道徳以外を教えます   作:マウスブン

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VS魔獣

以前、盗賊団を殲滅した砦跡へと続く、鬱蒼とした山道。カシアンは、ユーリス、ハピ、バルタザール、コンスタンツェ、そして選りすぐりのアビス傭兵と少数の護衛兵士を加えた総勢二十名弱の一団を率い、その薄暗い道を進んでいた。今回の任務は「盗賊団残党の後始末と、周辺地域の再調査」とだけ告げられている。霧が立ち込め、湿った土と腐葉土の匂いが漂う空気は重く、どこか不穏な気配が漂っていた。

 

「ちぇっ、またこんなジメジメした場所かよ。前の血生臭い匂いよりはマシだがな」ユーリスが悪態をつく。

「なんか、空気が重いっていうか、嫌な感じ。早く帰りたーい」ハピがいつものように気怠く、周囲の空気が一瞬、さらに淀んだ気がした。

「カシアン様…! わ、わたくしの服や靴なんて、いくら汚れたって構いませんから…! むしろ汚れるべきなんです。」コンスタンツェは扇子で顔を隠しながらも歩き続ける。

「山歩きもたまにはいいもんだ。体が鈍っちまうからな!」バルタザールは、その屈強な肉体を誇示するように、軽快に歩を進めている。

 

彼らが軽口を叩き合いながら、あるいは黙々と警戒しながら進んでいた、その時だった。

 

最初に異変に気づいたのは、バルタザールとハピだったかもしれない。

「…おい、待て」バルタザールが足を止め、屈強な腕で後続を制した。「なんだか…地面が揺れてねえか?」

「うん…」ハピも顔をしかめ、杖を握りしめる。「すごく…嫌な気配がする。すぐ近くから…!」

 

彼らの言葉に、傭兵たちの間に緊張が走る。カシアンも足を止め、鋭い視線で周囲を探った。霧が濃くなり、森の奥から、獣たちの怯えたような鳴き声が微かに聞こえてくる。空気は張り詰め、まるで嵐の前の静けさのようだった。

 

次の瞬間、それは前触れもなく起こった。

 

彼らが立っていた足元の地面が、突如として激しく隆起した! 土砂が舞い上がり、木々の根が引き裂かれる音と共に、地面に巨大な亀裂が走る! そして、その裂け目の暗がりから、あるいは歪んだ空間そのものから、巨大な影が、悍ましい咆哮と共に姿を現した!

 

それは、四本の歪んだ太い脚で大地を踏みしめ、硬質な黒い外殻に覆われた、異形の獣だった。体長は大型の馬車の数倍はあり、複数の不気味な赤い目が、ぬらぬらと蠢きながらカシアンたちを捉えている。背中には鋭い棘が無数に生え、口からは粘着質の体液を滴らせていた。それは、ガルグ=マク周辺で見られるどの生物とも似ていない、明らかに自然界の摂理から外れた、悪夢そのもののような存在だった。

 

「ひっ…!!」

「な、なんだ、こいつはぁっ!?」

 

その圧倒的な巨躯と、放たれる尋常ならざる威圧感に、裏社会の修羅場をくぐり抜けてきたはずのアビスの傭兵たちですら、顔面を蒼白にし、恐怖で足がすくんで動けなくなっている。誰もが、本能的な死の恐怖に捉えられていた。

 

魔獣は、その出現と同時に、天を震わせるかのような、耳をつんざく咆哮を上げた。それは単なる威嚇音ではなく、空間そのものを歪ませるような、禍々しい力の波動を伴っていた。

 

「―――まずいッ!!」

 

カシアンが叫ぶのと、魔獣がその巨大な顎から、暗紫色の魔力波を広範囲に放つのとは、ほぼ同時だった!

 

ゴオオオオォォォッ!!

 

衝撃波にも似た魔力波が、カシアンたちの隊列を真正面から薙ぎ払った!

