「……なにも、聞かないんだな」
濡れた布で身体を拭かれる冷たさを感じながら、逃亡の最中に負った傷について問いを投げかけない未来へとクリスが言葉を紡ぐ。
「傷なんて、誰もが持ってるものだから」
傷だらけで裏路地に倒れる少女。
平穏な日常とはかけ離れた事情を感じさせると言うのに、小日向未来は彼女の味わった辛酸に踏み入る事なく介抱をする。
彼女の備えた優しさによるものもあるのだろう。だが今はそれ以上に親友との離別に懊悩する彼女の心もまた、傷を負う辛さを分かっていたからこその不干渉であった。
「今までの関係を壊したくなくて、何も言えない気持ちが胸にある──なのに、一番大切なものを壊してしまったの」
滲み出す後悔が、言の葉の節々より溢れ出す。
「……それって、誰かと喧嘩したって事か?」
「──うん」
既視感の正体を、やがてクリスは感じ取る。
あの日融合症例の掠取を目的として凶行を働いた時、巻き込まれた少女。
立花響と近しい関係性を思わせる彼女の存在を、漸く悟った。
「嘘を吐かないでいて欲しかった。秘密なんて抱えないで、そして……」
また重なる、既視感。
互いに互いを思う故にすれ違う悲哀。
この世界で深く深く根付いた人類の相互不理解に、クリスは目の前の少女とこれまで狙い続けた立花響の離別を察し、その関係に自分と大切な友達の今を重ねる。
「怒っちゃいないのか? だって、そいつはお前に隠し事をしてたんだろ?」
だからこそ、浮かび上がる疑問を問い掛けずにはいられなかった。
「大事な事を秘密にして、抱え込んで──そしてどうしようもない最後の最後に全部バレちまう」
きっと、あの日手を差し伸ばしたもう一人の“お人好し”はこの子に装者である事を隠していたのだろう。
自分のせいで一つの尊い絆が壊れかけている事実に胸を痛めながらも、クリスは自分とアイリスと同じ様に残酷な運命にて翳る今の小日向未来が、秘密を抱えたままにしていた親友に対して微塵も怒りを抱いていない事が不思議で仕方がなかった。
「……あたしも同じだ。何よりも大事だって分かってたのに、大切な友達をずっと騙し続けてた」
──きっとイリスは、あたしを許してくれない。
当然の事だと、クリスは陰鬱な心情をため息と共に溢す。
あの日、自分を罵倒したのはアイリス・フェイルノートの姿をした“ナニカ”であるとは言え、その言葉の全ては逃れようのない己自身の罪の証左。
裏切りと挟撃。利用と搾取。
友愛の証を踏み躙り棘鞭を脇腹に突き刺し、最愛の友の力を悍ましい肉片と共に利用した。
故に雪音クリスの胸には、ただ罪悪感が渦巻く。
「私は、
紡がれたのは、優しい赦しだった。
通じ合えない人類に課せられた呪詛に悶え苦しみながらも、いつかまたもう一度大切な日輪と共に笑い合える日々が訪れてほしいと陽だまりは想う。
「きっと貴女の友達も同じ事を思ってるはずだよ」
「それは……」
小日向未来の優しさが、するりと身の内に溶け入る。
冷たい鉄柵で不条理を嘆くしか心を護る術を知らなかった雪音クリスは、此処に罪業を濯ぐ為の契機を与えられた。
友愛に触れて人の温もりを知り、同じ傷を負う者同士の彼女に赦しを得る事の資格を唱われたのだ。
「嗚呼、そうだな──もう一度あいつと話してみるよ。だからお前も、その友達と仲直りしろよな」
「うん。ありがとう……私も貴女に話せてなんだか心が軽くなったわ」
アイリスとはまた違った友情。
依存を伴わない純粋な親愛を結び、雪音クリスはいつか歌い上げるモノクロームへの一歩を踏み出した。
「雪音クリス。あたしの名前だ」
「小日向未来。よろしくねクリス」
初めての邂逅で竪琴に名乗った様に、自分の名を名乗る。
交わした言葉は少なくとも、彼女たちは共通の悩みを糧に強固な信頼を築き上げていた。
そんな少女たちの逢瀬を嘲るように、厄災は訪れる。
甲高く轟いた“音”に、抱いた情念がかき消された。
「……っ!」
音の正体──鳴り響く警報に耳を刺激され、クリスは一瞬怪訝な顔を見せる。
「警報……!」
しかし、小日向未来の反応は違った。
町中に響く警報と騒然とし始める外の情景に困惑するクリスとは別に、その報せに対して一抹の恐怖を見せている。
「なあ。なんだってんだこの音は?」
「何って……ノイズ出現の警戒警報──知らないの?」
「ノイズ!?」
幼少時代を紛争地帯で過ごし、日本に連れられた二年間をフィーネにより外界と遮断されてきた事でこの状況に対して無知であるクリスは問いを投げ、その後の未来の言葉にクリスは激しく動揺する。
──まさか、あたしを燻り出す為にフィーネが……?
