ガルグ=マク近郊の森深くに巣食っていた盗賊団の根城は、もはや静まり返っていた。教会からの依頼を受け、討伐に向かったのはカシアンとジェラルトの二人だけだったが、それで十分すぎた。カシアンが後方から的確な地形分析と戦術指示を与え、ジェラルトがその指示に基づき、あるいは自身の長年の経験から、愛用の槍を振るって賊徒をなぎ倒していく。ジェラルトの動きには、確かに全盛期ほどの神懸かり的な速さはないのかもしれないが、それでもなお常人を遥かに凌駕する強さと、老練な戦いぶりは健在だった。戦闘は、驚くほど短時間で、そしてあっさりと終結した。
「ふう、これで終わりか。思ったより手応えがなかったな」
ジェラルトは槍についた土を払いながら、息一つ乱さずに言った。
「お前さんの指示も的確だったぜ、カシアン。おかげで無駄な動きをせずに済んだ」
「貴方の実力があればこそですよ、ジェラルト殿」カシアンは淡々と応じた。
二人は、後処理を後続の騎士団員に任せ、大修道院への帰路についた。夕暮れが近づき、森の中を渡る風は少し冷たさを帯びている。木々の間を縫うように続く静かな小道には、彼ら二人以外の人影はない。
帰り道、カシアンはどこか考え込んでいる様子で、口数が少なかった。ジェラルトは、そんな彼の様子に気づかないふりはできなかった。この掴みどころのない男が、これほど分かりやすく思考に沈んでいるのは珍しい。
「おい、カシアン」ジェラルトは、隣を歩くカシアンに声をかけた。
「さっきから何をそんなに難しい顔をしてるんだ? 戦いの反省か? それとも、何か別に、言いたいことでもあるんじゃないのか?」
ぶっきらぼうな口調だが、そこには長年の付き合いからくる、一種の気遣いが含まれていた。
カシアンは、ジェラルトの言葉に、はっとしたように顔を上げた。そして、珍しく、ほんの少しだけ躊躇うような、言葉を選ぶような仕草を見せた。いつもは淀みなく紡がれるはずの言葉が、すぐに出てこない。
「……ジェラルト殿」彼は意を決したように、足を止め、ジェラルトに真剣な眼差しを向けた。
「大変、不躾な、そしてデリケートな質問になるやもしれません。もし、お答えになりたくなければ、それでも全く構いません。ですが…」
彼は一呼吸置き、続けた。
「貴方と…そして、貴方の娘さんであるベレスに関して、私がここしばらくの間、観察し、考察する中で抱かざるを得なくなった、いくつかの…不可解な点について、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」
その問いは、静かだが、確かな重みを持っていた。ジェラルトは、カシアンの真剣な、そして全てを見透かすような視線を受け止め、眉間に深い皺を刻んだ。この男が、自分たちの秘密にどこまで迫っているのか。その鋭敏すぎる観察眼と分析力は、時にジェラルトですら警戒心を抱かせるものがあった。
しかし、相手はカシアンだ。得体のしれない男だが、傭兵団時代には互いの背中を預けたこともある。そして何より、彼は娘のベレスが信頼を寄せている相手でもある。無下に突き放すことはできなかった。
ジェラルトは、ふう、と長いため息をついた。
「…ふん。お前さんが、そんな改まった顔で尋ねてくるなんてな。よっぽどのことなんだろう。まあ、いいだろう。言ってみろ。答えられる範囲でなら、正直に答えてやる」
彼は腕を組み、カシアンの言葉を待った。
「ありがとうございます」カシアンは静かに礼を述べた。
「では、感情や個人的な推測は可能な限り排し、私が認識している客観的な事実のみを、順を追って述べさせていただきます」
彼はまず、ジェラルト自身について切り出した。
「第一に、ジェラルト殿、貴方の実年齢についてです。貴方は、公表されている年齢やその壮健な外見とは裏腹に、少なくとも100年以上の長き時を生きておられる。これは、以前、皆で酒を酌み交わした際、貴方がご自身の口から漏らされた言葉――例えば、『100年前のあの戦では…』といった類の、明らかに体験に基づくとしか思えない発言――から強く示唆されます。加えて、貴方の持つ知識や経験則には、通常の人間が一生で培える範囲を遥かに超えているものが散見されます」
「第二にその並外れた長命にも関わらず、貴方の現在の身体能力は数年前と比較すると、残念ながら大分落ちています。もちろん今でも常人を凌駕する強さをお持ちですが、以前の記憶や伝聞に残るほどの、超人的な域にはないように感じられます」
「そして第三に、貴方は長年にわたり、セイロス聖教会、特にレア大司教やその側近たちとの深い関わりを、意図的に避けてこられた。騎士団長の座を退き放浪されていた理由も、そこに繋がるのではないでしょうか。大修道院に身を寄せられた現在も、教会中枢とは一定の距離を保とうとされているように見受けられます」
