかに、直撃してしまえば死んでしまう凶悪な攻撃。
しかし、獣にダメージはない。
「…………む」
何かが来る。
直感的にそう判断し、ユーリは直ぐさまその場から離れる。
予想は正解。
曇り空でもないのに、ユーリ目掛けて雷が降る。移動していなければ、直撃を食らっていた事だろう。
「成程。雷を降らせるとは、少し面倒ね。……でも、倒せない訳じゃない」
直撃を食らえば命はない。仮に命を拾う事が出来たとしても、目の前の獣の戦う事は絶望的だろう。
おまけに、攻撃範囲は広い。
どれだけ遠くに逃げたとしても、獣が繰り出す雷は届く。
少なくとも目視できる範囲で有れば。
厄介な攻撃。
しかし、ユーリとの相性は悪かった。攻撃を仕掛けて来るタイミングこそ分からないものの、攻撃を仕掛けて来る方向は自身の真上。
攻撃が何処から来るのか分かっているなら、対処は容易。
ユーリは槍を携えたまま――駆ける。ボスとの距離は、かなり離れている。
近づくまでの間に、幾度となく攻撃を仕掛ける事が出来てしまう。余裕なのか、ボスの表情にはユーリを嘲笑う「慢心」が垣間見える。
数秒間に繰り出される攻撃は、10は下らない。
連撃に次ぐ連撃。
だが、ユーリはその悉くを回避して見せる。
正に紙一重。
僅かにでも距離が足りていなければ、雷撃の巻き添えを食らっていた事だろう。にも関わらず、彼女の足取りに迷いはなく、雷撃に対する恐怖心は欠片さえも存在していない。
ユーリにとっては同じなのだ。
無数の獣に襲われた時と、空から降り注ぐ雷の攻撃は。
何方も似たような物。
危険度に差はあっても、容易に対処する事が出来てしまう。
自身の、必殺の攻撃が通用しない。
認める事なんて出来ない事実に気付いた時、ボスの末路は決まってしまった。攻撃では無く、逃走を選んだから。
ユーリは見逃してあげる程優しい存在ではない。
尻尾を踏みつけ、逃げる事を許さない。
そのまま槍を振り下ろし、容赦なく首を斬り落とすのだった。
※
「えぇー。今のを如何にかしちゃうの?」
比較的高い木の枝に上ったアルトリアは、ユーリの戦いの行方を眺めていた。所謂、高みの見物と言う奴だ。
配下である獣であっても、アルトリアでは相手にならない。否、一匹のみだったら善戦できるかもしれないが、複数体は無理。
リンチされて終わりだ。
雷を操る、ボス格の獣などもっと無理だ。
直撃を食らってしまえば、一般的な妖精であっても怪しい。ましてや、繰り出される攻撃の間隔も短いのだから、厄介な事この上ない。
にも関わらず、ユーリは倒した。
降り注ぐ雷を紙一重で回避する、と言う明らかに人外染みた芸当を披露しながら。
アルトリアはユーリの娘だ。
しかし、母親と同じ事は出来ない。
仮に同じことをやってみろ、と言われれば全力で首を横に振って拒否する。
「……お母さんって、やっぱりすごいんだ」
酷い言葉であったり、傍若無人な言動が目立ってしまうものの、やはりユーリと言う妖精は凄い。
それに比べて自分は……。
嫌な気持ちになってしまう為、途中で考えるのを止める。
不意に、何かが聞こえて来る。
耳を劈くような奇声と、バサリバサリと空を切り裂く音が。
「へ? ……え!?」
自身に迫りくるソレを目にして、アルトリアは思わず大声で叫んでしまうのだった。
※
改めて、自身が仕留めた獲物が死んでいるか確認していた時。
絹を裂く悲鳴と共に、ユーリに助けを求める声が、少し遠くから聞えてきた。
「助けて! お母さん! 助けて!」
助けを呼ぶ声に顔を向けば、木に登っているアルトリアを食べんと、巨大な鳥類が襲い掛かっていた。
奇しくも、アルトリアが赤子の時、誘拐しかけた鳥類と同じ種類。もしかすると、あの時仕留めた獲物の子供かもしれない。
「自分で仕留める事は出来ないのかしら?」
「無茶を言うな! 私が弱いのは、お母さん自身が良く知っているでしょうが!」
「せめて、立ち向かうガッツくらいは見せて欲しいのだけれど」
思わず嘆息してしまう。
そうこうしている間にも、鳥類はアルトリアを食わんとしている。
アルトリアも自身の身軽さを活かし、何とか鳥類の猛攻をしのいでいるが、それも時間の問題だ。
近くに辿り着くまで、食べられてしまうかもしれない。
だから、ユーリは槍を投げ槍の要領でぶん投げた。
投げた槍は驚異的な速度で鳥類の頭蓋を貫き、一瞬で絶命させる。
「今日の夕食は、鶏肉で良いかしら?」
地面に突き刺さった槍を回収しつつ、木の上で半泣きしているアルトリアに向かって問いかける。
「私、鳥は苦手だから遠慮したいんだけど!」
「好き嫌いは駄目よ。ちゃんと食べなさい」
反対意見を、無情にも却下するのだった。