TS転生者はヤンデレなんかになったりしない   作:しが

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TS転生者が親友と思ってる相手に独占欲を発揮するなんてあり得ない話だろ!

 土曜日の昼下がり。

 暖かい日差しが差し込むリビングで、南雲遥はスマホをいじりながら寝転がっていた。

 

 別にこれといって予定はない。

 かといって、ずっと家でゴロゴロしているのも性に合わない。

 かといって、ひとりで出かけるほどテンションも高くない。

 

 ──そんなとき、頼るのは決まっていた。

 

「……ん」

 

 スマホの画面を開く。

 連絡先リストの中から、指が迷いもなく「笠桐勇斗」の名前をタップする。

 

 数コールで応答があった。

 

『もしもし、遥? どした?』

 

「おう。今日、暇だろ」

 

『……まあ、暇だけど』

 

「じゃあ、買い物行こうぜ」

 

『……は? 急だな』

 

「いいだろ別に。暇なんだろ? オレも暇。だったら暇な者同士、潰し合うしかねぇじゃん」

 

『潰し合うって言うなよ……』

 

 電話口の向こうで、勇斗が苦笑しているのが想像できた。

 そのリアクションに、遥はにやりと口角を上げる。

 

「つーか、ちょうど欲しいもんあったんだよ。服とか。ついでにお前もなんか見ろよ」

 

『俺別に服に困ってないけど』

 

「いいから黙って付き合え。どうせ引きこもってるだけだろ」

 

『図星だけど……』

 

「じゃ、30分後にお前んち行くからな。準備終わってなかったら罰ゲームだからな」

 

 スマホの通話を切ってから三十分後。

 遥は軽くヘアゴムで髪をまとめ、財布とスマホをショルダーバッグに放り込みながら、スニーカーを履いた。

 

 軽やかに玄関を出ると、そのまま隣家へ向かう。

 チャイムを押すのも、今となっては当たり前の日常だった。

 

 ピンポーン、と乾いた音が鳴る。

 

 数秒後、勇斗が玄関から顔を出した。

 

「おう、来た」

 

 いつも通りに声をかける遥──のはずだったが、勇斗の目はほんの一瞬、遥の姿に引っかかった。

 

 ──あれ。

 

 遥はいつものようにラフな格好だった。

 だが、いつものように適当な男らしい雑な服ではない。インナーに着た白いブラウスがどこかふわりと柔らかく、

 脚に合わせたスニーカーもスリムで、どことなく女の子らしいバランスにまとまっている。

 

そして何よりシンプルながらのプリーツスカート。

 

 中学時代、あれだけ「スカートとか絶対ムリ」だの「制服ダルい」だの言っていた遥とは、微妙に雰囲気が違っていた。

 

 勇斗がじっと見ていることに気づいた遥が、眉をひそめた。

 

「……なに見てんだよ」

 

「いや……なんか、お前、今日……」

 

 言いかけて、勇斗は言葉を飲み込む。

 「なんか、女の子っぽい」──そんなこと、今さら本人に言えるわけがなかった。

 

「いや、別に。似合ってるなって」

 

 遥は一瞬ぽかんとし、それから妙に不機嫌そうにそっぽを向いた。

 

「そりゃオレだって、ちっとは考えるわ。バカにすんな」

 

「バカにはしてねぇよ」

 

 勇斗は苦笑しながら、家の鍵をポケットに突っ込む。

 遥は先にくるりと背を向け、手を振った。

 

「ほら、行くぞ。駅前、人混みになる前にな」

 

「はいはい」

 

 勇斗は遥の後ろ姿を追いながら、またふと思う。

 ──やっぱり、ちょっと、変わったよな。

 

 スニーカーで跳ねるように歩く後ろ姿は、昔と同じなのに、

 風に揺れるブラウスの裾や、さりげなくまとめた髪が、妙に目に焼きつく。

 

 そんなことを思っている自分に、勇斗自身が少し驚いていた。

 

───

 

 土曜日のショッピングモールは、昼過ぎを迎えて一層の賑わいを見せていた。

 人波に揉まれながら、南雲遥と笠桐勇斗は並んで歩いていた。

 

「混みすぎだろ、これ……」

 

「まあ、土曜だしな」

 

 互いにぼやきながら、目的地の玩具屋へと向かう。

 

 その途中。

 ふと、向かいから歩いてくる女性グループが視界に入った。

 

 露出の多いタンクトップにホットパンツ。

 健康的で派手なファッション。豊かな胸元と、鮮やかな笑顔。

 通路を行き交う男たちの目を自然と集めていた。

 

 勇斗も、無意識のうちにそちらに視線を向けてしまった。

 

 その瞬間、隣を歩いていた遥が、無言で肩を小突く。

 

「ジロジロ見てんじゃねぇよ、バカ」

 

 吐き捨てるような声。

 刺すような棘が混じった、いつもの軽口とは違う響きだった。

 

「……っ」

 

「痴漢になるぞ、訴えられてぇのか?」

 

 勇斗は慌てて視線を逸らしたが、遥はじとりとした目で睨みながら前を向いた。

 

「いや、見たわけじゃ──」

 

「言い訳すんな、バーカ」

 

 小さく吐き捨てたあと、遥はほんの僅かに肩を落とし、勇斗にだけ聞こえるような小さな声で呟いた。

 

「……どうせ、わたしは貧相ですよ」

 

 勇斗は聞き取ったが、どう返すべきか迷った。

 結果、曖昧な苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 遥はそれを見て、心の中で静かに、しかし確実に、黒い感情を滲ませた。

 

 

 

 ──他の女なんかに、目を向けるなんて。

 ──そんなの、許せるわけないじゃん。

 

 ──誰だって? どこの馬の骨だって?

