道徳以外を教えます   作:マウスブン

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10月 防衛都市

ガルグ=マク大修道院から西へ数キロ。かつて貴族が治めていたというその町は、長らく主を失い、どこか寂れた空気を漂わせていた。しかし今、その町の中心にある、やや古びてはいるものの立派な元男爵の館には、新たな住人たちの活気が戻りつつあった。館の一室では、カシアンと、ユーリス、ハピ、バルタザール、コンスタンツェといったアビスの主要メンバーが、テーブルに広げられた地図や書類を囲み、今後の活動について打ち合わせを行っていた。窓からは明るい日差しが差し込み、彼らが長年過ごした薄暗いアビスとは対照的な光景が広がっている。部屋の隅には、まだ荷解きが終わっていない木箱や麻袋が積み上げられていた。

 

「それでアビスからの人員と物資の移動状況は?」

カシアンが、報告を求めるようにユーリスを見た。

 

「まあ、ボチボチってとこだな」ユーリスは肩をすくめた。

「なんせ、大修道院の連中に気づかれずに地下からこっそり人や荷物を運び出すのは骨が折れる。特に年寄りや子供もいるからな。全員がこっちの生活に慣れて落ち着くには、まだしばらく時間がかかりそうだぜ」

 

「ああ、思ったより荷物が多くてな!」

バルタザールが力こぶを作って笑う。

 

「順次、安全を最優先に進めてくれればいい。それよりもこの町の住民たちの様子はどうですか? 我々…特にアビスから来た者たちに対する態度は?」

カシアンは頷き、話題を変えた。その問いに答えたのはハピだった。彼女は少しだけ表情を和らげた。

「最初はやっぱり、どこの馬の骨かも分からない連中だって、すごく警戒されてたみたいだけど…。最近、この辺りも物騒になってきてるじゃない? よく盗賊が出たり、厄介な魔物がうろついたり。それを、バルタザールやユーリス、あと傭兵の人たちが何回か追い払ってあげたら、すごく感謝されちゃってさ」

彼女は少し照れたように続ける。

「今じゃすっかり頼りにされてるっていうか…『用心棒さん』みたいな感じかな。困ったことがあると相談に来たり、畑で採れた野菜とか、差し入れを持ってきてくれたりもするよ」

 

「なるほど。恐怖や支配ではなく恩と信頼で関係を築く…悪くない滑り出しですね」カシアンは評価した。

「ご苦労でした、ハピ。そして、治安維持に貢献してくれた皆さんも」彼は、バルタザールやユーリス、傭兵たちに向けて労いの言葉を送った。

 

ユーリスがテーブルの地図を指差しながら、本題を切り出した。

「それで、センセ。引っ越しもこれからだってのに悪いが、今後の具体的な計画を聞かせてもらおうか。エーデルガルトの嬢ちゃんから預かった活動資金は、まだ十分に残ってるんだろ? まずは何から始めるんだ?」

 

カシアンは、町の古地図の上に、自身で書き加えた防衛計画のスケッチを重ねた。

「ああ、資金は当面の活動には十分な額を確保してあります。そして、我々が今、最優先で取り組むべき課題は、この町の防御力の徹底的な強化です」

 

彼は地図上の特定の箇所を指し示した。

「見ての通りこの館も、町全体を囲む壁や門も長年の放置で老朽化が著しい。これでは、いざという時に拠点として機能しない。まずはこれを徹底的に修復する。石工や大工の技術を持つ者がいれば、彼らに協力を仰ぎ、我々の知識…特に私の持つ工学知識も投入して、以前よりも遥かに堅牢なものへと作り変えます。3層に分かれた防衛に強い都市を建設します。」

 

彼はさらに計画を続ける。

「壁を高く厚くするだけではない。周囲に深い堀を掘り直し、侵入者を阻むための逆茂木や罠も効果的に配置する。監視塔を複数増設し、死角をなくす。最終的には、この町全体を、外部からのいかなる攻撃にも耐えうる、鉄壁の要塞へと変貌させる。ここが、我々の新たな活動拠点となるのです」

 