過ぎる想定。
ならば、今己が為すべき事はただ一つ。
「……っ。どっか安全な所に逃げててくれ」
クリスは首元に下がるペンダントを握り締めながら立ち上がり、未来に告げる。
その決意は、ひと時の安らぎであった少女との決別であり、自身の償いきれぬ罪業との邂逅。
「何言って……貴女も一緒に──」
「あたしがやらなきゃ行けないんだ」
小日向未来の制止を聴きながらも雪音クリスは、血と煤に穢れた黄泉路へ引き返さんと駆けた。
逃げ惑う人波に逆らいながら、やがてクリスは破壊痕の広がる戦場へと辿り着く。
眼前には蒙昧なる雑音の群れ。
人界を侵し尊き刹那を穢さんと進軍する化生の大群。
「あたしは此処だッ! 関係ねえ奴らを巻き込むんじゃねえ!」
その化け物の行軍を睥睨し、クリスは己が胸の内を吠えた。
「
紡がれかけた胸の歌が、途切れる。
元より彼女は傷病の身。傷だらけの身体は四肢を動かす度に疲労を呼び起こし、断続的に脳を揺さぶる鈍痛が朦朧とする意識を刈り取ろうとする。
そんな無防備な人類を殺戮せんと、ノイズが少女に飛び掛かり──。
『████』
「何を喚いていやがる」
その身を、塵と化す。
飛行能力と膂力の組み合わせと応用により、
現れたのは──漆黒。
肢体にまぐわう蛇の悪辣にその身を委ね、世界を穿つ程に練り上げられた殺意と共に、不滅の理を刻みし凶剣が君臨する。
「──イリス」
名前を呼ぶ。大切な親友の名前を罪悪感と愛しさの感情を孕ませながら。
危機に陥った自分を助けてくれた──などと、クリスは思えなかった。
目の前の漆黒から、肌を刺す様な途方もない“怒り”の激情を感じたが故に。
「
屑は死ね。塵は死ね。全て死ね──否、殺す。
殺す。殺す。微塵も残らず死に絶え滅びろ塵芥が。
殺意と赫怒で模られた少女の姿が、漆黒に包まれ怨嗟を吼える。
「人類の咎! 不和より出ずる業! 嗚呼反吐が出るッ! 忌々しい相互不理解の産物が──地獄の釜の底で喘ぎ滅びろォ!」
「……イリ、ス」
漆黒の咆哮が世界を震わす最中。再び、地獄の沙汰にて狂う友の名を呼ぶ。
そしてノイズに対する呪詛を吐き散らす彼女に、クリスは竦み震える己の声色を自覚した。
もう一度話をしたい。互いの胸の内を語り明かし、“分からない”と言う感情が消え去るまで溶け合いたいと願った友が、雑音とそれに連なる者の滅尽を希う現実に対してどうしようもない恐怖が溢れた。
その様は、勝利ではなく惨劇。消失と崩落だけが色濃く残る殺戮の荒野。
やがて雑音の全ては散り、戦場には少女と幼子だけが残る。
「──逢いたかった、クリス」
「あぁ……あたしもだ。イリス」
先ほどの怒りに満ちた風貌からは想像もつかぬ程に安らいだアイリスの姿に、クリスは罪を告解する罪人の様にただ、弱々しく瞳を揺らし友を見つめていた。
█
いやーやっぱり外の空気は美味しい!
