TS転生者はヤンデレなんかになったりしない   作:しが

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TS転生者はヤンデレなんかになったりしない

…ヤンデレ

 

サブカルチャーの普及した現代においてそう珍しくない属性となったそれは現実にいたらどんな感じなのだろうか。遥かに迷惑なんだろうか、危害を加えてくるならそれはヤンデレではなくメンヘラなんじゃないんだろうか。包丁持ち出してくるタイプはヤンデレというよりメンヘラと思う。

 

ただ、言えるのはオレは…ヤンデレなんかになる可能性は0%ということだけだ。

 

 

───

 

 

転生したら普通に平成の日本だった件。

 

そんなクソつまらないラノベのタイトルのような経験をしたことのある人間はそう多くはないだろう。ていうかオレ以外にいてたまるか。

 

前世の記憶はそんなに多く覚えてない。確かに言えるのは前世は男子中学生だったことと亡くなったのはそのくらいってこと。記憶は虫食い状態で前世のことは思い出せないしまぁ別になくてもいいかなって思ってる。

 

記憶はどうでもいいが問題は一つあった。性自認の問題だ。皮肉にも男であったという自意識だけはやたら鮮明と克明と刻まれていた。なんで…?

 

それで何が困るんだと言ったらそれは今世におけるオレの性別においての問題がアリアリアリまくりである。ここまで言えば語るまでもない。オレは今世では男ではない。

 

女である。フィメールである。オナゴである。メスである。何度も言うが女である。何でやねん。そこは男でよかったろ。

 

 

とはいったがそう言えば生まれる時の確率って50%なんだから結構ギャンブルなんだなとそう思ってしまうのでした。しょうがないね。

 

さて、我が名前を教えてみるとしよう。我が今世における名前は南雲遥(なぐもはるか)という。名前はもうある。

 

現在高校進学を控えたピチピチの15歳。それが現在のオレを表す端的な言葉だった。

 

そんな今世のオレには竹馬の友がいる。

名をば笠桐勇斗(かさぎりゆうと)と言う。

オレの家の隣に住んでる、いわゆる幼馴染ってやつだ。

顔はまぁ整ってるほうだし、背も高い。性格も温厚で、女子から見れば「頼れる優男」ってカテゴリに分類されるタイプ。

でも本人にまるで自覚がないのが厄介極まりない。 

ちなみにいい人ではあるんだけどねとモテない。憐れ。

 

その癖、人のことはやたらとよく見てて、何かあるとすぐに察してくる。ちょっとキモい(褒めてない)。

 

割と小さい時から一緒に過ごしてきてるので今世の親友ってところだ。男女差異はあるがもっとも気の合う友であると自信をもって言えるだろう。さてさて、そんな春休みも中盤を迎えた頃。我はそんな幼馴染殿とゲームをしていた。

 

────

 

 春休みの午後、南雲遥の部屋には、カチカチとコントローラーを叩く音と、時おり上がる勝利の雄叫びが交互に響いていた。

 

「よっしゃ! 今の完璧だったろ!」

 

「……ふっざけんな、今の見たか? こっちの必殺技が先に光ってたって」

 

 テレビの画面では、選んだキャラ同士がド派手なエフェクトで撃ち合い、勝敗が決まるたびに二人の声が上がる。

 

「完全にオレの読み勝ちなんだよなー。センスの違いってやつ?」

 

「いや、運な。全部運。お前ってだいたい、勢いで何とかしてるタイプだし」

 

「どこがだよ。戦術、ちゃんと組んでんだよ。相手の思考を読み切って……って、やべ、また負けた」

 

 遥が背中をのけぞらせ、勇斗は無言でガッツポーズを掲げた。

 勝敗のBGMが鳴るなか、二人は缶ジュースに手を伸ばし、同時にプシュッと開ける。

 

「お前とゲームしてるとさ、なんか時間の感覚狂うわ。気づいたら三時間とか普通に経ってるよな」

 

「それな。オレとじゃなきゃそんな長く遊んでらんねぇだろ」

 

「うん、否定はしない。気楽だし」

 