カシアンの語る壮大な計画に、ユーリスは眉をひそめた。

「要塞化、ねぇ…。おいおい、センセ、話が違うんじゃねえか? エーデルガルトの嬢ちゃんには暫定でこの町に配属されたのだろう?中長期計画が必要なのか?それに武器や兵士を揃えた方が良いんじゃねぇか?」

 

カシアンは、ユーリスの当然の疑問に、冷静に答えた。

「エーデルガルドから頂いた金を地域に投資しており道義上は問題ないでしょう。もし私が首や異動になったとしても、皆さんはこの町での役割が持てます。」

 

彼は続けた。

「そして兵士についても心配は無用です。ここにいる君たちがいれば十分です。当面は少数精鋭、それが当面の我々の基本方針です。

武器に関しても、心配はいりません。セイロス教会の大修道院には、管理が行き届かず埃をかぶっている古い武具や、記録上は存在しないことになっている武器庫が、驚くほどたくさん眠っているのですよ。適切な『情報収集』と『手配』を行えば、我々が必要とするだけの装備を『補充』することは、さほど難しいことではないでしょう」

彼の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。その「補充」が、合法的な手段でないことは明らかだった。

 

カシアンは話題を変え、新たな計画を発表した。

「そしてこの町の防衛力を高めると同時に、我々自身の、そしてこの町の経済的な基盤も確立します。私の専門分野の一つを、ここで活かす時が来ました…そう、酒造です」

 

「酒造!?」バルタザールが、目を輝かせて身を乗り出した。

 

「ええ」カシアンは頷いた。

「この土地の水質は良好で周辺では質の良い麦や果実も手に入ります。私の持つ独自の醸造技術と、ある『特別な魔法』を組み合わせれば、他では決して真似のできない、高品質で、かつ希少価値の高い酒を生産できるはずです。それは我々の安定した資金源となり、同時にこの町の住民たちに新たな雇用を生み出すことにも繋がるでしょう」

 

彼は、コンスタンツェに向き直った。

「そこでコンスタンツェ殿。以前、貴女や他の魔道に長けた者たちに伝授した、特殊な酵母の活動を促進・制御するための『発酵魔法』…あれの習熟度はどうなっていますか? あの技術なくして、私の目指す生産速度を向上させることはできません」

 

コンスタンツェは扇子で優雅に口元を隠し、自信に満ち溢れた声で答えた。

「ふふん、ご心配ありませんわ、カシアン。この私が直々に手ほどきしているのですもの!アビスにいた元魔道の先生も知識は確かでしたわ…その方にも協力を仰いでいますし、皆、驚くべき速さで上達しておりますわよ。あなたの要求なさる、あの複雑で繊細な『発酵魔法』を使える者は、着実に増えています。いつでも、あなたの『特別な』お酒造りを始められる状態は整っておりますわ!」

 

「それは素晴らしい」カシアンは満足げに頷いた。

「よろしい。では、今後の我々の活動方針は決定です。第一に、この町の徹底的な要塞化。第二に、独自の酒造業の開始と軌道化。この二つを柱として、この町を、我々の新たな拠点として、そしてフォドラのどこにもない特別な場所として発展させていく。…これから、忙しくなりますよ」

 

カシアンの言葉にユーリス、ハピ、バルタザール、コンスタンツェ、そしてその場にいた他のアビスの者たちは、それぞれの表情に、新たな生活への期待、未知の計画への少しの不安、そしてカシアンという男への複雑な感情(信頼、警戒、興味)を滲ませながら、力強く頷き合った。

 

寂れた元貴族の町が異端の教師カシアンの指揮のもと、アビスの住人たちの力と、秘密の技術によって、歴史の表舞台から隠れた要塞として、そして独自の美酒を生み出す場所として、静かに、しかし確実に生まれ変わろうとしていた。

 

 

 

元貴族の館、その一番大きな広間にはカシアンと、ユーリス、ハピ、バルタザール、コンスタンツェといったアビスの主要メンバー、そして彼らに率いられてこの新天地へ移ってきたアビスの住人たちの中から、特にやる気のある者や、何らかの技術を持つ者たちが数十名ほど集まっていた。広間の壁には、カシアンが用意したこの町の大きな地図と、彼自身が書き加えたと思われる詳細な設計図のようなものが何枚も貼り出されている。