 ──そんな知らないメスに、わたしの勇斗を、渡してたまるか。

 

 

 

 ──なのに、お前は、私を見てないの。

 

 

 

 無意識に唇を噛み締めながら、遥は前を向いて歩いた。

 少し早足になる。それでも、勇斗は何も気づかない。

 

 遥が拗ねていることにも、怒っていることにも、悲しんでいることにも。

 

 ただ隣で、何事もなかったかのように、普段通りの顔をしてついてくるだけだった。

 

 

 

 目的の玩具屋に着く頃には、遥の表情はすっかり元通りに戻っていた。

 

「お、あったじゃん」

 

 棚に山積みされた新作ゲームのパッケージを見つけ、声を上げる。

 

「これな、絶対面白いやつ。神ゲー確定」

 

「まあ、評判はいいらしいしな」

 

 勇斗も隣でパッケージを手に取る。

 

「早くやりてぇな。今日帰ったら即インストールな」

 

「お前、そればっかだな」

 

「生きる糧だからな、ゲームは」

 

 軽口を交わしながら、二人はレジへと向かった。

 

 

 

 購入を済ませると、遥は得意げに袋を掲げる。

 

「へっへー、今日の戦利品だな。オレ様に感謝しろよ」

 

「なんでだよ。買ったの俺もだろ」

 

「オレが誘ったからだろうが。論破」

 

「くそ理論すぎる……」

 

 やりとりだけを見れば、まるでさっきの小さな諍いなどなかったかのようだった。

 

 ──だが、遥の心には、あの一瞬の出来事が、刺さったままだった。

 

 

 

 エスカレーターを下り、フードコートを目指す。

 

「腹減った。カツカレーな、オレ」

 

「またそれかよ」

 

「米と肉は正義」

 

「知ってる」

 

 そんなどうでもいいやり取りすら、遥には心地よかった。

 

 だからこそ、壊されたくない。

 奪われたくない。

 

 

 

 ──誰にも、あいつの隣を譲る気なんか、ないんだよ。

 

 

 

 遥はそう心の中で強く、強く噛み締めた。

 

 

 

 フードコートに着くと、案の定、人でごった返していたが、どうにか席を確保できた。

 二人は並んでカツカレーを食べながら、また他愛のない話に花を咲かせる。

 

 勇斗は、何も知らず、いつも通りの笑顔だった。

 

 遥は、それを見つめながら、スプーンをぎゅっと握りしめた。

 

 

 

 ──あんたが気づかないなら、それでもいい。

 ──でも、わたしは、絶対にあんたを渡さない。

 

 遥の視線は、いつになく鋭かった。

 けれど勇斗は、そんな彼女の想いに気づくこともなく、今日も無邪気に笑っていた。

 

 

 フードコートのざわめきは絶え間なく続いていた。

 カツカレーを平らげた南雲遥は、スプーンを置いて立ち上がる。

 

「オレ、お茶取ってくるわ。お前、動くなよ」

 

「はいはい、俺はここで待ってますよ」

 

 勇斗は苦笑いを浮かべ、テーブルに肘をついた。

 遥は軽く手を振り、人混みの中へと消えていった。

 

 

 

 ──そして、遥が席を離れてからわずか数分。

 

「ねぇ、笠桐くん」

 

 不意に、可愛らしい声が背後からかかった。

 

 振り返ると、そこには数人の女子グループが立っていた。

 見覚えのある顔。入学式の日、勇斗に声をかけてきた、カースト高めの女子たちだった。

 

 制服を私服に着替えた彼女たちは、今も目立っていた。

 派手なメイクに、露出の多いファッション。

 それぞれが作ったような笑顔を浮かべ、勇斗を囲い込むように立っていた。

 

「偶然だねー。今なにしてんの?」

 

「暇なら、ちょっと一緒に遊びに行かない?」

 

「映画とかー、カラオケとかー?」

 

 まくし立てるように言葉を重ね、勇斗に距離を詰めてくる。

 勇斗は戸惑いながらも、苦笑して立ち上がりかけた。

 

「あー、でも……今、友達と──」

 

 言いかけたところで──

 

「すみません。勇斗はわたしと一緒にいるので」

 

 穏やかな、しかしはっきりとした声が割り込んだ。

 

 勇斗も女子たちも同時に振り向く。

 

 そこには、ペットボトルのお茶を両手に抱えた遥が立っていた。

 柔らかな笑顔を浮かべながら、何一つ怒りも苛立ちも見せずに。

 

「わたしと約束してるので、すみません。遊びはまた今度──」

 

 にこりと、誰が見ても完璧な笑顔。

 けれど、その笑顔の奥にあるものを、勇斗以外の誰も読み取れなかった。

 

 女子たちは一瞬顔を強張らせたが、すぐに取り繕うように笑って引き下がった。

 

「そ、そっかぁ、じゃあまたねー」

 

「うん、また今度ねー」

 