 

「ぐあああっ!」「うわっ!」「きゃああ!」

 

数名の傭兵や護衛兵士は、悲鳴を上げる間もなく、木の葉のように吹き飛ばされ、岩や木に激しく叩きつけられて動かなくなった。隊列は一瞬にして崩壊し、生き残った者たちも衝撃で地面に倒れたり、吹き飛ばされまいと必死に体勢を保ったりするのが精一杯だった。バルタザールが咄嗟に前に出て盾となろうとしたが、その巨躯ですら数歩後退させられ、ユーリスは地面を転がり、ハピとコンスタンツェがかろうじて展開した魔法障壁も、激しい魔力の奔流に軋みを上げていた。

 

完全な奇襲。そして、圧倒的な破壊力。

 

カシアンも、出現から攻撃までのあまりの速さに、反応が一瞬遅れた。彼は低い姿勢を取り、魔力波の直撃は免れたものの、その衝撃で数メートル後方に吹き飛ばされ、地面に背中を打ち付けた。

 

「ぐっ…!」

 

しかし、彼は痛みよりも先に、目の前の異形の存在に釘付けになっていた。彼の瞳には、恐怖よりも強い、驚愕と、そして冷徹な分析欲が宿っている。

 

(なんだ、この生物は…? これまで遭遇した、あるいは書物で見たどの獣とも合致しない。この歪な形態、放出される魔力の特異な性質…まるで、複数の要素を無理やり繋ぎ合わせたかのような…自然界の存在ではない。人工的な…?)

 

彼の頭脳は、自らが置かれた絶望的な状況下でさえ、高速で情報を処理し、目の前の脅威の本質を見極めようとしていた。

 

だが、感傷に浸る時間はない。魔獣は、最初の攻撃で獲物を仕留めきれなかったことに不満を感じたかのように、再びその複数の赤い目をカシアンたちに向け、次の攻撃の予兆を見せ始めていた。

 

部隊は壊滅的な打撃を受け、混乱の極みにある。未知の、そして圧倒的な力を持つ敵を前に、彼らはこの窮地をどう切り抜けるのか? カシアンの冷徹な頭脳は、この絶望的な状況に対する最適解を導き出せるのか? 深い森の中に響き渡る魔獣の威嚇の咆哮は、彼らの生存への問いかけのように聞こえた。

 

 

 

 

最初の広範囲攻撃による衝撃と混乱が冷めやらぬ中、異形の魔獣はその巨躯を再び蠢かせた。複数の不気味な赤い目が、瓦礫と化した地面に散らばる人間たちを睥睨する。しかし、その視線は、恐怖に顔を引きつらせる傭兵たちや、冷静に状況を分析しようとするカシアンを素通りし、ただ一点――怯えて後退ろうとするハピの姿に、明確な敵意と執着を持って固定された。他の存在など、まるで眼中にないかのように。

 

次の瞬間、魔獣は再び天を衝くような咆哮を上げた。しかし、それは先ほどの魔力波を伴うものではなく、獲物を見定めた狩人のような、獰猛な意志を感じさせるものだった。そして、その巨体に似合わぬ、信じられないほどの俊敏さで、大地を激しく揺らしながら、ハピに向かって一直線に突進を開始した!

 

ドゴォォン! バキバキッ!

 

行く手を阻む木々をなぎ倒し、足元の岩を粉砕しながら、巨大な質量が凄まじい速度で迫ってくる。それは、もはや生物というより、破壊と殺意を具現化した災害そのものだった。

 

「ひぃぃぃっ! な、なんで私だけなのよぉ!?」

 

一直線に自分に向かってくる巨体に、ハピは完全にパニックに陥った。その瞳には絶望の色が浮かび、血の気が引いている。

「はぁ……やっぱりこうなる運命なのね…! 誰かに狙われるとか、もうヤダって言ってるのにぃ…!」

涙目で叫びながらも、彼女の本能は生存を諦めていなかった。咄嗟に杖を構え、震える声で詠唱し、自身の前に薄い光の防御壁を展開する。しかし、迫りくる魔獣の圧倒的な質量と速度の前には、それはあまりにもか弱く、頼りなく見えた。彼女は後ずさり、つまずき、転がるようにして、必死にその突進から逃れようともがいた。

 

「―――ッ!!」

 

その異常な光景――魔獣が明確にハピだけを標的としていること、そしてその規格外の戦闘能力を目の当たりにし、吹き飛ばされた衝撃から立ち上がったカシアンの脳内では、高速で分析と判断が行われていた。

 

(なぜハピだけを狙う? 彼女の持つ特異な魔力…あるいは血筋に反応しているのか? それとも、この魔獣自体が、何者かによってハピを捕獲、あるいは排除するために、意図的に差し向けられた存在か? いずれにせよ、現状の我々の戦力で、この化け物を正面から打ち破るのは不可能に近い。だが、目的がハピ個人に限定されているなら…それを逆手に取ることも可能。そして何より、この未知の敵の能力、行動原理、弱点…!)