カシアンは一旦言葉を切り、次にベレスへと話題を移した。
「次に、ベレス殿に関する不可解な点です。第一に、彼女は幼少期より、夢の中で『見たこともないはずの、特定の光景』を繰り返し見ていた、と過去に私自身に語ったことがあります。その内容は非常に断片的でしたが、強い印象を残しました」
「第二。最近の彼女と接していると、時折、まるで彼女の中に『もう一人の誰か』が存在しているかのような、あるいは我々には聞こえない『声』に応えているかのような、奇妙な間や反応を見せることがあります。彼女の感情の起伏が乏しいこととは、また質の異なる違和感です」
「第三。彼女は紋章石を所持しないにも関わらず、英雄の遺産の中でも特に強力とされる『天帝の剣』を、何の問題もなく、あたかも自身の体の一部であるかのように使いこなしています。これは、紋章学の常識から逸脱した現象です」
「そして第四。先日の任務で我々が遭遇した、あの未知の魔獣…あれは私も初見の存在でしたが、ベレス殿は、まるで事前にその特性や弱点を知っていたかのように、極めて冷静かつ的確な対処を行ったそうです。偶然や勘だけで説明するには、あまりにも出来すぎた動きだったそうです」
カシアンは、集めた情報と自身の観察に基づいた事実の列挙を終えると、静かにジェラルトの反応を待った。彼はただ事実を並べただけだが、それらが組み合わさることで、ジェラルトとベレスを取り巻く異常な状況が、不気味なほど明確に浮かび上がっていた。
ジェラルトは、黙ってカシアンの話を聞いていた。その表情は、驚き、呆れ、そして長年隠してきた秘密に触れられたことへの警戒心が複雑に入り混じっているように見えた。彼は深いため息をつくと、まるで観念したかのように、しかしその目にはまだ鋭い光を宿して、カシアンを睨みつけるように言った。
「……はっ、恐れ入ったぜ、カシアン。お前さん、ただの変わり者じゃねえな、やっぱり。どこまで見てるんだ、そしてどこまで調べやがったんだ…。俺もベレスも、あんたの前じゃ、まるで丸裸にされた気分だぜ」
彼は腕を組んだ。
「大した観察眼と分析力だよ。敵に回したくねえな、正直。…感心するぜ」
しかし、彼の声には称賛だけでなく、明確な問いかけが含まれていた。
「それで? その、お前さんが並べ立てた事実の羅列から、一体どんな『結論』を導き出したんだ? 聞かせてもらおうじゃねえか、カシアン先生。あんたが、俺たちのことを『何』だと考えているのかをな」
ジェラルトは、核心を突かれたことを認めながらも、守勢に回るつもりはないようだった。彼は逆に、カシアンの推理と、その真意…彼がこの秘密を知って何をしようとしているのかを探ろうと、鋭い視線を向け返す。
ジェラルトの「それで、結論は何なんだ?」という問いかけに、カシアンは一瞬だけ沈黙した。彼の頭脳は、集めた断片的な事実を繋ぎ合わせ、最も蓋然性の高い仮説を構築していた。それは、この世界の根幹に関わるかもしれない、危険な領域への推論だった。
カシアンは意を決し、あくまで冷静に、客観的な分析結果として話し始めた。彼はジェラルトの目を見据え、語り出す。
「まず、ジェラルト殿、そしてベレス殿。お二方が、通常の人間とは一線を画す存在であることは、もはや疑いようがありません。その根源は、フォドラに古くから伝わる『英雄の遺産』、あるいはそれ以上の力を持つ、セイロス聖教会の最も深い部分に関わる『遺物』か、あるいは失われた『秘術』、もしくは女神からの直接的な『祝福』か…いずれにせよ、常識を超えた何らかの力が、お二人に作用している」
「その力によって、貴方は100年を超える長寿と、今なお戦闘能力を維持しておられる。そしてベレス殿は紋章を持たずして天帝の剣を振るう資格と、常人離れした戦闘への適応力、そして…おそらくは、彼女自身もまだ完全には理解していないであろう、未知の能力を発現させている最中。そう考えられます」
カシアンは言葉を続ける。
「ただし、お二人が持つ力の性質は、完全に同一のものではありません。力の源流は同じ系統に属するのかもしれませんが、その発現形態や特性には差異がある。特にベレス殿があの特別な『天帝の剣』に選ばれ、使いこなせるという事実は、彼女が貴方以上に、その力の『源泉』により近い、あるいは特別な繋がりを持つ存在であることを強く示唆しています」
そして、彼は最もデリケートな部分に踏み込んだ。
「そして、セイロス聖教会…特にレア大司教は、お二人のその特異性について、少なくともその一部、あるいはかなりの部分を把握しておられるはずです。貴方が長年、教会と距離を置いてきた理由も、そこにあるのでしょう。そして現在、教会は、その計り知れない力を、特にベレス殿のそれを、教会の維持、あるいはレア大司教自身の目的のために利用しようとしている…あるいは、既に我々の知らぬところで、何らかの形で利用している。…私が集めた情報から導き出される、最も蓋然性の高い結論は、以上です」