 勇斗は缶を傾けながら、小さく笑った。遥もその横顔を見てフッと鼻を鳴らす。

 

「お前、明らかにこのキャラ使うときだけ強くね? 愛着ありすぎだろ」

 

「俺の嫁キャラだからな」

 

「キモッ。いや、オレもその気持ちはわからんでもないけどな。格ゲーのメインキャラってもう一種の分身だろ。こいつで戦えば無敵みたいな。背負ってるものが違うっつーか」

 

「わかってんじゃん」

 

「オレはプロ意識高いからな」

 

 しばらくはそんなくだらないやり取りが続いた。ゲームの中の勝ち負けに一喜一憂しながら、気づけば部屋の空気も少しだけ暖まっていた。

 

 勇斗がふと口を止めたのは、ロード画面が長く感じられた一瞬だった。

 

「なあ、遥」

 

「ん?」

 

「高校入ったら、彼女ほしいなって最近思っててさ」

 

 その言葉に、遥の動きがふっと止まる。

 コントローラーのボタンにかかっていた親指が、わずかに空を切った。

 

「……へぇ、勇斗ってそういうの興味なかったのかと思ってた」

 

 声の調子がそれまでとは違っていた。

 さっきまでゲームの勝ち負けで浮かれていた時の、粗雑で軽い響きではない。

 そして、それに続く言葉が、決定的に空気を変えた。

 

「わたし、ずっとそう思ってたから。恋愛とか、お前にとってはどうでもいいもんだと思ってた」

 

 勇斗が遥を見る。

 声は静かで、整っていて、感情を抑えるような硬さがあった。

 

「いや……まぁ、ずっとはそうだったけどさ。最近なんとなく、って感じで」

 

「なんとなく?」

 

「うん、別に誰ってわけじゃないけど。付き合ってるやつとか増えてくるだろうし、ちょっとは経験してみてもいいのかなって」

 

「……そう」

 

 遥の返事は短く、どこか冷たかった。

 けれど、その表情は真正面から画面を見据えたままで、微動だにしなかった。

 

「彼女ほしいんだ?」

 

「そ、そう言うとなんか語弊あるけど……」

 

「じゃあ、今気になってる子とかいるの?」

 

「いや、そういうのじゃなくて……」

 

「ふぅん」

 

 短い声の抑揚にも温度がなかった。

 勇斗は笑うタイミングを逃したように口を噤み、手元のコントローラーを握り直す。

 

「……なんか、雰囲気変わった?」

 

「別に」

 

「いや、ちょっと前までテンション高かったのに、急に落ち着いたというか……」

 

「ゲームに集中してるだけ」

 

 返す言葉は整っていたが、そこにあった柔らかさは不自然なほど削ぎ落とされていた。

 勇斗が目を細める。遥は視線をそらさず、画面を睨んだまま。

 

 次の試合が始まっても、ふたりの口から軽口は出なかった。

 対戦中のキャラの掛け合いがやたら空々しく、部屋の空気に馴染まない。

 

 結果は遥の勝ちだったが、勝ち名乗りの音も、勝者の喜びも、いつものようには響かなかった。

 

 試合終了のファンファーレが鳴っても、室内は妙に静まり返っていた。

 

 画面のリザルトが切り替わり、スコアと勝敗が表示される。

 それでも、どちらも特に何も言わないまま、ほんの数秒の空白が流れた。

 

「……仮にさ」

 

 沈黙を破ったのは遥だった。

 口調は、いつもの軽口混じりの調子に戻っている。語尾も雑で、テンポも自然だった。

 

「仮に彼女できたら、お前は何したいんだよ」

 

 勇斗は一瞬だけきょとんとした顔をしたが、すぐに笑った。

 

「うわ、なんか聞き方が小学生みたい」

 

「うっせ。ほら、語れよ。妄想でもいいからよ」

 

「妄想って……まぁ、でもあるっちゃあるな」

 

 勇斗は照れたように頬をかきながら、コントローラーを机に置いた。

 顔を横に向け、わずかに視線を逸らしながら話し始める。

 