 

思考は一瞬。カシアンは、自身の負傷を全く意に介さないかのように、混乱の極みにあった部隊に向かって、最大限の声量で号令を発した! その声は、魔獣の咆哮や兵士たちの悲鳴の中でも、鋭く、そして有無を言わせぬ力強さで響き渡った。

 

「総員、聞けェッ!! 敵の狙いはハピだ! 全軍、ただちに散開! 魔獣から十分な距離を取れ! 密集するな!」

 

彼の声は、パニックに陥っていた傭兵たちの動きを、一瞬だけ凍りつかせた。そして、カシアンは間髪入れずに、個別の、具体的な指示を矢継ぎ早に飛ばし始めた!

 

「バルタザール! 聞こえるか! 貴様はハピを守れ! 全力で彼女を護衛しつつ、後方、森の開けた場所へ退避させろ! 何があっても、ハピを死なせるな! 死んでも守り抜け!」

 

「うおおっ! 任せとけぇ!」近くで体勢を立て直していたバルタザールが、雄叫びと共にハピの元へ駆け出す。

 

「ユーリス! 貴様の役目は陽動だ! その俊足を生かせ! 魔獣の側面、あるいは背後から執拗に攻撃を仕掛け、敵の注意を可能な限りハピから逸らせ! 深追いはするな、あくまで時間を稼ぐのが目的だ! 無茶はするなよ、必ず生き残れ!」

 

「へっ、面倒な役回りさせやがるぜ、あのセンセは…! だが、面白そうだ!」ユーリスは悪態をつきながらも、その目には危険な光が宿り、短剣を抜いて魔獣の側面へと回り込もうと駆け出した。

 

「コンスタンツェ! 貴女は後方から、その得意の魔法で援護! 距離を保ち、遠距離から牽制攻撃を加えろ! ただし、決定打を狙う必要はない、深入りも絶対に禁ずる! 敵の足止め、動きを阻害することに専念しろ!」

 

「こ、こんな頼りない魔法で、お役に立てるとは到底思えませんのに…き、期待しないでくださいまし」

コンスタンツェは自信なさげに言いながらも、杖を構え魔力の詠唱を開始する。

 

「残りの者!」カシアンの声が、まだ動けずにいる傭兵たちに檄を飛ばす。「コンスタンツェとユーリスを援護しつつ、各自の判断で敵を攻撃しろ! だが、忘れるな! 最優先事項は、敵の脚を奪え、そして生き残れ。」

 

カシアンの指示は、絶望的な状況下において、驚くほど迅速かつ的確だった。それぞれの能力を考慮し、役割を与え、明確な目標を示している。しかし、その指示には、ハピという一点を守るという強い意志と同時に、ユーリスを危険な囮とし、他の者には戦闘よりも観察を優先させるという、目的のためには人的損耗すら計算に入れるかのような、非情なまでの合理性と冷徹さが確かに漂っていた。まるで、この絶体絶命の状況を、未知の生物を解剖するための、またとない実験機会と捉えているかのようにも見えた。

 

カシアンの号令一下、辛うじて戦闘能力を維持していた者たちが、恐怖を振り払い、それぞれの役割に従って動き出す。バルタザールが巨体を盾にしてハピを守り、ユーリスが疾風のように魔獣の側面へ切り込み、コンスタンツェの杖から放たれた光の矢が魔獣の巨体を牽制する。アビスの傭兵たちも、カシアンの指示に従い、距離を取りながら弓や魔法で援護しつつ、必死に敵の動きを目で追っていた。

 

 

 

魔獣の圧倒的な力の前で、カシアン率いる少数精鋭部隊は徐々に、しかし確実に消耗していった。バルタザールはその屈強な肉体を盾に、必死でハピを守りながら後退を続けているが、魔獣の執拗な追撃に防戦一方だ。ユーリスは持ち前の俊敏さで魔獣の側面や背後から奇襲を仕掛け、その注意を逸らそうと奮闘しているが、硬い外殻に阻まれ有効なダメージを与えられずにいる。コンスタンツェの放つ強力な魔法も、魔獣の動きを一瞬鈍らせるのが精一杯で、決定打には程遠い。アビスの傭兵たちも、負傷者が増え、士気は下がる一方だった。

 

(このままではジリ貧だ…!)カシアンは、戦況と傭兵たちから断続的に入ってくる報告――「物理攻撃、効果は低いです!」「雷系の魔法にわずかに反応?」「やはりハピ以外への攻撃は散発的!」――そして、付近の地形を瞬時に頭の中で統合し、分析する。視線の先には、切り立った崖がそびえていた。

