智慧の魔女の放浪譚〜活字らぶな黒髪少女は異世界でのんびり旅をする。精霊黒猫を添えて〜 作:嘉神かろ
④
ともかくまずは、目の前の若者をのさないと始まらない。杖を低く構え、誘ってあげる。
「舐めた真似を!」
ちゃんと意図に気がつけるくらいの実力はあるようね。その上で安易に乗ってくるのは減点。そんな風に真っ直ぐ突っ込んできたら、ありがたくいなすしかないじゃない。
「くっ……!」
突き出された槍に杖の先端を沿わせ、後ろへ。そのまま上から押さえ付けてやれば、バランスなんて簡単に崩れる。
それでも彼がどうにか踏ん張れたのは、身体能力というよりは尾のおかげね。
まあ、関係ないのだけれど。
「っ……!?」
槍の柄を辿るように杖を振り上げ、名も知らない彼の顔面を打つ。手加減はしたけれど、そこらの魔物なら一撃で殺せる威力。これで終わりかしら。
「――あら、まだ立てるのね。でももう止めておきなさい。力の差は分かったでしょう?」
「はぁ、はぁ……、くそっ……」
若者はそのまま崩れるように座り込み、後ろ手に体を支えて天を仰ぐ。思った以上に聞き分けが良い。たぶん、ステレオタイプに近い龍人族なのね。
さて、一瞬ざわめく気配があったけれど、周りの彼らはどう動くかしら?
できることなら――
「すまないが、俺とも手合わせ願えないだろうか」
壮年の声に内心、ほくそ笑む。
「ええ。かまわないわ。何人でも相手をしてあげる」
軽く好戦的な笑みを作ってみせると、視界の端でアストが目を丸くした。
気が付けば、火口の縁が茜色の光を零れさせていた。里の西側はもう真っ暗で、朱色に揺れる光がいくつも見える。
「ソフィア、お疲れ様」
「さすがに少し疲れたわね」
ちらと視線を巡らせると、倒れ伏す人影が十と少し。初めの方に戦った人はさすがにもう回復しているから、実際に戦った数はもっと多い。どこから聞きつけたのか、どんどん人が増えたのよね。
でも、慣れないことをした甲斐はあった。
「強いねあなた! 驚いたよ!」
興奮した声で近づいてきたのは、初めに話しかけた青い鱗の女性。彼女は戦いを挑んではこなかったけれど、ずっと観戦はしていた。
「絡まれても知らないだなんて余計なお世話だったね」
「いいえ、そうでもないわ」
心の準備くらいはできたもの。
「おっと、ごめんなさい。私はアマネ。あなたは?」
「ソフィエンティアよ。こっちはアスト」
「よろしくね、ソフィエンティアに、アスト君」
アマネさんはわざわざしゃがんでアストに視線を合わせてくれる。いい人そうだ。他の人たちもそうとうに信頼した視線を向けているし、もしかしたら立場のある人なのかもしれないわね。
さて、本題に入ろう。
「ねえ、一つ聞いていいかしら?」
「うん? 何?」
「私たち、旧世界時代の文献を探してるのだけれど、何か知らない?」
アマネさんは少し考える様子をみせ、天を仰ぐ。どこかで聞いたことがあるような、なんて呟いていたから期待したけれど、次に向けられたのは謝罪だった。
「ちょっと分かんないなー。みんなは何か知ってる?」
周囲の反応は、鈍い。考えてくれてはいるようだから、昼間の聞き込みに比べたらずいぶんマシだけれど。
「そう。そう簡単に見つかるものでもないでしょうし、仕方ないわ。ありがとう」
正直、ここまで手がかりがないとは思ってもみなかったけれど。年配の龍人族なら何か知ってるかしら? 明日はそういうところをを探してみるのもいいかもしれない。
「ごめんね。お詫び、と言ったら変だけどさ、良いところに案内してあげる」
いいところ?
アストと思わず顔を合わせる。聞いても教えてくれなさそうだし、とりあえず付いて行ってみましょう。
修練場を後にして向かったのは、また明るい東側。美味しそうな匂いを漂わせる建物の間を縫って、細く曲がりくねった階段を上る。
これ、体を鍛えてる人でなかったらなかなか大変でしょうね。未だに目的地らしい場所は見えないし、このままだと山頂付近まで行ってしまいそう。
「もうすぐだよ」
いたずらっぽく笑い、アマネさんは少し足を速める。追いかけて、火口の縁まで昇ると、それはあった。
「これは、温泉?」
「正解!」
硫黄の匂いはしなかったのに、と思った瞬間、風に乗って独特なそれが流れてきた。
「うわっ。ねえ、どこかで卵が腐ってるよ……!」
「これは温泉の匂いよ」
「なんか前に言ってたやつね。うっ、ごめん、ちょっと僕これ無理」
仕方ないわね。
魔導を使って硫黄臭の元を止めてやる。
ああ、なるほど。結界が張られているのね。慣れない魔導体系で気が付かなかった。龍人族独自のものでたしか、紋様を使うものがあったはずだ。
「へぇ。やっぱり魔導師だったんだ。それっぽい格好してるのにぜんぜん魔導を使わないから、ブラフか何かだと思ってた」
「魔と武なら、武の方に重きをおいているでしょう、あなたたちは」
「あー、そうだね。魔導の強さもダメってわけじゃないけど」
あとは単純に、同じ土俵の方が分かりやすいだろうから。
ともかく今は温泉だ。それも硫黄泉。これを前に、待ては厳しい。
アマネさんの案内で湯浴み着に着替え、いつもより少しばかり機敏に動いて湯に入る。当然汚れは魔導で落としてかけ湯もした。芯まで温まる感覚に、思わず息が漏れる。
「疲れが溶ける思いね」
「なるほどねぇ、これが温泉かぁ……」
アストったら、声が蕩けちゃってる。気持ちは分かるけれど。
「でしょ。本当は外の人にはあまり教えないんだ」
「あら。それは、ちょっと頑張った甲斐があったわね」
「頑張ったって様子はなかったけれど?」
この悪戯っぽい笑顔は嫌いじゃない。
そういえば敬語を忘れていたけれど、まあ、今更ね。
ふと視線を里の方に向ける。どこまでも広がるような緑の向こうには夕陽が沈もうとしていて、少し上の紫には星々が瞬いていた。
この景色をアストと見ていられる。幸せだと思う。いつまでこうしていられるのか分からないから、余計に。
アマネさんに問われるままにこれまでの旅の話をしながら、頭の片隅でそんなことを考えてしまう。そうならないように、そうならない道を選べるようにここに来ているわけではあるけれど。
「あっ、そうだ」
会話が途切れて、染み渡る温もりに身を任せるばかりになり始めた時だった。アマネさんがざばりと音を立てて体を起こす。
「思い出した、旧世界。お祖父ちゃんが昔言ってたんだ」