「やっぱさ、放課後に一緒に帰ったりとか、手つないで歩いたりとか、普通にしたいよな」

 

「ほう」

 

「あと映画館とか行って、くだらないホラー観て、帰り道に怖かったフリしてもらうとか、ああいうのいいなって思う。あ、誕生日にサプライズするとかもやってみたい」

 

「意外とロマンチストだな」

 

「いやいや、これ普通でしょ。俺だってちゃんと青春したいんだって」

 

 勇斗はどこか楽しそうに喋っていた。

 少しずつ熱が入ってきて、語るうちに声のトーンも明るくなる。

 遥の方を向き、にこにこと話すその姿には、心底「憧れ」の色があった。

 

 遥はそれを、黙って聞いていた。

 

 そして、彼が一息ついたタイミングで、そっと言葉を挟んだ。

 

「じゃあさ、彼女ができたら──」

 

 声の調子が、また静かに変わった。

 明るさも、軽さも、どこかへ消えていた。

 

「わたしとは、こんなふうには遊べないね」

 

 勇斗の表情が、ぴたりと止まる。

 それまで嬉しそうだった目が、一瞬で揺らぎ、動きを失った。

 

 遥はもう笑っていなかった。

 目線も落ち着いていて、声も穏やかで、なのにその言葉だけが異様に冷たかった。

 

「そりゃ……まあ、そう、だよな」

 

 勇斗が返した言葉は、苦しげな照れ笑いに隠されていた。

 当たり前のことのように、自然な流れとして。

 恋人ができたら、今の距離は保てなくなる。そういう関係ではなくなる。

 勇斗はそれを、正解だと思ったのだろう。

 

 でも──遥には、それが耐え難い正解だった。

 

 

 ──赦せない。

 

 

 あんな顔で、誰かの話をして。

 楽しそうに、未来を語って。

 その中に、わたしの名前は一つもなかった。

 

 わたしと笑って、わたしとゲームして、わたしと喧嘩して、

 そんな毎日を何年も過ごしてきたくせに。

 

 仮の話だと分かっていても。

 本当にそうなったら、わたしの居場所がなくなるなんて──

 

 赦せない。そんなの、認められるわけない。

 

 

「……なあ、遥」

 

 勇斗が不安げに声をかける。

 遥は何も言わずに立ち上がり、部屋の窓の方を向いた。

 カーテンが微かに揺れている。外の光が柔らかく差し込んでいた。

 

「あ、なんだよオレに言いたいことあるのか?」

 

「…いや、なんでもない」

 

────

 南雲遥はベッドに仰向けになりながら、スマホをスピーカーモードにして枕元に置いている。

 布団にくるまりつつ、どこか気だるげな声で、麻川綾子との会話を続けていた。

 

麻川綾子──遥と勇斗と3年間中学で同じクラスだった少女だ。何の因果か、高校も同じであり遥にとって勇斗とは別ベクトルで気安い友人だ。

 

 

『ねー遥、高校生活ってどうなるんだろうね。クラス替え、制服、通学路、青春、恋、運命』

 

「後半が妙に重いんだよ。オレの高校生活にそんな劇的展開は起きねぇから安心しろ」

 

『うーん、遥ってほんと変わんないよね〜。もうちょっとワクワクしようよ』

 

「いやいや、ワクワクってお前……。変に期待する方がつらいぞ。入ってみたら意外と何もなかったってのが現実だからな」

 

『夢なさすぎ』

 

 スマホ越しの綾子の声は軽やかで、特に内容に意味があるわけでもない。けれど、こういう無意味なやりとりが、遥にとっては心地よかった。

 

『でもさぁ、クラスの男子ってどんな感じかなぁ。イケメンとかいたら、女子たちザワつきそうじゃない?』

 

「見た目で騒ぐのバカらしいって思ってるやつがここにいるぞ」

 

『そう言う遥も、意外と他人の顔はちゃんと見てるよね』

 

「見るには見るけど、評価基準が違ぇんだよ。中身がクズだったら顔が整ってようがカスだろ」

 