 

「さて皆さん。今日こうして集まってもらったのは他でもありません」

カシアンは集まった人々を見渡し、静かに、しかし力強い口調で語り始めた。

「我々がこれから築き上げる、この新たな『拠点』…この町を、いかにして外部の脅威から守り、我々自身の力で存続可能な場所へと変えていくか。その設計思想と、具体的な計画について、皆さんと共有し、理解を深めていただきたいのです」

 

彼の言葉に集まったアビスの住人たちの間に、期待と緊張感が入り混じったような空気が流れる。彼らは皆カシアンの知略と先の盗賊団殲滅や魔獣討伐で見せた手腕を目の当たりにしており、彼が描く未来に興味を抱いていた。

 

「まず大前提として理解してほしいのは、我々はもはや、アビスのような、ただ人目を忍び、息を潜めて生きるだけの隠れ家を求めているのではない、ということです」

カシアンは断言した。

「いずれ訪れるであろう、フォドラ全土を巻き込むかもしれない『変化の時代』に備え、我々は自らの力で自らを守り、時には外部に対して我々の存在と意思を示すことができる、強固で独立した拠点が必要となります。そのためには、この町を、単なる寂れた居住地から、戦略的な意味を持つ『要塞都市』へと、我々自身の手で変貌させなければなりません」

 

彼は地図を指し示しながら防御の基本理念を説明する。

「効果的な防御の要諦は、『多層防御』にあります。敵の侵攻に対しただ一つの分厚い壁で食い止めようとするのは愚策です。我々は、町の外縁部から中心部に向けて、複数の防御線、すなわち堀、障害物、監視網、そして強化された城壁を段階的に配置します。これにより、敵の戦力を徐々に削ぎ、その進軍速度を鈍らせ、防御側が有利な状況で迎撃できるようにする。これが、我々の目指す防御の基本思想です」

 

次にカシアンは具体的な改修計画を図面と共に説明し始めた。

 

「まず、この町を囲む既存の石壁。これは基礎として最大限に利用しますが、現状では高さも厚みも不十分です。これを倍近くまで増強します。特に、街道に面したこちら側や、地形的に弱点となりやすい箇所には、内部に土砂を充填したり、特殊な資材(いずれ『調達』します)を用いたりして、破城槌や攻城兵器の攻撃にも耐えうる強度を持たせます。壁の上部には、身を守りながら矢や魔法を放つための狭間(さま)を等間隔に設け、防御効率を高めます」

 

「そして、町の入り口である門。ここは最大の弱点となり得ます。現在の古びた木製の門は、全て撤去し、頑丈な鉄張りの二重門へと作り替えます。門楼も強化し、上部には『マシクーリ』…いわゆる石落としや熱した油を流すための設備を設置し、門に取り付いた敵兵を直接排除できるようにします。門の前には深い空堀と、操作可能な跳ね橋を設け、容易な接近を許しません」

 

カシアンの説明は専門的だが具体的で、聞く者の頭の中に、生まれ変わる町の姿をありありと想像させた。

 

「防御は壁と門だけではありません。早期警戒と迎撃準備のため、町の四隅と、周辺の主要な街道を見渡せる丘の上に、新たに複数の監視塔を建設します。これにより、敵の接近を数キロ手前から察知することが可能になるでしょう」

彼は地図上のポイントを指し示す。

「さらに、町の周囲を囲む堀は、現状の倍以上の深さと幅に拡張します。堀底には、侵入者を阻むための鋭利な杭や、動きを封じるための泥濘などを設けることも有効です。町へと続く主要な道には、巧妙に偽装した落とし穴や、騎馬の突撃を阻止するための拒馬などを、複数箇所に、不規則に設置します。これらの罠は、敵に物理的な損害を与えるだけでなく、心理的なプレッシャーを与え、進軍意欲を削ぐ効果も期待できます」

 

