「はろろ〜ん、悟史くん。」
「詩音、こんにちは。」
詩音は病室の扉を開け、ひょこりと顔を出した。その姿を見た悟史はとても嬉しそうに出迎えた。立ち上がろうとするまでに。
「私が向かいますから、来なくて大丈夫ですよ。」
「えへへ…嬉しくてつい。」
そんな無邪気な笑顔を見て、詩音の胸はきゅんと高鳴った。本当に彼は、と片手を頬に添えてため息をついた。
「にしても…減りましたね、点滴の数。今はもう一つですか。」
詩音は壁に立てかけられたパイプ椅子を広げながら辺りを見回し言った。詩音が魅音になりすまし来ていた時にはまだ沢山の点滴が彼に繋がれていた。
「うん。後は再発防止のための薬くらいかな。体力以外はちゃんと戻ってきたよ。」
「それは良かったです。」
ある程度は不自由なく動けるようになってきているのは他者が見てもある程度わかる。詩音は落ち着いた笑みを浮かべた。
「ねぇ詩音。」
「なんですか?」
「…少し話を聞いてもらっていいかな。」
「私でよければいくらでも聞きますよ。」
ありがとう、と悟史は言い、少しの沈黙の後、口を開いた。
「怖いんだ。みんなは大人になっていってるのに、僕だけ取り残された感じがして。」
先日入江が教えてくれたことは本当らしい。詩音の目は真剣なものになり、じっと悟史を見ていた。
「何年も遅れたという焦燥感で、おかしくなってしまいそうで。この病気もストレスによっては再発することもあるって言うし…この気持ちをどうにか無くさなきゃって必死なのに…っ!」
悟史の右手が首元へ移動するのを詩音は見逃さなかった。詩音は少し乱暴に悟史の手首を掴んだ。
「詩音…?」
「首。掻いてはいけませんよ。」
「あっ…ありがとう、詩音。」
再発防止の薬を投与しているにも関わらず悟史は首を掻こうとした。悟史にとってその焦燥感がどれほどの大きさになっているのかを物語っている。
「大丈夫です、悟史くん。もし誰も待ってくれなかったとしても…私は絶対に君を置いていったりしない。ずっと悟史くんの隣で、悟史くんの歩幅に合わせますから。」
さっき掴んだ右手首を離し、右手をぎゅっと握る。安心させるような声色、優しく包み込む笑み。この仕草だけでどれだけ悟史が救われたか。泣きそうな顔の悟史を詩音はくすりと笑った。
「私で、いいですか?」
「勿論だよ。むしろいいの?こんな僕にそんな…」
「当たり前です。私、人の世話をするの好きですし、何より悟史くんの力になりたいです。」
見つめ合い、少し恥ずかしくなって笑う。詩音はかなり大胆なことを言ったことを恥ずかしく思う反面後悔はなかった。
「詩音が居てくれるなら、頑張れそうな気がするよ。」
「悟史くんってよくそうも恥ずかしげもなく言えますね…」
事が上手く運びすぎているという自覚は詩音にもあった。だが、夢を見させて欲しい。そう願うから、何も考えないようにした。
_これは私への罰なのだ。
詩音は夢で彼に首を絞められた。悟史は怒っていた。なんで沙都子をって。詩音は泣きながらごめんなさいと言うことしかできなかった。
「…ん、…おん?」
「…ん?あっ…ご、ごめんなさい。」
最近あんな夢を見るからか、詩音は寝付きが悪かった。授業はある程度聞かなくても何とかなるが、こういう大切な時間の時にもぼーっとしてしまうというか、寝てしまうのは勿体無いと思っていた。
「寝てれないの?」
「あはは…最近ね。」
「ここだと、寝れるの?」
「へ?」
詩音は首を傾げ、悟史を見つめる。悟史はぽんぽん、とベッドを叩く。悟史がベッドの端に寄り、座るスペースは確保されていた。
「座れってことですか?」
「ううん、そうじゃなくてね…いや、一旦こっちに座って。」
悟史の意図が分からずきょとんとしながら詩音は言われたままにする。悟史はそんな詩音の腰に手を回した。詩音は上擦った声を出し、されるがままになってしまった。悟史は上手いこと詩音をベッドの上で横にさせた。
「さ…とし、くん?こ、これは…?」
顔を真っ赤にした詩音は悟史に問いかける。悟史は柔らかい笑みを浮かべた。
「ここで寝れるなら、落ち着けるなら今のうちに疲れを取って欲しくて。」
起き上がらないようにするためか、悟史は詩音の上にいて、所謂床ドン状態。
_落ち着けるか!
と詩音は心で叫んだ。悟史はわたわたと慌てる詩音を見て優しく頭を撫でようとした。少し手が止まったが、手を伸ばし詩音の頭を撫でた。久々に撫でてもらって鼓動が高鳴る。が、それと同時に落ち着くという感情もあって。
「いややっぱり寝れるわけあるかー!!!」
「わわっ…」
声量に驚きつつも悟史はだめか、と残念そうに呟く。詩音は視線を逸らし、黙ったままだった。その時、きぃ、と扉の開く音がして。
「…悟史くん、少しお話聞かせていただきましょうか。」
入ってきた入江が怖いくらい冷静な声で言うもんだからやっと悟史も状況が分かったらしく、顔を真っ赤にした。詩音も誤解されたままでは困ると思った。
「監督!違いますから!決してそんなやましい何かではなくてですね!」
「ち、違う!あ、あのその!!」
二人揃って慌てて弁解をしようとするので入江は苦笑して、ついでにお説教をしたのだった。
「大変な目に遭った…」
「ごめんね、詩音。」
「本当に!気をつけてくださいよ、誤解されますから。」
説教はある程度長かった。そして二人一緒に怒られた。悟史は行動に責任を持つこと、詩音は流されないこと、と。
「そうだ、詩音。」
「どうしました?改まって。」
「詩音は…沙都子の写真って持ってる?」
「ありますよ。あ、沙都子が恋しくなりました?」
「えっと…成長した姿を見れるかなって。詩音と一緒なら。」
あぁそうか、周りの成長に焦りを覚えるんだった。と詩音は思い出し、頷いた。
「じゃあ明日にでも持ってきましょうか!」
「えっ、明日は学校じゃ…?」
「今週は2連休です!」
詩音は右手でピースを作ってにっと笑ってみせた。悟史はぱぁ、と目を輝かせ頷いた。
何か軟らかくて、でも固いものを殴る音がする。
悲鳴が響く。誰の悲鳴?
_叔父と、沙都子?どうしてこの二人が?
理解に苦しんでいると、段々と情景が浮かぶ。先に声がはっきりとしたのは沙都子の方だった。金属らしき何かで沙都子は殴られていた。
_やめろ、沙都子を殴るな!
殴っているのは魅音だった。何故魅音が沙都子を殴っているのか、分からなかった。でもその時、とある仕草が目に付いた。それは詩音がよくやるものだった。
_あれ?
考えれば、おかしかった。魅音はこんな激情するタイプではない。なのにこんな風になるのかと。詩音がこんなことをするタイプであるという確証もないが、仕草からこの魅音は前のように「魅音」になりすました詩音なのではないか?
_北条だからと差別していたのは、詩音の方だった?じゃあ僕に優しくしたのは何故?何か思惑があったのか?
一度おかしく見えてしまったら詩音がどのような人なのか分からなくなってしまった。疑って、疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って疑って。
「詩音は…僕たちの敵だったんだ。」
それだけが悟史の頭に残っていた。