『出た、いつもの毒舌』

 

「事実だからな。人間、顔より言動だっつーの」

 

『じゃあ、笠桐くんってどう?』

 

「……は?」

 

『イケメンで優しくて頭も悪くない。しかもあの落ち着いた雰囲気。正直、入学したての女子には人気出そうな気がするけど?』

 

「いやいやいや、それはないって」

 

 遥の声が、唐突に強くなった。

 綾子が少し驚いたように黙ると、遥は続けざまにまくし立てた。

 

「まず、あいつ自分がどう見られてるかの自覚がなさすぎる。距離感バグってるし、誰とでも同じテンションで喋るし、女子からしたら“勘違い”しか生まれねぇタイプ」

 

『ふむふむ』

 

「それに、あいつの優しさって“人畜無害”なだけで、本当の意味で人に踏み込まないから。誰にでも優しいけど、裏を返せば誰にも特別感ないんだよ」

 

『ふむふむ?』

 

「顔はまぁ、整ってるかもしんないけど、目が冷たいだろ。あれ、笑ってるようで笑ってねぇし。女子からしたら近づきづらいっつーの」

 

『分析ガチじゃん』

 

「あと中身、あれ結構面倒だからな? 一度こうだって決めたら頑固だし、自分の価値観をちょっと疑うとかしねぇし。喧嘩したら絶対折れねぇぞ。付き合ったら大変だわ」

 

『へぇ〜……』

 

「……わたし、勇斗がモテるとか、本気でないと思う」

 

 そこまで言い切って、遥はふと口を閉じた。

 綾子は何も言わない。ただ、小さく息を吐く音がスマホ越しに聞こえた。

 

 それでも、遥に対するツッコミは一切入らなかった。

 どれだけ一人で熱く語っても、どれだけ言葉の調子が変わっても、綾子はまるで何も聞かなかったかのように穏やかに話を続ける。

 

『まぁ、確かに笠桐くんって変に誤解されやすそうだよね。あの距離感でフラットに接されたら、女子もいろいろ期待しちゃいそう』

 

「……だからそれが問題なんだって」

 

『遥はそういうのちゃんと見えてるからすごいよ。あたし、そこまで気づかなかった』

 

「長い付き合いだから、いやでも目につくっつーの。アイツのああいうとこ見てると、なんかムズムズすんだよ」

 

『ふふ』

 

「……何わらってんだよ」

 

『なんでもない。あんたがそう言うなら、きっとそうなんだろうなって思って』

 

「そうだよ。間違いねぇって」

 

『うん、じゃあそういうことにしとく』

 

 会話は、そこでようやく落ち着いた。

 遥が布団を被り直すと、スマホ越しに綾子がさらりと話題を変える。

 

『あ、そうだそうだ。話変わるけどさ──』

 

 綾子の声が、ふいに軽く跳ねた。

 

『笠桐くん、あたし狙っちゃおうかな〜?』

 

 軽口とも冗談ともつかないトーンだった。けれど、遥の手が布団の中でぴたりと止まる。

 

 数秒の沈黙。

 そして──

 

「……綾子も、わたしから勇斗を奪おうとするの?」

 

 その呟きは、あまりにも静かで、息を飲むような響きがあった。

 スマホ越しの綾子も、一瞬だけ黙る。

 

 遥は、それ以上何も言わなかった。

 けれど、胸の内では確かに──叫ぶような声が渦を巻いていた。

 

 

 

 ──赦せない。

 

 たとえ、それが綾子でも。

 

 冗談でも、笑い話でも、それを言っていい相手と、そうじゃない相手がいる。

 

 わたしがどれだけ勇斗を見ているか、知っていてその名前を口にしたのなら。

 ほんの遊びでも、その手を伸ばすのなら。

 

 ……笑えない。

 

 冗談でも、口にしていいことと悪いことがある。

 勇斗は、わたしの──

 

 

 

『あはは、冗談冗談。そんな怖い声出さないでよ』

 

 綾子が、いつもの調子で笑った。

 まるで何事もなかったかのように、さらりと。

 

