雨生龍之介はヴィランであります! 作:えくレア
完全敗北。
今回の一年ヒーロー科の林間合宿襲撃の結果を、雄英はそう認識していた。
生徒39名中、敵のガスによって意識不明の重体が15名、重・軽傷者10名、行方不明者1名。無傷の生徒は13名だった。
プロヒーローは6名中1名がヴィランの襲撃により重体、1名が大量の血痕を残して行方不明となった。
ヴィラン側は血狂いマスキュラー、ムーンフィッシュ、マスタードの3名を現行犯で逮捕。
ただし、雄英側が受けたダメージは深刻だった。
今日も、雄英高校の門には多くのマスコミ、そして一般人が詰めかけている。
蛙吹梅雨の行方不明に続けて、爆豪勝己の誘拐、生徒たちの怪我。度重なる敵の襲撃を防げなかったことを市民たちは責めていた。当然、生徒の父兄からも、学校を辞めさせたいという声が上がっている。
雄英の信頼は、地の底に堕ちようとしていた。
対応に追われる教師陣の中でも、相澤消太は疲れ切っていた。問題の渦中にいる蛙吹梅雨、爆豪勝己が所属する1年A組の担任だ。世間からのバッシングは止まない雨のように彼に降り注ぎ続ける。
しかし、相澤はこれを甘んじて受け止めていた。浅慮だった。思えば、初めの襲撃の時点でカリキュラムが割れていたのは内通者がいたからかもしれない。そんな考えがぐるぐると頭の中を這い回っている。
なぜ襲撃を想定できなかった。なぜ生徒を守れなかった。本当に自分の出した指示は最善だったのか。爆豪は無事なのか。
考えても考えても、答えは出ない。同僚の教師らは、クレームの対応で疲れているだろうに、相澤の謝罪の電話に、快く応えてくれた。立て続けに大変だったな。大丈夫だ、爆豪は優秀だ。きっと無事だろう。
雄英の教師は、立派なヒーローだ。
それが、今の相澤には、少し辛い。
ろくに眠れていない彼は、USJでの後遺症もありふらつく中、重い足取りで病院までの道を歩く。どんなに気が沈んでいようと、彼は雄英の教師で、病院には生徒たちがいる。緑谷は血狂いマスキュラーとの戦闘でまた無理をしたらしく、気絶と悶絶を繰り返して高熱に侵されているという。
無事だった、あるいは軽傷だった生徒たちも、それぞれ生徒の見舞いやらで病院にいるようだ。相澤もまた様子を見に向かう。
翌日には、雄英でブラドキング、校長根津とともに記者会見を開かなければならない。その前に、少しでも生徒たちの顔を見ておきたい。相澤らしくもない、それは不合理な感傷だった。
そして、今回に限って言えば、それは誤りだった。
病院で一通り治療中の生徒たちの様子を見た相澤は、そろそろ雄英に戻るためタクシーを手配しようと考えていた。
そんな時。
「もうやめてぇぇぇぇぇええええええ!!!!!」
ガラスを震わす、外からの悲鳴。それは1年A組でよく聞く声——芦戸三奈のものだった。しかし、明るいムードメーカーである彼女に似つかわしくない、金切り声のような悲鳴である。
一も二もなく相澤は病院を飛び出す。
病院の前。1年A組の無事だった生徒たち、14人が揃っていた。恐らく、寝込んでいる耳郎や葉隠、八百万、緑谷の見舞いに来たのだろう。彼らの足下には購入したのであろう林檎などの果物が散乱している。それだけではない。幾人かは地に伏せ、地面は吐瀉物に塗れていた。
「何が——」
言い切る前に、気付く。
抱える感情に差はあれど、皆一様に目に涙を湛える生徒たちの視線の先。
そこには、相澤からは見知った艶やかな黒髪があった。首から下、背中側は白い布に覆われており、また顔は生徒たちの方を向いているものの、相澤は確信する。間違いない。
「蛙吹……?」
「ッ、先生……!」
生徒たちの、絶望した顔。
その顔から、彼女が今どんな状態なのかを、相澤は理解した。
しかし、生徒たちがこの状態である中。自分が目を逸らすわけにはいかない。
相澤は、萎えそうな足を無理やり動かして、それの目の前に回り込んだ。
◆
「作品を公開するなら今だよ、龍之介」
暗闇の中。オール・フォー・ワンが龍之介に語りかける。
「ええ? でもよ旦那ァ。弔っちは公開は待てって言ってたよ?」