カシアンの淀みない、そして核心を容赦なく突いた結論。ジェラルトは、黙ってその言葉を聞いていた。彼の表情は、驚きや呆れを通り越し、どこか諦観にも似た、複雑な色を浮かべていた。まるで、長年隠し通してきた秘密の扉を、ついにこじ開けられてしまったかのように。
ジェラルトは、乾いた笑いを漏らした。
「……はっ、そこまで見抜くか、お前さんは…。まるで物語の語り部だな。聞いた話を繋ぎ合わせて、真実を作り上げちまう。…大したものだよ。ああ、お前の言う通りだ。…ほとんど、な」
彼は、カシアンの推論が、細部はともかく、大筋において真実であることを認めた。その慧眼には、素直に感嘆するしかなかった。
しかし、次の瞬間、ジェラルトの表情は一変し、厳しいものになった。
「だがな、カシアン」彼の声には、有無を言わせぬ重みが加わった。
「よく聞け。これ以上、この件に首を突っ込むのは、絶対にやめておけ。お前さんの知的好奇心や、真実を追い求める探求心は買う。だが、これはお前が考えているよりも、ずっと、ずっと根が深く、そして救いのないほどに闇が深い問題なんだ」
彼はカシアンの肩に、重い手を置いた。
「真実を知ったところで、お前さんにはどうすることもできない。むしろ、知れば知るほど、お前さん自身がその闇に引きずり込まれることになるだろう。下手に触れれば、お前さん一人の問題じゃ済まなくなるぞ。…ベレスや、お前さんが気にかけている他の生徒たちまで、危険な渦に巻き込むことになるかもしれん。これは、長年この闇を見てきた俺からの、真剣な忠告だ。…それ以上踏み込むな。頼む」
ジェラルトの声は、切実だった。それは、単なる口止めではなく、カシアンの身を案じての、心からの警告に聞こえた。
カシアンは、ジェラルトの言葉の重みと、その瞳の奥にある深い苦悩を読み取った。彼は、これ以上踏み込むことの危険性を、ジェラルトの言葉から十分に理解した。
「……承知いたしました、ジェラルト殿。貴方の忠告、確かに肝に銘じます。この件に関する、これ以上の個人的な詮索は、控えることにしましょう」
彼は、あっさりと引き下がる姿勢を見せた。
しかし、彼は完全に引き下がったわけではなかった。
「ですが、一つだけ…これは、私の個人的な好奇心からではありません。レア様から依頼された任務…そして何より、私自身や、私が関わる生徒たちの身を守るために、どうしても確認しておきたい点があります」
ジェラルトは訝しげな顔をしたが、カシアンの真剣な眼差しに、「…なんだ?」と問い返す。
「最近、この大修道院やフォドラ各地で、不穏な動きを見せる勢力が存在します。教会への潜入を試みたり、意図的に混乱を引き起こそうとしたりしている…先日我々が遭遇した、あの異形の魔獣も、彼らの仕業である可能性が高い。彼らについてです」
カシアンは慎重に言葉を選んだ。
「彼らもまた、教会が秘匿しているような、あるいは貴方たち親子が持つような、我々の常識から外れた、『異質な力』…例えば、魔獣を使役したり、人ならざる技術を行使したりする力を持っている、と想定して対策を練るべきでしょうか?」
カシアンの質問は、暗躍するものたちの存在とその能力についてだった。ジェラルトは、その問いに、苦虫を噛み潰したような、そして深い嫌悪感を滲ませた表情になった。
「…………ああ」彼は重々しく、しかしはっきりと答えた。
「恐らくはな。奴らもまた、俺たちや教会が使う力とは源流も目的も違うだろうが…間違いなく、『人の理』を超えた、歪んだ力を持っている。そう考えておいた方がいい。油断すれば、どんな手を使ってくるか分からんぞ。そして奴らは目的のためならどんな犠牲も厭わない連中だ」
ジェラルトの言葉は、闇に蠢く者たちの危険性を明確に示していた。カシアンは、その答えを静かに受け止めた。
「…分かりました。ありがとうございます、ジェラルト殿。それで十分です」
二人の間に、再び静寂が訪れた。ジェラルトとベレスの秘密の核心には触れない。しかし、カシアンは、彼らが特別な存在であること、教会がそれを利用しようとしていること、そして、それとは別に、異質な力を持つ危険な勢力が存在することを、確信として得た。それは、今後の彼の行動指針を決定づける上で、極めて重要な情報だった。
ジェラルトもまた、カシアンという男の底知れない洞察力と、彼が既に多くの事実に気づいているという現実を改めて認識し、彼との今後の付き合い方、そして娘ベレスとの関係について、深く考え込まざるを得なかった。
夕暮れの森の中、交わされた言葉は決して多くはない。しかし、その会話は、互いの間に新たな理解と、そして変わることのない警戒心をもたらし、彼らの運命を静かに、しかし確実に動かし始めていた。