 ぺこぺこと頭を下げながら、彼女たちはそそくさとその場を離れた。

 去っていく背中を見送りながら、遥は静かに座り直した。

 

 

 

 ──クソビッチどもが。二度とあいつに近づくな。

 

 

 

 心の中で吐き捨てる。

 表情は変えず、笑顔のまま。

 

 

 

 勇斗は何も気づかず、手元の空になったカップを弄んでいた。

 

「助かった……なんか、すげー囲まれてビビったわ」

 

「へぇ?」

 

「いや、ホント助かったって。ありがとな、遥」

 

「……べつに」

 

 遥は小さく笑い、カップにお茶を注いだ。

 その動作はいつもと変わらず、自然だった。

 

 

 

 ──あんなもんに、あいつを奪われるわけにはいかない。

 

 

 

 何食わぬ顔で、遥はペットボトルを置く。

 

 ふたりの間には、もう割り込むものなどない。

 少なくとも、遥はそう信じていた。

 

 

 

 ──世界中があいつに手を伸ばしてきても、

 ──わたしだけは絶対に、離さない。

 

 

 

 静かな決意だけを胸に、遥はまたいつもの軽口を飛ばした。

 

「おい、もう一戦やるぞ。ゲーセンな」

 

「まじかよ……俺、体力限界なんだけど」

 

「うるせぇ、青春は根性だ。甘えんな」

 

「ブラック企業かよ……」

 

軽やかな言葉が交わされ、二人はフードコートを後にした。

遥の笑顔の下に潜むものを、勇斗はまだ知らなかった。

---

 

 フードコートを出た南雲遥と笠桐勇斗は、ゲーセンに向かうべくエスカレーターへ向かっていた。

 

 人混みをかき分けながら歩いていると、ふいに耳慣れた声が飛んできた。

 

「おーい、遥!」

 

 振り向くと、そこには麻川綾子の姿があった。

 春らしいカーディガンにミニスカートという軽やかな格好。

 手にはいくつか買い物袋を提げている。

 

「うわ、マジで偶然じゃん!」

 

 綾子はにこにこ笑いながら小走りで近づいてきた。

 

「お前、今日来てるって言ってたっけ?」

 

「言ってねぇ。偶然だよ、偶然」

 

 遥は面倒くさそうに言いながら、そっぽを向いた。

 

 しかし綾子はそんな態度などお構いなしに、遥をじろじろと眺めた。

 

「……あれ?」

 

「なんだよ」

 

「いや……あんた、スカート履いてんじゃん」

 

 その一言に、勇斗も思わず遥を見た。

 

 確かに、今日の遥はパーカーにジーンズ──ではなく、薄手のスカートを合わせていた。

 派手ではない。シンプルな膝丈のプリーツスカート。

 けれど、それだけで遥の印象は少しだけ柔らかく見えた。

 

 本人は気にしていなかったのか、勇斗も今さらになって気づいたくらいだった。

 

「別にいいだろ」

 

「いや、全然いいけど? めっちゃレアだし」

 

 綾子は悪戯っぽく笑い、遥の腕をがっしり掴んだ。

 

「せっかくだからさー、もっと女子力上げてこ?」

 

「はぁ?」

 

「ほらほら、あっちに可愛い服いっぱい売ってたから! 一緒に見に行こ!」

 

「いや、オレ、別に……」

 

「ダメ! こういうのは勢いが大事! オシャレは慣れだから!」

 

「待て、オレは──」

 

 遥の抵抗もむなしく、綾子はずるずると彼女を引っ張っていった。

 

 

 

 取り残された勇斗は、きょとんとその様子を見ていたが、すぐに我に返った。

 

「あ、ちょ……!」

 

 急いで二人の後を追う。

 

 モールの人混みの中、遥は必死に踏ん張っていたが、綾子の勢いには勝てなかった。

 

「おい、綾子! 離せ!」

 

「うるさーい! ちょっとくらい付き合えって!」

 

「オレはゲーセンに行く予定だったんだよ!!」

 

「あとで行けばいいじゃん! 今はこっち!」

 

 力関係は一目瞭然だった。

 

 

 

 勇斗は二人の少し後ろを走りながら、思わず苦笑した。

 

「……巻き込まれてるな、遥」

 

 けれど、置いていかれる気にはならなかった。

 気づけば自然と、遥の背中を追いかけている。

 

 人混みをかき分け、綾子に引きずられていく遥に追いつく。

 

「おい、待てって!」

 

「勇斗も来たか。ナイス!」

 

「ナイスじゃねぇ! オレまで巻き込むなよ!」

 

「いいじゃん、女子の買い物に付き合ってくれる優男って株上がるよ?」

 

「……いや、別にそういうの狙ってねぇし」

 

「いいからいいから!」

 

 

 

 勢いそのままに、三人はモール内の服屋へ突入した。

 入り口付近には春物のブラウスやスカートが所狭しと並べられている。

 

「はい、遥、これとか似合いそう!」

 

「いらねぇ!」

 

「これもいいなー。あ、これも絶対可愛い!」

 

「勝手に盛り上がるな!」

 

「着るだけ着てみなよ〜。見るだけでも楽しいって!」

 

 綾子は次々と服をピックアップし、遥の腕に押し付けていく。

 

 遥は明らかに不満そうな顔だったが、あらがう元気はないらしかった。

 