「大丈夫さ。弔は私の教え子なんだ。それに、彼も分かっているはずだよ。今が最も、ヒーローたちにダメージを与えられるタイミングだとね」
「って言うと?」
「度重なる失態。雄英の信用は地に堕ちている。加えて、二人目の行方不明者が出ている状態だ。そんなタイミングで、行方不明になった生徒がキミの作品になっているところ見た市民たちは……何を思うだろうね?」
顔のない男は、顔面に唯一残った口元を、三日月のように吊り上げた。
◆
相澤がそれを目撃する数分前。
芦戸ら1年A組の生徒たちは、病院の前を揃って歩いていた。
怪我をした生徒たちの見舞いのため、近場でフルーツを買ってきたところだった。
「皆まだ目ェ覚さないみたいだな」
「心配だね……」
「だ、大丈夫だって。リカバリーガールだって来てくれたじゃんか!」
「緑谷は何回治癒されても苦しんでるみたいだけどな」
「うおォい! せっかくフォローしてんだから冷静な意見を述べてくれるな轟!」
「悪ィ」
なんとか場を繋ごうとするムードメーカーの切島、上鳴だったが、やはり昨日の今日では彼らの弁舌にもキレがない。
それでも話を止めようとしないのは、彼ら自身何か話していないと落ち込みそうになるからだった。特に切島は、爆豪と対等に関係を培っていたこともあり、襲撃時に何もできなかったことについて、大きな後悔を抱えていた。
そんな中——
「ん……?」
「なんだなんだ?」
病院の前が、何やら騒がしい。
病院側から、走ってこちらに移動してくる市民すらいる。一体何があったのだろうか。
「おい、君たちも早く逃げろ! ヴィランだ!」
逃げる市民たちの内一人は、勇敢にも逃げる途中で立ち尽くす生徒らに声をかける。しかし、その内容は一部の生徒にとっては逆効果だった。
「ヴィラン……!」
「行こう!」
逃げる市民らの反対方向、つまり病院側に向かおうと、切島は提案する。
「待て、行って俺たちに何が出来るって言うんだ!」
「連合のヴィランだったら、爆豪や蛙吹について何か聞き出せるかもしれねえだろ!」
「危険だ!」
保須の件もあり、敵への対応に慎重になる飯田は、逸る切島を叱責する。しかし、敵連合による襲撃で、蛙吹に続き爆豪まで行方不明となっている現状は、生徒たちに焦りをもたらしていた。
「飯田、現状把握は必要だろ。先生たちも病院に来てるだろうし、いざとなったらおまえが先生を呼びに行くべきだ」
「むぅ……!」
轟の言うことも一理ある——そう錯覚してしまう程度には、飯田も今回の襲撃で大きな悔恨を残していた。
結局、A組の生徒ら14人は揃ってヴィランが出たという地点まで、隠れながら移動する。
しかして、人々が避難する流れに逆らって移動した先、そこには敵連合の『黒霧』がいた。
「あいつは、連合のワープ野郎!」
「チャンスだ。あいつさえ抑えちまえば、連合の機動力は激減する。なんなら、蛙吹や爆豪の居場所まで案内させられるかもしれねぇ」
「待つんだ! 個性を他人を傷付けるために使うのは、明確な規則違反だ。俺たちはそれをよく分かっているだろう!?」
黒霧を取り押さえようとする切島、轟を止めようとする飯田は、歯痒い思いを抑えられずにいた。爆豪と蛙吹が心配なのはよく分かる。轟に至っては、目の前で爆豪の入った『球』を奪われた。あとほんの僅か届けば爆豪を攫われずに済んだ、というのも聞いた。しかし、それで個性で敵を攻撃するようでは、以前の自分と同じだ。
議論は平行線を辿る。が、そうこうしている内に、黒霧は何やら白い布に覆われたものをワープさせ、病院の目の前に置いた。
「なんだありゃ……?」
「モタモタしてると逃げられちまうよ。俺が行って、ちょっと痺れさせりゃそれでお終いだって」
「だから、個性での攻撃は法に反していると……!」
「言ってる場合かよ!」
飯田の忠告を聞かないまま、上鳴と切島の二人はこっそりと近付こうとする。しかし、黒霧は目的を果たしたとばかりにその場からワープで移動していってしまう。
二人は舌打ちするも、飯田はクラスメイトが自分と同じ過ちを犯す機会を失ったことに安堵した。が、それも長くは続かない。
「待て、何か置いて行ったぞ」
「ま、まさか爆弾とかじゃねえよな……?」
