(書籍発売中!)逃げる魔法使い 〜寿命を削って魔法を使っていただけなのに、なんだか周囲の様子が変です〜 作:うちっち
私達は、こうして世界樹を後にした。
まあ、本当のことを言って、信じてもらえたし、行ってよかったかな。特に「信じてもらえた」という部分が大切である。これまで何度も言っていたはずなのに、という部分は水に流すことにしたい。今日は記念すべき日として、私の中に刻まれるだろう。
私は感慨深く、世界樹を振り返った。……あれ?
「なんかハゲてる……?」
ところが、世界樹に行った翌日から、行動が変わった者がいる。というか私以外の全員が変わった。まず、変わったところその1。
私は、朝、緑の果物を澄ました顔でバリバリと口にする仲間たちを、困惑しながら眺めた。あれは確か、2時間しか寿命が伸びないという……。私も仲間外れは嫌なので口にしたが、やっぱり苦いよこれ……。
違いその2。みな、水車でギリギリと背中を伸ばされ、板に張り付けられてぐるぐると回される拷問を顔色1つ変えずに受け始めた。さすがに連日は勘弁してほしかった私は、そばで見守ったり、ぴょんぴょんと跳ねたりして応援した。
命の大切さを知ったから、とか……? いや違うな。それにしては必死さの度合いが違う。
私の隣で、白巫女様が、呆れたように呟いた。
『勇者様って頭いいと思ってたけどそうでもないのかな』
『いやいや! 勇者様にも、頭がいい時くらいあるんですよ』
幼馴染があらぬ誤解を受けていたので、私はすかさず訂正した。すると、そこに、回され終わった勇者がやってきて、じろりとこちらを睨む。
「おう今こっちに分からないと思って悪口言ってただろ」
「私はフォローしたよ?」
「悪口言ってるじゃねーか」
ふう、と隣に腰を下ろしたので、私はストレートに聞いてみることにした。なぜ急に健康に気を遣い始めたのか。階段を昇るだけで息切れでもしだしたのか。
勇者は、呆れたようにこちらをちらりと見た後、まだぐるぐると回されている2人を遠い目で見て、溜息をついた。
「さーな。なんか、思うところでもあるんじゃねーの」
* * * * * * * * * * * *
世界樹から戻ってきた日。魔法都市に着いた頃には日が暮れていたため、そのまま自由解散となった。王女は仲間に別れを告げ、ただ、街を歩く。
魔法都市の夜は、果てしなく金色に照らされていた。水晶の灯りが空気に溶け、髪や肩に淡い粒を降らせる。人々はその光を浴びて笑い合い、まるで祝祭の只中にあるようだ。
けれど王女の胸の内には、祭りの熱気とは正反対の、冷たい沈黙しかなかった。
――千年後、浜辺で集合しよう。
あの時、軽く口にした言葉。ほんの冗談のつもりだった。
それを聞いた彼女は、わずかに目を見開いて、そして花がほころぶように笑った。
「うん、絶対だよ!」
その笑顔の意味を、どうしてあの時はわからなかったのだろう。
本気だったのだと、今さらになって突きつけられる。
想像してしまう――千年後の浜辺。
変わらずに立つ彼女の姿と、そこに影のない自分。
光の中に自分だけ欠け落ちている光景を思い浮かべた瞬間、喉に鉄の味が広がった。
街の中を、あてもなく歩いた。
夜露に濡れた石畳が靴の裏に吸いつく感触も、すれ違う旅人の声も、何一つ頭に入らない。
ただ「千年後」という時間だけが、胸の奥で不気味に響いていた。
――あの子は長命種だ。人の一生ではとうてい届かない時を、笑いながら越えていく。
自分がいなくなった後も、彼女は歩き続ける。そして、あの日交わした約束の場所に立ってしまうのだ。
自分が与えた、決して守れない約束を胸に抱いたまま。
「……どうして、私は……あんなことを……」
声に出した途端、胸が締め付けられる。誰も聞いてはいないのに、恥辱の炎が頬を焼いた。軽く放ったはずの約束が、千年の孤独を彼女に課す枷になる――それを気づかず笑っていたのは自分だ。
守りたいと思っていた。
――本当なのよ。
彼女を守れるのは自分だと信じていた。
同性で、年下で、儚げに見えた少女を。
けれど真実は逆だった。いずれ先にいなくなるのは自分。残されるのは彼女の方だ。
無力さが、悔しさよりも先に胸を押し潰していく。
ほんの少しでも、同じ時間を生きられる方法があれば――。
そんな愚かな願いが頭をよぎった瞬間、羞恥と絶望が一度に押し寄せる。そんな方法はあり得ない。
それでも、夢想してしまった。彼女の隣に並び、千年後の砂浜に一緒に立つ光景を。
もう二度と後悔しないと誓ったはずだった。なのに今、知ってしまった――。
私のした約束は、千年の果てまで彼女を追い続けるのだ、と。
部屋に帰って、1人きりになった瞬間。