『あんたがそんな反応するなんて思わなかったな〜。でも、やっぱ笠桐くんの話になると面白いよね、遥』

 

「……は? なに言ってんだよ、バカか」

 

 遥の声は、先ほどの呟きとは別人のように、わざとらしいほどの平坦さに戻っていた。

 けれど、寝返りを打った遥の目元は、見えない誰かを睨みつけるように細められていた。

 

 

────

 

そして時は流れて入学式──クラスでは見事に綾子も勇斗もクラスメイトだった。

 

 入学式が終わったばかりの午後。

 春の陽射しが窓から差し込み、教室には新しい制服の匂いと、まだぎこちない会話のざわめきが漂っていた。

 

 そんな中、南雲遥は自分の席に腰掛けながら、目の前で楽しげに話す二人を眺めていた。

 

「まさかまた同じクラスになるとはね〜。奇跡すぎて怖いわ」

 

 綾子が机に頬杖をつきながら笑う。

 その隣で勇斗はやや照れたように頷いた。

 

「ほんと、よかったよ。正直、知ってる顔がいてホッとした」

 

「ふふっ、笠桐くんがそんなこと言うとレア感あるわ」

 

「……なんだよそれ」

 

 遥はその様子を見ながら、口元を少し緩めた。

 椅子をくるっと回して、二人の方を向く。

 

「オレも正直助かったぞ。つーか三人で一緒って、運命かよ」

 

「もう三馬鹿トリオ結成って感じだよね」

 

「誰が馬鹿だ、コラ」

 

 笑いが生まれる。

 教室の中でも浮きすぎず、沈みすぎないこの会話の温度が、遥にとってはちょうどよかった。

 

「でさ、部活どうすんの? 二人とももう決めてる?」

 

「あたしは帰宅部でのんびりしよっかな〜って思ってたけど、雰囲気見てから決めるかも」

 

「俺もまだ迷ってる。運動部もいいけど、兼部できそうな軽いのでもいいかなって」

 

「オレは……まぁ、とりあえず見学してから、だな」

 

 自然に続く会話。

 新しいクラスでも、こうして変わらず言葉を交わせることに、三人はそれぞれほっとしていた。

 

 ──だが、その和やかな空気に、不意に割り込んでくる声があった。

 

「ねぇねぇ、笠桐くんだよね?」

 

 数人の女子が、机を囲むようにして歩み寄ってきた。

 その中央に立つのは、髪もネイルも入学早々手入れが行き届いている“いかにも”なタイプ。

 周囲の空気を支配するような堂々とした笑みを浮かべていた。

 

「自己紹介で聞いて、気になってたんだ。中学どこだったの? 部活とか何かやってた?」

 

「えっ、あ……いや、特には……」

 

 戸惑ったように返す勇斗に、女子たちは楽しげに笑い合う。

 質問というより“囲い込み”に近いその空気が、周囲にもじわじわと波紋を広げていた。

 

 遥はその様子を、無言で見ていた。

 そして、椅子を軽く引いて立ち上がると、穏やかな笑みを浮かべたまま、机越しに彼女たちへと声をかける。

 

「すみません。今、勇斗はわたしたちと話しているので、後にしていただけますか?」

 

 声は柔らかく、笑顔も丁寧だった。

 けれどその眼差しには、何の揺らぎもなかった。

 

 それはただの挨拶ではなく、明確な“遮断”だった。

 しかも“笠桐くん”ではなく“勇斗”と呼び捨てにされたことで、その意味を彼女たちもすぐに察した。

 

 一瞬だけ間が空いた。

 そして、女子たちは作り笑いを浮かべながら、ひとまず引き下がった。

 

「そっか〜、ごめんね。また今度ね、笠桐くん」

 

「……う、うん」

 

 彼女たちが去っていくと、勇斗はどこか気まずそうに頭をかいた。

 

「なんか、悪かったな。いきなり来られて、びっくりした」

 

「別に気にしてないよ。ね、遥?」

 

 綾子が茶化すように言うと、遥は再び笑みを浮かべて椅子に腰を下ろした。

 

