日キ友好条約――
それは、異世界同士の平和的共存を目指す初めての試みであり、
同時に、地球とキヴォトスという“二つの文明の遭遇”が公式に認められた瞬間だった。
条約締結の速報は、同日中に地球各国へと伝達され、同時にキヴォトス内でも発表された。その反響は、予想を遥かに上回るものとなった。
まずは、キヴォトス側。
キヴォトス側では連邦生徒会が条約締結ギリギリまで時空間異常改めゲートの存在を公式に認めていなかったというのもあり、発表後は異例の大混乱となった。
マスコミであるクロノススクールからは勿論、三大校を含む各地の学園から問い合わせが殺到し、一時的に問い合わせセンターが麻痺するレベルだった。
キヴォトス各地から連邦生徒会に対する不信感の声が上がり、ゲートの封鎖区域近くまで大量の人間が押し寄せるなど、事態はシャレにならないレベルで悪化していったがシャーレの介入で事なきを得た。
無論、様々な学園から日本との国交樹立を望む声が上がったが、その中で、ゲヘナとトリニティだけはあまり激しく声を上げなかった。
表向きは理性的な対応を見せることにあったのだが、真の理由は別にあった。
それは、ゲヘナとトリニティ、二大学園間で締結される予定の『エデン条約』
トリニティもゲヘナも、締結前のこの時期に政治利用を行える可能性のある強大な外部からの力にはあまり触れたくない、と云うのが本音だった。
こうしてキヴォトス側はひと悶着あったものの事態は収束に向かい、新しい存在を迎える準備は整っていった。
一方で地球側。
地球側では、条約締結は即日発表され、その報は電波・ネット・紙面を問わず世界中のメディアを通じて瞬時に拡散された。
新聞社のトップページ、各国ニュースサイトの見出し、某SNSのトレンド、ポッドキャスト、ニュース解説動画。
「日本、異世界と条約締結」
「Kivotosとは何か?」
「国家主権か、神話か――条約が突きつけるもの」
数えきれないほどのテロップが、世界を覆い尽くしていった。
最初に動いたのは、やはりアメリカ合衆国だった。かつて太平洋の覇者と謳われた国にとって、この地図にない新世界は、あまりに魅力的だった。
日本の単独交渉によって“第一の椅子”を奪われたことに、政界・財界は激しい焦燥感と危機感を抱いていた。ワームホールの向こうにある文明。それが敵であれ商機であれ、自国の影響力を届かせることは安全保障上の必然とされた。
対日圧力と懐柔。
軍の即応体制、諜報機関によるルートの特定、既存の在日米軍ネットワークの活用――さまざまな“静かなる手段”が同時多発的に動き出す。
それは、日本に対する信頼ではなく、取り残される不安と独占される恐怖によるものだった。
その背を追うように、欧州諸国もまた水面下で動き出す。
フランスは宇宙軍とCNESを通じて、独自にゲート構造の分析に着手。
イギリスは、極秘裏に新設された『外次元特別委員会』を通じて、日本政府への接触を模索し始めていた。
ドイツはより慎重で、まずは国連安保理に“異世界条約の国際的監視体制”を議題に持ち出す構えを見せている。
だが、各国が最も警戒していたのは、中露の動きだった。
中国政府は即日、外務省報道官の名で声明を発表。
「異世界国家との接触は、全人類の未来に関わる問題であり、一国のみで決定すべきではない。国際社会による慎重な議論が必要だ」
この声明は一見すれば冷静な警告にも見えたが、行間に滲んでいたのは――アメリカと日本が手を組み、新たな覇権を握ることへの強烈な警戒心だった。
北京では即時、情報部門の再編が行われ、異世界情報の分析班が新設された。
海南島には『広域異次元監視センター』の建設計画が急遽浮上し、一部報道では中国人民解放軍が『次元ゲート対策部隊』を秘密裏に創設したとも言われている。
そして、ロシア。
クレムリンは「異世界への一方的な接触は、人類の安全と主権秩序に重大な懸念をもたらす」と発表。また、国営メディアを通じて、日本とアメリカを名指しするような論説が相次いで掲載された。
「キヴォトスとは何か。異世界は楽園か、それとも罠か。今世界は、もう一つの冷戦の入口に立たされているのかもしれない」
アメリカと中国が争って奪おうとするなら、ロシアは破壊してでも阻止する。
彼らの選択肢は、常に極端で、現実的で、そして暴力的であった。
地球の秩序が揺らぎ始めていた。
誰もが、自国こそがキヴォトスの正当な門番であると信じて疑わず、条約という一つの紙切れが、世界のパワーバランスを根底から突き崩し始めていた。
少し、話題を戻そう。
では一体、日キ友好条約では具体的に、どんな要項が記されたのか。
それは、単刀直入に言えば、お互いの世界の企業の異世界参入である。
キヴォトス側が提供できるのは神秘由来の未知の技術や、先進的な無人機の技術、それに加え莫大なキヴォトス内の通貨基金。
日本側が提供できるのは食料品を始め、日本製の高性能な機械製品、家電製品など。
企業の行動範囲は日本はDU地区内、キヴォトスは東京特区(銀座周辺の異世界交流を特認した地区)のみに限定し、段階的な経済交流を行う手筈だった。
しかし。
ここで、一つ問題が発生した。
世論や経済的効果については、段階を踏む為にあまり沸騰せず、経済効果は相当見込めるとされた。
だが、問題はキヴォトスの治安であった。
今回日本の企業が活動する事となったD.U. シラトリ区だが、キヴォトスの他の学園に比べれば治安は圧倒的に良いと言われていた。
だが、蓋を開けてみれば、定期的に発生する銃撃戦や爆発事案。到底、ヘイローが付いていない日本人従業員が労働を行える環境では無かった。
原因はどうやら
会談の時は外交官に被害が及ばないようにと、連邦生徒会がヴァルキューレ警察学校へ治安維持の最大強化を厳命していた為、銃撃事案などは起こらず、日本側もこの事実に気付くのに遅れた。
先述した通り、ヴァルキューレ警察学校は慢性的な資金不足で治安の維持が日に日に困難となっている。つまり、ヴァルキューレがいくら治安維持に尽力したところで、日本企業をDU地区に誘致できるような治安に改善することはないのだ。
日本側はこの事実に頭を抱える。
自衛隊を派遣するにしろ、世論はほぼ認めないだろう。
武器を提供するにしても、武器弾薬の規格が合わない以上、ヴァルキューレの負担が増えるだけだ。
そこで、政府は少し時間は掛かるが、必ず治安改善を行える方法を導き出す。
それが『DU地区における治安維持組織に対する資金及び非殺傷装備提供案』であった。
ヴァルキューレ警察学校DU支部に日本政府が補助金や防弾チョッキや鉄帽、通信機器や光学照準器などの直接的な殺傷を行うことの出来ない装備品を提供することで、間接的なDU地区の治安改善を行おうと云うのだ。
無論、世論は賛否両論だった。
だが最終的に、政府の説得や専門家の「相対的な利益では、日本企業を誘致できた場合の利益の方が大きい」という発表から多くが賛成に回ることになる。
かくして、日キ友好条約の締結から4日後、少数の自衛官とヴァルキューレ警察学校の生徒の護衛の元で装備品と資金の輸送が始まろうとしていた。