その日は、雲一つない晴天だった。
陸上自衛隊第1師団隷下の第1特殊武器防護隊の斉藤一等陸佐は、東京都心部の一角――銀座に設けられた臨時封鎖区域の中にいた。
目の前には、周囲の空間を歪め、巻き取るように揺らめく時空の“穴”。
「……本当に、これに入るのか?」
隊員の一人が呟く。
「衛星通信、短波、光学通信のすべてを中継機でブーストする。向こうでも最低限の通話は可能、退路は確保されている……つもりだ」
斉藤は苦笑した。誰も“本当に安全”などとは思っていない。
第1特殊武器防護隊から選抜された調査チームは20名。
全員がNBC装備で完全に身を包み、
『“向こう側”の初期調査と、行方不明者の捜索および保護』
異世界が相手だとは誰も明言していないが、全員がその可能性を覚悟していた。
「各員、乗車用意。生態系不明につき、初期は完全防護。――乗車はじめッ!」
斉藤の号令により、20名の自衛官が一斉に車輌への搭乗を始める。
NBC装備の厚底ブーツと車輌の鉄製床が叩き合う独特な音が響き、全員の搭乗を確認した後、ゆっくりと後部のハッチが閉まり始めた。
『各車、最終確認完了!』
『第1班、出撃準備完了しました、オクレ』
『第2班、出撃準備完了、オクレ』
『防護隊本部、了解。本日
その合図と共に、2輌の装甲車輌が重厚感のあるエンジン音を轟かせる。
『発車用意!!』
斉藤はその合図と共に、自身の腕に付けた腕時計を見る。
防護マスク越しに見たそれは普段見るものよりもずっと見辛かったが、確かに秒針が動いているのが認められた。
秒針が進み、やがて分針が1の数字を指す。
『
2輌の装甲車の運転手が同時にアクセルを踏み、鉄の巨体が歪みへと飲み込まれてゆく。
同時に、自衛官達が感じたのは――世界が反転するような感覚。
そして、視界が色彩の奔流に包まれる。
重力が変わり、空気が変わり、匂いが変わる。
20XX年9月12日、12時05分。
この日、人類は史実初めて別次元の土地へと足を踏み入れた。
◆
「困ったものだな…これは」
D.U.地区に存在するヴァルキューレ警察学校公安局の事務所で、マグカップを片手に、同局の局長である尾刃カンナが呟いた。
彼女の持つマグカップからは淹れたてのコーヒーの湯気が立ち上り、冷房の風がそれを揺らし、彼女のデスクトップ画面に当たり、僅かな曇りを生む。
「今は保護という形で特別施設に留置しているが…他校やメディアにもいつまで誤魔化しが効くか分からん。どうにかできないものか…」
「いやいや、そう言われても……姉御がお手上げなら無理っすよ〜」
まるで助けを求めるかのように向けられた目線に気付き、慌ててそう言葉を並べるのは、同局の副局長であるコノカだ。
彼女達が右往左往しているのは、時空間異常出現時に出現した所属不明の集団――つまるところ、巻き込まれた日本の観光客の扱いであった。
連邦生徒会含め、時空間異常が異世界と繋がるゲートであると事実を確認している者達からすれば、この集団が異世界の人間である事には間違いないと確信していた。
だからこそ、今後どう扱えば良いかと言われれば、安易と判断しかねる問題であった。
転移直後は大きな混乱が見られ、ヴァルキューレ生徒の持つ銃を見て萎縮したり、怯えてしまったり、周囲の景色を見てパニックになり走り出してしまう者などが見られたが、幸いにも言語は通じ、適切なコミュニケーションを取る事で落ち着いて収納施設で保護する事ができた。
一先ずは安心だが、これからどうするか、については全くと言ってよいほど何も案が無いのである。
「…そもそも、そこは私らが考える様な事じゃないっすよ。あの人達の処遇は全て連邦生徒会の連中がどうにかしてくれる話じゃないっすか」
「そうは言ってもな、副局長…」
だからと言って、何でも縦に首を振り、無心で対処を続けられるほど我々もできた人間ではない。
そう言葉を吐き掛け、カンナは急いで口を閉ざした。
公安局長たるもの、そんな弱音は吐いてはいけない。
そう思い、大きくため息を吐いた時であった。
デスクの電話が鳴り、二人の視線がそれに向けられる。
「はい、ヴァルキューレ公安局です……何だとッ!? 直ぐに向かう!!」
受話器を取り、暫く話し込んでいたカンナが徐に顔色を変え、急いで受話器を置いてデスクから駆け出した。
そんな彼女の様子を見て、コノカが慌てて問う。
「ちょ、どうしたんすか姉御!?」
「緊急事態だ、時空間異常から――車輌が出現した!!」
「はぁ!?」
◆
「こ、これが…"向こう側"の世界……」
防護ガラス越しに目の前に広がる光景に、NBC偵察車の運転手がそう呟いた。
目の前に広がる光景は、鮮明さを除けば空間の歪み越しに見ていた光景と同じ、東京と少し似た、だが似ているようで全く異なる都市の姿だった。
車輌が歪みを通過し終えてから数十秒間、空間異常の影響か、自衛官達の視界にはモヤが掛かり、辛うじて物体の形や光を把握できる程度となっていた。
そのモヤが少しづつ晴れ、作戦行動が取れる視界に回復した事を確認した部隊長が、無線機で指示を出す。
『部隊長より各員、降車し周囲の警戒を開始せよ』
通信の後、CRVやNBC偵察車の後部ハッチが音を立てて開放され、NBC装備で身を包んだ自衛官が素早く降車した。
降車した彼らは車輌の周りを囲うように展開し、89式小銃を構えて周囲を見渡す。
『こちら第1班――なッ!?』
『こちら部隊長、どうした!? 状況を説め――』
無線越しに聞こえる、自衛官の驚愕の声。
CRVに搭乗していた部隊長も状況を伺いながらも、防護ガラス越しに周囲の光景を見て、言葉を失った。
数多に自分達へ向けられる銃口。
目を凝らせば、その全てがトリガーに指が掛けられている事を確認でき、一斉に自衛官らから血の気が引いていく。
(視界が朦朧としていて気付かなかったが、まさかこんな数の武装警備員が…!?)
だが、なぜ空間異常越しに彼女達を認められなかったのか――
そのような考察を頭に巡らせている内に、自衛官達が89式小銃の安全装置をア・タ・レのアからタへと切り替えていく。
事態は、一触即発であった。