尾白の言葉に、嫌な予想を被せる峰田だが、彼の想定もあり得なくはない。寧ろ、黒霧が素早く離れたのがその予想の信憑性を上げている。
ワープを用いての爆破テロ。考えたくない可能性だ。ただし、今回はその予想は外れていた。……幸か不幸か。
はら、と白い布が風で僅かに捲れる。そこから見えたのは——見知ったクラスメイトの顔。
「梅雨ちゃん!!!」
叫び、走ったのは麗日だった。
行方不明となった蛙吹と特に仲が良かった女子生徒であり、彼女のことをずっと心配していた。だからこそ、彼女の顔が見えた瞬間、足が勝手に動いていた。転びそうになりながら、蛙吹の前に辿り着く。
遅れて、A組の生徒たちも走ってくる。目に光のない、蛙吹の目の前まで。
そして、全員が揃った時。見計らったかのようなタイミングで、風が吹いた。
蛙吹の姿が、生徒たちの前に露わになる。
「え?」
生気のない顔から、視線を下ろしたその先。彼女の体は、衣服を纏っていなかった。本来なら峰田が大興奮するような状況のはずが、彼は顔を青くするばかり。
なぜなら、彼女の素肌……胸元のあたりの真ん中から下腹部までの肉が、切り開かれていたからだ。
血が出てないのは、血液を抜かれているからか、あるいはそういう『個性』により施された作用か。ともかく、ぱかりと真ん中から開かれた彼女の腹の中にはあるはずのものがない。内臓という内臓、そのほぼ全てが抜き取られた、伽藍堂がそこにはあった。
そして、彼女の足下にはガラスのショーケースが置かれている。その中には臓器たちが、宝石を自慢するかのように、それは丁寧に保存されていた。
「あ、ああ……」
「う、げえええっ」
誰かが膝を突き、地面に吐瀉物をぶち撒ける。
「梅雨、ちゃん」
ふらふらと。
どうしたらいいかも分からないまま、麗日が蛙吹だったものに縋りつく。そして、彼女は目にする。これを作り出したものの、悪辣極まる思想が表れたそれを。
「これ……」
あまりの衝撃から、蛙吹の臓腑を直視できていなかった。が、よくよく見れば、彼女の臓腑の前には、何やらプレートが置かれている。麗日の様子を見て、駆け寄った他の生徒たちも、それを確認する。
『心臓』
『肝臓』
『胃』
『肺』
『小腸』
『大腸』
他にも、さまざまな臓器に対しまるで教材であるかのように臓器の名称が刻まれたプレートが添えられている。
それを見て、ピンと来ない者の方が多かったが、麗日を始め、何人かの生徒は『その授業内容』を知識として知っていたからか、理解する。
これは——『カエルの解剖』だ。
主に中学校などで行われていた、両生類の生態を理解するため、蛙の体にメスを入れて観察する行為。『個性』の発展により異形型の存在が増えたこともあり、現在は中学校の授業としては廃止されている。が、過去長らく学校の授業で扱われてきた内容である。
「ふざッ……!」
麗日が、ふざけるな、と叫び出しそうになる。それを思い止まったのは、単に自らが叫ぶことで、人が集まることを……辱められた蛙吹がこれ以上に衆目に晒されることを恐れたからに他ならない。
まるで実験動物の扱い。いや、これは実験の模倣でしかないため、なお悪い。蛙吹を人間として見ていないかのような扱いだ。どこまで蛙吹の尊厳を踏みにじれば気が済むのか。蛙吹の『個性』に因んだつもりなのかもしれないが、悪辣が過ぎる。
「ひ、酷い……酷過ぎる……」
「なんなんだよ……誰なんだよ、これをやったのは!!!」
泣き崩れる者、義憤に駆られる者、あまりのことに嘔吐する者、そして現実を受け入れられない者。生徒たちの反応はそれぞれだった。
中でも、USJ襲撃、体育祭騎馬戦と蛙吹と関わりの深かった峰田は、自分がどう立っているかも曖昧なまま、彼女に歩み寄る。そして、まだ残されているソレに気が付いた。
彼女の腰辺りに、何やら文字が書かれている。
『押してみてね! 梅雨ちゃんが元気に
文字の先に矢印が出ており、その先は彼女の脇腹、サインペンで印が付けられた箇所を指している。
「なんだよ……これ……」
押したら元気になる? この、腹を掻っ捌かれた、明らかに死んでいるような状態から?
