虚実の方舟:Re   作:Oh my PC

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エデン条約調印式(Ⅱ)

 

 ――爆音。

 そして、光。

 

 聖堂が崩れ落ち、石と鉄骨が地を穿ち、世界はただの瓦礫と悲鳴と衝撃音で満たされていた。

 

 気がつけば、仰向けに倒れていた。

 先生の視界には、かつて白亜だった式典会場の聖堂の尖塔が赤黒く染まり、斜めに傾いた鉄骨が奇妙な音を立てて崩れていく様が映っていた。

 

 頭部に焼けるような痛み。

 額を伝う生温い血が、目尻へと流れていく。

 

 けれど、生きていた。

 

 指先が、まだ動く。

 呼吸ができる。

 

 ――『シッテムの箱(アロナ)』が守ってくれた。

 衝撃波を受けて形成されていた防護壁は完全に霧散していたが、それでも自分の命を奪うには至らなかった。

 

 問題は……他の皆だった。

 

"……ッ……くそッ……!"

 

 ゆっくりと体を起こし、崩れた瓦礫を押しのける。

 あちこちから、呻き声と呼吸音が聞こえる。

 頭から血を流している風紀委員。

 崩れた装飾の下敷きになって動けなくなっているシスター。

 

 トリニティの制服。

 ゲヘナの制服。

 クロノススクールの制服。

 ……国境も、学園も、此処では関係なかった。

 皆、等しく灰に塗れ、呻き声を上げていた。

 

"しっかり……して……"

 

 先生は血に染まった腕で、傍にいたトリニティの学生を引き寄せ、その傷口に手拭いを押し当てた。

 助けたい。

 少しでも、多く。

 でも、人数が多すぎる。

 自分の手が、足が、圧倒的に足りない。

 

 その時――

 

「先生!!」

 

 割れていく煙の中から、聞き覚えのある声が響く。

 

 羽川ハスミ。

 そして、その後ろから剣先ツルギ、若葉ヒナタの姿が現れた。

 

「先生、ご無事で…!!」

 

 ハスミが駆け寄り、先生の血まみれの頭を見て目を細める。

 ツルギは瓦礫の下にいた正義実現委員会の生徒を手際よく助け出しながら、周囲を睨みつけていた。

 

「状況は最悪です。会場を警備していた部隊は全滅、近郊に駐屯していた部隊に応援を要請していますが、電子妨害(ECM)を受けていて連絡が取れません」

 

「せ、先生は大丈夫なんですか? 頭から、その…血が……」

 

 ヒナタは声が震わせながら、先生にそう聞いた。

 目の端には、涙が浮かんでいた。

 

"私は大丈夫だよ。それよりも周りの子を――"

 

 先生がヒナタの言葉に、そう答える。

 

 だが、そこにかぶさるように、足音が聞こえた。

 足を引きずる音。

 

……誰か! ……助けてくれ!(На помощь! …Помогите!)

 

 その声は、ロシア語だった。

 

 振り返ると、崩れた瓦礫の奥から、二人の特別任務機動隊(ОМОН)の隊員が現れた。

 

 恐らくは、会場の警備をしていてミサイルの爆発に巻き込まれたのだろう。

 青いボディアーマーは破れており、頭部のバイザーは割れ、片方は肩を抑えながら、もう片方は腹部から血を流している。互いに肩を貸し合い、足元をふらつかせながら、それでも此方へと歩いてくる。

 

「あの人達の怪我は……助けなきゃ!!」

 

 ヒナタが顔色を失い、駆け出した。

 

「直ぐに止血を――!」

 

 だが。

 

 銃声。

 

 乾いた音が、空気を裂いた。

 

 次の瞬間、二人のロシア兵の身体が弾けたように仰け反る。

 血飛沫が空へと舞い、ヒナタの目前で無惨に崩れ落ちた。

 

「――えっ」

 

 ヒナタの足が止まる。

 その場で茫然と、絶句したように立ち尽くす。

 

 人が死ぬ音。

 熱い、命の液体が、目の前で地面に広がっていく。

 何も言葉が出ない。

 