王女は、子供みたいに声を上げて泣いた。
涙が尽きるまで泣いたあと、ようやく顔を上げる。
視界は滲んで、息は震えていたけれど――それでも、立ち上がった。
泣いていても、きっとこのままでは、奇跡なんて起きやしない。
……少なくとも、ただ待っているだけの者には。
——長命種。
その三文字が、剣士の耳の奥でいつまでも鳴っていた。
視界の端で、彼女が小さく咳をする。砂利庭を抜け、香の煙の向こうで、いつものように首をかしげる。その仕草は十年前と変わらない。
変わらない——その言葉が、今は怖い。
十年前、行方をくらました彼女を探して、剣士は港を、裏路地を、奴隷商の名簿を、医師の帳面さえ洗った。あのときは「普通の娘」が運悪く目を付けられて、悪い連中に攫われたのだと思っていた。
だが今は違う。
“長命”は、終わらない。狙う理由が、終わらない。
研究者も、権力も、宗派も、世代を渡って標的を引き継ぐ。百年ごとに名簿が更新され、千年かけて噂が磨かれて、彼女の居場所は伝説になっていく。
剣の柄を握る手が汗ばむ。今この瞬間の危険ではない。必ず到来する「置き去りの日」が、静かに喉を締める。
老いれば握力は落ちる。反射は鈍る。ある朝、柄に指がかからなくなる日が来る。そこから先——彼女の千年は、誰の前でもなく、敵の目の中で続いていく。誰もいない夜道を、彼女は一人で歩き続ける。
想像は勝手に細部を生む。
昼の市場で交わる一瞬の視線。安宿の扉の隙間に差す細い影。深夜、窓の外で刃が鞘から抜ける短い音。十年前に思い描いた「最悪」は、今や終わりのない連続に変わった。
剣士は呼吸を整える。目の前の彼女は、露店の菓子を指差して「これ、おいしいですかねー?」と笑っている。その笑顔に、十年前と同じ高さの声に、胸の奥がざらつく。自分だけが変わる。自分だけが減る。
それでも視線は離れない。見失った瞬間に、未来がこちら側へ一歩近づく気がするからだ。
——怖いのは今ではない。必ず彼女を一人にしてしまう、その日だ。
斬れる敵なら、いくらでも想定できる。何百通りでも勝ち筋を描ける。
だが、時間は、斬れない。
時間の向こうに並ぶ無数の手から、どうやってあの小さな背を守るのか。答えはどこにもない。
誓いは、寿命の長さで測れるものじゃないはずだった。
同じ景色を見て、同じ道を歩き、隣で笑い続けること――それが、勇者の「ずっと」だった。
自分たちは同じ時間を歩いているんじゃない。
勇者が一歩進むたび、彼女の足元の道は果てなく延びていく。
この先、勇者が歳を取り、声が掠れ、目が濁っても、彼女は今のまま笑っている。
勇者の『ずっと』には終わりがあるのに、彼女の『ずっと』にはない。
誓いがひっくり返る感覚だった。
守るために隣にいるはずだったのに、本当は自分のほうが置いていかれる。
最後に彼女の横顔を見られるのは、自分じゃないかもしれない。
いや、きっとそうだ。自分がいなくなったあとに、自分ではない誰かが、その場所に立つだろう。
そう考えた瞬間、心臓が氷の手で掴まれたように冷たくなる。
視線を向ければ、彼女は屋台の湯気の向こうで、白い指先を伸ばし、茶色い飴を受け取っている。
ふっとこぼした笑顔は、十年前と同じ高さで胸を刺す。
その笑顔を、あと何度、自分の目で見られるのだろう。
あの日、自分が誓った「ずっと」は、どこへ行くんだろう。
* * * * * * * * * * * *
「ねえ、みんな、まさか千年後まで生きようとしてる?」
ぶはっ! と勇者は口にしていたジュースを盛大に吐き出した。ごめん。あえてタイミングを見計らったわけではない。信じてほしい。
剣士と王女様がまさかの2周目に行ってしまったので、私と勇者は2人で街へ抜け出してきていた。私は、さっきより甘い匂いを増した彼の服を、懸命に拭きながら考える。
……ひょっとして、と思った。彼らが頑張っている理由。まさか、まさかなのだけど……と思いながらも、ぶつけてみた感じだと、当たりだったらしい。
それはともかく、うーん。
私の中では、人間が千年も生きないのは常識なわけで。だから、叶ったらいいな、くらいの気持ちだった。それで、どうも長生きの方法はなさそうだし、もう諦めては。いちおう約束もしたけど、ねえ。
それに、せっかく記念の品を埋めたのに誰も掘り出さないんじゃつまらない、と思うかもだが、ここには私がいるわけだし。
「千年後の浜辺には、私が1人で行くよ。だから、大丈夫」
すると、勇者はくしゃくしゃっと顔をしかめた。目と鼻と口が全部顔の中心に集まった、みたいなすごい顔だった。その表情何。どういう気持ちなの。