「気にすることないよ、勇斗。そういう子たちとは、最初から住む世界が違うだけだから」

 

 柔らかく、しかし否応なく線を引くような口ぶりだった。

 勇斗は小さく笑って、「そっか」とだけ返す。

 

 教室の空気は、何事もなかったかのように再びざわめきに満ちていく。

 けれど、遥の微笑みの奥にある何かを、綾子だけはしっかりと見ていた。

 

 

────

 

 放課後。

 春の夕日が傾き始める頃、遥の部屋には、カチカチというボタンの音とゲームBGMが響いていた。

 

「やっべ、担任のやつ、ガチの体育会系じゃねぇか。朝からあの声量はやべぇだろ」

 

「まあまあ、元気あっていいじゃん。嫌いじゃないけどな、ああいうの」

 

「お前ほんとそういうとこあるよな。いい奴フィルターすぐ発動するだろ」

 

「いや、初日くらいはいいとこ探していこうぜ?」

 

 ゲームの画面では対戦中のキャラが派手にぶつかり合っていたが、内容の割にふたりの会話はゆるく、軽かった。

 遅れて入ってきたばかりの新しい環境を、緊張よりも楽しさに変えられるのは、こうして一緒に笑い合える相手がいるからだろう。

 

「クラスメイトはどうだった? なんか話した?」

 

「まぁ、名前くらいな。隣の席の女子……狭山さんだっけ? あの子わりと喋りやすかったな」

 

 遥の指が、ふと止まった。

 けれどほんの一瞬のことで、すぐに何事もなかったかのように再開する。

 

「へぇ。お前、ああいう子がタイプなんだ?」

 

「え? いや、まだタイプとかじゃないけどさ。なんか雰囲気柔らかいっていうか、普通に話しやすくて」

 

「……ふーん」

 

 遥の返事は、妙にあっさりしていた。

 相槌ひとつに感情の起伏はなく、淡々とした調子で続ける。

 

「優しそうな子、好きだよなお前。わかりやすくていいわ」

 

「そんな言い方すんなって。別に好きとかじゃないし、まだ話しただけだし」

 

「うんうん。わかったわかった。よかったな、隣がそういう子で」

 

 その口調はどこまでも平坦で、意外なほど揺れがなかった。

 どこか線を引くような言い方だったが、勇斗はそれを深くは受け取らず、気まずそうに笑って「まぁな」とだけ返した。

 

 ゲームのBGMが、やけに耳に残った。

 

 テレビ画面の中では、キャラクターが華麗なコンボを繰り出していたが、遥はもう操作を止めていた。

 勇斗の指先だけが動いている。

 

 遅れて振り返った遥の顔には、さっきまでの冗談めいた軽さはなかった。

 けれど怒っているわけでも、機嫌を損ねた様子もない。

 ただ、静かに問いかけるような目をしていた。

 

「じゃあさ、勇斗」

 

 呼びかけに、勇斗がゲームの手を止めて顔を向ける。

 

「どんな女の子と付き合いたいの?」

 

 その声は柔らかく、穏やかだった。

 笑っているようにも聞こえるが、目は真っ直ぐだった。

 勇斗は、少しだけ驚いたような表情を見せた。

 

「え、なに急に」

 

「いや、ほら。さっき狭山さんの話してたじゃない。だから、なんとなく」

 

「んー……どんな、って言われると難しいけど……」

 

 勇斗は目を逸らし、天井の方に視線を向けながら、ぽつりと続けた。

 

「一緒にいて、落ち着く子がいいかな。……あんまり気を遣わなくて済む子。……なんか、自然体でいられるっていうか」

 

 遥は、それをじっと聞いていた。

 言葉の途中から、勇斗が少しずつ表情を曖昧にしていくのを見つめていた。

 

 そして、ふと笑う。

 

「……それって、わたしみたいな子?」

 

 勇斗の目が一瞬、遥を見て──ぴたりと止まった。

 

「えっ……いや、えっと、違……じゃなくて……いや、違うってわけじゃないけど」

 

