道徳以外を教えます   作:マウスブン

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7月 暗殺対策

例の「宴の訓練」から数日後、カシアンは再びレア大司教からの呼び出しを受け、彼女の執務室へと足を運んでいた。扉の前で待っていたのはセテスであり、彼の厳しい表情からは、今回の呼び出しが単なる業務連絡でないことが窺えた。部屋の中に入ると、レアが窓辺に立ち、外の景色を眺めていたが、その背中からはいつになく重々しい雰囲気が漂っていた。

 

「カシアン、急ぎ呼び立てて申し訳ありません」

レアはゆっくりと振り返り、カシアンに向き直った。その表情は穏やかだが、瞳の奥には深い憂慮の色が見て取れた。

「実は、あなたに意見を聞きたい、由々しき事態が持ち上がったのです」

 

隣に立つセテスが、険しい顔で口を開いた。

「先日鎮圧した、ロナート卿の反乱…その残党や関係者を取り調べる中で、看過できぬ情報が出てきた。レア大司教、あなた様の暗殺を計画している者たちがいる、という証拠がな」

 

セテスの言葉に、部屋の空気が一層重くなる。反乱軍の拠点から押収された文書の中に、暗殺計画を匂わせる記述や、協力者との連絡を示唆する暗号が見つかったのだという。

 

レアは静かに続けた。

「計画の全貌や、実行犯の正体、時期などはまだ不明です。しかし、脅威が存在する可能性は否定できません。そこで、カシアン…あなたの、その類稀なる分析力と洞察力をお借りしたいのです。一体誰が、どのような意図で、どのような手段で私を狙っていると考えられるか…あなたの忌憚のない意見を聞かせてはもらえませんか?」

 

レアの真摯な依頼に、セテスが横から付け加えた。

「フン。貴様のその捻くれた頭脳も、たまには女神と教会の安寧のために役立ててみるがいい。我々騎士団や教会の者だけでは思い至らぬような、悪意ある者の思考回路を読むのは、貴様の得意とするところだろうからな」

その言葉には、皮肉と同時に、カシアンの特異な能力への不本意ながらの期待も込められているようだった。

 

カシアンは、二人の言葉と部屋の重苦しい雰囲気を意にも介さず、むしろ興味深い分析対象を与えられたかのように、顎に手を当てて少し考え込む仕草を見せた。

 

(…やれやれ。また厄介事を押し付けますか)

彼は、面倒くさそうに、しかしその瞳には知的な光を宿らせて呟いた。

「分かりました。私の見解でよろしければ、述べさせていただきます」

 

カシアンは、一呼吸置いてから話し始めた。その口調は、まるで講義でもするかのように冷静だった。

「まず、大前提として申し上げておきたいのは、この『暗殺計画』の情報が、本気でレア様ご自身の命を狙ったものである可能性は、実はそれほど高くない、ということです」

 

「なに?」セテスが訝しげな声を上げる。

 

カシアンは続けた。

「理由は単純明快です。本気で要人暗殺を成功させたいと考えるならば、計画の事前漏洩は絶対に避けなければなりません。情報が漏れた時点で、相手は警戒を強め、成功率は限りなくゼロに近づく。にも関わらず、こうして情報が我々の耳に入っている。この事実自体が、計画の信憑性を著しく下げています。よって、この情報は、教会に対する単なる嫌がらせや脅し、あるいは内部の動揺を誘うための悪戯である可能性が、最も高いと考えられます」

 

「だが、可能性がゼロではない以上、無視はできん」

セテスの反論に、カシアンは頷いた。

 

「もちろんです。では、次に、この情報が『意図的に』我々に掴ませるように仕向けられたものである、と仮定した場合のシナリオを考察しましょう。その場合、これはレア様ご本人への警戒を極端に高めさせ、我々のリソースをそちらに集中させるための『陽動作戦』である可能性が浮上します。つまり、真の狙いは別にある、と」

 

「別の狙い、だと?」

 

「はい。考えられるターゲットはいくつかあります。一つは、このガルグ=マク大修道院が秘蔵する、いわゆる『英雄の遺産』と呼ばれる類の強力な武具や聖遺物、あるいは教会が管理する莫大な財産、国家機密に匹敵するような重要文書など。レア様個人の警護が最大限に強化される裏で、それらの保管場所の警備が相対的に手薄になる隙を突いて、盗み出す、あるいは破壊することが真の目的かもしれません」

 

カシアンは続ける。

「あるいは、もっと広範な被害を狙う可能性もあります。例えば、教会に隣接する町や村への大規模な襲撃、略奪です。騎士団の主力がレア様と大修道院の警備に動員されれば、周辺地域の防衛力は低下します。その隙を狙い、混乱と恐怖を引き起こすこと自体が目的である、というシナリオも想定すべきでしょう」

