智慧の魔女の放浪譚〜活字らぶな黒髪少女は異世界でのんびり旅をする。精霊黒猫を添えて〜 作:嘉神かろ
⑬
らしくもなく祈りながら、最後の階段を降りる。景色は再び赤熱した岩の洞に変わって、コツコツと足音が反響する。どんどん強くなる熱気は、源となっている何かに近づいている証だろう。
すなわち、アストの延命に繋がるかもしれない何か。逸りそうになる心を、疲労困憊だろうアマネさんを気にすることでどうにか沈めようとする。けれどその彼女もこの先にあるものが気になるのか、はたまた、まだ戦いの興奮が勝っているのか、しっかりした足取りでついてきていた。
靴底の段を踏む音だけが響く。その時間がどれほど続いたのか。不意に平らな地面が見えた。ちらりとアストを見るけれど、彼は先に目を向けるばかり。たぶん、この場で緊張しているのは私だけ。
視界が開けた。最奥は小さな岩の広間が一つ。どうにか組み手ができそうなそこの奥は一段高くなっていて、石の台座が一つあった。目的のものは、その上だ。
「なんか古そうな本だね。見た目は」
「ええそうね。見た目だけは」
これだけのダンジョンを生み出し周辺の気候を変えてしまうほどだ。分かってはいたけれど、あまりに異常。そこにあるだけで身が竦むような魔力を感じる。
「ご、ごめん。私これ以上、近づけない」
仕方ない。アマネさんでは押しつぶされてしまう。
「そこで休んでいて」
魔力の奔流をかき分けて台座に近づき、慎重に手に取る。抵抗のようなものはない。状態も悪くなくて、崩れる心配はしなくてよさそうだ。
「なんか、学園で使ってた教科書? みたい」
少し分厚いけれど慣れ親しんだサイズ。ずしりとくる重みも手に馴染むもの。タイトルは、書いていない。
その一ページ目を開いて、段差に腰掛ける。アストは肩の上から覗き込むらしい。
「日々に綴らんと、つれづれに? 何この文章」
「旧時代の文法ね。今の言葉に直すと、日記とやらを思ったままに書いてみるとする、ってところかしら」
そう、日記。書き手の名は、不明。でもたぶん、アマネさんたちの崇める龍神本人なのだろう。とりとめの無い内容の端々から漏れる傲りがそれを示しているように見える。
この中に手がかりがある保証は無い。ただ『智慧の館』で見られないというだけのもので、ある意味で虱潰しをしているだけだ。それでも期待せずにはいられない。切望せずにはいられない。
「アマネさん、長くなると思うから、階段の方まで下がって休んでて」
「ああ、うん、そうさせてもらうよ」
アマネさんが腰を下ろしたのを確認して、再び散文へ目を落とす。初めの数ページはその日の日記というより少し前のことを思い出しながら書いたもののようで、ついさっき戦った冒険者たちだと思われる記述があった。
「あのお方に選ばれてしまった幼い人間、土の姉妹に鍛えられた者たち……」
「知らない固有名詞が多いね。あの方だとか土の姉妹だとか」
「そうね。でもなんとなく推測はできるわよ」
あのお方っていうのはたぶん、グラシア教の神話にある旧世界の創造に関わる神々。土の姉妹っていうのはスズさんたち三女神の可能性が高いわね。土のだなんて付いてる理由は分からないけれど。
更に読み進めると、彼らが日本から召喚された若者だってことも書いてあった。
つまり私と同じように、神の娯楽に翻弄された人たち。絶対的な上位存在により生まれ育った世界から連れ去られ、平穏を奪われて、命の軽い世界で足掻いた人たち。
そう思うと同情と共に尊敬の念が湧く。友人達もいたとはいえ、どれほどの苦難が彼らの道にあったことか。
ああ、薙刀の彼女が死にかけたときの動きはそういうことか。二度と帰れない故郷の友が殺されかけたなら、あんな動きをするのもおかしくはない。
そんな彼らを見て、創世の神々は愉悦に浸っていたのかしら。カノカミが私を見てそうしているように。
だとすると、神々っていうのは――
「本当に虫唾の奔るやつらね」
「ソフィア?」
首を振って返し、口に出してしまったことを恥じる。それはそれとしてもやっぱりカノカミはぶん殴らないといけないわね。この日記帳を見る限りまだ無理そうだけれど。
更にページをめくる。時折アストの問いに答えながらそれらしい情報を探すけれど、見つからない。大半は決まった何人かとのやり取りの内容や神々に対する感想で、たまに庇護する龍人族に関する話が出てくるくらいだ。
日付の飛び方も大きい。筆まめなタイプではなさそうね。
やっぱり、ここには無いのかしら。そう簡単に見つかるものだとは思っていない。でも漏れそうになる溜め息は止められない。吐き出すそれは残りのページが薄くなるほどに重くなる。
このまま何も無ければ、また旧世界に関わりのありそうなものを探すところからだ。そうなるとどれだけ足踏みすることになるのか。アストの寿命は確実に減ってしまうというのに。
残り十ページ程度。急に日付の間隔が短くなってきた。内容から察するに、旧世界の終わりが近いのでしょうね。三女神に倣って自身の領域を保護するか、このまま滅びに身を委ねるかを迷っていたみたい。ああ、この日記帳は新しい世界を維持する核として銀の女神に譲られたものだったのね。
「ふーん、大精霊様が生まれる前はこの本を使ってたんだ。てことは大精霊様もこれくらい凄いってことかぁ……」
暢気ね。あなたがこれから先、どれだけ私と一緒にいられるかがかかっているのに。
いえ、私の目的を知らないんだからそれで当然。僅かにとはいえこんな事で苛立ちを覚えてしまうだなんて、自分で思っている以上に余裕が無いのかもしれない。
落ち着きましょう。無いものは無いし、これが最後の手がかりというわけではないもの。アマネさんも待たせているし、さっさとあと三ページを読み切って、うん?
