智慧の魔女の放浪譚〜活字らぶな黒髪少女は異世界でのんびり旅をする。精霊黒猫を添えて〜 作:嘉神かろ
①
空から降り注ぐ光のほとんどが遮られるような森の中を、黒い猫の姿をした亜精霊、
ただ、妙に多い湿気のせいで髪が張り付いて気持ち悪い。いっそショートくらいまで切ってしまっても良いかもしれないとは思うけれど、もう四十年くらいこの髪型だ。いきなり変えるには、少しばかり心の準備がいる。
そう、この世界に来てから、もう四十年も経っていた。カノカミに拉致されることなく日本で生きていたなら、定年も見えているかもしれない年数だ。
前世の記憶は妙な残り方しかしていないから、多分でしかないけれど。
ともかく、確かなのは、タイムリミットが着実に近づいていること。この調子なら、亜精霊の寿命である千年なんてあっという間に過ぎてしまう。それまでに目的を果たせるかは、正直分からない。
アストには言っていないけれど、およそ五年もかけて大陸最北端のバランシエから北西部まで来たのは、その目的のため。亜精霊の寿命を伸ばす方法を探すためだ。
十分な力を付けられたと確信するのに、ラムダたちを看取ってから十年くらいかかってしまったのだけれど、こればかりは必要経費だろう。
『智慧の館』で私が閲覧できないような情報に触れるなら、神話に挑めるくらいの力は必要だから。
おかげでSランクにもなれて、利かせられる融通にも幅もできたし、後悔するようなことではないはずだ。
頭の片隅でぼんやりそんなことを考えていたら、不意にアストが顔を上げた。彼の身体を構成する濃紫の魔力がチラついて、可愛らしい二尾を浮かび上がらせる。
「ねえソフィア、これ、本当に道あってる?」
「教えてもらった話だと、もうそろそろ見えるはずなんだけれど……」
今回の目的地は、他の町なんかとはほとんど交流が無いような辺鄙な場所だ。森の中の道なき道を進むから、間違えてしまった可能性はある。
魔導で隠されているならそれはそれで分かりやすかったのだけれど、そういう訳でもないらしく、少しばかり不安になってしまう。
正確な現在位置は分からないし、このまま進むしかないのだけれど……。うん?
精霊猫の聴覚が何かを捉えたらしい。
「何かあった?」
「うん。たぶん、人の気配。通りすがりの可能性もあるけど」
「まあ、行ってみましょう」
足を速めてすぐ、その気配に私も気がつけた。もう少し歩くと木々の隙間に青黒い何かが見える。
こんな所を通りすがる人もいないだろうとした期待は、どうやら裏切られず済んだみたい。
「止まれ」
静止の声は、石の門を守る男の片割れから。側頭部に太い角を持つ人間が二人、槍を交差させて鳥居に似たその門を塞いでいる。彼らの顔や腕には竜のような鱗があって、同じく竜のような尾が彼らの背後に見えた。
どれも
さっき見えた青黒いものは声をかけてきた方の鱗だったようね。もう一人の鱗はやや緑よりだ。
ともかく、素直に従おう。敵対したいわけではないのだし。
「そのまま立ち去れ。余所者を通すつもりはない」
淡々とした声音に悪意はなさそう。これ以上の会話をするつもりもなさそうだけれど。
閉鎖的な里だとは聞いてたから、予想の範囲内ではある。ただ、もう少し会話の余地はあるかと思っていたのよね。
「どうする? 情報収集もできそうにないよ」
「大丈夫よ」
杖を脇に挟み、両手を腿のやや内側に沿わせるようにしながらお辞儀する。龍神を信仰するドラグニエ教の礼だ。
日本古来の礼でもあるけれど、どういうわけか全く同じような所作が伝統になってるみたい。他にも共通のものがあったし、『智慧の館』でも由来に関する情報は閲覧できなくなっていたから、もしかしたら旧世界時代に日本からの転生者か何かが関わっていたのかもしれない。
「我らの礼儀を弁えているか。ならば客人だ。失礼した」
門番たちも同じ礼を返してくれたから、もういくらか近づいても良いだろう。この距離は少し話しづらい。
「人族の幼な子、というわけでは無さそうだな。そちらは亜精霊か。いったい何の用があって来た?」
「旧世界時代の遺物を探してるの。龍人族の里にそれらしいものがあるって噂を聞いたのだけれど」
門番二人は一瞬視線を交わして首を小さく振る。
「旧世界時代とやらがいつを指すかは知らぬが、心当たりはないな」
これは、知ってて隠してるのか、本当に知らないのか。
少なくともまったくの嘘ではないと思う。そういうのは基本的に嫌う傾向のある種族と教義だから。
でも、古くからある物はあるが旧世界時代とやらの物ではないだろうから知らない、くらいならありそうだ。
何にせよ、彼らに尋問する意味はない。
「そう。残念ね」
「勝手に調べるのはかまわんが、妙な騒ぎは起こしてくれるな」
「ええ、もちろんよ」
とりあえず今は、中に入れてくれるだけで十分ね。
門番たちに再度礼をして、石の鳥居をくぐる。先には崖と崖の隙間を行くような曲がりくねった細い道が続いており、地形以外に道を遮るものは無い。魔物のいるこの世界だと、どうしても無用心な印象を受けてしまう。若干の不安すら覚えるのは、日当たりが悪くてジメジメしているからかしら。
そんな道も長くは続かない。すぐに入り口にあったような石の鳥居が見えて、暖かな日差しに黒いローブが照らされた。鍔広の魔女帽子を被っていなかったら、眩しさに目を細めていたかもしれない。
天から降り注ぐその明かりの中に、目的地はあった。
不意に開けた視界。高い岩の壁に囲まれた中に木造の家々が幾重も段を作り、連なっている。すり鉢状の地形は遥か昔にあった噴火の跡で、外縁にある入り口からは、里の一番底まで見通せた。
一面の黒は、屋根を覆う瓦のもの。隙間に見える外壁は木の色そのままで、いくつも煙の上がっているのが見える。初めて来た場所のはずなのに、まるで日本の古い街並みのような、妙な懐かしさがあった。
「ここが龍人族の里かぁ。思ったよりずっと大きいや」
「そうね。町って言っても良いくらい」
里というからもっと小さな集落を想像していたけれど、反対側はよく見えないくらい先だ。建物の一つ一つが大きいから人口そのものは多くないのかもしれないけれど、それでも百やそこらの人口ではないように思える。
この広い里で情報を集めようと思ったら、それなりに時間がかかってしまいそうね。
なんて嘆息していたら、足元からぐぅと鳴る音が聞こえた。まったく、なかなか盛大に鳴らしたものね。
「ひとまずお昼にしましょうか」
「あー、うん、そうだね」
口角を少し上げながら言えば、私と同じアメジストの瞳は恥ずかしげに逸らされた。