そんなわけがない。原理としても、敵が仕掛けたものということを鑑みても、これが罠だということは明白だ。
しかし、峰田はその印に手を伸ばしていた。
「やめろ、峰田」
その手を止めたのは、障子だった。峰田と同じく体育祭の騎馬戦で蛙吹と組んだ彼は、彼女に行われた仕打ちに怒りを蓄えつつも、この文字が罠だと冷静に看破していた。
そして、峰田の感情も理解できていた。
「蛙吹に元気になってほしいのは分かる。しかし、これは明らかに罠だ」
全くもって正しい意見だった。蛙吹が元気になる、それが敵の甘言であることは明らかで、しかも、押したことでさらに何かが起こる可能性すらある。たとえば、これが爆弾の起爆スイッチでない保証はどこにもない。
だから、止める。それがヒーローとしての正しい行いだと信じて。
「……ってるよ」
「峰田……?」
「そんなの、分かってるよ!!」
だが。誰もが障子ほど強いわけではない。
「罠だろうよ!! こんな、こんな真似するヤツが都合よく元に戻る仕掛けなんて残してるわけないって、オイラだって分かってんだよ!! でも、でもよぉ……」
峰田は、その小さな体で、頼りない膂力で、障子の太腿に力なく拳を振るう。
「このままなんて、あんまりにも蛙吹が可哀想だろぉ……」
滂沱の涙を流しながらの彼の弱々しい拳に、思わず障子は目を閉じる。
峰田とて、これが罠だと言うことは分かり切っている。が、万が一、いや億が一、この文字が本当だったなら——そういう、あり得ない可能性に縋らなければ、とても精神を保てない。
それほど、高校一年生には重すぎる、残酷すぎる仕打ちだった。
「分かった。だが、何が起こるか分からない。俺の『複製腕』で押す、それが条件だ」
爆発したとして、障子の個性により複製された腕ならば被害は最小限に抑えられる。峰田は、泣き腫らした顔を乱暴に拭って頷いた。
「……危ねぇぞ、障子。いざとなったら、俺が凍らせる」
「ああ。すまない、轟」
爆発やガスの類いだったとして、轟の凍結能力なら対処可能だ。彼の協力も得て、障子は少し息を吸い込み、意を決して蛙吹の脇腹、その印を押した。
ぐに、と死後硬直が感じられない肌の反発を複製腕の先に感じる。そして——印から伝播して、蛙吹の肉体が蠕動を始める。警戒してすぐに退がった障子と轟だったが、想定したような爆発などはない。
代わりに。
「ぁ……」
か細い声が聞こえる。
その発生源は、目の前の『変えられた』少女、蛙吹の喉からのものだった。
「まさか——」
「蛙吹ィ!!」
本当に、復活した?
障子がそう錯覚したのも無理はない。いや、障子だけではない。A組の生徒たちは皆、一縷の望みが叶ったと
しかし。彼女の口から響くのは、希望などでは断じてない。
「かぁ……え……るぅ……の……歌……がぁ……」
授業中などで何度も聞き覚えのある、しかし感情の乗らない声で。
「き……こぉ……え……てぇ……くぅ……る……よ……」
当然、蛙吹が蘇ったわけではない。要するに、これは、個性で無理やり声帯を動かしているだけの、ただ音が
わなわなと、常闇や障子たち冷静に振る舞おうとした生徒たちでさえ、怒りで震える。
「どこまで……どこまで蛙吹を貶める……!!」
蛙吹だけではない。いや、彼女が最も冒涜されているには違いないが、彼女を助けたい一心で、一縷の希望に縋った峰田や障子の思いさえ、砂をかけた上で踏み躙るような行いだ。
「これって……『かえるの合唱』——」
「もうやめてぇぇぇぇぇええええええ!!!!!」
誰がが曲の名前を呟いた時、ついに精神の限界を迎えた芦戸は、耳を塞ぎ、体を丸めて地面に突っ伏した。
聞きたくない。聞きたくない。聴きたくない。
蛙吹の姿を見た時点で、芦戸は絶望していた。つい先日まで笑い合っていた彼女が、こんな痛ましい姿になっているだなんて。常に心配はしていたが、それは無事かどうかという部分だけで、このような所業が行われているなど少しも考えはしなかった。
そして、ある種非現実的な、個性によって引き起こされた目の前の惨事を受け入れられず、今の今まで耐えているかに見えていただけに過ぎない。
それが、悪魔のような『個性』の使い方によって、蛙吹の声を聴かせられたことで、現実がじわじわと彼女の心に追い付いたのだ。
絶望は伝播する。
芦戸の精神の崩壊をきっかけに、他の生徒たちも地面に伏せるか、あるいは怒りから叫び出し、泣き、気を失い。
阿鼻叫喚の地獄が、そこにはあった。
「蛙吹……?」
「ッ、先生……!」
そこに、彼らの担任である相澤が、遅ればせながらやってくる。
芦戸の悲鳴を聞いて、全速力でやってきたようだ。肩で息をしている。彼は生徒たちの顔付きから、蛙吹が無事でないこと
意を決した相澤は、蛙吹だったそれの目の前に回り込み、そして、見た。
教え子のオブジェを。
「あ、すい……」
精神的に追い詰められていた相澤は、
それを見て、脳髄が起こったことを理解した瞬間、膝を折った。
ほんとは一昨日くらいに書き上がってたんですが、JASRACのサイトがメンテ中で投稿できませんでした