 

カシアンは指を折りながら、最後の可能性を示唆した。

「そして、もう一つ。最も厄介な可能性ですが、この『レア様暗殺計画』の情報そのものが、完全に『フェイク』、つまり偽情報である場合です。偽の脅威をでっち上げ、それを流布することで、教会側の反応…特に警備体制の具体的な変化や、内部関係者の動揺、情報伝達の経路などを探ること自体が目的かもしれません。このやり方ならばノーリスクです。そしてもし、このシナリオが真実だとすれば…」

カシアンはレアとセテスの顔を交互に見た。

「その情報を流し、我々の反応を冷静に観察している者が、この教会組織の内部に、既に深く潜り込んでいるということになります。つまり、内通者…スパイの存在です」

 

カシアンの分析は、レアとセテスの表情をさらに曇らせた。特に、内部にスパイがいる可能性は、彼らにとって最も憂慮すべき事態だった。

 

カシアンは結論を述べた。

「以上の考察から、現時点で取るべき対策としては、レア様ご本人の警護体制を強化することは当然として、それと同時に、①教会内の重要物品・機密情報の保管場所とその管理体制を徹底的に再点検すること、②大修道院周辺地域の警戒レベルを密かに引き上げること、そして③これが最重要ですが、教会内部における情報管理の徹底と、内通者の洗い出しを最優先で行うべきです。まずは、我々の足元に潜むかもしれない脅威から排除していくのが、最も合理的でしょう」

 

カシアンの多角的かつ冷徹な分析は、レアとセテスに新たな視点を与えた。レアは静かに頷き、「…なるほど。あなたの見方は、我々だけでは思い至らぬ角度からのものですね。非常に参考になります」と、その分析力を評価した。

セテスは、依然としてカシアンへの不信感を隠せない様子だったが、「フン、相変わらず人を食ったような分析だが…一理ある、か。特に内部調査の必要性は、私も同感だ」と、渋々ながらもその内容を認めざるを得なかった。

 

「他に、私にできることはありますか?」カシアンが尋ねる。

 

「いえ、十分です。貴重な意見をありがとう、カシアン。下がってよろしい」レアが静かに告げた。

 

カシアンは一礼すると、表情を変えずに執務室を後にした。扉が閉まると、部屋には重い沈黙が残った。レアとセテスは、カシアンが提示した複数の可能性と、特に「内部の脅威」という指摘について、深刻な表情で視線を交わすのだった。

 

 

 

 

その日の青獅子の学級の教室は、授業開始前から異様な熱気に包まれていた。しかしそれは、勉学への熱意から来るものではない。生徒たちは数人ずつ固まって、ひそひそと、あるいは興奮を隠しきれない様子で、一つの話題に集中していたのだ。

 

「聞いたか? レア様に暗殺計画があるって噂…!」

「本当なのか? 昨日の夕方から、騎士団の方々がずっと慌ただしく動いているらしいぞ」

「一体誰がそんなことを…」

「怖いな…大修道院の中も安全じゃないのかも…」

 

レア大司教暗殺計画――その不穏な噂は瞬く間に大修道院内に広まり、生徒たちの間にも不安と好奇心をもたらしていた。特に、忠誠心篤く、レアを女神の代行者として敬う者も多い青獅子の学級では、その衝撃は大きかった。

 

そんな騒然とした雰囲気の中に、カシアンは何食わぬ顔で入ってきた。彼は、教室を満たす不穏な空気や、生徒たちの動揺した視線を全く意に介さず、いつも通りの落ち着き払った足取りで教壇に立つ。

 

「諸君、静粛に」

カシアンの声が響くと、ざわめきが一瞬にして静まる。生徒たちの視線が、不安と疑問を宿して彼に注がれた。

「これより、予定通り、前回の授業内容…『敗走戦術と戦場からの生存術』に関するテストを実施する」

 

その宣言は、教室に新たな衝撃を与えた。

「えっ!? テスト!?」

「こ、こんな時にですか!?」

 

生徒たちから一斉に抗議の声が上がる。最初に立ち上がったのはイングリットだった。

「先生! 今、大修道院がどのような状況にあるか、ご存じないのですか!? レア様に危機が迫っているかもしれないという時に、テストどころではありません!」

彼女の声は怒りに震えている。

 

アッシュも続く。

「そ、そうです!他の学級では、今日の授業や予定されていた小テストは、軒並み延期になったと聞きました! なぜ我々だけ…!」

 