 焦ったように言葉を濁す勇斗に、遥は特に追及することなく、ただ笑ったままでいる。

 その笑顔が、冗談なのか本気なのか、勇斗には判別できなかった。

 

「ありがと。参考になったよ」

 

「……な、なんの参考だよ」

 

「ん? なんでもないよ」

 

 遥はリモコンを手に取り、テレビの電源を切った。

 部屋がふっと静かになる。

 それでも空気には何かが残っていた。さっきまでとは違う何かが。

 

「そろそろ腹減ったか?食ってくだろ?」

 

「あ、うん……そうする、ご相伴に預かる」

 

 

──

 

 夕方、遥の家のキッチンには、包丁がリズミカルにまな板を叩く音が響いていた。

 

 換気扇の微かな唸りと、味噌汁の湯気が混ざり合うその空間には、日常のぬくもりがあった。

 遥はエプロンを身につけ、髪を無造作にひとまとめにして黙々と作業を進めている。

 

 フライパンでは生姜焼きの香ばしい匂いが立ちのぼり、隣の鍋ではほうれん草のおひたし用の湯が沸騰を始めていた。

 まるで普段の口調やガサツな態度からは想像もできない、手際の良さと丁寧な動き。

 

 ダイニングでは勇斗がテレビを眺めながら、気の抜けた声を上げる。

 

「今日、なんかやたらいい匂いするんだけど」

 

「そりゃ手抜きしてないからな。お前の分もあるし」

 

「やった。てかほんと、お前って料理になると人格変わるよな」

 

「人格じゃねぇよ。スキルだよスキル」

 

「はいはい、マスターシェフ様」

 

 軽口を叩きながらも、勇斗の表情にはどこか安心した色が滲んでいた。

 この風景は、もう何度目か分からないくらいに繰り返されてきたものだ。

 

 二人の家はどちらも共働きで、両親が夜まで帰ってこないことが多い。

 だからこそ、自然とどちらかの家で夕食を共にすることが増えたのだ。

 

「箸並べとけ。あとサラダ取り皿に分けといて」

 

「へいへい、仰せのままに」

 

 言いつつも、勇斗は慣れた様子で冷蔵庫からドレッシングを取り出し、テーブルに配置していく。

 やがて、皿に盛り付けられた生姜焼きと味噌汁、炊きたてのご飯が並び、食卓が完成した。

 

「いただきます」

 

 二人で手を合わせて、同時に箸を動かす。

 肉を一口噛んだ瞬間、勇斗の目がぱっと見開いた。

 

「……うまっ。これ、いつもよりなんかジューシーじゃね?」

 

「昨日の夜から漬け込んでたからな。あと隠し味にリンゴすり下ろしてる」

 

「手間かけすぎじゃない?」

 

「お前が食うからだろ」

 

 その言葉は、ふと口をついて出たもののようだった。

 言ってから、遥は一瞬だけ箸を止め、勇斗は頬を赤くしながら目をそらす。

 

 けれど、気まずくなるわけでもなく、次の瞬間にはまた味噌汁をすすっている。

 

 食卓には、それだけで安心できる沈黙があった。

 

 白いご飯が湯気を立て、生姜焼きの香りが部屋に漂う中、二人は黙々と箸を進めていた。

 テレビはついていたが、音は小さく、会話の邪魔にならない程度。夕食はほぼ毎回こうだった。

 

「マジでこれ、店出せるレベルじゃね?」

 

 勇斗が肉をもう一切れ口に放り込み、感心したように呟く。

 

「調子いいな。どうせ褒めときゃオカワリ出てくると思ってんだろ」

 

「思ってるけど、事実だし?」

 

 遥は呆れたように鼻で笑い、ちゃっちゃと自分の味噌汁を飲み干す。

 

「でもさ、ほんとに思うわ」

 

「なにがだよ」

 

「お前みたいに料理うまくて、気ぃ遣わなくて済むやつと結婚できたら、俺めっちゃ幸せになれそう」

 

 その言葉は、あくまで何気ない調子で放たれた。

 日常会話の延長線のように、特別な重みも感じさせずに。

 