「これ……」
――あやつめ、とうとう成功させたか。人間を新たな種族に変じさせた事は聞いていたが、あの方々が原初に生み出したものに近しい命の創造だ。まさか為しえるとは、我らのうちのどれだけが考えていたか。ともかく、これで理を確立する目処は立った。そろそろ私も選択せねばなるまい。
銀の女神が、人間を新たな種族に変じさせた。精霊や亜精霊を生み出したのが彼女だというのは知っていたけれど、これは知らなかった。
つまり、彼女は確立した魂に干渉する手段を知っているということ。肉体を改造しただけなら世界は新しい種族として認識しないはずだから。
「行くしか、ないわよね」
本当は最終手段にしたかった。何も得られなかったときが怖かったから。でもその可能性がぐっと下がった。
もちろん今の世界とは多少法則も違うし、亜精霊と人間という違いもある。私がその方法を扱えるかも分からないし、代わりにしてもらえるかも、そもそも教えてもらえるかも分からない。
この光明がただの幻想だったなら。恐ろしい。恐ろしすぎる。でも。
アマネさんと目が合った。夢のために踏み込んで、そして成長を勝ち取った女性。恐れを乗り越えて目的に近づいた若者。
あんな若い子が頑張ったのに、偉そうなことも言った私が踏み出さないなんてあり得ないわね。
「ソフィア、何か決めたんだね?」
「ええ。帰りましょう。私たちの原点、アンティクウム大森林に。スズさん達に会いに行くの」
ただの里帰りには少し、いえ、かなり命がけになってしまうけれど。
「スズさんたちにね。いいんじゃない? 僕はソフィアとならどこにだって行くよ」
ふふ。そうね。私だってあなたとならどこにでも行くし、行けると思ってる。だから……。
ダンジョンの奥底で次の道を決めて数日。目的を果たし、雑事も済ませた。名残惜しいところもあるけれど、この里に留まる理由はもうない。
「色々世話になったわね」
入り口の石鳥居を潜ったところで振り返り、見送りに来てくれたアマネさんと長老さんに挨拶をする。
「こっちのセリフだよ。良い経験をさせてもらえた。課題も見れたし、目指してるところだって」
「ワシからも改めて礼を言いたい」
龍人族式で頭を下げようとする長老さんを制し笑みを返す。ダンジョンから帰ったときに十分受け取ったものだから。
「二人はこれから大森林に行くんだよね。北の端から南の端、遠いなぁ」
「まったくね。長生きの種族で良かったよ」
「はは。そこはちょっと羨ましいかも。……私とは、これでお別れかな?」
青の瞳が揺れる。一緒に過ごしたのは本当に短い時間だった。けれど、彼女の中で私たちは存外に大きな存在になってしまったらしい。
たしかにここは辺鄙な場所だし、大森林からは物理的には最も離れた場所だ。そう思ってしまうのも無理はない。
「大丈夫よ。私たちは龍人族よりもずっと長い時を生きるもの。ここまで来る時間を作るくらい、なんてことはないわ」
「そうだよ。ちゃんと強くなったかも確かめないとだしね」
何かの用事でこの辺りまで来ることもあるかもしれないし。
「そっか。そう、だね」
うん、やっぱり若い彼女には笑顔でいてもらわないと。
「さて、そろそろ行くわね。また会いましょう」
「うん。またいつか」
「またねー」
最後に龍人族式の礼をして、南へ踏み出す。目指すはアンティクウム大森林の最も深い場所。ただ、アストと過ごす