 ヒナタの肩が小さく震え、目に浮かんでいた涙が、頬に伝う。

 

「……ぇ、は? え?」

 

 ヒナタの困惑と恐怖に塗れた声が、焦土に響く。

 その声を塗り潰すように、銃声が再び鳴り響いた。

 

 背後から姿を現したのは、白のコートを基調とした服装。

 その中央には、見覚えのある少女がいた。

 

 戒野ミサキ。

 その両脇に立つ生徒の手に構えたライフルからから立ち上る煙と、表情の無い瞳が、その犯行の全てを語っていた。

 

「アリウス……ッ」

 

 彼女達の服装に刻まれた校章から直ぐに所属を特定したハスミが、一歩前へ出る。

 だが、彼女の背後には複数──少なく見積もっても50人ほどの武装兵がいた。

 

 アリウススクワッドの攻撃隊。

 この混乱に乗じて、遂に地上へ姿を現した影だった。

 

「――剣先ツルギ。いきなり正義実現委員会の最大戦力とはね」

 

「貴方達は…貴方達は、何をしたか分かっているのですかッ!?」

 

 ハスミとヒナタの後ろに立つツルギの姿を見て、毅然とした態度で言い放つミサキに、ヒナタは怒鳴る。

 

 人の命を奪う行為。

 それは身体が頑丈な故、死という概念から遠いキヴォトスに於いて、それはタブーとも言えるものだった。

 

 だが、目の前の連中は。

 アリウスは平然とそれをやってのけた。

 

 たった今殺された二人のロシア人にも家族が、愛する人が居たかもしれないのに。

 

「何って……私達は目の前の作戦の障害になり得る存在を排除しただけ。当然の事だよ」

 

「ッ……!!」

 

 ミサキの感情の籠っていない返答に、ヒナタは思わず言葉を詰まらせる。

 その間に、ミサキは担いでいた愛武器“セイントプレデター”の照準器を展開し、IFFインテグローラーをONにする。

 

「つまりこの状況は……アリウスによるものと、そう捉えて良いのですね?」

 

「剣先ツルギは想定外として……標的のシャーレの先生。手負いみたいだし、こっちは予定通り」

 

 ハスミの問い掛けをミサキは無視し、左手を振り上げる。

 その合図と共に周囲のアリウス生が一斉に銃口を先生らに向け、トリガーに指を掛ける。

 

「答えなさいッ!!」

 

「……アリウスのせいって。当たり前でしょ」

 

 無視されたことに対して、怒号を上げるハスミに対して、ミサキは淡々と答える。

 

「――絶対に許しませんよ、アリウスッ! 今、ここで代償を……!!」

 

「ハスミ」

 

 ハスミが怒鳴りながら愛銃の“インペルメント”の照準に合わせた瞬間、ツルギの底冷えするような声が響いた。

 彼女は愛銃の“ブラッド&ガンパウダー”を振り上げ、弾丸の装填音が鳴る。

 

「先生を連れて此処を離れろ。殿は引き受ける」

 

「ツルギ……!」

 

 が、その瞬間。

 

"!?"

 

「な、何事ですか!?」

 

 爆心地から伸びる亀裂の中、焼け焦げた鉄骨の間、誰のものとも知れぬ破れた制服の傍から、“それ”は滲み出るように現れ始めた。

 白く、霞むような淡い光。

 

 黒く焦げた聖堂の石畳の隙間から、亀裂から、瓦礫の陰から、何十体もの“それ”がじわじわと這い出し、地面の上に姿を現す。

 

「――姫、条約に調印できたんだね」

 

 それらを見たミサキが、ぽつりと呟く。

 その光景を見たヒナタが息を呑んだ。

 

「あ、あの服装は……聖徒会(・・・)!?」

 

"聖徒会…?"