 

 

 勇斗はというと、入口付近で所在なげに立ち尽くしていた。

 

「俺はなんでここにいるんだろうな」

 

 自問しながらも、逃げ出す気にはならなかった。

 

 結局のところ、遥が連れて行かれるなら、

 その隣にいるのは、自分じゃなきゃ嫌だった。

 

 

 

 ふと視線を向けると、

 遥が押し付けられたブラウスを手に取り、

 心底めんどくさそうな顔で綾子に抗議しているのが見えた。

 

 ──まぁ、あいつらしいな。

 勇斗は小さく笑い、

 遥たちの後ろを、静かに追いかけていった。

 

 服屋の中で綾子にあれこれ服を押し付けられながら、遥はひたすらため息をついていた。

 

「だからオレは別にいいって言ってんだろ」

 

「そういうこと言う子ほど、可愛くなれる可能性秘めてるんだってば!」

 

「何その根拠ゼロ理論……」

 

 遥はぐったりしながら、選ばされたブラウスやスカートを腕いっぱいに抱えていた。

 勇斗は入口付近で所在なく突っ立っていたが、声をかける隙もなかった。

 

 

 

 そして、何着かを選ばされたあと。

 綾子は遥の腕を再びがっしりと掴み、にやにや笑いながら言った。

 

「じゃ、次行こっか!」

 

「まだあんのかよ!?」

 

「もちろん。オシャレはトータルコーディネートが大事!」

 

「トータルって、お前……!」

 

 遥が抗議する間もなく、綾子は遥を引きずり、モール内をぐいぐいと進んでいく。

 勇斗も「おい待てって!」と後を追った。

 

 

 

 たどり着いた先──そこは、明らかに違う雰囲気だった。

 

 ふわっと甘い香りが漂い、

 柔らかい照明と、パステルカラーに彩られた店内。

 陳列されているのは──下着。ランジェリーだった。

 

 

 

 勇斗はその瞬間、動きを止めた。

 

「ちょ、ちょっと待て……ここは、さすがに……」

 

 小声で必死に制止を試みる。

 目を逸らしながら、居心地の悪さに耐えきれない様子だった。

 

 

 

 しかし、綾子は涼しい顔をして振り返る。

 

「いいじゃん。可愛いのたくさんあったよ? 遥に似合いそうなやつとかさ〜」

 

「や、やめとけって……!」

 

 勇斗が焦りながら止める中、綾子は悪戯っぽく遥に囁いた。

 

「ほら。笠桐くん、あんたのこと、ちゃんと見てるかもよ?」

 

 その言葉に、遥がぴくりと反応する。

 

「……は?」

 

「笠桐くんの好みとか、好きな色とか、さりげなく聞けるチャンスかもよ?」

 

「…………」

 

 遥は一瞬だけ考えた。

 そして、迷いを振り切るように、ぐいっと勇斗の手首を掴んだ。

 

「行くぞ」

 

「ちょ、ちょっと待て待て待て! オレは別に──」

 

「オレだけ恥かくのイヤだからな。お前も生贄だ」

 

「いや、そういう問題じゃなくてだな……!」

 

「うるせぇ。つべこべ言うな」

 

 遥は半ば無理やり勇斗を引っ張り、綾子と共にランジェリーショップの中へ突入した。

 

 

 

 甘い香りの中、

 遥と勇斗は並んで、居心地悪そうに立ち尽くした。

 

「……マジで、帰りてぇ」

 

 勇斗が呟くと、

 遥は隣で腕組みしながらふんと鼻を鳴らした。

 

「文句あんなら先に帰れよ」

 

「いや、それはそれで……お前を一人にするのも……」

 

「だろ?」

 

 遥がにやりと笑った。

 勇斗は観念したように溜め息をついた。

 

 

 

 一方、綾子はやる気満々で店内を物色していた。

 

「ほらほら、これ可愛くない? シンプルだけどリボンついててさー」

 

「し、知らねぇよ……」

 

 勇斗が目を逸らす。

 遥は赤くなりながら、綾子に押し付けられたブラを睨んだ。

 

「なぁ、オレ、ほんとにこれ見る必要あんのか?」

 

「必要。あんた、これから女子の味方にならなきゃいけないんだから」

 

「どんな理屈だよ……」

 

 

 

 結局、遥も勇斗も、綾子の勢いに抗えないまま、

 甘い香りと柔らかな生地に囲まれた空間に居続ける羽目になった。

 

 ──こうして、ふたりは知らぬ間に、

 より深い沼へと引きずり込まれていくのだった。

 

 

 ランジェリーショップの中、甘い香りと柔らかな光に包まれた空間を、笠桐勇斗は所在なさげに歩いていた。

 

 綾子はノリノリで店内を物色していたが、勇斗は完全に浮いていた。遥は心底不機嫌そうだ。

 

 勇斗は暇を持て余して、何となく視線を彷徨わせた。

 その途中、ふと目に入ったのは、棚の奥に並んだひときわ大きなサイズのブラジャーだった。

 

 ──うわ、でけぇな。

 

 そんな感想を抱いた瞬間だった。

 隣から突き刺さるような視線を感じた。

 

 

 

「……」

 

 遥が、心底不機嫌そうな顔で、じっと勇斗を睨んでいた。

 

 

 