彼はさらに籠城戦をも見据えた内部インフラの整備について言及した。

「長期にわたる包囲攻撃にも耐えられるように、生命線である水の確保は最重要課題です。既存の井戸は全て浚渫(しゅんせつ)・点検し、水質と水量を確保します。必要であれば、新たに深井戸を掘削することも検討します。また、屋根に降った雨水を貯蔵し、濾過して利用するシステムも構築します」

「食料備蓄も同様です。館の地下室や、新たに建設する倉庫に、長期保存可能な穀物、干し肉、塩漬けなどを大量に備蓄します。燻製や漬物といった保存食を作る技術も、皆で習得していく必要があるでしょう」

「そして最後に、万が一、外壁が突破された場合に備え、町の中から外部の森へと繋がる秘密の避難経路をいくつか確保・整備します。また、住民が一時的に身を隠せる、小規模な地下シェルターのような施設も、いくつか設けておくのが賢明でしょう」

 

カシアンの壮大かつ緻密な計画説明が終わると、アビスの住人たちから感嘆の声と共に、現実的な質問や意見が次々と飛び出した。

 

「なるほどな、センセ。大した計画だ。まるで本物の要塞だな」ユーリスが腕を組みながら言った。

「だがこれだけの規模の工事となると、石材や木材、鉄…それに専門的な技術を持つ人手が相当必要になるぞ。今の俺たちだけで、本当にやり遂げられるのか?」

 

バルタザールが胸を叩く。

「おう! 心配いらねえ!壁作りでも堀掘りでも、力仕事なら俺に任せとけ! アビスじゃ、こういう土木作業は得意な奴が大勢いるからな!」

 

コンスタンツェが扇子を広げた。

「ふふん、壁の強化ですって? それなら、わたくしの出番ですわね!わたくしの魔道の知識を応用すれば、ただ石を積むよりも遥かに効率的で、魔力的な防御効果も付与した特殊な壁を設計できますわよ! 例えば、一定の衝撃を受けると反発する力場を発生させるとか…!」

 

「落とし穴や罠の設置なら、俺たち元盗賊組に任せろ。どこに仕掛ければ効果的か、どうやって敵に気づかせないか、その辺のノウハウなら負けねえぜ」

顔に傷のある傭兵がニヤリと笑う。

 

「なんか、すごいことになってきたねぇ…。でも、これで安心して眠れるようになるなら、頑張るしかないか…」

ハピはぼやきながらも、どこか前向きな表情を見せている。

 

カシアンは彼らの様々な反応や意見に、一つ一つ丁寧に、あるいは彼らしい合理的な視点で答えていった。

「資材については、おっしゃる通り、大きな課題です。当面は、この周辺の森から木材を、そして古い石切り場跡から石材を調達します。金属類など、ここで手に入らないものは、いずれ様々なルートを駆使して『調達』しますので、心配には及びません」

彼は、不穏な言葉をさらりと言ってのける。

「人手に関しても確かに十分とは言えません。ですがここにいる皆さん一人一人が、それぞれの持つ技術や経験、そして力を結集し、効率的な工程管理のもとで作業を進めれば、必ずや達成できるはずです。魔法を使える者は魔法で、力のある者は力で、技術を持つ者は技術で、それぞれの得意分野で貢献していただきたい」

 

彼は最後に集まった全員の顔を見渡し、静かに、しかし強い意志を込めて言った。

「これは単なる町の改修工事ではありません。これは、我々自身の未来と安全を、我々自身の手で築き上げるための、最初の、そして最も重要な『戦い』なのです。皆さんの知恵と力、その全てを貸してほしい。私は、皆さんを頼りにしています」

 

カシアンの言葉にアビスの住人たちの目に、新たな決意と、自分たちの手で新しい拠点を作り上げるという目標への強い意欲が灯った。彼らはもはや、日陰で息を潜めるだけの存在ではない。カシアンという異質な指揮官のもと、彼らは今、自らの意志で未来を切り開こうとしていた。

 

寂れた元貴族の町はこうして、アビスの住人たちの汗と、カシアンの知略、そして彼らが持ち寄った様々な技術によって、秘密の要塞都市へと、そして新たな物語が生まれる舞台へと、生まれ変わる第一歩を踏み出したのだった。

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