 

「あの服装、古図書館の書物で見た事があります……!」

 

 黒に統一され、青白く発光したレオタードや修道服を身に纏い、ガスマスクで顔部を覆うその姿。

 まさしくそれは、遥か昔に消滅した筈の組織――ユスティナ聖徒会であった。

 

「数百年前に消えた戒律の守護者……どうして彼女達が、此処に……!?」

 

 

 

 

 同時刻。

 フランス陸軍第54砲兵連隊第4中隊展開陣地。

 

 調印式の会場から少しばかり離れたそこは、辛うじて爆風の影響を少し受けただけであり、負傷者こそ出たものの、全員が戦闘可能な状態であった。

 

「……状況は?」

 

「不明です。連隊本部、及び他の部隊との連絡も付きません。周波数を変えていますが、ロシア軍とも繋がらなく……」

 

 中隊長が無線士に問うも、帰ってくるのは通信途絶の報告ばかり。

 無線士が顔を強張らせたとき、索敵班の兵士が双眼鏡を握りしめ、震える声を上げた。

 

「前方、30メートル――! ……な、何か、来てますッ……!」

 

 その声に全員が駆け寄り、視線を前方の平地へ向けた。

 

 そこにいたのは、人影(聖徒会)だった。

 

 青く、淡い光を放ち、制服らしきものを纏いながら、ゆっくりと接近してくる、

 数体、十数体、いや──見渡せば、黒く染みるように辺り一面にそれが“湧いて”いた。

 

「こ……こちらフランス陸軍第54砲兵連隊! 身分を証明し、その場で停止しろッ!!」

 

 前線指揮官が絶叫するも、返答はない。

 ただ、静かに、じりじりと、無音のままそれらは前進を続ける。

 

「警告射撃ッ! 三発、斜め上に放て!」

 

 バシュッ、バシュッ、バシュッ!

 

 FA-MASの銃声が短く響く。

 それでも止まらない。

 むしろ、足を止めるどころか、歩調すら緩めなかった。

 

「ま、待て……止まれッ! 撃つぞ、撃つぞォ!!」

 

 命令と共に中隊の銃口――兵士らの持つFA-MAS、VAB装甲車に搭載されたAA-52や12.7mm重機関銃が火を噴いた。

 

 数十発、いや、数百発の弾丸が先頭の影を貫いた。

 それは確かに被弾し、一瞬だけ動きを止め、そして――ぼう、と微かな光に包まれ、音もなく蒸発するように消えた。

 

「消えた……? やったのか?」

 

「いや、違う! 全然減ってねえ……増えてる……後ろから次々に湧いてきてやがる……!」

 

 兵士の声が上ずり、焦りが伝染する。

 

「構わん、全隊火力集中ッ! 正面散開射撃!!」

 

 轟音と共に機関銃が火を噴き、ライフルが連射される。

 手榴弾が爆ぜ、火柱を上げた。

 

 だが、敵影の波は止まらない。

 数を減らしても、すぐにその隙間を埋めるように新たな影が現れる。

 止め処もなく、終わりもなく。

 

「なんだよこれ……! 何体いるんだよッ……!?」

 

 返り血を浴び、叫ぶ兵士の背後から、いつの間にか回り込んでいた影が現れる。

 気づいた仲間が叫ぶより早く、冷たい腕が彼の首を掴み──骨が砕ける音が聞こえた。

 

 兵士は一言も発さず、その場に崩れ落ちた。

 

「う、撃てッ! 撃て撃て撃てぇぇぇッ!!」

 

 混乱の中で射撃が乱れ、火線はめちゃくちゃにばらける。

 それでも影は怯まず、淡々と進み、持っていた銃火器を乱射。

 

 兵士達は血飛沫を上げながら、息の根を止めていった。

 

「こいつら、死なねぇ……いや、死んでる、のか……元々……」

 

 膝を折った兵士が呟き、顔を上げた先に、ガスマスクで覆われた顔があった。

 

 こんなものが、人間のはずがない。

 だが、人間であったような記憶の影──形骸だけを残した亡霊の軍勢。

 

 銃は効く。確かに倒せる。

 だが、数が、あまりにも多すぎる。

 

 バリケードを、鉄条網を飲み込みながら、ユスティナ聖徒会は前進した。

 

「来るんじゃなかった…こんな場所……」

 

 最期の無線が、基地本部に届いたのはその数分後だった。

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