「え、なに」

 

 勇斗はきょとんとした。

 何か悪いことをした覚えはない。

 ただ、ほんの一瞬、あの棚に視線が向いただけだ。

 

 

 

 しかし、遥は眉をひそめ、低い声で吐き捨てた。

 

「やっぱ男ってさぁ、そういうのが好きなんだなー」

 

 

 

「いやいや、別に! 違うって!」

 

 慌てて手を振って否定する。

 勇斗は必死だったが、遥の顔色は一向に晴れなかった。

 

 

 

 何が悪かったのか、まるでわからない。

 ただ、ものすごく怒らせてしまったことだけは肌でわかる。

 

 

 

「べ、別に、そういうわけじゃ……」

 

「ふーん」

 

 興味なさげに遥は返す。

 

 

 

 勇斗はますます混乱した。

 何を弁解すればいいのかもわからない。

 

 

 

 遥はふいにそっぽを向き、

 手近にあったランジェリーの棚を、無言で眺めた。

 

 

 勇斗は焦った。

 焦るだけで、どうしていいかわからない。

 

 隣では綾子が、何も気づいていない様子で可愛いランジェリーを物色している。

 

「ねー遥、これとかどう?」

 

 

 

 呼びかけられた遥は、短く答えただけだった。

 

「知らねぇよ」

 

 

 

 いつもの遥なら、もう少しツッコミを入れるはずだった。

 そのぶっきらぼうさに、さすがの綾子もちらりと視線を送る。

 

「……なに、機嫌悪い?」

 

「別に」

 

 

 

 会話はそれっきりだった。

 

 

 

 勇斗は居心地悪くなり、無理やり話題を変えようとした。

 

「な、なぁ、もう帰ろうぜ? ゲーセン行くって言ってたじゃん」

 

「……好きにすれば」

 

 

 

 突き放すような声。

 

 

 

 勇斗は心底困り果てた。

 遥が何に怒っているのか、さっぱりわからない。

 ただ、機嫌を損ねたという事実だけが、胸に重くのしかかっていた。

 

 

 

「マジで、悪かったって……」

 

 とりあえず頭を下げる。

 自分でも、何に対して謝っているのかわからないまま。

 

 

 

 遥はチラリと勇斗を見た。

 

「……今度、なんか奢れよ」

 

「……はい」

 

 

 

 ほとんど反射で答える。

 遥はそれ以上何も言わず、くるりと背を向けた。

 勇斗は深くため息をつき、遥の背中を追った。

 

 甘い香りが漂うランジェリーショップの中で、

 世界で一番居心地の悪い男が、静かに項垂れていた。

 

 その隣で、遥は無表情を装いながら、心の奥では黒い感情を煮えたぎらせていた。

 

 ──やっぱり、あいつもそうなんだ。

 

 ──胸がでかい女のほうが、目を引くんだ。

 

 ──わたしなんか、目に入らないんだ。

 

 

 心の奥底で、静かに沸騰する独占欲。

 それを悟られないように押し隠しながら、遥はそっけなく歩き続けた。

 

 

 

 ふたりの間に流れる微妙な空気を、綾子だけがちらりと見て、

 楽しそうに口元を緩めた。

 

 

 

「……ま、若いっていいよねぇ」

 

 誰にも聞こえないように、綾子は小さく呟いた。

 

---

 

 夜。

 遥は自室のベッドに寝転びながら、スマホをいじっていた。

 

 布団にくるまり、ぼんやりとSNSを眺めていたが、ふと目に留まった記事があった。

 

「……バストアップマッサージ、だと?」

 

 スクロールする指が止まる。

 

 そこには「簡単!誰でもできる!」「これであなたも理想のバストに!」などと、派手なキャッチコピーが踊っていた。

 

 馬鹿らしい──そう思いながらも、遥はしばらく画面を眺めていた。

 

 

 

 ──今日のことを、思い出す。

 

 ショッピングモールで。

 ランジェリーショップで。

 勇斗の視線が、一瞬だけ、大きなサイズの下着に向かった。

 

 ──わたしじゃ、ダメなんだ。

 

 

 

 遥はスマホを布団の横に放り出し、

 小さく息を吐きながら、仰向けになった。

 

 

 

 パーカーの裾をめくり、

 自分の胸元に触れる。

 

 手のひらに収まる、それなりの膨らみ。

 女として標準くらいだと、自分でもわかっている。

 

 

 

 ──でも、あいつは。

 ──もっと、目立つものに目を奪われた。

 

 

 

 指先に、力がこもる。

 

 雑な自己流ながら、スマホで見た通りに胸を揉みしだく。

 押し上げ、ほぐし、叩く──。

 

 ただの気休めにすぎないと、遥自身が一番わかっていた。

 それでも、止められなかった。

 

 

 

 ──絶対、負けたくない。

 

 

 

 マッサージを繰り返しながら、遥は心の中で静かに毒づいた。

 

 

 

 ──誰にって? そんなの決まってる。

 

 ──あの、モールで勇斗に群がってきた、くだらない女ども。

 

 

 

 ──あいつらみたいな派手な見た目で、体ばっかり武器にして。

 ──そうやって、簡単に勇斗を攫っていこうとする。

 

 ──そんなの、絶対、許せない。

 

 

 

 爪が食い込むほど強く、自分の肌を押し上げる。

 