──現在私は、警報音がけたたましい街中で弦十郎さんに連れられ、軟禁状態から一転して久々に外界の刺激を味わっていたのだった。
まああんな何もない一室でも、親友に絶交を突きつけられてぺしゃぺしゃになってたビッキーを間近で弄んだり翼さんに甘えまくったりと楽しみはあったけど、やっぱり原作の運命が再始動するとなるとテンションが上がる上がる。
「私なんかを連れ出して、本当に良かったの?」
「嗚呼。今、雪音クリスを暗闇から引き戻せる存在がいるとすれば、それは君を措いて他にいないだろう──何より翼からの頼みだ」
そんな訳で私は、クリスちゃんを監視カメラの映像で発見した二課の情報網と弦十郎さんの報せで外界に赴く。
なんか翼さんが良い感じの説得をしてくれたらしく、すんなり外に出れたのも幸いだった。
私が介入した事で此処から結構なズレが生じそうではあるが、その最中でノイズ襲来の警報も鳴り響いたしおそらく今の時系列はボロボロのクリスちゃんが未来さんに拾われた辺りだろう。
逃げ惑う人々の喚きに酔いしれながら、私はこれから再び動き出す運命を想う。
「……すまない。我々は結局、君を戦いの渦に巻き込んでしまった」
弦十郎さんが、不甲斐なさそうに謝罪を口にする。
まあ仕方ないよ。相手はノータイムでノイズばら撒けるチート聖遺物を持ってるんだし。
「此方こそごめんなさい。私、ずっと貴方達に酷いことを言ってきた」
うん。それはそれとして本当にごめんね弦十郎さん。
哀れな少女を演じる為とは言え結構メンタル抉る事ばっか言ってたわ私。
「クリスの事は私に任せて、貴方は他の人たちをお願い」
「──重ねてすまない。君の優しさに頼ってしまう我々の弱さを、どうか許してくれ」
そんな謝罪を互いに交わすと、弦十郎さんは目にも留まらぬ早さで民間人の救助に向かった。
原作の貴方の立場を奪う様で悪いが、今の心に深い傷を負った雪音クリスは私が独り占めしたいからね。うん、マジでごめん。
「
そんな訳で二転三転。私はネフシュタンを纏いクリスの許へと駆けつけノイズを駆逐する。
「人類の咎! 不和より出ずる業! 嗚呼反吐が出るッ! 忌々しい相互不理解の産物が──地獄の釜の底で喘ぎ滅びろォ!」
……あれ、なんか久しぶりにこのノイズぶっ殺ムーブやってるんだけど不思議な感覚だな。なんだろこれ?
抑えが利かないと言うか……興が乗りすぎると言うか……ネフちゃんとの一体化が完全になったせいで感情が昂りすぎてるのかな?
『嗚呼、赦すものかよ雑音め。人が人を貶めるが故に生まれた相互不理解の残骸が──』
『
『否。我は此処にいるぞ──咒を呼べ、業を刻め。我を認識しろ代行者』
『
まあいっか。怯えて震えるクリスちゃんも可愛いし万事オーライだね!
『此奴、阿呆か?』
『
「逢いたかったよ、クリス」
「あぁ……あたしもだ。イリス」
何度巡り合っても胸の高鳴りが収まらぬ邂逅に、私は酔いしれる。
あぁ、雪音クリス。愛しい私の親友。さあ、今度の貴女はどんな悲哀を見せてくれるのかな?
「っ。
「──!」
クリスちゃんが、怯えの感情を滲ませ私を見る。
それも当然の事だろう。今の私は、あの凄惨な日の如く目元まで蛇の鱗に侵されるという、豹変の前段階に至ってるのだから。
今頃あの子の脳裏にはどんな記憶が蘇ってるだろうか。
大切な友達と同じ姿をした化け物に罵詈雑言を浴びせられ、殺されかける昏い思い出。それを想起したであろう彼女の蒼白した顔を見るだけで、昂りが止まらない。
「──っ! もう、あなたは出てこないでネフシュタン……! クリスは絶対に傷つけさせない!」
『
「イリス……」
こらっ、ダメでしょネフちゃん! 私だけにしか聞こえないとは言えもっと盛り上がる様な意味深ワードを言ってくれないと!
『
それにしてもさっきまでの私とネフちゃんにビビって可愛いねクリスちゃん♡
未来さんとはちゃんとお話しできたかな? これからどろっどろに甘やかして溶かすからフィーネとの最終決戦で私が死にかけた時は曇りながらも乗り越えて夢を紡いでね♡
「イリス、あたし──」
「ごめんなさい」
よし先手必勝。クリスちゃんが言葉を紡ぐよりも先に謝罪の言葉を発する。
「怖かったよね……? ごめんっ、ごめんねクリス……!」
頬に伝う涙と共に、あの日の暴虐を詫びる。
大切な貴女を傷つけて本当にごめんなさいと、今までクリスの犯してきたどんな後悔よりも先に私自身の罪業を吐露する。
「なんで……なんでイリスが謝るんだよ!? 悪いのは全部あたしだっ!」
そんな項垂れる私に触発され、彼女もまた罪悪感に潰されそうな己の心を言葉にする。
掬い取って舐めてしまいたい程に綺麗な涙が、彼女の瞳から溢れた。
「結局、あたしのやった事に意味なんてなかったんだ。イリスを傷つけて、ソロモンの杖を目覚めさせて……それで──あぁ、最低だ。あたし」
己の魂が、愉悦に震えるのを自覚する。
自分の犯した罪業の深さに怖じて震える少女の姿。
こんな矮小で愚かしい少女が、いずれ世界を救う為その身を犠牲に月を穿つ叡智の摩天楼を食い止め、平穏な刹那にて赦しを得てモノクロームを歌う──その未来を確信してるからこそ、苦悶の今がより一層輝いて見える。
あぁ、故に今は──
柔く滑らかで、しかし血と煤で穢れたその手をしっかりと握りしめる。
愛しい人。どうか貴女の御手に触れる事を許して欲しい。
「お願い、そんな悲しい事を言わないで」
「う……ぅ」
「大好きな友達が自分自身を悪く言うなんて、そんな悲しいこと私は嫌だよ」
甘い毒に侵され涙を溢す愛しい白銀。
知ってるとも、今の貴女は
彼女の様な煌めく宝玉の意思が燻んだ貴女だからこそ、この毒に溺れて弱りきった顔を私に見せて欲しい。
「良い、のか? あたしは……こんなあたしがまた、イリスと一緒にいて……」
「──赦すよ。当たり前でしょう? 私たちは友達だもん」
「ぅ……ぁ。イリス──っ!」
年下の女の子に泣きついて可愛いねクリスちゃん♡
もっとその涙でぐちょぐちょになった愛らしい顔を見せて♡
数分、或いは十数分だろうか。
やがて涙を流し尽くして目を腫らしたクリスが、今度は自分からギュッと私の事を抱きしめる。
あっ♡ クリスちゃん大胆♡ 一緒に二課に保護されてビッキーたちのデート回に交ざろうね♡
「大丈夫だよクリス。響さんも翼さんも優しい人だから、きっと貴女も仲良くなれるはず──」
「……そいつらとは、どんな関係なんだ?」
ん?