 ──だが、遥の箸が止まる。

 

 目元がピクリと動き、無言で味噌汁のお椀に視線を落とす。

 

「……は?」

 

 少しだけ、声が裏返った。

 

「……いや、何? 今の」

 

 勇斗はきょとんとしている。

 

「え? 結婚してほしいなって話?」

 

「ばっ、バカかお前! そういうこと、気軽に言うな!」

 

 遥が思わず語気を強めると、勇斗は素直に驚いたように眉を上げた。

 

「いやいや、そんな本気で怒らなくても。冗談っていうか、ほら、いつもの調子で言っただけだって」

 

「だからそういう“いつもの調子”がダメなんだっての!」

 

 箸をテーブルに置き、遥は顔を赤らめたまま勇斗を睨む。

 けれど、その目には怒りよりも明らかな動揺の色が滲んでいた。

 

 勇斗はしばらくその顔を見ていたが、やがてふっと笑う。

 

「……でも、遥にしか言わないよ。そういうの」

 

 遥が一瞬、呼吸を忘れたように目を見開く。

 

「……っ、な……」

 

 言葉が詰まり、口元をぎゅっと引き結んだ。

 照れを隠すように視線を逸らしながら、声を絞り出す。

 

「……マジでそういうの、やめろよ。……変な空気になんだろ」

 

「ごめんごめん。……でも、ほんとの話だから」

 

 勇斗はお茶を飲みながら、あくまで自然体でそう言った。

 

 遥は何も返さず、黙ってご飯をひと口運んだ。

 耳まで赤く染めたまま、俯いたその横顔には、かすかに笑みが浮かんでいた。

 

 茶碗の中でご飯が残り少なくなり、味噌汁の湯気もやや落ち着いてきた頃。

 遥は何となく落ち着かない手つきで、おかずをつついていた。勇斗はすでに食べ終え、のんびりお茶を飲んでいる。

 

「……まぁ、胃袋掴んでる時点で、もうオレに骨抜きだな。お前は」

 

 遥はわざと気の抜けたような口調で言って、鼻で笑った。

 冗談混じりのいつもの調子──を、演じていた。

 

 勇斗は吹き出しそうになりながらも笑って返す。

 

「お前ほんと、そういうのだけは自信あるよな」

 

「当たり前だろ。毎日お前のために何作ってると思ってんだ」

 

 遥はそう言って、茶碗を置いた。

 少しだけ赤みの残った顔を、わざとそっぽを向けて誤魔化す。

 

 そして、何気ない仕草のまま、ふと考える。

 

 

 

 ──わたしのご飯を食べるってことは、わたしの中身が、わたしの匂いが、あいつの中に残るってことで。

 

 それはもう、どこぞの猫が縄張りにスリスリするようなもんだ。

 

 わたしの味覚で、わたしの調味で、わたしが仕込んだご飯をあいつが食べる。

 

 つまり、わたしの支配下ってことだよね。

 

 ふふ……だって実際、そうしてる。

 

 毎回ちょっとだけ、ほんの少し、わたしの指に付いた微量の血の跡とか、わざと洗わずに使ってる箸の先とか。

 

 本人は絶対気づかないレベルで、ほんのちょっとずつ──

 

 

 

「……遥?」

 

「ん、なに」

 

「いや、ちょっと怖い顔してた。大丈夫?」

 

「は? そんな顔してねぇよ」

 

 遥は急いで表情を整え、残っていた味噌汁を飲み干した。

 

「……食ったか?」

 

「うん。ありがとな、今日も」

 

「ったく、感謝するなら毎日言え。献立のプレッシャー舐めんな」

 

「はいはい、遥様。明日も期待してます」

 

「気が向いたらな」

 

 ふたりの間に、またいつもの調子が戻る。

 けれど、遥の目の奥には、ごく微かに揺れる光があった。

 

 

 

どんな女と話してもいいよ。優しくしてもいい。

 

 

 でも、わたしが食べさせたものが、勇斗の体の中を作ってる限り──その体は、心は、全部わたしのものなんだから。

 

 

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