 

(敵の狙いはハピ個人に集中。物理防御は高いが、動きは比較的直線的。そして、あの崖…)

 

カシアンの脳裏に、一つの、極めて危険で、しかし現状を打破しうる唯一の作戦が形作られた。それは、ハピを文字通り「餌」として最大限に利用し、魔獣を崖際まで誘い込み、そこから突き落とすという、非情極まりない賭けだった。

 

カシアンは、近くで奮闘するユーリスに作戦の骨子を伝えた。

「ユーリス! ハピをあの崖際まで誘導させろ! 目標は崖からの突き落としだ!」

 

「なっ…!?」ユーリスは一瞬耳を疑った。

「ふざけるな、カシアン! ハピを崖に追いやって、どうやって助けるつもりだ! あれを見殺しにする気か!」

彼の声には、激しい怒りと不信が込められていた。仲間を犠牲にする作戦など、到底受け入れられない。

 

カシアンの声は冷徹だった。

「黙って指示に従え!私に考えがある。…時間がない!」

彼はそれだけ言うと、ユーリスに鋭い視線を送り、自身は他の者の注意を引かぬよう、音もなく崖の上の、魔法を発動するのに最適な位置へと移動を開始した。

 

ユーリスはカシアンの言葉と、その迷いのない動きに、一瞬戸惑った。

(考えがあるだと…? まさか、あのセンセ、あの状況でハピを助ける算段が…? いや、だが…!)

カシアンの瞳の奥にあった、冷徹だが確信に満ちた光。そして、彼が移動していく位置。ユーリスの頭の中で、ある可能性が閃いた。

 

(…ちっ、あの野郎、まさか…! 本当にそのタイミングで唱えられるのか!? だが、賭けるしかねえか!)

 

ユーリスは覚悟を決めた。彼はただ大声でハピに向かって叫んだ。

「ハピ! 聞こえるか! 作戦変更だ! あの崖! 見えるだろ、あの崖際に向かって走れ! いいから行け! 全力で走れ!」

 

「えええ!? なんでそっちに!? 崖だよ!? 」

ハピは絶望的な悲鳴を上げた。しかし、背後からは魔獣が猛然と迫り、ユーリスの声は必死だった。これが、もしかしたら唯一の活路なのかもしれない…あるいは、もうどうにでもなれ、という自棄っぱちな気持ちもあったのか。

 

「死んだら……化けて出るからね!!」

 

彼女は涙を浮かべ、恐怖に震えながらも、ユーリスが指し示した崖の方向へと、最後の力を振り絞って走り出した。バルタザールも状況を察し、「ハピ、俺が援護する! 行けぇ!」と叫びながら、魔獣の攻撃を一身に受けて彼女のための道を開く。

 

魔獣は、一直線に逃げるハピを、まるで意思を持つ追跡者のように執拗に追いかける。ついに、ハピは崖っぷちに追い詰められた。背後は深い谷底。もう逃げ場はない。

 

魔獣が、勝利を確信したかのように、巨大な前脚を振り上げ、ハピに襲いかかろうとした―――まさに、その瞬間だった!

 

崖の上の茂みに隠れていたカシアンの手から、淡く、しかし強力な光を放つ魔法陣が展開された!

 

「―――レスキュー!!」

 

カシアンの詠唱と共に、ハピの体が眩い光に包まれた。次の瞬間、彼女の姿は崖っぷちから掻き消え、カシアンのすぐ隣の安全な場所へと瞬間移動していた!

 

「え…? あれ…?」ハピは、何が起こったのか理解できず、呆然とカシアンの顔を見上げている。

 

一方、目前の獲物を突然失い、全力で振り下ろそうとした前脚の勢いを制御できなかった魔獣は、自身の巨大な質量を支えきれず、バランスを崩した。

 

「グオオオオオオォォォォッ!?」

 

断末魔のような、あるいは驚愕のような咆哮を上げながら、魔獣は為す術なく、深い崖の下へと真っ逆さまに転落していった!

 

ドゴォォォン!!! 鈍く、重い音が谷底から響き渡る。

 

「今だ! 総攻撃ッ! 奴の息の根を止めろ!」

 

カシアンの号令が飛ぶ! 崖の上から、生き残った全員が、転落して動きが鈍り、おそらくは大きなダメージを負ったであろう魔獣に向けて、ありったけの攻撃を叩き込んだ!

