道徳以外を教えます   作:マウスブン

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9月 表彰式後

数日後、ガルグ=マク大修道院の大広間には、厳かな雰囲気が漂っていた。先日の夜、大修道院地下で発生したという「フレン誘拐事件」に関わった者たちへの表彰式が執り行われることになったのだ。レア大司教とセテスが上座に着き、その前には、カシアン、担任のベレス、そして死神騎士と直接対峙した黒鷲の学級の生徒たち――カスパル、リンハルト、ベルナデッタ、ドロテア、ペトラ、そして怪我から回復したフェルディナント――が緊張した面持ちで整列していた。他の教師や騎士、生徒たちも壁際に並びその様子を見守っている。

 

レアが静かに立ち上がり慈愛に満ちた、しかし威厳のある声で語り始めた。

「皆、先日の夜は、まことに恐ろしい出来事でした。正体不明の賊徒が、あろうことかこの聖なる大修道院の地下にまで侵入し、あまつさえそこに居合わせた生徒たちに危害を加えようとしたのです」

彼女の声は集まった者たちの不安を鎮めるかのように、穏やかに響く。

 

「しかしそのような危機的状況にあって、皆さんは勇気を奮い起こし見事にその脅威に立ち向かってくれました。特にカシアン先生」

レアは列の先頭に立つカシアンに温かい視線を向けた。

「あなたは生徒たちの危機を知るや否や、自らの危険を全く顧みず、その身を挺して生徒たちを守り、侵入者に立ち向かわれたと聞いています。その義憤に燃えた勇敢な行動は、まさに教師の鑑であり我々全員が範とすべきものです」

 

レアの言葉は事実とはかなり異なっていた。あの混乱の原因の一部がカシアンの隠し酒蔵であり、彼の怒りが貴重な酒を破壊されたことにも起因し、死神騎士を撃退した決定打が酒瓶と火魔法の悲しいコンボとアビス組の援護射撃だったという真相は、巧妙に伏せられている。表向きは「生徒を守るために義憤に燃えた勇敢な教師」という美談として処理されているのだ。

 

「そしてベレス先生、並びに黒鷲の学級の皆さん」

レアは生徒たちにも目を向けた。

「あなた方もまたカシアン先生と共に、恐るべき強敵を前にして一歩も引かず、知恵と勇気をもって戦い抜き、見事大修道院の平和を守り抜いてくれました。皆さんのその目覚ましい成長と勇気を、女神もきっとお喜びになり祝福してくださるでしょう」

 

温かい拍手が広間に響き渡る。生徒たちは称賛の言葉に少し照れたような、あるいはまだ戦闘の興奮や恐怖の余韻が残っているような複雑な表情を浮かべていた。

 

しかしその中で一人、カシアンだけは全くの無表情を貫いていた。レアからの賛辞にも周囲からの称賛の視線にも、彼は何の感情も示さない。まるで自分とは全く関係のない出来事の表彰を受けているかのようだ。彼の内心では失われた美酒への嘆きがまだ渦巻いているのか、それともこの茶番劇を冷ややかに見つめ、次なる計算を巡らせているのか誰にも窺い知ることはできなかった。そしてレアもそんなカシアンの様子をじっと見つめていた。

 

セテスからも「…カシアン、貴様にしては、今回は感心な働きだったと言っておこう。そしてフレンを救ってくれたこと、礼を言う」といった、労いと皮肉の入り混じった言葉がかけられ、簡単な記念の品が授与され、表彰式は滞りなく終了した。

 

人々が解散し始め、生徒たちが安堵の表情で互いの健闘を称え合っている中、カシアンは一人足早にその場を立ち去ろうとしていた。その時彼の背中に声がかかった。

 

「カシアン先生」

 

振り返るとそこにはエーデルガルトと、その後ろに控えるヒューベルトの姿があった。彼女たちは表彰式の一部始終を、少し離れた場所から静かに見守っていたのだ。

 

エーデルガルトは心配そうな表情を浮かべ、カシアンに近づいてきた。

「先日は、本当に大変でしたね…。お聞きしました、死神騎士と直接対峙されたとか。あのような危険な相手に立ち向かうとは…先生もご無理をなさりましたね。」

彼女の声には純粋な労いの響きがあった。

 

しかしカシアンは、その労いの言葉をまるで耳障りな雑音であるかのように無視した。彼はエーデルガルトを睨みつけるように見つめ返し、低い抑えきれないほどの激しい怒りを込めた声で言った。

 

「あの戦いなど、どうでもいい。」

彼の瞳には普段の冷静さからはかけ離れた、暗くどす黒い炎が燃え盛っている。

「それよりも…あの忌々しい死神騎士、そしてあのふざけた仮面…炎帝と名乗りましたか。あの者たちは…私は絶対に許さない」

 