 

 

 ──わたしが。

 ──わたしが、ちゃんと選ばれなきゃ意味がないんだ。

 

 

 

 遥の呼吸が、少しだけ荒くなった。

 顔は平然としている。

 だが、胸の奥では、黒い感情が渦を巻いていた。

 

 

 

 ──勇斗の目を、わたしだけに向けさせる。

 ──あいつの隣に立てるのは、わたしだけだ。

 

 ──誰にも、渡さない。

 

 

 

 掌を強く滑らせながら、遥は何度も何度も、繰り返した。

 

 

 

 ──わたしだけが、

 ──あいつの一番になるんだ。

 

 

 夜の静けさの中、

 南雲遥は、誰にも見せない執念を、ただ一人、育て続けていた。

---

 

 春らしい柔らかな光が差し込む教室の一角。

 南雲遥は、机に肘をつきながら、隣の席に腰掛けた麻川綾子と話していた。

 

「っつーか、マジで課題多すぎんだろ。春からエンジンかけすぎなんだよ先生どもは」

 

「まーねー。でも、課題なんか適当にやっとけば?」

 

「適当なもんか。オレはな、提出物で手抜くやつ見ると虫唾が走るタイプなんだよ」

 

「めんどくさ……」

 

 綾子はくすくす笑いながら、遥の文句を聞き流していた。

 そんなくだらない雑談を続けながら、ちらちらと遥の様子をうかがう。

 

 今日の遥は、いつもよりほんの少しだけ落ち着かないように見えた。

 言葉の端々で、一瞬だけ柔らかい響きを挟み、すぐまたラフな口調に戻る。

 

 

 

「ところでさー」

 

 綾子は、わざと何気ない風を装って話題を切り出した。

 

「聞いたよ。他クラスの女子たち、結構笠桐くん狙ってるっぽいじゃん?」

 

 

 

 遥の手がぴたりと止まった。

 

 

 

「……あ?」

 

 

 

 表情は変わらない。

 けれど、その周囲の空気だけが、ぞわりと重くなる。

 

 

 

「なんかさー、○組の子が言ってたんだよね。『笠桐くんって背高いし、優しいし、彼女いるのかなー』とか」

 

「ふーん」

 

 

 

 声色は軽い。

 だが、その目は冷え冷えとしていた。

 

 綾子はそんな遥を見て、心の中でにやりと笑う。

 

 

 

「で、さ? もし彼女いないなら、今度ご飯誘っちゃおっかなーって言ってた子もいたよ?」

 

「……へぇ」

 

 

 

 短い相槌。

 机の下では、遥の指が無意識に拳を握っていた。

 

 

 

「結構いるんだって、笠桐くんファンクラブ的な?」

 

「ファンクラブ?」

 

「うん、うちのクラスにもいるし、隣のクラスにもいるって聞いたよー。人気者だね、勇斗は」

 

 

 

 その言葉に、遥は薄く笑った。

 

 

 

「わたし、知らなかったな。そんなに人気あるなんて」

 

 

 

 声は、あくまで穏やかだった。

 その穏やかさが、逆に恐ろしいほどに冷たかった。

 

 

 

 綾子はわざと気づかないふりをしながら、さらに畳みかける。

 

「やっぱ、顔もいいし、優しいし、頼りがいあるし、モテないわけないよね〜」

 

「……」

 

 

 

 遥は何も言わなかった。

 ただ、静かに、静かに、周囲の空気を凍らせていく。

 

 

 

 ──近づくな。

 ──触れるな。

 ──わたしのものに、手を出すな。

 

 

 

 そんな叫びが、声にならないまま教室に満ちていく。

 

 

 

「……まあ、本人全然自覚してないみたいだけどね?」

 

 綾子は最後にそう付け加えて、くすくすと笑った。

 

 

 

 遥は深く息を吐き、机に肘をついて頬杖をつく。

 

「オレ、知らねぇからな。あいつがどう思われようが、オレには関係ねぇし」

 

 

 

 それは明らかに強がりだった。

 しかし本人にその自覚はなかった。

 

 

 

 綾子は、にやにやしながら続きを促す。

 

「でもさー、もし勇斗が、他の女子に告られたらどうする?」

 

「……」

 

 

 

 遥は答えなかった。

 

 ただ、机の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。

 

 

 

 ──そんなの、許せるわけないじゃん。

 

 

 

 胸の中で呟きながら、遥は無言を貫いた。

 

 

 

 綾子は、その反応に満足したように笑った。

 

「ま、あんたが何考えてるかなんて、聞かなくてもわかるけどね」

 

「……うるせぇ」

 

 

 

 小さく悪態をつきながら、遥は顔を背けた。

 

 その頬が、ほんの少しだけ赤くなっていることに、本人は気づいていなかった。

 

 

 

 春の光が差し込む教室。

 何も知らない勇斗は、別の席で友達とくだらない話をしていた。

 

 

 

 その背中を、遥はじっと、静かに見つめていた。

 

 

 

 ──絶対に、誰にも渡さない。

 

 

 その決意だけが、胸の中で静かに燃え続けていた。

 

綾子がトイレに捌けて一人になった…その時だった。

 

「なあなあ、南雲さん?」

 

 

 

 遥は顔を上げる。

 声をかけてきたのは、短く切った髪と、ぱっちりした目元が印象的な少女だった。

 