 

コンスタンツェが詠唱した最大級の攻撃魔法が炸裂し、ユーリスや傭兵たちが容赦なく矢を射掛け、そしてバルタザールが仲間たちと協力して、崖の上から巨大な岩石をいくつも転がり落とした! 魔法の閃光、矢の雨、そして岩石の衝撃が、谷底の魔獣を打ちのめしていく。やがて、魔獣の断末魔の咆哮も聞こえなくなり、その巨体は完全に動きを止めた。

 

激しい戦闘が終わり、森に再び静寂が戻った。生き残った者たちは、全身の力を抜いてその場に座り込んだり、互いの無事を確認し合ったりして、安堵の息をついていた。助け出されたハピは、まだ少し震えながらも、バルタザールに肩を支えられていた。

 

ユーリスは、汗を拭い、息を整えると、崖の上で冷静に戦果を確認しているカシアンの元へと歩み寄った。彼の表情は、疲労と、安堵と、そして目の前の教師に対する複雑な感情が入り混じっていた。

 

ユーリスは、少し乱暴な口調で話しかけた。

「…おい、センセ最後のあれ…『レスキュー』とか言ったか? ずいぶんと危ない橋を渡らせてくれたじゃねえか。一歩間違えば、ハピは…」

 

だが、彼は言葉を続けた。その声には、以前のようなあからさまな不信感は薄れていた。

「だが…まあ、結果オーライってやつか。あんたの言う通り、どうにかなったみてえだしな。…ハピを助けてくれたことには、礼を言うぜ」

 

他のアビスの傭兵たちも、遠巻きにカシアンを見ていた。彼の立てた作戦は、仲間を危険な囮にするという非情なものだった。しかし、その作戦を成功させるだけの知略と能力、そして最後の最後で仲間を見捨てなかったという結果。彼らは、この掴みどころのない教師に対し、恐怖や警戒心と共に、ある種の畏敬の念、そして以前よりは確かな信頼のようなものを感じ始めていた。

 

カシアンは、ユーリスの言葉にも、傭兵たちの視線にも、特に表情を変えることなく、崖の下で動かなくなった魔獣の残骸を、なおも分析するかのように見つめていた。彼の頭の中では、既にこの戦闘データの解析と、次の行動計画が始まっているのかもしれない。アビスとの危険な協力関係は、この一件を経て、また新たな段階へと進もうとしていた。

 

 

 

 

アドラステア帝国の陰影深き一室。アランデル公――その仮面の下に冷酷な意思を隠すタレスは、届けられた報告書に目を通し、不機嫌そうに眉をひそめていた。

 

「…ガルグ=マク近郊の盗賊団が壊滅? …そして、投入した実験体までもが処理された、だと?」

 

報告書には、両方の事件に、最近大修道院に戻ってきたカシアンという名の教師と、アビスの住人が関与している可能性が高いと記されていた。どちらも、彼の壮大な計画における小さな駒、あるいは布石として利用価値のある存在だったはずだ。

 

「忌々しい…些末なことではあるが、計画に微修正が必要となるな。あの教師…余計なことを」

 

タレスは舌打ちし、苛立ちを隠さない。だが、すぐにその感情を抑え込み、冷徹な思考へと切り替えた。彼は傍らに控える部下に問いかける。

 

「そのカシアンとかいう男…報告にあった経歴をもう一度」

 

部下が差し出した資料には、カシアンの過去――村の壊滅、教会への不信、そしてガルグ=マクでの異様な才覚を示す記録が記されていた。タレスはそれを読み進めるうちに、その口元に歪んだ、しかし興味深そうな笑みを浮かべ始めた。

 

「ふむ…面白い。実に面白い経歴と、有用そうな能力を持っているではないか。教会に与せず、冷徹で、目的のためなら手段を選ばぬ…か。磨けば光る、あるいは、扱い方を間違えれば危険な刃となりそうだ」

 

彼はカシアンという新たな変数に、単なる障害ではなく、利用価値を見出し始めていた。

 

「良いだろう…しばらくは、泳がせてみるとしよう。彼がどちらに転ぶか…あるいは、こちらから少し仕掛けてみるのも一興か…」

タレスは呟いた。

 

闇の中で、新たな企みが静かに動き出そうとしていた。カシアンの存在は、知らぬ間に、フォドラの運命を左右しようとする大きな闇の注目をも集め始めていた。

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