その言葉には尋常ではない憎悪と殺意が込められていた。エーデルガルトはカシアンの剥き出しの激しい怒りに、思わず息を呑み、一歩後ずさった。彼女はカシアンがこれほどまでに感情を露わにする姿を初めて見た。

 

「せ、先生…? お気持ちはお察ししますが…」

エーデルガルトは動揺を隠しながらも、宥めるように言った。

「しかし結果的にあなたは彼らを撃退なさいました。生徒たちもあなた自身も、大きな怪我なく無事だったのですから…。そこまで…怒りを抱え続ける必要はないのでは…?」

彼女の声にはカシアンの怒りが自分(炎帝)や計画に向けられることへのかすかな恐れも混じっていた。

 

だがカシアンは、エーデルガルトの言葉など全く耳に入っていないかのようだった。彼はまるで自分自身に言い聞かせるかのように吐き捨てるように言った。

 

「無事…? ふん、そう見えるか? 私の長年の研究が…いやそんな個人的な感傷はどうでもいい」

彼は拳を固く握りしめた。

「あの者たちは、私の領域を侵し私の育ててきたものを破壊した。この怒り、この屈辱は決して忘れん。この借りは必ず何倍にもして返させてやる…!」

 

彼はそれだけ言うと、もはやエーデルガルトやヒューベルトには一瞥もくれず、冷たい怒りのオーラを全身から放ちながら、足早にその場を去っていった。

 

残されたエーデルガルトはカシアンの去っていった方向を呆然と見つめ、不安げに小さく呟いた。

「……どうしましょう」

 

ヒューベルトは何も答えなかった。ただ黙ってカシアンが消えた方向をその底光りする瞳で厳しい表情のまま見つめているだけだった。表向きの栄誉とは裏腹にカシアンの中に深く刻まれた怒りの火種。その不吉な予感から目を逸らすことはできなかった。

 

 

 

 

その夜カシアンは一人、大修道院の中庭を見下ろせる城壁の上に立っていた。昼間の喧騒と、偽りの栄誉に満ちた表彰式が嘘のように、辺りは静寂に包まれ、空には無数の星が瞬いている。しかし、彼の心は夜空のように穏やかではなかった。死神騎士と炎帝への抑えきれない怒り、そして何よりも、長年かけて慈しんできた自身の「作品」…美酒たちが無惨に失われたことへの深い喪失感が、黒い靄のように彼の思考を覆っていた。彼は手すりに体重を預け、ただぼんやりと、虚空を見つめていた。

 

「…先生」

 

静かな声が背後からかけられた。振り返ると、月の光を受けて銀色に輝く髪の少女、ベレスが立っていた。彼女も夜風に当たりに来たのか、それとも彼のこの気配を察して探しに来たのか。

 

「ベレス…何か用ですか」カシアンの声は、自分でも驚くほど力なく、掠れていた。

 

ベレスはカシアンの隣に歩み寄ると彼と同じように夜空を見上げた。しばらくの沈黙の後、彼女は静かに口を開いた。

「先日は…ありがとう。死神騎士から、守ってくれた」

その言葉は飾り気ない心の底からの感謝が込められているのが分かった。

「危ないところを誰かに守ってもらうなんて…昔父に、守ってもらって以来だった」

彼女の声には遠い記憶を懐かしむような、そして目の前の教師への特別な感情が、微かに滲んでいた。

 

カシアンは、彼女の率直な感謝の言葉に、何と返すべきか少し迷った。そして、ようやく絞り出すように言った。

「…どういたしまして」

やはりその声にはいつもの張りがなかった。彼は気まずさを誤魔化すかのように、再び夜空へと視線を戻した。

 

ベレスはそんなカシアンの横顔をじっと見つめた。そして、確信したように言った。

「……落ち込んでる?」

 

それは疑問ではなく事実の指摘だった。ベレスのまっすぐな言葉にカシアンは珍しいことに少しだけ感情を揺さぶられた。

彼はふっと自嘲気味な笑みを漏らした。

「…落ち込んでいるように、見えますか。まあ、そうかもしれませんね。否定はしませんよ」

 

彼はまるで溜まっていた澱を吐き出すかのように、言葉を続けた。

「今日の表彰式…全くもって、馬鹿馬鹿しい茶番だった。レア様からの称賛も、騎士団からの労いも、私にとっては一片の価値もない。記念品だと言って渡されたこのブレスレットも…」