 

 

「えっと……狭山、だっけ?」

 

「そやでー。狭山アイカ。よろしくな!」

 

 

 

 快活な笑顔。

 初対面にもかかわらず、まったく物怖じしない様子に、遥は少し面食らった。

 

 

 

「なんか用?」

 

「んー、うち、ちょっと気になってたんやけどな」

 

 

 

 狭山は隣の空いた机にちょこんと腰掛ける。

 

 

 

「笠桐くんって、南雲さんの幼馴染なんやろ?」

 

「まあ、そうだけど」

 

 

 

 遥は警戒心を隠さずに答えた。

 それに対して狭山は全く気にした様子もなく、にこにこと続ける。

 

 

 

「うち、クラスで隣の席なんよ。結構話すんやけど──」

 

「……へぇ」

 

「めっちゃ話しやすいし、優しいし、ちょっと天然入ってるやろ?」

 

「……そうかもな」

 

 

 

 遥は曖昧に頷いた。

 

 

 

 狭山はさらに身を乗り出してきた。

 

 

 

「それでな? うち、笠桐くんの昔の話、ちょっと聞いてみたかってん」

 

「昔の?」

 

「うん。小っちゃい頃とか、どんな子やったん?」

 

 

 

 遥はほんの一瞬、考えた。

 警戒心と、微かな優越感がないまぜになった気持ちで。

 

 

 

「……バカだったぞ、昔から」

 

「うそやん、あんなしっかりしとるのに?」

 

「しっかりはしてるけど、天然は筋金入りだったな。オレがよく助けてやってた」

 

「へー、意外!」

 

 

 

 狭山は本当に興味深そうに目を輝かせた。

 それに遥は内心で警戒を強めながら、しかし表向きは平然と続けた。

 

 

 

「ガキの頃はな、木登りして降りられなくなったり、雪で滑って田んぼに突っ込んだり、バカ丸出しだった」

 

「想像つかへん!」

 

 

 

 狭山が楽しそうに笑うのを、遥はじっと見ていた。

 

 

 

 ──あんまり、楽しそうにすんな。

 

 

 

 心の奥で、黒い感情が静かにうねる。

 

 

 

「あと、昔から変なとこで頑固だったな。自分が正しいって思ったら絶対譲らねぇ」

 

「うわ、それ今もちょっとあるかも!」

 

 

 

 狭山はけらけらと笑った。

 

 その様子に、遥は無意識に笑みを作ったまま、机の端をぎゅっと握りしめた。

 

 

 

 ──楽しそうに、勇斗の話するなよ。

 ──うちの勇斗みたいな顔すんな。

 

 

 

「──ま、今もバカには変わりねぇけどな」

 

 

 

 吐き捨てるように言いながら、遥は視線を逸らした。

 

 狭山はそれに気づく様子もなく、元気よく立ち上がった。

 

 

 

「ありがとなー! また話聞かせてな!」

 

「ああ、好きにしろ」

 

 

 

 手をひらひら振って、狭山は席に戻っていった。

 

 

 

 教室の中に再びざわめきが戻る。

 

 

 

 遥は、誰にも気づかれないように、静かに息を吐いた。

 

 

 

 ──ああいうタイプが、一番やっかいなんだよな。

 

 

 

 誰とでもすぐに打ち解けて、

 誰にでも明るく笑いかけて、

 勇斗にも、きっと簡単に入り込んでくる。

 

 

 

 遥の指先が、震えるように机をなぞった。

 

 

 

 ──絶対に、気を抜くわけにはいかない。

 教室の隅、誰にも知られない内側で南雲遥は静かに、独占欲を膨らませ続けていた。

 

---

 

 放課後の道は、夕陽に照らされてゆっくりと色を変えていた。

 

 笠桐勇斗と南雲遥は、肩を並べて歩いていた。

 

 

 

「……今日、狭山さんと話した」

 

 

 

 ふと、遥が口を開いた。

 

 勇斗は隣で小さく目を丸くする。

 

 

 

「へぇ、マジで?」

 

「ちょっとだけ。お前の昔話とか聞かれた」

 

「俺の?」

 

 

 

 勇斗は苦笑しながら鞄を持ち直した。

 

 

 

「なんか、隣の席だからって興味持たれてんだよな。俺、そんなに面白いネタないんだけどなー」

 

「……そりゃな。お前、基本バカだったし」

 

「ひでぇな!」

 

 

 

 互いに笑い合いながら歩く。

 そんな軽い空気の中で、勇斗がふと思い出したように言った。

 

 

 

「でもアイカ、いいやつだよな。話してても楽しいし、明るいし」

 

 

 

 その言葉に、遥の足がほんのわずかに緩んだ。

 

 

 

「……」

 

 

 

 勇斗は気づかず、続けた。

 

 

 

「なんつーか、元気もらえるっていうか。ああいうタイプ、周りにいると助かるよな」

 

「……」

 

 

 

 遥は何も言わなかった。

 ただ歩きながら、無表情で前を向いていた。

 

 

 

「あと、ちょっと天然っぽいとこもあってさ。変なこと言うんだけど、悪気なくてさ」

 

「……そう、なんだ」

 

 

 

 声は穏やかだった。

 その裏で、遥の心の奥底に、黒い感情が静かに燃え上がっていた。

 