「胸の奥がモヤモヤするんだ……あいつらの名前を大切そうに呼ぶイリスを思い出すたびに──なんだか切ない気持ちになっちまう」
え、は? もしかしてビッキーや翼さんに助けられたあの時の私を思い出して嫉妬してる? なんだこのクッソ可愛い生き物あざと過ぎない?
これは将来変身バンクで『ばぁーん☆』するあざと娘ですね間違いない。
「大丈夫だよクリス。私は、
「っ」
私の身体を抱きしめるクリスを優しく突き放し、上目遣いで懇願する様に愛を囁く。
嗚呼、嘘偽りない本心だとも。私は
煌めく英雄譚を紡ぐ少女たちの歌声と足跡こそ、この世界の至宝なのだから。
「私のはじめての友達は貴女で、“今の私”を最初に見せたのも貴女」
気が変わった。もっともっとこの娘を私の
クリスが悪いんだよ? だってそんなに胸いっぱいの愛を向けられたら──それすらも利用して、もっと深い絶望の糧にしたくなるじゃない。
「響さんよりも、翼さんよりもずっとずっと長く一緒にいたのも貴女」
大好き。大好き。
翼さんとビッキーとの初めての共闘で繋いだ手だけが紡ぐものを歌い上げる貴女が好き。
月を穿つ摩天楼の砲をその身を削りながら命懸けで食い止める貴女の勇姿が好き。
G編でソロモンの杖が再び利用されると言う罪業の証左を突きつけられても、大切な仲間とやっと得た日常を慈しみ教室モノクロームを歌う貴女が好き。
まだまだ一杯、私はクリスのカッコいい所知ってるよ。好き、すき。貴女たちの勇姿を私は愛してる。
「アイリス・フェイルノートの
故に溺れろ、魔弓イチイバル。
この牙から垂れる猛毒に犯され悶えて、絶望に胸を穿たれながら希望と共に人類の
──貴女たちに、それができない筈がない。
「……好きだ」
「うん。知ってるよ」
「好き、好き……大好きだ──あたしの、イリス」
故に、今はその愛らしい姿が私の趣向を刺激して仕方がない。
あぁ……依存の果てに友愛を築き上げた大切な
致命に近しい傷を負って斃れた時?
喉も通らぬ程苦しい精神的苦痛を負った時?
それとも──最後の最後に私が、
気になって気になって仕方がない! 貴女たちは原作とは違った私と言う運命の車輪に紛れた砂粒にどんな絶望と希望を抱き、英雄譚を紡ぐのだろう?
もしも、相互理解など不可能な敵となった私を相手に立花響はどうやって手を繋ぐと言うのだろうか。
風鳴翼は矛盾に等しい懊悩の果てに二者択一の犠牲の選択を取れるだろうか。
今こうして私に並々ならぬ感情を抱く雪音クリスは、銃爪に指をかけどんな
マリア・カデンツァヴナ・イヴは、暁切歌は、月読調は、或いは小日向未来も神獣鏡を纏う可能性があるかもしれない!
未だ、対面すら果たせていない彼女たちにすら際限なく“期待”が膨れ上がる──あぁ、けれども。こんな不明瞭な世界ですら分かることが一つだけあった。
“勝つ”のは、彼女たちだ。
⚫︎アイリス・フェイルノート
乙女の純情を弄ぶ人間のクズ。
原作が再び動き出すまでは度々ビッキーに『大好きな友達に隠し事しちゃったの……』とかお日様の地雷踏みながら暇つぶしに曇らせやってたカス。