シルヴァンが呆れたように言った。

「いやマジで、先生、ちょっとは空気読んでくださいよ。みんな、それどころじゃないって顔してるでしょ」

 

ディミトリも、苦悩の色を浮かべながら口を開いた。

「カシアン先生、生徒たちの動揺も無理からぬことかと。今はまず、状況を正確に把握し、皆の安全を確保することが最優先ではないでしょうか…テストは後日でも…」

 

しかし、カシアンは生徒たちの必死の訴えを、まるで取るに足らない戯言であるかのように、鼻で笑うかのような冷ややかな態度で一蹴した。

 

「動揺? 安全確保? 馬鹿馬鹿しい。諸君らの本分は何だ? 学生だろう。ならば、外部でどのような騒ぎが起きていようと、課された勉学に励み、己を鍛えるのが当然の義務ではないのか? それとも何か? 大修道院が一大事かもしれないから、勉強は休みにしてほしいと、そう言いたいのか?」

 

彼の言葉には、一切の同情も配慮もなかった。さらに、彼は呆れたように続ける。

 

「それにレア様への暗殺計画だと? フン、そんな有名人への暗殺計画なんぞ、この大陸においては日常茶飯事だ。私が学生だった頃から数えても、毎年のように数回は、どこかの愚か者がそんな馬鹿げた計画を立てては、事前に露見して潰えている。今回もその類だろう。いちいちそんなことで浮足立っていては、ここではやっていけんぞ」

 

まるでゴシップ記事にコメントするかのような、あまりにも軽い口調。生徒たちは唖然としてカシアンを見つめるしかなかった。彼の言うことが真実なのか、それとも単なる強がりや皮肉なのか、判断がつかない。

 

そして、カシアンはわずかに口の端を上げ、薄く、皮肉な笑みを浮かべながら付け加えた。

 

「まあ、そんなに不安で落ち着かないというのなら、ちょうどいい。今日のテストは、君たちが恐れている正体不明の『暗殺者』への対策にも、大いに応用が利く内容だ。ある意味、絶好の実践訓練になるだろう。安心して臨むがいい」

 

その挑発的な言葉に、生徒たちが何か言い返そうとした瞬間だった。教室の後方の扉が勢いよく開き、満面の笑みを浮かべたアロイスが、その巨躯を現した。

 

「はっはっは! 諸君、待たせたかな! 本日の特別講師のアロイスだ! さあ、元気を出して訓練に励もうではないか!」

 

アロイスの底抜けに明るい声が、重苦しい教室の空気を一瞬だけ和らげる。…が、生徒たちの表情は依然として硬い。

 

カシアンは、タイミングを見計らったかのようにアロイスを紹介し、テスト内容の説明を始めた。

「今日のテストは実技試験だ。テーマは『対暗殺者との戦い』。諸君らにはこれから複数名のチームを組んでもらい、このセイロス騎士団が誇る猛者、アロイス殿と模擬戦形式で対戦してもらう」

 

カシアンはアロイスを示す。アロイスは「うむ! 手加減はせんぞ!」と力こぶを作って見せた。

 

「制限時間内にアロイス殿を戦闘不能に追い込むか、あるいは、彼から一定時間、チーム全員が生き残り、持ちこたえることができれば、一応の合格ラインとする」

カシアンは続ける。

「だが、重要なのは単なる結果ではない。チーム内での連携、指示系統の確立、そして、これまでの授業で学んだ戦術―――それこそ、敗走や生存の技術、欺瞞や罠、地形利用といった、あらゆる手段をいかに駆使して強敵に立ち向かったか、その過程を厳しく採点する」

 

最後に、カシアンは生徒たち一人一人の顔を見渡し、挑戦的な、あるいは底意地の悪い笑みを浮かべて言った。

 

「さあ、準備はいいか? アロイス殿を、ただの騎士だと思うな。彼を、君たちの命を、あるいは君たちが守るべき誰かの命を狙う、冷酷非情で熟練の手練れの暗殺者だと思い込むんだ。慈悲も容赦も一切ない、ただ目的のためだけに、君たちを排除しようと迫ってくる影だと」

 

彼の言葉は、生徒たちの恐怖心と反発心を逆撫でするかのようだった。

 

「これまでの授業で学んだ全てをぶつけろ。知恵と勇気、仲間との絆、そして…そうだな、時には騎士道に反するような狡猾さも駆使して、この『暗殺者』を打ち破るか、あるいは生き延びてみせろ。思う存分、その力をふるってみせろ!」

 

教室には、混乱と反発、そしてカシアンによって無理やり引き摺り出されたような、奇妙な闘志、あるいはやけっぱちの決意が入り混じった空気が満ちていた。

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