 

 

 ──わかってない。

 ──あいつは、全然わかってない。

 

 

 

 自分が何を言っているかも、誰を傷つけているかも。

 

 

 

 ──なんで、そんな顔で他の女の話するの。

 ──なんで、あいつのことばっかり褒めるの。

 

 

 

 胸の内側が焼けるようだった。

 どろりとした嫉妬が、理性を侵食していく。

 

 

 

 ──わたしが、どれだけお前を見てるか知らないくせに。

 ──わたしが、どれだけお前を独り占めしたいと思ってるか、知らないくせに。

 

 

 

 勇斗は、何も知らずに隣を歩いている。

 

 

 

「でもまあ、クラスに明るい子がいると助かるよな。ムードメーカーっていうか」

 

「……」

 

 

 

 遥はうつむいたまま、ぼそりと呟く。

 

 

 

「……わたし、ああいう子にはなれない」

 

 

 

 勇斗は横目で遥を見た。

 

「別に、なる必要ないだろ。遥は遥でいいじゃん」

 

「……」

 

 

 

 肯定されたのに、嬉しさはなかった。

 むしろ、その言葉が痛かった。

 

 

 

 ──わたしじゃ、ダメだってことなんじゃないの。

 ──もっと明るくて、可愛くて、無邪気なやつが、お前の隣にはふさわしいって、

 ──そういうことなんじゃないの。

 

 

 

 心の中で、何度も何度も呟いた。

 

 

 

 ──でも、譲らない。

 

 ──たとえ、どれだけ眩しい奴が現れたとしても。

 ──わたしは、絶対に、お前の隣にいる。

 

 

 

 誰にも渡す気なんてない。

 誰にも奪わせる気なんてない。

 

 

 

 ──お前は、わたしだけを見てればいいんだよ。

 

 

 

 遥は目を伏せたまま、黙って歩いた。

 その小さな背中に、誰も知らない独占欲が静かに、けれど確かに滲んでいた。

 

 

 

「なあ、帰りにコンビニ寄ってかね?」

 

 勇斗が何気なく言う。

 

 

「……うん、そうするか」

 

 

 住宅街を抜け、駅前の通りに出る。

 

 コンビニの看板が遠くに見えてきたころ、

 南雲遥は、なんとなく思いついたように口を開いた。

 

 

 

「なぁ、勇斗」

 

「ん?」

 

「……じゃあさ」

 

 

 

 少しだけ言葉を選んでから、遥は口角を持ち上げた。

 

 

 

「そんなに狭山さんのこと褒めるなら、いっそ彼女にしたら?」

 

 

 

 軽い調子だった。

 ふざけるような口ぶり。

 ただの冗談だと、誰が聞いてもわかるような声音だった。

 

 

 

「お前から告白すりゃいいじゃん。案外うまくいくかもよ?」

 

 

 

 遥は、からかうように言った。

 

 笑って、ごまかすように、冗談みたいに。

 

 

 

 けれど。

 

 

 

 勇斗は、すぐには否定しなかった。

 

 

 

「……うーん」

 

 

 

 ほんの一瞬、考えるような素振りを見せた。

 

 

 

「……アイカ、いい子だしな。そういうのも、まあ……アリっちゃアリ、かもな」

 

 

 

 曖昧に笑いながら、そんなことを口にした。

 

 

 

 ──その瞬間。

 

 

 

 遥の心に、真っ黒な感情が溢れ出した。

 

 

 

 ──ああ、そうなんだ。

 

 

 

 ──わたし以外を、そうやって選ぶ可能性があるんだ。

 

 

 

 ──わたしじゃなくてもいいんだ。

 

 

 

 胸の奥が、きつく締め付けられる。

 

 喉が痛いくらいに、怒りと悲しみと焦りがせめぎ合う。

 

 

 

 ──許せない。

 

 

 

 ──絶対に、許さない。

 

 

 

 勇斗が、無邪気に、他の誰かの名前を口にする。

 

 それだけで、世界がぐらりと揺らぐ。

 

 

 

 ──なんで。

 ──なんで、わたしだけを見ないの。

 

 

 

 ずっと隣にいたのは誰だと思ってる。

 誰よりも、お前のことを知ってるのは誰だと思ってる。

 

 

 

 ──お前にとって、わたしはなんなんだよ。

 

 

 

 遥は無理やり顔を上げ、笑った。

 

「へぇー、意外と乗り気?」

 

「いや、そんなわけじゃ……」

 

 

 

 勇斗は慌てて手を振った。

 けれど、最初に言ったあの言葉は、もう取り消せない。

 

 

 

 ──わたしじゃなくてもいい、なんて。

 ──そんな可能性を、口にしたことが、もう許せない。

 

 

 

 遥は黙って、前を歩いた。

 

 何も言わずに、ただ歩幅だけをほんの少しだけ早めた。

 

 

 

 コンビニの明かりが、夕闇の中で滲んでいた。

 

 

 

「おい、待てって!」

 

 後ろから勇斗の声が追いかけてきた。

 

 

 ──追いかけてくるなら、ちゃんと捕まえてみろよ。

 

 

 

──捕まえないなら、絶対に許さないから。

 

 

 遥は心の中で、そう静かに呟いた。

 

──いや、いっそわたしの元に縛りつけておこうか。

 

 

 

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