「お前さ、人の気持ち、たまにわかんないよな」
「うん今ちょうどそう思ったとこ」
「はー。もうお前さんには困ったもんだわ」
むむ。そう言われるとちょっと釈然としない。理屈としては分かる。つまり、私が1人で約束の場所に行くのがぼっちで寂しそうだと。そういう意味なのだろう。
……私の中では、記憶が一緒にいるなら、ぼっちではない、と思う。うん。だが、まあ、来なくていいよと言われるのも向こうからすると違うのか。
「じゃあ、来なかったら探しに行こうか?」
「待て待て。プレッシャーかけるのもやめろ」
さらに、ぽふんと勇者は私の頭に手を乗せて、ぐりぐりと押さえてきた。身長差が憎い。いきなり伸びてびっくりさせてやろうか。
「それ絶対あの2人の前で言うなよ」
「『俺の前ではいいんだよ』って言うその心は?」
「俺はお前があんま深く考えて喋ってないこと知ってるから。意味深なんだよいちいち」
「だからそんなに気にする必要ないんだけど……」
その後も、私と勇者は並んで歩いた。
石畳の大通りは人であふれ、通りごとに違う市が開かれている。
「記録の市」の一角で、私は、ひときわ古めかしい机に並べられていた帳面に目をとめた。分厚い革表紙の中央には、今では誰も読めない古代文字が刻まれている。
なにやら意味ありげに見えるけれど、店主いわく「飾りです、雰囲気ですよ」とのこと。そういえば、日記帳の残りページ、少なかったよね。
試しに開いてみると、白紙の間から新しいページがすうっと湧き出すように現れ、閉じても厚みは変わらなかった。
少し書き込んでみると、文字は淡い光に溶けて紙に沈んでいく。
うん、これ、いいかも。
その横で勇者は「護符の市」を見て回っていた。
小さな宝石や銀細工がひしめく屋台の前で、じっと何かを選んでいる。
やがて手に取ったのは、指先ほどの小さな青い石をはめ込んだ2組のペンダント。
念じれば、対となる持ち主の相手のいる方角を指し示すのだという。
「……ほら、お揃いな」
照れ隠しのように差し出す声は、わずかに強張っていた気がした。
私は受け取って首に掛け、軽く石を撫でてみた。
なるほど、不思議な温もりが指先に残る。
「勇者なのによく迷うもんね。私が探しに行くこと多かったし」
「迷ってませんー。ちょっと広めに見回りに行ってただけですー。……な。だから、俺からのだって、忘れるなよ」
不意に真剣さを増した勇者の顔を見て、私は首を傾げた。「意味深なんだよいちいち」ってちょっと前に言われたばかりだけど、これは少し意味深では……。いやどういう意味だって言われると、はい。……どっち……? これはどっちの意味なの……? 正直、私にそういう経験がなさすぎて、どっちか全然わからない……。
私が考え込んでいると、勇者は、ぷはっと吹き出した。そして、やたらバシバシと私の背中を叩いてくる。……すっごく痛い。
「何考えこんでるんだよーほれほれ。100年早いっつーの!」
「100年前は生まれてすらなかったくせに……!」
もう怒った。よかろう。やったってことはやられる覚悟があるってことだよね? いや、当然ある。そうでないとおかしい。
私は、さっき買った日記帳で、そっと口元を隠した。小道具として丁度良かったからだ。そして、ゆっくりと目を細める。
「ねえ。私の1000年後が寂しいって言ってくれたけど……寂しくなくなる方法があると思わない?」
「な、なんだよいきなり。目が怖いぞ」
「あなたが子孫を作ればいいの。その子に、孫に、私が色んなお話をしてあげる。これまで見たもの、聞いたもの……。ほら、さっき買った日記帳は、いくらでもページがあるんだから、ちょうどいいよね? 何人いても大丈夫だよ?」
要は、私が勇者一族の守り神的な? 敷地の端っこに、ほこらでも建てさせてくれたら、私、ちょっと狭いところでも寝られるし。物語を聞きたくなったら呼んでくれたら、のそのそ這い出してくるから。お嫁さんとしては、王女様とか……? あと、白巫女さんは意外に相性いいんじゃないかな。……私? 100年早いらしいので。はい。
私は、勇者に近寄り、そっと見上げて、耳元で吐息のように囁いた。
「ね。そろそろ子供……作っちゃおうか?」
その瞬間、勇者はバターン! と足をひっくり返して勢いよくぶっ倒れた。覗き込むと、完全に目を回している。ちょっ……もう! 剣士さんいる⁉ いないよね知ってましたー! じゃあ私が持って帰るしかないじゃん! ……重っ! 何でできてるのこれ⁉
結局、その後、私が勇者を宿に持って帰るのに、3時間かかった。正確には2時間45分時点で剣士が探しに来てくれなかったら、もっとかかっただろう。彼の友情に、今は感謝したい。