彼は儀礼的に手首に着けていた、自身の名前「カシアン」と刻まれた銀のブレスレットを忌々しげに指で弾いた。

「こんな金属片が、何の慰めになるというのですか」

 

彼の声に徐々に熱がこもり始める。

「もちろん、結果的に貴女や黒鷲の生徒たちが無事だったことあの忌まわしい死神騎士を撃退できたことは、安堵すべきことなのでしょう。教師としては喜ぶべき結末なのかもしれない」

彼は一呼吸置き、その声は怒りと悔しさで震えていた。

「だがそれとこれとは話が別だ! 私の…! 私の長年の研究と情熱の結晶、あの熟成された美酒たちが! あの忌まわしい黒騎士と炎帝と名乗るふざけた奴らのせいで! ああ、あの長年の…樽ごと投げつけられたあの希少な果実酒も…! 全てが、無惨にも…!」

 

彼は言葉を続けられずぐっと唇を噛み締めた。その瞳には普段の彼からは想像もつかない、深い悲しみと、燃えるような怒りが渦巻いていた。

「あの損失は…私の精神に、あまりにも、あまりにも大きな打撃を与えた…! 何の価値もない表彰や記念品では、到底埋め合わせられない!」

 

カシアンの主に自身の酒に対する、しかしそれだけではないであろう複雑な感情の吐露をベレスは黙って聞いていた。彼女は彼の言葉の裏にある深い喪失感と、子供のような純粋な嘆きを、静かに受け止めているようだった。

 

そして彼女はしばらくの間、何かを考えるように夜空を見上げていたが、やがてふと何かを決意したように、カシアンの手首にあるブレスレットを指差した。

 

「……先生。そのブレスレット、私にくれない?」

 

「は…?」カシアンはベレスの突拍子もない言葉に、完全に意表を突かれた。

「こ、このブレスレットを? なぜです…? これは私の名前が入っているだけで、貴女には何の価値もないはずですが…?」

彼は彼女の真意が全く理解できず、ただただ困惑した。

 

しかしベレスは真剣な眼差しでカシアンを見つめている。その瞳には、何か強い意志が宿っているように見えた。カシアンは、彼女のその不思議な力強さに押され、反論する気力も失せてしまった。

「…まあ、私にとっては不要なものです。貴女がどうしても欲しいというのなら、差し上げますが…」

彼は、言われるがままに、少し戸惑いながらも、自分の名前が刻まれたブレスレットを外し、ベレスの小さな手に乗せた。

 

ベレスはそのブレスレットを受け取ると何の迷いもなく、するりと自分の手首にはめた。銀のブレスレットが、月明かりを受けて彼女の白い肌の上で微かに光る。そして、今度は彼女が、記念品として授与されたであろう、自身の名前「ベレス」と刻まれた、全く同じデザインのブレスレットを外し、それをカシアンの手にそっと握らせた。

 

「代わりに、私のを先生にあげる」

 

「……?」

カシアンは手の中に残る、まだ彼女の体温が微かに伝わってくるようなブレスレットと、自分のブレスレットを着けているベレスの顔を、交互に見つめた。交換…? 一体、何のためにこんなことを?

 

彼が困惑していると、ベレスはまるで大切な役目を終えたかのように、満足そうに小さく頷いた。

「それじゃあ…」彼女はカシアンに向かって、告げた。「おやすみなさい、先生」

 

そして彼女はカシアンに背を向け、中庭の出口へと静かに歩き出した。別れ際、彼女はほんの一瞬だけ振り返り、カシアンに向かって、ふわり、と微笑んだ。それは、夜の闇の中でもはっきりとわかるほど、穏やかで、優しくて、そしてどこか悪戯っぽい、不思議な魅力を持った微笑みだった。カシアンが、これまで彼女の顔に見たことのない種類の表情だった。

 

ベレスはそのまま、軽い足取りで夜の闇の中へと消えていった。

 

一人残されたカシアンはまるで狐につままれたかのように、その場に立ち尽くしていた。手に握らされた、ベレスの名前が刻まれたブレスレット。手首には、何もなくなった空間。そして、脳裏に焼き付いて離れない、彼女の最後の、あの不思議な微笑み。

 

彼女の行動の意味は彼の合理的な思考をもってしても、全く理解できなかった。しかし不思議なことに、先ほどまで心を重く支配していた、あの焼け付くような怒りや、どうしようもない喪失感が少しだけ…本当に少しだけ、和らいでいるような気がした。手の中の小さな銀のブレスレットが、夜露に濡れて、星の光を反射して微かに光っている。彼は、ただ黙って、それを、まるで何か大切なもののように、じっと見つめ続けるしかなかった。夜風が、彼の混乱した心を優しく撫でていく。

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